日々を駆け巡るoyayubiSANのブログ

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目が腐る小ネタと4コママンガを土日。ゲーム実況を月火。小説を水曜に更新!

小説:双肩銃ミスティ・ミラージュ マナビヤ特攻人(前編)62200文字

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――令和四十年

 

 エフェソス国が所有する巨大浮遊戦艦ペルセポリスは、高度数千メートル上空を移動していた。

だが楽しい空の旅とはいかず、平和な時は脆くも砕かれた。

 

 敵国の名はシュトゥルーヴェ。

全身武装の兵士数人が、爆弾でハッチをこじ開け土足で侵入したのだ。

警報が鳴り響き、エフェソス国の船員たちは銃を手に取り撃退を図る。

 

 兵士か、非兵士かなど無関係に、シュトゥルーヴェ兵たちは船員たちを銃で撃ち抜いてゆく。

たったの数グラムの弾丸で命の灯が消えてゆき、容赦なく内部は破壊されていった。

 

メリダとセラードを殺せ! 姫を殺せば勝ちだ!」

 

 シュトゥルーヴェ兵たちは船内を破壊しながら、向かって来る船員たちを打ち倒してゆく。

たったの四人しかいない部隊だが、彼らにとっては十分だった。

目的は、メリダとセラードの二人の姫を殺害し、ペルセポリスを内部から破壊し墜落させること。

 

 メリダは十七、セラードはたったの十歳だが、重要なのは年齢よりも姫という立場にある。

 

 国を潰すのならばまずはトップから、作戦としては常套手段だ。

 

 通路を重い隔壁で封鎖しても、シュトゥルーヴェ兵の爆弾によりあっけなく突破されてしまい、もうエフェソス側には打つ手がない。

 

 ――シュトゥルーヴェ兵の一人が、手をつないで逃げるメリダとセラードを発見した。

 

「いたぞぉ!」

 

 シュトゥルーヴェ兵たちの銃口が一斉に、走るメリダたちの背中に向く。

そして警告もなく、引き金に力が込められる。

 

 冷たい弾丸が放たれた。

セラードの小さな背中にねじ込まれ、十年という短い生涯を終えた。

 

 倒れたセラードと繋いだ手はメリダから離れ、糸の切れた人形のようにその場にくずおれる。

 

 だが絶望に叩き落とされて諦めるメリダではない。

一か八か、メリダはその弾丸で撃たれたと見せかけるためセラードと一緒に倒れた。

動けない、戦えない、逃げるのも叶わない。

ただ冷たい床に倒れ、息を殺してじっと祈るしかない。

 

 ――生死の確認のため、シュトゥルーヴェ兵の一人が接近する。

 

 一歩――二歩――。

シュトゥルーヴェ兵の足音が近づく。

足音が死へのカウントダウンになる。

どうすればいいのか――。

妹のセラードを失い絶望的な状況に叩き込まれたメリダは、なぜ姫になど産まれてしまったのか――運命を呪い、時代を呪った。

 

 ここを切り抜けさえすれば、ある方法でセラードを助けることができるのに――。

 

 

―一日目 昼―

 

 

 シュトゥルーヴェ兵たちが攻め込む数分前――。

 

 巨大浮遊戦艦ペルセポリスの内部に私はいた。

 

 散髪を忘れた黒髪は肩まで伸び、少しでも洒落っ気を出したくてクリーム色のキャスケットを被り桃色のスカーフを首に巻いている。

味気ない群青色の軍服のせいで、派手さと地味さの両立ができていないのが悔しい。

 

 私はメリダ・エーランド。

まだ十七そこそこの未熟者で、十歳の輝かしい妹がいる。

権力や血筋などという面倒なものさえ取っ払ってくれればいたって普通の女であり姉であった。

 

 半円状の指令室。

周囲を囲むモニター類とコンソール。

それを叩く船員たち。

難しいことはよく分からないけど、大きな窓に囲まれたこの部屋から見る青空は気持ちがいいものだ。

 

メリダ様、どうされましたかな?」

 

 艦長のフレーザーさんが、外を眺めてぼうっとした私を見た。

長い髭を蓄えた、頼りになる艦長だ。

私はそれに対してそれとなく返事をし、また窓から外を眺める。

 

 ここは雲とほぼ同じ高さの高度数千メートル。

いくら外を眺めていても流れる景色は一緒で、一瞬で消え去ってゆく。

 

 でも、これが一番落ち着く。

船は風を切り、古くから交友関係にあるシュトゥルーヴェ国へ進んでいた。

エフェソス国で採取できる金属、アミスカメタルを分け与える代わりに、シュトゥルーヴェ大陸の十六分の一を貰う交渉のためだ。

 

 シュトゥルーヴェは国一つだけで大陸を占める大国であり、太平洋のど真ん中に鎮座している。

十六分の一でも土地を貰えれば、そこにエフェソスの兵器保管庫と軍事施設を建て、距離の離れたシュトゥルーヴェからでも臨戦態勢に入れるようになる。

 

もし交渉が成立すれば、シュトゥルーヴェに攻め入る輩にも対応できるし、入手した情報も共有しやすくなる。

 

 アミスカメタルは加工も容易で丈夫で兵器にも使える、エフェソスでしか採取できない貴重な金属。

でもエフェソスだけで使うよりは他国との交渉材料に使うほうが理にかなっている。

 

 シュトゥルーヴェまでは船で二時間はかかるから、本当なら電話で済ませたかったけど、大事な話だからと直接来るように言われてしまった。

正直、面倒だった。

ペルセポリスなんて大きな船を使わなくてもよかったのに“メリダ様のため”と、武装した兵士まで用意させている。

 

 姫なんて立場でなければ、セラードと軽く観光できたのに。

シュトゥルーヴェはその国の広さもあって貿易や商業が盛んだと聞く。

世界中の名物も取り寄せているらしい。

 

「私、ちょっとセラードの様子を見てきます」

 

 なんとなく妹のセラードのことが気になり、私は娯楽室へ向かうことにした。

何もない空を眺めてばかりいるのにもそろそろ飽きてきたし、到着まではまだまだ時間はある。

 

 指令室の銀色の扉を開き、私はまたもや銀色の通路へ出た。

私も十七の女子だ。

男の子が喜びそうな無骨な船よりも、カボチャの馬車にでも乗って海を渡れればどんなに楽しいことか。

 

 下らない妄想を振り払い、エレベーターに乗る。

 

二階のボタンを押し、娯楽室を目指す。

 

このペルセポリスは四階まである。

いちおう階段もあるけれど、今は運動の気分でもない。

 

 一階は武器などを保管する格納庫になっているけど、今は戦闘時でもないので武器の“ぶ”の字もないカラっぽだ。

でも心配性のフレーザーさんが一つだけ武器を入れておいたと言っていたけれど、おそらく使うこともないだろうし、どんな武器なのかも知らない。

 

 格納庫に武器はないけれど、船員たちはそれぞれが非常時のために小型の銃を携帯していて、私もあまり得意ではないけれど、腰のホルスターには銃が納められている。

 

 二階は娯楽室を含めた娯楽エリア。

他にもバーやジムなど、大人の男性なら好みそうな部屋ばかりある。

私は筋トレもしないし、お酒も飲めないから意味がない。

 

 三階は船員たちの自室があるエリア。

ここは行くことがないから、まぁいい。

 

 ふとポケットからスマートフォンを取り出した。

なんの意味もなく、ただなんとなく。

 

 ――ホーム画面、ほとんど使わないアプリたちが並んでいる中、一つだけ見知らぬアプリが追加されていることに気づいた。

 

 ミスティミラージュ・オンライン――真っ白なアイコンの下にはそんな名前が書かれていた。

 

 おそらく、ただのゲームだろう。

普段からスマホなんて仕事以外では使わないから、気づかないうちにインストールされていたのだろう。

ゲームならセラードにでもやらせてあげよう。

 

 気の抜けたベルが鳴ってエレベーターの扉が開き、二階の通路へ踏み出した。

 

 ペルセポリスはうんざりするほど広い。

一つのフロアだけでも旅客機くらい二機は押し込めるほどで、部屋の数はさほど多くないのに無駄に通路が長くて嫌になる。

エレベーターのすぐ横に階段。

右に曲がって突き当りを左に折れれば娯楽室。

廊下の左右にも部屋がある。

 

 道すがら、私はさっきのアプリをもう一度だけ確認した。

ゲームだとすると、アイコンが白いのは妙だ。

普通なら何かのキャラクターが描かれているものだけど、もしかしてバグなのかな? ゲームのことはよく分からないけど、なぜだか消すのも惜しい気がして残すことにした。

 

 娯楽室の手前、私がその自動ドアに触れようとした直後、不意にドアは開かれた。

 

 驚いて情けない声を出してしまい、出てきた人物に鼻で笑われてしまった。

 

「大丈夫か、メリダ嬢」

 

「アルコ、いきなり出てこないでよ」

 

 私よりは一回りは年上の、薄い髭の男。

彼の名はアルコ・バッサー。

昔からよく私やセラードの遊び相手をしてくれた叔父のような存在だ。

娯楽室から出てきたことを考えると、今もセラードの相手をしてくれていたのだろうか。

 

「いきなりもなにも、自動ドアなんだからしょうがないでしょ。それとも、犬だと思ったか?」

 

 ――痛いところを突かれてしまった。

私は動物全般が好きなのに、犬だけは苦手だった。

よく覚えていないけど、幼いときに噛まれてしまった記憶があり、今でも犬嫌いは克服できない。

 

 対するセラードは犬を含めた動物全般が好きで、大きい犬に乗るのがちょっとした夢だとも語っていた。

私は大きいのも小さいのも苦手だから少し羨ましい。

 

「ごめんよメリダ嬢、ジョークだ」

 

「……まぁいいけど。それより、これからどこに?」

 

「あ? トイレだよトイレ。セラード嬢と遊ぶのは楽しいけど疲れるな」

 

 アルコは私の横を通り過ぎ、角を曲がって消えてしまった。

 

 私が姫という立場とはいえ、メリダ嬢という呼び方には抵抗がある。

まだ子ども扱いをされている気がして気分が悪い。

 

 ため息で気分を誤魔化し、娯楽室へ足を踏み入れた。

大きなビリヤード台が中央に鎮座し、壁際にはスロットマシンや多種多彩な本棚がある。

ガラスの冷蔵庫には炭酸飲料があるけど、正直あまり好みではない。

 

 ビリヤード台の横、ちょっと大きめのイスにセラードは座っていた。

バタバタと足を揺らしながら、ミリタリーもののマンガを読んでいる。

 

「あ、姉様」

 

 メリダは私に気づき、太陽のような笑顔を向けた。

小さな身体。サイズは合っているのに袖の広いコートを着て、厚いズボンの上に大きなスカートという変わった服装。

でもセラードはこれが落ち着くらしく止めるつもりもない。

私のマネをしているのか同じく黒のロングヘアーで、桃色のスカーフが目立つ。

 

「姉様、そのキャスケット、やっぱり素敵ですね」

 

 群青色の軍服に反発するようにキャスケットを被っているけれども、思った以上にセラードからの評価は高い。

けど、まだセラードの小さな頭にはサイズが合わないし、被ったら顔まですっぽり隠れてしまうだろう。

 

「セラードがもう少し大きくなったら、お揃いの物でも買おうか」

 

「いいんですか!?」

 

 私はメリダの隣に立ち、イスの背に肘を置いた。

 

「そのマンガ、なんてタイトルだっけ?」

 

「ウォータートン・グレイシャー作、ヘッドスマッシュ&イン・バッファロージャンプってタイトルです。ちなみにお値段は六百エンです」

 

「な、長い名前だけど、わざわざ作者の名前や値段まで説明しなくてもよかったのに」

 

「これに登場するゴロンゴロンとカパックニャンというキャラクターがとても愛らしいのです。姉様もお読みになりますか?」

 

「ううん、私はいいや。それより、どういうお話なの?」

 

「前線で命を張る王子が戦闘機に乗って、国の領土奪還のために戦うお話です。一般人の女性がその王子に恋心を抱くのですが、身分の違いでうまくいかない、というミリタリーものとトレンディを併せ持つ傑作です」

 

「そ、そうなんだ」

 

 まさかそんな大人っぽい作品を読んでいたとは。

ちゃんと内容を理解できているのかな。

 

「ところで姉様、どんな御用ですか?」

 

「セラードの様子を見に来ただけ。元気そうならそれでいいよ」

 

 アルコも一緒にいるし心配はなさそう。

アルコはちょっと気が抜けたところはあるけど、信頼もしているし頼りにはなる。

きっと私にはついていけないマンガの話題も大丈夫だろうし。

 

 私は娯楽室を出るため、セラードに背を向けて自動ドアの前まで進んだ。

でも自動ドアが開く距離に到達する前に、セラードの言葉によってその足は止まった。

 

「待ってください姉様」

 

 振り返ると、マンガを閉じたセラードが真剣な眼差しで私を見ていた。

 

 真剣――というより、何か恐怖を感じているようにも見える。

 

「……誰かに、見られていませんか?」

 

 どこを見ても人などいない。

しかし、視線となりそうなものならあった。

天井の端、監視カメラがじっとこちらを見つめている。

ペルセポリスはトイレやバスルーム以外の全部屋に監視カメラが設置されている。

もちろん娯楽室も例外ではなく、二十四時間の監視体制だ。

 

「あー、監視カメラだよ。あれが視線の正体じゃない?」

 

 それでも満足せず、セラードは怯えたような表情になる。

 

「そうではありません。紛れもなくどこからか人が見ています」

 

 そう言われても、通気口もなければ、壁に穴などもない。

 

「セラード、疲れてない?」

 

「はい? 私は大丈夫です」

 

「そう……じゃあ私は指令室に戻るから、何かあったら呼んで」

 

 セラードとアルコは仲良くやっている。

せっかくの楽しい雰囲気を壊すわけにもいかないし、セラードの様子を確認できたなら、私はそれで満足だった。

 

 今度こそ背を向けて自動ドアに向かおうとしたとき、また私は歩みを止めた。

トイレから戻ったアルコが入って来たからだ。

 

「よぉメリダ嬢、もしかして指令室に戻るのか?」

 

「そうだけど、いいかげんにその嬢って呼び方、子供っぽいからやめてほしいんだけど」

 

「やめろって言われてもお嬢はお嬢だ。俺にとっちゃメリダ嬢もセラード嬢も子供さ」

 

 私はつい頬を膨らませる。

おそらく、私が死んでもその呼び方はやめてくれないだろう。

 

「じゃあアルコ、セラードのことは任せるから」

 

「はいはい。……あ、それはいいけどよ、ちょっと待ってくれ」

 

「今度はなに?」

 

メリダ嬢のスマホ、変なアプリ入ってないか?」

 

 ミスティミラージュ・オンライン、という真っ白なアプリのことだろう。

 

「あるけど、ゲームには疎いから起動すらしてない」

 

「そうか。俺は携帯ゲームには興味なくてね、でも気になってネットで調べてみたんだ。このゲーム、怪しいと思ったけどすげぇゲームだ」

 

「アイコンが白いのはどうして?」

 

私はアルコの言う“すげぇ”の部分には興味なかった。

 

「さぁ。そういうデザインなだけだろ。まぁいらないなら消してもいいんじゃないか?」

 

「うん。そうする」

 

 と言っても、害がないのなら消すのすら億劫ではある。

もしセラードもこのゲームを始めようなら、私もやっておかなくちゃいけない気がするし、残しておいたほうがいいかも。

 

「アルコ、もしよかったらセラードと一緒にゲームしてあげて」

 

「あ? メリダ嬢が一緒にやればいいでしょ」

 

「私は……ゲームには疎いから。アルコの方が得意でしょ、そういうの」

 

「分かったよ」

 

 そこで話は終わり、私は通路に出た。

セラードには指令室に向かうと言ったけど、実は違う。本当は、エフェソスで研究されているある物を確認するためだ。

 

 この娯楽室から壁を挟んで反対側、私や艦長のフレーザーさんやアルコなど一部のみが入室できる特殊な部屋。

カードキーと網膜認証と指紋認証、声紋認証に合言葉がなければ開かない厄介な部屋だ。

他の部屋に比べて扉は頑丈で、よほどの爆弾でなければ破壊は不可能。

その存在すらほとんどの人間は知らずほぼ極秘である。

なぜそんな重要な部屋がこの船の、しかも娯楽室と同じ階にあるのか? 

それは海底のポストや砂漠の湖のように意外性をつくためらしい。

もしも存在そのものが外部に漏れても、見つけるのはそう容易ではないかもしれない。

 

 ――私は長い通路を抜け、扉の前に立った。

 

メリダ様、どうかされましたか?」

 

 扉の前には銃を所持した体格のいい二人の男性がいた。

どちらも中年男性ながらも柔らかい笑顔を浮かべている。

右が最近子供が産まれたルート・ヘンダーソン

左は病弱な妹のために働くラウマ・パースだ。

 

 二人とも子供の頃からの長い付き合いで、たまにセラードの面倒も見てくれる。

 

「ちょっと中を確認するだけ。ルート、お子さんは元気?」

 

「はい。そりゃもう可愛いもんですよ」

 

 ルートは胸ポケットから子供の写真を取り出した。

まだ産まれたばかりの幼い笑顔が小さな写真いっぱいに広がっている。

隣には私と同じくらいの姉もいる。

 

「ルート、軍人が子供の写真を取り出すのはよくないよ」

 

 戦いが終わった後に結婚すると宣言して戦場に向かえば、間違いなく生きては帰ってこない。

 

 そういうジンクスのようなものは昔からある。

 

「あ、なるほど、勉強不足でありましたね!」

 

 意味を察したのかどうなのか、ルートは大きく口を開けてガハハと笑う。

 

「ラウマ、病気の妹さんは?」

 

「ここ最近は特に問題ありませんよ。よく笑うようになりました。まぁ手話は難しかったですけど、五年もあればさすがに覚えられます」

 

「……そっか、良かった」

 

「俺たちの心配なんていいですから、メリダ様はご自身のことだけを考えていればいいですよ」

 

 でも、自由に遊べないとなると、なるべく平和な話をしたくもなる。

 

 私はカードキーをポケットから取り出し、扉の横のカードリーダーに滑らせる。

安っぽい電子音が鳴り、扉は開いた。

でもまだこれは一枚目でしかない。

次の扉で網膜認証と指紋認証――扉が開く。

次の扉で声紋認証と同時に合言葉を言わなければならない。

 

メリダ・エーランドの楽しい一日」

 

 なんて恥ずかしい合言葉か。

でもこれはフレーザーさんが考えた合言葉で、これも敵に気づかれにくいという理由かららしい。

でももう少し真面目なものにしてほしかった。

 

 中は、テニスコートほどの広さの四角い部屋、中央には黒い鉄の台があり、その上には小さなガラスケースがある。

防弾ガラスであり、戦車で踏みつぶしても壊れないらしい。

 

 中に入っているのは指輪――の宝石の部分のみで、リングはない。

それに真っ白で透き通っているダイヤのような宝石だけど、厳密にはダイヤではない。

 

 指に付ければ太さに応じて自動的にリングが出現するらしいけど、私は触れたこともない。

 

 指輪の名前はゴレスターン。

 

 この指輪には二つの機能がある。

まだ実験段階だから、実際に使用されたデータはないけれど、たしか聞いた話によるとこんな機能があったはず。

 

 一つ――ゴレスターンを付け、ミラージュ・コーティングの掛け声とともに拳を突き出すと、一瞬で全身をパワードスーツが覆うらしい。

常人の数十倍のパワーで活動ができるスグレモノ。

戦闘や救助になれば重宝すると思うけど、いったいこれは誰が使うんだろう。

 

 そして二つ――精神を死人に移し、死人に身体的な傷があればある程度は再生でき、蘇生することができる。

 

 たとえば――目の前でアルコが銃に撃たれ、体も精神も死んでしまったとする。

そしてこの指輪を使うと、私の精神はアルコに移り、アルコの体は再生される。

私の元の体は精神が抜け、空っぽの状態になる。

つまり自分の体を捨てて、その人の体だけでも助けたいならば重宝する、というものだ。

 

 きっと宗教に関係する人なら神への冒涜だなんだって騒ぐだろうし、精神の移動や蘇生なんてことが実現できると公(おおやけ)になれば、戦争が始まりかねない。

 

