日々を駆け巡るoyayubiSANのブログ

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目が腐る小ネタと4コママンガを土日。ゲーム実況を月火。小説を水曜に更新!

小説:双肩銃ミスティ・ミラージュ マナビヤ特攻人(後編)63365文字

 

 

「ど、どうして?」

 

「わざわざデルフィの携帯を見てお前に電話をかけてくるんだ。そんな簡単に足を見せるようなやつじゃないだろう。どうせもう番号は捨てられてるよ」

 

「そうか……」

 

 となると、あのやる気のなかった警官の努力はムダということだ。

最初から期待してなかったけど、番号からは辿れないか。

 

「じゃあどうやってアルベロを探す?」

 

「決まってるだろう。相手はゲーム内にいるんだ。ゲーム内で探すしかない」

 

 またあのゲームをやらなくちゃいけないのか。

 

「運営に問い合わせてみるっていうのは?」

 

「そりゃダメだ。運営側がプレイヤーについて教えてくれるわけない。やっぱりゲーム内で地道に探すしかないな」

 

 そうは言っても、昨日始めたばかりのド素人がたった一人のプレイヤーを探すのは厳しい。

あの世界で情報収集もいいけど、一人ずつ訊くしかないか。

スライマンってやつにも聞こう。

 

「俺も探してみるけどよ、俺らだけじゃ途方もない。だから仲間を増やすんだ」

 

 トレドが真面目な顔つきで言った。

 

「増やすって……だからどういうことだよ」

 

「そのまんまの意味だ。ちょっと時間をくれ、放課後までに集めておく」

 

「集めるって」

 

「戦士だ。転校生を救うためのな」

 

 

 

 放課後。

真っ赤な夕日が窓から射しこんで校舎を輝かせていた。

俺の心を嘲るように温かい光で、それがなんだか鬱陶しかった。

 

 トレドが俺を呼び出したのは一階の図書室だった。

古い本ばかりで埃臭い場所だけど、なんだか本のにおいというものは落ち着く。

 

 二メートルほどの本棚に囲まれた部屋。

その中心に二つある長方形のテーブルには、車イスに座った女子生徒がいて、トレドが向かい合って座っていた。

 

「おおアトス、こっちだ」

 

 手招きしたトレドの隣に座ると、車イスの女子生徒がノートに何かを書き始めた。

 

「トレド、この人は?」

 

 会ったことのない女子だった。

黒のロングヘアーに真っ赤なメガネという清楚で知的な第一印象だったけど、無口で元気がない。

 

「まぁ見てろ、今この子は自己紹介をしている」

 

「え?」

 

 女子生徒がノートを逆さまにしてこちらに向けた。

『私の名前はミディ・パースです』と書かれ、下には『私は声が出せません』とも書いてある。

なるほどそういう理由か。

 

「……ミディには軍人の兄貴がいたらしいんだが。ペルセポリスが落ちた件で消息不明らしい。ラウマ・パースって名前でな。妹思いの優しい男だそうだ。メリダ姫とも親しかったみたいだ」

 

「なるほど、兄は姫の関係者ってことか」

 

 するとミディはノートを戻して何かを書き始めた。

言葉を話せないというのは実に不便だ。

 

『私は病気で声が出ません。足も動きません。ごめんなさい』

 

 そんなことを書かれても、どう反応すればいいのか分からない。

 

「い、いや、謝らなくてもいいけどさ」

 

『五年ほど前に急に声が出なくなりました。同じタイミングで足も動かなくなりました』

 

「そうか……」

 

 同情すればいいのかはげませばいいのか、困る。

 

『アトスさんは手話はできますか?』

 

 両手でバツ印を作ってノーの返事をする。

 

『では筆記で会話します』

 

「それでいいよ」

 

『トレドさんから話は聞きました。転校生がケガをしたと。あのゲームの中に犯人がいるかもしれないから一緒に探してほしいってことですよね?』

 

 ミディもミスティミラージュ・オンラインをプレイしたのか。

確かに精神をダイブさせるゲームなら身体的な障害は関係ない。

声も出るし足も動くだろうから、ミディみたいな人からしたら夢のような世界だろう。

 

「そうだけど。ミディはいいのか?」

 

 ミディは筆記ではなくこくりと頷いた。

 

『転校生のお名前は?』

 

「デルフィ・ソルテアって女子だ」

 

