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小説:暴風荒ミスティ・ミラージュ ラスティ(前編)52856文字

小説 

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一章 ハイスピードスローモーション

 

 彼女は、まさにピンチと呼べる状況だった。

人生における、最大のピンチとも言える。

 

 ある能力を有する少女、クローナエスクードの額には無骨で冷たい銃口が突き付けられていた。

額にゼロ距離で密着しクローナを焦らせる。

 

 金髪ロングヘアーで碧眼のクローナの瞳は、それでもなお強く輝いている。

純白のドレスに、風さえ吹けば優雅になびくロングスカートは華奢な体にマッチしている。

戦いには向かない格好だが。

 

 何両も連なるこの列車は、山岳地帯に敷かれたレールを進むせいで不規則な揺れを繰り返していた。

この部屋にある木箱も微妙な振動を繰り返し、カギのかかった鉄の扉もガタガタと軋んでいる。

 

 だがクローナに逃げる隙などない。

 

「ラッツ、あなたスパイだったのね?」

 

 クローナは目の前にいる“元”秘書の男にそう言い放った。

長髪で黒いスーツを纏った細身の男だ。

 

「あなたの能力はとても危険だ。イメージ次第でなんでもできるからな。やろうと思えばできるのではないか? この銃口を瞬時に溶かすことも」

 

 クローナの能力、それは目で見たものに限り、イメージ次第で様々なことが可能となる能力だった。

 

 当然、金属をひしゃげることは簡単で、列車を空に飛ばすことも可能だった。

だがその能力を使えば凄まじく体力を消耗してしまうため、今ここで使用すれば隙だらけになるだろう。

能力の規模などによっても体力の消耗具合は変わる。

 

 仮にラッツを能力で封じたとしても、別の場所に仲間がいる可能性もある。

能力があるとはいえ、迂闊に行動するのは危険だ。

 

「恐ろしい小娘だ。まだ十七そこらの年齢なのに、そんな悪魔のような能力があるとはな」

 

「ラッツ、なにが目的なの? 一週間前に新しく秘書になったと思ったら、いきなり裏切るなんて、なにが目的なの?」

 

「決まっているでしょう。我々ナイラ国は、あなたの能力が欲しい」

 

「この能力でなにをするつもり? まさか、戦争に使うだなんて」

 

「そのまさか、だ。ナイラ国はあなたを奪い、あなたたちのいるエンギルダ国を滅ぼすのが目的さ」

 

「そう……分かりやすくて助かるような理由ね」

 

「あなたたちエンギルダ国の地下には、豊富な資源がたくさんある。油や金属、温泉も湧き出るそうじゃないか」

 

「そう。そこまで私の能力が欲しいなら、その拳銃で脅して連れて行けばいいでしょう?」

 

 クローナはあくまで強気だった。

 もしも足を撃たれるようなことがあれば、能力で反撃するつもりだったからだ。

 

「それとも、私の足を撃って弱らせてから連れて行く?」

 

「そんなことをしてもムダでしょう。あなたが強いことは知っている。一週間も秘書をやっていたのだから」

 

「じゃあ、どうするつもりなの?」

 

「こうするつもりさ」

 

 ラッツがパチンと指を鳴らすと、カギのかかった鉄の扉が外側から突き破られた

その向こうには斧を持った大男がいて、もう一人の男が十歳くらいの少年を人質にとっていた。

 

 卑劣な手口に唇を噛むクローナ

 

「さぁ、どうするクローナエスクード?」

 

「こ、こうなったら……」

 

「能力、使いますか? 使っちゃいますか? いいんですかぁ?」

 

 まず能力でラッツを弾き飛ばし、その後に二人の大男を行動不能にさせる。

強引な手段ではあるが、それがクローナのイメージだった。

 

 たとえ相手が敵であっても、クローナは殺害をしない。

人を殺めてしまえば、それはもう悪魔と変わりない存在だと考えているから。

 

 殺害するかはともかく、ここで事態を好転させるには、他に策がない。 

 

 だがクローナは動かなかった。

 

 ここまで能力を使わせたがるには、なにか目的がある、と。

 

「おっと、気づいたかクローナエスクード

 

「ま、まさか……」

 

「ほうほう、二度目のま・さ・か。ですね。そのまさかだよ。この列車内には爆弾を仕掛けた。もしあなたが能力で俺達を始末したら、さてどうやって逃げる気かな?」

 

「せ、戦争なんかで私の能力が使われるくらいなら、ここで死んだ方がっ……!」

 

「あなたはよくてもね、この列車にはたくさんの乗客がいることをお忘れなく。しかも、数十メートル後方には別の列車もある。ここが爆弾でふっ飛ばされたら、後ろの列車も巻き込まれるでしょうなぁ」

 

 成すすべは、ない。

 

 クローナの能力は、目に見えるものにしか使えない。

 

 どこにいくつ爆弾がセットされているのか不明ならば、爆弾を消滅させるという荒業も不可能である。

 

「どうするクローナエスクード。抵抗するなら大歓迎だが?」

 

 諦めたクローナは、両手を上げたままゆっくりと立ち上がった。

人質にされた少年は、涙目でクローナを見つめることしかできない。

 

「ラッツ、その前に、一つだけ質問が」

 

「おおう? なにかね」

 

「そこの子供と、この列車と後ろの列車、全てに手を出さないという保証は? 爆弾を解除するという保証は?」

 

「うーん。なかなかいい。なかなかいい考えだクローナ。そこまで周囲を優先するか。自分よりも他人を守るか、実にいい」

 

「いいから、はやく答えなさい」

 

「我々は戦争に勝ちたいだけであって、テロリストではないんだ。無益な殺傷はしないし、無意味に目立つつもりもない」

 

「そう。じゃあ手錠でもなんでもかけて、それで満足したらそこの子供を解放して、すぐに爆弾を止めなさい」

 

 クローナが後ろに手を回すと、大男の一人が細いロープで手を縛った。

 

「よし、約束だ。そのガキを解放しろ」

 

 ラッツに命令された斧の男は少年を解放した。

泣き叫ばないだけ、勇気があると言えようか。

 

「意外と素直なのねラッツ。この一週間、あなたのことは気に食わなかったけど、初めて感心したわ」

 

 それはクローナの僅かな反撃だった。

 

 だがラッツの怒りの導火線には小さな火がついた。

自由を奪われたクローナの細い首にラッツの手が伸びる。

 

 首を絞めたっ!

 

「貴様なんぞ、能力さえなければただの細腕だ。戦争に勝って用済みになったら適当なところに売り飛ばしてやる。お前のような上玉は高く売れるからな。調子に乗れるのは今のうちだぞ」

 

「……ぐ……そ、そう。楽しみね」

 

「貴様っ」

 

 クローナの頬にビンタが叩き込まれた。

鋭い痛みと共に、破裂音が響く。

 

 手でバランスを取れないクローナは、床に尻餅をついた。

口からは一筋の血が真っ赤な線を描いている。

それでもなおクローナは、ラッツを睨み続ける。

 

 そのとき、部屋にあった木箱の隅から、一匹の小動物が現れた。

 

 ネズミほどの大きさだが、背中に無数のトゲをはやした、ハリネズミだ。

 

「ピアストル、ここにいたのね……」

 

 ピアストルと呼ばれたハリネズミは、クローナの背中を器用に走り、頭上へ到達した。

 

「なんだその小動物は」

 

ハリネズミ、知らないの? 私の大事な仲間よ」

 

「ふん。ネズミが仲間か」

 

「いいでしょ、ハリネズミの一匹くらい」

 

「好きにしろ。はやく立ち上がれ」

 

 強気の姿勢を崩さぬまま、クローナは立ち上がった。

 

「それで、どこに連れて行くつもりなの? まだ列車は動いているようだけど」

 

「心配するな。次で停まる。あとは仲間と合流して、我がナイラ国に連れて行って、戦争をおっ始めれば目的は果たせる」

 

「そう」

 

 表面上は冷静さを失っていなかったが、心臓の鼓動は破裂しそうな勢いだった。

 

 おそらく、護衛などはすでに殺されている。

この先いつ能力を使われても良いように、きっと手も打ってある。

このままでは、思惑通りに戦争が始まってしまう。

 

 本当は、泣き叫びたいほど恐怖していた。

 

 けれども涙の一つでも落とせば、完璧に負けを認めることになると思っている。

それがクローナの心境だった。

 

「でも、列車が停まるまではまだ時間がある。だからクローナ、あなたには見てもらいたいものがあるんだ」

 

「見てもらいたい、もの? それは?」

 

 後ろにラッツが立ち、クローナの背中にピタリと銃口を合わせたまま場所を指示する。

 

 能力があるとはいえ、手を縛られていればただの少女だ。

拳銃には勝てない。

 

「後ろから見てるとよ、なかなか綺麗な髪の毛してるじゃないか。知っているか? 髪の毛ってのは綺麗なら売ることもできるんだ」

 

「やっぱり能力を使うだけ使って用積みになったら売るのね」

 

「俺はあなたのような子供には興味ないが、な。ほれ、そこを右だ、その扉に入れ」

 

 銃口を向けたまま通路を歩くと、右手にひと際大きな扉があった。

客室の扉に比べて大きなカギがついている。

 

 異質! そういった雰囲気を、クローナは感じざるを得ない!

 

「それを開けろ」

 

「開けろって、カギがかかってるけど」

 

「あなたならできるだろう。能力で、な」

 

 確かに、クローナにならカギの一つや二つくらい造作もないことだった。

開けるだけでなく、完全に消し去ることもできる。

 

「いいの? この能力であなたを消すこともできるのよ」

 

「脅したって無駄だぞ。その能力は目に見えるものにしか効果がないんだろう」

 

 それに、能力を発動すると凄まじく体力を消耗する。

 

 そう。

抵抗し辛いように、ラッツはあらかじめ体力を削らせるつもりでいたのだ。

 

「……今後は秘書にも能力について秘密にしておくべきね」

 

「今後があれば、な。はやく開けろ。はやくだ」

 

 クローナは目の前にある頑強なカギを見据えた。

 

 クローナの目が黄金に輝き、能力を発動する。

 

 触れてもいないはずだが、カギは生きているかのように“痙攣”している。

 

「ほほう。これが能力か。面白いじゃないか。戦争に使うのもいいが、サーカスに出すのも面白いな」

 

 砂にでも生まれ変わらせたかのように、カギはその場に零れ落ちる。

 

「うっ……」

 

 クローナの息が切れ、その場にへたりこんだ。

三百メートルほどを全力疾走したのとそう変わらないほどの消耗だ。

 

「ど、どう……はぁはぁ……これで、分かった? 能力が」

 

「うんうんうんうんうん。面白いね。面白いね。しかし困ったな、あんなカギ程度を消すだけでこれほど消耗するのなら、敵の兵隊を一度に消し飛ばすほどとなると、死ぬのか?」

 

「ば、場合によっては、気絶するかもね」

 

 これくらいの消耗なら数分で回復できるが、酷ければ何日も休息を要するときがある。

強力すぎるほどの能力だが、もちろんそれ相応の消耗もするのだ。

 

「そろそろ立てるだろ、ほら開けろ」

 

 拳銃で背中を小突かれ、クローナは扉に能力を使い開いた。

 

 念のため、そっと開く。

重苦しい鉄の扉が、口を開けた。

 

「なに、これ」

 

 そこにはクローナの想像を絶するものがあった。

 

 時代や世界観を越えたような、SF小説にでも登場しそうな――。

 

「驚いたかね。こいつはニッポンという小さな国で見つけたのさ」

 

「み、見つけたって……」

 

 そこには紫色の液体が詰まった透明な箱があり、中で上半身裸の男が横たわっていた。

 

 歳はクローナとほぼ同じでまだ若いが、逞しい体つきであり、誰が見ても納得する屈強な身体だ。

 

「あ、あなたたちは人を、こんな風にっ!」

 

「こいつはね、あなたと一緒に兵器になってもらうのだ。見ろ、こいつの手を」

 

「手?」

 

 男の手には、複雑な模様が彫られた手袋があった。

紫色の液体につけられているためクローナには確認し辛いが、その模様は気高き獅子の模様であった。

 

「この手袋が……なに?」

 

 

「あなたは、ニッポンという小さな国をご存知で?」

 

「えぇ……礼儀正しい人種が多く、人の愛を大事にするとか」

 

「ニッポン国に調査に行ったんだがね、そこにはサムライというものがいるそうだ」

 

「サムライ……」

 

 クローナにとって、聞きなれない四文字だった。

 

「そのサムライたちには、選ばれしものだけが使える強力な武器があったそうだ。それは剣でも拳銃でもない」

 

「カタナ? ニッポン人の魂とも呼ばれる」

 

「いいや違う。そこの手袋。それこそが強力な武器なのさ」

 

 男が身に着けている獅子の模様が彫られた手袋が、武器?

 

 クローナには何がなんだかわからなかった。

 

「この手袋が武器とは、どういうことです? いったい」

 

「なぜこの男がそれを持っているのかは分からん。分からんしどうでもいい。だがこいつにはな、肉体を変化させる特殊な力がある。ニッポンの歴史を調べたが、大昔はその手袋で変化させた肉体で魔物を討伐した伝説もある」

 

「肉体を、変化……? まさかあなたたちナイラ国は、この人と手袋を使って戦争をするつもりなの?」

 

「またまた三度目のま・さ・か。ご明察。それとあなたの能力もね」

 

「異国の者まで使って、そこまでして勝利したいの?」

 

「そりゃあそうでしょう。どうせ戦うのなら勝つべきだ。あなただってそうでしょう。無意味にジャンケンをするとしても、やはり勝ちたいと思うのが普通だ」

 

「非道ね、どこまでも非道よ」

 

「好きなだけ言ってください。わはは! 非道! けっこう! 一日で十五回くらいは言ってもらいたいぐらいだね!」

 

 ラッツは不気味な笑い声をあげながらクローナの手を引いて部屋を出た。

 

ただ、あのサムライを見せて自慢したかった。それだけのためにこの部屋へ招待したのだ。

 

「さてクローナエスクード。まだ到着しないみたいだから、もう一つ見せたいものがあるんだ」

 

「まだ兵器を用意しているの? それとも異国人?」

 

「見れば分かる。この隣の部屋だ」

 

 隣の部屋にも同様、大きなカギがついていた。

 

「また能力を使って開けさせたいところだが、ここであなたに倒れられては困る。申し訳ないが、目隠しをさせてもらうよ」

 

 ラッツは懐から取り出した黒い布を、クローナの顔に巻き付けて目を隠した。

見ることができなければ能力も発動できないので、隙をつかれないようにする策略だ。

 

「じゃあ、こっちはカギを使って開けよう」

 

 ドアにカギを滑り込ませ、開いた。

 

 そこには、二メートルほどの人型の機械が五体も並んでいた。

無口無表情で無骨なそれは、インテリアには向かないデザインだ。

 

「ラッツ、あなた、私にそれを見せたいのでしょう? なら目隠しを取らなければ、意味がなくって?」

 

「申し訳ないね、そんなことをして密かにこいつを暴走されちゃ困る」

 

 暴走――。

 

 つまり、暴れまわると危険なもの、ということだ。

 

「じゃあなぜここに連れて来たの? 意味がないでしょう」

 

「それはどうかな、この臭いで、何か分かるのではないか?」

 

 わずかではあるが、油の臭いが充満している。

料理などに使う油ではなく、列車や機械に使われる類の油だ。

 

「油……まさかナイラ国は、自律兵機(クワンザ)を開発したっていうの?」

 

 人以上の運動性能を持ち、命令次第でどこまでも突き進み破壊しつくし、死を恐れない最強の兵士。

 

 

 それは兵士であり、機械であり、究極の戦闘マシンなのだっ!

 

 究極の戦闘マシーンっ!