 私はゴレスターンのケースに異常がないかチェックし、また扉にロックをかけて通路に出た。

 

 そこでふと、セラードの言葉を思い出した。

誰かに見られている気がする、と怖がっていた。娯楽室はしっかり調べたけど、左右の部屋はなにも調べていない。

 

 シュトゥルーヴェまでの到着に二時間もかかる。

まだ出発してから一時間も経過していない。

幸いにも時間なら、ある。

 

 誰かが隠れている、なんてことはないと思うけど、いちおう見ておいたほうがいいのかな。

 

 また長い通路を進み、娯楽室の左隣の部屋の前までやってきた。

たしかここは使われていない部屋だったはず。

前に軽く見たことはあったけど、空き部屋だった記憶がある。

 

 腰のホルスターから銃を抜き、自動ドアのすぐ横に背を預け息を整える。

 

 もし撃ち合いにでもなったらどうしよう……念のためにアルコに見てもらおうか、とも考えたけど、セラードに余計な心配をさせてしまう。

 

「やっぱり私が行くしかないか……」

 

 わずかにドアに近づくと、ドアが開いて中の様子が見て取れた。

自動的に部屋の電気も点灯する。

そこから顔だけ覗き込み、警戒態勢を継続しつつ確認する。

 

 飾り気のない真っ白な部屋。

ダンボール箱の一つもなく、とうぜん人の影なんて微塵も見えない。

使う予定が消えた銃をホルスターに戻す。

 

「あっ」

 

 私は、落胆した直後に天井の端にある監視カメラを見つけて、恥ずかしさでいっぱいになった。

 

 これは、最悪だ。

今のうちに言い訳を考えておいてあとでしっかり説明しないと、ただの痛い女だと思われてしまう。

それはさすがに嫌だ。

 

 飽きるほどため息をつき、私は部屋を出ようとした。

何気なく、白い壁に目をやる。

白い壁の一部に軽く焦げたような跡があった。

マッチの火が当たったような、ほんの数センチの範囲だけが灰色になっている。

 

 誰かがここでマッチを使った? でもこんななにもない部屋で誰がマッチなんか使うの? まさか花火なんかをこんなところでやるわけないだろうし……。

 

 そこで私はピンと来た。

よく考えなくても分かることだったけど、監視カメラがバッチリ見ていることを忘れていた。あとで監視係にでも訊ねてみよう。

 

 とりあえずその場を保留にして部屋を出た。

なにもトラブルがなかったからよかったかな。

 

 でも娯楽室の隣の部屋はここだけじゃない。

反対側にも部屋はある。

たしかここと同じくなにもない部屋だった気がするけど、あまり入ったことはないから詳細不明だ。

 

 でも見ないわけにもいかない。

娯楽室を横切って、次の部屋の前に行く。

安心はできなくて、腰のホルスターから銃を抜いて息を整えながら構える。

 

 幽霊より、占いより、私は人が怖い。

 

獰猛な動物はうまいこと躾(しつけ)をすればある程度は手なずけることができる。

けど、人間は欲望に塗れたら手が付けられない。

 

 同じ動物なのに、同じように手足や頭を持っているのに、人間だけ発達しすぎたせいで面倒な生き物になってしまった。

いっそのこと、知恵や言葉などなければよかったのに。

 

 正義を語って市民を虐殺するような人間は、この歴史の中には何人もいる。

でもそんなものはクモの巣に引っかかったチョウを助けるようなもので、自己満足の正義にしかならない。

チョウを助けたつもりでも、クモは損をしている。

そんなものは正義でない、意味のないことだ。

どうして、人間は時代が進むごとに愚かになるんだろう――。

 

 自動ドアの前に立ってドアを開ける。

銃口を突き出しつつ部屋に入ると電気がついた。

さきほどの部屋と同じく、そこにはなにもない。

 

 が――。

 

 リリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ!

 

 突如、けたたましい警報が辺りを浸食した。

引き抜いた銃をそのままに廊下へ飛び出してすぐに娯楽室へ向かう。

 

「セラード!」

 

 怯えた様子のセラードが、珍しく真剣な顔をするアルコに抱き着いていた。

 

「アルコ! いったいなにがあったの!?」

 

「俺にも分からん!」

 

 その疑問に答えるように、ペルセポリス内に設置されているスピーカーから声が響いた。

 

武装した何者かがペルセポリスに侵入! 数は四! 侵入経路は一階のハッチ! 総員、直ちに戦闘体勢に入れ!』

 

 慌てた様子でそう叫ばれても、すぐに動くことができない。

姫とはいえ、軍人の一人とはいえ、私は人を撃つ痛みも撃たれる苦しみも知らない。

情けないことに、足が震えてしまって体も言うことが聞かない。

手も小刻みに振動し、指が引き金に定まらない。

 

メリダ嬢! メリダ嬢!」

 

 アルコがなにかを叫んでいる、なのに、耳には入ってこない。

敵――武装している――私は死ぬの? セラードは助けられる――? どうしよう、どうしよう、どうしよう――。

 

メリダ!」

 

「えっ!?」

 

メリダ、お前がしっかりしないで誰がセラードを守るんだ。慣れてない状況だからかもしれないけどな、お前がセラードを守るんだ」

 

「アルコは、どうするの……?」

 

「俺は敵を倒す。俺の予想だが、おそらく相手はシュトゥルーヴェの連中だろう」

 

「シュトゥルーヴェが? どうして?」

 

「たぶん十六分の一だろうと大陸を渡したくない反対派がいたんだろう。アミスカメタルよりもご自分の領土が大好きな連中がよ。おそらく狙いは、船の内部からの撃墜と大将の首」

 

「つまり、私とセラード……?」

 

 シュトゥルーヴェを含むほとんどの人物は、あの指輪、ゴレスターンについては知らないはず。

それなら、シュトゥルーヴェがゴレスターンを奪取しにきた可能性は低いと見える。

おのずと私たちが標的だという信憑性が増してしまうが……。

 

メリダ、銃は扱えるな?」

 

 射撃にも対人にもあまり自信はないけれど。

 

「セラードと一緒にここで隠れてろ。隙が出来たら一階の格納庫から逃げるんだ。そこに空の上からでも脱出できる武器がある」

 

「武器? なんのことを言っているの……?」

 

「説明している暇はない。とにかく格納庫にあるそれっぽいものだ」

 

「あ、アルコはどうするつもりなの?」

 

「さっきも言ったろ。敵を倒す」

 

「まさか、ゴレスターンを使って……?」

 

 ゴレスターンは常人を遥かに超えるパワードスーツを身に着けることができる。

銃程度ならば、四方から撃たれてもほとんどダメージはないだろう。

 

「いいや、ゴレスターンはまだ実験段階だ。実戦に使うには早すぎる」

 

「銃一丁だけで向かうの? いくらなんでも……」

 

「無茶か? でもこういう状況で無茶するのが大人の男の仕事なんだよ」

 

 アルコは私に引き留められないようにするためか、それ以上のことは口にせず娯楽室から飛び出していった。

 

 私の膝は小刻みに震え、それを押さえようと手で触れると、伝染したように腕まで震えだし、やがて頭の先まで伝わった。

目の前に涙目のセラードがいるのに、私は全身の震えを抑えるのに必死になる。

生き残るためにはなにをすればいいのか、セラードを守り抜けるのか――。

 そんな、迷っている暇はない。

「セラード、よく聞いて」

 私はセラードの小さな肩を掴んで目を見据えた。

「私はこれからやるべきことがあるから、しばらくセラードは一人になる」

「い、嫌です、私一人など……」

 涙が溢れるセラードの目を見据えるうち、気づけば私の頬にも涙がつたっていた。

「セラードはイスの後ろに隠れていて」

「あ、姉様はどうするのですか?」

「娯楽室と反対側の部屋に行って、あるものを回収しなくちゃいけない」

 セラードを最優先にしなくちゃいけないけど、万が一に私も戦えるようゴレスターンは必要だ。まだ研究段階かもしれないけど、私にも扱えるはず。

 いっそのことセラードも連れて行って、ゴレスターンの部屋で息をひそめることも考えた。

あそこなら厳重なロックがあるし、扉そのものも頑丈だ。

でも、セラードを通路に出すわけにもいかない。

 

「もし私が戻ってこなかったら、セラードは一階の格納庫に向かって外に逃げて」

 

 アルコの言っていた脱出できる武器というのは、なんとなく見当がついた。

おそらく、アミスカメタルを用いた手動操縦型起動兵器のことだろう。

確か正式名称はジーフ・メージッヒ。

でも呼びづらいから勝手にシルヴァンシャーなんて名前を付けたりしている。

 

 五メートルほどの身長。

足から火を噴射することでその巨体のホバリングを可能にし、ヘリコプターでも撃ち落とせるほどの威力を誇るバルカン砲を装備した兵器だ。

こんな空中ではあまり役に立たないけど、ホバリングで地上に降りるくらいなら不可能ではないだろう。

自動操縦機能もあるから、セラード一人でも――かなり危険だけど――大丈夫なはずだ。

 

私はアルコの言う“すげぇ”の部分には興味なかった。

 

「さぁ。そういうデザインなだけだろ。まぁいらないなら消してもいいんじゃないか?」

 

「うん。そうする」

 

 と言っても、害がないのなら消すのすら億劫ではある。

もしセラードもこのゲームを始めようなら、私もやっておかなくちゃいけない気がするし、残しておいたほうがいいかも。

 

「アルコ、もしよかったらセラードと一緒にゲームしてあげて」

 

「あ? メリダ嬢が一緒にやればいいでしょ」

 

「私は……ゲームには疎いから。アルコの方が得意でしょ、そういうの」

 

「分かったよ」

 

 そこで話は終わり、私は通路に出た。

セラードには指令室に向かうと言ったけど、実は違う。本当は、エフェソスで研究されているある物を確認するためだ。

 

 この娯楽室から壁を挟んで反対側、私や艦長のフレーザーさんやアルコなど一部のみが入室できる特殊な部屋。

カードキーと網膜認証と指紋認証、声紋認証に合言葉がなければ開かない厄介な部屋だ。

他の部屋に比べて扉は頑丈で、よほどの爆弾でなければ破壊は不可能。

その存在すらほとんどの人間は知らずほぼ極秘である。

なぜそんな重要な部屋がこの船の、しかも娯楽室と同じ階にあるのか? 

それは海底のポストや砂漠の湖のように意外性をつくためらしい。

もしも存在そのものが外部に漏れても、見つけるのはそう容易ではないかもしれない。

 

 ――私は長い通路を抜け、扉の前に立った。

 

メリダ様、どうかされましたか?」

 

 扉の前には銃を所持した体格のいい二人の男性がいた。

どちらも中年男性ながらも柔らかい笑顔を浮かべている。

右が最近子供が産まれたルート・ヘンダーソン

左は病弱な妹のために働くラウマ・パースだ。

 

 二人とも子供の頃からの長い付き合いで、たまにセラードの面倒も見てくれる。

 

「ちょっと中を確認するだけ。ルート、お子さんは元気?」

 

「はい。そりゃもう可愛いもんですよ」

 

 ルートは胸ポケットから子供の写真を取り出した。

まだ産まれたばかりの幼い笑顔が小さな写真いっぱいに広がっている。

隣には私と同じくらいの姉もいる。

 

「ルート、軍人が子供の写真を取り出すのはよくないよ」

 

 戦いが終わった後に結婚すると宣言して戦場に向かえば、間違いなく生きては帰ってこない。

 

 そういうジンクスのようなものは昔からある。

 

「あ、なるほど、勉強不足でありましたね!」

 

 意味を察したのかどうなのか、ルートは大きく口を開けてガハハと笑う。

 

「ラウマ、病気の妹さんは?」

 

「ここ最近は特に問題ありませんよ。よく笑うようになりました。まぁ手話は難しかったですけど、五年もあればさすがに覚えられます」

 

「……そっか、良かった」

 

「俺たちの心配なんていいですから、メリダ様はご自身のことだけを考えていればいいですよ」

 

 でも、自由に遊べないとなると、なるべく平和な話をしたくもなる。

 

 私はカードキーをポケットから取り出し、扉の横のカードリーダーに滑らせる。

安っぽい電子音が鳴り、扉は開いた。

でもまだこれは一枚目でしかない。

次の扉で網膜認証と指紋認証――扉が開く。

次の扉で声紋認証と同時に合言葉を言わなければならない。

 

メリダ・エーランドの楽しい一日」

 

 なんて恥ずかしい合言葉か。

でもこれはフレーザーさんが考えた合言葉で、これも敵に気づかれにくいという理由かららしい。

でももう少し真面目なものにしてほしかった。

 

 中は、テニスコートほどの広さの四角い部屋、中央には黒い鉄の台があり、その上には小さなガラスケースがある。

防弾ガラスであり、戦車で踏みつぶしても壊れないらしい。

 

 中に入っているのは指輪――の宝石の部分のみで、リングはない。

それに真っ白で透き通っているダイヤのような宝石だけど、厳密にはダイヤではない。

 

 指に付ければ太さに応じて自動的にリングが出現するらしいけど、私は触れたこともない。

 

 指輪の名前はゴレスターン。

 

 この指輪には二つの機能がある。

まだ実験段階だから実際に使用されたデータはないけれど、たしか聞いた話によるとこんな機能があったはず。

 

 一つ――ゴレスターンを付け、ミラージュ・コーティングの掛け声とともに拳を突き出すと、一瞬で全身をパワードスーツが覆うらしい。

常人の数十倍のパワーで活動ができる。

戦闘や救助になれば重宝すると思うけど、いったいこれは誰が使うんだろう。

 

 そして二つ――精神を死人に移し、死人に身体的な傷があればある程度は再生でき、蘇生することができる。

 

 たとえば――目の前でアルコが銃に撃たれ、体も精神も死んでしまったとする。

そしてこの指輪を使うと、私の精神はアルコに移り、アルコの体は再生される。

私の元の体は精神が抜け、空っぽの状態になる。

つまり自分の体を捨てて、その人の体だけでも助けたいならば重宝する、というものだ。

 

 きっと宗教に関係する人なら神への冒涜だなんだって騒ぐだろうし、精神の移動や蘇生なんてことが実現できると公(おおやけ)になれば、戦争が始まりかねない。

 

 私はゴレスターンのケースに異常がないかチェックし、また扉にロックをかけて通路に出た。

 

 そこでふと、セラードの言葉を思い出した。

誰かに見られている気がする、と怖がっていた。娯楽室はしっかり調べたけど、左右の部屋はなにも調べていない。

 

 シュトゥルーヴェまでの到着に二時間もかかる。

まだ出発してから一時間も経過していない。

幸いにも時間なら、ある。

 

 誰かが隠れている、なんてことはないと思うけど、いちおう見ておいたほうがいいのかな。

 

 また長い通路を進み、娯楽室の左隣の部屋の前までやってきた。

たしかここは使われていない部屋だったはず。

前に軽く見たことはあったけど、空き部屋だった記憶がある。

 

 腰のホルスターから銃を抜き、自動ドアのすぐ横に背を預け息を整える。

 

 もし撃ち合いにでもなったらどうしよう……念のためにアルコに見てもらおうか、とも考えたけど、セラードに余計な心配をさせてしまう。

 

「やっぱり私が行くしかないか……」

 

 わずかにドアに近づくと、ドアが開いて中の様子が見て取れた。

自動的に部屋の電気も点灯する。

そこから顔だけ覗き込み、警戒態勢を継続しつつ確認する。

 

 飾り気のない真っ白な部屋。

ダンボール箱の一つもなく、とうぜん人の影なんて微塵も見えない。

使う予定が消えた銃をホルスターに戻す。

 

「あっ」

 

 私は、落胆した直後に天井の端にある監視カメラを見つけて、恥ずかしさでいっぱいになった。

 

 これは、最悪だ。

今のうちに言い訳を考えておいてあとでしっかり説明しないと、ただの痛い女だと思われてしまう。

それはさすがに嫌だ。

 

 飽きるほどため息をつき、私は部屋を出ようとした。

何気なく、白い壁に目をやる。

白い壁の一部に軽く焦げたような跡があった。

マッチの火が当たったような、ほんの数センチの範囲だけが灰色になっている。

 

 誰かがここでマッチを使った? でもこんななにもない部屋で誰がマッチなんか使うの? まさか花火なんかをこんなところでやるわけないだろうし……。

 

 そこで私はピンと来た。

よく考えなくても分かることだったけど、監視カメラがバッチリ見ていることを忘れていた。あとで監視係にでも訊ねてみよう。

 

 とりあえずその場を保留にして部屋を出た。

なにもトラブルがなかったからよかったかな。

 

 でも娯楽室の隣の部屋はここだけじゃない。

反対側にも部屋はある。

たしかここと同じくなにもない部屋だった気がするけど、あまり入ったことはないから詳細不明だ。

 

 でも見ないわけにもいかない。

娯楽室を横切って、次の部屋の前に行く。

安心はできなくて、腰のホルスターから銃を抜いて息を整えながら構える。

 

 幽霊より、占いより、私は人が怖い。

 

獰猛な動物はうまいこと躾(しつけ)をすればある程度は手なずけることができる。

けど、人間は欲望に塗れたら手が付けられない。

 

 同じ動物なのに、同じように手足や頭を持っているのに、人間だけ発達しすぎたせいで面倒な生き物になってしまった。

いっそのこと、知恵や言葉などなければよかったのに。

 

 正義を語って市民を虐殺するような人間は、この歴史の中には何人もいる。

でもそんなものはクモの巣に引っかかったチョウを助けるようなもので、自己満足の正義にしかならない。

チョウを助けたつもりでも、クモは損をしている。

そんなものは正義でない、意味のないことだ。

どうして、人間は時代が進むごとに愚かになるんだろう――。

 

 自動ドアの前に立ってドアを開ける。

銃口を突き出しつつ部屋に入ると電気がついた。

さきほどの部屋と同じく、そこにはなにもない。

 

 が――。

 

 リリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ!