『会ったことないです。すいません』

 

 一日しかいなかったんだ。

しょうがない。

 

「ところで普段は、ミディは学校のどこにいるの? 俺はきみに会ったことなかったけど」

 

『特別学級です。喋れないと授業を受けるのに不便ですから』

 

 なるほどそういうことか。

疑問が解消され、今度はトレドに向き直った。

 

「で、トレド。どうしてこの人なんだ?」

 

「不服か?」

 

「そうじゃない。お前が選んだんだろう。まさか女子だからとかそういう理由じゃあるまい」

 

「バカ野郎。他にも何人か誘ったんだが、デルフィのことを伏せながら探すのは難しかった」

 

「そりゃまぁそうだろ」

 

「ちょっと危険かもしれないって最初に付け加えてな」

 

「そりゃ誰も来ないに決まってる」

 

「しょうがないだろ。デルフィがケガしたってことを学校中に言いすぎたら、デルフィだって帰って来づらくなるだろうし」

 

「じゃあどうしてミディはデルフィの件を知っているんだ」

 

「いきなりの誘いなのに断らず頷いてくれたからだよ。ここまであっさり引き受けてくれるとなると、大物だと思ったし」

 

 それにミディは喋れない。

危うく口が滑る心配もないだろう。

 

「そうか。まぁ、ミディ本人が良いって言うなら、協力してもらおうか」

 

 ミディは頷いた。

その顔には、何か悲しみのようなものがにじみ出ている。

それが消息不明になった兄に対するものか、会ったこともない転校生を心配してのことかは俺には分からない。

 

「それと、助っ人はもう一人いる」

 

「どこだ」

 

 イスには座っていない。

周囲を見渡してもそれらしい影はない。

しかし本棚へ目をやると、二つの本棚の間から女子生徒が姿を現した。

ゆっくり出てきたから幽霊のようで少し怖かった。

 

 女子生徒は無言でミディの隣に座った。

目はキリっとしていて気が強そうで、その目に押し負けそうなほどの力強さを感じてしまう。

 

「アニ・ヘンダーソン

 

 そいつはぶっきらぼうに自己紹介した。

 

長い黒髪をかきあげて偉そうに足を組み始める。

スカートを短くしているためそういう姿勢になると目のやり場に困る。

テーブルを挟んでいて見えないから幸いではあったが。

 

「で、あんたは誰?」

 

「アトス・エオリア」

 

 せっかく自己紹介したのに「ふーん」と興味なさげな返事が返って来た。

 

 どこかで見たことあると思ったけど、こいつは隣のクラスにいるやつだ。

不真面目であまり学校に来ないやつだと思ってたけど、こうして正面から会うのは初めてだ。

 

 どう切り出そうか考えていると、トレドが俺の肩を掴んで後ろへ向かせた。

 

「アニもミディと同じく、父親がペルセポリスの関係者らしい。ラウマ・パースと一緒に警備をしていたらしくてな。メリダ姫との関わりもあるそうだ」

 

「マジか。それって偶然なのか?」

 

「そうだ。俺もさっきまで知らなかったからな。ただ、こいつの父親も消息不明だから、あんまりその辺は深く訊くなよ」

 

 偶然か必然か、二人にはそんな繋がりがあった。

どちらも大切な人が大変なときなのに、よく協力してくれたもんだ。

いや、大変だからこそデルフィの気持ちが分かるのかもしれない。

 

「ねぇ。あんたら、なにコソコソしてんの」

 

 アニが少し強めに言った。

目力が強いから、思わず緊張が走る。

 

「いや、すまん」

 

「さっき話は聞いたよ。転校生がケガしたんでしょ。で、その犯人をゲーム内で探すっていう」

 

「そうだ」

 

「じゃあさ、もう正直に言っていい?」

 

 またまた緊張が走る。

夕日が当たるせいか睨まれているせいか、額から汗が垂れた。

 

「実はさ、産まれたばっかりの弟がいるんだよね。で、親父は飛行機の事故でどこにもいないし、家の中は色々と面倒なことになってるの」

 

「あぁ。ニュースで見たけど、あれは大変だな」

 

「だからさ、あんまりゲームには関われないかもしれないけど、それでも良ければ」

 

 時間がない人だとしても、仲間は少ないより多い方がいい。

少し気が強そうだけど、今回の件に関しては頼りになりそうだ。

 