 

「まーたまたまたまたまた大正解の、ま・さ・か。だ」

 

「ば、バカなことを。こんな技術が現代で可能なわけが……」

 

「可能なのだよ、それが。まぁ、あなたには見せてやらないけどもねぇぇぇぇ!?」

 

 ラッツは再びカギを取り出してから、ドアに手をかけた。

 

 だが、このままクワンザを見逃すクローナではない。

 

 目に見えるものにしか効果がない能力だが”見えていれば”効果は発動する。

 

 つまり今は、目隠しが“見えている”のだ。

 

 (クワンザ、本当にあるのか見てやる……)

 

 能力を集中させ、目隠しを透視する。

 

 薄い布の向こうには、確かにクワンザが見えた。

 

 焦げ茶色と青のカラーリング。

体全体を装甲が覆い、関節部分には無骨な骨組みが見えている。

両手にはバルカンのような筒が装備され、頭にはランプのような目が一つだけある。

 

 そこで、扉は閉められた。

 

 一瞬ではあるが、確かに見えていた。

ウソであってほしかったが、確かにクワンザは存在した。

 

「さて、これで以上だ。あとは目隠しをつけたまま、到着するまで待機だな」

 

「そ、そうね……」

 

「どうした? 息が切れているようだが、おいおい、能力を使ったのか?」

 

 先ほど目隠しを透視したことにより、クローナの全身を疲労が襲った。

 

 ここでバレては面倒なことになる。

クローナは、必死の言い訳を脳内で構築する。

 

「この能力は見えるものにしか効果がないの。使えるわけないでしょ」

 

「じゃあ、その疲れた様子はなんだ。妙だな」

 

「目隠しをされて、手を縛られて、拳銃を突き付けられて、クワンザのことまで知ったんじゃ、それは疲れるのが当たり前でしょう」

 

「ほう。女だからと少しは気を使え、と」

 

「そういうこと」

 

「心配無用。戦争が始まればいくらでも気を使ってやる、丁重にな」

 

 それが冗談ということくらい、クローナは理解している。

悪質な、とても悪質な冗談だということを。

 

 突如、列車内を大きな揺れが襲った。

 

 重力を一瞬だけ反転させたかのような、上に強い揺れだ。

クローナたちの足も、僅かの間だがふわりと宙に浮きあがり、脳を揺さぶった。

 

 目隠しをされた状態でバランスを崩したクローナは、姿勢を維持できずしりもちをつく。

 

 だが情けない悲鳴をあげたりはしなかった。

ラッツという敵の手前、多少なりとも弱い部分を見せたくなかったのだ。

 

「おっと! クローナエスクード、大丈夫かな?」

 

「……」

 

 無言を貫く。

大丈夫といった意味もあり、心配無用といった意味もあり、黙っていろといった意味も込められた無言の威圧だ。

 

「これはこれは。山を登り始めた合図だな。このまま高く登り、あとは山を下りれば駅はすぐそこだ。そういう合図だ」

 

「もうすぐ、到着」

 

 クローナはなんとかバランスを保ちながら立ち上がった。

 

「そうさクローナエスクード。駅に到着すれば、あなたの負け。戦争はスタートし、あなたは兵器の仲間入り。すばらしいね」

 

「そんなに嬉しいの? 戦争で大勢の人が亡くなって、たくさんの人が悲しむのが」

 

「戦争は人を殺すためじゃない。人を生かすためにあるんだ。そのためには多少の犠牲もつきものではあるが」

 

「そんな下らないことで楽しめるなんて、いい性格してるのね」

 

「ふん。相変わらず強気だな。だがそれも今だけだ。さぁ、出口で待機していようじゃないか。一番前の車両まで来い」

 

 ラッツはクローナの背後に立ち、拳銃を突き付けながら前進させた。

目隠しをされながら歩くのは楽ではなかったが、列車内なので直進だけなら難しくない。

 

 なにか、作戦をたてなければ。

 

 自分に今できることは、この能力のみ。

 

 目隠しをされた状態では、“直接”見ることができるのは、目隠しのみだ。

能力は直接見たものにしか効果はなく、一度に色々なことをすると体力の消耗も多くなる。

 

 瞬時に目隠しをほどいてラッツの首を絞めることも可能だが、拳銃を持った相手の前で能力を披露して体力を消耗するのは危険だ。

かと言って何もせずただ兵器として連行されてしまうと最悪最低バッドエンドだ。

 

 最前列の車両まで到着したとき、ラッツの仲間が慌てた様子でやってきた。

 

「ら、ラッツ! ヤバい! ヤバいぜ!」

 

「おいおい、どうした。誰かが鼻血でも流したか?」

 

「あ、あいつが! あいつが動いた! 暴れてる!」

 

「あいつ? 誰のことだ」

 

「だからあいつだよ! あの箱に閉じ込めて連れてきたニッポン人だ! さっきの衝撃で箱が壊れて、中のサムライ野郎が暴れてやがる!」

 

「な、なんだっとぉぉぉ!?」

 

 ラッツはクローナを座席に突き飛ばし、仲間と一緒に後ろの車両に戻っていった。

 

 無人になったこのタイミング。

黙って待っているわけにもいかず、クローナは能力を使って目隠しを外し、後ろに縛られた手を器用に足の下から通して前へ向けた。

そちらも能力で引きちぎり、見事に自由を取り戻した。

 

 だが、疲労が激しい。

数分だけ座席で息を整えるが、連続で能力を使ったために頭痛も酷い。

 

「ど、どうしよう。ここで待つべきか、行くべきか……」

 

 自分は囚われの身。

 

 敵が来なければ、駅に到着してすぐ逃げることも可能だが、この列車には他の乗客もいる。

 

 例のニッポン人が暴れ、他の乗客を襲う可能性も考えられる。

 

 もしも罪のない乗客が襲われ、死者が出たら? 

クローナは自分を責めるだろう。

 

 この能力があれば、助けられるかもしれない。

 

 クローナは完璧に回復していない体のまま、後ろの車両へ駆け出したのだ!

 

 

 

 そのとき、ニッポン人が暴れる車両では。

 

「オリャア! クソ人類ども! こんな箱になんぞ閉じ込めやがって! てめぇらだろうが! おい!」

 

 罵声をまき散らしながら暴れまわり、ラッツの仲間であるナイラ国の兵士たちを次々となぎ倒していく。

 

「こ、こいつ! 目覚めたばかりなのに、なんてパワーだ! あぁああ!」

 

 兵士たちが拳銃を抜き放つ隙もなく、あっけなく突き飛ばされ壁にたたきつけられる。

 

 そのニッポン人は、まさに怪物とも言える怪力だ。

 

「この俺様を! リンセン様を箱に閉じこめるたぁいい度胸してるじゃねぇかクソ人類どもがぁぁあっぁぁ!」

 

 座席に重なり合い、身動きがとれない兵士たち

圧倒的な力に蹂躙され、無数の兵士たちは手も足も出ない。

 

「おい! こいつを押さえろ! 殺すな! 捕まえて箱に戻せ!」

 

 加勢してきた兵士たちが一斉にホルスターから拳銃を抜き放ち、無骨な弾丸を撃ち込んだ。

 

 だがリンセンと名乗るニッポン人は、手袋から孫悟空が持つ如意棒のような棍棒を取り出した。

手袋の手の平あたりから、ぬぬぬっと。

どこか別の空間に直結しているのか、まるで袋から取り出すかのように……。

 

 そしてっ!

 

 暴れ始まったっ!

 

 棍棒をがむしゃらに振り回しっ! 次々と撃ち込まれる弾丸を、余すことなくはじき返してやった! 弾かれた弾丸たちは窓を突き破り! 座席にめりこみ床を抉り兵士たちの足を貫通ぅぅぅ! した!

 

「へっ! てめぇら、俺をあんなもんに閉じ込めた報いは受けて貰うぜ! 十把一絡げに、全員まとめて大・成敗してやるっ!」

 

 そのとき、リンセンの背後の車両からラッツが現れた。

 

 縦横無尽になぎ倒された兵士たちを見て、さすがに動揺!

 

「ま、まずいぞこれは! これはまずい! アレを使わねば!」

 

「あぁ? んだお前、お前も俺の敵だな? お前も、俺の、敵なんだな?」

 

 棍棒を構え、睨みつける。

 

 獣のような眼光にラッツは一瞬怯むが、あくまで反撃するつもりだ。

 

「くっ……こうなったら」

 

 懐にあったリモコンを操作すると、リンセンの隣の部屋にいたマシン――一台のクワンザが起動した。

カギのかかった扉を突き破り、ラッツたちのいる車両まで即座に駆けつける。

 

 クワンザには少々狭いが、暴れる空間がなければ不利なのはリンセンも同じだ。

 

「やれ! クワンザ! この出来損ないのニッポン人を捕まえろ!」

 

 先頭に立つクワンザがゆっくりだが力強い一歩を踏み出した。

関節から蒸気を吹き出し、油の臭いをまき散らしながら、鉄をもひしゃげさせる怪力をリンセンに振るうっ! これが猛威! 破壊的怪力っ!

 

「鉄クズ! お前もぶち壊して粉々にしてやるぜぇ!」

 

 

真正面からクワンザと組み合い、リンセンの全身にパワーが漲る。

 

 その力の迸り、さながら無限大のエナジー宿る生命の奔流っ!

 

「うごおぉぉぉぉぉぉぉおおお!!」

 

 血管ぶち切れ寸前のリンセンは、それでもクワンザを力で押し込む。

さすがのハイパワーに、ラッツは驚愕せざるを得ない。

 

「あ、あいつめ! あのクワンザを力だけで押すとは! あの手袋にも興味あったが、こいつはすごい! この男自身も想定外の強さだ! だが!」

 

 ラッツはリモコンで指示を出した。

 

 クワンザの顔にあるランプが激しく明滅し、関節から蒸気を吐き出した。

 

「やれ! やるんだクワンザ! そいつをぶっ飛ばせ! このラッツ様を守れ!」

 

 クワンザの両腕がでたらめに動き回り、まだ目覚めたばかりで全力を出せないリンセンにど派手なアッパーカットを炸裂させるっ!

 

「あがぁぁああ!!!」

 

 バネで飛ばされたかのように天井をぶち抜くっ! 人型の穴が開通してリンセンは列車の前に放り出された! これは痛い!

 

 同タイミングで駅に到着した列車は急停止し、リンセンと列車が向かう合う形になる。

 

「素晴らしい! クワンザ! 素晴らしいぞ! どれ、見てみよう!」

 

 ラッツは、なんとか無事でいられた仲間を引き連れ、列車の最前列にまで向かった。

ウキウキとした気分で、晴れやかな気持ちだ。

 

「見ろ! あそこに倒れているぞ!」

 

 ラッツが興奮気味に窓から覗くと、満身創痍のリンセンが線路上に倒れていた。

 

「よし! もう一度だけ列車を動かして、目の前のニッポン人を轢け! あれほどの強さなら、列車で轢いても瀕死で済むだろう!」

 

 操縦席にいる仲間に指示を出した。

もちろん、運転手もナイラ国の人間である。

運転手は意気揚々と敬礼し、ほどなくして列車が再始動した。

 

「あなたたち! なにしてるの!?」

 

 異変に気付き駆け付けたクローナが、ラッツたちの背中に叫ぶ。

 

「おぉ! クローナエスクード! いつの間に目隠しとロープを外しているか!」

 

 ラッツの仲間たちがクローナを捕まえた。

能力を使用しすぎたせいで疲労が蓄積されたクローナには、抵抗する力など残されていなかった

 

「甘いね。あなたは我が国に来てもらうし、あのニッポン人もボロボロにしてまた箱に入れて連れていくつもりだ。諦めなさい」

 

 動く列車の数メートル先には、力なく倒れるリンセンがいる。

よろよろと立ち上がり、ニヤリと口元を緩めた。

 

「な、なんだあの余裕は! もういい! 腹が立つ! 殺しても構わん!」

 

 ラッツの指示で運転手はスピードを上げた。

 

「へっ! その程度でこの俺を仕留めようってのか! 甘ぇんだよ!」

 

 何百倍ものサイズ差がある列車を前にしても怯むことなく、リンセンはやはり余裕の表情を崩さない。

 

 そこで驚愕っ! リンセンは気高き獅子の模様が刻まれた例の手袋に触れた!

 

「おおお!? あのニッポン人! まさかあの手袋を使う気か!」

 

 手袋に触れた一瞬。

 

 リンセンの肉体を赤黒い鋼鉄が覆った。

それはまさにスタイリッシュな武者と表現しよう。

変身だ! スタイリッシュ武者の姿に、肉体が変身している! その姿に興奮するのはラッツ! 驚愕するのがクローナ

 

 瞬時にリンセンの体は、完全にスタイリッシュ武者の体となり果てた。

 

 カタナを持たない、武者の姿に。

彼は、なった!

 

 武者の鎧に孫悟空のような棍棒とは、これは実に不釣り合い。

だが外側のカッコよさよりも内側の強さを求めるのが、彼、リンセンなのだ!

 

「ぶち抜く衝動、貫く鼓動! 百戦錬磨のォォォ! 俺の一発ゥゥゥ!」

 

 力が! 力が! 溢れる! 彼の全身を流れるのは好奇心だとか探求心だとか、そういった生易しいものではない! 流れているのは、がむしゃらな強さだ!

 

 急加速で接近する列車の前、線路上から一歩も出ず、リンセンは棍棒を構えた!

 

 これは、なにをする気なのかっ!?

 

「うそ! あの人、列車とやり合おうっていうの? そんなまさか! 無理よ!」

 

 その、まさか! リンセンは真正面から列車とやりあうつもりだ!

 

 死者を減らしたいために今すぐ列車を下りてリンセンを助けたいクローナだったが、もちろん列車が急に停止することなどない。

たとえ助けに来られても、リンセンには不要だ。

 

「てめぇらクソ人類どもをォォォ! 十把一絡げにィィィ! 大・成敗! してやるっぜェェェェェ!」

 

 爆発的なエネルギーが棍棒に収束され、迫る列車に真正面から突きをぶっ叩き込んだ! 最前列から衝撃が伝わり、順々に車両を襲ってゆく!

 

 ナイラ国の兵士も乗客も、ラッツもクローナも、突然襲ったそのパワーには成すすべなく、容赦なくに後方へ押し出されたっ!

 

 これは怪物! これは怪物である!

 

 弾かれたビリヤードのボールであったり、蹴られたサッカーボールなどとは比べ物にならないほどの絶大威力で列車は急停止! 列車の全エネルギーを受け止めたリンセンは、それでも崩さない、余裕の表情を! 決して崩さない!

 

 列車のボディには突きによる穴が穿たれていた。

鉄球か? ドリルか? それを見た人間ならば、そう思うだろう。

 

「あ、あのニッポン人め! なんてことだ! 走る列車と真正面からやりあっても平気だと! あいつはまさしく兵器だ! 面白いが、この手で殺す!」

 

 ラッツは懐から拳銃を取り出し、すかさず列車を下りた。

 

「きーさーまー! 目覚めたと思ったら、とんだじゃじゃ馬だ! 消えろ!」

 

「ああ? なんだか知らねぇが、ここはどこだ。お前らは誰だ? ああぁ?」

 

「黙れ! 撃ち殺す!」

 

 拳銃を構えつつ、懐から先ほどのリモコンを取り出した。

 

「ふはははは! クワンザならお前を倒せるはずだ! 次は三体だがな!」

 

 大ジャンプで列車の天井を突き破り、三体のクワンザが姿を現した。

バッタのような跳躍力で、颯爽とリンセンの前に着地する。

 

「へっ! さっきはよくもここまで殴ってくれたな鉄クズども! クソ人類が作ったガラクタなんぞ、今すぐ鉄クズのガラクタクズにしてやらぁ!」

 

 三体のクワンザが三角形の陣形を組んで一斉に襲い掛かった。

 

 てっきり回し蹴りかなにかで撃退するのだろうと思っていたラッツの予想は大きく外れ、リンセンは数メートル高く飛び上がった。

逆光をバックにクワンザたちを見下ろし、またもや余裕の表情でニヤリとほほ笑む。

 

「あれは! あの手袋で変身すれば、あれほどのパワーと跳躍力を得ることができるなんて、ニッポン人は恐ろしっ! だが殺す! クワンザで殺す!」

 

 回避されたことにより、クワンザたちはもみくちゃに激突した。

 

上空から落下したリンセンは棍棒を振り下ろし三体のクワンザを一網打尽に撃破するっ!

 

 首や腰の関節から黒い煙を吹き出し、さらには火を吹き出しクワンザたちは沈黙した。

 

 その圧倒的な強さに、ラッツは腰を抜かす!

 

「こ、こいつ! 変身前はクワンザに殴り飛ばされたのに! なんだこれは! あの手袋、何十倍の強さにこいつをっ!」

 

「俺が知るかよ、んな下らねぇことをよ」

 

 そのときっ! 不意にっ!

 

 兵士により拳銃を突き付けられたクローナがラッツの前に連行された。

 

 ラッツはリンセンから銃口を離さず、反対の手でクローナの頬を撫でた。

  

 手近に目隠しがなかったため、ラッツは手を使ってクローナの目を隠した。

ラッツの手が見えているため能力をラッツに使うことはできるが、どのみち体力がなければ無理だ。

 

クローナ、妙なことを企んでみろ、このリンセンというニッポン人の命はない。拳銃で撃ち殺すからだ」

 

「そ、そんな赤の他人、人質になるの?」

 

「なにを言う? あなたは人に優しすぎる。お人よしすぎるお人よしだ。できれば誰にも死んでほしくない、と、そう考えているね」

 

 図星だった。

まさにその通りだ。

 

「そしてこっちのニッポン人。お前もだ。妙なことをしてみろ、この女の命はない」

 

「あぁ? 誰だその女。面倒だからさっさとやっちまえよ」

 

 その言葉にはクローナも驚いたが、ラッツのほうが焦る。

 

「なっ!? 貴様、こいつがどうなってもいいのか!?」

 

「どうなってもいいとか言われてもよ、そんな女は知らねえし興味もねぇ。俺がしたいことは一つ、俺をあんな箱に閉じ込めてこんな場所に連れてきたクソ人類をぶちのめすこと、たったのそれだけなんだよ」

 

 銃口を向けられてもひるむことなくリンセンは前進する。

仮に撃たれたとしても、棍棒一本で列車を停止させるリンセンには通用しないが。

 

 だがそこで、リンセンが見たあるものにより精神を揺さぶる衝撃が走る。

それはクローナの白い肌でも美しい金髪でも細身の体でもない、頭上で鼻をヒクヒクさせるハリネズミだ。

 

「お、おい! なんだその、ちっこい動物は!」

 

「な、なにって、ハリネズミよ。この子の名前はピアストル」

 

「ふーん。ハリネズミ、へぇ。なるほどなぁ。気が変わったぜ、この女、守らせてもらう!」

 

 急すぎる心変わりに、ラッツと兵士たちは驚愕する。

その心変わり、まさに三百六十度も違うと言ってもいい。

 

「お、おい貴様! さっきはどうでもいいと言っていただろう!」

 

「っるっせぇ! いいから、俺にぶちのめされやがれ!」

 

 発砲された弾丸をものともせず、拳銃をはたき落とし、ラッツの体に蹴りを叩き込んだ。

立てないほどの威力を貰ったラッツは、朦朧とする意識でリンセンをにらみつける。

ほかの兵士たちは職務など放棄し、一目散に逃げた。

 

「貴様……この、このラッツに、よくも恥を掻かせたな……」

 

「勝手に掻きやがれ」

 

 リンセンは変身を解除する。

纏っていた鎧は瞬時に姿を消し、本来の姿が現れた。

 

 恐ろしい能力を持つ手袋はそのままに、クローナの手を握った。

 

「えっ、あのっ」

 

「あぁ? 黙ってついてこいよ」

 

「だ、黙ってって……なにをするつもりなの!?」

 

「こうするんだよぉぉぉ!」

 

 手を引いて走った先は河っ! リンセンは河に飛び込むつもりだっ!

