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小説:魔獣記 ミスティミラージュ・ファントム(前編)60000文字

 

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あらすじ

豊富な知恵を持つ人間族と魔力を有する魔獣族が存在する世界。

争いにより魔獣族は絶滅。人間族が残った世界では、魔獣族は悪という常識が広まりつつあった。主人公バルトも、当然のように魔獣族が悪だと教える教師である。

ある日、生徒のベリリと届け物をした際、偶然にも腕輪を装着したせいでバルト自身に秘められていた魔力が覚醒し、魔獣族の血を引くことが発覚。そこで出会った同じ境遇の少女ケイと逃げる羽目になるが、外で待機していたベリリも魔獣族と勘違いされ何者かに誘拐される・・・。

辛くも街へ逃げたバルトたちだったが、バルトたち魔獣族の存在を知った警備兵のユウロは、バルトたちを消そうと殲滅作戦を展開する・・・。

 

 

 

「ば、バルトさん、大丈夫ですか!?」

 

「俺は、大丈夫。それよりベリリは?」

 

 目があった。

バルトが駆け寄ると、ベリリの目から滝のように涙が溢れだし、悲しみを隠すかのようにその胸に飛び込んでいった。

 

「ば、バルト先生……」

 

 バルトはその小さな震える肩を抱き、ただ涙を受け止めることに専念した。

ホルミーもケイもそばで見守る中、静かなパン屋にベリリの泣く声が響いた。

 

「先生……私、本当に怖かったんだよ……先生は、大丈夫なの……?」

 

「俺は大丈夫だ。怪我もなにもない」

 

「良かった……」

 

 ベリリは涙を落としながらも笑顔になった。

 

バルトに対する作り笑顔などではなく、心の底から出た本物の笑顔だ。

 

「私、誘拐されている間にずっと心配してた……自分のこともそうだけど、こんな異常なことがあったなら、きっと学校や先生も危ない目にあってるって思って……」

 

「そんな心配をしていたのか」

 

「……ところであの誘拐犯たち、けっきょく目的はなんだったの?」

 

「知らない人に頼まれたって言ってた。男か女かも分からないって。なぜベリリなのか、その理由も知らないみたいだった」

 

「そ、そっか……」

 

 得られた情報はほとんどゼロに近かった。

だが言い換えれば、それ自体が情報とも言える。

 

 誘拐犯たちすら正体を知らず、報酬を出してまでベリリを誘拐し傷を負わせないよう指示をした人物……それほど慎重で、大きな目的のある人物。

とは……。

 

「ねぇ先生? 学校は、大丈夫なの?」

 

「あ……」

 

 自分だって様子を見たいとは思っていたものの、こんな状況ではどうにもならない。

 

「さっきホルミーさんに聞いたけど、先生は仕事を失くしちゃったって……」

 

 嘘というわけでもないが、事実とも言い難い。

 

「えーと、その……今はちょっと無理なんだ」

 

「無理? 無理って、学校に行けないってこと?」

 

「サーカスから出るときにベリリがいないことに気づいたから、学校を休んで探してたんだ」

 

「じゃあ、私が大丈夫だったから、もう先生は学校に戻れるってこと?」

 

 その流れで行くと、必然的にそういう結論に至ってしまう。

 

 だが事実だけでうまく辻褄を合わせて誤魔化すのは不可能だ。

あまり突拍子もないことで繋げれば、ベリリも感づいてしまうだろう。

 

「えーと、それは」

 

 バルトが嘘をこねくり回してみるが、なかなか解が顔を出さない。

 

 見かねたケイが助け船を出した。

 

「ねぇ、あんた」

 

 ケイがベリリの肩を後ろから掴み、顔を合わせた。

 

 敵意はなかったものの、ケイとしては人間族のことはそこまで信頼していない。

ベリリに対してはまず疑いから入っている。

 

「は、はい?」

 

「バルトは私が拾ったの。ちょっと今は言えないけど事情があってしばらく学校には行けない」

 

「拾った? じ、事情って……?」

 

「ため息が出るなぁ。だから、今は言えない。とにかく、今は学校よりも大事な用があるの。悪いけど、あんまり詳しく首を突っ込まないでくれない?」

 

 せっかく出航させたケイの助け船だったが、ベリリを前にしてつい語気が荒くなってしまう。

さすがに言い過ぎだと思ったバルトは、その間に入って止めた。

 

「ケイ、その言い方はダメだ。口を挟むな」

 

「口を挟むな? 危うくあんなことになりそうだったクセに」

 

 あんなこと――それはセレンの首をはねようとしたときのことだ。

あのときのケイの行動がなければ、バルトは殺人を犯していたことになる。

 

「そ、それはまぁ……そうだが、いまは話が別だろ」

 

「あっそ」

 

 ぷぅと頬を膨らませ、ケイは不愛想な顔をぶら下げて店を出て行ってしまった。

外でフードを被り、外を歩く人ごみの中に消えていく。

 

 バルトは力が抜けてしまい、階段に腰かけた。

教師なのに、いや教師だからこそ、年頃の少女の扱いの難しさはよく分かる。

 

「なんなの、あの人?」

 

 ベリリが言う。

 

「気にしないでくれ、ちょっと不器用なだけなんだ」

 

「そ、そう……」

 

 それだけ言うとベリリは黙ってしまう。色々な疲れのせいで、質問する気も失せてしまった。

 

「バルト先生は、あのケイって人と、私になにか隠し事をしてるんでしょ?」

 

「そ、それは」

 

「どうなの先生? ないならないって言ってよ。私、不安なんだよ……すっごく。先生のことを拾ったなんて言うし……それに、“あんなこと”ってなに?」

 

 ベリリに聞かれたくない部分ばかり集中して耳に入ってしまった。

バルトは答えを出すため乾いたぞうきんを絞るように頭を捻るが、何もいい言葉が出ない。

 

「やっぱり先生って危ないことしてるの? あの魔獣族に関係すること? それとも魔獣族に襲われて怪我してるの? それともあのケイって人が魔獣族で実は先生も協力してるの?」

 

 まくしたてられた質問に対して、適当な言い訳すら思い浮かばない。

それに少しばかり的中しているところがさらに答えづらくさせている。

 

 答えを待つうち、ベリリの目に涙が浮かんだ。

 

「ホルミーさん……ごめんなさい、ちょっと休みたいです……」

 

「うん。階段を上って左にある私の部屋、使ってもいいよ」

 

「ごめんなさい……ありがとうございます……」

 

 涙を拭いながらベリリは階段を上り、ホルミーの部屋に消えた。

うっすらと一階にいたバルトにもすすり泣く声が聞こえていたが、その涙を止められる自信はなかった。

 

「ごめん、ホルミーさん、気を使わせちゃって」

 

「いいの。ケイも思春期だから、けっこう複雑な性格なのよ」

 

「ベリリのこともあるけど、俺がしっかり答えられていればこうならなかったのかなって……」

 

 するとホルミーは、二つの紙の袋にパンを入れ、バルトに手渡した。

 

「これは……?」

 

「新商品の塩キャラメルクロワッサン。疲れたときや迷ったときは甘い物が一番だから」

 

 バルトはそれを受け取り、頬張る。

 

 一口だけで、疲れが吹き飛んだ。

魔法にかかったようなパンの美味しさに感服し、バルトは一気にパンを平らげる。

 

美味しい、と言わずとも、ホルミーにはその感想が伝わった。

 

「もう一つはケイに持っていって」

 

「でも、どこに行ったのか……」

 

「きっとあそこね。ヘソを曲げたり迷ったりしたときは大体あそこに行くの。いっつもワンパターンなんだから」

 

「それはいいけど……でも」

 

 バルトはちらりと二階を見る。

それだけで伝わった。

 

「ベリリちゃんなら任せて。あれぐらいの女の子なら女同士のほうが話しやすいから」

 

「じゃ、じゃあ、任せる」

 

「そっちも、ケイのことよろしくね」

 

 バルトも担任教師としては自分で解決してやりたかった。

だがそれはあくまで教師のプライドの話であって現実はそうはいかない。

そもそも、そのバルト本人が説明できないのであって、話合いなどしても余計に溝が深まるだけだ。

ならばここは女同士に任せるのが定石だろう。

 

 若干、悔しいという気持ちもあったが、バルトは店を飛び出して教えられた場所へ走った。

 

「ケイ、やっぱりここにいたか」

 

 ケイがいたのは町外れの丘の上だった。

町の端にある細い道から丘を登り、数分でてっぺんに到着した。

短い草の生える地面は軽くスポーツができるほどの広さだ。

 

 登るのに少し苦労するほど小高い丘だったが、ここからプリックの町を一望する価値はある。

丘よりも高い建物はいくつも存在するが、その間から見える町並みは美しいの一言に尽きる。

 

「バルト、なんで来たの」

 

 バルトはホルミーから渡された塩キャラメルクロワッサンを差し出した。

僅かだが、ケイが笑顔になったようにも見える。

 

「ここ、良い眺めだな」

 

 ケイは短い草の生える地べたに座っていた。バルトはその隣に腰かけ、膝を抱えて座る。

 

「お気に入りの場所なんだよ」

 

 答えつつ、ケイは両手で塩キャラメルクロワッサンを大事そうに持って端を齧った。

 

「で? バルトはそんな世間話をしにきたんじゃないんでしょ? あの人間族のこと?」

 

「人間族って……ベリリな。今は泣いて部屋で休んでるよ。言い訳をするわけじゃないけど、教師だって人間だ。技術や経験や立場だけじゃどうにもならないことだってあるし、そっとしておくほうが解決するときだってあるからな」

 

「じゃあ、今は放置中なんだ」

 

「いや、ホルミーが付き添ってるよ。俺はお前を連れ戻さなくちゃいけないからな」

 

 バルトは立ち上がり、ケイの鼻先に手を伸ばした。

掴まって立ち上がれ、というメッセージを込めた手だ。

ケイはその手を掴み、クロワッサン片手に立ち上がる。

 

「帰るぞ」

 

「ええ? もうちょっとくらい自由にさせてよ。今は、まだちょっと戻りたくないし」

 

 ベリリとの空気が悪くなってしまったこともあり、戻ろうとは思わなかった。

それにまだベリリは精神的に不安定なこともあり、気を使っているのだ。

だから、あと少しでいいからプリックの町をぶらぶらしたかった。

 

「バルト、ちょっと付き合ってよ。話したいこともあるし、それにお肉が食べたい。奢ってよ」

 

 ケイはクロワッサンを平らげ、包まれていた紙袋をポケットにねじ込んだ。

フードを被って赤髪を隠し、二人で丘を下りる。

その間もケイの頭は肉を食べることでいっぱいになっている。

 

「なぁケイ、お前は学校に行きたいと思わないか?」

 

 丘を下りる道中、バルトが訊く。

 

「思わない。学校って何を学ぶの? どうせ魔獣族が悪だとかそんな話ばっかりでしょ」

 

 即答だった。一秒の間もない即答だ。

 

「そりゃまぁ歴史の授業ならほとんどがそうだけど、他にもいろいろあるぞ。例えば計算だとか、化学に文学、美術に歌も歌うし」

 

「興味ない。私って頭を使うのは下手だし、歌も下手だし、センスないから」

 続いての答えも即答だった。

 

「じゃあ質問を変えようかケイ。将来の夢は何かあるか?」

 

「ない。夢なんかあったって意味ないし。面倒なだけでしょ。その日が楽しくて明日が楽しければ別にそれでいいかなって思うし」

 

 三連続の即答に、バルトはもはや感心してしまった。

 

「パン屋を継ぐとか考えないのか?」

 

「私は不器用だから。簡単なことしかできないし」

 

「不器用なんて決めつけてたら何もできないぞ」

 

「――あのさ」

 

 ケイは立ち止まった。

機嫌が悪くなってヘの字に曲がった口を隠すためにフードを深く被る。

 

「教師だからって私のこと更生させようとか思ってるの?」

 

「違うよ。ただ質問しただけだ」

 

「……そう、じゃあ答えないのも自由だよね」

 

「分かったよ。ごめん」

 

「うん……別にいいけど」

 

 町に入り、人ごみに紛れた。

今日は人が少なめで、歩くのに苦労するほどではない。

ケイの目的はただ一つ、サンドイッチを買える店だ。

 

「なぁ、目当ては肉か?」

 

「うん。それに、ちょっと話したいこともあるし。って言っても、大事なことだから後で、ここは人も多いし食べながら話したいから」

 

「分かったよ。で、肉を食べたいって、具体的になにを食べるんだよ」

 

「サンドイッチ。っていうかここ」

 

 到着した。

木製の白い建物で、小さな四角い窓から店員が顔を出して接客している。

以前、セレンがチリサンドイッチを購入した場所でもある。

店名はアッチモン。

という少し間抜けにも見える名前だったが、ケイはそこを気に入ったらしい。

 

「名前、可愛くない? アッチモンって」

 

「お前も、やっぱり女の子なんだな」

 

「なっ」

 

 ケイは一歩後退してたじろぐ。

そう言われるとは思っていなかったのだ。

 

「ため息が出るなぁ。そういうこと生徒に言ったらセクハラだからね」

 

「なんだよ、変な意味じゃないだろ。可愛いとかそういうことに興味あると思わなかったんだ」

 

「ん……んー……私だって少しくらいそういうのあるよ。そういうのに触れる機会がないってだけで、別に嫌いなわけじゃないし」

 

「もういいよ」

 

 ケイは店員に“ネオサンドイッチ”なるものを注文した。

 

 分厚い牛肉やチーズが挟まった、まるでハンバーガーのようなサンドイッチだ。

出来立てを受け取り、ケイはさっさと歩きだした。

 

「バルト、こっち」

 

 バルトの手を引き、人ごみを縫って進んでいく。

魔獣族の話をするためなるべく人の少ない場所を探している。

できれば座れる場所で人目につかないところだ。

 

 途中で何人かと肩がぶつかったが、謝るタイミングもなく突き進み、建物と建物の間に入る。

 

 ゴミがいくつか落ちていて、壁には中途半端に剥がれたポスターが残っている。

小汚い場所で食事には適さなかったが、ケイはそこまで気にしていない。

 

 深緑の塗装が剥げたベンチがあった。

お世辞にも清潔とは言い難いが、ベンチとしての機能はしっかりと保てている。あくまで形だけだが。

 

「ケイ、家まで行ってもいいんだぞ?」

 

 その言葉にケイはむっとする。

 

「来たいの?」

 

「いや、そうじゃなくて、しっかり家に戻ったほうがいいだろ。食べながら話すのに適さない」

 

「うーん……別にいいよ。はやく話をさせて」

 

 一度サンドイッチを頬張り、深呼吸してから話を始めた。

 

「この前さ、私は物心ついたときから両親を知らないって言ったよね?」

 

「あぁ。どっちが魔獣族でどっちが人間族なのかも分からないって言ってたな。その後は孤児院に行ったって」

 

「孤児院に行ったのは本当だけど、両親を知らないって言ったのは嘘なんだ。本当はさ、父親については少しだけ知ってるの」

 

 ケイの顔は思い出したくない過去を無理やり引っ張り題しているような暗い表情だった。

サンドイッチを持つ手からも力が抜けていく。

 

「父親……っていってもほとんど知らないようなものだけど、魔獣族なんだ」

 

「魔獣族か……やっぱりハーフなんだな」

 

「ええと、ハッキリ見たわけじゃないんだ。孤児院に行く前、たぶん母親が死んだ後」

 

「あんまり覚えてないってことか」

 

「いや……古いことだし一瞬だけど、あの一瞬だけは鮮明に覚えてる、気がする」

 

「でもケイ、確信できない記憶を情報として扱うのは危険だ」

 

「……分かってるけど、でも父親に関する記憶はこれしかない」

 

「どんな記憶なのか、聞いてもいいのか」

 

「……」

 

 今度はサンドイッチを持つ力が強くなる。

パンの間から溶けたチーズが少しだけはみ出した。

 

「私の父親、変身の魔力だった」

 

「なにに変身するんだ?」

 

「バルトと同じ鎧への変身能力。でもバルトと違って色は白い。古い記憶だから自信ないけど」

 

「そうか、その変身の魔力が遺伝して、ケイも狼への変身能力を得たんだな」

 

「それはいいんだけど、問題はそこじゃない……」

 

「本当に驚くところはそこじゃないのか」

 

「……じゃあ言うけど」

 

 バルトに緊張が走る。

 

「私の父親、人を殺してた」

 

「人を――?」

 

「変身の魔力と、バルトと同じ氷の魔力を使ってね」

 

 バルトの心境は複雑だった。

自分と同じ魔力が人殺しに使われている事実は、安易に受け止められるような情報ではない。

 

「理由は訊かれても困るからね。本当に微かしか覚えてないから。被害者が誰かも謎だし」

 

「あぁ。分かった」

 

「やっぱり話しておいたほうがいいかなって思った。魔獣族の話なんてバルトにしか言えないし、自分の中だけで吐き出せないのは居心地悪いし、バルトにだって無関係の話じゃないから」

 

 

 

「ベリリちゃん、落ち着いた?」

 

 ホルミーの部屋。ベリリはうかない顔でホルミーのベッドで休んでいた。

 

「ホルミーさん。さっきのあの黒い鎧、魔獣族なんですよね」

 

 互いに魔獣族に関しても、その正体がバルトだと言うことも知らない。

自分たちに牙をむいた相手がすぐそばにいるということも、気づいてはいない。

 

 事情を知らない人間からすれば、普通の鎧を着た人間にも見える。

だがホルミーはリーヴェから漂っていた威圧感や雰囲気から、なんとなく普通の人間ではないのだろうなと感じていた。

 

「分からないけど……でも、魔獣族って言われればそんな気もする。凶暴そうだったし、町の中にいたときもそう思った」

 

「町の中? プリックの町の中にいたんですか?」

 

「うん。目の前で警備兵と戦ってたの。すぐに逃げちゃったけどね」

 

 ユウロのプラセオルと戦ったときのことだ。

 

「あの、じゃあ目の前でも見たんですか?」

 

「うん。少し離れてたけどパン屋から見えるくらいの距離だったよ。少しだけ怖かった。魔力の衝撃で爆発とかして、普通の人間じゃ太刀打ちできないよ」

 

「それじゃあ、魔獣族の怖さは知ってるってことですよね」

 

 ベリリの声のトーンが下がる。

 

「うん」

 

 リーヴェに斬られそうになった件はあえて口にしないでおいた。

またあの時の記憶が蘇ったら辛いだけだ。

 

「さっきも言いましたけど、あの鎧の魔獣族、私の両親を殺した魔獣族かもしれないんです」

 

「うん。さっき言ってたね。詳しく訊いてもいいの?」

 

「私……幼い頃から両親がいないんです。なんとなくですけど、両親が魔獣族に斬られる瞬間を見たことある気がして」

 

「自分が斬られそうになったあの瞬間に、いきなり頭の中に出てきたんだよね?」

 

「はい。だからあんまり自信のある記憶ではないですけど……黒い鎧で、大きな剣で、なんだか少し寒かった気もします。どういう魔力かは分からないですけど……」

 

 ベリリは自分の体を強く抱いた。

自分で話を切り出したが、記憶を口から出して形にするのも楽ではなく、一瞬の恐怖が鮮明になりつつある。

 

「ごめんなさい、話、変えます。また暗い話題ですけど、今度は誘拐についてです」

 

 震える手を抑えながら、ベリリは絞り出す。

 

「私、どうして誘拐されたのかぜんぜん心当りがないんですよね。ただ連れてこられて、丁重に扱うように言われてるって言ってて、食事もしっかり貰いましたけど……どうして私が誘拐されたのか理由がさっぱりなんですよね」

 

「理由が、分からないか……」

 

「それと、バルト先生が持ってた靴ですけど、あれはなんだったんですか?」

 

「ええと、サーカステントの前のベンチのそばに落ちてたの。バルトさんはあの靴がベリリちゃんのだって言ってたけど、ベリリちゃんのじゃないんだよね。つまり、偶然あそこに靴があって、偶然それを目印にして町に辿り着いたってことなのかな?」