「ゲームはちょっとだけやったよ。あんまり慣れてないけどさ」

 

「いや、助かるよ」

 

「そーいやあんた、アトムだっけ?」

 

「アトスだ。そんなに馬力はない」

 

「あんたって何? そのデルフィって転校生と付き合ってんの?」

 

 さも当たり前のように訊いてきた。

手を振って否定しても、怪しむような目で見てくる。

 

「ふーん。まぁいいけど。なんかさ、他人事って感じがしないんだよね。家族があんな事故に巻き込まれるとさ、人の命に敏感になるっていうか……」

 

 俯いてしまった女子二人に、俺はなんと声をかければいいのか分からなかった。

 

「で、ゲームはいつやるの?」

 

「今日の七時くらいにしようと思う。アトスも大丈夫だよな?」

 

「あぁ、俺は別に」

 

「場所はフィールドAでいいな」

 

 ミディもアニも頷いた。

意外と簡単に時間と場所が決まってよかった。

女の時間は男の時間とは別ものだと思ってたからな。

 

「そーいやあんた誰?」

 

 アニが隣のミディに言う。

すぐにノートに自己紹介文かなにかを書くと、アニは驚く様子も遠慮する様子もなく頷いた。

 

「へー、喋れないんだ。そういう人って初めて見た」

 

 好奇の意味だろうか、アニの目線を痛がるようにミディはまた頷いた。

 

「じゃあ、私は帰る」

 

「え、もう帰るの?」

 

「そりゃそうでしょ。時間も場所も決まったんだから、はやく帰らないと」

 

 アニは本棚に立てかけてあったカバンを手に取って足早に図書室を出て行った。

掴みにくいタイプではあったけど、話の分かる人でよかった。

 

「ミディ、きみはどうする?」

 

『そろそろ遅いので帰ります』

 

 とノートで答えた。

 

「じゃあ俺も帰るかな」

 

 トレドが帰るのなら俺も帰らないわけにはいかない。

 

 トレドと立ち上がり、各々がカバンを手に取って図書室を出た。

ミディは車イスだったから手伝おうか迷ったけど、一人で車輪を回せるようだから心配無用だった。

 

 トレドがしっかりと扉にカギをかけると、最後に指さし確認をしてから廊下を歩きだす。

 

「アトス、俺はカギを職員室に返してくる。お前らは先に帰ってていいぞ」

 

「え? 待ってるぞ」

 

「いや、これからちょっと用事があってな」

 

 トレドがカギを指でいじりながら、俺らに背を向けて廊下の奥へ消えていった。

言葉を話せないミディと一緒になり、心がくすぐったくなる。

 

「帰ろうか」

 

 ミディはこくりと頷いた。

 

 喋れないからか初対面だからか、はたまた両方なのか、どう接したらいいのか難しい。

せめて手話が出来れば。

 

 車イスに乗ったままではノートに書きづらいのか、ミディはスマホに打ってこっちへ向けた。

 

『親が近くに来るので、一人で大丈夫です』

 

「そうか? 入口までなら押してくけど」

 

『じゃあお願いします』

 

 車イスの後ろについたハンドルを持ち、控えめな速度で歩き出した。

後ろから話かけてもいいものか迷ったけど、意外にもミディから切り出した。

 

『ゲームはどのくらいやりました?』

 

 スマホを後ろ向きに見せて来た。

 

「いや、昨日ちょっと初めて……それから」

 

 デルフィの件で中断した。

さすがにあの流れでゲームをしようとは思わない。

 

「レベルは全然ないし、素人同然だよ」

 

『そうなんですか! 私もまだまだですけど、やっぱり足が動いて声も出るって、素晴らしいことですね(^^♪』

 

「そうだな。強くなれば身体能力とかも上がるし」

 

 改めてあのゲームの凄さに驚かされた。

身体障がい者も健常者もハンデなく楽しめるなんて、いつからこんな時代になったんだろう……そんな雑談を交わしていると、いつの間にか入口に到着していた。

昨日デルフィと肩を並べて歩きだした、あの入口に。

 

「ここでいい?」

 

『はい。ありがとうございました』

 

 ミディは俺と握手し、一人で車輪を回して外に出て行った。

遠くの方に小さなワゴン車が停まっていた。

おそらくあれがミディの親の車だろう。

 