 

「ちょっと! その先! 河でしょ! ま、まさか飛び込むつもりなのっ!」

 

「急に気が変わったんだよぉぉぉぉ!」

 

 絶大な跳躍で線路から飛び出すっ! 数十メートル下に見える河に飛び込んで着水し、それでも生きていれば奇跡っ!

 

 クローナは手足をバタつかせて必死の抵抗を試みるも、リンセンの耳やら髪の毛やらを掴んで全力で耐え忍ぶ。

 

 腹を押さえながらラッツが立ち上がり、線路の下を確認した。

だがすでに、二人の姿は川底に消えた後であった。

 

「く、クソ……クローナもリンセンも逃がした……これはとんでもない失態だ。上になんて報告すればいいんだ!」

 

 線路を力任せに殴り、鬱陶しく輝く太陽に叫んだ。

そのラッツを見守るのは、悲しく沈黙し鉄クズになりはてたクワンザたちだけだ。

 

「あいつらめ! 必ず捕まえて、殺さずに兵器として使い倒してやる! いや、やはり気分次第では殺す! いや、だが殺してしまっては上への報告が……だがあの男は殺す!」

 

 

 

二章 ホットアンドクール

 

 

 

 クローナエスクードの能力について。

 

 ・能力は、イメージ次第で大体のことはできる。

 

 ・能力は、目に見えるものにしか使えない。

透視したとしても、直接見ていないものには使えない。

 

 ・能力は、凄まじく体力を消耗する。連続使用は危険だ。

 

 ・能力とは、謎である。

 

 ・能力を使う人間は、あるものを犠牲にしなければならない。

詳細は後ほど。

 

 

 

 その後。

 

 二人は川になぞ落ちてはいなかった。

 

 クローナの能力により、水面ギリギリで浮遊し近くの森の中に不時着したからだ。

 

「はぁはぁ……ぐ、ううう……」

 

 能力の連続使用により、疲労困憊。凄まじい消耗だ。

 

 胸が苦しい。

関節に力が入らない。

立つこともままならず、しばらくは行動不能だ。

 

 

「おい、クソ人類の女。なにへばってんだよ」

 

 リンセンはクローナに容赦のない言葉を浴びせる。

 

「ちょ、ちょっと待ちなさい。私は、今、すっごく疲れているんだから」

 

「あぁ? どういうことだよ。河に落ちずに済んだのは俺のおかげだろうが」

 

 大いに勘違いをしている。

これはクローナの能力によるものだ。

 

 そもそもこれは――

 

「バカ言わないでよっ! あなたが急に気が変わって飛び込まなければ、こんなところに来なくてよかったのに!」

 

「しょうがねぇだろうが! あいつをぶちのめそうとしたら急に腹が減ったんだからよ!」

 

「な、なんなの!? そんな理由なの!?」

 

「へっ。命があっただけマシだと思え。俺がいたおかげで死なずに済んだんだからな」

 

「ち、違うわ。ここまで来たのは、私の能力があったから。力を振り絞らなかったら、今頃は水面に叩きつけられて死んでいたはず」

 

「あぁ? 意味分かんねぇよ。いいからさっさと歩けよノロマ」

 

「の、ノロマっ!?」

 

 一瞬だが、怒りのせいで全身に力が漲った

だがすぐにそれは痛みに代わる。

 

ノロマだろうが。いつまでもグダグダグダグダ、女は貧弱だから困らぁ」

 

「あ、あなたね。そういう言い方は、どうなの?」

 

「いいからさっさと歩けよ。置いてくぞ」

 

「あ、歩きたくても歩けないの! あなたなんか不要だから、どこへでも行きなさい!」

 

「そうかい。じゃあ、そこで寝てな。ゆっくり寝てなよ」

 

 リンセンは良心のカケラもなく、ぷいっとクローナから背を向けた。

 

「ちょ、ちょっと待って! 待ってよ! ちょっと!」

 

 すかさず呼び止める。

疲れ切った体を晒していては、野生動物たちに上質な生肉を「はいどうぞ召し上がれ」と差し出しているようなものだ。

 

 地面が乾いていたから泥がつかなかったのが幸いか。

 

「あぁ? あんだよ、どっちだよ女」

 

「そ、その……おぶって。近くの町まで」

 

「俺を召し使いにするつもりじゃねぇだろうな? 悪いがそれは無理な相談ってもんだぜ」

 

「あなた、お腹すいているでしょう。私がご馳走するから」

 

「お、おい。本気か? 本気なのか、おい」

 

「そ、そうよ。あなたには助けてもらったんだから、お礼はするから。口は悪いけど……」

 

「一言余計だな、断る」

 

「う、ウソウソウソ! ウソだから! いいから、今だけは助けて! お願いぃ!」

 

 わずかな力を涙に注ぎ込んだ。

 

ここまで来たらヤケだとばかりに、子供のように涙を流した。

 

「わぁったよ! 近くの町までだぞ。またグズグズ文句言ったら捨てるからなクソ女」

 

「た、助かるわ!」

 

「そりゃいいけど、あのハリネズミはどうした」

 

「え?」

 

 リンセンの質問に答えるように、草むらからピアストルが姿を現した。

 

「ぴ、ピアストル! 無事だったのね!」

 

「そいつも連れてくんだろ、早くしろ」

 

 その場でしゃがみ込み、リンセンは背中を向けた。

乗れ、ということである。

 

「あ、あなたは優しいのか厳しいのか、よく分からないわね」

 

「あぁ? ゴタゴタ言ってると連れてかねぇぞ、おい」

 

「ご、ごめんなさい。分かったわ」

 

 ほとんど倒れるように、クローナはリンセンの背中におぶられる。

不服ではあったが、それはクローナを助けるための正義感ではない。

 

 

「お、重くない?」

 

「どうだかな。もうちょっと痩せてから言えよな、クソ女」

 

 やっぱりここで待っているべきだった。

 

 クローナの頭にはそんな後悔があった。

だが回復までどれだけの時間を要するのか未知数だ。

こんなところで待機するのは危険極まりない。

 

「んで、どこをどう進むんだよ」

 

「さっきの駅から見て、おそらくここは……名前は忘れたけど、知っている河よ」

 

「頼りにならねぇな」

 

「ううう」

 

「それで、どうすんだよ」

 

「ついさっきは山の上にある線路から落ちてきたの。だからあそこまで戻るのは厳しい。かといって河を登っても山しかない」

 

「つまり、下か。河を降りるのか、お前をおぶって」

 

「申し訳ないけど、そういうこと。下には荒野があって、進めばすぐ町に到着するから」

 

 それから、リンセンは文句を言いながらも河をひたすら降り続けた。

体力だけは無限のようにあるため疲れたとだけは言わなかったが、「面倒」や「やってられねぇ」といった文句は絶えなかった。

 

「ところで、さっきは手袋で変身したけど、あれは使えないの?」

 

 一撃で列車の動きを停めるほどの姿に変身できるあの手袋さえあれば、山くらいはひとっ飛びで楽勝にクリアできるはずだ。

だがリンセンは首を横に振る。

 

「あの箱ん中にいたせいか知らねぇが、いまいち力が出ねぇ。さっきは勢いだったからな、勢いでなんとかなった、勢いで」

 

「そ、そう」

 

 お互い、特別な能力を持ちつつも、それを使う余裕がない。

もし敵が出現すれば、厳しい勝負だ。

 

 クローナの体力も少し回復してきたころ、ついに河が終着した。

森だったエリアも次第に乾いた砂が混じるようになり、気づけば周囲には赤茶けた裸の山や砂の大地が広がっていた。

 

 雲一つない空から大きな太陽が照り付け、地上の水分という水分を全て奪う。

 

いくらか植物も生えていたが、申し訳程度のものでしかない。

本当なら、馬でもいなければ厳しい場所だが、進むしかない。

 

「おいおい、どこに町があるんだよ」

 

「あそこ見て、大きなとがった山があるでしょう」

 

 確かに、地平線の彼方にとがった山があった。

ひときわ高い山で、異常に目立っている。

 

「あの真下には町があるの。あそこを目指せば大丈夫だから。一時間くらい進めばいいから」

 

「あぁ? てめぇ、さっきはすぐ町があるって言っただろ」

 

「ここはコルナ荒野。一時間なんて近いほうよ」

 

「くそ、騙しやがったなクソ女」

 

「いいの? 町に到着すれば美味しいご馳走があるはずだけど。いいの?」

 

「ぐっ」

 

 滴る肉汁。

 

 輝く骨付き肉。

 

 そしてこの乾いた大地に必要不可欠の、冷たい水。

 

 ご馳走を想像すると、リンセンの口元から一筋のヨダレが流れた。

 

「あなた、お金なんか持ってないでしょう」

 

「わ、わぁったよ! 行けばいいんだろ行けば! ずる賢いぜ、クソ女」

 

「それと、そのクソ女っていう下品なのもやめて。私はクローナエスクードっていう立派な名前があるの。立派な名前が」

 

「はいはい。分かりましたよお嬢様。ご招待いたしますよ」

 

 舌打ちをしつつ、リンセンは荒野を歩きだした。

 

 この、一時間という時間。

クローナは絶好の機会だと思った。この謎の男について、質問する実にいい機会だと。

 

「あなた、あの変な箱に入っていたけど、何者なの? ニッポン人っていうのは分かるけど」

 

「あぁ? 俺もよく知らねぇよ。過去のことなんぞ分からん」

 

「そ、そう。じゃあ言葉が通じるのはなぜ? ニッポン人とは言語が違うはずだけど」

 

「なんだか分からねぇが、この国の言語を詰め込まれたよ。方法は分からんけどな」

 

 このエンギルダ国で兵器として使うためリンセンを連れてきたのだ。

言葉がわからなければ指示も出せないだろう

おそらくそのためにリンセンは言語を脳内に叩きこまれたのだ。

あくまでクローナの予想でしかないが。

 

「じゃあ、逆にニッポンのことは分かる? 家族のこととか、自分のこととか」

 

「さぁな。曖昧なんだよ。そんな感じがある」

 

 箱に閉じ込められるついでに記憶も抜き取られた。

そんなところだろう。

 

「その手袋については?」

 

「これなら覚えてる。サムライ魂を持つ男の頂点に立ったやつだけが扱える手袋……だったかな。まぁ、それは俺らしいがな」

 

 それも、あくまでリンセンの予想でしかないが。

 

「つまり、よく覚えてない、と? そういうこと?」

 

「だな。まぁどうでもいいけどな。それより、なんで質問する? 俺のこと知ってどうする」

 

「知っておいたほうがいいでしょう。こんなことになった仲なんだから」

 

「そうか。じゃあ俺からも質問がある。いいだろ」

 

「いいけど、べつに。どんな質問?」

 

「そもそもお前、なんであんな列車なんか乗ってたんだよ」

 

「私、能力があるから、いろいろなところに招待されるの。戦争などではなく、人を楽しませるためにね」

 

 能力があれば、軽いサーカスや舞台の演出などもお手の物だ。

 

 噴水を利用して水を噴出させたり、炎を操って派手に演出させて人を楽しませる。

それがクローナの仕事だ。

 

「楽しませる? その能力でか」

 

「そうよ。私なりにできる精いっぱいのことをしたいの」

 

「でもよ、そんなことしてたらすぐに周囲にバレるだろ」

 

「大丈夫よ。人前に出るときは仮面と帽子があるから。有名人にはならないの」

 

 こんな能力があるのだ。

クローナを悪魔と罵る人だっている。

悲しいが、人間とは異質なものに恐怖を抱くのだ。

だから無駄なトラブルを避けるため、仮面と帽子は欠かせない。

 

「ふーん、そういうもんか」

 

「そういうもの。私は普通じゃないから、普通

じゃないなりに生き方があるの。そうやって色々やっていたのに、ナイラ国は私を攫って戦争に利用しようとしたの」

 

「たしかに、俺をあんな箱に閉じ込めやがったあいつらなら、戦争に使いそうだ」

 

「あなたは、私のこと不気味だと思わないの? この特殊な能力とか」

 

「あぁ? 別に思わねーよ。クソ人類なんぞ興味ねーからな」

 

「……そう」

 

 理由はどうあれ、能力を不気味だと思われていないことに安堵した。

もちろん場所によっては、クローナを悪く言う人だって少なくない。

ンセンの無関心が、逆に心地いいものになっている。

 

「もう一個質問がある」

 

「はい?」

 

「能力のことに決まってんだろ。河に落ちるとこだったのに、なんであんなことできるんだ」

 

「能力については、あまり語りたくない」

 

「んだとおい!」

 

 背中を思い切り反り、おぶっていたクローナを背中から振り落とした。

 

不意に背中から地面に叩きつけられたクローナの頭の上からピアストルがボール状になって転がる。

 

「きゃっあ! ひ、非道じゃない! ちょっと、あなた非道よ!」

 

「てめぇ、俺は自分のこと説明したぞ。お前もちゃんと説明しろクズ女」

 

「ちょっと! さっきはクソだったのに、クズになってるじゃない!」

 

「クズはクソより下に決まってんだろ、カス女」

 

「カっ……」

 

「おいどうした、そこで寝てるか? この太陽の下で寝てたらステーキになるんじゃねぇか? ウェルダンになるまで寝てるか?」

 

「な、なによ! 私だって、もう立つくらいなら」

 

 僅かだが、力を込めることはできた。

 

 ピアストルを再び頭に乗せ、腰についた砂を払った。

 

「お、おい! 立てるじゃねぇか!」

 

「もういい。ここでお別れね。さようなら、ニッポン人」

 

 そう言い捨て、クローナはリンセンから見て左手に進んだ。

だがその先、町など見えない。

 

「おい、どこ行く」

 

「こっちに三時間進めば、別の町があるの。そこまで行く。一人でね」

 

「一人で行くだぁ? そんな細っこい体で行けんのか? 五分と歩けないだろぉが」

 

「だ、大丈夫よ。平気だから。大丈夫」

 

「歩くなんて面倒なことしてないで、体力が戻ったなら能力とやらを使えばいいだろ」

 

「できるだけ頼りたくないの。歩いて行くからいい」

 

 もうほぼ完ぺきと言っていいほど意地だった。

正直、たった一人でたどり着ける自信はなかった。

だがクローナも子供であり、リンセンに意地を張ることばかり考え、先が見えていないのだ。

この荒野、ナメたら本気で死ぬ。

ナメるの厳禁!

 

 

「けっ、勝手にしろ。クソ女」

 

 早々に、しかもこんな場所で仲間割れになってしまった。

いや二人が仲間だったかどうかは謎だが、少なくとも協力関係は脆くも崩れただろう。

 

 歩き出して五分。

クローナの消耗は激しかった。

まともな準備もせず、方角も曖昧で、水もない。

ピアストルにも厳しい状況だ。

 

 振り返る。

すっかりリンセンの姿など見えなくなっていた。

調子こいてここまで来てから、ようやく後悔する。

意地なんか張るんじゃなかった、と。

 

「私、なんてバカなんだろう。焦ってるのかな」

 

 なるべく使いたくはないが、もしものときは能力を使って水でも出しておこうと思った。

意地を張って死ぬのは格好が悪すぎるというものだ。

 

「おいお嬢さん。一人か?」

 

 いつの間にか二人の大男が立ちはだかっていた。

どう見ても善人ではない。

盗賊や山賊の類だ。

 

「お嬢さぁぁぁん? 危ないよ、こんな荒野を一人で歩いていたら、悪人に捕まっちゃうよ。危ないよぉぉぉ?」

 

「な、なんなの、あなたたち。なんなの」

 

「いい質問だ。俺たちがまさに、悪人だよぉぉぉ!」

 

 下品な声をまき散らし、二人の男はクローナに襲い掛かった。

咄嗟のことに能力を使えなかったクローナはその場に倒れこむ。

 

 その時、颯爽とヤツが現れた。

 

「うるせぇ!」

 

「げぼぉぉぉおおお!!」

 

 これは痛いっ!

 

 男たちの顔に何者かの足が食い込んだっ! 歯が数本はじけ飛び、倒れ伏す。

これは何者かっ!? 颯爽と現れたこいつは、何者かっ!?

 

「テメェら、俺の目の前から消えねぇと、十把一絡げにぶっ飛ばすぞ!」

 

 男たちは小動物のように速攻でとんずらを決め込み、地平線の彼方へ消えた。

 

「あ、あなた!? どうしてここに?」

 

 そこにいたのは、もちろんリンセンだった。

 

「理由は三つ。俺は弱っちいやつを放っておくことが気に食わない。お前はともかく、そのハリネズミに罪はない。そして俺は、やっぱり美味いメシを食いたい!」

 

 こうして、たった五分の別行動は終結した。

 

 お互いに納得のいかないところはあったが、別行動をしても得をすることはない。

仲良くとはいかないが、二人は再び歩き出した。

今度は、お互いに横に並んで。

 

 この二人、反りが合わないように見えるが、不思議な化学反応がある。

いつか何かを成し遂げるような、そんな化学反応が。

 

 

 

 一方そのころ!

 

 リンセンたちを逃したラッツは、その無様な報告をするため本部へと戻っていた。

ボスがいる部屋は真っ暗で、目の前にいる男以外はほぼ見えない状況っ!

 

 これほどまでの失敗をすれば、失敗の責任を取るため命を奪われるだろう。

ラッツの額からは滝のように汗が止まらなかった。

危うしラッツ!