 

 突如、けたたましい警報が辺りを浸食した。

引き抜いた銃をそのままに廊下へ飛び出してすぐに娯楽室へ向かう。

 

「セラード!」

 

 怯えた様子のセラードが、珍しく真剣な顔をするアルコに抱き着いていた。

 

「アルコ! いったいなにがあったの!?」

 

「俺にも分からん!」

 

 その疑問に答えるように、ペルセポリス内に設置されているスピーカーから声が響いた。

 

武装した何者かがペルセポリスに侵入! 数は四! 侵入経路は一階のハッチ! 総員、直ちに戦闘体勢に入れ!』

 

 慌てた様子でそう叫ばれても、すぐに動くことができない。

姫とはいえ、軍人の一人とはいえ、私は人を撃つ痛みも撃たれる苦しみも知らない。

情けないことに、足が震えてしまって体も言うことが聞かない。

手も小刻みに振動し、指が引き金に定まらない。

 

メリダ嬢! メリダ嬢!」

 

 アルコがなにかを叫んでいる、なのに、耳には入ってこない。

敵――武装している――私は死ぬの? セラードは助けられる――? どうしよう、どうしよう、どうしよう――。

 

メリダ!」

 

「えっ!?」

 

メリダ、お前がしっかりしないで誰がセラードを守るんだ。慣れてない状況だからかもしれないけどな、お前がセラードを守るんだ」

 

「アルコは、どうするの……?」

 

「俺は敵を倒す。俺の予想だが、おそらく相手はシュトゥルーヴェの連中だろう」

 

「シュトゥルーヴェが? どうして?」

 

「たぶん十六分の一だろうと大陸を渡したくない反対派がいたんだろう。アミスカメタルよりもご自分の領土が大好きな連中がよ。おそらく狙いは、船の内部からの撃墜と大将の首」

 

「つまり、私とセラード……?」

 

 シュトゥルーヴェを含むほとんどの人物は、あの指輪、ゴレスターンについては知らないはず。

それなら、シュトゥルーヴェがゴレスターンを奪取しにきた可能性は低いと見える。

おのずと私たちが標的だという信憑性が増してしまうが……。

 

メリダ、銃は扱えるな?」

 

 射撃にも対人にもあまり自信はないけれど。

 

「セラードと一緒にここで隠れてろ。隙が出来たら一階の格納庫から逃げるんだ。そこに空の上からでも脱出できる武器がある」

 

「武器? なんのことを言っているの……?」

 

「説明している暇はない。とにかく格納庫にあるそれっぽいものだ」

 

「あ、アルコはどうするつもりなの?」

 

「さっきも言ったろ。敵を倒す」

 

「まさか、ゴレスターンを使って……?」

 

 ゴレスターンは常人を遥かに超えるパワードスーツを身に着けることができる。

銃程度ならば、四方から撃たれてもほとんどダメージはないだろう。

 

「いいや、ゴレスターンはまだ実験段階だ。実戦に使うには早すぎる」

 

「銃一丁だけで向かうの? いくらなんでも……」

 

「無茶か? でもこういう状況で無茶するのが大人の男の仕事なんだよ」

 

 アルコは私に引き留められないようにするためか、それ以上のことは口にせず娯楽室から飛び出していった。

 

 私の膝は小刻みに震え、それを押さえようと手で触れると、伝染したように腕まで震えだし、やがて頭の先まで伝わった。

目の前に涙目のセラードがいるのに、私は全身の震えを抑えるのに必死になる。

生き残るためにはなにをすればいいのか、セラードを守り抜けるのか――。

 そんな、迷っている暇はない。

「セラード、よく聞いて」

 私はセラードの小さな肩を掴んで目を見据えた。

「私はこれからやるべきことがあるから、しばらくセラードは一人になる」

「い、嫌です、私一人など……」

 涙が溢れるセラードの目を見据えるうち、気づけば私の頬にも涙がつたっていた。

「セラードはイスの後ろに隠れていて」

「あ、姉様はどうするのですか?」

「娯楽室と反対側の部屋に行って、あるものを回収しなくちゃいけない」

 セラードを最優先にしなくちゃいけないけど、万が一に私も戦えるようゴレスターンは必要だ。まだ研究段階かもしれないけど、私にも扱えるはず。

 いっそのことセラードも連れて行って、ゴレスターンの部屋で息をひそめることも考えた。

あそこなら厳重なロックがあるし、扉そのものも頑丈だ。

でも、セラードを通路に出すわけにもいかない。

 

「もし私が戻ってこなかったら、セラードは一階の格納庫に向かって外に逃げて」

 

 アルコの言っていた脱出できる武器というのは、なんとなく見当がついた。

おそらく、アミスカメタルを用いた手動操縦型起動兵器のことだろう。

確か正式名称はジーフ・メージッヒ。

でも呼びづらいから勝手にシルヴァンシャーなんて名前を付けたりしている。

 

 五メートルほどの身長。

足から火を噴射することでその巨体のホバリングを可能にし、ヘリコプターでも撃ち落とせるほどの威力を誇るバルカン砲を装備した兵器だ。

こんな空中ではあまり役に立たないけど、ホバリングで地上に降りるくらいなら不可能ではないだろう。

自動操縦機能もあるから、セラード一人でも――かなり危険だけど――大丈夫なはずだ。

 

「おいビブロス、なにやってる?」

 

 こっちも男の声。

最初のビブロスという男よりも少し若い雰囲気の声だ。

 

「見てくれよバールベック、一発で二人とも仕留めたぜ」

 

「そうか、凄い凄い」

 

 二人目のバールベックという男は一人目のビブロスという男と違って冷静だ。

というより、冷酷という言葉のほうが合う気もする。

 

 死んだふりで目を瞑っているから、どんな姿かは詳しく分からない。

 

「しかもこの女、けっこう可愛いぜ。こっちの小さいガキもあと五年くらいでイイ女になる。ここで殺しとくのはもったいなかったなぁ」

 

「下らん。さっさと行くぞ」

 

「待ってくれよ。この女、高そうなダイヤの指輪をつけてやがる」

 

「アンジャルとティールも待ってる。遅れるならお前も船と一緒に落としてやろうか?」

 

「おいおい勘弁してくれよ~」

 

 二人の男は背を向けて歩き出した。

薄目を開けて完全にその場から去るのを確認する。

一人は小太りの男で、もう一人は細身で身長が高く手には刀のような武器を握っている。

 

 ようやく緊張から解放され、私はめいっぱいに酸素を取り込んだ。

しかし落ち着くことはない。

背けたい現実が、絶望となって目の前に広がっている。

 

 セラードの小さな背中には豆粒ほどの穴が空き、そこからじんわりと真っ赤な血が染み出ていた。

命が噴き出し、温度が失われてゆく。

 

 さっきまで繋いでいた手、そこには確かに温もりがあったのに――。

 

 苦痛にもがくことはなく、言い換えれば苦痛にもがく暇もなく、セラードは死んだ。

肩を掴んで揺さぶっても、虫の息一つしていない。

 

「あ……あ……あ……あ……」

 

 どうして、私が撃たれなかったんだ。

どうして、私は生きているんだ。

誰か答えを教えて。

せめて、セラードの体だけでも綺麗にして、ちゃんと埋葬してやりたい。

 

 こんな硬い船の中で爆発する最期だなんて可哀そうだ。

 

 せめて、体だけでも――。

 

 せめて、体だけでも……?

 

 私はゴレスターンのもう一つの機能を思い出した。

死んだ人物に精神を移し、いくらか肉体を再生させる機能だ。

 

 まだ実験段階のゴレスターンにそんな芸当ができるのか、おそらく不可能だ。

ミラージュ・ゴレスターンだってすぐに解除されたし、精神を移すのに失敗すれば私の精神も死にかねない。

 

 でも、やるしかない。

ここまでピンチになれば、私も命くらい賭けてやる。

セラードの体だけでも助けられるのなら、私の体なんて――いらない。

 

 後で回収できるよう、指からゴレスターンを外して両手で強く握りしめた。

死人に精神を移す方法なんて知らない、けど、祈れば道は切り拓けるかもしれない。

 

 一度ミラージュ・ゴレスターンに変身して分かった。

ゴレスターンは装着者の精神に強く影響される。

きっと、精神を移したいと願えば応えてくれるはず――。

 

「うっ!」

 

 ――また大きな揺れがペルセポリスを襲った。

一時的に大きく傾き、

 

私とセラードは通路の壁に叩きつけられる。

受け身の取れないセラードは頭を強打し、赤く細い血の線が頬を伝った。

 

 さっきのビブロスとバールベックという敵たちが、本格的に爆弾で沈め始めたのだろう、奥からはどす黒い煙が侵入してくる。

 

「お願い……お願い……お願い……! 急いで……!」

 

 ――手の中から、急に強い光が放たれた。

部屋一つを照らせるほどの光。

眩しい。

 

 意識がかき乱され、脳が狂ったように動き回る。

脳に針でも刺されたような、心を鷲掴みにされて絞られているような、理解できない苦痛が襲う。

それでも意識の首根っこを引っ張って強引に耐えしのぐ。

こんなもの、セラードの痛みに比べれば大したことはない。

 

 ………………………………あれ……?

 

 視界を塞いでいたゴレスターンの眩い光は引っ込み、代わりに黒い煙が通路を染めていた。

 

 腕の中には、セラードが、いない。

 違う。

誰かが、私のことを抱きかかえている。

 

 若干、背中と頭がズキズキと痛む。

きっと通路に転がったときにぶつけたからだろう。

 

 目の前には、私がいた。

 

 目を瞑り、力を失くした私がそこに倒れていた。

奇妙なことに私は私に抱きしめられている。

 

 自分の手を見た。

いつもより少し小さい。

まさか、これは……?

 

「成功した……?」

 

 半信半疑ながらも、正解を教えてくれる人物もいなければ、答え合わせする猶予もない。

 

 私は私――メリダキャスケットを被り、銃とスマホと握りしめられていたゴレスターンをポケットにねじ込み、煙と逆方向に向かって全力疾走した。

キャスケットはまだセラードの頭には大きく、少し後ろに被っている。

 

 頭から流れた血を拭い、ただ走る。

その先はシルヴァンシャーを待機させてある格納庫だ。

 

 振り向くと、煙に包まれてメリダの姿は完全に隠れてしまった。

でももう未練はない。

この体さえあれば、なにも文句はない。

 

 いつもより身長が低くて痛みもあり動きづらい。

でも転ばぬよう足を動かし続けて格納庫に通じる扉の前にまで来た。

幸いなことに自動ドアじゃないから、ゴレスターンの出番はない。

 

 階段を駆け下りる。

目の前には体育館ほどの広い格納庫が広がっていた。

シルヴァンシャーを出すための大きなハッチがあり、その端に人間サイズの穴が開けられている。

おそらくシュトゥルーヴェの兵士たちはあそこを爆破して侵入したんだろう。

 

 左右には五メートルほどの高さの箱があった。

左右で四つずつあり、本格的な戦闘時ではないため、閉まっているのは一つだけだ。

 

 私は手前にある【J・M・1】と書かれた箱の前まで走り、パネルから箱の開閉スイッチを押した。

重い音を響かせながら箱が開き、やがて銀色の巨人が姿を現した。

 

 約五メートルの身長。

ソロバン玉のようなボディ。

人間とは逆向きに曲げられた長い足。

頭頂部のコクピットはガラス張りで大きな席が一つ。

ヘリでも撃ち落とせるほどのバルカン砲が腕の代わりに装備された兵器だ。

これで格納庫から飛び出せば、ホバリングで降りられるはず。

 

「よし……」

 

 

 シルヴァンシャーの背中から伸びるフック付きのワイヤーに足をかけると、メジャーのように上がっていった。

そこから頭頂部まで手を伸ばすと、ドーム型のガラスが開閉する。

コクピットに潜り込み、ガラスを閉じる。

 

 そこには飛行機のような細かい計器類などは一切なく、あるのはケーブルが繋がれた十個のリングのみ。

操作は全てこれで行うことになる。

 

 両手を前方に突き出すと、それぞれのリングが指に嵌ってゆきサイズも自動的に調節された。

コントロールリング。

操縦は十本の指のみで行う。

 

 するとシルヴァンシャーが起動。

計器類が淡く光り始めた。

操作方法はあやふやだけど……。

 

「動いて……お願い」

 

 久々のシルヴァンシャーの操縦方法を頭の奥底から引っ張り出し、手始めに右足を前進させた。

イメージ通り足が前に出た。

しかしその調子で左足を動かそうとした、そのとき――。

 

 格納庫の入り口から、煙で薄汚れてしまったアルコが姿を現した。

弾切れで捨てたのか、手には銃もない。

軽く足を引きずりながらも、シルヴァンシャーの姿に気づいて手を振った。

 

 指で操作すると、搭乗用のワイヤーが背中から降りた。

これで下にやってきたアルコもこっちに入れるはず。

背中まで上ったアルコのためにガラスを開いた。

 

「おい、大丈夫か!?」

 

 少し煙臭いアルコはそう言う。

 

「メ――あ、姉様は、その……」

 

 本当の報告をしたかった。

私の精神をゴレスターンでセラードに移し、そしてセラードは死んだ――そんなことは、口が裂けても言えない。

 

メリダは、もう無理なのは分かってる。セラードはどうなんだ?」

 

 その口調は冷静だった。

けど、私が死んだことに悲しみを帯びているような雰囲気があった。

 

「私は、その、大丈夫、です」

 

 確かセラードはアルコに敬語だったのを思い出した。

ここで気づかれたら、セラードが死んだことがバレてしまう。

それだけは避けたい。

 

「て、敵は? 敵はどうなったの、ですか?」

 

「分からねえ。

でも通路は煙が充満してるし、ペルセポリスは何カ所も爆破されている。落ちるのも時間の問題だ。

あいつらだってもう逃げる準備をしてると思う」

 

「じゃあ……脱出するしかないですね」

 

 艦長やルートとラウマは、きっと逃げているはず……。

 

「あぁそうだ。だが待てセラード。俺が操縦する」

 

 私が後ろに下がり、アルコが狭いコクピットに体をねじ込むと、リングが指に嵌っていった。

 

 席は大きいのが一つしかないため、アルコの背中に抱き着く形になって少し照れくさい。

けど、セラードの小さな体じゃなかったら厳しかったかもしれない。

 

 アルコは軽快にシルヴァンシャーを操縦し、特殊なコマンドを送って大きなハッチを開けた。

 

 地響きのような重々しい音をまき散らしながら鋼鉄のハッチが開き、景色は空へと変わる。

 

「準備はいいか? セラード」

 

「は、はい!」

 

 一歩前進すると、シルヴァンシャーは地を離れて真っ逆さまに落下した。

ただ落ちるだけではシルヴァンシャーは耐え切れず、ペチャンコに潰れてそのまま棺桶になるだろう。

もちろんそれくらいアルコも承知で、足から火が噴き出すブースターで速度を調節しながら降下する。

 

 真下にはエフェソスとシュトゥルーヴェの間に広がる海が見えた。

セラードの命を奪った敵国に上陸するわけにもいかないため、角度を調節してエフェソスまで戻るしかない。

 

 強力なブースターではないけれどギリギリ戻れる……はずだし、海に落ちても移動はできる。

 

陸海空に対応できるのが、シルヴァンシャーの魅力だ。

 

でもパラシュートはなく、ブースターだけの降下は心許ないけど、アルコの腕を信用しているから心配はない。

 

「とりあえずは、大丈夫だな」

 

 アルコはシルヴァンシャーを安定させた。

揺れは小さく、ブースターのブレもない。

この後エフェソスの地上でどういう算段で動くかはさておき、今は大丈夫そうだ。

 

 私は後ろを振り返って数十メートル上空を見上げる。

ペルセポリスから煙が噴き出し、焚火のように炎が吐き出されている。

半分は原型を成していない。

もはや鉄の爆弾だ。

 

「あ、アルコ、さん、ペルセポリスは、どこに落ちるのでしょうか」

 

「分からん。

けどこの調子なら海だろう。

あんな状態じゃシュトゥルーヴェの陸地までは落ちない。

まぁ陸地に墜落しようものなら、大爆発を起こすだろうが」

 

「そ、そうですよね」

 

 墜落後の被害も心配だ。

たとえ敵国だろうと、市民が大量に死んでしまうのは気分が悪い。

それに船はエフェソスの物だ。

間違いなく苦情はエフェソスに殺到するだろう。

 

「エフェソスには戻れそうですか?」

 

「進んできた方向を戻ってるんだ。ブースターでバランスを保ちながら長時間の移動は大変だが、まぁなんとかなるだろう」

 

「良かった……」

 

「なぁ、セラード……ごめん」

 

 アルコは俯き、顔を伏せた。

泣いているのか、私に涙を見せないようにしている。

 

メリダを助けられなかった。通路でメリダが倒れているのを見つけた。けど、煙が酷くて目を開けるだけでも必死だった。本当なら……あいつを一緒に連れていきたかった」

 

「アルコさんのせいじゃないです。私と一緒にいたときに、姉様は撃たれてしまいましたから」

 

「目の前で、撃たれたのか? 強いな、セラードは」

 

 ――違う。私は強くなんかない。私は妹も助けられなかった、弱いメリダだ。

 

「姉を目の前で亡くしたのに、涙も流していない。強いよ、本当に」

 

 ――違う。

本当は枯れ果てるまで泣きたかった。

でも泣いてしまったら、セラードの体に申し訳ないと思ったから我慢しているだけだ。

 

「泣きたいなら、いつでも泣けよ」

 

「え?」

 

「俺は頭も悪いし王とかの血筋もない。できるのは泣きたいやつに背中を貸すことだけだ」

 

 ――本当に、泣いていいのか。

セラードだったら、私が死んだときに思い切り泣くだろうか。

 

 気づけば、暖かい雫が顎から落ちていた。

決壊したように、とめどなく涙が溢れる。

 

 アルコの背中に額をつけ、体中の水分がなくなりそうなほど涙を流した。

 

 人間の体は、約七十パーセントが水分でできていると言われている。

あとどれくらい泣いたら全部を出してしまうのか、もし出し切ってしまったら、セラードはどう思うんだろう。

 

 私の、メリダ・エーランドの冷たい一日は、まだ終わらない――。

 

 

 

 目が覚めた。

大きめのキャスケットをどかして寝ぼけ眼を薄く開き、太陽の光を瞳に浴びせる。

涙が乾いて頬にくっついているのが鬱陶しくて、手で顔をくしゃくしゃにした。

 

 腕と足を伸ばして背伸びをすると、あることに気づいた。

 

 ついさっきまで座っていたアルコはそこにはいない。

 

 日も落ち、時刻はすでに夕方と呼べるほど変貌している。

セラードや仲間の兵士たちの気持ちを表したのか、青と黄の入り混じった黄昏空が広がっていた。

 

 ガラスが開きっぱなしのコクピットから立ち上がると、搭乗用のワイヤーで地上まで下りた。

 

 しっかり地面がある。

私が泣いて眠っている間に、アルコはうまいこと操縦してエフェソスの地上まで下りることに成功したらしい。

 

 周囲は木に囲まれていることから考えると、ここはどこかの森のど真ん中だろう。

 

 見渡すと、焚火のそばで座るアルコが見えた。

駆け寄って、隣で膝を抱えて座った。

 

「おおセラード。ぐっすり眠れたか?」

 

「はい。その、おかげさまで」

 

 アルコは疲れを見せず、私のことを気づかって無理に笑顔を作った。

 

「泣きたいときは泣け。子供が涙を我慢したっていいことなんかないさ」

 

「……子供、そうですよね」

 

メリダ……あいつは勇敢だ。お前を守るために命を張ったんだ。メリダ嬢なんて呼ぶほど子供じゃなかったな……いや、メリダの話はやめておこう。それより銃は持ってるか?」

 

「えぇ。キャスケットスマホと一緒に姉様から受け取った銃があります」

 

 ポケットから銃を取り出した。

セラードの手だといつもより重く感じる。

 

「セラードには危険だ。俺が預かる」

 

 安全装置をチェックして、ずっしりと重い銃をアルコに渡した。

 

「これから、どうしましょう」

 

 ここはエフェソスのどこなのか、太陽も沈んでいるから方角も把握できない。これほど太陽を引き上げてやりたいと思ったことはない。

 

「アルコさん、シルヴァンシャーで通信はできませんか?」

 

「シルヴァンシャー? なんでその呼び方を知ってるんだよ?」

 

 ――しまった。

あのジーフ・メージッヒをシルヴァンシャーと呼んでいるのは私とアルコだけで、セラードはシルヴァンシャーの存在すら詳しく知らない。

なんとか誤魔化さないと。

 

「あ、姉様から教えて貰ったのです。もしものときはあれで逃げるように、と」

 

「ああ、そういうことか。で、シルヴァンシャーで通信の件だが、残念ながらそりゃ無理だ」

 

「あれには通信機能があったはず……と姉様が」

 

「ここまで来るのにかなり時間を使ったからだ。

ほぼぶっつづけでブースターを酷使してたからな。

もう一歩も動けねぇよ。通信も厳しい」

 

 生きて大地に立てただけでも奇跡だから、不幸中の幸いではあるけど。

 

「でも、ペルセポリスから出てる微弱な電波なら捕まえられた」

 

「それって、もしかしてペルセポリスは無事ってことですか?」

 

「分からねぇ。望みは薄い。探す価値はあるかもしれないけどな」

 

「そうなんですか……」

 

「俺たちにも希望がないわけじゃない。ここからちょっと歩いて様子を見てきたんだが、ここはエフェソスの端っこだった。すぐそこに海があるし、ミストラの町もあった。一度も行ったことはないが、悪い噂を聞いたことはない」

 

「ミストラ……」

 

 その名前には聞き覚えがあった。

でもどこで耳にしたのか、よく思い出せない。

 

「今日はもう遅い。セラードはシルヴァンシャーの中で寝た方がいい」

 

「アルコさんは?」

 

「その辺で適当にな。心配すんな。バカはカゼを引かない」

 

 疲労困憊だろうに、私を気づかって寝床まで優先してくれるなんて。

 

 アルコの手前、出そうになったあくびを噛み殺してシルヴァンシャーの中に戻ろうかと立ち上がった、その時――アルコは私から受け取った銃の安全装置を外し、構えた。

 

 緊迫したアルコを見上げる。森の中に銃を向けていた。その銃口の先には、私たちをじっと睨んでいる人影があった。

 