 最期にもう一度だけ振り向き、手を振ってバイバイした。

大人しそうなイメージだったけど、あっちから話しかけてくるところを見ると、意外とお喋りが好きなのかもしれない。

 

 さて、俺も帰るか。

 

 でもやっぱり気になって、スマホを確認した。

まだデルフィの情報は来ない。

 

「ねぇ」

 

 唐突に背後から話しかけられた。

振り返ると、前髪を指でクルクル弄っているアニがこちらを向いていた。

 

「車イス押すなんて、意外といいとこあるじゃん」

 

「普通だろ。っていうか、どうしたんだ」

 

「別に。いたから声をかけただけ。じゃあね」

 

 カバンを肩にかけ、アニは俺を横切っていった。

だがすぐに立ち止まって振り向く。

 

「ねぇあんた、ちょっと訊きたいことあんだけど、いいかな?」

 

「どうした?」

 

「もしかしてさ、あんたって私のこと、不真面目で家出とかするタイプって思ってない?」

 

「いや、思ってないけど」

 

 ちょっとはあるけど。

 

「まぁ、私はそういうタイプだけどさ。面倒なやつって思うかもしれないけど、よろしくね」

 

「え、ああ」

 

「じゃあ、帰るから」

 

 アニは短いスカートを揺らして俺の目の前から去っていった。

すぐに彼氏とか作ってふらっと遊びに行ってしまうタイプに見えなくもないけど、案外いい人なのかもしれない。

 

「さて、俺も帰るか」

 

 アニは俺と肩を並べて帰るつもりはないようなので、なるべくアニを避けて歩くことにした。

一緒に歩いたって邪魔に思われるだけだろうし。

 

 

 

 それからはいつも通りに電車に乗って、まだ血の染みが残る駅で降りた。

あの時の惨劇はまだ鮮明に脳裏に焼き付いている。

 

 臭いも色も、夜だったけどハッキリしている。

おそらく一生忘れることのない記憶だろう。

 

 さっそくエントランスからフィールドAに行ってトレドたちを探そう、と意気込んだが、その前にメニュー画面があることを忘れていた。

 

「ようこそ!」

 

 ポン・デュ・ガールズが出迎えてくれた。

こっちの元気なほうは、確かポン子だったかな。

 

「あれ、ナスカくんだっけ? 昨日はすぐ帰っちゃったけどどうしたの?」

 

「え? いや、急用を思い出して」

 

 こいつ、案内用のプログラムのクセしてこんなことまで訊いてくるのか。

 

「あ、今、案内用のプログラムのクセに、とか思ったでしょ?」

 

「いや、思ってねぇよ。それより、もう一人のデュー子はどうした?」

 

「いやいや、あんたなんて私一人で十分だって」

 

 それは職務放棄というやつだと思うけど、プログラムにそんなのないか。

 

「そうか。いないならまぁいいけど、エントランスに行かせてくれ」

 

「はいはーい」

 

 ポン子が適当な返事をすると、目の前に扉が現れた。

 

いちいちこういうことをしないといけないのか、面倒だな。

 

 扉を開こうとしたとき、不意にデュー子が現れて俺を止めた。

どこから来たんだ。

 

「あ、ナスカさん、こんばんは」

 

「こ、こんばんは」

 

 姉妹設定なのにこの違いはなんだろう。

こういう差が好きな人もいるんだろうけど。

 

「ナスカさんに一件の伝言があります」

 

 きっとトレドだ。

トレドとはゲーム開始前にIDを送っておいた。

IDさえ分かれば相手に伝言を残せるらしいし、せっかくだから使ってみると言っていたな。

 

「一件の伝言を再生します――ヴェルサイユことトレドだ。予定より早い時間だが、もう俺らは集まってる。フィールドAにいるからな――伝言の再生を終了します」

 

 トレドのキャラクターなのか、声優のような綺麗な男の声で再生された。

先にいるなら待つ必要がないから、まぁいいか。

 

「分かった。さっそくエントランスに行く」

 

「はい。お気をつけて。くれぐれもプレイのしすぎと課金のしすぎには注意してくださいね」

 

 確かに。

プレイしすぎはともかく、俺には課金なんて別次元のことだから関係ないけど。

 

 目の前の扉を開き、再びエントランスに出た。

相変わらず人は少ない。

 

「あれ、あれって……」

 

 ふとショップの方を見ると、昨日のスライムマンが商品を舐めるように見ていた。

関わるだけ時間と体力のムダだから無視だ。

 