 

「それは、奇跡的だと思いますけど……本当の靴の持ち主が誰なのか分からないですよね」

 

 結果的にはベリリを助けることになった靴には感謝せざるを得ない。

だが、誘拐の目的や誘拐犯に頼んだ人物の正体、それはホルミーたちの間では推理できないことだ。

 

「ちょっと疲れました。少し早いけどもう寝ますね」

 

「うん。ゆっくり休んで」

 

 ベリリは夢に落ちた。

 

 悪夢を見ないようホルミーとバルトのことを思いながら、ただゆっくり眠った。

魔獣族に襲われた記憶や誘拐された記憶をすぐに消したくて、ただひたすら眠って忘れようとした。

 

 その魔獣族の正体がバルトだということも知らずに。

 

バルトとケイの話は終わり、また人ごみの中へ戻った。

 

「あーあ、なんだかまだお腹が空いてる」

 

「けっこう大きなサンドイッチだったろ。まだ食べるのか。次は何を奢らせる気だ?」

 

「そうだなぁ」

 

 立ち並ぶ店たち。

ピザ屋にクレープにレストランに焼肉。

さすが都会と言えるほどだけあって、色とりどりの食事を楽しめる充実したラインナップにケイが迷い始めた。

店の前にはうるさいほど呼び込みもいて、ホルミーのパン屋は霞んでしまうくらいだ。

 

 ケイが店を眺めていると、ある人物が目に入った。

 

 道の端、丸く固まっていくらかの警備兵たちに紛れてユウロがいた。

頭には包帯を巻いている。

甘党のユウロではあったが、今回ばかりはクレープなどをむさぼるわけではなく、神妙な顔つきで真面目な話をしている。

ケイはあまり関わりたくないので無視して立ち去ろうとしたが、不運にもユウロはバルトの存在に気づいてしまった。

 

「おーい! シナモンパンの友よ!」

 

 バルトたちとユウロの距離は人が十人分ほど空いているが、人の目など気にせずにそう叫んだ。

ケイは恥ずかしさで頬を赤く染め、少しバルトから離れた。

 

「バルト、行っていいよ」

 

 振り返ってケイが言う。

 

「え? 行くのかよ」

 

「あいつにはため息が出るなぁ。私は関わりたくないから近くで待ってる。あいつはプラセオルってやつに変身してバルトと二度も戦ってるからこっちは知ってるけど、あいつはバルトの正体を知らない」

 

「だから安心できるって? 無茶言うなよ」

 

「近づいて、なんとなくでいいから魔獣族に関する話を聞いてきて。たぶんあいつら、まだこのへんを嗅ぎまわって探してるはずだよ。市民のことは顧みないからなにするか分からないし」

 

「行くのはいいけど、でもお前、いきなり狼に変身して飛び込んだりするなよ。こんな町中で狼なんか出たら大騒ぎだからな」

 

「分かってるってば」

 

 頬を膨らませたケイは、すぐ近くのアメリという雑貨屋に入っていった。

中には洒落た格好の女性が数人いて、ローブを着たケイには場違いであったが、あまり気にしてはいない。

 

 バルトが深呼吸して進むと、ユウロは周囲を気にせずバルトに手を振った。

 

「シナモンパンの友よ、また会えたではないか!」

 

 ユウロは一緒にいた警備兵たちに背を向け、バルトを笑顔で迎えた。

 

「あ、あぁどうも」

 

 ユウロは頭に包帯を巻いている。

自分との戦いのせいでついた傷だということはバルト自身も承知のうえだが、あくまで無関係を装うために包帯について質問することにした。

 

「ええと、その包帯は?」

 

「あぁこれか? それがな、憎き魔獣族と一戦交えてな。討伐には失敗したがヤツらはまんまとしっぽを撒いて逃げていったぞ! 恐れをなしたということだ!」

 

 その魔獣族が目の前にいるなど露知らず、ユウロは腰に手をあてガハハと笑う。

 

「ユウロ様、魔獣族の話を市民に喋らないでください!」

 

 一人の警備兵がユウロの背中に忠告する。

だがその耳には雑音としか認識されていない。

 

「ところでシナモンパンの友よ」

 

 ユウロはバルトの肩に手を回し、警備兵たちから少し離れたところに移動した。

 

「な、なんだ?」

 

「実はな、我が妹が魔獣族にやられたんだ」

 

「な、なんだって?」

 

 バルトの返事はあくまで演技だ。

怪我をしていることはすでに知っている。

 

「俺は本気で魔獣族を絶滅させてやりたいと思っている。きみもだろう、シナモンパンの友よ?」

 

「その通りだな」

 

「魔獣族は狡猾で残忍だが知力がない。それに魔獣族はほぼ絶滅している。親もいないから、性格も悪いだろうな。まともに教育してくれる人間がいないだろうからな」

 

「それは……違うんじゃないかな」

 

「違う?」

 

 ユウロの目つきが変わった。

やや落ち着いた表情から切り替わり、鋭い顔に変化する。

 

「いや、幼い頃から親がいなくたってしっかりやってる人だっている」

 

「魔獣族の血を持って生まれて親のない環境で育てられてまともに育つものか」

 

「確かに親の愛情がなかったら子供は悲しいかもしれない。けど、俺は今のままでも幸せだと思う。魔獣族とか人間族とか関係なしに、どういう存在かが重要だと思う」

 

「どういう存在か……ねぇ。シナモンパンの友よ、まさか魔獣族の味方か?」

 

 ユウロは腰に付けた警棒に手をかけた。

抜きこそしなかったものの、バルトを見る目がよりいっそう鋭くなる。

魔獣族に対する恨みは強い。

妹を傷つけた魔獣族が、憎いのだ。

 

「い、いやそういうわけでは……」

 

「……すまない。今は具合が悪くてね。ちょっと魔獣族に敏感なんだ。シナモンパン好きで人間族なのだ、我々の敵であるはずがない」

 

 ユウロの表情が和らいだ。

シナモンパン好きに悪い奴はいない、という理論だ。

 

「妹が殺されかけたからな。常に冷静な俺も気が立つことがある。すまないな。許してくれ」

 

「いや、それはいい。ところで、今は魔獣族はどこにいそうだ?」

 

 バルトはうまく魔獣族の話しにシフトさせた。

 

「前回と今回の交戦を考えれば、ヤツらはこの周囲にいると考えてもいいだろう。戦闘によって消耗しているからそう遠くにも行けまい。つまり、まだこの町にいる可能性も無きにしも非ず。早急に撃破するためにも、俺は明日この町である作戦を展開する。魔獣族を二匹同時に仕留めることができる作戦だ」

 

「その作戦とは?」

 

「いくらシナモンパンの友とはいえ、警備の作戦概要までは口にできん。きみを信用していないわけではないが、警備兵でもない人間が知っても意味はないからな」

 

 バルトの肩を二度ほど叩き、ユウロは背中を向けて警備兵たちの輪へ戻っていった。

背中を向けながら手をふってきたため、バルトはその場を立ち去った。

 

「あぁそうだシナモンパンの友よ、名前を――」

 

 と、ユウロが振り返ったとき、すでにバルトの姿はなかった。

 

「シナモンパンの友よ……くれぐれも、魔獣族には気を付けろよ」

 

 誰に言うわけでもなくユウロは呟く。

困った顔で待機していた警備兵に悪態をつきながらも、ユウロは魔獣族に対する恨みを心に滾らせていた。

 

 

 

「どうだったのバルト」

 

 女性だらけの雑貨屋で、ケイは素っ気ない態度で待っていた。

ガラスケースに入った貝殻で出来たネックレスを眺めながら、これまた素っ気なく訊く。

 

 周囲の目を気にしてそこまで大きな声で話せないため、二人の距離は近い。

ケイはフードを被っていないため、バルトには表情がよく見える。

 

「一つだけ情報はつかめた。明日、魔獣族に対する作戦があるらしい」

 

「作戦?」

 

 ネックレスから目を離さずケイは首を傾げる。

 

「具体的には口を滑らせなかったけど、複数の魔獣族を一気に仕留められる作戦らしい」

 

「ふーん」

 

 特に慌てた様子もなく、ケイは手前にあったブローチを手に取って眺めた。

 

「あの甘党はまだ私たちに気づいてない。だからどうせ適当な作戦でしょ。慌てる必要ないよ」

 

「どうかな、前みたいに見境なく人を疑って襲うかもしれん」

 

「そうなったら、また私が止める」

 

「それがあいつの狙いなんだよ。プラセオルで変身されたら、あいつだってかなり戦えるほど強くなるんだ。狼だけじゃ厳しい」

 

「じゃあ大きな電撃で騒ぎを起こしてその隙に……」

 

「なるべく町の中で魔力は使うな」

 

「分かってる。冗談だよ」

 

 そこでようやくケイはバルトへ振り向いた。

だが手にはネックレスが残ったままだ。

気になったバルトが値段を確認すると、そこには三万エンという驚愕の数字が飛び出ている。

 

「お前、それ欲しいのか」

 

「買ってくれるの?」

 

「ネックレス一つが三万なんておかしいだろ。いいから戻るぞ」

 

「そう? 三万なんてまだ良心的だと思うよ。ホントに高いのは十万は超えるし」

 

「そんな高いの買えるわけないだろ。しっかり働いて買うんだな」

 

 ケイが頬を膨らませながらネックレスを戻した。

自分でも買えないことくらい分かっている。

だが、だからこそ手に取って眺めていたい欲求が強くなるのだ。

 

 ケイが満足いかないまま、二人は店を後にした。

また人ごみに混ざってパン屋まで戻ろうとしたバルトだったが、ケイは人のいない入り口付近でバルトを止めた。

 

「パン屋にはまだあの人間族がいるから、自分の家に戻る」

 

「ベリリか」

 

「どうせあいつだって魔獣族を差別してるんでしょ」

 

 それには真っ向から否定もできない。

事実だ。

 

「でも、世の中には魔獣族にそこまで否定的じゃない人だっているはずだ」

 

「いたとしても、その人は周囲に合わせなきゃいけないから口にできないよ。そんなの孤児院の時代に飽きるほど思い知った。あの時ちゃんと魔力があれば一人くらい懲らしめてたかも。人なんて、口だけで心の奥底ではバカにしてるんだよ。人間族なんてみんなそうだ。特に大人はそう。けっきょくは社会に合わせて、周囲に合わせて自分の意見も支配されるんだ」

 

「人間族なんてみんなそう? じゃあ魔獣族はいいのかよ」

 

「当たり前でしょ。魔獣族は信用できる」

 

「なぜだ。俺もお前も幼い頃から両親はいないんだ。生きた魔獣族のことなんて知らないだろ」

 

「知らなくても分かる。差別してる人間族はみんな卑怯……ホルミーは別だけど」

 

「差別してたら卑怯だと? じゃあ人間族を差別してるお前だって卑怯じゃないか」

 

 ケイはキっとバルトを睨みつけた。

 

お互いにハーフ同士で信頼はあっても、しっかり心は通じていない。

 

「そうだよ。私は卑怯だ。バルトも卑怯だよ。学校では魔獣族が悪だ悪だって教えて、会ってもいないのに差別して、それが正しいことだって広めて、バカみたい」

 

「今は違う。魔獣族だからとか人間族だからとかじゃない……そう思うようになってきた」

 

「へー、それはそれでおかしいよね。ハーフだって知って、たったの数日で考え方が変わるんだ。そんな適当な気持ちで教師なんてやってたら、そりゃあ人間族も歪むよ」

 

「……もしお前が生徒だったら、けっこう勉強になりそうだ」

 

「なにそれ、喧嘩売ってんの?」

 

「そうじゃない。お前みたいに他と違う意見のある生徒がいたら、教師としても色々と考えさせられそうでな。ぜひ生徒に欲しい」

 

「だから行かないって……」

 

 ケイはフードを被り、暗い顔を張り付けてバルトに背を向けた。

すぐにバルトがその幅の狭い肩を掴んで待ったをかける。

 

「おい待て」

 

 フードを少し上げ、目だけ覗かせる。

 

「なに? また説教?」

 

「違う」

 

 ケイのフードをつまみ、ケイの赤髪を露わにさせた。

 

「なにすんのやめてよ」

 

「こんなフード被るな。雨も降ってないのに」

 

「いいでしょ別に、うるさいな」

 

 バルトの手を弾き、ケイはフードを被りなおして人ごみに消えた。

ケイにとって、バルトの言葉は鬱陶しいものでしかなかった。

学校という言葉も人間族という言葉も、どれもが面倒で近寄りたくないものとして耳に入っている。

やはり人間族でもハーフでも、思春期の扱いは難しいと思いながら、バルトも人ごみに消えてパン屋へ戻った。

 

 

 

「ベリリは大丈夫?」

 

 パン屋に戻ったバルトは、与えられた部屋でベッドに腰かけるホルミーと話していた。

バルトもベッドに座ろうか悩んだがシチュエーション的にマズいと判断し、仕方なく立っている。

 

「このまま大丈夫そうならお家に戻すし、無理そうならここで一緒にいるから」

 

「そこまでしてもらえるなんて……」

 

「いいの、妹ができたみたいで楽しいから……それより、ケイは?」

 

「なんというか、機嫌悪そうに家に戻っていったよ。難しいなあいつは」

 

「そういう歳だからね。ケイは人との付き合いがほとんどないから、人との関わり方がよく分かってないだけ。あんまり悪く思わないでね」

 

「ま、まぁそれはいいけど」

 

「それより、ケイはもうすぐ誕生日なの、なにかお祝いしてあげたいな」

 

「誕生日?」

 

 ふと、ケイが三万エンの貝殻のネックレスを見ていたことを思い出した。

なるほど、と納得する。

ケイが見ていたのはただのネックレスではなく、自分へのプレゼントだったのだ。

 

「ええと、もしかして明日だったかな?」

 

 

「あ、明日? お祝いなんて間に合わないじゃないか」

 

「ええと、大丈夫。パンでなんとかするから」

 

 ホルミーが用意できる最高の品物はパンぐらいだ。

パン屋だから当たり前ではあるのだが。

 

「ケイは、なにか欲しいって言ってなかった?」

 

「まぁ、ある程度は」

 

 厳密には口にしていなかったが、ネックレスを見ていた目は実に物欲しそうだった印象がバルトにはある。

 

「でも三万エンはするネックレスだった。子供の誕生日には高すぎる」

 

「子供? ケイだってもう十七なのよ。立派な大人」

 

 教師にとって十七はまだまだ子供だ。

 

「じゃあ、ちょっと値が張るけど……買ってこようか?」

 

「いいえ、子供って言ったのは否定するけど、三万エンがケイに高すぎるのは事実ね」

 

「うん。それがいい。ここで高価な物を与えたってケイのためにならない」

 

「あら、教師らしいこと言うのね」

 

 ベッドに腰かけながらホルミーは微笑んだ。

だがバルトにはどこか居心地が悪く、どこに視線を向けたらいいのか困る一方だ。

なのでバルトは慌てて話題を変えた。

 

「ところでホルミーは、魔獣族は苦手じゃない?」

 

「魔獣族そのものを嫌ったりはしない。人間族でも悪い人はいるし、魔獣族でも良い人はいると思うし……そういう差別とかあんまり好きじゃないから。でも、どうしていきなり?」

 

「いえ、なんだか最近、魔獣族とか人間族とかよく分からなくなってきてるんだ。近くで魔獣族が出てるって騒いでるけど、この近くに住んでるなら意外といい人じゃないかって思って」

 

 バルトがリーヴェに変身して、ベリリとホルミーを斬り殺そうとしたことはバルトの記憶にない。

当然ホルミーもリーヴェの正体を知らない。

斬られそうになった恐怖は本物だったが、そのことを話してバルトに余計な心配をかけさせるつもりもない。

 

「意外と良い人か……それならいいけど、あんまり派手な争いはしないでもらいたいなぁ。やっぱり危険なことは好きじゃないし……」

 

 ホルミーはベッドに仰向けになった。

天井を見上げてため息をつく。

 

「あーあ、どうして人間族と魔獣族って分かり合えないんだろう」

 

「それは、やっぱり種族が違うから……?」

 

「それだけかな。絶滅した二十年前のことは詳しく分からないけど、人間族だって気にしすぎだと思う。そう思わない?」

 

 ここに来る前のバルトならすぐに首を横に振っていたことだろう。

 

「たしかに……昔のことをあまり知らずに差別するのは良いことじゃないかもしれない」

 

「難しいよね……世間で常識になっていることを覆すのって。二十年もかけて根付いているものだから、もう二十年以上は必要なのかもしれないけど」

 

「共存……たしかに人類が課題にすべきことかもしれない」

 

 ホルミーは上半身を起こした。

乱れた髪をかきあげ、ベッドから立ち上がる。

 

「バルトさんは、これからどうする? ケイは帰っちゃったし、ベリリちゃんは眠っちゃったし、私は明日のお店の準備をしつつケイのプレゼントを用意するつもりだけど」

 

「手伝うよ」

 

 なにかしていなければバルトも落ち着けない。

居候させてもらうだけにもいかず、諸々の準備を手伝うことにした。

 

 

 

 あれからベリリを交えての食事をし、三人で片づけをして就寝した。

 

 ベリリにはまだいろいろと疑問や不安が渦巻いていたせいか、まだ疲れはとれない。

ベリリにベッドを貸していたためか、ホルミーもあまり十分な休息はとれていないようだった。

 

 翌朝。ホルミーは疲れた体に鞭を打ち、誰よりも早い時間に目を覚まして店の仕込みをしていた。

それより何時間か後、ベリリとバルトも一階に降りて来た。

 

「おはようバルト先生」

 

 ホルミーから借りたパジャマはベリリにはサイズが大きく、僅かに肩がはみ出していた。

 

「あぁ、おはよう」

 

 目のやり場に困ったバルトは目を背けて返事を返す。

 

「先生、学校は、戻れないんだよね?」

 

「あぁ。今はちょっとな」

 

「……あの人、なんだっけ? ケイ? あの人とのことも何も言えないの?」

 

「ごめん……」

 

 言い訳もできずバルトは押し黙る。生徒の質問に答えられない自分が、悔しくてたまらない。

 

「……そっか、でも先生が言えないっていうんなら無理に訊かない。でも! 言えるタイミングになったら絶対に言ってよね。私、本当に心配なんだから」

 

「あ、あぁ……」

 

 言えるタイミング――。

 

 すなわちそれは、自分が魔獣族とのハーフだと明かすときと同じだ。

 

「ベリリは、魔獣族は嫌いなんだよな」

 

「え? うん。だって先生だってそう言ってたじゃん」

 

「まぁそうだが。でも学校で言ってただろ、魔獣族は嫌いだけど魔力は使ってみたいって」

 

「うん。魔力で人助けができたら世の中のためになるよね。魔獣族だって悪さとか意地悪なこととかしないで、平和のために魔力を使えればいいのに。でも急にどうしたの?」

 

「いや、このへんで魔獣族が出たって話があったからさ」

 

「魔獣族……」

 

 ベリリの脳裏には、剣を振り下ろすリーヴェの姿があった。

そのことをバルトに相談しようかとも悩んだが、やはり心配をかけさせたくないため頭の中だけでとどめた。

 

「私さ、学校に戻ろうかなって思ってる。先生がいなくてパニックになってるだろうし」

 

「俺がいないこと、報告するのか?」

 

「ううん。学校に来れないのは理由があるんでしょ? みんなには言わない。私自身のことも、ちょっと調子悪くて休んでただけって言っておく」

 

「そうしてくれると助かる……」

 

「じゃあ私、制服に着替えてくる。朝ごはん貰ったら、学校に行く」

 

「あぁ。気を付けろよ」

 

 ベリリは下りて来た階段を逆戻りした。

一番うえまで上ったところで、ベリリはふり返る。

 

「先生」

 

 僅かに愁いを帯びた表情。

涙に濡れた目を向けられてバルトに緊張が走る。

 

「私にとって先生はバルト先生しかいないから。だから、ずっと待ってる」

 