「おいセラード」

 

 照準を人影にピタリと定めたまま、アルコは低い声で言う。

 

「頼みがある。お前にしかできない重要なことだ」

 

 ―二日目 朝―

 

 俺、アトス・エオリアは学校の屋上で空を眺めていた。

 

 電車も少ないバスも少ない田舎の村、サラズム。

ほとんどが畑や田んぼに囲まれ、けれども空気は新鮮で星は綺麗だ。

学校の近くといえば、古い商店街の中にある最新のゲームセンターが強いお供だけど、それでも基本的には田舎だ。

 

 もうすぐ一限目の授業が始まってしまう。

時間そのものが鬱陶しい。

 

 コの字型で三階建ての、面白みのない普通の校舎。

そして俺は、面白みのない普通の高校生男子。

少し長めの黒髪に平均的な身長。

自慢できることはちょっとゲームが強いってことだけ。

 

 これまでも、これからも、面白いことなんてないだろう。

 

「そういえば、今日は転校生が来るんだっけ」

 

 誰もいない屋上、一人で呟く。

 

 どんな転校生なのか何も情報はない。

できれば女子であってほしいけど。

 

 ため息をつきつつも、屋上から校舎に戻った。

危ないと理解しつつも、歩きながらポケットからスマホを取り出して画面を見る。

 

 整理されてないホーム画面の端に、いつの間にか知らないアプリが入っていた。

真っ白なアイコンの下には、ミスティミラージュ・オンラインと書かれている。

ゲームは好きだけど、正直スマホゲームはあまり興味ない。

でも削除するのも面倒だから、なんとなく残しておいた。

 

 

 

  教室に入るのと同時にチャイムが鳴った。

間一髪のセーフだ。

 三十人ほどのクラスの、ど真ん中からちょっと窓側の席に座ると、後ろの席にいる昔からの親友、トレド・キナバルが肩を強く叩いた。

驚きと悲鳴がない混ぜになった声が口から飛び出す。

 

「うはっ!」

 

 振り返り、仕返しとばかりにトレドの頭を叩く。

 

 トレドは人差し指を突きつけながら、すまんと謝った。

まったく謝罪の姿勢ではない。

 

「アトス、今日は転校生が来るらしいぜ」

 

 なるほどそういうことか。

それなら肩を叩いた合点がいく。

 

「知ってるよ」

 

「さっきチラっと職員室を見たんだが……女子だ」

 

 トレドは転校生の存在を確認したからか、妙にテンションが高い。

絵に描いたような女好きで、あちこちの女子に声をかけては遊んでいる。

他の学校にも“そういう人”がいるらしいから、プレイボーイとしてちょっとした有名人である。

 

 だが仲の良い女子の数が多いから、その分悪い噂も多い。

でもトレドは気にしていない。

そういう無神経なところが、少し羨ましいとも思う。

 

 担任教師が入って来た。

その後ろには小動物のように小さい女子生徒がいる。

いきなり三十人近くはいる初対面の前に来たら、そりゃ泣きそうな表情で緊張するのもうなずける。

 

 小学生と紹介されても違和感はないが、学校の制服によって幼さはいくらか低減していた。

 

 きっとトレドは、いや、複数の男子は目を輝かせていることだろう。

俺もその一人だ。

 

「自己紹介」

 

 担任のハゲが転校生に素っ気ない指示を出した。

 

「デ……デ……デデ……」

 

 クラス一同、頭上にクエスチョンマーク

緊張で震えた唇からは、頭文字しか出てこない。

 

「デ、デ……デルフィ……ソルテア、です」

 

 デルフィ・ソルテア。転校生はそう言った。

 

 水平にそろえて切る髪型――いわゆる、ぱっつんの金髪だった。

肌の露出は嫌いなのか、スカートは膝上まで下げている。

 

 クラスメイト全員で拍手を送り、その瞬間からデルフィはクラスの一員へと早変わり。

 

 ああいう小動物系の女子を嫌う女子はいるだろうけど、まぁある程度コミュ力があればけっこうなアイドル的存在にはなれるんじゃないだろうか。

 

「じゃあ、あそこ座りな」

 

 ハゲ担任がこれまた素っ気ない指示を出すと、転校生は窓際に空いていた席に座った。

厳密には空いているわけではなく、ただ不真面目な奴でサボっているだけなのだが、まぁいいか。

 

 それから担任はいつもの調子で、いつも通りのつまらない授業が始まった。

 

 

 

 ――退屈の終了を告げるチャイムが響いた。

大あくびをして背伸びをし、クラスメイトたちは席から離れてほとんどが教室から消えていく。

 

 ふと転校生を見た。

俺の席から左に二つの席だから、ゲームで悪くした目でもわりと見える。

 

 数人の女子が転校生に群がり、マスコミよろしく質問を浴びせている。

緊張に弱いタイプらしく、その姿はなんとなく可哀そうにも見える。

 

「トレド、お前は行かないのか?」

 

 隣の机の上に座っているトレドに質問した。

スマホを弄っているところを見ると、あまりデルフィには興味がなさそうだ。

 

「俺はああいうの嫌いじゃないけど、もっと明るくて喋るタイプが好きなんだ」

 

 たしかにデルフィは女子に囲まれてはいたが、とても喜んでいるような雰囲気でもない。

きっと囲まれて話しかけられるのが苦手なんだろう。

犬か猫かと言えば猫のタイプだ。

 

「まぁああいう可愛い子はもちろん好きだが。付き合うのは無理だな」

 

「そうか」

 

「で、お前はどうなんだよアトス」

 

「まぁ、縁があれば話しかけてみるよ」

 

 興味がないと言えばウソになる。

俺だって男だ、美人は好きだし、ちょっとした仕草が気になったりはする。

でも転校初日で、しかも相手は初対面の女子で、よく喋るタイプでもない。

もしよく喋るタイプ――うるさいのはゴメンだが――ならば、少しは声もかけやすいが。

 

「ふん、俺みたいにもっと積極的なほうがいいぜ」

 

「はいはい」

 

 わざと素っ気なく返すと、トレドはスマホを手にしたまま机から立ち上がった。

いつになく真面目な顔つきになっている。

 

「ヤベーぞアトス。昨日、船が沈んだらしい。ペルセポリスってあんだろ? 知ってるか?」

 

「たしか、エフェソスのでっかい船だっけ?」

 

 我が国の姫様もよく乗るらしい大きな空飛ぶ船だ。

内部の構造は俺らのような一般市民にはほとんど秘密にされているから詳しくは知らないけど、どうやら兵器を格納できる場所もあって、船そのものも戦闘用に武器を装備しているらしい。

 

 あんな巨大隕石でも沈まなさそうな船が沈んだとなると、よほどの攻撃があったか、もしくは脆い内部を攻め込まれたんだろう。

攻めた敵はかなりの手練れだ。

 

 それが、まさか昨日の昼のことだなんて……。

 

「確か、開発されたのが……九月十九日なのは覚えてるんだが、何年だったのか思い出せん」

 

「いや、そんな詳しい情報はいらないよ。で? その船が沈んだ件がなんだって?」

 

「シュトゥルーヴェにまで向かうつもりだったらしい。あんな船で向かうってことは、おそらく姫も中にいたんだろうな」

 

 姫の姿はテレビでも見たことがある。

 

「なぁトレド、なんだっけ、姫の名前」

 

「バカ野郎、覚えてないのかよ。姫はメリダ・エーランド。俺らと同じ歳だ。けっこうな美人だからぜひ本物にお目にかかりたかったんだが、まさか死んだりしてないよな」

 

 姫が死んだとなれば大ニュースだ。

そうなると、姫の立場は自然と妹のものになるだろうけど、姉を失って姫になんてなっても複雑なだけだろうな。

 

「で、妹さんの名前は?」

 

「セラード・エーランド。あと五年だ」

 

「は?」

 

「セラードはまだ十歳。あと五年もあればメリダと肩を並べるべっぴんになれる」

 

 基準はそこなのか。

どうやらトレドとしては“姫”が死んだというより“美人”が死んだことのほうが大ニュースらしい。

 

「ほら、これ見ろよ」

 

 トレドがスマホの画面を俺に向けた。

延々と煙を吐き出しながら炎上するペルセポリスの動画が映っていた。

偶然下の海にいた漁師の船から撮影したものがニュースになったらしく、ペルセポリスとの距離がありすぎて鮮明には見えないけど、それでも嫌な迫力が伝わって来た。

 

「これ、映画じゃないよな」

 

「いいや、まぎれもなく本物だし、これはニュースだ。まぁ、俺らみたいな平民には姫様の苦労なんてよく分からねぇけどよ、エフェソスの船が撃墜されたんだから、エフェソス人の俺らも無関係ではないよな」

 

「う……そうだな」

 

 下手をすれば、テロとかが起きたりするのか。

そうでなくとも、エフェソス人がその敵の居場所を突き止めて攻めたりなんかしたら戦争にもなるだろう。

 

 いや……もし姫が死んでいたら、というより姫を狙って船を沈めたんなら、もうこれは戦争と捉えてもいいかもしれない。

 

 徴兵とかされるのかな。

戦場に駆り出されたって、五秒で死ぬだろう。

 

「心配なんかしたって戦争になれば戦争になるし、気楽に行こうぜ気楽に」

 

「戦争になれば戦争になるんだろ、どこが気楽なんだよ」

 

「こんなド田舎でテロなんか起きやしないって。もし起きるなら首都のアシャンティだろう」

 

 首都アシャンティ

こことは違ってしっかりとした都会。

大きな建物に囲まれて、観光名所のある場所にすぐアクセスできる。

芸能人もいっぱいいるし、若者にとっては憧れを具現化したような場所だ。

俺がテロリストなら、こんな田舎よりもアシャンティを狙うし、姫を狙って首都を狙えば完璧に国は終わる。

 

 って……冷静に分析している場合でもないな。

首都なんかやられたら、こっちだってヤバい。

 

「ところでよアトス、今度は明るい話題だ」

 

 また女絡みの話か。

などと身構えていたら意外とそうでもなかった。

 

「お前、スマホのゲームやったか?」

 

 俺はスマホを取り出し、アプリが立ち並ぶホーム画面を見た。

そこで真っ白なアイコンを見てようやく思い出した。

ミスティミラージュ・オンラインというものを。

 

「やらねぇよ、俺は据え置きか携帯機かゲーセンだ。スマホゲーは甘い」

 

「ポチポチやるだけのゲームだと思ってないか? 実はこのゲーム、すげぇ秘密があるんだ」

 

 そう言われては、とりあえず聞いておこうという気持ちにはなる。

 

「俺はちょっとプレイしてみた。女の子との話題作りのためによ。実はこのゲーム……精神をダイブさせることができるんだ」

 

「はぁ?」

 

「ゲームの中に精神をダイブさせて、本当にその場にいるかのような感覚になるんだとよ」

 

 冷静に考えれば、凄いし恐ろしいシステムだ。

心臓が弱い人なら失神するかもしれない。

 

「もちろん、少しなら痛みとかも感じられるらしいし、実際にそこにいる人と話すこともできる。自分の分身になるキャラ作って声も変えられるし、凄くね?」

 

「確かに凄いが、そのゲームはなにをするゲームなんだ?」

 

「戦うんだよ。全身武装のパワードスーツを身に着けて、相手と戦うんだ」

 

「つまり、変身みたいなものか」

 

「剣とか銃とか、武器もいっぱいある。それでバトルに勝ってポイントを溜めれば、新しい武器を買ったりもできるんだとよ」

 

 そこは普通のゲームと大差ないのか。

でもそれを現実と似たような感覚で体験できるなんて、ちょっと興味はある。

 

「まぁそういうことだ。もちろんメットを外して素顔も出せるらしいぞ。俺はパワードスーツなんて物騒なものじゃなくて、メットを外した女の子と語り合いたいけどな」

 

 やっぱりそっちが目的か。

いい意味でも、悪い意味でも、本当にコイツはブレないな。

 

「なぁ、ちょっとでいいからやろうぜ、なぁ」

 

「分かったよ。放課後にな」

 

 今日の最後の授業の始まりを告げるチャイムが鳴った。

慌ててスマホをポケットにねじ込む。

 

 しかしこのゲーム、本当に大丈夫なのか?

 

 

 

 ――放課後。

 

 大あくびしながら掃除を終え、気づけば外の天気は土砂降りになっていた。

 

 そういえば昨日も雨だった。

傘を学校に忘れて今日は折りたたみ傘を持ってきたけど、傘が二本もあったって意味ないな。

 

 掃除が終わって机を戻し、これにて今日の学校は完全に終わりを告げる。

俺はゲームのことなんてすっかり忘れて、帰る支度を整えていた。

 

 トレドはどっかの女の子とどっかに遊びにいったらしく、一緒に帰宅できなかった。

 

 部活もやってないし友達は少ないほうだけど、ゼロってわけでもない。

でも友達の数なら、あの転校生にすぐに追い抜かれるだろう。

 

 面白みのない廊下を抜けて、一階まで下りる。

雨のせいか、大半の生徒は速攻で帰宅していて、学校の中にはほとんど人がいなかった。

もちろん下駄箱も例外ではない。

 

「あれ?」

 

 学校の制服を着た小学生がいたと思ったら、例の転校生だった。

 

 やはり一日で友達を作るのは大変だったのか、傘に入れてくれる人物がいなくて立ち止まっているらしい。

外に出たら一瞬でずぶ濡れになるような雨だ、あんな小動物系の女子ならカエルみたいに流されるかもしれない。

一応クラスメイトだし、なんとなく声をかけてみた。

 

「よう」

 

 驚きというか、若干の恐怖が入り混じった表情で見つめられ、転校生はすぐに目をそらした。

 

「どうした?」

 

「あの、傘、忘れちゃって」

 

「えっと、きみの名前はデルフィだっけ?」

 

「は、はい。デルフィ・ソルテアですけど、なにか?」

 

「あ、いや、なんとなく話かけただけ」

 

 ただし理由は“なんとなく”だけではない。

雨なのに帰れずに困っているから助けようと思ったっていう、微妙な正義感のようなものもあった。

それがおせっかいならそれでいいけど、放っておくのも落ち着かない。

 

「あの、すみません、まだちょっと覚えてないんですけど、もしかしてクラスメイトですか?」

 

 まぁ俺のことを覚えてないのもうなずける。

デルフィは最後まで席から動かず、ほとんど人と話さず一日を終えていた。

女子に囲まれてはいたけど、たぶん無口でつまらない人と思われたのか、今は人っ子一人周囲にはいない。

 

「俺、きみの二つ隣のアトスっていうんだ」

 

「アトスさん、ですか」

 

「ところで、傘が余ってるんだけど、いる?」

 

 俺は傘立てから昨日忘れた黒い地味な傘を引き抜いてデルフィに差し出した。

凄い申し訳なさそうな顔をしながら受け取ったけれど、俺は折り畳み傘もあるから問題ない。

 

「あ、ありがとうございます」

 

「いや、気にしなくていいよ。明日は適当に傘立てに入れておいてくれればそれでいいから」

 

 デルフィはリスのようにこくりと頷き、一緒に学校を出た。

外はバケツをひっくり返したような土砂降り。

集中豪雨というやつか、近くの川は海賊でも出そうなくらい荒れているだろう。

 

 俺の家は、ここから少し歩いた駅から電車で十五分のところにある。

駅と言っても大げさなものじゃなくて、こじんまりしたしょぼい駅だけど。

 

 偶然か奇跡か運命か、デルフィも同じ駅から帰るというので、一緒に帰ることになった。

もしも誰かにこの状態を目撃されたら、あらぬ噂が広まって面倒なことになるだろう。

けど、幸いにも周囲に知り合いらしい人はいない。

こんな雨じゃ無理もないが。

 

「あ、あの、話しかけてもいいですか」

 

 デルフィは体格に似合わない大きな傘を両手で持ちながら俺に言う。

雨の音ではっきりと聞き取れないけど、言いたいことは伝わった。

 

「あの、アトスさんは、ゲームって好きですか?」

 

 なんだと。

 

 この小動物系女子、端っこで本でも読んでそうな雰囲気だったのに、その一言で一気に評価が変わった。

なぜだろう、ゲームが好きと言われただけで好感度が上がるのはなぜだろう。

 

「ゲームなら好きだぞ。あらゆるジャンルに精通してるし、ゲームセンターも得意だ」

 

 俺の唯一誇れる部分だから、わざと胸を張って自慢気に言ってやった。

 

「あの、ミスティミラージュ・オンラインってやりました?」

 

「いや、まだやってないけど?」

 

「そ、そうですか」

 

 そこでいったん話題は尽きた。

雨音がうるさくて静寂にもならず、なんだか微妙な雰囲気になってしまった。家に帰ったらちょっとやってみよう。

 

「あ、あの……ゲームセンター……得意なんですよね?」

 

「まぁな」

 

「ちょっと、欲しいぬいぐるみがあって……クレーンゲームなんですけど」

 

 お安い御用だ。商店街のクレーンゲームなら、連続でニ十個を取った記録がある。

 

「取ってほしいものがあるってこと?」

 

「はい、迷惑だったらいいんですけど」

 

「おっけー、じゃあ行くか」

 

 商店街なら屋根もある。

まさか初対面の女子といきなりここまで親密になるとは思ってなかったけど、別に下心があるわけじゃないし、頼みごとを断るのも気が引ける。

 

 ――でも、このデルフィの頼み事によって、俺の運命は大きく動くことになる。……なんてことにならなければいいけど。

 

 デルフィが欲しがっていたのは、ヘッドスマッシュ&イン・バッファロージャンプって漫画に登場するマスコットキャラのぬいぐるみだった。

ゴロンゴロンという手の平サイズのシマウマと、カパックニャンという子犬サイズの猫耳のアルパカらしいが、よく分からない。

 

 当の本人も原作についてはよく知らないらしく、ただこのキャラを気に入ったからという理由で手に入れたいらしい。

 

 クレーンゲームの筐体には似たようなキャラが詰め込まれていて、狙いの二つはアームから一番離れた端の奥に鎮座していた。

俺にかかれば楽勝だな。

 

 デルフィからお金――百エン玉を預かり、投入する。

 

「宣言しよう。俺は二回のチャンスで二つを取る」

 

 なんて自信満々に宣言してしまったけど、いざ始まるとデルフィの視線が妙に突き刺さる。

 

 緊張するけど、よく考えたらここは屋根のある商店街だ。

俺らと同じく雨宿りついでにゲーセンに立ち寄っている連中もいるだろう。

……デルフィと一緒にいる状況を目撃されてしまう可能性もある。

転校初日の女子とゲーセンにいる瞬間なんて、誰が見てもせっかちなデートだ。

 

 ちらり、とデルフィを見る。

期待しているような輝いた目で、クレーンを眺めていた。

俺は横方向にクレーンを動かすボタンを押した後、デルフィに向き直った。

 

「な、なぁ。どうして、俺なわけ?」

 

「どうして、というと?」

 

「いや、だって俺たちって初対面じゃない? 別に迷惑ってわけじゃないけど」

 

「……なんだろう。アトスさんにミスティミラージュ・オンラインをやってほしいから、かな」

 

 そういえば、デルフィが出した話題は「ゲームって好きですか?」だった。

そこまで主張するほどだ。

あのスマホゲーにハマっているんだろう。

 

「そんなに面白いのあれ?」

 

「はい。最近配信されたゲームなんですけど、ちょっとハマってます」

 

 トレドに言われた、精神をダイブさせるゲームだ。

画期的な凄いゲームではあるけど、バーチャル空間でパワードスーツを装着するゲームだ。

女子がハマるゲームとは思えないけど。

 

「あの、時間ないですよ?」

 

「へ?」

 

 クレーンゲームのことをすっかり忘れていた。

後ろに動くボタンを押さないでいると、クレーンはその場で勝手に落ちるシステムだ。

筐体から時間切れを警告する音が流れている。

すぐさまボタンを押し、目的のゴロンゴロンのぬいぐるみを掴んだ。

 

「よし」

 

 あとは見るだけだ。

ぬいぐるみは出口に真っ逆さまに落ち、排出口に顔を出した。

それを取り出してデルフィに渡すと、子供のように輝いた目でそれを受け取った。

女子の手前、ちょっとカッコつけられて嬉しかったのはウソじゃない。

 