 そっーとフィールドAの扉まで行こう。

頼むから気づくなよスライムマン。

 

 抜き足差し足、ニンジャさながらの動きで気配を消し、扉に手をかけた。

 

「そこ! ナスカだな!」

 

 作戦失敗。

見事に見つかった。

 

 面倒なヤツが、逃げようとした俺の前までドカドカとわざとらしい足音をたてながら接近してきた。

クソ、みんなが待ってるのに。

 

「や、やぁスライムマン」

 

「スライマンだ。今日の俺はお前にリベンジを申し込む!」

 

「はぁ? なんだよ、へっぽこなクセに威勢だけは良いんだな」

 

「威勢だけだと? バカを言ってもらっちゃ困る。これを見よ!」

 

 スライムマンは背中から石のような素材の剣を引き抜いた。

超古代のものとかそういう設定だろう。

この威勢から察するにかなり強い武器に違いない。

 

「実は昨日、同級生の妹が家に泊まってな……嬉しくてつい買ってしまったよこの剣をな……」

 

「同級生の妹? それが関係あるのか?」

 

「あるに決まってるだろう! とっても可愛いんだぞ。十歳でキャスケットで姉想いの子で、とってもいい子なんだ。まるで姫だな、うん」

 

 まるで姫と褒めちぎられても、その同級生の妹とはどんな子なのか俺は知らない。

 

「そうか、でも俺は約束があるんだ。頼むから邪魔をするな」

 

「いや! リベンジを申し込む! せっかく買った剣を味わえ! ふふ……この剣は失われしカティオスの剣。九万八千ポイントで購入したんだぞ!」

 

 そういえば最初にここに来たときにショップで見た、えらい高価な武器だったはず。

 

「お前、レベルは?」

 

「変わっていないぞ」

 

「じゃあどうやって一日で九万八千も貯めたんだよ」

 

「どうやってだと? 決まってるだろう。買ったのだ」

 

「買った? だから、どうやってそんなポイントを――」

 

 そこでハっと気づいた。

こいつが買ったのはポイントだ。

百円で二百ポイントだったから、つまり九万八千の武器を買うために四万九千エンも課金したのだ。

 

「ふふふ、気づいたか。小遣いを貯めて、お前を負かすために買ったんだ! できればああいう手段には頼りたくなかったが、勝利へ繋がるのは金だ! さぁ勝負しろ!」

 

 俺の目の前に“デュエルしますか?”と書かれたメッセージが現れた。

このままYESを押せばデュエルが始まるだろうけど、無視。

 

「悪いな、ヒマじゃないんだ」

 

「な、な、勝負を受けないというのか! じゃあ、なんのために大金はたいてこんなものを買ったっていうんだよ!」

 

「お前が勝手に買ったんだろ。いい買い物したな」

 

 これ以上トレドたちを待たせるわけにもいかない。

今度こそスライムを無視して扉を開いた。

だが、ふっと思いついた言葉をどうしてもぶつけたくて、俺はスライムへ振り返る。

 

「海賊とかけまして、お金の無駄遣いととく」

 

「その心は?」

 

「どちらも、大航海(大後悔)」

 

 フィールドAの扉を潜り、すぐにばたりと閉めた。

最後の一撃が決まったのか、それからスライムの追跡はなかった。

どんな表情でショックを受けているのか予想はつく。

 

 さて。

トレドのキャラ名はヴェルサイユだった。

あいつのことだ。爽やかで王子様ルックの見た目だろう。

いや、あいつのことだから女のキャラということもあり得るか。

 

 人は少なめ。

多分どっかのダンジョンか町にいるんだろう。人ごみに揉まれるよりマシだが。

 

 すぐにそれっぽい三人組を見つけた。

きっとあれだ。

あっちが気づいて金髪ロングの男が手を振った。

 

「おーい、アトス、こっちこっち」

 

 あれがトレドだろう。

ここはゲームだから、頼むから本名で呼ばないでほしい。

 

「はは、遅かったな」

 

 トレド――ヴェルサイユの隣には、少し気弱そうな感じの金髪ショートの女キャラと、気の強そうな黒髪ロングの女キャラがいた。

きっと気弱そうなのがミディで強そうなのがアニだな。

頭上には“メクネス”と“レナ”と名前が書かれていた。

 