 返事を受けることもなくベリリはまた部屋へ戻っていった。

その言葉には、生徒としてというよりも、少女としての寂しさが詰まっていたようだった。

 

 

 

 朝食を済ませ、ベリリはいつも通りの制服に身を包んでいた。昨日の恐怖はまだあったが、そこはベリリ持ち前の明るさでなんとか抑えた。

 

「ベリリちゃん、忘れ物はない? 来たくなったらまた来ていいんだからね」

 

「はい! 次はお客さんとして来ます」

 

 挨拶を済ませて店のドアを開いた。

ホルミーは笑顔で手を振って出発を見送る。

 

 朝の時間でも人通りは多い。

はずだった。

今日は不自然に人が少ない。

両手を横に広げて走ってもほとんど人にぶつからないくらいの余裕だ。

気になったホルミーは外に飛び出し、様子を確認した。

 

 店から見える範囲ではこれといった異常はない。

もしなにかがあるとすれば――。

 

 広場は町の入口とパン屋の間。

人が集まっているとすればそこしかない。

 

 急に飛び出したホルミーが気になり、何事かとバルトとベリリも外に出た。

 

「バルトさん、広場に人が集まっているかもしれません」

 

「広場に? どうしてこんな朝から?」

 

「さぁ……なにか問題でしょうか。トラブルが起こってたら嫌だけど……」

 

 バルトはプリックの町には詳しくない。

この町でよく起きるトラブルや、トラブルを起こしやすい人などの調査もしていないためどういった類なのか予想がつかない。

 

「行こう」

 

「バルトさん、大丈夫?」

 

「行ったほうがいいと思う」

 

 今度こそケイの正体がバレてユウロと交戦しているなら、狼の魔力だけではプラセオルに太刀打ちできない。

市民にも被害が及ぶことを考えると、放っておくのは得策ではない。

 

「ベリリ、お前は学校に行け。問題が起こったかもしれない」

 

「そ、そうかもしれないけど……」

 

 トラブルがあったとすればベリリとしても見過ごせない。

昨日は魔獣族に殺されかけたのだ。

今日はバルトが魔獣族の毒牙にかかる可能性も否定できないと考えた。

 

「ホルミーさん、行こう。ベリリは戻るんだ。これ以上お前に危険な目にあってほしくない」

 

「わかった……」

 

 本当は納得などしていないが、食い下がっても効果はないと感じて何も言わなかった。

 

「行こう、ホルミーさん」

 

 バルトは俯いたベリリを残し、ホルミーと共に広場へ向かった。

 

 学校に向かう途中で魔獣族に襲われたらどうしよう。

もし学校を魔獣族が攻めたら何人死ぬんだろう。

ベリリの頭を支配していたのはそんなものばかりだ。

バルトにその気持ちを察してもらえなかったことが一番のショックで、心に錆びついていた不安はより一層膨れ上がった。

 

 

 

 雲一つなく晴れ渡った空とは対照的に、プリックの広場には喧噪が広がっていた。

中央に設置された噴水から絶え間なく溢れる水ではその熱を抑えることができず、空しく水しぶきを散らしているだけだった。

 

 噴水を挟んだ人だかりの奥には適当な木箱が積まれた台があった。

その上にはロープで縛られた三人の人間が立っている。

だが自由はなく、顔には袋も被せられているため、立っているというより立たされているという表現が適切だろう。

 

 捕らえられた男女の前にはユウロと数人の警備兵。

それをプリックの住人の半分以上が見守っていた。

 

「こいつらの名はビスマとバークとアクチ。強盗をやらかした犯罪者だ。ついさっき警備兵が捕まえてすぐに縛り上げた。このタイミングで醜い盗みをするのは魔獣族であるという証拠だ」

 

 ユウロの言葉に、住人たちに緊張が走った。

町を騒がせていた魔獣族の件に終止符を打てるのならもう安心だ。

という声と、本当に魔獣族なのか、という声が交差している。

 

「さて」

 

 ユウロは三人の顔に被せられていた袋を外した。

住人たちから見て右にいる黒髪の若い男がビスマ。真ん中の金髪の男がバーク。

左にいる長い黒髪の女がアクチ。

三人とも二十代ほどで怪我もなく健康そのものだが、ロープで口を縛られているため声にならない声しかあげられない。

 

「貴様ら、小汚い盗みだけならまだしも、まさか魔獣族とはな」

 魔獣族については否定

したい三人だったが、首を横に振ることしかできない。

 

「しょうがない。公開処刑と行こうか。あまり過激なものは好まない主義なのだが」

 

 ユウロは腕輪のダイヤルを捻った。

何人が見ていようとも、ここで処刑を始めるつもりだ。

 

「ミラージュコーティング」

 

 瞬く間にユウロはプラセオルに変身した。

腰から警棒を抜き、女の口をふさいでいたロープを下ろした。

 

「貴様は魔獣族だが女だ。ささやかな配慮として最後に一言言い残してもいいぞ」

 

「私たちは確かに盗人だけど魔獣族じゃない! そもそもお前だって魔力でそんな姿に変身してるじゃないか!」

 

「魔力だと? あんな下等なものではなく、これは腕輪の力だ。お前らのような魔獣族を滅ぼすことのできる腕輪だぞ」

 

「だから魔獣族じゃないって――」

 

「ほう、下等生物代表の言うことはそれだけか。お前、狼に変身できるだろ? お前が狼だとすると、他の男のどちらかがリーヴェか。するともう一人はなんだ? 竜か? それとも熊か?」

 

「なに言ってんのあんた」

 

「喋らないか。まぁ、あの世に行けば魔獣族も人間族も一緒だ」

 

 ユウロは警棒を腰に戻してビスマの前に立った。

正面から手の平を突き出す。

 

「んんん……んん……!」

 

 ロープで口を塞がれたビスマは声にならない声で悲鳴を上げる。

手の平の意味は分からなかったが、ここまでのことをするユウロの威圧感で先のことを悟った。

 

 殺される。

 

 ユウロはビスマにリーンシルバを放つつもりだった。

一撃の炎で葬るつもりだ。

 

「さぁ砕け散れ魔獣族。貴様の命は何色かな?」

 

「あが……あが……あえお……! あええうえ……!」

 

「行くぞ、まず一人目だ……」

 

 手を引っ込めて力を溜める。

炎のエネルギーが腕に迸り、沸騰するように手から火の粉があふれ出している。

 

「リーンシル――」

 

 その時、突き出したユウロの手は何者かによって静止された。

ユウロから見て右手の建物の上から、ペンほどのサイズの尖った氷が射出され足元に十本ほど深々と突き刺さっている。

 

「な、何者だ!」

 

 攻撃の方向へ振り返ったとき、すでに何者かは姿を消していた。

唐突の邪魔に怒りがこみ上げたユウロは、ビスマの処刑を後回しにしてアクチの前に立った。

 

「貴様ら。今のは魔力だろう? 他にも魔獣族がいるのか? いったい何匹の魔獣族がいるんだ? まるで繁殖期だな。だが、まぁいい。貴様らのことは後にしてやる」

 

 アクチのロープを口に戻した。

指をパチンとならし、警備兵を集める。

 

「ここは頼む。くれぐれも逃がさぬよう。あるいは他の人間に殺されないよう見張っておけ」

 

「分かりました」

 

「こいつらは俺が決着をつける。後でじっくり料理してやるから楽しみにしておけ」

 

 腰から警棒を抜いて高々と掲げた。

 

「見張り以外の警備兵はこっちに集まれ」

 

 台の下にいた警備兵たちもユウロの周囲に集まった。

一言だけで集合できる警備兵たちは、ユウロにとってはかなり心強い味方だ。

 

「あの魔獣族はおそらく外にいるはずだ。各方向に散らばって探せ。できれば生け捕りが望ましいが、危機があれば命を奪っても良いぞ」

 

 数人の警備兵が敬礼した。

それだけの指示で警備兵たちは町の外に出て、各方向に散らばった。

ユウロも台から降りて、住人をかきわけて走り出した。

 

 ユウロが町の出口へ走った直後――広場にバルトとホルミーが到着した。

少し遅い到着だったが、まだ魔獣族の疑いがある三人組が残されていたため只ならぬ状況だということを察する。

 

「バルトさん、これどういう状況でしょう? あの人たち捕らえているけど、もしかして魔獣族なの……?」

 

「いや……」

 

 自分とケイ以外に魔獣族が存在しないとは断言できなかったが、バルトは雰囲気からその三人組が魔獣族ではないと感じ取った。

 

「ちょっと人に訊いて情報を集めてくる」

 

「バルトさん、一人で大丈夫?」

 

「うん。ホルミーさんは戻っててもいい」

 

 それだけ言い残し、バルトは広場に集まっている人だかりに飛び込んでいった。

残されたホルミーは本当に帰ってよいのか首を捻っていたが、すぐに後ろからベリリがやってきた。

 

「な、なにが起こってるんですか?」

 

「べ、ベリリちゃん? 学校に行かないとダメだよ」

 

「え? そうですけど、でも……バルト先生は?」

 

「バルトさんなら、そこの人だかりで情報を仕入れにいったけど……」

 

「情報? 情報って……?」

 

「魔獣族に関する情報、かな。あのロープで縛られている三人がそうみたいだから。まだ魔獣族か確定していないから、情報が必要だけど」

 

「ま、また魔獣族なんだ……」

 

 ベリリにとって魔獣族は恐怖の対象だ。それに深く関わろうとしているバルトが心配でたまらない。

魔獣族という単語だけでそういう気持ちになってしまう。

 

 ――背後、何者かが接近。

ホルミーもベリリもまだその存在に気づいていない。

 

 ユウロを氷で食い止めた魔獣族が、そこにいた。

 

「っ!」

 

「っ!?」

 

 魔獣族は背後から二人の顔に手を押し当てた。

氷で口と目を塞ぎ、続けざまに首筋に手刀を叩き込んで気絶させ二人を両手に抱きかかえる。

 

 バルトやユウロのように鎧に変身した姿だった。

だが色は銀色で、ところどころに金のラインが入っている。

広場にいた住人たちの視線は、全員が三人組に向いていた。

後ろにいるホルミーたちになど誰も気づいていない。

 

 ほとんど音もなく二人を捕らえた銀色の魔獣族は、二人を抱えたまま建物の上に飛び乗った。

 

 

 

「魔獣族の処刑らしいぞ」

 

 バルトがホルミーたちに気づかず住人の一人に聞き込みをしていると、すぐにそんな物騒な言葉が飛び出した。

 

「魔獣族の処刑? どういうことです?」

 

 バルトが言った。

 

「盗人の三人組を捕まえて魔獣族って決めつけてよ、警備兵の若造がとどめをさそうとしたところ、建物の上から氷が飛ばされてきた」

 

「こ、氷?」

 

 すぐに魔力だと気づいた。

 

「魔獣族ならさっさとやっちまえばいいけど、もし違ったら大変だよなぁ。まぁ盗人だから死んだところで誰も悲しみはしないだろうけど、人権とか騒ぐやつがいそうだしなぁ。俺にとっちゃどうでもいいことだけどよ、はやく氷を飛ばした魔獣族も倒してほしいもんだ」

 

「警備はどこに?」

 

「ほとんどは外に出たよ。今ごろ魔獣族のこと必死に探してんだろうなぁ」

 

「その魔獣族って、どんな見た目ですか?」

 

「さぁな。いきなりのことだったし、建物の上から氷が飛んできたから、誰もよく見てないんじゃないかな。遠くて見えないし」

 

「どうも」

 

 バルトは軽く礼を言って人ごみから離れた。

それからホルミーのところへ戻ろうとしたが、どこにもその姿が見当たらない。

念のためにベリリの姿も確認するが、見渡してみてもどこにも見えない。

おかしい。

バルトを胸騒ぎが襲う。

 

 人ごみに入り込むとも思えず、勝手に帰るとも考えられない。

 

「まさか」

 

 根拠などなかったが、二人の身に危機が迫っていると感じた。

それは魔獣族の直感か、教師としての直感かは分からなかったが、このタイミングで姿を消すのはやはり怪しい。

 

 直感に突き動かされ、バルトは駆け出した。

 

 人ごみとは離れて出口に走る。

何かがあるとすれば魔獣族に関することだ。

魔獣族も警備もみんなが外にいるのだとすれば、危機はそこに集中しているはず。

 

 

 

 プリックの外。

ほとんど光の射さない洞窟の中で、ホルミーとベリリは目を覚ました。

光がほとんどないため視界はゼロに近い。

二人は岩に寝そべった状態で、お互い隣に寝ている。

 

「う、ううう……ここ、どこ……?」

 

「ベリリちゃん、そこにいるの?」

 

 僅かな光を頼りに、ホルミーは隣にいたベリリを見つけた。

 

「い、いますけど……ここは?」

 

「分からない。さっき誰かに連れ去られて……たしか顔に氷みたいな冷たい感覚があって、それから、えっと……とりあえず、ここを出よう」

 

 慎重に足を動かして岩の段差を下りる。

地面があっただけ幸運だった。

 

「正面に光がある。あっちが外ね」

 

 ホルミーがベリリの手を引き歩き出した。

出口らしき場所への距離は二十メートルほど。

光に向かって歩いている途中でいくらか石を踏みつけたが、その程度は気にせず足を進める。

 

「これって、魔獣族の仕業なんじゃないんですか?」

 

「たぶん、そうだと思う」

 

「こ、怖くないんですか? 私は、足が震えて」

 

 震えた足は暗くて目に入ることはなかったが、繋いだ手から恐怖を感じ取ることができた。

 

「怖い、けど。何も見えないままのほうが怖い。だからはやく外に行かなくちゃ」

 

 じりじりと足を動かす。

落とし穴や罠がないか警戒しつつも、半分まで到達できた。

光の量が増えたおかげで視界も幾分かは良好になっていく。

 

 だが、洞窟の入り口に何者かが現れた。

 

 禍々しい雰囲気を放つ鎧。

背中に幅の広い剣を背負い、まっすぐに見据えるその姿。

 

「ここにいろ」

 

 低い声で言ったのは二人をさらった魔獣族だった。

右手に白い冷気を纏っていて、銀色の全身からは威圧がオーラとなって迸っている。

 

 その姿は、二人に見覚えがあった。

 

 昨日、二人のことを剣で斬り殺しそうなった鎧の魔獣族だ。

洞窟のせいでしっかりと姿を捉えることはできないが、二人の恐怖を蘇らせるにはそのシルエットだけで十分だった。

 

 だがこの鎧はバルトではない。

 

「あ、あなた誰なの」

 

 震える体でホルミーは睨んだ。

武器を持っている相手になにができるわけでもないが、威勢だけでも見せるべきだと判断したのだ。

 

「お前たちはここにいればいい」

 

 低くこもった声で魔獣族は言った。

だがその言葉は真っすぐにホルミーの耳には入らない。

 

「誰なのあなたは?」

 

「アインスとでも呼んでもらおうか。お前たちの味方だ」

 

「アインス? 味方なのにどうしてこんなことを。しっかり説明しなさい」

「ここにいろ、邪魔な連中を

排除したら出してやる」

 

「邪魔な連中?」

 

 警備のことだ、とホルミーは理解した。

言った本人が魔獣族である以上は噂の魔獣族のことではないだろうし、敵と言えば警備くらいしかいない。

 

「とにかく、それまで姿を現すな」

 

 ホルミーが頷くこともないまま、アインスは洞窟を出て行った。

光に当たったことにより光沢のある銀の体が、遠目ではあったがホルミーには確認できた。

 

「ほ、ホルミーさん、どうしましょう?」

 

「あのアインスっていう魔獣族に従うわけじゃないけど、今は出ないほうがいいかも。たぶん、もうすぐここに警備がやってきて戦いが始まるかも……」

 

 

 

 アインスは背中の剣を抜き、やってきたユウロたちに剣先を向けた。

洞窟を死守するかのように入口の前に立ちふさがっている。

 

「見つけたぞ魔獣族! 念のために警備兵たちを外で見張らせておいてよかった」

 

 町の外にも無数の警備兵が配置されていたため、建物や周囲を囲む壁を越えて飛び出したアインスも目撃されていた。

その情報がユウロに伝わり、見つけ出す苦労がなかったのだ。

 

「貴様を撃破したら、すぐに処刑し損ねた連中を始末してやる。覚悟しろ」

 

 ユウロは腕輪のダイヤルを捻る。

直後に剣を抜きそうになった警備兵たちに待ったをかけた。

 

「お前たち、手は出すな。こいつは、俺が倒す……ミラージュコーティング」

 

 変身し、腰から警棒を抜いた。

正面に立つだけでも凍り付きそうになる殺気を感じても、後退せずに、むしろ距離を詰めた。

 

「俺の名はユウロ・ロジー。先に問おう、貴様、名を何という? 昨日のリーヴェと形も魔力も似ているようだが、色は別のようだな。一体なぜだ?」

 

「アインス、とでも呼んでもらおう」

 

「アインス、貴様の目的はなんだ」

 

「魔獣族に敵対する人間族を排除する。まずは貴様らだ」

 

「そうか。お互いに意見が同じで安心したぞ。力をぶつけ合う理由は人間族か魔獣族かの違いくらいでいい。醜い争いなどつまらんからな」

 

 ユウロは警棒を地面に突き刺した。

腕輪から流れる力を地面に送り込み、足元に熱を帯びていく。

ユウロの全身も熱された鉄板のように温度が上昇し、炎のエネルギーが最大限に高まる。

 

「アインス、今のうちに病院の予約を入れておけ、俺のとっておきの一撃を見せてやる」

 

「病院の予約だと? それならもう済んでいる。お前の分をな」

 

「ほう、面白いジョークだ。貴様がそのつもりなら、こっちもその気で行くぞ」

 

 警棒を逆手に握り、リーンシルバの体勢に入る。

その動作から危機を察したアインスではあるが、逃げるつもりはなく微動だにしない。

 

「受けてみろ……我が腕輪の一撃……!」

 

 全身に溢れた炎のエネルギーを、全て纏めて腕に集中させる。

 

「ストロンゴルド!」

 

 火炎放射――リーンシルバのような火球ではなく、龍のような火炎の渦が腕から放たれた。

岩をも鉄をも溶解させうる凄まじい温度を、アインスは堂々と真正面から受け止めている。

 

「はははははは! 思い知ったかこの腕輪の真のパワー! 怖気ついて足も動かせないか!」

 

 ストロンゴルドの衰えない威力に、警備兵たちも称賛の声をあげる。

炎に包まれてしまいアインスの姿は見えなくなった。

しかしそれはどういった手で攻めてくるか予想がつかないということでもある。

 

「そろそろ死んだか? ミディアムだぞ」

 

 炎のエネルギーも力を弱めてきた。

ユウロはストロンゴルドを中断し、焼却が完了したアインスの姿を拝むことにした。

高熱の煙が空に舞い、熱によって地面が抉れて土は焦げていた。

 

 黒い煙が晴れたころ、ユウロは警棒を構えてアインスの立っていた場所を見るが、

 

「ふん、死んだか。他愛のない」

 

 アインスの姿はない。

誰の目から見ても完全に蒸発していた。

当然、耐えられる生物など存在するわけもないが、変身した魔獣族も例外ではなかったようだ。

 

 油断してそう思っていたのは、勝ち誇ったつもりでいたユウロだけだった。

 

 ――背後に気配――ユウロは振り向く。

 

「なにっ!?」

 

 ユウロの背中に激痛が走る。

 

 背後から剣で水平に切り伏せられ、前方に倒れた。

だがすぐに受け身を取って隙を作らぬよう体勢を立て直す。

 

 衝撃を受けた方向へ警棒を向ける。

無傷のアインスが、そこにいた。

絶対的な自信は一気に崩壊し、悔しさと憎悪に変換される。

 

「貴様! なぜストロンゴルドを受けても生きている!」

 

「俺の魔力は氷。確かに氷は炎に弱いかもしれないが、炎だって水には弱い」

 

「氷の魔力だけでストロンゴルドを防いだだと……? そんな、まさか」

 