 

「ラッツ、貴様、失敗したな」

 

「は、はい……クローナエスクードとニッポン人は、逃がしてしまいました」

 

「そうか。そうか。ククククク」

 

 ラッツの目の前では、全身真っ黒スタイルの格好をした男が偉そうに足を組んで座っていた。

片手にはワイングラスがあり、金の指輪とネックレスが輝いている。

その膝には細い眼をした性格の悪そうなペルシャ猫が一匹。

こいつも偉そうだ。

 

 この男、グールドという名前以外はほぼ謎に包まれている。

ラッツも当然、その真実の姿や詳細を知らない。

 

「ぐ、グールド様! なんなりと、なんなりと罰をお与えください! この私に!」

 

 罰。

つまりそれは、死刑とほぼ同じようなものだ。

 

「罰か。罰ね。罰罰罰罰罰罰罰罰罰罰罰。ククク、その必要はないよ、ラッツ」

 

「そ、それはどういうことで……?」

 

「あのニッポン人。たしかサムライの国から連れてきたそうだねぇ」

 

「え、えぇ。その通りでございます。現在あのニッポンは、カタナと呼ばれる剣を腰にぶらさげるサムライなるものがいるそうです」

 

「うーん。それとそいつが持つ手袋も、面白いねぇ」

 

 ラッツから手袋については聞いていた。

 

 ただでさえズバ抜けた身体能力を有するリンセンが手袋を使って変身し、棍棒一本で電車を食い止めたことは、この男も驚愕した。

さすがに驚愕したっ!

 

クローナエスクードと一緒に逃がしたのはかーなーりの失態だけどねぇ。でもねぇ。それはそれで面白いよぉ、ラッツ」

 

「お、面白い、と言いますと」

 

「その隣の箱を見てごらん」

 

「は、箱ですか?」

 

 確かに、よく見るとラッツのすぐ横に棺桶ほどのサイズの箱があった。

 

 恐る恐るラッツはその箱を開ける。

 

「こ、これはっ! これはっ!?」

 

 箱を開けた直後、ラッツは飛び上がって腰を抜かした。

ガイコツか? 死体か? その箱の中身とはいったい!?

 

「ラッツ、恐れることはないよ。それは、きみの仲間さ」

 

「な、仲間……?」

 

 箱の中には、一人の少女が眠っていた。

クローナとそう変わらない、十七・八くらいの歳だろう。

 

花柄のキモノに、歩き辛そうなゲタを履いている。

まさにニッポン人の服装だ。

 

 その手には、リンセンと同じような手袋がつけられていた。

 

 ただし、獅子の模様が刻まれていたリンセンに対し、こちらは鷲の模様だったが。

 

「それはね、別に回収したニッポン人だ。そっちもリンセン同様に兵器として使ってやろうかと思ったけどねぇ。いやはや、性格に難があり、困っているんだよ」

 

「せ、性格に難が?」

 

「そうさ。やんちゃな性格でねぇ。ちょっと見てみようか」

 

 グールドがパチンと指を鳴らすと、箱で眠る少女が目を覚ました。

上体を起こすと、美しい黒髪がなびく。

 

 箱から出て立ち上がる。

その華奢な身体はどう見ても戦闘に適した体格ではない。

華奢で、小柄で、まるで子供だ。

 

「お、お言葉ですがグールド様。このような子供が、仲間と申されましても」

 

「まぁ見ていたまえ」

 

 壁のシャッターが開き、クワンザが三体も姿を現した。

これから始まる戦いを待ち望むかのように、無骨な関節を軋ませる。

 

「この少女の名はリョウ。リンセンに対抗できる、すごい子だよ」

 

 グールドがリモコンを取り出してボタンを押すと、クワンザの目が赤く光り、一斉にリョウに向かってジャンプした。

 

 その絵面っ! ハタから見ればただの殺しっ!

 

「あ、あああ! クワンザが飛びかかってきたら、ひとたまりもない! ひとたまりも!」

 

 ラッツが再び腰を抜かす。

 

 三体のクワンザはリョウに覆いかぶさり、小柄なリョウの姿は完全に消えた。 

 

 死んだ、さすがに死んだ。

 

 ラッツはそう思った。

 

 だが。

 

 突如、クワンザたちが爆風を受けて三方向に吹き飛んだっ! ラッツは目を疑う。なんだ、これは、と。なんなんだぁぁぁ!? これはぁぁぁ!? と。

 

 爆風の中心には、リョウがいた。

だが、さっきとはまるで姿が違う。

 

 頭部には桜が散りばめられた桃色のメットが装着され、キモノ風デザインの花柄鋼鉄スーツが全身を覆っている。

だが足元までの長いキモノではなく、膝少し上あたりまでの短いタイプだ。

 

 そしてクワンザたちを弾き飛ばしたのは刀でも槍でもない。

 

 その小さな手にあったのは、扇だ。

一撃で敵を粉砕する、鋼鉄製の扇。

 

 シノビか? サムライか? ゲイシャか? いや、どれも違うっ! リンセンと同じく、変身したのだっ!

 

 クワンザは諦めず再起動し、再びリョウに飛び掛かった。

リョウが鋼鉄の扇で軽く薙ぎ払うと、クワンザたちをたちまち一刀両断した。

 

「こ、これはっ!? これはなんだ!?」

 

「ラッツ、驚いただろう。こいつは我がナイラ国の兵器さ。鋼鉄のキモノを身にまとい、鋼鉄の扇を振り回す。まるで、超技術で作り出したスーパーテクノロジーキモノだよ。こんなものがニッポンにあるなんてねぇ。すごい国だ。サムライの国とは」

 

「こ、これは科学力なのですかっ!? ニッポンの」

 

「さぁ、それは分からないが」

 

「ぐ、グールド様。この少女がいれば、リンセンやクローナエスクードなど必要がないのではないでしょうか? これほど強ければ……」

 

「ラッツ。私はね。完璧を求めるのだよ、私はね。一つを手に入れたら、三つ集めないと気が済まない。そういうことだよ」

 

「で、では私の任務は、このリョウという少女とともに、クローナとリンセンを捕まえることで?」

 

「ザッツライト! その通りさ。じゃあ頼むよ。ザッツライト!」

 

「は、はっ! 直ちに! ザッツライト!」

 

 失敗したのに、命があっただけでもラッキーなものだ。

しかももう一度チャンスをくれるとはラッツは運がいい。

 

「でもね、ラッツ」

 

「は、はい?」

 

「次はないよ」

 

 ラッツは深く頭を下げ、グールドの部屋から退出した。

次は、ない。

 

 

 

「ここが町か」

 

 クローナとリンセンは、一時間をかけて町に到着した。

 

 木製の建物がいくつか並び、荷物を運び入れる馬車が何台も通過している。

だがほとんどの建物は使用されておらず、残っているのは寂れた酒場と小さなガンショップのみ。

 

「おい、どこが町なんだよ。ただの廃墟じゃねぇか、廃墟。建物よりも馬車のほうが多いしよ」

 

「そう? 確かに寂れているけど、悪い人はいないのよ。活気もあるし、気温が高いことを除けばいい場所なの。夕方になればガンマン同士がモデルガンで決闘を始めるし、さらに活気が出るの。チンピラだらけの町だったら、わざわざここに来ないわ」

 

「へっ。そうかい。まぁメシが食えればそれでいい。さっさと入るぞ」

 

 リンセンは舌打ちをしながらも、両開きの扉を開けて中に入った。

だが意外にも、人はほとんどいなかった。

 

 四人掛けの丸テーブルが四つ。

しかし店にいるのはマスターを含めて六人のみ。

 

「おいおい、これのどこが活気に溢れてんだよ。どこが」

 

「おかしいわ。いつもなら飲めや歌えやの大騒ぎなのに、おかしいわ」

 

 マスターに事情を尋ねると、今日は特別に暑いから、ということらしい。

確かに酒を飲むために気軽に立ち寄れる気温でもない。

 

「まぁ、うるせぇよりはいいか。おいクソ女、さっさとメシを注文しろ。美味い飲み物もな」

 

「……もう少し、頼み方ってものはないの?」

 

 ハンバーグ、骨付き肉、ステーキ。

とにかくカロリーの高そうなものばかり注文し、リンセンはその全てを平らげるつもりだった。

自称、無限の胃袋。

らしい。

リンセンの手にかかれば、メシなどたちまちに吸い込まれていく。

 

「おいおいおいおい! 美味ぇじゃねぇか! おいクソ女、お前はそれしか食わねぇのか?」

 

 クローナのテーブルにあるのは、少し大きめのハンバーガーとグレープジュースのジョッキのみ。

後はピアストルが飲む水が入った小さな皿だけだ。

荒野を一時間も歩いたにしては少々足りない量だが。

 

「わ、私は、遠慮しておくから」 

 

「ここで食っとかねぇと、後で大変だろ、おら食えよ」

 

 リンセンはフォークで突き刺したステーキの切れ端を、強引にクローナの口に放り込んだ。

 

「あふっ!」

 

「おら、美味ぇだろ! な! な!」 

 

 まるで自分が作ったかのようなテンションでリンセンは喜ぶ。

 

 だが食べなければ後が大変なのも事実だ。

クローナはしぶしぶステーキを咀嚼して飲み込んだ。

 

「私は、美味しいとか、そういうのは興味ないから」

 

「は!? 美味いメシに興味ねぇのかよ?」

 

「私は、味がよく分からないの」

 

「あぁ? どういうこった?」

 

 

「そのままの意味。この能力のせいよ。生まれたときから能力があるせいで、その代償として味覚がほぼないの」

 

「マジかよ。俺には耐えられねぇな。とてもじゃねぇけどよ」

 

「確かに、そう見えるけど」

 

「じゃあよ、その能力で味が分かるようにはならねぇのか?」

 

「能力はイメージ次第で大体のことはできるけど、これだけはどうにもならないの。どう頑張っても、通常の半分以下の味しか感じられない」

 

「ふーん。大変だな。メシを楽しめねぇってのは」

 

「そうね。私にとって、食事は楽しむものじゃなくて、あくまで栄養を摂取するものだから。この荒野を歩けるほどの栄養があれば大丈夫」

 

「そうかい。そりゃ、ご苦労なこった」

 

 あまり心配しているそぶりも見せず、リンセンはジョッキで水を飲みほしてテーブルに叩きつけた。

すでに注文した料理は全て平らげている。

 

「ふー食ったぜ食ったぜ! さて、じゃあ行くか」

 

「い、行くかって。まだ私は食べ終わらないんだけど」

 

「わぁってるよそんなこと。お前は食ってろ。俺は散歩してくる」

 

 散歩と言っても、外は灼熱の荒野だ。

 

「散歩って、いい加減にその恰好もなんとかしたら? 太陽の下じゃ厳しいでしょう」

 

 箱に閉じ込められていたときから、リンセンは上半身裸の状態だった。

 

この日差しが強い荒野でも、少しも動じずへっちゃらだったが。

 

「あ? ああ、そーいやそうだったな。別にいいけどよ」

 

 ひらひらと手を振り、リンセンは店を出た。

食後の運動というわりには、妙に活き活きした様子だ。

 

「あーもう。なんなのあの人」

 

 ピアストルにぽつりと愚痴をこぼす。

当然、ピアストルは気の利いた言葉など返せず鼻をヒクヒクさせるのみだ。

 

 これから先、どうしよう。

 

 この荒野をしばらく歩けば、荒野を抜けられる。

そこで別の町に到着して、馬車でも借りておけば家に戻れるだろう。

それまでは、あの男と行動を共にすることになる。

口が悪く態度も悪く、性格も悪い。

礼儀正しく真面目なニッポン人のイメージとは遠くかけ離れているが、果たして。

 

「あー、もう」

 

 ハンバーガーを半分まで食べたところで、その手は止まった。

今後のことを考えると、食が進まない。

 

「帰りたい……」

 

 全てはこの能力のせいだ。

 

 この能力さえなければ、こんな苦労をすることもなかったのに。

 

 普通の人間として、平和に暮らせたのに。

 

 味も、感じられたのに。

 

 クローナの夢は、味を感じることだった。

この目の前のハンバーガーやグレープジュースの味を、美味しいと思えるだけでよかった。

当たり前にできることが、当たり前にできない。

 

それが、クローナにとって苦しいところだ。

 

 もしも、自分の代わりに食事を楽しんでくれる人間がいるのならば、その人のために作ってあげるのも悪くはないと思っている。

自分の分まで楽しんでくれる人がいれば、それはそれでクローナにとって嬉しいことなのだ。

 

 ――食は進まないが、今後のことも考えて、しっかりと食事は平らげた。

 

 カウンターでマスターにお金を支払う。

リンセンはクローナの倍は食べていたが、助けてもらった恩を返すためにもきっちり支払う。

 

 リンセンの様子も気になり、再び太陽が照り付ける荒野へ出た。

 

「え? あの人、なにやってるの?」

 

 よく見ると、ガンショップの店員とリンセンがなにやら揉めていた

また厄介ごとか、簡便してよ。

と、クローナは頭を抱えながらガンショップへ向かう。

 

 木造のガンショップには、大量のピストルが並んでいた。

そっちの方面に詳しくないクローナだが、危険な臭いがすることは理解できた。

 

「ちょっとリンセン! なにやってるの!」

 

 リンセンはガンショップ店員の胸倉をつかみ、縦横無尽に振り回していた。

すでに店員の目はグルグル回っている。

 

「おっ! クソ女、ちょうどいいところに来たな! こいつをなんとかしてくれよ!」

 

「な、なんとかって。あなたが手を放せば済む話でしょう?」

 

「あぁそうか」

 

 解放された店員は虚ろな目で背中から倒れた。

すぐにクローナが駆け寄る。

 

「だ、大丈夫ですか」

 

「あ、あああ。こいつ、いきなり服をよこせって乗り込んできやがった。うちはガンショップだっての、服なんか売ってるわけないだろよ」

 

「あ、そ、そんなことが」

 

 しかしリンセン、反省の色なし。

無色透明。

 

「ちょっと! リンセン! こっちに来なさい!」

 

 クローナはリンセンの背中を押し、ガンショップを出た。

力では到底かなわないので、僅かに能力を使ってリンセンの体重を軽くしたのだが。

 

「おいおい、なんだよ」

 

「あなた! どうしてそう人様に迷惑をかけるの!」

 

「あぁ? おめぇが言ったんだろ。服をなんとかしろって」

 

「服を買うなら服屋に行かなきゃダメに決まってるでしょう!」

 

「そういうもんなのか?」

 

「当たり前! 当たり前なの! 常識!」

 

 暑さでイライラするクローナにも限界が近づいていた。

日だけでもかなり能力を使用した。

そろそろぐっすり眠らないと、途中で倒れる。

 

「もう、あなたは面倒ごとを起こすんだから、勝手に動かないで」

 

「あぁ? 命令してんじゃあねぇよ」

 

「あーそう。いいのかしら? 荒野を抜けて町にたどり着けば、もっと美味しいご飯があると思うけども、いいのかしら?」

 

「な、なんだとぉ!?」

 

 瞬時にリンセンの目の色が変わった。

 

 この瞬間っ!

 

 クローナはリンセンの操り方を覚えた。

困ったときは、食べ物で釣ればいい、と。

 

「な、な、な、なにがあるんだ!」

 

「そうね。この先のパタカに行けば、冷たいアイスキャンディがあるんじゃない? あとは、甘―いケーキ、とか、あるんじゃない? 服もそこで買えるだろうし」

 

「よ、よし。じゃあ行こうぜ」

 

 クローナはもう一度ガンショップの店員に頭を下げ、リンセンと共に歩き出した。

その辺の木の棒を能力で日傘に変身させれば、日光対策もバッチリだ。

体力を消耗するが、日差しに焼かれるよりはいい。

 

 だが、強い日差しは徐々に引っ込んでいった。

 

大きな太陽は雲に隠れ、二度くらい気温は下がった。

 

「あら、雨? 雨が降るの?」

 

 日傘をたたみ、手のひらを出す。

曇ってはいるが、雨は降っていないようだ。

 

「好都合ね。暑くもないし、雨も降らないし、好都合」

 

「だな。さっさと進んじまおうぜ」

 

 再び二人は並んで歩き出した。

 

 やはり日が出ていないだけでかなり楽ではあったが、道中のリンセンの文句は絶えなかった。

 

「おい、まだ到着しねぇのかよ」

 

「私に言われても、困るわ」

 

「いい街なんだろな? メシはホントに美味いんだよな? おい」

 

「だから、そうだって言ってるでしょう」

 

「さっきの町はよ、ただの休憩所だろ。ケチな小屋がちょっとあるくらいじゃねぇか。メシは美味かったけどな」

 

「褒めるのか、文句を言うのか、どちらか一方にしたら?」

 

「あぁ? 俺の勝手だろ。いいからさっさと町に到着しろよ」

 

 この道中、クローナは数十回もため息をついた。

 

ここまで乱暴な人間になど会ったことがなかったからだ。

精神的ストレス、身体的ストレス、その両方が重くのしかかる。

 

「リンセン、あなた、そんな性格だといつか損をするわよ、いつか」

 

「あぁ? そーかい? 周りの連中の目を考えて地味に動くよりいいだろ。俺は嫌いなんだよ。自由になれないことと曲がったことがな」

 

「そう。私も曲がってることが大嫌いよ。あなたの口とヘソみたいに曲がっているものが、大嫌いよ」

 

「違いねぇや! 直しとくぜ! ははは! 面白ぇな!」

 

 なにが面白いんだ。

 

 クローナは特大のため息を吐き出すも、もちろんリンセンは気づいていない。

 

「そーいうお前こそ、クソ真面目なのも考えものだぜ。なに食ってたらそうなるんだ」

 

「あいにく、グルメには関心がないから。もともとこういう性格なの」

 

「美味いもん食ってれば、いつかは味も分かるようになるだろ! たらふく食えよ!」

 