「こんばんは」

 

 ミディであるメクネスが、手話や筆記ではなく声であいさつした。

ゲームの中は声が出なくても関係ないから、ミディにとっては天国のような世界だろう。

 

 それとは正反対に、アニであるレナは腕を組んでそっぽを向いている。

学校で別れてからそう時間も経過してないから、あいさつくらいされなくても仕方ないけど。

 

「あんた、なにやってたの?」

 

 アニが言う。

現実とそう変わらない声だ。

 

「いや、面倒なヤツに巻き込まれて。遅れてすまなかった」

 

「別にいいけど」

 

 別にいいけど、と思っているように感じられないそっぽの向き方だ。

 

「あの、人を、探しに、行くんですよね、どうするんですか」

 

 ミディが口を開く。

発音とかが慣れていないのか少し口調や声を調節しながら話している。

 

「そうだな、アルベロについて手分けして聞き込みをするしかないだろう。適当に歩いて遭遇するわけもないし」

 

 それにはトレドが答えた。

 

「じゃあ、俺はフィールドB。ミディとレナは他のエリアを頼む。アトスはどうする?」

 

「えっと俺は……えっと、ダンジョンとかあったっけ?」

 

「フィールドAにあるだろ、ほらそこ」

 

 後ろを見ると、奥の方にそれっぽい扉があった。

俺のレベルで丁度いいくらいのヘボいダンジョンだ。

でも、あそこに目的の人物がいるかどうかは疑問だ。

 

 不安そうな面持ちの三人と別れ、俺は扉へ向かった。

みんながアルベロにやられたとしても、ここはゲームの世界だ。

デルフィみたいに死ぬことはない。

 

「あんた、本名はミディだっけ?」

 

 私はアトスたち男子メンバーから離れてミディと一緒にフィールドCに来た。

オレンジ屋根のヨーロッパ風の落ち着いた街並みで、敵もいないから気楽でいい。

 

 さっそく人探しをしないといけないけど、その前にどうしてもミディと話したいことがあったから、キラキラと輝く川の前のベンチに腰かけていた。

 

「そうですけど、あの、いいんですか、探さなくて」

 

「あんた、もしかして慣れないの? 声出すの」

 

「ちょっと難しいですけど、大丈夫です」

 

「そう。ならいいけど。ええと私が訊きたいのはさ、あんたの兄のこと」

 

「ラウマ兄さんが、どうしたんですか」

 

「私の親父と知り合いだったんだよ、知ってるでしょ。あんたはどう思う? 無事だと思う?」

 

 急に黙ってしまった。

声が出ないんじゃなくて、言葉が出ないんだ。

 

 何秒かの間を開けてミディは口を開いた。

 

「無事だと思いたいですけど、あの、ニュース見ました。あれを見る限りは、少し厳しいと思います。海に堕ちても沈むでしょうし、シュトゥルーヴェの陸地に堕ちても大破するでしょうし、もし生きててもシュトゥルーヴェにやられる可能性も……」

 

「なんであんたはそう思うわけ?」

 

「私、父親がいないんです。私が五歳の頃に死んじゃって、そのとき凄く悲しかったんです。だから、最初から兄は無事じゃないって思っていれば、落胆しなくて済むと思って」

 

 そこまで口にしてミディは口を押さえた。

私に気を遣っているんだ。

 

「ごめんなさい。他にもたくさん人が乗っているのに。他の人たちにも家族はいるのに……」

 

「私はいいよ。あんたがそう思ってるならそれで。私は無事だと思ってる。まぁそれは自分の希望でしかないけど、そう思った方が気楽だし」

 

 ベンチの上にあった小さな石を川に投げつける。

リアルなしぶきと波が見えた。

 

「あの、そろそろ探しに行きませんか?」

 

「まぁいいけど」

 

 ベンチから立ち上がり、とりあえず近くにいた人に訊いてみようと思い、二人そろって歩いた。

レベルとかレアアイテムとかには興味ないけど、現実とは違う世界っていうのは悪いものではない。

ミディも同じ気持ちかも。

こっちの世界なら自由に言葉を話せるだろうから。

 

「お前たち」

 

 背中から何者かが話かけてきた。

知らない男の声だった。

 

「誰?」

 

 私たちは同時に振り返り、その人物の頭上にある名前を見た。

そこには喜ぶべきか逃げるべきか、探していた名前があった。

 