「その、まさかさ」

 

 ユウロは拳を強く握り、余裕をかますアインスを睨んだ。

刃を手にできない代わりに鋭い睨みをきかせたものの、あまり効果はない。

 

「アインス……貴様だけは、絶対に生かしておくわけにはいかない」

 

「やってみろ、下等生物代表」

 

 ユウロは地を蹴って踏み出――そうとしたが、その足は地を離れることもなければ前に進むこともなかった。

 

「足がっ! 動か! ない!」

 

 ユウロの右足首は氷漬けにされていた。

プラセオルの力でも微動だにしないほど強固な氷だ。

 

「おいおいどうした? 来ないのか?」

 

「き、貴様……!」

 

 前へ進めなくても戦いようはある。

手を後ろへ引き、炎を溜めて前方に突き出した。

 

「リーンシルバ!」

 

 しかし放たれた火球は片手で弾かれ、跡形もなく消滅した。

渾身のストロンゴルドでも歯が立たない相手に、威力の弱いリーンシルバが通じるはずはない。

 

「ふん。つまらん攻撃だ。もっとマシなおもちゃを用意してくるんだな」

 

「お、おもちゃだと……? この腕輪が、プラセオルが、おもちゃだと……?」

 

「所詮、人間族の道具では魔力には勝てない。二十年前は絶滅に追いやられたかもしれないが、残念ながら魔獣族の血も進化しているんだよ。いいかい? 下等生物代表くん」

 

「ふ、ふざけるな……お前もリーヴェもあの狼も、この俺とプラセオルが絶滅させてやる!」

 

 弱めのリーンシルバを足元に放ち、氷を溶かした。

ようやく足が自由になり、アインスへ一歩前進した。

 

「ほう、考えたな。子供以上の頭はあったということか」

 

「ストロンゴルドもリーンシルバも通用しないなら、力だけで攻めてやる!」

 

 警棒を握りしめアインスへ特攻する。

しかし「そんなものは無駄だ」と言わんばかりの余裕の姿勢で、警棒を掴んでユウロの足を払った。

 

 一回転して背中から倒れ、仰向けになったユウロの腹に足が落とされる。

 

「ユウロ様!」

 

 警備兵の何人かが踏み込もうとしたところを、ユウロは手の平を突き出して待ったをかけた。

 

「ま、待て! 俺はまだ負けちゃいない!」

 

「人間族、無様に背中から倒れて大嫌いな魔獣族に踏まれているこの状況でそれを言うか?」

 

「く、く……人間族は、決して魔獣族には屈しない……!」

 

「そうか、では試してみようか」

 

 アインスは剣先を腕輪に当てた。瞬時に分厚い氷が腕輪を固め、凍結されてしまう。

炎を操るプラセオルもその力を失い、変身が解除されてユウロは無防備な姿へ戻った。

 

「そ、そんな……プラセオルが……こんな野蛮で下等な魔獣族にぃぃ!」

 

 ユウロはアインスの足を殴る。

何度も何度も、無意味ではあるが全力の抵抗を試みる。

 

「俺はセレンを守らなくちゃいけないんだ! たとえ嫌われていようと、邪魔に思われていようと、守らなくちゃいけないんだ! 貴様なんぞに! 貴様なんぞにやられるような俺では!」

 

「ふん。遠吠えだけは一流だな。貴様は負け犬代表と言うべきか。だがそれもこれで終わりだ。その恰好だけは優秀な腕輪は、ここで朽ちる」

 

 アインスは剣を掲げ、無慈悲にも氷漬けにされた腕輪に振り下ろした。

砂糖菓子のように粉々に砕け、跡形もなく消え去った。

 

 残されたのはユウロの絶望と敗北。

受け継いできたプラセオルが、一人の魔獣族によって打ち負かされた瞬間だ。

 

「う、そ……だろ……?」

 

「これでつまらんおもちゃは使えないな。もう戦いは終わりだ」

 

 足をどけ、その代わりにユウロに剣を向けた。

 

「帰れ」

 

「だ、だ、誰が魔獣族なんぞの命令を――」

 

「帰れ」

 

 押し黙ったユウロはのろのろと立ち上がり、警棒を腰に戻して警備兵たちの前に立った。

もう反撃する気力もなければ、武器を手にする気力もない。

「お、お前たち、帰るぞ」

 

 

 不本意ではあったが誰もその言葉に異議を唱えられず、ただ無言で頷くことしかできなかった。

 

「そうだ。人間族は魔獣族に屈すればいい。残るべき者は残り、不要な者は消える。それがこの世界のあるべき姿だ」

 

 言い返すことができずただ強く拳を握りしめることしかできない。

ユウロの感情を表すかのように、冷たい雨が落ち始めた。

空は黒く濁り、強い風には湿気の含んだ砂が混じっている。

 

 戦うには力が必要だが、今のユウロにはそんなものはない。

背中を向けて立ち去るくらいしか、できることなどない。

納得のいかない結末を背負いながら、冷たい雨に打たれながら、絶望と敗北を噛みしめながら、ユウロと警備兵たちはその場を後にした。

 

 争いが集結したのを見計らって、ホルミーとベリリが洞窟の入り口付近まで出てきた。

だがベリリは両親の仇と疑っているアインスを目の前にして、ホルミーの背中に隠れている。

 

「もう、終わったの……?」

 

 ホルミーが恐る恐る質問した。

 

「あぁ終わった。人間族自慢の武器は破壊した。もう小癪な邪魔はしてこないだろう」

 

「あの人を、殺したの?」

 

「馬鹿な。あんなものは殺す価値もない。所詮はプライドが高いだけの子供さ」

 

「殺さなかった……?」

 

 その疑問をぶつけたのはベリリだった。

手足が小刻みに震えながらも、雨の降る空の下に一歩を踏み出してアインスを睨みつける。

 

「そのままの意味だ。殺す価値もないやつは殺さない」

 

「ふ、ふざけないでよ。じゃ、じゃあ、私の両親は、どうして殺したの。忘れたとは言わせない。私の目の前で、私の両親を殺したのはあなた。前に見た色違いのことは分からないけど、あれもあなたの仲間でしょ」

 

 恐怖の震えは怒りの震えに変わった。

アインスの姿に圧倒されることなく、ベリリはさらに前進する。

 

「私たちをどうするつもりなの。殺すなら殺しなさい。私は両親と一緒に、あの世からあなたのことを呪ってやる。魔獣族は……いや、たとえ人間族と魔獣族のハーフがいたとしても、私は魔獣族の血を根絶やしにするまで呪い続ける」

 

「心配するな。二人は殺さない。殺す価値がないからではない、生かす価値があるからだ。お前たちは待っていればいい。それだけでお前たちには価値がある」

 

 剣をベリリへ向けた。

それは血を流すためではない。

洞窟の中へ戻れ、というメッセージを込めた警告だ。

 

「い、嫌だと言ったら……?」

 

 あくまでベリリは強気だった。

本当は腰が抜けてもおかしくない状況だったが、ただ屈するだけなのも我慢ならなかった。

 

「お前たち以外の人間族は殺しても構わない。なるべくなら、価値のない連中の血は見たくないが、従わないのならそれも仕方ない」

 

 つまり、命令に背けば罪のない人間族が死ぬことになる、ということだ。

それは冗談でも脅しでもなく、ただ真実だけを冷たく伝えていた。

 

「ベリリちゃん、戻ろう」

 

 ホルミーは肩を掴んで洞窟まで引っ張った。

これ以上の抵抗は危険と判断したのだ。

そうでなくとも雨に打たれ続けるのはお世辞にも良いこととは言えない。

 

「どうして」

 

 ベリリがぼそりと口にする。

雨音にかき消されて、そばにいたホルミーにしか声は届かない。

 

「どうして、って?」

 

「どうして、魔獣族は魔力を正しいことに使わないの……? 人を襲ったり脅したり、どうして平和とか人助けに使おうって思わないの? 私に魔力があれば……悪い魔獣族なんか、やっつけるのに……変身の魔力があれば……悪党を捕まえて活躍できるのに……」

 

 次第に小さな呟きは涙声に変わった。

行き場のない怒りは言葉に変換され、ついには雨の中で叫んでいた。

 

「ねぇ! あなたたちはなんなの!? どうして魔獣族なんて存在するの!? 初めて会ったけど、やっぱりろくでもないものだった! ねぇ! 答えてよ! ねぇ!」

 

 肩を掴んだホルミーの手を振り払い、アインスの腕に掴みかかった。

ベリリの限界の握力だったが、変身しているアインスにはリボンが巻き付いているのと大差ない力だ。

 

「答えろだと? なら答えてやる。お前も同じ気持ちじゃないか。会う前から魔獣族は悪い物だと決めつけ、なのに魔力は欲しいと嘆く。自分が正しいと思っているのか? 人間族は正義で、魔獣族は悪だと決めつけているのはお前じゃないか。魔力で悪党を捕まえる? それは俺も同じだ。魔力があるからこそ、価値のない人間族と価値のある人間族に分けているんだ。これが俺の正義であり、俺の魔力だ」

 

「ち、ち、違う……あなたは分かっていない……あなたは、分かっていない……」

 

 ベリリの全身から力が抜け落ち、その場にペタリと座り込んだ。

 

「お前、違うな。お前は違う。そんなことを言うはずはない」

 

「なんのことを言っているの……?」

 

 剣をベリリの喉元に突き付けた。

冷たい感触を受け、ベリリは顔を上げる。

 

「残念だ。生かす価値がなかったみたいだ」

 

「え? さっきは殺す価値もないって……?」

 

「勘違いだったんだ。すまないな。お前ではなかったと今気づいたよ」

 

「なに、なんなの? なんで急に気が変わったの……? 私じゃないって」

 

「殺す価値のある人間というのは、お前のように魔力に憧れる人間族だ」

 

「じゃ、じゃあ、あなたが人を殺すのは、魔力に憧れる人間を選んでいるから……?」

 

「そうだ。お前自身が証拠となった。そしてお前は、俺の狙いとは違う人間だ。だから殺す」

 

 アインスは剣を高々と上げた。

あとは振り下ろしてさえしまえば、ベリリは真っ二つに一刀両断できる。

脆く、儚く、あっさりとベリリの一生は終わることになる。

 

「消えろ、魔力を欲する小娘よ」

 

「――待て!」

 

 振り下ろされようとした剣は、アインスの後ろにいたある人物の言葉によって止められた。

 

「誰だ、貴様は?」

 

「俺の名前なんかどうでもいい、そんなことよりもお前、俺の生徒になにしてやがる」

 

 バルトの沸騰するような怒りは、雨が当たっても冷めることはない。

剣を構えた魔獣族の足元にぺたりと座り込むベリリが、助けを求めるような目で見ていたからだ。

 

 バルトはアインスを無視し、ベリリに駆け寄った。

手を取って立ち上がらせすぐに離れる。

 

「ば、ば、バルト先生……」

 

「お前はそこの洞窟に隠れてろ」

 ベリリは頷き、今度は素直に洞窟へ戻った。

 

バルトはアインスヘ腕輪をつけた腕を突き出す。

 

「また邪魔をする人間族か」

 

「ベリリになにをした」

 

「なにをだと? 命を奪おうとした」

 

「夜に誘拐したのもお前か、何が目的だ」

 

「夜に誘拐? なんのことだ?」

 

「答えるつもりがないなら、力づくで答えさせてやる」

 

「貴様の腕輪、また人間族の下らないおもちゃか。やってみろ、変身して見せろ」

 

 その言葉の通りに変身したいバルトだったが、あいにくと洞窟からホルミーとベリリの二人が見守っていた。

堂々と目の前で変身などできない。

 

「どうした、かかってこいよ下等生物代表」

 

 アインスはじりじりと距離を詰めた。

バルトはただ洞窟に向かって後退することしかできず、唯一の攻撃はただ睨むことだけだ。

 

「そうか。それがお前の答えか。なにがあると思ったら、なにもないんだな」

 

 このままアインスの出方を見ていても勝機はない。

だがベリリたちの前で変身もできない。

 

 アインスは剣を向け、無言の威圧をかける。

 

「ここから先へは行かせない……!」

 

「行かせない? 人間族が丸腰でなにができる」

 

「俺は……ベリリの魔力に対する考え方を聞いて凄いと思った。たとえ人間族でも、魔力があれば良いことにも悪いことにも使えるんだって……自分がどんな人間なのか知って、改めて魔獣族について考えさせられた」

 

「貴様、なにを言っている?」

 

「お前が本気で俺を攻撃するつもりなら、俺もそれなりにやらせてもらう」

 

 バルトは腕輪のダイヤルを捻った。

本来のアインスなら意味は分からなかったが、ユウロの前例を見た後だとバルトの行動にも察しがついた。その腕輪で、なにかをするつもりだ、と。

「ば、バルト先生……?」

 

「ベリリ、ホルミーさんと一緒に奥に隠れてろ」

 

「でも先生、なにをするつもりなの?」

 

「こいつを――倒す」

 

「倒すか、なら、やってみろ!」

 

 ――直後、アインスの剣が瞬時に振り下ろされた。

鉄も真っ二つにできるほどの幅の広い大剣が――だがここで無様にやられるバルトではない。

 

 剣はバルトの右腕によって動きを止めた。

刃は確かに腕に命中したが、黒く硬質な鎧によって防御されている。

今度は怒りや恨みのパワーでの変身ではない、ホルミーとベリリを守るための気持ちが変身させたのだ。

 

 ベリリは言葉を失い、ただただショックを受けた。

バルトの守りたいという気持ちに喜ぶのではなく、ショックの方が上回ってしまった。

 

「ば、ば、バルト先生……? なに、それ……?」

 

「ごめんベリリ、黙っててごめん」

 

 振り返ることができぬままバルトは謝った。

 

「ど、どうして、その魔獣族と同じような姿に変身しているの……?」

 

「ごめん、俺の体には魔獣族の血が流れているんだ。魔力があるんだ」

 

「うそ……うそでしょ……」

 

 ベリリはその姿を目にし、純粋な恐怖を抱いた。

どす黒い姿は両親を殺したときの姿そのものである。

だがバルトもアインスもシルエットは同じ。

ベリリの朧気な記憶では、どちらが仇の正体なのか判別できない。

 

 信頼していたバルトが、自分とホルミーを斬り殺そうとした張本人であり、両親の仇の可能性――信じたくない事実が重くのしかかり、ベリリは再びその場にへたり込んだ。

 

「べ、ベリリちゃん!」

 

 ホルミーも同じく状況を掴めていない。

だがベリリの肩を支えつつ、安全のため洞窟の奥へ引っ込んだ。

 

「貴様も魔獣族ならば、俺の仲間になれ。俺と手を組むんだ」

 

「ふざけるな。俺は魔獣族と一緒にはならない」

 

「一緒にはならないか。後ろのそいつらに正体がバレてどうするつもりだ? これからもいつもどおりに接してくれると思うか? お前の本当の姿を見て、気絶してしまったようだぞ」

 

「確かに、もう俺のことを怖がるかもしれない。けど、お前を倒して二人を守れるのなら、自分の身を犠牲にしたっていい……これ以上は行かせない!」

 

「そうか。だが俺は本気だ。一人は生かしておくが、学生のほうは殺す。俺の勘違いで連れてきてしまったがな、魔力を欲している人間族は殺すと決めているんだ」

 

「……お前の目的はなんだ。変身を解け、正体を見せろ」

 

「嫌だと言ったら?」

 

「さっきも言ったはずだ。お前を倒す!」

 

 剣を構え突進する。

余裕の表情を崩さないアインスへ一撃を叩き込むがあっけなく弾かれる。

 

 ガキン ガキン ガキン ガキン ガキン ガキン ガキン ガキン ガキン ガキン

 

「甘い、甘い甘い甘い甘い! 力も反応も速度も下の下の下の!」

 

 次々と繰り出された猛攻は全て無になり、アインスへのダメージにはならない。

 

 剣と剣がぶつかる火花が飛び散り、落ちる雨にかき消されてゆく。

バルトが攻めに攻めるが、どの攻撃も手ごたえはなくアインスの余裕も崩れない。

ただでさえ運動が得意ではないバルトには長期戦は厳しかった。

すでに息は切れ、力も弱まっている。

 

「どうした? 守るんじゃないのか? さんざん人間族どもが嫌っていた魔獣族と魔力を使って、人間族を守るんじゃないのか?」

 

「黙れ……俺は教師だ、教師が生徒を守らないでどうする……」

 

「教師? 教師か。つまり、若い人間族に魔獣族は悪だと教えていたわけだ。皮肉だな、お前自身が反面教師だったということだ」

 

「ち、違う! 俺は……」「今なら魔獣族の気持ちが分かるとでも言うか? 今更理解してどうする。もう遅いんだよ」

 

「ふざ……けるな……!」

 

 魔力に慣れていないうえに体力の消耗が激しかったせいで限界を迎え、地に倒れ伏した。

それでもベリリを守るため全身に力を加えようとするが、体は言うことを聞かない。

 

「終わりか。つまらない勝負だった」

 

 アインスは倒れるバルトを無視し、洞窟の入り口へ進んだ。

 

 が――。

 

「待て」

 

 力を失ったバルトはアインスの足を掴んで止めた。

握力など無に等しかったが、無駄と分かっていても抵抗せざるを得なかった。

 

「なんだ。まだ寝ていないのか」

 

 倒れるバルトの背中を踏みつけた。

声も出せずにもがき、今度こそ気絶する。

気絶している最中でも、雨によって無慈悲に体力は奪われてゆく。

こんな状態が継続すれば、つまりバルトの死に直結することになる。

 

「邪魔だ」

 

 洞窟へ進もうとしたが、またもやその足を止めた人物がいた。

下でも前でもない、後ろだ。

 

「待って」

 

 フードを被った小柄な少女――ケイがアインスの背中に言った。

 

「貴様、何者だ」

 

「町の中で騒ぎがあったから駆けつけてみたら、案の定魔獣族の騒ぎだったし、まさかと思って探してみたら、案の定バルトがやられてるし……で、あんたは誰? 魔獣族なんでしょ」

 

「そうだ。お前は怖くないのか? この俺の姿が」

 

「怖くないよ」

 

 ケイはゆっくりとフードを外して素顔を露わにした。

 

「お前、まさか……まさか……」

 

 その顔、髪――。

 

 まさにアインスが探していた人物だった。

ケイはアインスの前に立った。

近づいたおかげか、その姿をハッキリと見ることができた。

 

「あ、あんた」

 

 そこでケイの幼い頃の記憶が蘇った。

微かにしか残っていなかった記憶は色が濃くなる。

 

「まさか」「まさか」

 

「私の」「俺の」

 

「父親……?」「娘……?」

 

 二人に同じレベルの衝撃が走る。

ケイが本当は会いたくなかった相手と、アインスが本当に会いたかった相手が、お互いの視線の先にいる。

 

「ケイ、ケイなのか? お前が、本物のケイなのか?」

 

 剣を鞘に納め、十数年ぶりに再会したケイに手を伸ばした。

 

 変身を解除し、ついにアインスはその姿を見せた。

四十過ぎの髭を蓄えた男だった。

ケイと親子の関係があると説明されても誰もが否定するほど似ても似つかない。

何年も変えていない染みだらけの服。

髪は適当に切り揃えられ、洒落とは程遠い。

 

「ケイ、お前の十八の誕生日に迎えに行こうと思っていたんだ。まさに今日がそのときだ。さぁ、俺と一緒に行こう。ずっと一緒に住もう」

 

「ふ、ふざけないでよ。人殺しのクセに! 魔力を使って人を殺して、ずっと私のことなんか忘れてたクセに……いきなり現れて父親面なんかするな!」

 

「おい、ケイ」

 

 アインスがケイの肩を掴む。

爪の間に黒い汚れが見える、素手でパンでも食べればすぐにでも体調を崩しそうな手だ。

 

「触んないでよ!」

 

 その手を払う。怒りの言葉をぶつける。

しかしアインスは尚も接近を続ける。

 