「あのね、自分の能力のせいで味が分からないんだって言っているでしょう」

 

「んなこと言ってるから味が分かんねぇんだよ! とにかく食いまくれよ」

 

「あー、ごめんなさい。もういいわ。その話は、もういい」

 

 この男と会話していても、支離滅裂な方向にしか進まない。

 

 そう悟ったクローナは、無理に会話をすることもなく、話題を振られても軽くあしらうようになった。

 

 吊り橋効果、なるものがある。

 

 危機的状況に立たされた男女ならば、自然とお互いがお互いを意識し、惹かれ合う。

そんな効果である。

 一方は敵国に攫われそうになり、一方は箱に閉じ込められ異国から連れられ、そして敵から逃げてすっかり疲労しきった体で荒野を歩くという状況。

まさに吊り橋効果だ。

 

 なのに、いまいち絆が深まらない。

むしろ、言葉を交わすたびにお互いの悪い部分ばかりが露わになる。

これは、仲間と呼べるものではない。

 

 もっとも、リンセンは気にしておらず、クローナはすでに諦めているが。

 

「ここよ」

 

 吊り橋効果は無残に砕け散り、町に到着。

 

 すでに荒野は抜け、短い草が生い茂るエリアに突入している。

町の中も例外ではない。

 

 高めの壁に囲まれ、立派な門が訪問者を迎える。

レンガ造りの建物は、まさに最新式、最先端の技術だ。

人も多く活気にあふれ、人々も笑顔だ。

この町が良い街である証拠だ。

 

「おお! でっけぇ町じゃねぇか! で、なんて町だっけか?」

 

「パタカよ。あなたみたいな荒くれものが騒ぐと追い出されるから、注意してね」

 

「はは! 冗談も言えるじゃねぇか! いいからさっさとメシ食おうぜ! なぁ!」

 

 リンセンはガハハと笑い、クローナの細い腕を鷲掴みにして歩き出した。

どこがどんな店なのか把握していないが、とりあえずガンガン進む。

 

「ちょ、ちょっと! 痛いでしょ! 引っ張らないで!」

 

「あぁ? いいだろ、別に。さっさとメシ食わせろよ」

 

 いい加減、怒りが限界に達した――いやもう突破しているが――クローナは、リンセンがつかむ腕を強く叩いた。

 

「痛っ! おいクソ女! なにしやがる!」

 

「あら、ごめんなさい。言葉で言っても分からないから、行動で示したの」

 

「て、テメェ。俺がいなかったら、列車で攫われてただろうが! それにさっき悪党どもから助けてやったんだからその態度はねぇだろ!」

 

「だから、それはさっきの食事で返してあげたでしょう。あなたこそ、その態度は非道よ」

 

「へっ! そうかいそうかい! そうかいそうかいそうですかい!」

 

「なに、怒ったの? あなた、怒ったの?」

 

「俺はなぁ、腹が減ると機嫌が悪くなるんだ。悪ぃな。機嫌が悪くて」

 

「そう。じゃあ、私がいなくてもその機嫌を直せるのね」

 

「あぁ? どういうこった」

 

「あなた、お金ないんでしょう。ニッポンでもエンギルダ国でも、お金がないと食事はできないはずだけど」

 

「ぐぐ、て、てめぇクソ女。金があるからって調子に乗りやがって」

 

「そんなつもりはないわ。あなたが乱暴に引っ張ったりしなければ、私も同行したっていいの。私だって、あなたを抜きにして進むのは危険だと思うわ」

 

「へっ、金とメシで釣って、用心棒として雇うってか? いいご身分だな」

 

「互いに利益のある話だと思うけど?」

 

 

「ちっ。うまい交渉だな」

 

「理解したなら、それで」

 

「んじゃあ、さっそくメシだな。どこになにがあるんだ、案内しろよ」

 

「食事もいいけれど、宿も探さないといけないのよ。どうせなら、宿で食事をしましょう」

 

「あぁ? 今日はもうお休みかよ」

 

「そりゃあそうでしょう。あなたは底抜けに体力があるらしいけど、私は能力の連発と長距離の移動とで疲労が蓄積しているの」

 

「へっ、クソ人類ってのは脆いな。不便だぜ」

 

「一言多いのよ、あなたは」

 

「ま、メシが美味けりゃ宿でいいよ、宿で」

 

 そんなわけで、クローナたちは宿を探すことになった。

ここは一般的に都会と言われるほど栄えている。

数種類の店もあり貿易も盛んなので、馬車も手配できる。

 

 ナイラ国の追っ手に備えて新しい服も手に入れておきたいうえ、なによりリンセンにも服が必要だ。

 

 つまり今必要なのは、宿、馬車、服である。

その三つが必要だ。

 

 そんなこんなで、宿を取り、明日使う馬車に予約もいれた。

そして現在は服屋にいる。

 

「おいおい、服なんてなんでもいいだろーが」

 

「ダメよ。服はその人を象徴するの、しっかり選ばないと」

 

「はいはい。任せるよ」

 

 食べ物のことしか頭にないリンセンは、面倒くさそうな顔で服屋を出た。

 

 クローナは自分の服と共にリンセンの服を選ぶ。

小一時間迷った結果、クローナは動きやすく目立ちにくい焦げ茶色の服を選んだ。

 

 薄い生地で身軽なジャケット。

胸元には鳥の羽が刺繍され、クローナが求める自由を象徴するかのようだった

あとは顔を隠せるように、少し大きめのキャスケットを購入した。

 

 リンセンには少し大きめの黒いジャケットをチョイスした。

逞しい体つきに乱暴な言動を加えれば、まるでゴロツキと思われるだろうか。

どう文句を吐き捨てられても「任せる」と言われた以上は着させるつもりだったが。

 

「まぁ、これっきりの付き合いだろうし、後でもっと優秀な用心棒を用意すればいいかな。そろそろ宿に戻ろう」

 

 買い物を済ませてクローナは宿へと戻った。

 

だが、なにやらリンセンがブツブツと文句を言っていた。

部屋に不満があるらしい。

 

「おいクソ女、こいつぁ、この状況はどういうこった」

 

「どういうこと? どういうことって、どういうこと?」

 

 部屋はベッドが左右の壁際に二つ。

中央には家具の類もなく、代わりに安いカーペットと小さな窓があった。

ただし日当たり良好とは言い難いが。

 

 そして、

 

「部屋が狭ぇじゃねぇか! おい! どういうこった!」

 

「しょうがないでしょ。あなたはメシメシメシメシうるさくて、宿なんかお前が探せクソ女って言うから、ここにしたの」

 

「だからってよ! もっとマシな部屋があんだろ!」

 

「さっきの食事、どこかの貴族も来るくらいの高級料理だったのよ。部屋に関しては、お金がないんだから仕方ないでしょう。スイートルームで優雅に羽を伸ばせるとでも?」

 

 服に馬車に道中の食事代のうえにここの宿代だ。

クローナのサイフもすっかり軽くなった。

 

ちなみに高級料理というのは真っ赤なウソだ。

 

「任せるって言った以上は、我慢しなさい」

 

「あぁ!? 我慢しなさいだと!?」

 

「文句があるなら、自分で探しなさい。それも嫌なら外で寝なさい」

 

「ぐぐぐ。俺は犬か」

 

「さっきの話、もう忘れたの? あなたは用心棒として雇ったようなものよ。それなりの対価は支払っているの」

 

「ぐ……」

 

「屋根があって壁があってベッドがあるのよ。幸せでしょう」

 

「お前はいいのかよ」

 

「えぇ、狭くても結構。この状況で贅沢を言うほど愚かではなくって」

 

「そうじゃねぇよ。男と一緒の部屋で寝れんのかって聞いてんだよ」

 

「あら、そういうつもりがあるの?」

 

「ねぇよ!」

 

「なら、お互いに満足ね。私はもう寝るから騒がないよう、では」

 

 そう言ってクローナはさっさとベッドに潜ってしまった。

リンセンに対しては、まるで警戒していない。

 

「おいクソ女、ちょっと言いたいことがある」

 

「私はクローナエスクード

 

「うるせぇ。おい、なんか嫌な予感がしねぇか?」

 

「嫌な、予感?」

 

「……いや、なんでもねぇ。俺も寝る」

 

「そう、おやすみ、リンセン」

 

「あぁ、クソ女」

 

クローナ

 

「おやすみぃ!」

 

 

 

 翌日、疲れ知らずだと思われていたリンセンはぐっすり眠り、酷いイビキをかいていた。

片足がベッドからはみだし、お腹も丸出しだ。

 

 こんな状況でも規則正しく起床したクローナは、ニワトリの起床時間よりも少し遅いタイミングでベッドから出た。

 

 軽い準備運動、加えてストレッチ。

全身の血液の流れを良くするためにも必要不可欠なことだ。

規則正しく活動することで、寝るときはぐっすり、起きる時もバッチリなのだ。

 

 一通りの準備運動とストレッチを終えると、リンセンがよだれを垂らしながら目を覚ました。

 

「あぁ? おい、朝か……?」

 

「えぇ、おはようリンセン」

 

「あー、体が重いぜ、ったく」

 

「変な恰好で寝てるからよ。当然よ、具合が悪くても」

 

「いや、なんか、変な夢を見たんだよ」

 

「夢? なにを?」

 

「いや、なんか、古い記憶かもしれん」

 

「思い出した、というの?」

 

「いやなぁ、なんか風景が日本っぽくてなぁ。着物を着て刀を持ったサムライがたくさんいてよ。なんかすげぇ熱かった。あとは、女がいたな」

 

「熱い? 夏……? それに、女? 母親のことでは?」

 

「いや、俺よりは年下っぽかったな。誰かは知らんし、顔も分からんが」

 

「では、妹?」

 

「知らねぇよ。覚えてねぇ」

 

「……そう」

 

「お前は、いるのかよ兄弟」

 

「えぇ。少し年下の妹が。名はクローネ・エスクード。賢くて、とてもいい子なの」

 

「うー、そうかい。ま、とりあえずメシだな」

 

 質問するだけしといて、その回答には無視を決め込んだ。

そのリンセンの態度に、クローナは早朝一発目のため息。

 

「あなた、寝ても覚めても食べ物のことしか頭にないの? 食べ物のことしか」

 

「人間、食えるときに食うのが一番だろーが。メシなんて、どの生き物でも必要だろ」

 

 ほとんど味を感じないクローナには、理解に苦しむ話だった。

食事は栄養のため、空腹を満たすためでしかないため、楽しむという発想がないのだ。

 

 その点、リンセンのことが羨ましかった。

昨日は過酷な一日だったのに、それでも食事のことを考えて元気になれるのは、すごいことだな、と。

 

 宿が用意した食事は、なかなか良いものでリンセンも納得だった。

 

 サラダにスープに軽い肉料理に、とろけたチーズが躍るトースト。

実に朝に相応しいメニューだ。

 

 リンセンは他人の目など考えず、ひたすら口に詰め込んだ。

しかも手袋をつけたままだ。

恥ずかしくなったクローナは、少し席を離しながらスープに口をつける。

 

「リンセン、食べるときは手袋くらい外したらどうなの?」

 

「あぁ? うるせぇな。こいつは俺にとって魂みたいなもんなんだよ。外せるわけねぇだろ」

 

「その魂が、肉の油とチーズで汚れてるけど、それでも?」

 

「ったりめぇだろ。あとで適当に洗えばいいんだよ」

 

「簡単に洗えるなんて、使いやすい魂ね、安っぽくて」

 

「あぁ? そりゃどーも」

 

「それとリンセン。あなた、他人の目ってものが気にならないの?」

 

 ほかにも宿泊客はいる。

もちろん、行儀悪く食べるリンセンに対して嫌な顔を見せるのがほとんどだ。

 

「あぁ? いいだろ別に。それより、今日はこれからどうすんだよ」

 

「はぁ……まったく、あなたって人は」

 

「なんだよ」

 

「今日は馬車に乗って、私の故郷のフェルテに戻って家に帰る。

一日経過してもナイラ国の兵士は追ってこれなかったようだから、このまま帰っても大丈夫だと思うわ」

 

「ふーん、そうかい。じゃあ、俺は自由にやらせてもらうとするかなぁ」

 

「自由って、どうするつもりなの、あなた? まさか真面目に働くとでも?」

 

「あ? お前みたいなやつの用心棒やって、それで食ってくってのがいいかもな。悪党どもを十把一絡げに倒すのも面白いしな」

 

「あなた、頭の中は暴れることと食べることだけ?」

 

「あと、寝ることもな」

 

「夢の中でも戦ってたようだけど」

 

「年中無休なんだよ」

 

 最低限の食事を終えたクローナは席を立った。

だが、まだテーブルには食事が残っている。

 

「おい、どこいくんだよ」

 

「さっき言った通り、馬車に乗って家に帰るの。じゃあね、短い間だったけど、お世話になったわリンセン」

 

 クローナは軽く頭を下げた。

リンセンのことは正直気に食わなかったが、それでも命を助けてもらって、用心棒として雇ったのだ。

最後くらいは礼儀正しく去りたかった。

 

「私が残した分は食べてもいいから」

 

「あ? あぁ」

 

 店を出たクローナキャスケットを被り、馬車屋のもとへ向かった。

馬は元気にしっぽを振っている。

雲で太陽がほぼ隠れているので、馬車移動には最高の日だ。

 

 御者のおじさんが、クローナを見て手を振った。

 

「おぉ、昨日のお嬢さん。さっそく行くかい?」

 

「えぇ。お願いします」

 

「おや、昨日一緒に歩いていた坊主はどうした? あの、平たい顔の」

 

 平たい顔、つまりニッポン人という意味だ。

 

「彼は、ここでお別れです。別にケンカではないですよ。彼にも事情があるので」

 

「そうかいそうかい。ま、そういうことなら、さっそく行こうかね」

 

 屋根がつき、後ろには窓がはめ込まれた質の良い馬車に乗り込んでパタカの町を出た。

 

 そのとき、クローナが宿のほうへ視線をやったのは、リンセンのことが少しでも気になっていた証拠だ。

 

 この後に危機が迫ることを察してのことなのか、あるいは……。

 

 

 

 三章 リバース リ・バース

 

 

 

 そのとき、宿の中にいたリンセンは食事を終えて一人で部屋に戻っていた。

 

 二人分のベッドがある狭い部屋だったが、食後のストレッチくらいはできた。

 

 軽く手足を伸ばし、またベッドに寝そべる。

 

 クローナの用心棒として戦う仕事がなくなってしまった以上、これからの目標は特にない。

 

 しいて言うなら次の契約を結べる人物を見つけることだが、あいにくリンセンにはやる気がない。

腹が減らない限り、そこまでのやる気を発揮できないのだ。

 

「ふわぁあ……なんだか、眠くなってきたな」

 

 大あくびをかまし、ベッドの上で背伸びをする。

 

 リンセンにとって魂である手袋すらも外し、床にポイと雑に投げ捨てた。

 

「あの女、どうなるかなぁ」

 

 クローナのことが、気にならないわけではない。

 

 それでも、付き合いは短く、深い関係があるわけでもない。

 

一時的な協力者――一時的なやむを得ない協力者でしかない。

 

「美味いメシを食わしてくれんなら別だが、それならあの女じゃなくてもいいしなぁ」

 

 とりあえず、リンセンは空腹になるまで横になることにした。

 

 腹が鳴ったら、それが目覚めるタイミング。

そんな適当な気持ちで、ゆっくりと目を閉じた。

 

 満腹のせいもあってか、眠気はすぐにやってきた。

 

 これから夢の中へ招待されようとした直前、外から女性の悲鳴が聞こえ、リンセンはベッドから跳ね起きた。

 

「な、なななんあなんだぁぁ!?」

 

 寝ぼけ眼を擦り、窓から外を確認する。

 

 よく見ると、子犬を抱いた十歳くらいの少年が、金持ちそうな三人の男たちに囲まれている。

その側では、悲鳴を上げた若い女性が倒れていた。

 

「おいおい、なんだありゃ。ったく、俺の眠りを妨げやがって」

 

 大きな舌打ちをしたリンセンは、手袋を装着して宿を出た。

 

 状況などまったく飲み込めていなかったが、目の前で起こったトラブルを力で解決して、一刻も早くベッドの上から夢の世界へ行きたかった。

ただそれだけを考え、問題の現場へやってくる。

 

「おいてめぇら。ぎゃーぎゃーぎゃーぎゃー騒がしいんだよ、おい」

 

 子犬を抱いて震える少年。

土で服が汚れた女性。

その二人を偉そうに睨む偉そうな三人の男。

そしてそこに首を突っ込む無関係なリンセン。

明らかに場違いだ。

 

「なんだ貴様。この国の者か? いや、違うか」

 

 偉そうな男その一が言った。

 

 男は金髪に純白のコート

して金のネックレスとステッキを輝かせている。

横にいる二人も似たような恰好で、人を見下す冷たい目も同じだった。

 

「へっ! 俺がどこの国の人間かなんかどーでもいい」

 

「どうでもいい? じゃあなんのようだ。関係ないやつは引っ込んでいろ」

 

「それがよ、そうでもないんだよなぁ。俺はしっかり関係あるんだよ、悪いけどな」

 

「おい」

 

 それはリンセンに対して放たれた言葉ではなく、横にいた男たちへの指示だ。

 

 うなずいた男二人は指をポキポキと鳴らし、リンセンへ接近した。

 

「その二人は俺が雇った用心棒さ。金さえあれば、大体のものは買える。強さも力も、安全もな」

 

「ほう。じゃあ、その自慢の用心棒がどんなもんか、俺に教えてくれよっ!」

 

 ニヤリ――リンセンの顔つきを見やり、用心棒の一人が勝利を確信した。

 

 ――のも一瞬。

ほぼ同タイミングで、用心棒の腹にはリンセンの拳が叩き込まれ、目を開けたまま地面に突っ伏した。

 

リンセンに対する判断は、どうやら大きく間違っていたようで。

 

 弾かれるようにステップを踏んだリンセンは、流れるようなスピードでもう一人の男に回し蹴りをお見舞いし、一撃の下に撃退完了した。

 

 白いコートの男は、よだれを垂らして倒れる用心棒を見て腰を抜かし、リンセンに対する恐怖心が全身を支配していた。

 

「き! ききき貴様! なんだ! 高い金を出して雇った用心棒を、た、たったの一撃で!」

 

「あぁ? てめぇが雇った用心棒が弱かっただけだろうが」

 

 リンセンは白いコートの男との距離を詰めてゆく。

 

 胸倉を掴みかかろうとしたそのとき、ふと震える少年が抱く犬が目に入った。

 

 犬の足の付け根は大ケガをしていた。

 

固いもので何度も叩かれたかのように赤く腫れあがり、その部分だけ毛が抜けている。

 

「おい、今更だが、こりゃどういう状況だ、おい」

 

「は、ははは。こ、この女が悪いんだ」

 

「あぁ?」

 

 この女、とは。先ほど悲鳴を上げた女性のことだ。

 

「この女、商会のトップの息子であるこの俺にぶつかっておいて、たかが謝罪だけで済まそうとしたのだ。だから軽く突き飛ばしたまでさ」

 

「あぁ? 謝ってんならいいだろうがそれで」

 

「ふ、ふざけるな。貧乏庶民が俺にぶつかっておいて、タダで済まされると思うな!」

 

「それで、どうして犬がケガをするんだよ、おい」

 

 大まかな流れを予想できたリンセンの怒りはさらに沸騰した。

浮き出ている血管は今にも千切れてしまいそうだ。

 

「見せしめにこの女の弟であるこのガキを制裁してやろうと思ったのだがな。町中である故、俺にも体裁があるから、子供を殴るのは良くないことだ。だからこのガキが連れていた犬を制裁してやったのさ」

 

「あぁ……? おい、罪もねぇ犬を殴ったってのか……?」

 

 怒りに拳を震わせながら、呟くように再確認した。

 

「なんだ? なんと言った?」

 

「だーかーらー……てめぇがこの犬を傷つけたのかって訊いてんだって訊いてんだぁぁぁ!」

 

 獲物目掛けて駆けるトラのような初速で拳を振るい、男の顔面にめり込ませたっ! 