「ありがとうございます」

 

「いや、いいけど」

 

 その流れで残りのカパックニャンというぬいぐるみも入手すると、デルフィの笑顔はさらに輝いた。

喜んでもらったのならこちらとしても悪い気分ではない。

 

「凄いですね、アトスさんは。クレーンゲームは苦手だったから、欲しかったんですこれ」

 

「でも、そのキャラが出てくるなんとかバッファローってマンガのことは知らないんでしょ?」

 

「ヘッドスマッシュ&イン・バッファロージャンプです。名前しか知らないですけど、このゴロンゴロンとカパックニャンは気に入りました。でも……読んだことあるような、ないような」

 

「ほう」

 

 会話をうまく繋げられなくて、ゲーセンの奥に目をやった。

どこかの高校の制服カップルがプリクラに入ったり、各々イチャイチャしながらゲームに勤しんでいる。

デルフィと二人きりでここにいるのが急に窮屈になった。

 

「出ようか」

 

「あ、はい」

 

 俺らはゲーセンを出た。

ほとんど人のいない商店街から外の様子を窺ってみると、さっきまでがウソのように雨が引いていた。

 

 デルフィは俺に傘を返し、雨の匂いが残る地を歩き始めた。

ところどころに水たまりがあって歩きづらい。

靴を濡らさぬよう慎重に歩く。

 

 駅までは十分ほどでつく。

さてどんな会話をしようか、と頭を働かせていると、以外にもデルフィから話題を作った。

 

「あの、ゲームしませんか?」

 

「ゲームって、ミスティミラージュ・オンライン?」

 

「はい」

 

 どうやら、どうしてもデルフィはあのゲームをやらせたいらしい。

どうせプレイするなら帰ってからじっくりやりたいし、それに、ここまで勧められると断れない。

 

「いいけど、あれって精神をゲームにダイブさせるとかっていう、なんか凄いやつだよな」

 

「そうです」

 

 デルフィの話によると、プレイ中は肉体を動かすことができないらしい。

危険だから一人しかいないときにはプレイしないよう警告されているくらいだ。

そもそも周辺機器もなしにそんなことができるなんて、まったく技術の進化ってやつは早いもんだ。

 

「分かったよ。家に帰ったらやる。俺も少し気になってたからな」

 

「じゃあ、今日の九時にフィールドAっていうところで待ち合わせでいいですか?」

 

 おそらくフィールドAというのはゲームのエリアのことだろう。

なんとなく分かる。

 

「私は苗字のソルテアをそのままキャラクターの名前にしてますから、すぐ分かると思います。ピンク髪の女の子のキャラクターです。変身は解除しておきますから」

 

「ああ、分かった。こっちから話しかけるよ」

 

 

 

 そのまま駅に行き、一緒に電車に乗った。

 

 デルフィは俺の行きたい駅の一つ前で降りるらしい。

そこまでは他愛のない世間話でつなぎ、いくらか信頼を得ながら電車に乗れたのは我ながらグッドだ。

 

 オレンジ色の夕日が差し込む電車内は、眠くなるような温かい雰囲気が漂っている。

この雰囲気、なんか青春っぽくて好きだ。

 

 デルフィの目的の駅に到着した。

扉が開き、デルフィが一歩を踏み出して振り向く。

俺は預かっていた二つのぬいぐるみの入った袋を渡すと、ぺこりと頭を下げてくる。

その入れ替わりで、デルフィは二つに折ったメモ用紙を俺に差し出した。

 

 なんだ、この紙は。

 

「今日はありがとうございました。楽しかったです」

 

 どうしてデルフィとここまで仲良くなれたのかよく分からないけど、まぁ良い。

あわよくば付き合いたい、なんて考えたりはしないけど、友達が多いのは良いことだとも思うし。

 

 扉が閉まり、デルフィは手を振った。

電車が動き、すぐにその姿も豆粒のように小さくなる。

 

 俺が下りるのは次の駅。

ちょっとでもいいから、と空いている座席に腰かけた。

 

 渡されたメモ用紙を開いてみた。

まさかラブレターなのか――という期待を膨らませる。

でもそんなすぐに惚れるような軽い女子ではないから、すぐに期待は萎んだ。

 

 そこには、妙な数字が書かれていた。

 

 515 626 728 919

 

「なんだこりゃ」

 

 宝クジの番号……? いや、こんなタイミングでそんなもの渡すわけないし、何かの暗号か?

 

 いや、そんなものはゲームの中で会ったときに聞けばいい話だ。

 

 なんとなく隣で座っていたサラリーマンの持つスマホに目をやる。

ニュースを見ているらしく、ペルセポリスが沈んだ記事がデカデカと表示されていた。

 

 もしも中に姫がいて死亡していたら、これは歴史的な大ニュースだ。

正直言ってあまり実感は沸かないけど、これはかなり国を揺るがすような事件かもしれない。

今ごろ姫の親戚とかは、てんやわんやのパニックだろう。

 

「あれ?」

 

 と、気づけば扉が開かれていた。

どうやらいつの間にか到着していたらしい。

 

 俺は慌てて立ち上がり、電車から外に出た。

真っ黒なパーカーにフードを被った男も一緒に降りたからちょっと怖かった。

そいつは全身真っ黒な服装で、片手にスマホを持ってもう片方はポケットに隠れている。

見るからに怪しい風貌だった。

 

 ちら、と男のスマホに目をやった。

二メートル近くの距離はあったけど、そこにはある人物の写真が表示されていた。

 

 ぱっつんヘアーの金髪。

学校の女子制服――ちらりとしか確認できなかったから定かではないけど、まさかデルフィの写真――? それに僅かだが夕日に当たっているような写真だ。

 

 もしかして、さっき撮ったのか?

 恐る恐る男を問いただしてみようと肩に手を伸ばしたけど、男はすぐに全力ダッシュを決め込み目の前から姿を消した。

俺には気づいてなかったと思うけど、あの動作は怪しい。

 

 デルフィの親戚がたまたま写真を表示していただけか、はたまたストーカーか、真相はともかくあの男には何かがあると俺は睨んでいる。

 

 

 

 家に帰ってダラダラしていると、いつの間にか時刻は八時半になっていた。

 

「そろそろやるか」

 

 スマホを持ってベッドに仰向けになり、ミスティミラージュ・オンラインという真っ白なアプリを起動した。

 

 その瞬間――。

 

「なんだ!?」

 

 視界が真っ白になり、まるで天国にでも旅立ったかのような感覚に陥る。

無数の線が走る青白いトンネルを泳ぐように高速で潜った。

現実っぽくない風景なのに、しっかりと物理的に触れている感覚はある。

温度も湿気も、しっかりと身体に伝わっている。

 

 トンネルを抜けた。

手も足も、体もちゃんとある。

なのにゲーム画面みたいに文字やウィンドウが表示されていて、まさにゲームの中に入ったような感じだ。

 

「というより、マジで入ってるのか……」

 

 実感はないけど、どうやらそういうことらしい。

 

「すげぇ。本当にゲーム世界にダイブなんてできるんだなぁ」

 

 とりあえず表示されている文字を見てみる。

左上から「スタート」「装備」「フレンド」「詳細設定」と縦に並んでいる。

が、スタートは薄黒く表示されていて決定することができない。

 

「どうしたらいいんだこれ?」

 

 と腕を組んだところで、左右からスっと二人の女性キャラクターが姿を現した。

これは、人間なのか? この人たちがリアルすぎて、プレイヤーとゲームキャラの区別がつかない。

 

「初めまして、私はポン子!」

 

「初めまして、デュー子です」

 

「「二人合わせて、ポン・デュ・ガールズでーす」」

 

 右にいたのがポン子という赤メガネ赤ショートヘアのキャラ。

笑顔が素敵で元気なタイプ。

左のデュー子は青メガネ青ロングヘアーのキャラ。

控えめな笑顔が素敵でクールなタイプだ。

 

 どちらも服は近未来的なピチっとした服装で、それぞれのイメージカラーが使われている。

その服装のおかげか、データ空間っぽさが強調されていた。

でもゲームキャラとはいえ、ショートパンツから伸びた二人の生足を凝視するのは躊躇われる。

 

「あ、あの、どういうこと?」

 

 俺が質問する。

 

「私たちは、新規プレイヤーをナビゲートしたりヘルプを担当するキャラクターです。あなたの快適なゲームプレイの懸け橋になれば嬉しいです。ちなみにポン子が姉で、私が妹」

 

 元気なポン子が姉で、クールな妹がデュー子――普通ならクールな方が姉っぽい気もするけど、そこはあえての変化球なのか。

 

「それで? あなたは新規プレイヤー?」

 

 ポン子が妙に接近しながら質問した。ゲーム世界とはいえ、女子の顔が接近すると緊張する。

 

「ああ。今から始めるんだ。まずなにをすればいいんだ?」

 

「それなら、こっちです」

 

 デュー子がパチンと指を鳴らすと、画面が右にスクロールして別のウィンドウが表示された。

 

 左に俺の姿の3Dモデルが表示されていて、その横にはパワードスーツのパーツらしき画像が出ている。

 

 俺のゲーム経験での直感で分かる。

 

これはキャラクターメイキング画面だ。

「まずこのミスティミラージュ・オンラインは、ゲーム空間に精神を移して楽しむゲームです。オブジェクトや他プレイヤーには実際に触れたりできますし、多少なら痛みもありますのでご了承ください。まずはあなたの大まかな見た目と、変身するパワードスーツのデザインや性能を選んでください。それと、名前もですね」

 

 目の前にキーボードらしき物が現れ、その上に『名前を決めてください』と表示されていた。

 

「名前か……」

 

 さすがにアトス・エオリアと本名でプレイするわけにいかないし、でも考えてなかったなぁ。

 

 ちら、とポン・デュ・ガールズの二人を見た。

急かす様子もなく笑顔で待機してくれている。

そこはまぁ、見た目リアルだけど中身はプログラムだから、文句を言わないのは当然だけど。

 

 いや、それよりも今は名前だ。

 

 なんとなく頭に浮かんだ言葉。

響きも良いし、これで決定だな。

 

 俺はキーボードに“ナスカ”と打ち込むと、メイキングは次に進んだ。

 

 パワードスーツの下の髪型、色、顔のパーツ、大体の体格、声を決め、次にパワードスーツのデザインを決めることになる。

だがメット、肩、プロテクター、手袋、ブーツと決められる部位が多く、種類も色も様々だ。

徹底的に決めるとなると小一時間はかかるだろう。

それではデルフィとの約束に遅れてしまう。

 

「ナスカ、決めるのが大変ならこっちで決めようか?」

 

 ポン子が明るい声で、なぜか呼び捨てタメ口でそう言った。

 

「おまかせってやつ? まぁ、ダサくなければいいけど」

 

「ほいほーい。じゃあ適当に決めるよー」

 

 画面に表示されているパワードスーツのパーツが高速で動き、ものの数秒でパワードスーツが完成した。

その下の容姿や声については、現実の自分と似たような無難な感じにしておいた。

 

「こんな感じでどう?」

 

 黒いラバースーツ、ダイヤモンドのような光り輝くプロテクター。

同じくダイヤのようなフルフェイスのメット。

両肩には銀色の四角いマシンガンが装備されてて、引っ張ればチューブに繋がれた状態で抜くことができるらしい。

 

 でも、一つだけ気になった。

 

「なぁ、武器は肩の銃しかないのか?」

 

「おまかせで決めた今はね。他にも剣やら斧やら槍やらに変えられるけど、バトルに勝ったポイントで購入することもできるよ」

 

 シンプルに剣にしたいところだけど、接近戦よりはまず銃で腕試ししたい。

 

「いや銃でいい、後で買うよ。それより、次にステータスとかについて訊きたい」

 

「このゲームは現実の肉体の運動能力はあまり関係ないよ。力も素早さも最初はほぼ同じだから、女の子でも斧とか使う人はいるよ」

 

「もしかして、レベルとか上がれば身体能力は上がるのか?」

 

「そうそうその通り。でも人間にはセンスってものがあるからね、何も身体的な運動能力だけじゃなくて、センスが良ければ補える、かも」

 

 あいにく俺には運動のセンスなんてない。

だからゲームの腕でカバーするしかないか。

 

「まぁ格闘ゲームとかと同じで、ダメージを与えてゼロにすれば勝ちってこと、簡単でしょ?」

 

「ゼロになったらどうなる?」

 

「勝ったほうは相手のレベルと同じ分のポイントと経験値が貰える。経験値が入ればレベルが上がって強くなるよ。負けたほうは特にこれといってペナルティはないけど、超リアルに殴る蹴る斬る叩き潰すで勝負するからね、怖くてトラウマ抱えてやめちゃう人もいるっぽいよ」

 

 やっぱり恐ろしい技術だ。

リアルすぎるのも考え物だな。

 

「ちなみに、このゲームのハイテクなところがもう一つ。同じ相手と連戦して経験値やポイントを不正に稼がないように、本気で勝負する意思のない人とは戦えないようになってるの」

 

「つまり、友人同士で結託してわざと負けるってことができないのか」

 

「その通り。各フィールドの外にモンスターも用意してあるから、地道に戦うしかないね。あ、ペナルティといえば、女の子とかに変なことしたらペナルティ食らうから覚悟してね」

 

「へ、変なこと?」

 

「やだな~ここは実際に触れた感覚になるんだよ。変なとこ触ったら変な風になるに決まってるじゃん。バッチリ監視してるから、変なことしちゃダメだよ?」

 

「あ、いや、そんなことしねぇよ」

 

「よくいるんだよねぇ。自分で女の子キャラになって変なことする人、そういうことばっかしてるとアクセス禁止にするからね。あと、これは世界と通信して勝負もできるよ。もちろんメッセージやボイスも翻訳されるから安心だね」

 

「いや、それは使わないだろうからいいや。細かい説明はともかく、始めたいんだけど」

 

「おっけー、じゃあエントランスにご案内~!」

 

 ポン子がパチンと指を鳴らすと、また画面が切り替わって木製のトビラが出現した。いやゲームの世界だから材質なんてないんだろうけど。

 

「じゃあ、ここから先がエントランスね。ショップは左、タイトルに戻るのなら右、対戦するなら正面の扉からよろしく」

 

「あ、あのさ、フィールドAってところで知り合いと待ち合わせしてるんだけど、どこかな?」

 

「正面の扉を見ればすぐ分かるから大丈夫」

 

 それなら安心だ。

 

 俺はいつもと違う姿の自分になり、エントランスへと続く扉を開いた。

 

「じゃあ快適なゲームライフを、ナスカ様」

 

 丁寧な性格のデュー子が、俺に向かって手を振ってくれた。

その笑顔に、ちょっと心臓が高鳴りそうになる。

いかん、あれはプログラムだ。

現実に飢えた人なら本気で心が揺さぶられるんだろうけど、俺はまだそこまでの段階には達していない。

 

 ――意外にもあっさりとエントランスに到着した。

 

 セレブの家みたいな大理石っぽい床に、ギリシャ神話の遺跡みたいなデザインのショップがある。

その周囲も大理石みたいな壁で囲まれていて、金持ち気分だ。

 

 入るときにもっと派手な演出が来るんじゃないかと身構えていたけど、シンプルで助かった。

なにぶん視点や感覚がリアルだから、あんまり激しい画面だと吐きそうになるし。

 

 今はパワードスーツを装着していない状態で、まさに村人Dみたいな服装だった。

といっても顔も体も俺のじゃないから、知り合いにバレる心配はないけど。

 

 エントランスにいた数人のプレイヤーがこちらを見た。

美少女におじさんに、その容姿は様々だ。

現実と同じく恥じを覚えて、慌ててショップに目線を切り替える。

見た目はああでも、実際のプレイヤーの姿はどうなんだろう……想像してちょっと怖くなった。

 

「らっしゃい」

 

 プレイヤーがいないキャラ、ノンプレイヤーキャラ――いわゆるNPCの商人が言う。

エプロン姿のおっさんだった。

 

 軽く並んでいる武器を見てみると、剣や槍は安くても五百ポイント。

高ければ十万を超えるものもあった。

もちろんそれに見合った能力はある。

 

 ザビードジャベリン――二千ポイント。

 

 セント・ギルダーライフル――二千ポイント。

 

 失われしカティオスの剣――九万八千ポイント。

 

 アル・アインエッジ――十二万ポイント。

 

 まるで高校生の俺には手が出ないような数字が並んでいた。

 

「金がないなら課金もできるぜ」

 

 どうやら現実のお金をポイントに変換できるらしく、百エンで二百ポイントだそうだ。

 

 と、いうことは……十二万のアル・アインエッジという武器を買うにしても、エンだと六万もかかるのか。

けどこれじゃ、まるで札束で殴るようなもんだ。

課金は恐ろしいものだと再確認しつつ、俺はショップを後にした。

 

「さて……」

 

 俺は小さなメニューウィンドウを呼び出した。

右上に表示されている時間を確認する。

 

「約束の九時まで、あと五分か……丁度いい時間だ、フィールドAまで進むとするか」

 

 正面に並んだ四つの扉――そのうちの左にあるフィールドAの扉を開いた。

とても広いエリアだった。

ライトが出ているような床に、時折色が変化する壁が眩しい。

ところどころに遺跡みたいな柱が埋まってたり木が生えてたり廃車が落ちてたりと、世界観もメチャクチャだ。

 

 他のプレイヤーはざっと見たところ五十人近くはいた。

こんな画期的なゲームにしては人が少なめだけど、少ないほうがいいか。

 

 すると、入ってきてすぐに面倒なやつに絡まれた。

 

「おい! お前、見ない名前だな、新人か?」

 

「あ?」

 

 男のキャラクターだった。

そいつの頭上には【正散(せいさん)のスライマン・トウ!】という名前が出ていた。

どうやら、トウ! までが名前らしい。

 

 胸にデっかいバツ印が描かれているプロテクターを着た、黒い姿だ。

メットの下はどんな顔なのか……気にならないけど。

 

「ナスカ? ほう、いい名前だな……俺は“正”義の拳をまき“散”らし、闇と悪魔を打ち払う、正散のスライマン・トウ! だ」

 

 と、スライマンとやらはカッコよさげなポーズを披露した。

意外にもキレがあって、不覚にもちょっとカッコいいと思ってしまった。

 

「ナスカとやら、キミもパワードスーツを装着して戦え! もっと俺を見習うんだ!」

 

「はいはい、凄い凄い」

 

「……きみ、レベルはいくつだ?」

 

 スライマンが唐突にそんなことを聞いてきた。

面倒だ。

デルフィとの待ち合わせもあるのに。

 

「レベルは1だ。まだ始めたばっかりなんだよ」

 

「そうか。で、年齢はいくつだ? ちなみに俺は三十三だ」

 

 こいつ、俺よりも十以上も上じゃないか。

でも年齢なんてそう晒していいものじゃないし、晒さなくちゃいけないルールもないし黙っておこう。

 

「言わねぇよ。あんたよりも下とは言っておくが」

 

「なんだと? なら敬語を使え、常識だろう?」

 

「はいはい、失礼いたしました」

 

 なんでゲームの中でも礼儀だのなんだの言われなくちゃいけないんだ。

自分だって俺の年齢を知らずにタメ口だったくせに。

 

 そろそろスライマンがウザくなったから、俺は無視して通り過ぎた。

 

「じゃあなスライムマン」

 

「スライマンだ! こら! 待て!」

 

 背中に怒鳴り散らしてくるスライマンに手を振り、俺はフィールドAの中心まで歩いてきた。

 

 しかし、広いな。

デルフィはどこにいるんだろう。

 

 そういえばデルフィは“ソルテア”というキャラ名でピンク髪だと言っていた。

すぐ見つけられるだろうと思ってたけど、これじゃ厳しいな。

 

 

 

 ――数分後、約束の時間である九時を過ぎた。

 

 その間に人の出入りはいくつかあったものの、デルフィの姿を見つけることはできなかった。

 

「まいったな……」

 

 デルフィだって都合はあるんだろう。

遅刻くらい仕方ない。

 

 ――と、何者かが背中に触れた感触があった。

 

「デルフィ?」

 

 振り向き、すぐに解答が誤っていたことに気づいて落胆する。

 

「ナスカ、勝負をしろ!」

 

 スライマンだった。

 

「またかお前」

 

「俺のレベルは2だ! きみはまだ1だろう? じゃあ、手ほどきをしてやろう」

 

 なんだこいつ、偉そうにしてたわりにはまだ初心者じゃないか。

 

 デルフィだって探さなくちゃならないのに……でも断ると面倒そうだな。

 

「なぁ、ソルテアってキャラを探してるんだ。訊いてもいいか?」

 

「俺に勝てたら、教えてやろう」

 

「……しょうがねぇな」

 

 面倒だが仕方がない。

 

 すると目の前に“デュエルしますか?”と書かれた画面が現れた。

 

「なんだこれ?」

 

「デュエルの申し込みだ。YESを押してくれ」

 

 言われたとおりにYESのボタンを押す。

 

 ……すると、まるで夜になったかのように周囲の風景は一瞬で真っ暗になった。

 

「おい、なんだこれ?」

 

バトルフィールドだ。人がいるとこでやると周囲に迷惑がかかるからな。瞬時に場所が切り替わる仕組みになっている」

 

 真っ暗な場所だったが、次第にぼんやりと荒野のような風景が現れ始めた。

 

「な、なんだこりゃ!?」

 

「ふふ、驚いたか。これがミスティミラージュ・オンラインの技術だ!」

 

 気づけば、まるで西部劇の決闘シーンみたいな場所に立っている。

周囲には木造の建物が並び、遠くには山もあってハニワみたいな形のサボテンもある。

あとは丸い草の塊(タンブルウィード)が転がっていて大きな夕日も出ている。

非常によく出来た雰囲気が演出されていた。

 

 つくづくこのゲームの技術には驚かされるもんだ。

 

「フィールドはデュエルを申し込んだ方が決められる。文句はないだろう?」

 

「いいけど」

 

「ルールは知っているな? 変身し、体力が底を尽きるまで戦う」

 

「知ってるよ」

 

 格闘ゲームもアクションゲームもどれも似たようなもんだ。

大きく違うのは実際に体を動かすってところだけど、身体能力はステータスに依存するからいつもより身軽な感じがする。

 

 と言ってもレベルは1のクソ素人だから、あんまり変わらない気もするが。

現実世界の俺ってレベル1と大して違いないってことか?