「なにをするんだ。俺はお前たちのためにここまで来たんだ。小癪なおもちゃで立ち向かうガキを追っ払って、この魔獣族の男も倒した。完璧じゃないか。俺は完璧だ」

 

 払われた手は再びケイの肩を掴んだ。

強い握力に細い肩が痛む。

 

「や、やめろ!」

 

 また払い、ステップで後退した。

実の父親に、魔力を溜めた腕を向ける。

 

「来るな! これ以上こっちに来たら、電撃をおみまいしてやる!」

 

「おお。それがお前の魔力か」

 

「そうだよ。あんたから受け継いだ魔力だよ。こっちに来たら全力の魔力で殺してやる」

 

「やめておけ、お前は人を殺す気か? あそこで倒れている魔獣族の男は大丈夫か?」

 

 アインスはバルトを指さした。

 

「この雨の中で電撃なんか放ったら、あの男は感電して死ぬぞ」

 

「は? なに言ってんの?」

 

「知らないか。無理もないな。電気というものは水と相性が悪い。魔力を放てばあの男も電撃を食らうことになるぞ」

 

 具体的な意味は理解できなかったが、アインスが嘘をついているとも思っていなかった。

 

「私のこと、心配してるの?」

 

「ホルミーはともかく、子供のお前は人殺しになってほしくない。だからもうやめろ」

 

 アインスは突き出された手を降ろし、ケイの小さな体に手を回して抱きしめた。

 

「ケイ、帰ろう。もう人間族にあれこれ言われることもない。三人で暮らそうじゃないか」

 

「三人……?」

 

 背中に回した手を放し、ケイの両肩を掴んでじっと目を見据えた。

 

「ホルミーだ。ホルミーは俺の大事な妹だ。ケイはホルミーと血が繋がっているんだぞ」

 

「え? そんなの、知らないし……ホルミーはそんなこと一言も……」

 

「言っていないのか? じゃあお前たちはお互いのことを知らずに同じ町にいたというのか?」

 

「し、知らなかったよ、そんなこと……ということは、ホルミーも魔力を使えるってこと?」

 

「いや、ハーフの場合は必ず魔力が宿るとは限らない。ホルミーにはその素質もないし、腕輪を付けても魔力は使えないだろう」

 

「じゃ、じゃあ、ホルミーは自分がハーフってことも、私と血が繋がっていることも、何も知らなかったってことなの?」

 

 次々と明かされる真実に、ケイはどう受け止めるべきか迷っていた。

真実として真っすぐに受け止めるべきか、偽りとして曲げて受け止めるべきか。

 

「でも、俺らが一緒になれば、どうでもよくなる。お前たちは気にする必要はないんだ」

 

「き、気にする必要ないって……私はあんたのことを父親とも認めてないし、信じたくもない」

 

「俺のことは信じなくてもいい。お前たちが無事でいてくれれば、それでいいんだ」

 

 ケイは俯く。

迷いに迷い、心の苦しみは涙となって頬を伝った。

雨に紛れたのが幸運か、アインスにはその雫は見えていない。

 

「どうする、ケイ? お前はどうしたいんだ?」

 

 涙か雨かも分からない雫を拭い、顔を伏せた。

 

「分からない。今は分からないけど、でも、バルトを放ってはおけない……」

 

 バルトは今も雨の中で倒れている。

ハーフとはいえ、変身もせずに雨に打たれ続けていれば死に直結する。

 

 ケイはアインスを横切ってバルトに駆け寄った。

魔力も体力もほぼ底をついているバルトは、目を開くこともない。

肌は冷たく、呼吸も浅い。

細い腕でバルトを引きずりながら洞窟へ入った。

雨に当たらなくなっただけマシではあったが、まだ状況は悪い。

 

「ケイ? ケイなの?」

 

 奥からホルミーがやってきた。

ケイはホルミーの姿を見て、なんと声をかけるべきか詰まった。

――だが今は、そんなことも言っていられない。

 

「ホルミー、バルトが危ない」

 

「もう、戦いは終わったの?」

 

「そうだよ。バルトは負けた。でも死んではいない。だから、なんとかしないと」

 

 なんとかする、とは言ったものの、ここには医者もいなければ医療器具もない。

 

「ねぇケイ、どうやってここを見つけたの?」

 

「走った」

 

「走った? この雨の中を?」

 本当は狼に変身して駆け抜けたのだが、魔力のことは話せない。

 

今なら明かしてしまっていいかなと思ったが、それよりも優先すべきことがある。

 

「そんなこと、後でいいでしょ。今はバルトを家まで運ぼう」

 

「それはいいけど、外にいた魔獣族は……?」

 

「ホルミー、ここにいて、私が話をつけてくる。私は大丈夫だから」

 

「そう……ケイが大丈夫って言うのなら、大丈夫なのよね……」

 

 納得しきれていないホルミーに背を向け、ケイはアインスの前まで歩き出した。

 

「頼みがある。私はバルトを助けたい。ホルミーもそう思ってる。だから、早く家に連れて行って医者に見せないと死んじゃう。だからここを通して」

 

「じゃあ、あの人間族を連れて来い。洞窟の奥にいるはずだぞ。お前と同じくらいの小娘だったが、魔力に憧れている人間族だ。俺の手で殺さねばならない。それが俺のやることだ」

 

「私と同じ歳……?」

 

 パン屋で見たあいつだ

ケイはピンと来た。

ケイもベリリのことを気に入ってはいなかったが、死んでほしいとまでは思っていない。

 

「やることって……昔、私の目の前で殺したのもそういうことだったの? 魔力に憧れている人間を殺すって、そんな理由で」

 

「当たり前だ。魔力に魅入られた人間は危険だ。お前の母さんだってそうだったよ」

 

 ――また衝撃。

ケイの心を大きく揺さぶる、津波のような衝撃だ。

 

「私の母親を殺したのも……あんただったの……?」

 

「お前の母さんは人間族だった。俺とはハーフと知らずに結婚したのさ。でもあいつは言ったよ。魔獣族が魔力で世の中を幸せにすればいい、なんてな」

 

「なんで……? なんで殺したの……? そんなの理由になんかなるわけないじゃない!」

 

「魔力は崇高で偉大なものだ。人間族が憧れちゃいけない。たとえお前の母さんだとしてもな。まぁ理解しなくていい。お前たちは俺のそばにいればいいんだ」

 

 ケイは拳を強く握りしめた。

沸々と沸き上がる怒りとショックを力に変換し、腕に送り込む。

 

「最低! ふざけんな!」

 

 電撃を纏わせた正拳突きを放った。

油断していたアインスの腹に叩き込まれて一歩後退する。

 

「ぐっ……! ケイ、なにを……!?」

 

「バルトと一緒にここを通るために、代わりにあんたについて行こうと思った。けどやめた。やっぱりあんたは私の父親とは認めない」

 

 濡れた体に電撃は強烈だった。

アインスは膝をつく。

 

「二度と私に近づくな。バルトとホルミーにも、ベリリにも」

 

 アインスに背を向け、洞窟へ向かうための一歩を踏み出した。

すでに川に入ったのと大差ないほど濡れている服と重い靴で。

 

 その後ろ、瞬時に変身したアインスはケイの頭すぐ横に剣を突き付けた。

膝をつくほどの電撃パンチだったが、ケイの腕力ではダウンさせるほどには至っていなかった。

 

「話は終わってはいない。お前は魔獣族の血を引いているんだ。人間族の町に住む必要はない」

 

「必要はない? 必要ないってなに? 勝手に決めないでよ。いきなり出てきて父親面して、いきなり一緒に来いだなんて、図々しいにもほどがある」

 

「なら仕方ない。こんなことはしたくなかったが」

 

 アインスの手がケイの肩に伸びる。

乱暴に掴んで振り向かせた。

正面を向いたケイの腹に、アインスの拳が叩き込まれる。

言葉で来ないのなら殴って連れて行くという強硬手段だ。

 

「ぐはっ!?」

 

 だがケイはなんとか気合で耐えきった。

気絶しそうなほど脳も体も強烈な衝撃を受けたが、まだ歯を食いしばって立っている。

 

「あ、あんた……」

 

「すまないな。こうするしかなかった」

 

 ――気絶。ケイの気合は底をつき、アインスの腕の中で静かに目を閉じた。

その流れで担ぎ上げられ、肩に乗せられる。

あとの問題はホルミーだ。

 

 アインスが洞窟へ行こうとしたそのとき、丁度、目的のホルミーが洞窟から顔を出した。

ベリリを背負い、横には体力を消耗しきったバルトが歩いている。

 

 ベリリを担ぐアインスとホルミーの目が合った。

それだけで十数年ぶりに再会する兄だと悟り、状況からさっきの魔獣族だと察した。

再会を喜ぶよりも、まずホルミーは叫んだ。

 

「やめなさい!」

 

 ベリリを雨の当たらない洞窟で寝かせ、小走りでアインスへ接近する。

 

「あなた……まさか……いや、やっぱりコペル兄さんね」

 

「ホルミー、やはり変身していない状態なら気づいてくれるか」

 

 氷と変身の魔力、これまでの経緯、今の状況、それだけで実の兄が魔力を使えることと、力づくで自分と娘を連れて行こうとしていたのだと分かった。

 

 一緒にいただけでベリリとケイを勘違いしたことも、今から気絶させたケイを連れていこうとすることも、ほとんど全てを察した。

 

「コペル兄さん、魔獣族だったのね……」

 

「俺はハーフだ。そしてケイは俺の娘だ。お前は実の妹だが、魔力の素質はない。だがケイにはある。電撃と狼に変身する魔力だ。ずっと黙ってたケイを悪く思わないでくれ」

 

 ケイはコペルの娘で、自分たちはハーフ――ホルミーは散弾銃のように一度に襲った事実を受け止めきれないが、それよりもコペルのやり方に対する怒りのほうが上回った。

 

「たとえケイがハーフでも、あなたが実の兄でも、ケイは私が連れていく。いきなりいなくなって、いきなり出てきて、父親面と兄貴面なんて許さない」

 

「それ、ケイにも言われたよ。やっぱりお前たちは血が繋がっているな。だが」

 

 コペルは剣先をホルミーへ向けた。

 

「お前たちは俺と一緒の方が幸せだ。なぁ、俺とお前で、ケイを育てようじゃないか。まだ高校生だろう、これから自立するまで、兄妹で一緒に、なぁ」

 

 ホルミーの目に涙が浮かぶ。

それから、コペルの側に立った。

手を伸ばせば容易に届く範囲だ。

ホルミーの手のひらが雨を切り、コペルの頬とぶつかり破裂するような音を響かせた。

 

「ふざけないでよ……」

 

 頬を叩いた手は拳に切り替わり、爪が食い込むほど強く握った。

 

「ふざけないでよ! あなたや私やケイが魔力を使えるかなんてどうでもいい! 私は、ただ兄さんに帰ってきてほしかっただけ! なのに、どうして……こんな風に剣を向けないと話ができないの? どうして真っすぐに目を見てただいまって言えないの……ケイを下ろして。ベリリちゃんもケイも私が連れて行く。バルトさんの手当も私がやる。もうあなたは二度と帰ってこなくていい。二度と近づかないで。ベリリちゃんとバルトさんにも、近寄らないで」

 

 普段の温厚なホルミーならまず出ないような怒涛の言葉に、コペルもかなり堪えた。

だがそれでも、相変わらずケイは肩の上にいて剣先はホルミーへ向いている。

 

「私を、殺すつもりなの? 私を殺して、それが私のためだと思ってるの?」

 

「違う」

 

「じゃあこの剣はなに? こんなもので説得するつもりなの?」

 

「説得は、もうしない。お前もケイと同じく、力づくで連れて行く」

 

 剣を逆手に持ち変え、高く上げた。

柄の部分でホルミーの頭を殴って気絶させるつもりだ。

 

「――っ!」

 

 ホルミーが衝撃を覚悟し、目を瞑った。

だが衝撃は一つもなかった。

 

「貴様……さっきの」

 

 バルトがギリギリの体に鞭を打ち、変身してホルミーとコペルの間に割り込んで盾となった。

 

「もうやめろ。もうケイとホルミーさんを悲しませるな」

 

「これは俺の問題だ。無関係な貴様は邪魔だ」

 

「俺だって、二人に助けられたんだ。ケイが俺の魔力を暴いてくれなければ、いつか学校で魔力を発動してしまっていたかもしれない。ホルミーさんがいなければ、自分の本当の姿にショックを受けて押しつぶされていたかもしれない。俺だって、みんなを守りたいんだ!」

 

「守る、か。だが、そろそろ貴様の魔力も限界のようだが」

 

 バルトの変身が切れ、すぐに無防備な姿へ戻った。

それでもコペルの攻撃は防いだままだが、体力も限界だ。

 

 コペルはバルトの腹に蹴りを叩き込んだ。

口から唾液か雨か判別できない水を吐き出し、背中から倒れる。

 

「ぐっ……!」

 

「やめて兄さん! バルトさんが死んじゃう!」

 

「殺すんだ。こいつは魔獣族の血を引きながら俺の仲間になろうとしなかった。もう必要ない。邪魔をするなら殺す」

 

 だがコペルは剣を逆手もちにしたまま、ホルミーに手渡した。

唖然とするホルミーには何が何やら分からない。

 

「ホルミー、お前がこいつを殺せ。お前がこいつを殺せば、ケイは返してやる」

 

 嘘だった。

コペルにはケイを返すつもりがなければホルミーを諦めるつもりもない。

 

「な、なにを……?」

 

「血のつながったケイのためだ。こんな男の命などどうでもいいだろう。一突きでいい。一突きやればこいつは終わりだ。さぁ、どうする」

 

「できない……できるわけない!」

 

 だからといって、ホルミーにはコペルを斬り裂くつもりもなかった。

 

「い、い、いや……どうして、どうしてこんなことをするの……? 昔の兄さんはこんなことをする人じゃなかった……もっと優しくて、勇気があって……それで……」

 

「俺の心は黒く染まったんだ。魔力を求める人間を排除していくうちに、心を失った。だがお前たちのことは忘れなかった。今もそうだ。お前たちが、なにより愛おしいんだ」

 

「狂ってる……狂ってるよ……」

 

 剣を握らされたホルミーの手はガタガタと震えている。

力も入らず抜くこともできないため、剣を放すことができない。

 

「さぁ、殺せ!」

 

 コペルはホルミーの手を掴んだ。

余計に焦りが加速する。

 

「お前の手で、こいつを殺すんだ! 一突きだ! 一突きしろ!」

 

「嫌っ……嫌だ……やめて!」

 

 剣先がバルトの体に接近する。

数センチでも入れば出血し、バルトの希望は遠ざかるだろう。

必死に抵抗を試みるも、ホルミーの手には力が入らない。

 

 そのとき、小さなナイフを持った男が現れた。

 

「待て」

 

 息が荒く、こちらも手と足が震えている。

だがバルトを睨む目だけは真っすぐで、口元には不気味な笑みが浮かんでいる。

 

「は、はははは……シナモンパンの友よ、俺は見たぞ……お前が醜い魔獣族に変身する瞬間を!」

 

 ユウロだった。プラセオルを失い、美しい戦い方を忘れた、ユウロだ。

その手には苦手だったはずのナイフが握られている。

 

「一度戻ったのだが、我慢ならなくて様子を見に来ればこの有様だ! 敵というのは意外と近くにいるものだ。申し訳ないが、かつてのシナモンパンの友にはご退場願おうじゃないか!」

 

 ナイフを腰の位置に構え、ユウロは急接近した。

全員が全身ずぶ濡れのまま、ユウロの行動に驚愕する。

 

 目的はバルト一人。

コペルは変身解除の瞬間を見られていないため正体には気づかれてはいない。

 

「バルトさん!」

 

 ユウロの前にホルミーが立ちふさがる。

一瞬だけ躊躇するユウロだが、足は止まらない。

 

「どいてくれホルミーさん! こいつは俺が倒すべき魔獣族!」

 

 それでもホルミーは動かない。

むしろ手にした剣をユウロに向けた。

慣れない剣ではあったが、威嚇程度には扱える。

 

「魔獣族の味方をして、邪魔をするのか! ならば、お前も一緒に消してやる!」

 

 剣には怯まず進み続けるユウロ。

あと三秒もあればナイフはホルミーの腹に深く突き刺さるだろう。

本当は逃げたいホルミーも、今この瞬間だけは一歩も退けない。

 

「消えろぉぉぉぉぉぉ!」

 

 ナイフが到達――肉に刺さる感触。

冷たい刃が食い込む痛み。

人を刺した嫌な感触。

肌が色を失い、それでも力を込めて食いしばる。

肩に担いでいたケイは地面の水たまりに落ちた。

 

「な、な、なんだ貴様は……なぜ急に出てきた……!?」

 

 ナイフは確かに刺さった。

だが命中したのはバルトでも、その前に立ったホルミーでもない。

数秒の間で実の妹を守ろうと動いたのはコペルだった。

変身していない状態では死に直結するようなダメージだ。

ユウロも見知らぬ人間を刺したことに罪悪感を覚えたが、解釈を変えて無理やり納得することにした。

 

「そ、そ、そ、そうか。貴様も魔獣族だな。さっきの白いやつはお前なんだろう。なら殺しても構わないな。そうだよな」

 

 ユウロの口元にはニヤリと笑みが浮かんだ。

 

「はは、ははははは……なら別にいい。だがあくまで目的はお前じゃない。黒い鎧の魔獣族だ」

 

 ユウロは刺さったナイフを抜くために柄を握った。

勢いよく引き抜けば、コペルは出血多量で助からないだろう。

ユウロにとってはむしろ好都合ではあるが。

 

 だがコペルは接近したユウロの首を掴んだ。

握力は衰えておらず、ユウロの呼吸を妨害した。

 

「ホルミーを殺すつもりだな。貴様程度の男にはやらせん」

 

「な、なにを……!」

 

 首を絞められながらも、徐々にナイフを引き抜いていく。

それとバランスを取るかのように、首を絞める握力も増していく。

 

「殺す価値のない男だと思ったが、変更だ……お前はここで仕留める」

 

 互いに力を振り絞る。

力を入れるにも体力は必要で、体力を維持するのにも力は必須となる。

そのバランスを保ちながら静かな勝負は続く。

ナイフが抜ければ出血する。

それは当然コペルも承知の上だが、ユウロを絞める力も底をつきそうだ。

策を講じねば勝機はない。

 

「に、人間族め……まだ抵抗するのなら、俺の魔力を見せてやる……」

 

 コペルの腕から流しこまれた魔力により、ユウロの首に薄く氷が張られていく。

落ちる雨も氷の一部となり、首から顎まで氷が広がった。

 

「さっき逃げていればよかったものを、わざわざ殺されに来るとは」

 

「ぐ、ぐぉぉぉぉぉぉぉぉおおお……おのれ魔獣族め……」

 

 首から顔に氷が広がることはなかった。

口と鼻を塞がれてしまえば呼吸が不可能になり死は確定だが、首が氷で圧迫されるだけでも呼吸は厳しい。

 

 コペルの手が首から離れ、ユウロは投げ捨てられた。

直接斬り殺すという方法ではなく、じわじわと殺すつもりだ。

 

「ホルミー、大丈夫か?」

 

 腹にナイフを刺したままコペルは言う。

 

「だ、大丈夫って……兄さん、お腹にナイフが……」

 

「俺はもう無理だ。あの愚かな人間族からお前とケイを守れただけでもよかったよ」

 

 コペルは膝をついた。

出血こそないものの、戦いに戦いを重ねているため相当な消耗だ。

 

「本当ならバルトという男とベリリという小娘も仕留めておきたかったが、お前たちが無事なら良しとしよう。お前はケイたちを助けてやれ」

 

「も、もういいって……」

 

「ふっ……」

 

 コペルは徐々に全身に広がっていく痛みに口元を歪めながら無理に笑顔を作った。

歪んだ愛情ではあったが、ホルミーとケイを守ろうという気持ちは嘘ではない。

 

「はやく行けホルミー。ケイが死ぬぞ」

 