「あんた、アルベロっていう名前なの……?」

 

 

 

 ダンジョン・アンコール遺跡。

 

 俺がトレドたちと別れて入ったダンジョンは、石で出来た地味な遺跡だった。

どこも黒い石でゴツゴツしていて、気味が悪い。

 

 変身して適当にモンスターを倒しながら進んでいると、レベルが10にまで上がっていた。

意外とすぐに上がってよかったと思いつつ、微かにゲーム世界を楽しんでいる自分がいた。

 

 デルフィからアルベロなる人物の名前を出されて、気づけば他の生徒を巻き込んでの捜索になってしまったけど、アルベロを見つけたからってどうするんだ? 逮捕するのか? そんなの無理だ。

所詮はゲームの中だ。

ゲームの中で犯人を見つけたからってなんだってんだ。

 

 肩から抜いたマシンガンを見る。

よくできた金属のようなものだけど、これだってプログラムで構成されたまがい物だ。

見える風景も倒す敵も、人が作ったプログラムでしかない。

そう考えると、なんだか空しくなってきた。

 

 俺、なにをやってるんだろう。

デルフィが死んだショックで自分でも何をやったらいいのか分かってないのかもしれない。

 

「デルフィ……どうしてるかな」

 

 そんな心配をしていると、メッセージが入って来た。

ミディからだ。

 

『ヤバい アルベロがいた』

 

 それだけだった。

 

「もう見つけたのか!?」

 

 急いで返事を返す。

 

『見つけた? どこにいる? いまそっちに行く』

 

 しかし数秒で返ってくると思った返事は来ない。

これではどこに向かえばいいのか分からない。

少なくともこっちのダンジョンにはいないだろうから、どこかを探すしかないのか……。

 

 フィールドBかCか、どこかの町かダンジョンか。

あまりにも選択肢は多すぎる。

 

「いや、考えるより先に進もう!」

 

 ダンジョンを出てフィールドAに戻った。

当然だが目を凝らしてもトレドたちの姿はない。

いや、とにかくどこかに入ろう。

フィールドBはトレドがいるはずだからフィールドCだ。

 

 

 

 ヨーロッパ風の街並みのフィールドC。

歩いている人たちにこれといった異常はない。

焦る気持ちでもう一度メッセージを送る。

『フィールドCにいる。どこだ?』さっき送ったのにも返事はない。こっちも返事は来ないだろう。

 

 もしも一対一の戦闘中ならば目視はできなくなるはず。そうなれば探すのは厳しい。

 

 どうする。どうする。どうする。どうする――?

 

 いや待て、なにを緊張しているんだ俺は。

こんなの所詮はゲームだ。

さっきも自分で思ってたじゃないか。

アニがアルベロに勝ってようが負けてようが関係はない。ただアルベロを見つけられればそれでいいんだ。

 

 メッセージが来た。

アニかと思ったら、トレドからだ。

 

『おいアトス。アルベロじゃないが凄いものを見つけた』

 

 凄い物――? まさか可愛いキャラクターがいたとかそんなことか。まさかとは思いつつも、俺はトレドに返事を返した。

 

『どうした。アルベロを探せ』

 

 アニとは違ってすぐに返事が来た。

 

『デルフィのキャラ名ってソルテアだよな? デルフィ・ソルテアだもんな?』

 

 なぜ急にデルフィの話なのか疑問に思いつつも、『そうだ』と返す。

 

『いたんだ。ソルテアってキャラ名のキャラがいる。デルフィだろあれ』

 

『え――?』

 

 そのプレイヤーがデルフィなら、それはつまり無事の報告になる。

これほどの吉報はない。

だが今はアニを待ってアルベロと会わなくてはならない。

それでも、デルフィを放っておくわけにもいかない。

少しでも情報が欲しい。

 

『デルフィはどこにいるんだ?』

 

『すぐ近くにいる。話しかけてみたんだが、返事がない』

 

『返事がない? デルフィが操作しているんじゃないのか?』

 

『そんなの知るかよ。本人じゃないことだってあるだろうし、ただ俺を無視してるだけかもしれないだろ。いいから早く来いよ。フィールドBだ』

 

『すまん。アニからメッセージがあった。アルベロを見つけたらしいが、返事がない。おそらくフィールドCにいると思うんだけど、見当たらない』

 

『マジか、いたのかよアルベロ』

 