 

「ナスカよ」

 

「なんだスライムマン」

 

「スライマン・トウ! だ! 普通に戦っても面白くない、一つ賭けをしようじゃないか」

 

「賭け?」

 

 こいつ、現実世界でもギャンブルとかにハマるタイプと見た。

 

「きみが勝ったら、ソルテアなる人物について教えてやろうじゃないか! そちらが負ければ、俺と一緒にモンスター狩りに来てもらおう。今はキャンペーン中でな、パフォスという特別なモンスターがいるんだ」

 

「どんなやつだ?」

 

「十本の槍を使う甲冑の戦士だ」

 

 何が悲しくてこんなやつについていかなくちゃいけないのか、俺は早くデルフィ――いや、ソルテアを探すためにも、スライマンとの決闘を開始した。

 

「それじゃあ勝負をしよう、だがまずは変身したまえ」

 

「変身?」

 

「おいおい、パワードスーツを作っただろう。変身しなきゃ戦えないぞ」

 

「あぁ、あれか」

 

 俺はなぜか変身の方法を知っている。

おそらくゲーム内だから自動的に説明書みたいなものが頭の中に入って来たんだろう。だから俺は特に困ることはなかった。

 

 念じると、左手の人差し指にダイヤの指輪のようなものが現れた。これが変身アイテムだ。

 

 変身コードは――。

 

「ミラージュ・コーティング!」

 

 声と共に左腕を前方に突き出した。

 

 指輪から光の壁が出現し、プロテクターの形となって胸に張り付いた。黒いラバースーツ、手袋、ブーツ、フルフェイスのメットも形成され、瞬時に全身を包んだ。両肩には銀色の四角いマシンガンが装備されており、引っ張ればチューブに繋がれた状態で抜くことができる。

 

「さぁ、勝負と行こうか」

 

 

 

「うおおおおおおお!!」

 

 スライマンは大型の剣を構えて突進してきた。

このストレートなところ、おそらくこいつは公務員と見た。

 

 俺が肩に銃を装備していることを忘れてもらっちゃ困る。

 

 両肩からチューブに繋がった四角いマシンガンを引き抜き、バカ正直に正面突破を試みるスライマンに銃口を向けた。

夕日と相まってかなり画になっていたに違いない。

 

「食らえ」

 

 ちょっとカッコつけて呟き、引き金を引き絞った。

 

 ダダダダダダダダダ! 獰猛な野獣そのものを発射するような音に、発射した俺自身も驚く。

 

「ぐおおおおおお!!」

 

 半分以上は外して地面を抉ってたが、残りはスライマンの全身に浴びせかけてやった。

スライマンは俺の手前五メートルほどでみっともなく倒れ伏し、剣を落とした。

 

「ぐ……つ、強いな……ナスカよ……」

 

 1のレベル差はあったものの、どうやらこれで勝負アリらしい。

 

 え……? 終わり?

 

 スライマンが立ち上がるとその変身は解除され、冴えない感じの男が姿を現した。

「よくぞこのスライマンを打ち破った。凄いじゃないか、まだ始めたばっかりなのに」

 

「は、はぁ」

 

 こんな弱いやつに褒められてもちっとも嬉しくない。

 

「デュエルは終了だ。フィールドを戻すぞ」

 

 再び周囲が真っ暗になり、再構成するようにフィールドAの風景が戻って来た。

 

 メニューを出してみると、俺の現在経験値とポイントが2だけ増えていた。

そういや相手のレベルと同じ経験値とポイントが入るんだっけ。

こいつに頼んでわざと負けてもらうこともできないってポン子だかデュー子も言ってたから、地道に戦うしか道はないか。

 

「ぐ……ぐ……俺は、俺は悔しい……」

 

 なぜかスライマンが俺の目の前で泣き始めた。

何が悲しくて年上の男の涙なんぞ見なくてはならんのか、こいつは映画ですぐに泣く人間だと見た。

 

「泣かなくていいから、それよりソルテアの場所を教えろよ」

 

「いやすまない……実はそのソルテアなる人物については知らないんだ」

 

 ――なんだと。

 

 俺は変身を解除し、スライマンの胸ぐらを掴んだ。

 

「おい、ウソついたのかよお前」

 

「いや、あの……ええと……」

 

 俺に勝負をふっかけるための口実でしかなかったのか。

こういうずる賢いことをするんだ、会社でも浮いていると見た。

 

「そ、そうだ!」

 

 スライマンは言い訳を思いついたのか、人差し指を立てた。

 

「キャラクターが見つからないんなら、検索してみればいい」

 

「検索?」

 

「メニューウィンドウのフレンドってところにそれっぽいのがあるだろう?」

 

 言われてメニューウィンドウを開いた、フレンドと書かれているところを選択する。

 

 もちろんフレンドの数はゼロ。

だが、右上にネット検索みたいな横長の箱があった。

 

「それだナスカ、そこにIDを打ち込め」

 

「あ? ID?」

 

「キャラクターを作るときにIDも設定しただろう、十二ケタの数字だ」

 

「あ、あのときか」

 

 キャラクターに関してはおまかせだったから、IDも勝手に設定されてしまっていたようだ。

 

 慌ててフレンドリストの上に出ている俺のIDを見ると、確かに十二ケタの数字が書かれていた。

815 929 667 734と。

 

 なんか、見覚えのある雰囲気だな……。

そもそもソルテアのIDなんか持っていただろうか。

 

 ……そこで、電車でデルフィと別れた時のことを思い出した。

ぬいぐるみの袋を渡し、引き換えに渡された二つ折りのメモ用紙――。

 

 やっべぇ、さすがにあんな数字は覚えてない……こうなると、紙の媒体で書かれた情報って不便極まりないもんだと痛感する。

いや、ゲームがリアルすぎるのがダメなのか。

 

 一度ゲームをやめるためにログアウトせねば、面倒だが仕方ない。

 

 フレンドリストを閉じ、詳細設定を開く。

端にはログアウトのボタンがあった。

 

「じゃあなスライムマン」

 

「お、おい! どこに行く!」

 

 スライマンを無視し、俺はログアウトのボタンを押した。

全身が光に包まれ、手や足の感覚が消滅した。

宙に浮いたような感じで少し怖かったものの、それもすぐに終わる。

 

 目の前に「BYE BYE」の文字が浮かび、そして、視界は完全にシャットアウトされた。

 

 ――。

 

「あっ……?」

 

 自分が柔らかいベッドに寝そべっていることに気づいた。

 

 手に持っていたスマホを見て、ようやく現実に戻って来たのだと理解する。

 

 時刻は九時半。

約束の時間などとっくに過ぎている。

やばいな、これじゃ約束をすっぽかしたも同然だ。

あのスライマンさえいなければ会えたのかもしれないが、邪魔しやがって。

 

 スマホに一件の着信が入っていたことに気づいた。

主はデルフィ。

着信が入った時間は九時ジャスト。

その一件だけ。

 

「九時? デルフィは九時にゲームにいなかったのか?」

 

 きっと、九時に行こうとしてたのに用事が出来て来れなくなったんだろう。

親に止められた、とか、そういう事情で。

 

 だが三十分遅れとはいえ、無視するわけにもいかない。

俺はデルフィに電話をかけなおした。

 

 ――数回のコールの後、やがて電話が繋がった。

 

 だが声がしない。

 

「デルフィ?」

 

 名前を呼ぶ、すると、数秒の間を開けてデルフィの返事が返ってきた。

 

『アトス、さん』

 

 妙にか細く弱々しい声だった。

今にも消え入りそうな小さな声だ。

 

『……ごめんなさい、行けそうにないです。ごめんなさい、約束、九時だったのに……』

 

「それはいいけど、どうした?」

 

『……ごめんなさい、駅に、来てください……』

 

「駅?」

 

 その声音は、ただ疲れているような感じではなかった。

最初に会ったときも小動物のようなイメージだったけど今は違う。

もっと弱い、もっと弱々しい、そんな雰囲気だ。

 

「駅って、どこの駅?」

 

『アトスさんが降りた駅……』

 

 俺が降りた駅――あそこまで歩いて数分だ。

でもどうしてその一つ前の駅で降りたデルフィが、ここの駅にいるんだ。

 

 只ならぬ何かを悟った俺は、スマホ片手に家を飛び出した。

何かがおかしい。

何かがデルフィの身にあったんだ。

まだデルフィとの付き合いは短い。

まだ一日すら経っていないじゃないか。

ようやく友達になれたのに、転校初日の転校生と友達になるなんて凄いことなのに。

普通に友達になれればよかったのに。

なんで、なんでこういうことになるんだ。

 

 

 

 人が十人も入れば窮屈になりそうな駅のホーム。

そのベンチの上に、デルフィの姿があった。

腹から血を流し制服を赤く染めている。

ベンチの下に、僅かに血の雫が落ちていた。

多量の出血だったら、俺は失神していたかもしれない。

 

「おい……なんだよこれ」

 

 すぐに駆け寄ると、デルフィはうっすら目を開けて俺を見た。

 

「で、デルフィ……?」

 

 死んでしまう――刺されたのか撃たれたのか、落ちる血の雫の量も増えてきている。

死ぬ。

このままでは、誰がどう見ても死ぬ。

 

「いま、いま救急車を……」

 

「待って……私は、一度死んでいるの。昨日、死んだ人間なの……」

 

「な、なに言って……」

 

「でもごめん……あのゲームは、もうやらないで……」

 

 デルフィの口から零れる一つ一つの言葉が、俺には理解できない。

 

「ど、どういうことだよ?」

 

「私、小さな部屋でマンガを読んでいる女の子を見た……近くにお姉さんみたいな人も……」

 

「見た? 見たって、そいつがデルフィを傷つけた犯人か?」

 

「違う……私……あれは、姫、私かもしれない……」

 

「あ、いや、これ以上は喋るな」

 

 血はとめどなく溢れている。

血だまりはなかったけど、時間の問題だ。

 

 すぐに持っていたスマホで救急車に繋いで、回らない呂律で必死に助けを呼ぶ。

応急処置なんてよく分からないけど、今は血を止めることを考えなくては。

 

 ポケットに突っ込まれていたくしゃくしゃのハンカチを使い、デルフィの腹に当てた。

すぐに血を吸収したものの、その下から次々と血が溢れる。

 

「待ってろ! いま救急車が来る! だから、死ぬな!」

 

「ねえ……アトスさん……」

 

 俺はデルフィの小さな手を握った。

ロボットのように冷たかった。

温もりなんてどこにも感じない、暖かい血が抜け落ちたんじゃないかってくらい、氷のように冷たい。

 

「ど、どうした……?」

 

「私、刺された……知っている人……知ってる……人……に」

 

「知っている人……? 誰だ? 誰なんだ?」

 

「名前は……知らない……でも、ゲームの名前なら……」

 

 ゲーム――? ミスティミラージュ・オンラインでのキャラ名ってことか?

 

「あの人は、アルベロって名前……その人に……やられ……た……」

 

 やっぱり喋らせるべきじゃなかった。

ハンカチだけで止血するのもそろそろ限界で。

それどころか出血量がどんどん増している。

 

 アルベロ――デルフィはうすぼんやりとした意識で確かにそう言った。

 

 でもゲーム初心者の俺にはそんな名前は見たことも聞いたこともない。

 

 そのアルベロなる人物のゲーム内の容姿や現実での容姿も聞いておきたかった。

けど、もうデルフィは本格的に喋れるような状態じゃない。

呼吸は弱くなり、目も開かず、今にも命の灯が消えてしまいそうだった。

 

 まだか、まだ来ないのか救急車――。

 

 それから俺はデルフィの冷たい手を握りながら救急車を待った。

来たのは五分後。

もうデルフィは虫の息と言ってもいいほどで、一言も発することができない状態だった。

 

 やってきた救急隊員に何かを質問されて俺は頷いていたけど、その辺の記憶はほとんど抜け落ちている。

喋ったことなんて覚えてない。

ただ、現実を受け止めるのに精いっぱいだっただけだ。

もちろん怒りや疑問もあったけど、それよりもショックが全身を支配していた。

 

気づけば服に少しだけ血をつけたまま自分の部屋まで戻ってきていた。

全てデルフィの血だったけど、心を中心にいろんな痛みが身体を駆け巡っている。

 

 すでに時刻は十時を過ぎている。

スマホ片手に、立ち尽くす。

 

 世界から色が抜けたような感覚になった。

たった一人がいないだけで、こんなに世界が違って見えるんだって、初めて知った。

 

「そうだ……」

 

 着替えなくては。

 

 僅かだが、服に血をつけた状態で家族に見つかったらどんなことになるか分からない。

 

 少しでも冷静になるため。

新しい服を取り出して着替えた。

 

血だらけの服は適当な袋に押し込んでベッドの下に隠した。

そのうちこっそり捨てておこう。

 

 清潔な服になると落ち着きを取り戻してきた。

それでも心臓は爆発しそうなくらい鳴っている。

何度か深呼吸を繰り返したけど、心臓は穏やかにはならない。

 

 ブブブブブブブ……。

 

「え……?」

 

 スマホが振動した。

誰かから電話が来たらしい。

こんな時間にトレドの下らない話になんて付き合ってられない、と思いながら、トレドと雑談すれば落ち着けるかなという期待もあった。

 

 画面に表示された主を見る。

 

「ない?」

 

 表示されていない。

知らない番号だ。

嫌な予感がする。

間違い電話か、変なサギか、それとも相手が一方的に知っている人物か。

 

 緊張した手で、その電話に出た。

 

『やぁ、少年』

 

 変声機のようなもので声を変えていて、ニュースに登場する目撃者Aみたいな妙に高い声だ。

 

「だ、誰だ?」

 

 恐る恐る訪ねた。

彼は――男かどうか分からない――さも当たり前のように、冷静に答えた。

 

『初めまして。私の名前はアルベロだよ。お友達は元気かな』

 

 ― 一日目 夕方―

 

 ――アトス・エオリアがミスティミラージュ・オンラインを始める前日。

メリダとセラードたちが乗るペルセポリスが撃墜された後のことである。

 

「誰だ」

 

 黄昏の空の下。

アルコの点けた焚火はバチバチと燃えて火の粉を散らしている。

周囲は森で囲まれ、何者かが私たちの様子を窺っていた。

 

 アルコが向ける銃口の先は、その何者かの影だ。

薄暗くて姿を捉えることはできない。

 

「おいセラード」

 

 照準を人影にピタリと定めたまま、アルコは横に立つ私に低い声で言う。

 

「はい……?」

 

「頼みがある。お前にしかできない重要なことだ」

 

「重要な、こと?」

 

「指輪を預かっているだろう。ダイヤの指輪だ」

 

 指輪――ゴレスターンのことだ。

きっとアルコはパワードスーツを装着するつもりなんだろう。

 

でもここで私がゴレスターンのことを知っている、とバレれば、私が本当はメリダだということも気づかれてしまう。

セラードはゴレスターンのことを知らないから、指輪のことはあえて知らないふりをした。

 

「指輪? 確かにありますけど、どうして指輪なのですか?」

 

「頼む、目の前に誰かいるんだ。早く」

 

 私はポケットからゴレスターンを取り出し、突き出されたアルコの手に乗せた。

その間にも、アルコの目と銃口は人影にピタリと向いたままだ。

 

「おい、出て来い。十秒以内に出てこなければ撃つ」

 

 アルコの声音から察するに、その言葉は本気だった。

敵かどうかは分からず撃つのだからいきなり命中させたりはしないだろう。

おそらく地面に威嚇射撃だ。 

 

「十……九……八……」

 

 宣言通りにアルコはカウントを始める。

だが人影に動きはない。

 

「七……六……五……本当に撃つぞ」

 

 まだ動きはない。

ここまで動かないのは意地なのか作戦なのか、それとも人ではないのか、どれにせよこちらとしても居心地は悪い。

 

「四……三……うん?」

 

 人影が動いた。

人間だ。

暗くてよく見えないけど、私と同じ――メリダと同じくらいの、高校生くらいの女性だった。

黒い三つ編みに凛々しい目つきだ。

 

 女性は両手を上げている。

どうやら武器もなさそうだ。

シュトゥルーヴェの兵士ではないことが分かって、私たちは安堵した。

 

「止まれ、何をしている。お前は誰だ」

 

 女性が足を止めた。

 

「私はティカル・サンミシェル。ここに妙な灯りがあったから、誰かと思って」

 

 ティカル・サンミシェル。

その声と名前を聞いて、すぐに私の知っている人物だと確信した。

 

 同じ学校で、姫という立場に左右されずに平等に接してくれる友人だ。

人当たりがよくて、ちょっと泣き虫だけど頭が良くてとても優しい。

 

 でも、ティカルが知っているのはメリダ・エーランドであってセラード・エーランドではない。

セラードを会わせたこともないから、実の妹だとは気づかないだろうし、もちろん精神を移していることなど知る由もないだろう。

 

「どこの人間だ?」

 

「すぐそこのミストラから来ました。あの……ええと」

 

 敵意がないと判断し、アルコは銃を下した。

ティカルは泣きそうだった顔を引っ込めて、大きく深呼吸をする。

 

「あの、もう手をおろしてもいいですか?」

 

「ああ。だがきみが本当にミストラの人間なのか証明できてない。妙なことはするなよ」

 

 ティカルにはちょっと気の毒だけど、今は仕方ない。

 

「ティカルとやら、ちょっと頼みがある」

 

「は、はい?」

 

「きみがミストラの住人だという証明ついでに、俺らを助けてもらってもいいか?」

 

「助ける?」

 

 ティカルが私たちの後ろに待機しているシルヴァンシャーを見て、大まかな事態を察したようだ。

ペルセポリスが落ちたのも気づいているだろう。

ティカルは察しが良い。

 

「実はちょっとゴタゴタがあってね、一日だけでいいから宿を見つけてくれたら助かるんだが」

 

「ええと……あなたたちは……?」

 

 信用していないと言いつつも、アルコは名乗るのを忘れていた。

 

「すまない。俺はアルコ・バッサー。こいつはセラ――」

 

「セラードです」

 

 私はアルコの言葉を遮るように言った。

 