 ホルミーはそれ以上コペルに何も言わなかった。

雨の勢いは衰えることはなく、雲が晴れる気配もない。

 

 だが一人で気絶した三人を運ぶことはできないため、最も消耗の激しいバルトから運ぶことにした。

ケイは洞窟まで運び、ベリリと一緒に寝かせる。

洞窟の中とはいえ濡れた体で倒れていれば体力は奪われる一方だ。

急がねば命にかかわる。

 

 バルトを町のパン屋まで運ぶには、腋の間に腕を通して足を引きずって運ぶしかなかった。

 

 バルトを運ぶ間、まだ息のあったユウロは自分のことを嘆いていた。

本心では立ち上がってコペルに反撃をしてやりたかったが、あいにくとそんな力は残っていない。

落ちる雨を真下から眺めながら、氷で絞まった首で微かに呼吸をした。

それが精いっぱいだ。

 

「は、ははは……ようやく、刃物を握れたというのに、これが最期か……」

 

 仮に首の氷が解けても、体力は底をついている。

バルトたちと同じく雨によって激しく消耗され、頭も回らなくなってきた。

 

「ホルミーさん……どうして魔獣族の味方を……ここで死ぬのか……まぁいいか……セレンにも嫌われ……ホルミーさんも振り向かず魔獣族にも勝てない……もうこの世に必要ないか……」

 

 停止。

それはユウロが生きることを諦めたからこその結果である。

静かに目を閉じた。

口元には少しだが笑顔が浮かんでいる。

最後に甘いパンを一口だけ食べたいところだったが。

 

「死んだか……」

 

 コペルが片足を引きずりながらユウロの前に立った。

自身も死へ近づいているが、ただホルミーの帰りを待つだけにはいかない。

 

 すでに息はないユウロは放置し、コペルは洞窟へ向かった。

ベリリにとどめをさすためではなくホルミーの代わりにケイを町へ運ぶためだ。

 

 一歩進む度に目が霞んでゆく。

視界が揺らいで地面が捻じれたように見える。

が、その程度ではコペルの足は止まらない。

洞窟に辿り着き、ケイの体を優しく抱きかかえて肩に担ぐ。

 

「さっきはすまなかったな、落としてしまって」

 

 再び雨の下に出た。

ホルミー一人には任せておけない、と、一歩一歩に力を振り絞りながら歩く。

町への距離は近くはない。

変身してしまえばすぐなのだが、魔力はない。

 

「今行くぞ、ホルミー……ケイも、頑張れよ……」

 

 

 

「バルトさん、起きて」

 

 ずぶ濡れのバルトを二階まで運ぶ体力も力もなかったホルミーは、仕方なく一階の床にバルトを下した。

自室から適当に持ってきた毛布をかぶせたものの、お世辞にも状況が好転しているとは言えない。

雨に当たらないだけマシではあったが。

 

「バルトさん、ごめんね。すぐにケイとベリリちゃんも連れてくるから」

 

 バルトをそのままに、ホルミーは外へ足を向けた。

だがバルトは上体を起こして腕を掴み、駆け出したホルミーの足を止める。

 

「お、俺は……大丈夫。それより、ケイとベリリは……」

 

「大丈夫なのバルトさん? 今から連れてくる。だから、少し待ってて」

 

 掴んだ手を優しく握り返し、そっとバルトを寝かせた。

 

「上から兄の置いて行った着替えも持ってきたから、これ」

 

 バルトのすぐそばには、ほどよいサイズの服が畳まれてあった。

さすがにバルトを着替えさせることはできなかったが。

 

「風邪ひいちゃうから、これ」

 

「あ、あぁ……着替えるよ」

 

「じゃ、じゃあ、私はケイとベリリちゃんのところに行くから」

 

 そう言ってホルミーはパン屋から出た。

一刻も早くケイとベリリを救いたいという気持ちは嘘ではなかったが、魔獣族であるバルトに少なからず恐怖を抱いているのも嘘ではなかった。

 

 バルトがユウロとセレンを相手にする前、一度はバルトの剣に斬り殺されそうになったのだ。

あのときの恐怖に怯えていたのはベリリだけではない。

 

 

 

 道中、ホルミーはケイを運ぶコペルと出くわした。

腹にナイフが刺さりつつも自分の娘を助けようとするその姿は、ホルミーには嬉しくもあり悔しいことでもあった。

 

「ホルミー……ケイは俺が連れて行く。お前は、あのベリリという子供を運べ」

 

 ホルミーは静かにコペルの横を通り過ぎた。

何を言っても曲げないだろうと判断したからだ。

だがこれがコペルとの最後になる気がして、どうしてもしておきたい質問をする。

 

「どうして、私にバルトさんを殺させようとしたの?」

 

「……言っただろう。俺はお前たちの無事が最優先だ。たとえお前が人殺しになろうともな。だがケイには、させたくなかった」

 

「……分かった」

 

 最後になるであろう言葉を交わし、ホルミーは洞窟に向かって地を蹴った。

それからしばらく雨が止むことはない。

二人が言葉を交わすことも、ない。

 

 

 

 コペルと協力し、ホルミーは三人をパン屋に運ぶことができた。

ケイとベリリの服も着替えさせ、今はベッドで安らかに眠っている。

ホルミーもすでにぐったりだが、代わりにバルトは順調に回復していた。

 

 ケイを運んだのを最後に、コペルは姿を消した。

どこかでひっそりと治療をしたのか、それともひっそりと死んだのか、誰にも分からない。

 

「バルトさん、これ」

 

 横になったバルトのそばにホルミーが膝を丸めて座り、湯気の立つココアを差し出した。

 

「……バルトさん。さっきユウロさんが、兄さんにやられて亡くなっていた。雨の中で倒れてたけど、バルトさんたちで手一杯だった……私、あそこに放置してしまった罪悪感があって」

 

 だがユウロは、バルトたちを殺そうとした。

ナイフと一緒に突き付けられた殺意は本物だった。

息がないとはいえ、近づくのも恐れるほどだ。

 

「ホルミーさんが気に病むことじゃない。あいつだって、ちょっと容赦がなさすぎるところがあった。特に魔獣族には。それにバックには警備兵たちがいっぱいいるんだ。誰かが来るさ」

 

「そ、そうだよね……」

 

「ところで、ケイとベリリは?」

 

「え、えぇ。私の部屋で一緒に眠ってる。体もタオルで拭いて着替えさせたから風邪は引かないと思うけど……安心って言えるかどうか」

 

「怪我でもしてるのか?」

 

「そうじゃない。バルトさんのこと」

 

 変身したことだ、とバルトにはピンと来た。

すでにホルミーとベリリにも魔獣族だとバレてしまっている。

ホルミーはともかく、ベリリは心に深い傷を刻まれてしまった。

 

「改めて確認するけど、バルトさんは魔力が使えるんだよね?」

 

「……あぁ。ハーフなんだよ。黙っててごめん」

 

「ケイも魔力を使えた。私はケイと血が繋がっていて私もハーフ。私は魔力を使えないけど」

 

 ホルミーとケイが親戚でハーフだったことに関しては、バルトには初耳だ。

 

「俺はケイの魔力を知ってたよ。電撃と、狼への変身だ。でも魔獣族に関することはどうしても言えなかった。本当に、申し訳ないけど……ベリリもよく思わないだろうし」

 

「うん……」

 

 ユウロとセレンとの戦いの前、魔力が制御できずベリリとホルミーを斬ろうとした。

バルトは覚えていないが、ベリリの心にはえげつないほど心に爪痕を残した。

そうでなくとも魔獣族に悪い印象しかない。

 

 そのときの話を、ホルミーは切り出せなかった。

自分たちを斬り殺そうとしていたなどと本人に言えるはずもない。

だが確かめないわけにもいかない。

 

「バルトさんは、変身しているときの記憶がある?」

 

 静かに首を振った。

横にだ。

それだけでホルミーには分かった。

斬り殺されそうになったときの話はしないほうがいい、と。

 

話してしまえば、バルトにショックを与えるだけだ、と。

 

「俺が変身しているとき、何かした?」

 

 ホルミーはそれを否定した。

ウソも方便だ。

 

「ううん。魔力がどれだけのものかちょっと訊きたかっただけ……話は終わり、もう休むね」

 

「休むって、ベッドは二人が使ってるんじゃ?」

 

「ケイとベリリちゃんにベッドを貸してるけど、私は床で寝る。バルトさんも部屋に戻ったら?」

 

「そうする」

 

 二人とも疲労がピークに達していたため、部屋に戻るまでの足もふらふらしていた。

なんとか二人は階段を上り、左右にドアがある二階までやってくる。

同時にそれぞれの部屋を開ける。

 

「ホルミーさん」

 

 バルトが呼び止める。

 

「はい?」

 

「助けてくれてありがとう。ベリリの分もお礼を言っておく」

 

「いいの。助けてくれたのはお互い様でしょ」

 

 

 

「セレン様! 大変です! ユウロ様が魔獣族にやられました!」

 

 兵士の一人が慌てた様子でセレンの自室に飛び込み、叫ぶように報告をした。

 

「例の黒い鎧の?」

 

「白い鎧でした。一度は退散したのですが、ユウロ様は一人で戻ったようで……返り討ちに。一度は変身しましたがプラセオルは破壊されて、すぐそばにはナイフが落ちてました」

 

 警備兵は拾ったナイフをセレンに見せた。

本来のユウロならまず触れない鋭利なナイフだ。

 

「そう。報告ありがとう。でも兄様のことはいい。どうせ邪魔だったから」

 

「は……はい」

 

 邪魔、という単語に異議を唱える隙すらも封殺されてしまい、唖然とした表情のまま警備兵は退出した。

それから数秒後、スカーフを巻いた若い男四人が部屋に入った。

警備兵ではない。

どちらかというと山賊や盗賊と思われるほうが一般的だろう。

 

「ご苦労。例の誘拐の件」

 

 セレンはまるで当たり前のように“誘拐”と口にした。

 

「いや、逃がしたのは俺らの失敗だった」

 

 男たちの一人が言った。

 

「それはまぁ、いいけど。それより、魔獣族を見たのね」

 

「黒い鎧に変身した。あいつぁ恐ろしい。性格も豹変したみたいで、やっぱ魔獣族は魔獣族だ」

 

 覚えているだろうか?

 

 彼らはベリリを誘拐した連中だ。

つまり彼らの誘拐を依頼したのはセレン、ということになる。

 

 男は後ろにいた一人を指さした。

 

「こいつなんてあの魔獣族に氷で攻撃されたんだ。危うく死ぬところだったんだぜ」

 

 セレンはふっと笑い、テーブル上の箱からチリドッグを取り出して頬張った。

 

「しっかし、あんたが俺らに魔獣族の誘拐を頼むとは。最初は顔を隠してたけど、まさか警備の人間でしかも女とはな」

 

 誘拐犯たちは最初、フードで顔を隠した人間に文章だけで依頼された。

サーカステントの前にいるガキを誘拐しろ、と。

報酬に目がくらんでそれを実行し、そしてベリリが誘拐された。

 

「でも魔獣族を逃がしたのだから報酬はあげられない。けど、その黒い鎧の魔獣族の情報を伝えてくれれば話は別」

 

「それなら心配ねぇ。俺があいつの顔を描いてやる」

 

 セレンはテーブルの引き出しから一枚の紙とペンを取り出して男に渡した。

サラサラとバルトの顔を描き、ものの数秒で出来上がった。

バルトを知る人間ならば誰もが納得するほどの出来栄えだ。

 

 だがセレンはまだバルトの素顔を知らない。

 

「ふーん……なるほど。さっそく警備兵と協力して指名手配にしたいけど、こいつは私が見つけて私が倒す。ここまで手こずらせるあの魔獣族だけは絶対に許さない」

 

 テーブルを拳で殴りつけた。

怒りに震える手が誘拐犯たちを緊張させる。

 

「もう帰っていい。あとは私がなんとかする」

 

「でもよぉ、あのテントの前にいたガキは本当に魔獣族なのか?」

 

「……どういうこと?」

 

「なんとなくだが、そんな気がしないんだ。そもそもどうしてサーカステントの前なんだよ?」

 

「誘拐したあの日、あの町で魔力らしいものを見た。僅かだけど手から電撃を放っていた」

 

 ケイのことだ。

油断をして、人のいないところで少しだけ魔力を使用していたのだ。

それが偶然にも、セレンの目に入ってしまった。

 

「それから後を追ったの。そしたらあなたたちを見つけた。あなたたちのことはザコだけど顔は知っていた」

 

 警備兵であるセレンなら、盗賊の顔くらいある程度は覚えている。

 

「それで、あなたたちと馬車を使って、あの子供を捕まえた。でも間違いだった、ってこと?」

 

「だろうな。魔獣族っぽい感じもなかったし。それに暗かったんだ、よく見えねぇよ」

 

「そう。でもいい。こいつさえ見つかれば」

 

 バルトの人相書き。

セレンにはそれだけで十分だった。

 

「あんた、こいつを倒すんだよな? そうしたら俺らには報酬をよこすよな?」

 

「当然。でも、その前にあなたたちをスペシャルな部屋に案内する」

 

スペシャルな部屋!?」

 

 誘拐犯たちは声をそろえて言った。

直後にセレンは指をパチンと鳴らし、「来て」と一言。

 

 ドアが開け放たれ、槍を持った数人の警備兵たちがなだれ込んだ。

ご褒美を期待していた誘拐犯たちの顔に矛先が向けられ、その笑顔は引っ込む。

 

「お、おい。こりゃどういうことだよ」

 

 セレンはチリドッグ片手に誘拐犯たちの前に立った。

 

「ごめんなさい。私の仕事は警備だから、犯罪者は野放しにできないの」

 

 セレンはペロっと舌を出し、誘拐犯たちにウインクした。

 

「こいつらは盗賊行為および誘拐の罪がある。くれぐれも気を付けて」

 

 警備兵たちは頷き、涙目の誘拐犯たちを拘束して、口と目をロープで縛って外に連れ出す。

 

「あぁ、それから、そいつらは私が誘拐を企てたとか騒ぐかもしれないけど、あまり気にしないで、もちろん嘘ついてるから」

 

 誘拐犯たちが聞いたセレンの言葉はそれが最後となった。

有無を言わせず、警備兵たちに連行される。

そのあとの始末はセレンの仕事ではないが、盗賊と誘拐となれば重罪は確実だ。

魔獣族を誘拐したのならまだしも、相手はベリリであり人間族ならどうなるか。

 

 ピシャリとドアは閉じられ、残ったチリドッグを口に放り込んだ。

紙ナプキンで軽く口と手を拭き、椅子に腰かける。

 

「さて、邪魔者も片付いたことだし……」

 

 バルトの人相書きを睨みつける。

特徴もなく柄が悪いわけでもないいたって普通の青年にしか見えない。

まさかこんなのが魔獣族――とは想像もつかない。

 

 人相書きを丁寧に四つ折りにする。

単身でバルトを探すため部屋を出た。まだあの町にいるのか根拠はないのだが、他を頼りたくないというプライドが強くそこまで考えが至らなかった。

 

 まだしっかりと履きなれていないブーツでは、歩くだけでも疲れは出る。

戦闘や運動には向かないが、それでもデザインを重視したかった。

戦いの中にも美しさを求めるセレンはつまらない靴は求めない。

 

「そろそろ行こうかな」

 

 ――ベンチの前に落ちていたベリリの靴は、実はセレンの靴だった。

ケイと間違ってベリリを誘拐したのもセレン。

それが真実。

 

 ユウロにすら隠れて暗躍していたセレンは、絶対的なプライドと魔獣族に対する執念を持って、歩き出した。

 

「おはようバルトさん。よく寝れた?」

 

 翌日。戦いの痛みに耐えながらも、バルトは一階に下りた。

先に起きたホルミーは、無理に笑顔を作って店の掃除をしていた。

昨日まであったパンたちはすでに片付けられている。

 

「え? ええ、体中が痛むけど」

 

「じゃあ、今日はずっと休んでいたほうがいいかもね」

 

「で、でも……何もしないわけにはいかないし。よかったら、お店の掃除でもしようか?」

 

「いえ、こっちは私の仕事だから」

 

 なんでもいいから手伝いをしなければ気が済まなかった。

手が動かなければただの居候でしかない。

 

「それに、バルトさんは私たちのことを守ってくれたでしょ。だから、今は休んでて」

 

 納得しきれていないバルトは、ただ静かにうなずいた。

 

 それから、二階のホルミーの部屋からケイが出てきて、大きなくしゃみをした。

 

「は、はくしょん! ……うう……風邪ひいた」

 

 ほとんど雨に当たりっぱなしで風邪を引くのは当然。

だがそこまで重度というわけでもないため、声が変わるほど酷くもない。

 

「ケイ、おはよう」

 

「おはよう、ホルミー」

 

 ホルミーは特に気にしてはいなかったが、ケイはホルミーを多少なりとも親戚だと意識している。

挨拶するのもぎこちない。

 

「ちょっとバルト、こっち来て」

 

 そんな窮屈な気持ちを誤魔化すかのように、ケイはバルトの腕を乱暴に掴んで外に連れ出した。

朝でも大通りには人が多い。

 

「昨日のこと、なんだけど」

 

 あまりにもいろいろありすぎた昨日の話をされても、どの部分の話題なのか見当もつかない。

 

「バルトが気絶してたとき、私、危うくバルトを死なせちゃうところだった」

 

「どういうことだ」

 

「電撃。水があるところだと危ないって知らなかった。あのまま電撃を使ってたら……倒れてたバルトは死んでたかも」

 

「それ、どうして気づいたんだ?」

 

「あの人に教えられたの……あの人、私の父親だから」

 

 初耳だったバルトは目を丸くする。

 

「そのまま電撃を使ったらバルトが死ぬって……私を人殺しにしたくないって言って止めた。私、無知だった。学校なんて行ったことなかったから、そんなことぜんぜん知らなかった」

 

 自分の無知のせいでバルトを殺めてしまいそうになったことが悔しく、大粒の涙が浮かんだ。

 

「魔力のこと甘く見てた……便利な道具だって勘違いしてた。でも違った。狼に変身しても警備兵の武器には敵わないくらい弱いし、電撃が強ければどうにかなるものじゃなかった……これって、凄く恐ろしいものなんだ……もういらないよこんな力……私、普通がよかった……普通に学校で勉強して友達作って普通に働いて、それでよかった……なのに……どうして」

 

 今まで気が強かったケイの目から雫が溢れ、バルトはなんと声をかけるべきか迷っていた。

教師なのに、最適な言葉が出てこない。

 

「母親は殺されて父親は人殺しで私は魔力を持っていて……もう、どうにもならないよ……」

 

「じゃあ、やり直せばいい」

 

 咄嗟に出たのはそんな言葉だった。

バルトはその言葉が最善なのか瞬時に判断できなかったが、黙っているわけにもいかなかった。

 

「やり直すって……?」

 

「今からでも遅くない。学校に来い。学費なら俺がなんとかしてやる。俺はハーフだから学校を遠慮してたけど、今ならちゃんと制御できるし、腕輪さえなければ発動できない」

 

「みんな、バカにしない? 私、頭悪いよ」

 

「頭の悪いやつなんていっぱいいるさ。それに転校生は、みんなが喜ぶ大イベントだ。両親のことや魔獣族のことはどうにもならないけど、お前自身が変わればこれからの未来も変わるさ」

 

「変われるかな、ちゃんとした大人になれるかな」

 

「大丈夫だ。ちゃんとした大人になれない人間は、そんな風に悩んだりしない」

 

「ありがとう、バルト……」

 

 泣きはらして赤くなった目のまま、バルトに明るい笑顔を向けた。

バルトはそれに対応できず、つい目をそらしてしまう。

 

 普段は口にしないお礼のせいで急に居心地が悪くなったケイは、ポケットの小銭を確認した。

 

「あの、ちょっと朝ごはん買ってくる」

 

「朝ごはん? それならパン屋で食べればいいだろ」

 

「い、いいの。ちょっと行ってくるから」

 