鼻、アゴ、歯などなど! 顔に存在するパーツというパーツに多大なるダメージを負わせた!

 

 ダンサーよろしく空中三回転を決め込んだ男は鼻血をまき散らしながら無様に倒れるっ!

 

「き、きき、貴様……俺は商会の次期跡取りだぞ……こんなことして、許されると思っているのか……」

 

「あぁ? あいにく俺はバカなんでなぁ。てめぇのつまんねぇ言葉は理解できねぇんだ」

 

「ゆ、ゆゆゆ、許さんぞ……このことは、父上に報告して、貴様を地獄に叩き落としてやるからなぁ! …… 絶対に、必ず、だ!」

 

「あぁそうかい。まぁ、お前が犬を傷つけた事実は、お前の立場を危うくさせるものらしいがなぁ」

 

 周囲を見れば、村人たちの目線はすっかり冷たいものになっていた。

ある人は少年と犬を労り、ある人はフライパンを手に男に睨みをきかせている。

 

「おい次期跡取りさんよぉ。俺は、てめぇみたいに動物に暴力を振るうクソ人類に心底ムカっ腹が立ちやがるぜ」

 

 胸倉を掴み、ヘビのような目力で次期跡取りの震える瞳を見据える。

 

 瞳の奥底にある濁った心まで見えたリンセンは、これ以上殴る価値もないと判断し、ふんと鼻を鳴らす。

 

「おととい来やがれ。俺がてめぇを必要以上にぶっ飛ばす前にな」

 

「わ、わわわ分かった! 分かった!」

 

「それと! 約束しろ」

 

 リンセンは人差し指をピンと立て、次期跡取りの額を小突いた。

この約束は、その腐った脳ミソにしっかり叩き込め、とそういうことだ。

 

「二度と動物を傷つけるな」

 

「は、はい……」

 

「てめぇが跡を継いでも、死んであの世に行ってもだ」

 

「は、ははははい!」

 

「よし! 消えろ!」

 

「はいぃぃぃぃぃぃ!」

 

 脱兎のごとく、とはこのことだ。

 

 男は自慢のステッキを放り投げ、彼方へ走り去っていった。

高額で雇った用心棒はほったらかしのまま、自分の身を守るためだけにただ走り去った。

 

 用心棒が成敗された段階で逃げるべきだったが……。

 

「へっ、腰抜けめ。ざまぁ見ろって感じで心がスカっとしたぜ」

 

 邪魔者を追い払ったリンセンは、すっかり満足して宿へ戻ろうとした。

 

 だが、犬を抱えた少年が恩人のリンセンを呼び止める。

 

「ま、待って!」

 

「あぁ? なんだぁガキ」

 

「その、助けてくれて、ありがとう」

 

 その弟の様子を見た姉は、服についた泥を払ってから弟の横に並び、ひたすらお礼の言葉を繰り返した。

 

「あ、ありがとうございました。ありがとうございました。ありがとうございました」

 

「お、おいおい。勘違いすんなお前ら。俺はただ、あの偉そうなヤツのせいで寝れなかっただけだし、犬まで傷つける腐った思考が許せなかったんだよ。だからやめろよ、くすぐったいんだよそういう言葉は」

 

 頬をポリポリと掻いて目線を外すリンセンだったが、二人はお礼の言葉を繰り返した。

気づけば周囲もその流れに乗り、住人たちが囲んで拍手をしていた。

 

「お、おい! だからやめろって!」

 

 気分を害したリンセンは、囲む住人たちの間をこじ開けて脱出した。

 

 これでは、気分が悪いままだ。

 

 自分の性格上、ニッポンにいたころも人に感謝なんてされていなかったことは、自身も薄っすらと理解できていた

 

感謝され慣れていないリンセンは、どうしても感謝というものを素直に喜べないでいるのだ。

 

 感謝をうまく利用すれば、住人たちの感謝に乗じてご馳走をいただくこともできなくはなかったが、あいにくとリンセンの頭の回転はそこまで良いものではないため、とにかく感謝の猛襲から逃れることだけを考えて、町を出ることにした。

 

 なんだかんだと文句を言いながらも、やはりクローナが一番やりやすく、そしてご馳走にもありつきやすいことに、リンセンは気づいてしまったのだ。

 

「やっぱりあいつ! クソ女だが、俺と相性いいのかもしれねぇ!」

 

 リンセンは手袋のパワーで変身し、前傾姿勢で馬車を追いかけた。

 

具体的な方向や距離など把握できていないが、無事に到着することに賭けた。

 

 常人をはるかに超えるスピードを誇る今のリンセンならば、馬車に追いつくことなどたやすいことだ。

 

 方向さえ間違っていなければ、だが。

 

 

 

「お嬢さん、どこまで行くんでしたっけ?」

 

 手綱を握るおじさんは、クローナにそう問いかけた。

一日眠っただけではまだ疲れが取れていないため、クローナは半分夢の中だ。

 

「えぇ? え、ええ。シリングの町までお願いできます?」

 

「そうでした! そうでした! うっかりしてましたぜ!」

 

 ガハハと笑うおじさんを見ていると、自然とリンセンのことを思い出してしまう。

未練があるわけではない。

ただ、危なっかしいあの男を放置してしまって、周囲に被害を及ぼさないかが心配なのだ。

 

 馬のコンディションと移動距離を考えると、そこまで速度を出すことができない。

到着にはある程度時間がかかるが、今後のことを整理するための良い時間だなとポジティブに考えた。

 

 ナイラ国に襲われたこと。

列車がストップし、能力を連発したこと。

そして、あのリンセンという男の報告――問題は山積みだ。

 

 さらに、本来ならば列車で別の町に向かい、能力を使ってサーカスの演出を手伝う予定だったのだ。

それがナイラ国の襲撃で中止になった今、その町に謝罪の手紙を送らなければならない。

それと、妹のクローネへも心配をかけさせないよう努めなければならないし、今後のナイラ国の攻め方によっては全面戦争へ発展する恐れもある。

 

 いや、その可能性は高い。

 

 このまま何も対策を練らず、クローナを見逃すわけもない。

 

 列車を丸々一つ占領し、人質まで使う非道な集団だ。

どんな手で攻めてくるか検討もつかない。

 

 やはり、リンセンは用心棒として雇っておくべきだったか――。

 

「あの、すみません」

 

「ん? なんだいお嬢さん」

 

「さっきのパタカまで戻れますか?」

 

「お? あぁ、構わないけど、どうした、忘れ物か?」

 

「えぇ、少しだけ。大丈夫です?」

 

「いいよいいよ。まだ大して進んでないしね」

 

「どうもありがとう。助かります」

 

「では、戻るよ――んん!?」

 

 馬車を方向転換させようとスピードを緩めたとき、正面から接近してくる何者かが見えた。

 

 リョウだ。

 

 鋼鉄のキモノに変身したリョウが立っていた。

 

 キモノとは本来は足首までの長いものであるが、この鋼鉄キモノは膝上までの短いものだ。

長さこそ違うものの、その模様、シルエットはキモノそのもの。

 

 まさに大和撫子戦士!(ヤマトナデシコソルジャー!)

 

「な、なんだありゃあ?」

 

 馬車を止めるべくスピードを落とすが、危機を察したクローナはそれを中止させ、前進するよう指示を出した。

 

「ダメです! 走り続けてください!」

 

「で、でも! 轢いてしまうよ!」

 

「ならば、横を通り過ぎればいいのですっ!」

 

 素早く馬に鞭を入れ、僅かに軌道を変更する。

 

 俊敏な四本の足が軽やかに指示に応え、リョウと激突しないルートを直進する。

 

 だがリョウは、鋼鉄の扇を構え姿勢を低く構える。

 

 変身したリョウはクワンザを三体同時に相手にできるほどのパワーを誇るっ! スピード、そして反射神経、極めつけにジャンプ力っ! どれも普通の人間を遥かに凌駕していたっ! これは圧倒的っ!

 

 

「あの人、まさか子供? それにあのデザイン、まさかキモノ?」

 

 ナイラ国の追っ手かどうかは判断できなかったが、少なくとも楽しい旅行に招待してくれるわけではないことくらい察しはついていた。

 

 もちろん、その姿は変身したリンセンとも重ねていた

異質な衣装を身にまとって荒野に立つだけなら誰でもできるが、リンセンのように超パワーを誇った敵という可能性もある。

 

「私の、味方? 味方なの?」

 敵か味方か――クローナの頭に疑問がよぎる。

 

 馬車はリョウの横を通り過ぎた。

馬が巻き上げた粉塵でリョウの姿が隠れる。

 

 敵らしき存在を退けたことに安堵するクローナだったが、その気持ちをあざ笑うかのように、砂塵がリョウの一撃によって払われた。

 

 突風を巻き起こし、周囲の砂を含んだ小嵐を発生させる。

砂を全て吹き飛ばした瞬間、すでにリョウの姿はそこにはなかった。

 

「消えたっ!?」

 

 その一部始終を目の当たりにした瞬間、クローナはリョウを敵だと認識した。

経緯は不明だが、ナイラ国が兵器として用意していたもう一人のニッポン人だということは理解できた。

 

 馬車が走行を継続しつつも、クローナは周囲を警戒する。

 

 並の人間ならば馬車に追いつくなどという芸当、不可能である。

だがあの手袋による変身能力さえあれば、おそらく容易いことだろう。

リンセンは武器一本で列車を止めたくらいなのだから。

 

「まさか、上っ!」

 

 その、まさかだった!

 目を細めて上空を確認すれば、太陽をバックにしたリョウが上空数メートルを跳躍していた。

高さ、落下速度、共に馬車に狙いを定めた動きっ!

 

「来るっ! 落ちてくるっ!」

 

 畳んだ扇を構え、馬車の屋根を襲撃。

鋼鉄のナイフのように鋭利な扇が木製の屋根を突き破り、クローナの頭すぐ上の天井に穴を空けた。

 

「馬車っ! 斜めに動いてくださいっ!」

 

 おじさんは混乱しつつも馬にムチを入れて方向を修正する。

 

だがリョウが搭乗したことによって重量が増えてしまい、馬も戸惑うばかりっ! 思うように方向転換できず蛇行せざるを得ないっ! 危うしっ!

 

 しかし! 蛇行にも屈しないリョウは、扇を使って缶切りの要領で屋根を切り裂いてゆく!

 

 狙いはクローナただ一人。

 

 頭上から細かい木の破片が無数に落ちてくるため、下からではリョウの様子を確認できず、ただひたすら体を縮こまらせて身を守ることしかできなかった。

ハリネズミのピアストルもボール状になって端に転がるのがせいぜいだ。

 

 助けて……。

 

 助けて……リンセン。

 

「リンセン!」

 

 ――そのとき、クローナのヘルプが届いたのか――荒野を駆け巡る人影が一つあった

人間の二倍ほどの速度で風を切るその姿、まさに獣的速度。

 

 そいつはリンセンだ。

すでに手袋の力で変身した状態であり、握りしめた棍棒をがむしゃらに振り回している。

 

 そしてっ!

 

 両足で踏み込み、爆発的な跳躍っ! これは高いジャンプ! 荒野の固い地面を数センチ抉り、一気に馬車との距離を詰める大ジャンプを繰り出したっ!

 

 勢いで馬車ごと弾き飛ばせばクローナたち(特に馬)に被害が及ぶことは想定できる。

だからあくまで標的は、馬車の上で屋根を引き裂くリョウだ。

 

「切り裂く躍動、裁く震動! 一騎当千のォォォ! 俺の一太刀ィィィ! 十把一絡げに、大・成敗してやるぜぇぇぇええ!」

 

 放物線を描きながら襲撃するリンセンに気付いたリョウは咄嗟に扇を引き抜いて広げる。

 

「てめぇ! なんだその武器はっ!」

 

 リョウが華奢な腕で一振りすると、破壊的な突風が吹き荒れるっ! まさに刹那の台風! まさに刹那の大嵐っ! 空中で制御の利かないリンセンはその衝撃を耐え凌ぐので精一杯なのだっ!

 

 風の影響っ! 僅かに落下地点が逸れ、リンセンの足は馬車の屋根に到達することはなかったっ! これはマズい!

 

「終わり。この勝負、あっしの勝利なり」

 

 メットの下で不敵にほほ笑んだリョウは、視界から姿を消したリンセンに手を振った。

 

 気を取り直し、引き裂かれた屋根からクローナを睨む。

 だが当然、ただ黙って攫われるほどクローナもバカではない。

 リョウが掻っ捌いた屋根から睨み返し、能力を発動した。

 

「こ、この女! これが能力か!」

 

 見えない何かで縛り付けられたように、リョウの動きを封じた。

本当なら体ごと消滅させることも不可能ではないのだが……そこまで物騒な扱い方はしない。

 

「これは、あっしがこんなもの程度に後れを取るとは! 不覚なりっ!」

 

「あなた、誰なのっ! やはりナイラ国の敵なの!?」

 

「あっしは名乗りません。あっしは使命を果たすだけ!」

 

「あなたはまだ子供でしょう。それも女の子。こんなこと、していいはずがないわ!」

 

「無関係なり。あっしはただ、やるべきことをやり、相応の報酬を貰うだけ。その妙な能力には少々驚いたが、しかしその技、破ること容易なりっ!」

 

 ほぼ無敵を誇るクローナの能力も、体力が消耗されればそう長くは継続しないし威力も低下する。

 

 その隙をついたリョウは片手を振り上げて隙間から扇を投げ込んだ!

 

「くっ!」

 

 クローナの頬を掠って傷を作り、扇は馬車内に深々と突き刺さった。

 

「破れたり、珍妙な技。あっしの手にかかれば、容易なり」

 

 リョウは亀裂が入った屋根に鋭い拳を叩き込み、ついに馬車に侵入した。

体力を消耗したクローナの前に立ち、その腕を乱暴につかむ。

 

「同行してもらうなり、クローナエスクードで問題ないか?」

 

「私が誰だか分からないでここまで攻めてきたというの?」

 

「分からない。あっしはただの勘で動いただけに過ぎないなり。しかしあの珍妙な能力から察するに、貴様はクローナエスクードで相違ないなり」

 

「そう。本当に私がクローナエスクードならいいわね。それより、人に名前を聞くならあなたも名乗りなさい」

 

「あっしはリョウ。敵に名乗るのも妙な話だが、土産にするといい」

 

「じゃあリョウ。私を連れて行ったら、戦争が始まるのよ。あなたはそれでいいの?」

 

「無関係なり。あっしはあっしの国が守れれば、問題ないなり。ノープロブレムなり」

 

「国? 国って、ニッポンのこと?」

 

「答える必要はないなり」

 

 リョウはこれ以上能力を使わせないため、クローナの腹に拳を打ち込んだ。

 

「うっ!」

 

 疲労していたクローナは一撃で気絶し、リョウの肩に担がれる。

後は戻ってクローナを差し出せば、リョウの任務はこれにて終了だ。

 

「任務、終了なり。ただいま帰還するなり」

 

 軽い跳躍で、穴の開いた屋根に両足を広げて飛び乗る。

 

周囲を確認するが、どこにもリンセンの気配はない。

敵さえいなければ、あとは普通に帰還するだけの簡単な任務だ。

 

 リョウが本部まで戻るのに相当な時間を要するうえ、クローナを担いだまま普通の列車に乗るのも不可能だ。

 

そのため、ナイラ国はリョウを運ぶための特別な列車を用意している。

その列車へたどりつくのにも相当な距離はあるが、手袋のパワーで変身していれば造作もない。

 

 と、進行方向とは反対を向いたとき、足元に何者かの気配があった。

 

 爆走する馬車の足元に、誰かが、いるっ!