「セラード……バッサーです」

 

 私は嘘をついた。

“エーランド”などと紹介すれば、メリダの妹だと気付かれてしまう。

 

 そうなればティカルに私が死んだことがバレちゃうし、ティカルも悲しむだろう。

 

「親子、ということですか?」

 

「まぁそんなところだ」

 

 アルコは詳しく事情を知らないけど、私に合わせてくれた。

 

「本当ですか?」

 

 怪しむのも無理はない。

先に銃を向けたのはこっちなんだから。

 

「証明はできない。信用してくれ、としか」

 

「……条件があります」

 

 ティカルは私たちの前に踏み込んだ。

 

「あなたたちの身元も分からない、銃も所持している、親子というのも信用できない。だからまず、その銃を渡してください」

 

 強気に出たティカルにアルコはいくらか躊躇しながら、銃を逆向きに持ってティカルに渡した。

 

弾を抜いてポケットに入れたから、銃と弾は別々にされている。

 

 ティカルはずっしりと重い銃を手にし、本物だと確信した。

 

「アルコさん、でしたっけ。銃は預かりましたけど、あなたたちは何者なんですか?」

 

 普段から銃を持つ職業なんてそうそうない。

警察か警備員か軍人か、物騒な人か。

どれにせよ銃を所持していた状況で説明するのは難しい。

 

「エフェソスの軍人だ。ちょっと乗り物が故障してな」

 

 アルコはシルヴァンシャーを後ろ向きに親指でさした。

 

「では、そちらの娘さんは? どうして軍の乗り物に娘さんがいるんです?」

 

「見学させてたんだよ」

 

 ティカルは私とアルコを何度か見て、ようやく頷いた。

 

「とりあえず、分かりました。あなたのことを信用してもしなくても、そっちの子供を助けないわけにもいきませんし……」

 

 こうして私たちは、ティカルに警戒されながらミストラに向かった。

 

 畑や田んぼに囲まれた、自然が豊富な町だった。

建物も大きなビルなどはなく、一軒家程度のものばかり。

私はあまりこういう町には縁がないから、空気がキレイなところは新鮮だ。

 

 ティカルの家は大きなリビングがついた広い家だった。

L字型にソファが置かれ、その対角線には薄いテレビが置かれている。

 

奥には二階への階段が伸びていて、オレンジの間接証明がオシャレに部屋を照らしていた。

 

「いいのか? 自分の家なんて」

 

「……いえ、その子、どこかで会ったことがある気がして」

 

「え? 私ですか?」

 

「ううん。なんでもない……今、お父さんを呼んできますから、座っていてください」

 

 言われた通りに座っていると、階段の上から男性を連れてティカルが下りて来た。

四十代くらいの優しそうな人だ。

 

「ゴアといいます。さっき娘から大まかな事情は聞きました。一日だけならどうぞここで泊まっていってください」

 

 拍子抜けするほどあっさりと許可を取れて、私たちは驚いた。

 

 身元もよく分からない人間をこうも簡単に泊めていいものなのだろうか。

 

それはそれでありがたいのだけれど。

 

 

 

 お風呂と、ティカルが昔使っていたパジャマまで借りていいと言われた。

 食事も頂き、すでに時刻は夜になった。

 私は友人――本人は気づいていないが、ティカルのベッドで一緒に寝ることになった。

アルコは遠慮してソファで寝ると言ったけど、なんだか申し訳ない気持ちになる。

 

「ねぇ、セラードちゃんだっけ」

 

 ティカルがベッドの上に座って濡れた髪を乾かしながら言った。

私もその隣に座り、一緒に髪を乾かしている。

自分で触ってみて驚いた。

セラードの髪、私のより何倍も柔らかい。

 

「はい?」

 

「きみさ、私の友達に似てるんだよね。もしかして、妹さんとか?」

 

「え」

 

「違うよね」

 

 そこでティカルはベッドの下から缶の箱を取り出した。

それがなにか、察しがついた。

 

「見て、これが私の友達、メリダ

 

 缶の中には私とティカルが写った数枚の写真があった。

忙しくてなかなか学校にも行けず遊びにも行けなかったけど、一度だけショッピングモールに遊びに行ったときにティカルに撮られたツーショットだ。

わざわざ印刷されていたその写真に、つい声を出してしまった。

 

「あ、これ、あのときの……?」

 

「あのとき?」

 

 口を押さえた。

うっかりとはこのことだ。

 

「それと、これも見て」

 

 ティカルは缶から小さな人形を取り出した。

木で出来た人型の人形で、頭に紐が付いているストラップのようなものだ。

 

 それも見覚えがあった。

あのショッピングモールで買ったものだ。

職人が目の前で作ってくれて名前も付けられる。

値段は三百エンだったけど、私にとってはそれ以上の価値がある。

ティカルのは青い物で、たしか名前は、

 

「あ、それってクルシュー?」

 

 また口を押さえた。

セラードが知るはずもない情報が自然と口から飛び出してしまったからだ。

なんでこう、うっかりが続くのか自分を呪った。

 

「どうして名前も知ってるの? クルシューっていうのは私とメリダしか知らないはず……」

 

 ティカルが疑い始めた。

無理もない。

 

「もしかしてセラードちゃんって、メリダの妹さんかなにか?」

 

 もうバレた。

 

隠し事がうまい方だと思ってなかったけど、初日でバレてしまうとは。

これ以上の誤魔化しは無意味だと判断し、正体を明かすことにした。本当はメリダだということは内緒にしておく。

 

「……うう、ごめんなさい、私、本当は妹なんです」

 

「なぁんだやっぱり! どうりで似てると思ったんだよね。ということは、あのおじさんはメリダのお父さん? なわけないよね。歳も合わないし」

 

「お、怒らないんですか?」

 

「怒らないよ。それより、どうしてウソなんてついたの?」

 

「それはその、警戒されると思ったからです」

 

「まぁ、私も今のがなければ信用しなかったよ。でもなぁ、メリダに妹かぁ、可愛いなぁもう」

 

 セラードの顔が褒められて、なんだか私も鼻が高い。

 

「でも、あの帽子は?」

 

 丸いテーブルの上、セラードにはまだ大きすぎるキャスケットがティカルの目に入った。

 

「あれは、姉様から授かったのです。その、なんでかは分かりませんけど」

 

「そっか。でもまだ大きすぎるよね」

 

「ええ、あと五年くらいだと思います」

 

メリダみたいなすっごい美人になれるよ」

 

 それから、ティカルは無数の質問をぶつけてきた。

プライベートではどうだとか姫としての生活はどうだとか、そういう話にあくまで妹だという前提で答えなくちゃいけないから疲れる。

 

 素性を偽っていたことに関して追求してこなかった。

アルコについても同様で、とりあえず信用してくれたようだ。

弾のない拳銃は預かったままだけど、明日には返してくれるらしい。

 

 こうしてベッドに入ったものの、まだ寝付けない。

やっぱり、セラードが死んだ事実を受け止めきれないし、ルートやラウマについても諦められない。

 

 落ち着かない。

ティカルは夢の中だけど、私はこっそりベッドを抜け出して部屋を出た。

 

 階段を下りて一階に行くと、ソファのそばで小さな灯りが点いていた。

どこからか持ってきた小さなシェードランプで手元を照らしながら、アルコが天井を見上げている。

 

「お?」

 

 アルコが下りて来た私に気づいた。

私と同じく眠れなかったのか、手を振って応えた。

 

「どうしたセラード」

 

「あの、眠れないんです」

 

「俺もだ。こんな状況ですぐにグースカ寝れる方がどうかしてるけどな」

 

 L字型のソファーに仰向けになったアルコのそばに行きたくて、もう一つのソファーに腰かけた。

シェードランプの灯りが心地よくて、少し気に入った。

 

メリダのことだろ」

 

「は、はい」

 

 本当はセラードのことが一番気になって眠れないけど、そこは口にしない。

 

「辛いよな。まだ十七歳でこんな目にあっちまうなんて。あと三週間で誕生日だったのにな」

 

「え? 姉様、あと三週間で誕生日だったんですか?」

 

「おいおい、誕生日になったら手作りのブローチをあげるんだって言ってただろ」

 

 セラードが、私自身も忘れていた誕生日を覚えていてくれたなんて、どうしていままで気づかなかったんだろう。

私のために、ブローチなんか作っていてくれたなんて。

 

「セラード、お前まさか自分の誕生日も忘れたのか?」

 

「私は六月二十六日」

 

 自分のは忘れてたけど、セラードのはハッキリ覚えている。

 

「俺は?」

 

「あ」

 

「ま、覚えてなくてもしょうがないな。七月二十八日だ。まぁ、セラードが二十歳になったら、一緒に酒でも飲もうじゃないか。それがプレゼントってことで」

 

 二十歳――今となってはその言葉は重い。

 

答えづらい質問が来そうだから、話を逸らした。

 

「あの、その、あのブローチってどこにやっちゃいましたっけ?」

 

「どこって、秘密にしてたんだから俺も知らないぞ。口を滑らすといけないから俺には内緒にするって言ってただろ」

 

「そ、そうでした」

 

 今は四月の二十四日。

確かにあと三週間もすれば私の誕生日である五月十五日だ。

そうか、あと三週間で私の体は十八歳になれたんだ。

 

メリダももうすぐ十八だったのか。早いな。子供だと思ってたのに、もう大人の仲間入りか」

 

「大人……?」

 

「そうだ。女なんて十八になったら大人だ。男はいくつになってもガキだからな、俺もそうだ」

 

「私は、どうですか。大人ですか?」

 

「なに言ってる。十歳はまだ子供だ」

 

「そうです、よね」

 

「ごめんなセラード。大人の俺が、しっかりお前らを守ってやるべきだったのに」

 

「そんなこと……心強いですよ」

 

「いや、あのとき俺は敵を倒しに行くんじゃなくて、お前らのそばにいてやるべきだった。これがあればある程度は戦えたのに」

 

 アルコはポケットからゴレスターンを取り出した。

私はあれで変身して警備ロボットを撃破できたけど、今思うとあれで人と戦える自信はない。

アルコならもっとうまく扱えるはず。

 

「今日は疲れたな。もうヤメようか暗い話は」

 

「は、はい……」

 

 セラードの傷はゴレスターンで再生されたけど、一度は死んだ体だ。

私もシュトゥルーヴェ兵たちの前で死んだふりをしたときは心臓が止まるかと思った。

精神的な疲れがとてつもない。

 

 なのに、寝られない。

セラードの体にも慣れないし、食欲もなかった。

 

 これからどうしよう。

アルコにずっとウソをつき続けるのも嫌だし、これまでいくつもボロを出しているから、いつかは気づかれるだろう。

 

「さて、寝るぞセラード。お前も部屋に戻れ。明日はこの町でシルヴァンシャーの燃料を手に入れて、首都のアシャンティに戻らないと」

 

「あの」

 

「うん?」

 

「私もここで寝ていいですか?」

 

 ソファならもう一つ空いている。

寝るだけなら十分な長さだ。

 

「いいのか、ソファで」

 

 今だけは、セラードの体で甘えたっていいだろう。

私は十七歳だけど、まだ子供なんだ。子供が大人に甘えて何が悪い。

十歳の妹を失った姉が大人の手を握って寝たいと思って何が悪い。

 

 私はこくりと頷き、もう一つのソファをずらしてアルコのソファとくっつけた。

 

「おいおいどうした」

 

「だ、だめですか?」

 

「いいや、俺は構わないぞ」

 

 ソファで仰向けになると、アルコはシェードランプを消した。

暗闇が辺りに広がると、私はアルコの大きな手を握った。

 

「セラード、今はメリダの夢でも見てゆっくり休め」

 

 今は、セラードの夢を見てゆっくり休みたい。

 

「おやすみセラード」

 

「おやすみなさいアルコ」

 

 おやすみセラード。

そしてさようなら、十八歳になれなかった私。

 

―二日目 朝―

 

 翌日――ティカルの家で朝食を貰った。

セラードが私の妹だということはお父さんには内緒にしてもらったけど、ウソをついているみたいで罪悪感があった。

でも信頼は築けたようで、拳銃は返してもらった。

 

 その後はミストラで燃料を貰い、シルヴァンシャーの補給は無事に終わった。

私はてっきり特殊な燃料で動いているのかと思ったけど、普通に車と同じもので安心できた。

 

「セラード、十分に寝れたか?」

 

 アルコの操縦するシルヴァンシャーで首都のアシャンティまで戻る道すがら、私はアルコの後ろに座って大きなアクビをした。

ソファで寝たせいかまだ疲れはとれていない。

家に戻ってから今後どうするか、パニックになっているはずの首都をどうするか。

私の死をどう説明するか、精神を移したことを説明すべきか、どれもこれも十七歳の私には重すぎる話だった。

 

 それにもし私が生きていると公になれば、シュトゥルーヴェの兵士たちも首都を攻めてくる可能性がある。

このままやられっぱなしも癪だけど、せめてゴレスターンを完璧に調整して変身できるようにしておかないと戦うのは厳しいだろう。

 

 こっそりセラードの墓も作ってやりたい。

誰にも気づかれなくていいし形だけでもいいから、墓くらいはないと悲しすぎる。

 

「ところでセラード、あのティカルってお嬢さんから聞いたんだが」

 

「どうしたんですか?」

 

「あのお嬢さん、例のゲームやってるらしいぞ」

 

 ミスティミラージュ・オンラインというゲームのことだろう。

 

「正散のスライムマンだかって名前でやってるらしい。お前も気晴らしにやってみないか?」

 

「え、ええと」

 

「精神をゲーム世界に移動させて、感覚もそのままになるらしい。瞬時に変身できるゴレスターンもそうだけど、ずいぶんと活気的な技術だな」

 

 “精神”をゲームの世界に“移す”――。

 

 ゴレスターンと似ている気がする。

どういう技術かは知らないけど、精神を移して感覚までもゲームの世界に行けるなんて、もしかしてゴレスターンと何か関係があるのかな?

 

「まぁ、落ち着いたらでいいからやってみろよ。自分でキャラクターを作って、そのキャラを自分の意思で操作できるらしいから、大人の女にもなれるんじゃないか」

 

「大人の女……」

 

 たしかに十七の私から見てもそれは理想的だ。

 

「ゲームの話題は今はいいです。それより、これからどうしましょう?」

 

「まぁとりあえず首都に戻るしかないな。俺はできればシュトゥルーヴェの連中をぶっ潰してやりたいけど、賛同するやつがいるかどうか」

 

「あの……姉様に教えて貰ったのですけど、その指輪で変身すれば戦えるのでは?」

 

「そうだが、でもまだ不完全だし戦力も微妙さ」

 

「そう、ですよね」

 

 本当なら私が変身して戦いたい。

でも戦う技術はないし、セラードの体を傷つけたくない。

 

 歯痒い。

私が男だったらよかったのに。

 

「首都に着いたら甘いものでも食べるか。クレープとかさ。好きだろう」

 

「そうですけど、シルヴァンシャーで行くんですか? さすがに目立つのでは……」

 

「まぁ、丁度いいところで駐車すればいいさ。あとは人通りが少ないところを選んで戻る」

 

 森の中にシルヴァンシャーを停めた。

木々が邪魔をして周囲から見えないようになっているけど、もし見つかったらどうするんだろう。

 

 私は顔をブカブカキャスケットで隠しながらも、アルコと手をつないで商店街に入った。

左右にはアクセサリショップやイタリアンレストランなど多種多彩なお店が並んでいるけど、とても姫が死んだ後とは思えないほど活気に満ち溢れていた。

 

 途中の建物と建物の隙間に細い道があり、そこに隠れるようにクレープ屋さんがあった。

制服を着た高校生が何人か集まって大きなクレープを受け取って賑やかに歩いている。

 

 私たちはクレープ屋さんの前に立つ。

でも私は身長が足りていなくて店員の顔が見えない。

 

「セラード、何がいい?」

 

 紙のメニュー表を渡され、しばし迷った。

バナナチョコイチゴ、甘いものから鶏肉やマヨネーズなどのしょっぱいものまで多種多彩なものが並んでいる。

私が食べたい、というよりセラードが食べたそうなものをチョイスした。

 

「これ……」

 

 私が選んだのは潰したイチゴと生クリームがふんだんに使われたクレープだった。

 

 しばらくすると、宝石のように輝くクレープが目の前に現れる。

近くにあったベンチに腰掛け、しばし食べずに眺めた。

食べるのがもったいないくらい本当にキレイだった。

セラードだったら満面の笑みを浮かべてくれるだろう。

 

「食べろよセラード、溶けちまうぞ」

 

「え、ああ、はい」

 

 一口だけ食べた。

一口だけなのに、イチゴと生クリームが全身に駆け巡ったかのような衝撃が走った。

気づけば二口、三口と頬張っている。

 

「お、美味しい……アルコはなにを?」

 

「俺か? 俺はチョコだ」

 

「意外と可愛い物を食べるんですね」

 

「悪いかよ」

 

 アルコが私の頭に手を乗せた。

ブカブカキャスケットを押し込み目のあたりまで下がる。

なんだろう。

セラードにとってアルコはお父さんみたいなものだったのかな。

じゃあアルコにとって、セラードは娘みたいなものだったのだろうか。

 

 私は、なんなんだろう。

アルコが私に砕けた接し方をしていたのは、娘みたいなものだと思っていたからなのかな。

 

 今となってはどうでもいいことかもしれないけど、セラードの立場になって急に気になり始めた。

私たちとは幼い頃から一緒にいるけど、未だにどう思っているのか分からない。

 

「アルコさんは姉様のことどう思っていました? 女として、姫として、姉として……とか」

 

「なんだよそれ。そうだな、まず女としてだが、俺からすればまだまだだったな。あと五年も経過して冗談と可愛げを覚えたら一人前かもな。次に姫としてだが、よくやってくれてるほうだと思うぞ。面倒って思ってただろうけど、ちゃんとペルセポリスでシュトゥルーヴェまで行こうとしてたし、学校との両立もよくできてたもんだ」

 

 よくやっていた。

とは語弊だ。

大半はやらなきゃいけない使命感のようなものだったし、私も本当は学生生活を充実させたかった。

 

「で、姉としてだが。そりゃセラードのほうが分かってるだろ」

 

 確かにその通りだけど、それじゃダメなんだ。

 

「アルコさんの意見を聞きたいんです。どう思っているんですか?」

 

「俺かぁ」

 

 いつの間にかクレープの足先まで食べていたアルコが最後の一口を放り込んだ。

ふぅと息をつき、狭い通路の天井を眺めた。

 

「あいつはなぁ、完璧すぎて不完全だよ」

 

「完璧すぎて不完全……」

 

「お前のことなら命がけで守るだろう。お前のことが自分のことよりも大切で常に心配している。でも大切にしたいからこそ、距離感が把握できてない。近づき過ぎて壊れるのもイヤで、離れすぎて消えてしまうのもイヤ。だから完璧すぎて不完全」

 

 図星も図星。

アルコは私のことを私より理解できているかもしれない。

 

「そうですよね、距離って難しいと思います。姉妹でも遠慮ってものがあるし……」

 

「セラードも同じこと思ってたのか」

 

「へ? あ、姉様もそう思ってたと思います」

 

「なんだか、大人びたなセラード。いや、なんとなく雰囲気がな。なんとなくだ」

 

 アルコが立ち上がるとほぼ同時に、私はクレープを食べ終えた。

セラードの体でクレープ一つは少しお腹に厳しかったけど、セラードの分まで楽しめたのなら良しとしよう。

 

「ほら」

 

 アルコは私に手を伸ばした。

少しキャスケットを上にずらし、その大きな手を握った。

手を握りながら眠ったおかげか、不思議とアルコの手はセラードの体に馴染んでいる。

 

 クレープ屋の横を通り過ぎて大通りに出ようとしたとき、横から大きな毛むくじゃらの生物が接近してきた。

 

「わっ!」

 

 金色の短い毛が特徴の大きな犬、ラブラドールレトリーバーの濡れた黒い鼻が私の頬に命中。

驚いてしりもちをついた。

 

「あらごめんなさい」

 

 犬が諦めて、飼い主と一緒に去っていった。

アルコから受け取ったハンカチで顔を拭きながら立ち上がる。

 