 ケイは逃げるように人ごみに走っていった。

どうにもこうにも、バルトと二人きりになっている状況に耐えられなかったのだ。

それに、赤くなった頬も隠す必要があった。

 

「なんだあいつ、急に」

 

 さてパン屋に戻ろう、と踵を返したとき、そこには拳を固く丸めたベリリが立っていた。

 

 制服は雨のせいで着られなくなってしまい、今はホルミーから借りた黒い服を着ている。

だがその色にも負けず劣らずの黒い感情がベリリから溢れていた。

 

 目の前にいる、尊敬していた教師、バルトを睨みつけ、一言。

 

「裏切り者」

 

 その言葉はガラスドア越しに放たれたため、バルトの耳に届くことはなかった。

だがベリリの表情から、感情を察することはできた。

 

 怒りと悲しみに震える手は、涙で濡れる顔を隠した。

すぐにでも状況を確認したいバルトだったが、ベリリはバルトよりも早く行動を起こす。

 

 ドアを開け放ち、ベリリは外に飛び出した。

呼び止めようとしたバルトの声など耳に入らず、人ごみに消える。

同じくホルミーも外に出て、バルトの前に立った。

 

「ホルミーさん。ベリリのやつ、まさか」

 

「ごめんバルトさん。追いかけて。自分で聞いた方がいいと思う」

 

 ベリリのことを理解するため、バルトも人ごみに混じって歩き出した。

 

 バルトには、なぜベリリがあんな態度を取ったのか見当がついていた。

それは、どう考えても魔獣族絡みのことだ。

 

 コペルとの戦闘前、洞窟の入り口で変身したとき、その瞬間をベリリに目撃されていたからだ。

信頼していた教師が魔獣族だと知れば裏切り者と思いたくなるのがこの世界では普通だ。

 

 誤解を解くのは並大抵ではない。

 

 サンドイッチを二つ購入したケイは、周囲を見渡してベンチを探していた。

いつどこを見てもこの町には人が多くベンチが占領されていることも珍しくはない。

 

「おっ」

 

 二人掛けの木製のベンチに、俯いた顔のベリリが座っていた。

さっきまでのケイのように、目は真っ赤で顔は涙で濡れている。

放っておくべきだと思ったベリリだが、一緒にベッドで眠った仲ということもあり、ただ放置するのも居心地が悪かった。

 

 軽く迷いながらも、ベンチまで歩いた。

協力できれば協力するし、話を聞くだけで済むならそうしたいと思った。

 

「よっ」

 

 どう声をかけていいのか分からず、ケイは比較的に明るいスタートを切った。

 

 ベリリの隣に腰かけ、サンドイッチの袋を横顔に突き出す。

 

「食べる? 二つあるし、一個あげるよ」

 

 ベリリは返事をせず、ただ頷いた。

袋を受け取って一つを取り出す。

 

「……ありがとう」

 

「うん」

 

 二人は同じタイミングで一口目を齧る。

 

 この先をどう繋げるべきなのか思案していた。

なので、とりあえず質問に入る前に謝罪をする。

 

「この前はごめん。ベリリと初めて会ったときさ、なんか素っ気ないこと言っちゃったから」

 

「いや、それはいいけど……」

 

「で、どうしたの? 私でよければ聞くけど」

 

 信頼していた教師が魔獣族だった――そんな悩みなど言えるわけもない。

 

「言えないのなら別にいいけど。じゃあ代わりに違う質問してもいい?」

 

「い、いいけど。答えられるかどうか」

 

「ベリリってさ、学校行ってるんだよね。制服着てたし。私、今まで学校に行ったことなかったんだけど、学校って楽しいの?」

 

「楽しいよ。勉強だけじゃなくて、チームワークとか芸術とかいろんなこと学べるし」

 

「友達は?」

 

「いるよ。でも、バルト先生と一緒にいるほうが楽しい。先生はちょっとだけ嫌がってたけどね……って、学校、行ってないの?」

 

「ちょっと事情があって行ったことないんだ。まぁそこはお互いに秘密ってことでいいよね。でも近々行く予定だよ。もしかしたらベリリと同じ学校かもしれないし」

 

「じゃあ、同じ学校になったらよろしくね」

 

 サンドイッチで少しベタベタした手で握手を交わした。

 

まだ完全にベリリの涙が収まったわけではなかったが、僅かに笑顔が浮かんでいる。

 

 ――一気に親睦を深めた二人のことを、一枚の紙を持った女性が目をつけた。

人ごみをかきわけ、ベンチの前へやってくる。

二人には見覚えがない人物だった。

 

「あなた、私のこと覚えてる?」

 

 そこにいたのはセレンだった。

誘拐したベリリに対してそんなことを言ったが、当の本人はセレンの顔など見ていない。

夜の闇でローブで顔を隠していたのだから当然だ。

 

「え、ええと、どちらさま?」

 

 セレンはバルトの人相書きが書かれた紙をチラと広げて見たがすぐにポケットに戻した。

バルトを倒す前に予定変更。

まずは、逃がした目の前の魔獣族からだ。

 

「あなたが魔獣族じゃないことは分かってる。同じくらいの体格の子供……つまり」

 

 セレンはケイを指さした。

 

「そっちが魔獣族ね。電撃の」

 

「あんた、まさか、あの甘党の警備兵と一緒にいた女?」

 

 過去にケイはセレンの顔を見ていた。

腕輪でフレイローブに変身することも知っている。

 

「じゃああんたがあの狼か。まぁどっちが魔獣族でもどうでもいいけどね」

 

「ど、どうでもいいって、魔獣族? 電撃? いったいなんのことですか?」

 

 サンドイッチを食べ終えたベリリが首を傾げる。

 

「教えてもいいけど、知る必要はないよ。だって、ここで二人は退治されるのだから」

 

 セレンは腕輪のダイヤルに手をかけた。

 

「ちょっと待ってよ」

 

 ケイが立ち上がってベリリを守るようにセレンの前に立ちふさがる。

 

「あんた、ここで変身するつもり? こんな町の中で? 変身して戦ったら被害が出るよ」

 

「あれ、魔獣族のくせに人の心配するんだ。でもご心配なく。私は警備兵だから後でいくらでも説明できるし、私たちの腕輪のことを知っている市民だって大勢いる。市民なんて死ななきゃいいのよ。魔獣族が騒ぎを起こしているんだから多少の被害はやむを得ない。つまり何かあればあなたたちのせい、ってこと」

 

 セレンはニヤリと不気味にほほ笑む。

もはや市民を守る正義の警備兵の発言ではない。

 

 大きなため息を一つ。

セレンは腕輪のダイヤルを捻った。

まさか本気で変身するとも思わなかったケイは、咄嗟にベリリの手を握った。

 

「と、いうことで……ミラージュコーティング」

 

 セレンの頭上から光の輪が出現し全身を通り抜けた。

黒い衣に覆われ、胸周りを纏う緑のプロテクターが装着された戦士へと変貌する。

露出などはない完全防備――フレイローブへと。

 

 急に町のど真ん中で変身したセレンに、周囲の市民たちは何事かと騒ぎ立てた。

そのおかげでセレンは注目される。

 

「町のみなさーん! 私は警備兵です。いま私の目の前には魔獣族がいます。とても凶暴なので、今すぐここから離れてくださーい!」

 

 市民たちは口々に「魔獣族だって?」「あのベンチの子供か?」

「そんな、マジかよ」などとざわつき始めた。すでに逃げている者もいる。

 

 言いたいことを言い終えたセレンはベンチのケイとベリリへ向き直った。

 

「さて、これであなたたちはこの町の敵。私は正義の味方」

 

「ち、違う! 私たちは魔獣族なんかじゃない!」

 

 ケイはわざと周囲に聞こえるように叫んだ。

 

「あんた、最低だよ。あんたみたいなのを卑怯者って言うんだね」

 

「どうとでも言いなさい魔獣族ども。どうせあなたたちは今から退治されるのだから。あ、死なない程度なら市民を傷つけても構わないよ、その方が退治したときの価値が上がる。それと、抵抗するならご自由にどうぞ。無駄だと思うけどね」

 

 当たり前のようにそんなことを言い放ち、腰に収まっていた二本の剣――左の黒いのはレニー。

右の白いのはトリー――を抜いて剣先を二人へ向けた。

 

「どちらも魔獣族の血を絶やすため生まれた刃。覚悟しなさい、その流れる血、滅してみせる」

 

 両手を高く上げ、一気に振り下ろした。

 

「危ないっ!」

 

 ケイは咄嗟にベリリの手を引いてベンチから横に飛んだ。

二本の剣は二人の座っていたベンチを真っ二つに斬り裂き、原型を失って木クズと化す。

 

「避けた?」

 

 倒れる二人をセレンは冷たく見下ろした。

 

「あら、ご自慢の電撃はどうしたの? 弾切れ?」

 

 ここで電撃など使えば、周囲に自分が魔獣族だと明かす証拠になってしまう。

ケイはピンチのピンチになるまで電撃を使わないつもりでいた。

 

「ベリリ、走るよ。逃げないとやられる」

 

 ケイを先頭に走り出し、軽くパニック状態で取り囲んでいた市民たちをかき分けて進んだ。

幸いにも人ならたくさんいる。

木を隠すなら森の中。

逃げ隠れるには絶好の場所だ。

 

 敵を見失ったセレンは舌打ちをし、剣を納めて歩き出した。

逃げる場所の見当はついている。

 

「どきなさい」

 

 セレンの威圧で市民たちは道を開ける。

向かう場所は、二人が到着するであろう場所だ。

 

「抵抗はご自由にとは言ったけど、あんまり長くならないでほしいなぁ」

 

 歩いている途中でも、頭の中は激辛ペペロンチーノでいっぱいだった。

近くの町で新しくオープンした店の唐辛子いっぱいのパスタだ。

強烈な辛みとニンニクの香ばしさとモチモチの麺を想像し、セレンは兜の下で舌なめずりする。

 

 町の端まで進む。

その先には二人が隠れそうな建物もなければ洞窟などもない。

それに、魔獣族なのに人間族を心配するという特殊な性質――この町の構造――導き出される結論は、

 丘――それは、ケイがお気に入りの丘だ。

プリックの町全体を一望できる高い丘であり、逃げ隠れるには最適である。

 

 フレイローブのおかげもあり、セレンは数分でそのてっぺんに到達した。

町を見渡しながら深呼吸をし、二人の到着を待つ。

やがて丘の入り口から足音が――二つ――セレンの耳にはしっかり届いている。

 

 ニヤリと笑い、剣に手をかける。

まだ抜かない。

 

「あっ……! なんでここに……!?」

 

 セレンに先回りされたケイは、予想外のことに咄嗟にベリリと共に踵を返した。

 

「逃がさない」

 

 セレンの大ジャンプ。

強烈な力で地を蹴り、二人を飛び越えて正面へ回った。

もう二人の背には逃げ道などない。

あるのは丘のてっぺんのみだ。

 

 二本の剣を抜き、左を肩に乗せ右を前方に突き出した。

ジリジリと前進――二人は徐々に後退せざるを得なくなる。

 

「残念でした。この町のことは大体調べたの。もちろんこの丘のこともね。魔獣族の行動パターンなんて単純。馬鹿と獣は高いところが好きだもん。こういう場所に逃げるのは予想がつく」

 

 フレイローブに変身しているため、ケイに表情は伺えない。

魔獣族を狩る前の顔など尋常ではないことくらい容易に想像できたが、目視できないだけでも恐怖は倍増する。

 

 後退を続けた二人の後ろに、道はもうない。

あるのは崖っぷちのみ。

 

「あ、退治する前に確認したいのだけど、本当に魔獣族なのよね? 改めて見ておきたいから、ちょっと魔力を使ってくれない? 電撃でしょ? あとは狼と、他には?」

 

 ケイとしては強力な電撃をぶつけてやりたかった。

だが、ベリリはケイが魔獣族とのハーフだということをまだ知らないから放てない。

しかし魔力を使わずセレンを倒すことは不可能だ。

 

「あーれー、おかしいなぁ。……じゃあしょうがない、こうするか」

 

 左のレニーを鞘に納め、その手はベリリの腕へ伸びた。

ベリリの細い首元には剣が向けられる。

ようするにベリリを人質にとったのだ。

 

「ごめんね、こうするのはあんまり好きじゃないけど、魔獣族が強情だから」

 

 ケイも動くに動けない。

魔力を使えばベリリは解放されるはずだが、ベリリからの信頼は失われてしまうだろう。

せっかく築いた信頼を簡単に壊すわけにもいかない。

 

 ケイとセレンの距離は二メートルほど。

フレイローブの強さはケイには予測できないが、この距離なら電撃を命中させて怯ませることもできるだろう。

しかしセレンは余裕だ。

ベリリを巻き添えにするレベルの電撃でないと怯まない可能性も視野に入れている。

迂闊には使えない。

 

「そっか、答えは分かった。じゃあ、さようなら」

 

 セレンの剣がベリリの首に接触する。

後は何センチか引けばベリリの一生は終わる。

 

「待って!」

 

 ケイが叫んだ。

今にも泣きだしそうなベリリの命は僅かだが繋がった。

 

「分かった。分かったからやめて」

 

 ケイは腕を上空に向けた。

弱い威力でセレンに命中させても怒らせるだけだと考えたのだ。

 

「け、ケイ。あなたは魔獣族じゃない。だから、魔力は使えないって言ってよ!」

 

 ケイは静かに、横に首を振った。

直後、ケイの手から強力な電撃が、一瞬だけ放たれる。

上空へ雷が昇ったような音と光――昼間ではあったが、下にいたベリリも目を伏せるほどだ。

 

 町の人間たちも何事かと上空を見上げた。

あまりにも一瞬のことに気づいていない者もいる。

 

「け、ケイ……? 本当に、魔獣族なの……?」

 

「ごめん。でも今はこうするしかなくって……」

 

 ケイは拳を強く握り、セレンの卑怯なやり方と自分の運命に怒りを覚えた。

 

「はいはい。私は満足したから、もうあなたに用はない」

 

 満足したセレンは、ベリリを短い草の生える地面へ乱暴に投げ飛ばした。

 

「ふぅ、やっぱりそうだった。魔獣族だ。よかったよかった」

 

 セレンは拍手をしながらケイに接近する。

冷たい拍手の音がケイを焦らせる。

「良いこと思いついたの、ちょっといい?」

 セレンは右手でケイの首を掴んだ。窒息しない程度に、だが逃げ出せない程度の力で。

 

「ここは町全体を見下ろせるくらい高い丘。とても見晴らしがいい。でも、ここから落ちたらどうなると思う? それくらい魔獣族の脳でも分かるでしょ?」

 

「く、あんた……本当に卑怯なやつだ」

 

「剣でバッサリいこうと思ったけど、魔獣族の汚い血で汚れるのは勘弁だもの。もしよかったら、ここから飛び降りてくれない?」

 

 直接手を下さず、死の決断をケイ自身に任せる――頼み事の皮を被った強制だ。

 

 セレンは剣を二本とも鞘に納めてはいたが抜け目がなかった。

左手はいつでも剣を握れるように腰に添えている。

それはケイの他の魔力を警戒してのことだ。

 

「ま、待って……ケイを傷つけないで」

 

 ベリリが動いた。だがセレンは即座に剣を抜いてベリリに向ける。

 

「動かないで。まだあなたが人間族だと確定したわけでもないんだから。それに、あなただって魔獣族は嫌いなんじゃないの? お友達が魔獣族だって分かって動揺してるでしょ。この魔獣族はあなたのことを騙してたの。裏切り者よ、裏切り者」

 

「裏切り者……?」

 

「とにかく黙ってて」

 

 ベリリは動くに動けない。

さっきまで人質に取られていたはずなのに、今度はケイが人質にされてしまっている。

 

 だがケイは魔獣族――バルトや両親を殺害した人物と同じく、魔獣族だ。

しかし友人になったばかりのケイを見殺しにもできない。

 

「さぁ、どうするの? 飛び降りるの?」

 

「わ、分かった。でも約束して、私が落ちたら、ベリリを解放して」

 

「ふん。構わない。早くしなさい」

 

 ケイの首から手を離し、自由になったケイは回れ右して少しづつ前進する。

ケイの数センチ前方には足場はない。

落ちれば、運がよくても入院レベルだ。

ベリリはその光景を見守ることしかできなかった。

止める力など、自分にはないことを自覚しているからだ。

 

 ――そのとき、セレンは丘を駆け上がってくる何者かの気配を察知した。

 

 気配から、その正体が魔獣族なのだと悟る。

 

「誰!?」

 

 剣を丘の入り口に向ける。

そこから、息を切らしたバルトがやってきた。

 

「ケイ! やっぱりお前だったか!」

 

 バルトがギリギリの場所に立ったケイに叫ぶ。

当然、ベリリとセレンの姿も確認している。

 

「ば、バルト! 来てくれたんだ」

 

「お前が放ってくれた電撃、あれで分かったよ。やっぱりここだったか」

 

 ケイが上空に向けた電撃。

それは魔獣族だと証明するアクションであり、バルトに対するのろしでもあった。

しかし感動の再会というわけにもいかない。

セレンは見覚えのあるバルトの顔を見て、人相書きを取り出した。

 

 的中。

人相書きそのままの男だ。

兜の下でニヤリと不気味にほほ笑む。

 

「あなた、魔獣族ね? 黒い鎧の」

 

「なんだお前は。その腕輪と鎧、まさか警備兵か」

 

「ご明察。兄様がお世話になりました。壮絶な最期だったようでなにより」

 

「なぜ知っているんだ……黒い鎧のこと」

 

「盗賊たちがあなたが変身する瞬間を見てたの。あ、あの子の誘拐を指示したのも私だから。本当ならじっくり調べてから泳がせて仲間を見つけるつもりだったけど」

 

「お、お前が……」

 

 バルトの心に火が点いた。

探していた誘拐犯の首謀者が目の前に現れた衝撃は計り知れない。

しかし怒りでリーヴェに変身することはない。

 

 念のために所持していた腕輪をつける。

あくまで冷静に、魔獣族の血を覚醒させる。

 

「あなたたちを纏めて退治して、優雅に暮らしたいの。魔獣族なんていない平和な世界でね。だから決着をつけましょう。はやく変身しなさい、リーヴェに」

 

 バルトの腕輪の光が頂点にまで達した。

怒りと守りたい気持ちが交差し、変身を開始する。

 

「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

 

 バルトの全身から煙が噴き出し、獣のような咆哮や光とともに爆風を巻き起こした。

風が震え、周囲の草を揺らした。

ケイたち三人も、その眩い光には思わず目を伏せる。

 

 顔を上げたとき、すでにバルトの体はバルトのものではなくなっていた。

禍々しいフォルム。

ところどころに刻まれた不規則な紫の模様。

腰には鞘に収まった幅の広い剣がぶら下がり、リーヴェの力や氷の魔力と組み合わせれば強力な一撃を叩き込める。

 

「ははははははは! これが変身の魔力なんだ、フレイローブみたいにその場でなれるんだね」

 

「お前、警備兵だからって何してもいいと思うなよ」

 

「残念。これが私の仕事なの。ごめんね、大人しく退治されてて」

 

 セレンは右のトリーも抜いた。

二本の剣を揃え、完全なる戦闘体勢に入る。

 

「前は殺されかけたけど、今度はそうはいかない。あなたに流れる血、滅してみせる」

 

 バルトも納めた剣に手を当てる。

ここまで来たらどちらかが倒れるまでやりあう他ない。

 

「電撃使いの魔獣族たち、あなたたちは逃げてもいいよ。逃がすと後が面倒だけど、今はこっちのリーヴェが先だから、まぁ、逃げるなら見つけやすいところによろしくね」

 

 振り向かず言ったセレンに、ケイたちは唖然とする。

 

敵ではあるが、ケイはその言葉を信じた。

ベリリの手を掴み、丘を駆け下りた。

この勝敗が死に直結することは承知しているが、今は逃げる他ない。

 

「じゃあ、行くよリーヴェ」

 