 

「逃がすかぁっ!」

 

 片手だけで全体重を支えていたリンセンが、混でリョウの足元を払う

不意を突かれたリョウは避けることができずその場で横転。

大穴が開いた屋根から馬車内へ落下っ! 続けてリンセンも馬車内に飛び降り、仰向けに倒れたリョウの顔面に追撃を仕掛けるっ!

 

「取ったぁぁぁあ!!」

 

 落下の速度をプラスした一撃っ! それを叩き込むっ!

 

 だが間一髪!? リョウは担いでいたクローナを盾にし、リンセンの攻撃を寸止めさせる!

 

「くっ! てめぇ! 卑怯だぞ!」

 

「使えるものは使う。それがあっしのやり方なり」

 

「へっ! てめぇ、なにもんだ? そのクソ女を連れてくってことは、俺を箱に閉じ込めたあのクソ人類どもの仲間か」

 

「くそじんるい?」

 

「腹の立つ連中のことに決まってんだろ。これ以上てめぇも下がらねぇってんなら、てめぇもクソ人類の仲間入りだな」

 

「この女、連れていく、それがあっしの任務なり。邪魔する者、排除あるべき、なりっ!」

 

 仰向けのまま、リョウは開いた扇を一振りしたっ! 馬車内が突風で満たされバランスを崩し、馬の脚が不規則に乱れるっ! 突如として発生した暴風にリンセンも身動きが取れない! これはアンバランスっ!

 

「てめぇ! そんな武器なんかで俺を止められると思ってんのかぁ!」

 

「あっしは帰る。遊んでいる暇はないなり。今度こそさらばっ!」

 

 両足を揃え、体全体をバネにしてリョウは高く飛び上がった。

そのまま爆走を続ける馬車から出てしまえば、あとは無事に着地して帰還するだけっ! ただそれだけっ!

 

 リョウは勝利を確信し、空中でほくそ笑んだ。

 

 だがそれも束の間――同じくリンセンも飛び上がり、逆光をバックにしたリョウの足首を掴む!

 

「不覚なりっ!」

 

「詰めが甘すぎるんだよクソ人類が!」

 

 リョウの体を引き寄せ、逆の手でクローナの腕を掴む。

そして流れるように蹴りを繰り出し、リョウとの距離を作るっ!

 

「奪われたなりっ! あっしの任務がっ!?」

 

 リョウはクローナを失ったまま、徐々にリンセンと離れていく。

だがリンセンは蹴りを入れた衝撃で大きく後退し、馬車の方向へ飛んで戻る!

 

「あばよっ! ガキっ!」

 

 馬車の中へ舞い戻り、クローナをかばって背中から着地した。

変身していなければ、背骨の二本か三本は砕け散っているだろう。

 

 仰向けのリンセンに、気絶するクローナ――この絵面だけ見れば、いかがわしいことこの上ない。

 

 リンセンは獅子の模様が刻まれた手袋に触れ、変身を解除した。

 

「おい、おいクソ女」

 

「……う、うう」

 

「さっさと起きろ、寝てんじゃねぇ」

 

 薄目を開けてあたりを見回すクローナ

状況の把握に努めるが、視覚だけでは満足いく情報は得られそうもない。

 

「り、リンセン? これは……?」

 

「てめぇが寝てる間に、俺は一勝負してたんだよ」

 

「そ、そういえば、あの敵は? あの敵はどうなったの?」

 

「だーかーら。俺が撃退したって言ってんだろーが。いいからさっさと俺の上から降りろ」

 

「あ、ごめんなさい」

 

 ようやく事態を飲み込めたクローナは、コホンと咳払いをする。

 

「あの、助けてくれてありがとう。リンセン」

 

「あぁ? だから、てめぇのためじゃねぇ。気分が悪いから戦っただけだ」

 

「そ、そう?」

 

「それとな、用心棒になるのはやめた。やっぱりてめぇについていく」

 

「な、なにを言っているの? さっき宿で契約解除したでしょう。宿で」

 

「バカ言え、俺は承認した覚えなんかねぇぞ。だから、さっき助けた分の報酬は頂く」

 

「……あなたって人は。頼もしいけど……まぁいいわ」

 

 契約続行の証として、クローナは握手のための手を出した。

 

「あぁ? なんだこの手は」

 

「握手よ。仲間の証明なの」

 

「やらねぇよ。握手なんて」

 

「やらない? どうしてなの?」

 

「そういう馴れ馴れしいのは嫌いなんだよ。

俺は暴れられて美味いメシが食えればそれでいい。たとえ契約者がてめぇでなくともな」

 

「そう。じゃあ握手はしないでおくわ。その代わり」

 

 そこでいったん言葉を区切り、クローナは大きく息を吸った。

 

「私の家に一緒に来てもらうわ。あなたのこと、もっとちゃんと訊きたいし、私のことも聞いてほしい」

 

「あぁ? 訊くって、なにをだよ。能力のことは言えないんだろ」

 

「ここまで一緒に戦ったなら、教えといたほうがいいと思うし」

 

「わぁったよ、クソ女」

 

「何度も言うけど、私はクローナエスクードよ、リンセン」

 

「わぁったようるせぇな!」

 

 

四章 ドッグアンドキャット

 

 無事にクローナの故郷であるフェルテに到着。

 

 到着後、御者のおじさんにはクローナが深く謝罪を繰り返した。

只ならぬ事態を察してか破壊された屋根を弁償しなくていいと言ったが、それでもクローナ自身の気が済まず弁償することにした。

 

 その間、リンセンはクローナの家でどんなご馳走を堪能できるのか? ただそれだけを考えていた。

 

 クローナの故郷フェルテ――。

 

 いくつもの背が高いレンガ造りの建物が並び、貿易や商業が盛んで活気に溢れる町である。

衣服、食材、武具、ペット用品、雑貨などなど、豆から槍までなんでもござれの大都市である。

 

 さらに、この町には一つ大きな特徴がある。

 

 この町、実は地面がほぼなく、移動のほとんどを船で行うシステムの水上都市なのだ。

 

 海とつながった特殊なフェルテへの荷物の搬送も全て船で行う。

かなり不便ではあるが、青い空と光る海と、オレンジ屋根の建物が彩る美しい景色を見るために観光に訪れる者は多い。

 

 馬車で船着き場まで行き、そこからは小さな船に乗り換えての移動だ。

独特な揺れに、リンセンは戸惑う。

 

「おいクローナ、ここが、お前の故郷なのか? こんな船で行くのか?」

 

「こんな船なんて、失礼でしょ。漕いでいる方に失礼でしょ」

 

「なんでよりによって水上都市なんだよ、普通に地面に作れよ」

 

「あら、水はお嫌い?」

 

「ちげぇよ。自由に暴れられないのが嫌なんだよ」

 

「そう。じゃあ、地面のあるところへ戻ったらどう? 私の家でご馳走は食べられないけど」

 

 クローナは、さっき習得したリンセンの扱い方を炸裂させた。

困ったら食べ物で釣るのが確実だ。

 

「おい、俺にエサとしてメシって言っとけば誘えると思ってんのか? 言っとくけどな、お前なんかより美味いメシを出せる人間がいるってんなら、そいつの用心棒をやったっていいんだからな。調子乗るなよ、おい」

 

「分かってるわよ。私だってあなたを失いたくないの。あなただって、私の能力は役立つでしょう?」

 

「へっ、時と場合によるな」

 

「そうね。それなりのリスクはあるし、体力も消耗する。でも、この能力で人が救えるのなら、私は人を救いたい。もちろん、救いたい人の中にはあなたも含まれるわ」

 

「そうかい。そりゃあどうも」

 

「素っ気ない返事ね。もう少し喜んでほしいところだけど」

 

「んなもん俺の自由だろ。そこまで決めつけんな」

 

「決めつけてなんかいないわよ。ただ提案しただけ」

 

「へっ、そういうクールな態度、嫌いじゃないが気に食わねぇな。女ならもっと笑っとけよ」

 

「そう。お互い様ね」

 

 一悶着終えたおかげで二人の間に信頼が結ばれたと思われたが、残念ながらお互いの欠点をののしり合う戦いは終わることがないようだ。

 

「お二人さん、仲がいいねぇ」

 

 先頭で船を漕ぐ若い男は、その一部始終を見て皮肉が入り混じった誉め言葉を贈った。

 

 だがもちろん二人は、

 

「違います!」「違ぇ!」

 

 同タイミングでシンクロした言葉によって彼を一撃で押し黙らせた。

 

 それからしばらく船は進むが、二人の間から会話は途絶えた。

「まるで熟年夫婦だ」と冗談を飛ばしそうになった船漕ぎだが、余計な油は注がないように黙っておいた。

 

 だが無言で進むのも辛いものがあるので、クローナはなんとか話題を作る。

 

「ところでリンセン、もちろんこのフェルテって町は初めてよね?」

 

「あたりめぇだろ。外国なんて見たこともねぇよ」

 

「そう。なら丁度よかったわ、いいことを教えてあげる」

 

「あぁ? 美味いメシの食い方か?」

 

「あなた、食べ物のことしか頭にないの? 確かに食べ物に関することだけど、食べ方ではないわ」

 

「じゃあ、なんだよ」

 

「見てて」

 

 船一艘分しか通れない狭い水路に入った。

左右には様々な店がにぎわっているが、特に果物屋が多く、果物屋同士がライバル意識という火花をバチバチと散らしている。

 

 クローナはポケットから百エン玉を取り出し、近くの果物屋へ手渡した。

 

「リンゴを一つ」

 

 それだけ伝えると、果物屋は迅速にリンゴを一つ手に取り、クローナの持つ百エン玉と交換した。

 

 この一連の流れを、なんと移動しながら行っている。

この町フェルテならではの買い方で、外国から訪れた人間ならば一度は経験してみたいことの上位に食い込んでいる。

 

 どう?

 

 と、クローナはリンゴをリンセンに突き出しながら得意顔になった。

 

「す、すげえ! すげぇじゃねぇか! なんだよ今の、曲芸かよ!」

 

「この町の人間ならば誰でもできることよ。ちょっとコツがいるの。船が動いたままやりとりをするから、慌てて小銭を海に落としたりしたら大変よ」

 

「お、俺にもやらせろ!」

 

 クローナが弾いた百エン玉をリンセンがキャッチすると、側にいた果物屋に投げつけて「オレンジよこせ!」と満面の笑みで叫ぶ。

 

 不意にぶつけられた要求にうまく応えられず、果物屋は明後日の方向へオレンジを投擲する。

だがリンセンは抜群の反射神経で海に落ちかけたオレンジを見事にゲットした。

 

「面白ぇじゃねぇか! この買い方、十把一絡げに気に入ったぜ!」

 

「十把一絡げの使い方、おかしくない?」

 

「いいんだよ、んなことは。それよりこの町、なんつったっけ?」

 

「フェルテよ。まぁ、気に入ってくれたなら幸いだわ、気にいってくれたなら」

 

「気に入った! よく見りゃこの町、けっこういい景色だしな!」

 

「そうでしょう? じゃあ、これから陸地に上がるから、ちょっと違う景色になるわよ」

 

「おおい! そりゃ楽しみだぜ!」

 

 船着き場に到着し、クローナたちは船を降りた。

ふわふわした感覚の船からどっしり固められたコンクリートの上へ移動すると、若干バランスを崩しそうになる。

 

「おい、なんか、変な感覚だぞ、おい」

 

「あれ、リンセンったら、船酔いしたの?」

 

「バカ言え、天下のリンセン様が船ごときで酔うかよ」

 

「そう? このまま歩いて私の家にまで行くから、ちゃんとついてきてよ」

 

「うるせぇな。酔ってねぇって言ってんだろ」

 

 船から眺めたフェルテの景色も賑やかだったが、陸にあがって町の中へ入ると四方八方を活気が染めていた。

 

 お世辞にも広いとは言えない道だが、狭いなりにうまく活用していて、建物と建物の間に厚い布を張ってその上でバグパイプなどを奏でている者もいる。

その下では派手な恰好をしたピエロがジャグリングを披露し、観客たちはお捻りを帽子に向かって投げている。

 

「どう、リンセン? 陸もすごい賑わいでしょ」

 

「あぁ。嫌いじゃないぜこの感じはよ!」

 

「安心したわ。あなたのことだから、文句を言うんじゃないか心配してたから」

 

「あぁ? そりゃどういうこった、おい」

 

「あー、それより、私の家を案内するわね。ついてきて」

 

 軽く皮肉をぶつけつつ、すぐにごまかして歩き続けた。

ここまで横暴な態度を続けたリンセンに対する僅かな復讐であり悪戯のつもりだ。

 

 人が賑わうエリアから離れて数分。

商店も姿を消し、次に姿を見せたのは住宅街だ。

どれもデザインが統一され、屋根の色も軒並みオレンジに染まっている。

当然、住宅街と言っても目の前には水路があり、ときたま船が通りかかるが。

 

 その中にある一軒の前に立つと、クローナはふぅと深呼吸をする。

 

「おい、ここお前の家だろ。なんで深呼吸が必要なんだ」

 

「そりゃあそうでしょ。服が汚れたから新しいの買って、あのリョウって女の子に襲われて顔にも傷ができたし、あなたも増えてるのよ」

 

「おい、俺が邪魔だってのか?」

 

「そうじゃなくて、いきなり男の人を連れてきたら、何事かって思うのが普通でしょ」

 

「はいはい。俺は邪魔ってことね、りょーかい」

 

「だから、そうじゃなくて……とにかく、横暴な態度は謹んで、横暴な態度は」

 

「じゃあ、俺が横暴な態度をとったらその能力でなんとかすりゃいいだろ」

 

「軽く言わないで。この能力は、あまり使いたくないの。いいから、とにかく中に入って」

 

 クローナキャスケットをしっかり被りなおしてから扉を開いた。

乗り気でないリンセンの手首を引っ張ると、リンセンはさらに面倒くさそうな表情になる。

 

 白い壁に白い天井、そして床まで白くカラーリングされている品のある家だった。

扉や窓枠、家具などは水色でアクセントがつけられ、清潔感がある。

 

「ただいま! 母さん! クローネ!」

 

 奥から姉らしくも見える若そうな母親と、クローナより五つほど歳の離れた妹のクローネが顔を出した。

 

クローナ! 大丈夫なの!?」

 

 母親のフランは顔を出してはすぐさまクローナの肩を掴み、鬼気迫る表情で抱きしめた。

 

「か、母さん、大丈夫だから、私は」

 

クローナ、聞いたのよ。あの能力を使ってサーカスの演出を手伝いに行くために列車に乗ったら、ナイラ国に襲われたって、それでニッポン人が殺しに来たって、そんな情報が!」

 

「情報? ってどこから?」

 

「ウワサ! 停まった列車を見てた人たちからの情報よ!」

 

 一部誤った情報が混ざっていたが、それでもフランの気持ちに偽りはなかった。

だが勘違いが正される前に、例のニッポン人と目が合う。

 

「こ、この人! この男の人。ニッポン人ね!」

 

「か、母さん、違うの、この人は」

 

 フランは側にあったホウキを手に取り、リンセンへ槍のように突き付けた。

もちろんリンセンは人の気持ちや感情を理解するのがすこぶる苦手な男なので、威嚇には威嚇で返すことしかできない。

 

「あぁ!? てめぇ、いい度胸じゃねぇか。俺を天下のリンセン様だと心得ての所業か!? てめぇら十把一絡げに大成敗してやっからな、覚悟しやがれ!」

 

 リンセンの怒号にフランが怯むことはなかったが、すぐ熱くなるリンセンを冷ますため、クローナはわき腹に肘を叩き込む。

 

「ぐおっ! てめぇクソ女! なにしやがる! おい!」

 

「リンセンも、母さんも、頭を冷やして。私の話を聞いてちょうだい」

 

「あら、クローナ、その……私、なにか勘違いを?」

 

 ようやく事態を把握できたフランはリンセンに向けていた矛先をひっこめた。

 

「この人はリンセン。ニッポン人だけど、私を助けてくれたの。ここまで帰ってこられたのもこの人のおかげよ」

 

「あ、あら、そうなの……?」

 

「ちょっと……いや、けっこう荒っぽい性格だけど、まぁ、大丈夫よ」

 

「俺はナメられるのが大嫌いなんだよ。仲良くやれそうにないが、よろしくな」

 

 リンセンは不服そうな態度だった。

初っ端から勘違いされて武器を向けられたのだから致し方ないところはあるが。

 

「改めて紹介するわリンセン、この子は私の妹のクローネ。こちらは母のフラン」

 

 クローネは好奇心旺盛な瞳でじーっと観察をする。

反対にフランは、初めて見るニッポン人に対して多少の不安があった。

 

「このおじちゃんは、誰?」

 

 クローネが一言。まだ小学生のクローネからすればリンセンはおじちゃんらしい。

 

「おじっ……」

 

 クローネの言葉につい怒鳴り散らしそうになるリンセンだが、さすがに子供相手には怒鳴れない。

そこは優しさではなく、あくまで面倒ごとを避けるためであるが。

 

「クローネ、この人はリンセンよ。少し口は悪いけど、まぁ、悪い人じゃない、と思うわ」

 

「そうなの? 悪い顔してるのに、悪い人じゃないの?」

 

 なんとか抑えてはいたが、リンセンの怒りの導火線には火が点き、頭に血管が浮き出ていた。

 

 

「お、い……だれが悪人だ! おい!」

 