「どうしたお前、あれくらいの犬ならいきなり出てきても平気だっただろ」

 

「なに言ってるんですか、犬は……」

 

 そういえば、セラードは犬が好きなことを思い出した。

私は犬が苦手だ。

幼い頃に犬に腕を噛まれて以降、犬には近づけない。

 

「犬、好きだったろ」

 

「あ……いや、その……」

 

「お前、なんか変だぞ」

 

 アルコが私の身長に合わせて姿勢を低くした。

目を見据えてくる。

疑うような視線というより、心の中を探るような視線だ。

まるでセラードよりメリダを見ているかのように。

 

「どうしたセラード? シルヴァンシャーで逃げてきてから思ってたけど、いつもと違うぞ。……まさか、あれを使ったな」

 

「使っ……?」

 

「セラード、ちょっと質問がある。あのマンガ、なんていったっけな。ほら、娯楽室で読んでただろ、なんとかバッファローって」

 

 あれだ。

 

 セラードが読んでいた、長い名前のマンガ。

たしかミリタリーと恋愛モノの作品だった。

 

 覚えてない。

マンガは得意分野ではない。

タイトルも作者の名前も覚えてない……。

 

「違うな、ウォーターなんとかだったか」

 

「う、ううう、ウォーター・ドン・グレンシャー……?」

 

「ウォータートン・グレイシャーな」

 

「そ、それです!」

 

「違う。それは作者の名前だ」

 

 アルコのトラップに見事に引っかかってしまった。

言葉での勝負はさすがにうまい。

 

「主人公の名前は? ヒロインの名前は? 出てくる動物の名前は?」

 

 最初の一文字すら出てこない。

 

「やっぱりお前、使ったな? ゴレスターン」

 

「う」

 

「ゴレスターンで精神を入れ替えたろ、メリダ

 

 観念した私はキャスケットを外した。

ウソがバレて、とてもアルコの目を見ることができない。

ゴレスターンの件がバレたなら、すなわちセラードの死も知られたということ。

 

「ごめんなさい……黙ってて」

 

「いいよ。お前にもお前なりの考えがあって黙ってたんだろうからな」

 

 私は観念して、ペルセポリスでの出来事をアルコに伝えた。

 

 ゴレスターンで変身して扉と警備ロボットを破壊したこと。

 

 セラードが殺され、ゴレスターンを使って精神を移したこと。

 

 それからずっとセラードのふりをしていたこと。

 

 つまり、私がアルコとソファで眠ったことも知られたということになる。十八歳を手前にして大人の男の人と手をつないで眠るなんて、アルコも信じられないだろう。

 

「じゃあ、セラードは死んだんだな?」

 

「うん……」

 

「そうか。大変だったなメリダ

 

 アルコは私にも見えないほど顔を伏せた。

泣いているのか、目頭を手で押さえている。

 

「本当に大変だったのは私じゃない、セラードだよ……撃たれて死んじゃったんだから」

 

「そうだな。でもお前は不完全なゴレスターンで変身してセラードを守ろうとした。立派だよ」

 

「立派……守れなかったんじゃ、立派とは言えないよ」

 

「まぁ、そんなに難しく考えるな。今は戻ろう。戻ってからじっくり悩め」

 

「うん……他の人たちには、内緒にしておいてもらえる?」

 

「ああ」

 

「私が……メリダが死んだって母さんに知られたらパニックになると思うし、状況が良くなってから言うべきだと思う」

 

「そうだな。俺もそう思う。周りにはうまいこと誤魔化しておく」

 

 むしろ、このタイミングでアルコにバレて良かったかもしれない。

一人で秘密を抱えるより、一人でも共有できる仲間がいたほうがいい。

 

「行くぞ。シルヴァンシャーに乗って、人の少ないところを進んでアシャンティに戻る」

 

「うん」

 

 アルコが手を出してきたけど、私はそれを拒否した。

セラードのふりをするために手を繋いでいただけであって、今更そんなことをしようとは思わない。

 

 でも、ソファで眠ったときは別だ。

 

 

 

 シルヴァンシャーは人のいない山道を選んで進んだ。

途中で通り過ぎたいくつかの車には目撃されたけど、軍隊の所持する特殊な乗り物くらいにしか思われてないはず。

サイズもあるし、ヘリも撃ち落とせるほどのバルカンを装備しているからかなり目立つと思うけど、戦時中でもないとみんなはそこまで気にしないのかもしれない。

 

 山道を登り切ったら反対側に降りて道なりに進めば私の家に到着する。

家といっても王族の家だから厳重なセキュリティやSPがいるし、軍隊の施設も兼ねている。

でもセラードのいない今は無駄に広く感じてしまうかもしれない。

 

 しばらく山道の地味な風景が続いている。これはこれで自然を堪能できるけど、こうも同じ風景ばかり流れると飽きてくる。

 

 どこからか疲れがやってきて私は少し眠った。

気づけば、いつの間にか夕日が落ちて雲がちらついていた青い空が鮮やかなオレンジの空に切り替わっていた。

 

メリダ、着いたぞ」

 

 アルコは一つも文句を言わず操縦に徹してくれたおかげか、すでに家の前に到着していた。

 

 寝ぼけ眼を擦って、周囲を確認すると、大量の警備が集まっていた。

 

 

 

 それからは大変だった。

警備も親戚も大量に集まっていて、ペルセポリスが落ちた件についてしつこいくらい訊かれた。

それもそうだ。

姫が乗った船が撃墜されたんだから。

何人死んだ、何人生きている、どこに落ちた、いつ落ちた。

……当たり前だけど、みんながみんな物騒な質問ばかりぶつけてきた。

私は情けないことにまともに答えることができず、アルコが代わりに答えてくれた。

なにからなにまで頼りっぱなしで申し訳ない。

 

 

 

 私が乗っていたことは公にはなっていないらしく、そこまで大きなパニックにはなっていなかった。

でも私以外の人間が死んでも世間には響かないなんて、あんまりすぎる。

 

 私の心は疲れに疲れきっていた。

目の前で妹の死を目の当たりにした私は、大勢の人間による小難しい話についていけなかったし、これ以上物騒な話なんて耳に入れたくなかった。

 

 久々に部屋――周囲に怪しまれないようセラードの部屋――に戻った。

端には女の子らしい純白のドレッサーと桃色のキャビネットが置いてある。

キャビネットには可愛らしい服がいくつかかけられている。

まだセラードには大きすぎるベッドがあり、私は大の字に寝そべった。

 

 一人で寝るのが怖いと言ってたセラードだったけど、無理して一人で寝ると言って自分の部屋が欲しいと頼んだっけ。

あまり入ったことなかったけど、十歳のセラードには大きな部屋だ。

 

 アルコの支えは助かったし嬉しかったけど、今は一人になりたかった。

セラードの匂いを少しでも感じたかったし、これからのことをじっくり考えたかった。

 

 私は姫として失格だ。

こういう状況だからこそ対応できるようにすべきなのに、アルコに投げっぱなしで部屋に籠ることしかできないから。

 

「あ、そうだ」

 

 ベッドから起き上がり、ふと純白の小さなドレッサーに目をやる。

 

 たしかセラードは私の誕生日プレゼントのために密かにブローチを作ってるってアルコが言ってた。

隠すとしたらここしかない。

鏡の下に薄い引き出しがついていた。それを引っ張る。

 

 あれ……ブローチらしきものはなかったけど、代わりに一冊の白いノートが入っていた。

手に取って表紙を確認したけど何も書かれていない。

 

 亡き妹のものとはいえ、人のノートを勝手に読むのは良くない。

でもセラードのことだから絵日記か、何かの勉強ノートかもしれない。

 

「うう……気になる」

 

 ごめんセラード。

でも少し見るだけだから。

 

 私は心の中で謝り、軽くノートを開いてパラパラとめくってみる。

 

 左端の二ページほどにブローチの完成図や部品のイラストが描かれていた。

どう作っているのか不明だけど、マニュアルや部品を買って作っているのかもしれない。

これがその設計図だろう。

以降は白紙の連続で、文字の一つもなかった。

 

 拍子抜けして閉じようかと思ったそのとき。

 

 ノートの右端あたりから折りたたまれた小さな紙が落ちた。

ノートを戻してそれを拾う。

 

「なんだろう、これ」

 

 コンコン。

 

 不意に扉がノックされた。

慌てて紙をポケットにしまって、扉の前まで進む。

 

「はい」

 

「セラード? 私」

 

 母さんの声だ。

声音からして難しい話とかではなさそうで安心する。私は扉を開いた。

 

「セラード、大丈夫?」

 

「はい」

 

 部屋に入った母さんは、急に私のことを抱きしめた。ちょっと強めで痛かった。

 

「セラード、さっき服の背中に穴が空いていたけど、本当に大丈夫なのね?」

 

 セラードが撃たれたときの傷のことだ。

ゴレスターンで体の傷は治せるけど服まで治すことはできない。

丸く焼け焦げた穴は妙に生々しくて、セラードの痛みを表しているようだった。

 

「大丈夫です。私は大丈夫」

 

「そう……あなたが無事ならそれでいいのよ……」

 

 抱きしめる力がさらに強くなる。

 

「姉様は、死にました……私を守って撃たれて動けなくなって、それで、船が落ちて……」

 

 私だって娘だ。

母さんには私の最期くらい報告したい。

 

メリダ? メリダはいいの」

 

 ちょっとは悲しんでくれると思ったのに、母さんの返事は冷たかった。

 

「いい? いいって……?」

 

メリダは姫に相応しくない人間だった。やる気もなければ友達と遊びに行く始末で、国を束ねるような器なんてない。いいの、あの子は死んで良かったの」

 

「死んで、良かった……?」

 

 心臓を握り潰されたような、針を刺されたような衝撃が走る。

 

「で、でも、姉様は私を守って……」

 

「次の姫はセラードよ。あなたはしっかり勉強して姫に相応しい器になりなさい。学校もメリダより良い学校に入って、もっといろいろなことを学びなさい。メリダを反面教師にしなさい。セラードなら分かるわよね?」

 

「あ……あ……」

 

「今はショックかもしれない。でも人の死なんてすぐに慣れるわ。たかだが十年しか一緒にいなかった人間なのよ、死んでしまえばもう他人なの。メリダのことなんて、忘れなさい」

 

 たしかに姫としてダメだったかもしれない。でも親が娘の死を悲しまないなんてあんまりだ。

 

 母さんは涙を流しながら喜んでいた。

でもそれは、セラードが無事だったから出た表情ではないだろう。

邪魔な私が死んだことに対する喜びなんだ。

 

「セラード、今日はゆっくり休みなさい」

 

「は……はい」

 

 茫然自失。

私は部屋を出ていく母さんの背中を眺めながら、その背中にはもう温もりはなくなってしまったんだなと悟った。

 

 ……もういいや。

今日は寝てしまおう。

明日になれば少しは心も体も休まるはず。

 

 でもその前に、ノートに挟まっていた小さな紙を確認したかった。

こんな紙一枚程度で何かが変わるとも思えなかったけど、セラードの残したものを少しでも目に入れたかった。

 

 折りたたまれた紙を開く。

そこにはたった一言だけ、こんなことが書かれていた。

 

 ソルテア。と。

 

 ―二日目 夜―

 

 ミスティミラージュ・オンラインでデルフィ――いや、ゲームでの名前はソルテア――と待ち合わせをしていたのに、時間になってもデルフィは姿を現さなかった。

 

 ゲームを中断してみると、デルフィから電話がきていた。

お腹を刺されて駅に辿り着いたデルフィに茫然自失になった俺だったけど、なんとか意識の首根っこを捕まえて家に戻った。

 

 それから、デルフィが口にした“アルベロ”なる人物から電話がかかってきていた。

 

『初めまして。私の名前はアルベロだよ。お友達は元気かな』

 

 知らない声だった。

というより、変声機のようなもので声を変えていて、まるでニュースに登場する目撃者Aさんのような妙に高い声だ。

 

「誰だよお前、なんで俺の携帯の番号を知っている……?」

 

「だから私はアルベロだ。

番号はきみのお友達の携帯から見てね、悪用しないから安心しなよ」

 

「ふざけんな……ふざけんなよお前!」

 

 危うくスマホを投げつけそうになった。

ぐっとこらえて電話の向こうにいるそいつに質問をぶつける。

 

「お前、あの子を刺したのか、どうなんだよおい」

 

「あの子、あの子とは?」

 

 あえて名前は出さない。

無関係の可能性も考慮したうえのことだ。

 

「とぼけるな。お前のせいで腹から血を流して救急車で運ばれたんだよ。お前がやったんだろ」

 

「やった、私がね」

 

「クソ!」

 

 俺は電話を切った。

急いでそいつの番号を紙にメモし、着信拒否の設定をした。

 

 これ以上あいつと話していても、しらばっくれるだけだ。

 

 汗ばんだ手でスマホをベッドに投げ、頭もくしゃくしゃにかき乱した。

わけがわからない。

なんで夕方まで平和だったのにこんなことになるんだ。

なんで俺やデルフィがこんな目に合わなくちゃならないんだ。

あいつは誰だ。

なぜ刺された。

いつ刺された。

デルフィは無事なのか。

なにがどうなっているんだ。

何も分からない。

誰か教えてくれ。

 

「そ、そうだ」

 

 警察。

警察だ。

あのアルベロとかってやつはバカ正直に電話番号を残していった。

これを使って警察に通報してやれば、すぐに追跡してくれるはずだ。

 

 ベッドに投げたスマホを手に取って警察にかけた。

 

「もしもし! 警察ですか!?」

 

 電話の向こうにいるやる気のなさそうな警官に要件を伝えた。

メモしたアルベロの番号を伝えると「調べときます」とだけ言われて電話は切られた。

かなり信用ならない雰囲気だったが、何もしないよりはマシだろう。

警察でもない俺にはこれくらいしかできない。

 

 ベッドに大の字に寝そべり、少しでも落ち着こうと目を閉じた。

心臓は爆発しそうなくらい動いている。

何度深呼吸を繰り返しても落ち着かない。

 

 大丈夫だ。

デルフィは大丈夫。

人間の体は意外と丈夫にできているんだ。

あれだけ細身で小柄でも、ハムスターや虫とはわけが違う。

人間なんだ。

今の医療技術だってバカにできない。

 

 ダメだ……落ち着かない。

今までの人生で一番落ち着かない。

 

「あー……クッソ!」

 

 なぜか、自分の顔を殴った。

そうすれば落ち着くと思ったからだ。

いや、そんなことしても無駄だ。

明日になればきっと落ち着く。

学校でトレドとバカ騒ぎしてればなんとかなるはずだ。

 

 そんな根拠のない希望をもって、風呂で汗を流してから今日は眠った。

でも頭の中はデルフィでいっぱいだった。

今日一日だけの付き合いしかなかったけど、俺にとってはもう友達だ。

 

 明日は病院に行って、腹に包帯を巻いたデルフィと会ってやろう。

それで、警察に通報したからもう安心だって伝えてやるんだ。

 

 

 

 ―三日目 朝―

 

 翌日。

心も体もすべてが疲れきっていて、予定より一時間も遅く起きた。

もちろん遅刻だったけど、学校に行く気力もない。

 

 もう大丈夫だろう。

と思って、デルフィに電話をした。

でも一回コールが鳴ったところですぐに切った。

手は病院だ。

電話はダメに決まってる。

学校で直接会うしかない。

 

 憂鬱な身体に無理をさせて、億劫だけどベッドから下りた。

制服に着替えて家を出る。

今日使う教科書とかを把握してなかったけど、まぁいい。

 

 ――駅に着いた。

誰かが掃除したのか、ベンチの前にあったデルフィの血痕は消えていた。

それでもジュースをこぼしたような黒い染みが残っていた。

 

 デルフィの家はどこなんだろう。

家族は今、どういう状況なんだろう。

ものすごいパニックになっているに違いない。

でも俺にはそこまで踏み込む権利なんてない。

 

 

 

 遅刻して教室に入ったとき、すでに二限目だった。

ハゲ担任に怒られたけどどうでもいい。

 

 二限目は眠った。

いびきをかいていたかもしれない。

アトスによると堂々と爆睡していたらしい。

でも無理だ。今更まじめに授業を受けるなんて。

 

「おい、どうした」

 

 休み時間になり、トレドが背中を叩いて言った。

 

「転校生も休んじまうし、お前も遅刻するし、今日はどうなってんだよ」

 

「あ、いや……」

 

 この様子だと、まだクラスはデルフィの件を知らないらしい。

昨日の夜のことじゃそんなすぐに情報は回ってこないか。

つまり知っているのは俺だけ。

いやデルフィの家族もか。

 

「なんかあるんなら聞くぞ。っていうか、なんかあるだろ」

 

「あ……いや……」

 

 言うべきか言わずべきか分からない。

俺だけの問題ではないし、失恋や宿題を忘れた程度の話じゃない。

俺が言わなくてもいつか情報はやってくるだろうけど、こんな気分が落ちた顔をずっと晒し続けるのはイヤだったし、自分一人だけで抱えるのも辛い。

 

 せめてアトスにだけは伝えたほうがいい。

そう判断した俺は、それが最善かも分からないままアトスの肩を叩いた。

 

「な、なぁアトス。ちょっとこっち」

 

 教室にいたら誰かに聞かれるだろう。

それは困る。

アトスとそっと教室を抜け出し、廊下の端まで移動した。ここなら誰も盗み聞きするようなやつはいない。

 

「あ、あのさ。実は昨日、マズいことになった」

 

「あのデルフィって転校生と一緒にいただろ。お前らが一緒に外に出たとき、偶然目撃したのさ、学校の中からな。雨の中でも分かったよ」

 

 誰かには見られていただろうけど、やっぱり見られていたか。

 

「で? デルフィとのことか? さっそく失恋でもしたか」

 

 そういうことを冗談のレベルで言えるアトスは無神経だ。

 

「違う。真面目に聞いてくれ」

 

 真面目、という言葉に反応したのか、アトスはやや崩していた体勢を正した。

 

「まさか、デルフィがさっそく休んでいることと関係あるのか」

 

「あぁ」

 

「なぜ休んだ」

 

 なんとなく一緒に帰って、ゲームセンターでぬいぐるみを取ったこと。

その後に電車でゲームの約束をしたこと。

でも約束の時間になっても姿を現さなかったこと。

急に電話がきて、刺されて駅で見つけて救急車を呼んだこと。

学校が終わってからのことを全て説明した。

 

 だがアトスは冷静だった。

心の底から冷静だったかは分からない。

俺の手前だから無理しているだけかもしれないけど、その姿勢が心強かった。

 

 それと、俺が電車を降りるときに見つけた、デルフィの写真を持った黒いフードのヤツについても説明しておいた。

 

「大丈夫なのかデルフィは」

 

「救急車には乗ったけど、それからどうなったのかはまでは……」

 

「そうか。それじゃあ報告を待つしかないか」

 

「それより、犯人について話したい」

 

「お前の話だけじゃ断定できないが、ストーカーか通り魔か、強盗か……まぁその辺だろうな」

 

「やっぱり、そうだよな」

 

「だがまず疑うべきはその黒いフードの男だ。どう考えてもそいつが犯人だろう」

 

「でも証拠がないし、あの写真だって本当にデルフィなのか分からない」

 

「いや、女の子の写真を持って黒いフードって、どう考えても犯人だろ」

 

「警察に言ったほうがいいのかな」

 

「まぁ不審者として通報はできるだろうけど、犯人としてはムリだな。証拠がない」

 

 アトスの頭は意外と頼りになる。

犯人だと決めつけてはいるけど、警察に説明するには決定的な証拠が必要だと理解できている。

 

 警察、と自分で口にして、ふと思い出した。

あのアルベロという人物についてだ。

直後電話をかけてきたことと、番号を警察に伝えたことも説明した。

 

「アルベロか……」

 

「デルフィ曰くゲーム内の名前らしい。現実の容姿やらは分からない」

 

「ゲーム、ねぇ……」

 

 まさかここでゲームが入ってくるとは思わなかったのか、アトスは顎に指を当てて唸った。

 

「じゃあ、その男を探せばいいんだな」

 

「男かどうかは分からないけど。そうだと思う」

 

「番号を警察に伝えたって言ったな? たぶんそれ、ムダだと思うぞ」