 セレンは矢のように飛び出した。

剣を後ろに構えて腰を低くした前傾姿勢になり、一瞬のうちに加速する。

バルトの手前に到着したとき、直後に剣を振り下ろして速度を衝撃に変える。

 

「食らえっ!」

 

 爆発的な威力で放たれた二撃を咄嗟に引き抜いた剣で受け止めた。

甲高い音が木霊し、周囲の草をざわつかせる。

 

 セレンの細い肩に右からハイキックを繰り出す。

女性だろうと手加減などするつもりはない。

命中した部分は即座に魔力で凍り付き、セレンの肩は白くなった。

だが怯まない。

その程度で怯むほど、セレンの信念は弱くない。

 

 左のレニーでバルトの剣を払いのけ、右で正面から一撃を入れる。

続けて蹴りを叩き込んで距離を作った。

バルトはセレンから離れてしまい、蹴りのダメージで膝をつく。

 

 近すぎず離れすぎずの適度な距離と隙――この二つのパーツはセレンにとってチャンスである。

 

 二本の剣をクロスさせる。

腕輪が光を帯び、腕を通して剣に伝わった。

魔力と肩を並べるほどのエネルギーが集中し、岩を粉々に破壊するのも容易なほど蓄積される。

 

 そして――。

 

「――滅せよ!」

 

 バツ型に振り下ろし、エネルギーは衝撃波へ変貌し殺人的な襲撃を始める。馬が駆けるのと同等の速度で放たれた衝撃をバルトは受け止められる気がしなかった。

 

 一瞬で威力を見極め、防ぐよりも避けることを選んだ。

 

だがあまりの速度に回避が――。

 

「間に合わないっ!」

 

 バルトの全身が衝撃に巻き込まれ数メートル後退する。

炎と衝撃波の融合攻撃は、鋼鉄をも溶かし粉砕できるほどの高威力で、嵐を一点に集中させて弾丸として撃ちだしたようなものだ。

 

 片膝をつく。

もしバルトが生身ならば間違いなく体中を穴だらけにされて絶命していたことだろう。

魔力をもってしてもそのダメージは大きい。

 

「どう? 私のフレイローブの味は、とってもスパイシーでしょう?」

 

 バルトは地面についた膝を離し、剣を握る手に力を込めた。

 

「お前、名前は何と言った?」

 

「セレン。セレン・ロジー

 

「セレン。俺は手加減するつもりはないが、きみの命を奪うつもりもない。俺には確かに魔獣族の血がある。でも、人殺しはしたくないんだ」

 

「はっ。くだらない。本気で来なさいよ」

 

「……分かった」

 

 セレンを殺さない程度、だが変身を解除させ戦闘不能にまで至らせるレベルで戦わなければいけない。

あの一撃を受けてバルトは理解した。

本気で殺そうとしている、と。

本気で防いで本気で攻めなければ命はない、と。

 

「行くぞっ!」

 

 ダメージを負った体に鞭を打って走り出した。

セレンの上半身目掛けてハイキックを繰り出す。

かわされ、二度目のキックをも空を切る。

 

「遅い!」

 

 バルトの背中に一撃を決める。

スピードでは完全にセレンのほうが優勢だ。

 

 バルトは振り向きざまに突きを繰り出し、それに高速で二本の剣をぶつけて弾く。

バルトの手から舞い上がった剣が、地面に突き刺さった。

 

「あーあ、運動が苦手なんだ? 私はしっかり訓練していたから、反射神経も体力もあるの」

 

 丸腰となったバルトは素手に切り替えた。

拳に力をため、魔力を集中させる。

 

「ほう、それがあなたの本気?」

 

 氷の魔力が蓄積された拳を握りしめ、地面を殴る。

――地響きが轟く。

丘の上を塗りつぶす短い草がバルトを中心に円形状に凍りつき、セレンの足をも凍結させる。

 

「なっ!?」

 

 予測できない攻撃にセレンがたじろぐ。

足を凍らせる僅かな氷のせいで、身動きが取れない。

 

「面白いね。足を凍らせてその隙に狙う作戦なんだ……」

 

 バルトは深々と地面に刺さった剣を引き抜き、セレンへ向けた。

弾かれたように走りセレンの手前で高く跳躍。

 

 空中から叩き潰すように振り下ろすが、隙だらけのセレンは咄嗟にそれを防御する。

だが足が固定されているせいでうまく踏ん張りがきかない。

 

「甘い!」

 

 バルトの剣を丘の下へ弾き飛ばし、正面から二本同時の一撃をぶつけた。

バルトの体から、爆発したような小さな火花が飛び散り、数歩後退する。

 

「あら、氷の小細工があったわりには、正面からの攻撃は脆いのね。もしかしてまだ魔力に慣れてないの? 制御が下手なのね。はやくあなたの全力を見せなさい」

 

 セレンは剣を大地に突き刺し、炎のエネルギーを流し込んだ。

熱を帯びた地面は僅かに溶け、セレンの足元は氷から解放される。

意外にも容易に溶けた氷に勝機を見いだした。

やはりまだ魔力の制御をうまくできていない。

これはチャンスだ、と。

 

 セレンはニヤリと笑う。

右のトリーを肩へ、左のレニーを腰に添え、姿勢を低く構える。

単純に魔獣族退治をするだけでなく、真正面から完全に叩きのめす。

それが最高の喜びだった。

 

 武器がないバルトには、勝負に乗ろうにも無理な話だ。

剣は弾き飛ばされてしまい丘の下に落ちた。

拾いに行くには距離がありすぎる。

 

「そっか、武器がないんだ。でも正々堂々とは言ってないから、“武器がないまま全力を出して”」

 

 セレンがスタートを切り弾丸の如く距離を詰める。

バルトに打つ手は――。

 

「武器ならある。手になければ、作ればいいんだ!」

 

 氷の魔力を全開し、空気中の水分を凍結させ手に握った。

握った氷は棒状に形成され、次第に刃となり――剣となる。

 

「あいにく、制御ならかなりうまくなったんだ」

 

 サイズも重さも元の剣には及ばない。

もっと重量があり、ぎっしりと内側に凝縮されているような剣だ。

だが向かって来るセレンを切り伏せるだけなら問題はない。

 

 来る。

この勝負が勝敗を決する――一瞬だけの大勝負、互いに手加減も余裕もなく、剣と剣が交じり合う一世一代の一撃。

 

「滅せよ! 魔獣族!」

 

 ――交差!

 

 一瞬の攻防――熾烈を極める一撃。

セレンが斬り込みながら走り抜けた。

二本の剣による攻撃と、バルトの即席で作った氷の剣が交差した。

 

 バルトの体から、バチバチバチと火花が迸った。

ダッシュとパワーを重ねた威力は大きく、無傷とはいかない。

 

「ふ、ふふふふ……どう、これで終わった?」

 

 バルトが倒れる瞬間を確認するため、セレンはふり返った。

だがまだ二本の脚でそこに立ち、剣も離さない。

渾身の攻撃を受けてもなお倒れずに立ち続けるバルトにセレンは呆れ始め、ついには飽き始めた。

 

「ちょっと、もういいでしょ。いい加減に……」

 

 直後、セレンが変身していたフレイローブは力を失い始めた。

全身に漲っていたフレイローブの鎧は霞のように消え去り元の姿へ戻る。

 

「な、なにこれ、どういうこと?」

 

 腕輪の故障とも考えたが、こうも都合の悪いタイミングで壊れるほど脆い武器ではない。

 

 腕を回して腕輪をグルりと確認する。

稲妻のような細い亀裂が入っていた。

 

「き、亀裂……? ま、まさかあの魔獣族……!」

 

 すれ違いざまの攻防――その瞬間に、セレンの体ではなく腕輪に一撃を決めていた。

 

 命を奪うことを躊躇ったうえでの最善の策、それはフレイローブの変身能力を奪うことだ。

戦闘さえ避けられれば傷を負うこともない。

バルトの優しさ、言い換えれば甘さが生み出した結果だ。

 

「俺は、人間族も魔獣族も、命は奪いたくない」

 

「く……侮辱。これは侮辱!」

 

「侮辱でもなんでもいい。お前は負けたんだ。もう終わりだ」

 

「お、終わり……? こんな屈辱的な終わり方なんて、絶対に許さない!」

 

 威勢は良くても、剣もフレイローブもない。

屈強な肉体というわけでもない少女が、素手で敵うほど簡単な勝負ではない。

しかし尚も諦めきれないセレンは、手近にあった長い木の棒を握りしめ、背を向けるバルトに牙をむいた。

 

「魔獣族めぇぇぇぇぇ!」

 

 作戦も対策も冷静さもなく、セレンは怒りに背を押されて木の棒一本で襲い掛かる。

 

「やめておけ、もう無意味だ」

 

 殴った木の棒はいとも簡単にへし折れる。

 

 

「い、い、イヤだ……私が、またこんなやつに屈辱的な負け方をするなんて……じょ、冗談じゃない。目の前に標的がいるのにしっぽ巻いて逃げるなんて、冗談じゃない!」

 

「お前に味方はいるのか?」

 

 唐突に、バルトはそんな質問をぶつけた。

 

「味方? そういうのは好きじゃないの。兄だろうと警備兵だろうと、無能の力は借りない」

 

「そうか。じゃあ、助けに来てくれる人もいないんだな」

 

「くっ……!」

 

「諦めろ」

 

 折れた木の棒を投げ捨て、ダメ押しの拳をバルトに叩き込んだ。

振り返って片手で受け止められ、逆に腕を捻りあげられる。

セレンの細い腕では、力だけでの抵抗は不可能だ。

 

 その時、ケイが丘の上へ戻って来た。

ゆっくりとセレンの正面に立ち、拳に電撃を纏わせる。

 

「お、お前は電撃の魔獣族! 逃げたんじゃ……!」

 

「あんたに一発だけ食らわせたかったの、だから戻った!」

 

 僅かな電撃を帯びたパンチがセレンの腹に叩き込まれた。

威力自体はさほど高いものでもないが、微弱な電撃がセレンの全身を駆け巡ってマヒさせる。

 

 バルトが捻った腕を放すと、セレンは膝からくずおれてうつ伏せに倒れた。

 

 戦闘終了。

バルトはリーヴェの変身を解除した。

 

「ケイ、なぜ戻った」

 

「すぐ戻ってくると思ったけど、この女に苦労してると思って。ベリリは下で待ってるよ。私たちが魔獣族だって知って混乱してるみたい」

 

「そうか……ベリリにはちゃんと説明しないとな」

 

「それもいいけど、この女はどうする?」

 

 セレンはむき出しの地べたに倒れ伏している。

ほぼ人が足を踏み入れない丘の上とは言え、放置するのはあまり得策とはいえない。

 

「しょうがない。丘の下まで下ろして寝かせておくか」

 

 バルトはケイの手を借りながら、セレンを背中におぶった。

大人しく寝息を立てている様子だけ見れば、どこにでもいる普通の少女だ。

 

「でもバルト、私たちはこの女に魔獣族呼ばわりされたから、きっともうこの町には住めない」

 

「お前、町の中で魔力は使ったのか?」

 

「……ううん。さっきの上空のやつだけ。でもあれだけじゃ魔力って気づかれないだろうけど」

 

「じゃあ、魔獣族呼ばわりしたのはこいつの勝手か」

 

「そうだと思うけど。町の中で変身して襲い掛かってくるくらいだから、根拠はあると思う」

 

「だったら、少しの間でいいから町を離れるんだ。町の中で魔力を使ったり、複数の人に見られていたらマズいかもしれないけど」

 

「……でも、この女には見られた。たぶん、また襲い掛かってくる。どこまでも追って来るよ」

 

 セレンは執念深く狡猾な人間だ。

たとえフレイローブを失って変身できなくとも、槍が一本あれば構わず攻めてくるだろう。

人を巻き添えにしたとしても。

 

 本気で追撃を食い止めるのならば、今ここで気絶しているセレンの寝首をかくのが最善ではあるが、あいにくとバルトたちはそんな非道な手段はとりたくなかった。

 

「ここか!?」

 

 唐突に、鎧を着た二人の警備兵がやってきた。

すぐにバルトたちを見つけて近づく。「あ、あなたたち、どうしてセレン様を?」

 

 バルトの背にいるセレンを見て、警備兵の一人が言った。

 

「ここで電撃らしきものを見たと市民から報告がありまして、魔獣族かと思ったのですが」

 

「あ、いえ、俺たちもあれを見てここに来たんですが、この女の子がここに倒れてて、それで今から病院に行こうと思っていたんですが、警備兵の方でしたか」

 

「ああ! 助けていただいたんですね。それはどうも」

 

「魔獣族と交戦していたみたいでひどく混乱してます。俺たちのことを魔獣族だと思い込んでたみたいで、殴られそうになりました」

 

「な、なんですって? けっこうウチでも荒い性格でして、魔獣族と聞くと暴走しますから。まぁお怪我がなくてなによりです。それで、電撃の魔獣族は?」

 

「逃げました、町の外に。大きなフードをかぶっていて正体は分かりませんでした」

 

 そんなデタラメな情報を鵜呑みにした警備兵たちはセレンを預かって、丘を下りて行った。

 

「ば、バルト。いいの? あんな嘘ついちゃって」

 

「まぁ嘘はよくないけどな、仕方ないさ。ああでもしないと、あのセレンってやつは地獄の果てまでも追いかけてくる。ああ言っておけば錯乱してると思われるさ」

 

「なんだかちょっと酷い感じがするけど、嘘も方便ってやつね」

 

「あぁそうだ。じゃあ、帰ろうか。あとはベリリにも説明しないとな」

 

 と歩き出したとき、警備兵とすれちがいながら丘を上がってきたベリリが顔を出した。

バルトたちに対する恐怖も若干は混じっていたが。

 

「ば、バルト先生」

 

 不安そうな面持ちのベリリがバルトの前に立った。

この連続で訪れた真実をうまく受け止めきれていない。

 

「バルト先生とケイは、魔獣族なんだよね」

 

「厳密にはハーフだ。……ごめん、俺たちはずっと黙ってた。騙すつもりはなかったんだが」

 

「バルト先生もケイも、悪いことしてないよね」

 

 疑うためではなく、信じるためにそう質問した。

 

 一度はリーヴェに変身したバルトに斬り殺されそうになったベリリだが、それでもバルトのことを信じたかった。

あれは何かの間違いだ。

魔獣族にしかない都合があったんだ。

と。

 

 心の底では納得できていなかったが、そう思わなければ許すことも信じることもできない。

 

「私もバルトも、そんなことしてないよ。魔獣族は悪って歴史があるし悪い魔獣族だっていたかもしれないけど、でも私たちは、悪いことなんてしてない」

 

「信じて、いいんだよね」

 

「信用できないくらいなら、私はベリリを助けてないよ。人質にされたときも見捨ててる。バルトだってそうだよ。さっきの女、撃退してくれたんだから」

 

「バルト先生、さっきの人どうなったの?」

 

「ほとんど怪我はしてないよ。でも、あの腕輪は壊したから、もう変身はできないけど」

 

 ベリリは、あの人物が生きている事実と、バルトが殺人を犯していない事実に安堵した。

 

「ベリリ、俺は魔力の制御が下手だったけどもう大丈夫だ。腕輪さえなければ魔力も覚醒しづらい。魔力は人前で使えないから、人助けに使うなら密かにやらないとダメだけどな」

 

「ううん。人助けなんて、魔力がなくてもできるよ」

 

「……そうだな」

 

「私、学校に戻りたい。ケイと学校に行きたい。バルト先生も、一緒に戻ろうよ」

 

 紆余曲折ありながらも、ベリリは笑顔を取り戻した。

 

 魔獣族の血を継ぐバルトとケイの手を握りしめ、血など関係のない笑顔を向けた。

 

「戻ろうか、学校に。ホルミーさんにも挨拶しないとな」

 

 それから、無断で数日も欠勤したバルトは学校からこっぴどく怒られた。

もちろん魔獣族に関する事情は説明できなかったが、それっぽい言い訳でなんとか凌いだ。

同時期に学校に来なくなったベリリは、バルトと妙な関係があるのではと学校中で囁かれ、駆け落ちなどと好き勝手な噂が飛び交った。

しかし偶然同じタイミングで体調不良になったと言って誤魔化した。

 

 言い訳や誤魔化しで切り抜けてしまったが、ケイが入学したというイベントは大きかった。

最初は人間関係に苦労したが、ベリリの助けもあってすぐにクラスのメンバーと仲良くなれた。

相変わらず魔獣族においては偏見もあってハーフということは明かせなかったが。

 

 それから半年。学校にも慣れたころ、ケイはベリリと一緒に久々にプリックの町に足を運んだ。

てっきり魔獣族だと騒がれる可能性を危惧していたが、市民はセレンの言葉などすっかり忘れているのか、ケイとベリリが制服だからなのか、特に騒ぎになることはなかった。

 

「ホルミー、久しぶり」

 

 すっかり制服にも馴染んだケイは、放課後にベリリと共にパン屋に顔を出した。

 

「あらー! ケイと、ベリリちゃんも!」

 

 二人纏めてハグしようとしたホルミーは、これでもかと腕を広げて抱きついた。

つい加減を間違えたホルミーは、慌てて体を離す。

それからケイの制服姿をじっくりと目に焼き付けた。

 

「ケイ、制服、とっても似合ってるよ」

 

「い、いや、そんなことないよ。スカートとか、全然慣れないし、スースーするし」

 

 謙遜しながらも、ケイの頬は素直に赤くなっていた。

ケイはどうしても足を出すことに抵抗があり、スカートは膝の上まで伸ばしていた。

 

「ベリリちゃんもありがとう。ケイと仲良くなってくれて」

 

「いえ。クラスメイトが増えるのは嬉しいですから」

 

 三人は優しい笑みを浮かべた。

本当の笑顔による、本当の平和がこの場所にはあった。

 

「そういえば、ちょっと遅いけどケイにプレゼントがあるの、ちょっと待ってて」

 

 そう言ってホルミーは部屋へ入り、すぐに戻ってきた。

その手には紙で出来た薄く小さな箱があった。

 

「はいこれ、誕生日プレゼント」

 

 薄い箱を開く。

ケイが雑貨店で物欲しそうに見ていた貝殻のネックレスが納められていた。

 

「バルトさんから聞いたよ、それ、凄く欲しそうに見てたって。三万エンもしたからちょっとケイには高いかなって思ったけど、学校に行ったご褒美ってことで」

 

 ケイは貝殻のネックレスを首にかけた。

銀のように磨かれた貝殻に、宝石のように透き通った貝殻が、丈夫な紐に飾られていた。

 

「に、似合うかな」

 

 二人はうんうんと頷く。

それはお世辞などではなく、本気の気持ちだった。

 

「じゃあベリリちゃんには、代わりに新作のパンをプレゼントしてあげよっかな」

 

「え、いいんですか?」

 

「うん! いっぱい食べて!」

 

 お世辞にも広いとは言えないパン屋。

そこには、様々な困難にぶつかりつつも、最後には笑顔になれた三人がいた。

魔獣族や、人間族なんてものは些細な問題でしかない。

そんなものは、けっきょくは種族が違うだけだ。

 

「久しぶり」

 

「あ、バルトさん!」

 

 笑顔で溢れるパン屋にバルトがやってきた。

三人でバルトの腕を掴んで、笑顔に仲間入りさせる。

シナモンパンにホットドッグ。

クロワッサンにカレーパン。

多種多彩なパンたちが、笑顔をさらに豊かなものにした。

 

 ――しかし、人間族の魔獣族に対する差別は終わらない。

人間族にとって魔獣族は悪であり、存在してはいけない存在である。

バルトたちには小さなことかもしれないが、この世界の大半はそう思っていない。

そう、セレンのように魔獣族に恨みを抱くものもいる。

 

 学校でも、魔獣族を悪く言う声は当たり前のように飛び交っている。

もし、バルトたちがハーフだと知られれば、きっと石を投げられるだろう。

 

 ここは、そういう世界なのだ。

 

 それでも幸せは、ここにある。

 

 魔獣記 ミスティ・ミラージュ ファントム 完