「リンセンも、子供が言うことでしょ。我慢しなさい、我慢」

 

「あぁ!? てめぇのしつけが悪いんだろーがクソ女!」

 

「子供の言うことくらい軽く流しなさい。しかも、またクソ女に戻ったの?」

 

「てめぇなんか、クソ女で十二分に事足りるだろうが。それで満足しろよ」

 

「そう。じゃあ、クソ女の用意するご馳走には興味ないのね」

 

「てめぇはやっぱりクソ女だが! ご馳走には興味ある!」

 

「正直ね。逆に清々しいけど」

 

「そいつぁどうも」

 

「そう。良かったわ、本当に」

 

 今まで何度も繰り返したやりとりを終え、クローナはパンと手を打って仕切りなおした。

 

「母さん、リンセンにご馳走したいの。一緒に作ってもらえる?」

 

「えぇ、もちろんだけど、その顔の傷、大丈夫なの?」

 

 リョウの扇による傷だ。

数センチずれていれば大惨事になりかねかなかった傷だが、幸いにもかすり傷程度で済んでいて出血はなかった。

だがフランはさっそく気づいていたようだ。

 

「大丈夫よこれくらい。気にしないで、大丈夫」

 

「……そう? じゃあ、作りましょうか、一緒に」

 

「えぇ。その間、クローネをリンセンに任せるっていうのは、どう?」

 

 と、リンセンに首をかしげるクローナ

 

「げっ、俺かよ。ふざけんな。ガキは嫌いなんだよ」

 

「そう? クローネはあなたのこと気に入ったみたいだけど」

 

 クローネはうるうるした瞳でリンセンの腕に抱き着いていた。

当然、そんな瞳で見つめられれば、古今無双天下無敵のリンセンも断れない。

 

「しょしょしょ、しょうがねぇな。メシを食わせてくれるってんなら、ガキくらい余裕だ」

 

「そうよね。十把一絡げなリンセンなら、子供の一人くらい余裕よね。あとハリネズミも」

 

 キャスケットの上で眠っているピアストルをクローネの頭に乗せる。

 

長旅で疲れていたせいか、眠ったままだ。

 

「じゃ、よろしくねリンセン。美味しいご馳走、待ってて」

 

 ひらひらと手を振って、クローナはフランと共に奥へ消えた。

 

 あとに残されたのは、小さな手でホールドされたまま身動きが取れないリンセンと、クローネのみ。

 

「お前、あんまりくっつくなよ。あいにくガキは嫌いなんだ」

 

「あなた、ニッポン人でしょ? お鼻が低いから、ニッポン人」

 

「だからどうした。文句でもあんのかクソガキ」

 

「クソガキ? クソガキなんて汚い言葉使っちゃいけないって、お姉ちゃんが言ってた」

 

「そのオネーチャンに言っとけ、クソガキは綺麗な言葉だってな」

 

「ウソでしょ、それ。綺麗な言葉を使わないと、心まで汚くなるよ」

 

「それもオネーチャンが言ってたのか」

 

「ううん。私はお母さんから聞いた。お母さんはおばあちゃんから聞いた」

 

「そのオバーチャンは誰から聞いたんだよ」

 

「お姉ちゃんから聞いたって言ってた」

 

「……」

 

「なに?」

 

「ったく、姉妹揃ってとんでもねぇ連中だ。それより、いい加減に離れろ」

 

 腕を払ってクローネを追い払った。

不服そうな顔で腕から離れるが、落ち着かない様子だ。

 

「ところでよぉクソガキ、一つ訊きたいんだが」

 

「私、クソガキじゃないよ。クローネ・エスクード

 

「はいはい。じゃあクローネ、一つ訊きたいんだが。お前も、あいつみたいな能力を使えんのか? あの、目で見たものをどうにかするっていう」

 

 なんとなくだが、リンセンはクローネに対して不思議なオーラを感じ取っていた。

クローナの妹だからそう感じているだけなのか定かではないが。

 

 だがリンセンの予想虚しくクローナは首を横に振って否定した。

 

「ううん。使えないよ。あれはお姉ちゃんだけの特別な能力なの」

 

「あったら便利とは思わねぇのか」

 

 その質問も同じく否定する。

 

「思わないよ。だってお姉ちゃん、あの能力があるせいで味をほとんど感じることができないんだもの」

 

「そーいやそうだったな」

 

「だからその代わり、私がお姉ちゃんのために味を伝えてるの」

 

「は? 味を伝える? 味が分かんねぇやつにどうやって味を伝えるってんだ」

 

「私が食べた感想を言うの。辛いとか甘いとか、酸っぱいとか」

 

「そんなんで分かるのかよ」

 

「うん。お姉ちゃんは全く味を感じないわけじゃないから、大まかな味はなんとなく分かるんだよ。それを大げさに表現して伝えるの」

 

「ふーん。面倒なこったな。メシは口で食ってこそメシだ。言葉なんかで分かるようなもんじゃねぇだろ」

 

「そういう人もいるんだよ。苦労している人」

 

「……あぁそうかい。そうだな。ご苦労なこった」

 

「だから、お姉ちゃんには優しくしてあげて」

 

「はいはい。世話好きな妹だな、お前」

 

「あなたは、いないの? 妹とか、弟とか、お姉ちゃんとか」

 

「さぁな。いるかもしれんし、いないかもしれんし」

 

「え?」

 

「おめぇには関係ねぇよ」

 

 冷たく返されて、クローネはぷぅと頬を膨らませた。

だがそんなことお構いなしに、リンセンは文句をぶつける。

 

「おい、クローネとか言ったな」

 

「うん。クソガキはやめたんだね。偉い」

 

「偉いとか言うな」

 

「それで、どうしたの?」

 

「ただここで待ってるのもつまんねぇ。どっかに部屋はないのか」

 

「うん。じゃあ、お姉ちゃんの部屋で待ってて」

 

 クローネは頭の上で寝息を立てるピアストルのトゲを撫でながら、側にあった扉を開いた。

 

「ここ、お姉ちゃんの部屋だから散らかさないでね。いま紅茶持ってくるから」

 

「おう。気が利くな、お前。姉貴より優秀なんじゃないのか?」

 

 褒められたせいか、クローネは僅かに笑みを見せた。

リンセンからすれば、クローナよりもクローネのほうが断然やりやすい。

 

 ぴしゃりと扉が閉められると、リンセンは部屋をグルりと確認した。

 

 廊下や玄関と同じく、真っ白な壁が取り囲み、クローゼットやテーブルにイス、窓枠などは水色で統一されている。

青空のような部屋と表現するのが的確だろう。

 

「いい部屋住んでんなぁあいつ」

 

 リンセンは故郷を想像していた。

 

 自分はどんなところに住み、どんなところに寝ていたのか。

 

 家族は優しかったのか。

厳しかったのか。

 

 美味しい食事にありつけていたのだろうか。

 

 クローナの家族とその優しさに触れたリンセンは、微かに故郷や家族に対して憧れのようなものを抱いていた。

 

「リンセン、はいこれ紅茶」

 

 妄想にふけていたリンセンを、クローネの声が現実に戻した。

 

 ウェイターよろしく片手でトレイを持ち、その上には紅茶のカップが二つ湯気を立てている。

 

「おう! 待ってたぜ! 紅茶!」

 

「ここ、置いておくね。もうすぐお姉ちゃんがご飯持ってくるから」

 

 トレイをテーブルに置くと、クローネはそそくさと退出した。

 

 気を利かせて、リンセンとクローナと二人きりにしてやろうという魂胆だ。

もちろんそんな気遣いにリンセンは気づくことなく、ただ紅茶をすするばかり。

 

 入れ違いに、皿を二つも持ったクローナがやってきた。

 

「おいおい、なんだそれ? なんて料理だ?」

 

 皿の上には、濃厚なチーズの匂いを漂わせる肉料理が鎮座していた。

 

「これはオロっていう料理。フェルテオリーブでフェルテ牛を焼いて、さらにフェルテチーズをトッピングさせてバジルパウダーを振りかけたものよ」

 

「美味そうじゃねぇか! 美味! 間違いねぇぜ!」

 

「そう? 喜んでくれたなら良かったわ」

 

「あれ、このバジルパウダーもフェルテ産か?」

 

「いえ、それはマルク国のもの」

 

「あっ、そう」

 

「それともう一つ、あなたの記憶が戻ったら良いなって思って、作ったものがあるの」

 

 タイミングを合わせたかのように、クローネが新たなトレイを持ってやってきた。

その上には、細長く黄色い食べ物が鎮座している。

 

 リンセンの目の前に置くクローネだが、その食べ物を不思議そうに観察しながら退出した。

この国の人間にはあまり馴染みのないものだ。

 

「おい、これなんだ?」

 

「これ、テンプラっていうの。ニッポン人なら毎日食べていると言われる料理よ」

 

 フェルテ産のエビを一尾使い、マルク国の小麦粉を塗してオリーブオイルで揚げたものだ。

世界の料理ブックに載っていたものをなんとなく作っただけだが、記憶が戻ってほしいという気持ちはしっかり籠っていた。

 

「テンプラ……ニッポン人は毎日食べてるって?」

 

「そうよ」

 

「うーん、そうなのか」

 

「これを食べたら、ニッポンのことを思い出せるかなと思って。世界の料理ブックに載ってたから、なんとなく作ってみたけど、素材がちゃんと揃えられなくて、完璧じゃないけど」

 

「ふーん。まっ! 美味けりゃそれでいいぜ。とりあえず、食ってみるか」

 

 リンセンは手掴みでテンプラを口に運んだ。

しっぽも含め、一口でペロリと平らげた。

 

 それに対する感想――美味いの一言を、クローナは静かに待ち続ける。

 

「おっ……おおおお」

 

「え、どうなの?」

 

「う、うううう、美味ぇぞこれ! よく分かんねぇけど! なんか表現が難しいけど、とにかく美味ぇぞ!」

 

「ほ、ホント?」

 

「ウソつくわけねぇだろ! 美味ぇもんには正直に美味ぇって言うのが俺流だろうが!」

 

「そ、そんな流儀は知らないけど……それで、記憶は? なにか思い出せそう?」

 

「いいや、なんもない」

 

 食べた感想とは正反対の即答だった。

だが食べた感想と同じく正直だった。

 

「難しいわね。記憶を取り戻すっていうのは」

 

「まぁそうだな。でもよ、俺だってすぐに取り戻せるとは思っちゃいねぇよ」

 

「そうね。あなたも、ゆっくりでいいから、無理しないで」

 

 優しい言葉をかけられたリンセンは、少しだけ心がくすぐったくなった。

意図的ではないがアメと鞭を受けているようなものだ。

 

「まぁ記憶のことはともかく、今は食事にしましょう」

 

「あぁ、そうだな」

 

 それからは、他愛のない会話をしながら食事をした。

 

 クローナやクローネが子供の頃にしたイタズラや、近所で見かけた妙な模様の猫。

美味しそうな形の雲、マルク国から来た面白いマジシャン。

外国へ旅行に行ったとき、文化の違いを思い知った……そんな、日々の思い出やどうってことのない話を続け、気づけばオレンジの夕日が半分にまで欠けていた。

 

 クローナは敵に狙われていることなどすっかり忘れ、ようやく緊張が解けたことに安堵していた。

 

 会話が一通り終わったあと、リンセンは大事な話を思い出し、ポンと手を打った。

 

「あ、そーいや、記憶のことで一つだけ話があった」

 

「? どうしたの?」

 

「さっき戦ったあの女。あいつと戦ってたら、日本にいたころの記憶を少しだが思い出したんだ」

 

 

「あの女? あのリョウっていう名前の?」

 

「そうだ。あのリョウとかってやつ、知り合いな気がするんだ」

 

「そうでしょうね。あなたと同じような手袋をしていたし、言葉遣いもニッポン人っぽかったわ。まさか、あなたの妹かなにか?」

 

「あぁ。少しだけだがな、なんとなくそんな気がする。あまり自信ねぇけどよ」

 

「そう。でも、僅かでも思い出せたのなら、収穫じゃない? もしかしてクローネと会ったおかげ?」

 

「あぁ? どういうこった」

 

「クローネは私の妹なの、リョウだって、あなたの妹かもしれないんでしょ?」

 

「そうだな。腹立つが、あのクソガキのおかげかもな」

 

「褒めてるのか貶しているのか、どちらかにしたら?」

 

「そうだな。じゃあ貶す」

 

「損するわよ、そういうところ」

 

「お互い様な」

 

 リンセンは紅茶のカップを掴むが、空になっていたことに気付き無言でクローナへ突き出した。

おかわりをよこせ、と、つまりそういうことだ。

 

 それくらい自分でやったら? と、クローナはため息で答えた。

 

 いいからよこせ。と、リンセンは再度カップを突き出す。

 

 再び大きなため息で返し、クローナは仕方なくカップを奪い取って部屋を出た。

 

 クローナが退出したあと、ふとリンセンが気配を感じて扉のほうへ目をやると、隙間からクローネがのぞいていた。

 

 真ん丸と大きな瞳による視線がくすぐったい。

 

「な、なんだよ、ガキ。なんか用かよ」

 

「お姉ちゃんの料理、美味しかった?」

 

「あぁ! 最っ高だぜ! あいつ、料理の腕だけは一流だな!」

 

「よかった。私もお姉ちゃんの料理大好き。いっぱい食べて、早くお姉ちゃんみたいな綺麗な大人になるんだ」

 

「あぁ? お前、あんな感じの大人になりてぇのか?」

 

「うん。美人で、頭が良くて、料理が得意で、私の憧れだよ」

 

「美味ぇもんいっぱい食えば、なれんのか?」

 

「うん。だから、私は残さず食べるんだ。……嫌いなものもあるけど、がんばって全部食べるんだ」

 

「の、残さず……全部……?」

 

 残さず食べる。

 

 クローネは幼いながらも、嫌いなものも含めて全て食べると豪語している。

それも、ただ食べるだけでなく、目標のためにだ。

 

 リンセンはクローネの小さな体に、とてつもないポテンシャルを感じた。

残さず食べるという至極当たり前の行動に、感銘を受けたのだ!

 

「偉いっ!」

 リンセンは控えめなパワーでクローネの肩をポンと叩く。

 

「え?」

 

「お前! ガキのクセに偉いぜ! 大人でも残すときは残すんだぜ!」

 

「そう? 全部食べるのは普通だと思うけど」

 

「いいや! お前は偉い! その歳でそこまでできるなんてよ! すげぇよ!」

 

「うーん? うん。私、早く大人になりたいからさ」

 

「うんうん! すげぇよ!」

 

 クローネにとって残さず食べるということは当たり前のことなのだ。

それが憧れのクローナが作る料理でなくとも、嫌いなものだろうと、出されたものは全て食べるのが彼女にとって常識なのだ。

 

 ここまで派手に褒められた理由はよく分かっていないが、褒められたことに対して悪い気はしていなかった。

 

 だが不意に、クローネの表情がキっと引き締まる。

 

「おい、どうした」

 

「リンセンって、誰かと争ってるの?」

 

「……あ? どういうこった」

 

「お姉ちゃんとリンセンって誰かと戦ってるんだよね」

 

「だから、どういうことだ」

 

「敵が、すぐ近くに来てるよ」

 

「――なにっ?」

 

 弾かれたように立ち上がり、扉から顔を出して様子をうかがう。

 

 リンセンは四方八方の殺気を探るが、周囲にそれらしい気配はない。

それどころか、人っ子一人の気配すらない。

あるのはクローナとフランの気配だけだ。

 

「おいクローネ。デタラメ言ってんじゃねぇぞ。どこにもなんもねぇじゃねぇか」

 

「分かるの? リンセン?」

 

「俺をナメんな。俺はなぁ、列車を一撃で食い止めて、早食いなら誰にも負けねぇ男だぜ。敵がいればすぐ殺気で気づくはずだ」

 

「ううん。もう少し遠いところにいるよ。あと、十秒くらいで到着するかな」

 

「おいおい、なにふざけたこと言ってんだ。つまんねぇこと言ってると、姉貴に言いつけるぞ」

 

「来るよ、本当に。お姉ちゃんを守って」

 

 クローネはリンセンの背中を押し、強引に部屋から追い出した。

 

「あぁ? あいつ、なに言って――」

 

 直後――台所の方から窓が割れる音が響いた。

 

 それはクローナたちの危機を知らせる警報でもあり、敵との戦闘開始を告げるゴングでもあった。

 

 リンセンは弾丸のように駆け出し、すぐさま台所へ飛び込む。

 

 床には無数のガラス片が散乱し、隅ではフライパンを握りしめて震えるフランの姿があった。

 

 クローナの姿は――見当たらない。

 

「お、おいあんた! クローナはどうした!?」

 

「あ、あああ、リンセンさん、そ、それが……それが、クローナが……」

 

「だ、だからクローナがどうしたってんだ!」

 

「へ、へへへんな黒い服を着た変な男たちが、そこの窓を割って……そ、それで」

 

 その先は言わずとも理解できた。

 

 ナイラ国の連中がどうにかしてここを突き止め、ダイレクトに襲撃し、見事にクローナを攫うことに成功したのだ。

 

 すぐに外へすっ飛んで変身したいリンセンだったが、一つ嫌な予感があった。

 

 ここを離れれば、クローナの味方をするフランやクローネが消されてしまう――ということだ。

 

 ナイラ国は、戦争のために人を攫うような良心の呵責などない連中だ。

邪魔者をあっさりと排除して優雅に戦争をおっ始める魂胆は分かり切っている。

その辺のハエを叩き潰すのと同じような感覚で殺しをするだろう。

 

 だが追いかけねば、クローナに自由はない。

下手をすれば世界の危機だ。

 

 その時。

どちらを優先すべきか悩むリンセンを困惑させるように、玄関がぶち破られた。