 アルベロもデルフィも重要だ。

アニもデルフィもお互いに返事がないというのも気になる。

どうすればいいのか、どっちを優先すべきなんだろう。

 

 アニは一向に帰ってくる気配がない。

返事もないならデュエルの最中と考えてもいいだろうし、長くなるかもしれない……そうだ、電話だ。

きっとデルフィはログイン時のエラーかなにかで、キャラだけが残ったんだろう。

だとしたら、ログアウトした現実世界にいるはずだ。

 

『すまん、ちょっと出る』

 

 トレドにそれだけ伝え、念のためにアニにも送っておいた。

手術やらなにやらが終わったデルフィに電話をかけるため、俺はゲームの世界から外に出た。

ちょっと勝手だったかもしれないけど、デルフィの無事を確認する一番手っ取り早い方法だ。

 

 

 

 呼び出し音が鳴ること十回。

デルフィがそれに応じることはなかった。

病院だから携帯が使えないのかもしれない。

いや、ゲームの世界にキャラがいたってことはスマホを使用したということだ。

でも、ゲーム中なら電話に出ることはないか? いや、ゲームの中でも応答はなかったみたいだし、プレイ中じゃないのか……?

 

 ダメだ。

答え合わせができずに、どうにも焦ってしまう。

みんなはゲームの中だ。

そろそろ戻らないといけない。

しかしデルフィからの電話も待たないと。

このゲームの欠点はスマホを使えないという点だ。

ハイテクなゲームだからそういった問題はあるだろうけど、緊急事態とかに対応できないのは不便だ。

 

 仕方ない。

ゲームに戻るか。

なにか進展があるかもしれないし。

 

 俺は汗で濡れた手でスマホを握りしめ、再びゲームの世界へ戻った。

デルフィからの電話を密かに待ちながら。

 

 ゲームを再開してエントランスに戻ると、さっそくトレドからメッセージが届いていた。

 

『おい、デルフィが消えたぞ』

 

『デルフィが消えた? さっきまで目の前にいたのにか?』

 

『そうだ。いきなり消えた。たぶん、エラーかなんかが起きたから強制的に消えたんだろう』

 

 何も分かってないが、『分かった』とだけ返しておいた。

それよりも今は気になることがある。

 

 入口にいたポン・デュ・ガールズなら、デルフィのエラーについて説明してくれるかもしれない、と思ったのだ。

さっそくエントランスから戻り、例の二人を呼び出す。

 

「おい、どっちかいないのか?」

 

「はいはーい!」

 

 元気なポン子がどこからともなく現れた。

正直どちらでも構わないのだが。

 

「ちょっと訊きたいことがある」

 

「ご質問? どんな御用?」

 

「硬直したまま動かないキャラがいたんだ。声をかけてもダメでさ、エラーかなにかか?」

 

「さぁ。あまり個人の情報は教えられないんで」

 

 やっぱりプログラムだ。

頭は固い。

じゃあ質問を変えよう。

 

「最近、エラーはあったか?」

 

「ああ、そういえばさっき、一件だけエラー報告があったね」

 

 やっぱりそうか。

デルフィのあれはただのエラーだったんだ。

それなら運営側が軽くチェックすればすぐに直せるだろう。

 

「それ、訊いてもいいかな?」

 

「エラー報告に関しては直接私たちは取得できないので、ちょっと時間がかかるけど、いい?」

 

 ちょっとの時間くらいがなんだ。

俺はすぐに頷いた。

 

 しばらくポン子が情報を読み込み、数秒でまた動き出す。

 

「あれ、これ……かなり稀だなぁ、なんでこんな状態でゲームをやってるんだろう」

 

「どういう情報だ」

 

「いいの? プライバシーのために具体的に誰とは言えないんだけど」

 

 エラーといえばデルフィしかない。

そこはポン子もプログラムなのか、エラーが起きた一人イコール・デルフィという発想はないようだった。

 

「いいよ」

 

「死亡者が一名」

 

「死亡者……って、ゲームの中でやられたってことだよな?」

 

「いえ、ゲームをプレイ中にプレイヤ―自身が現実の世界で亡くなると起きるエラーだね」

 

「お、おい。どういうことだよ」

 

「死因に関しては情報がないし、プレイヤーに関しては話せないけど、とにかくゲームプレイ中に亡くなってるね」

 

「じゃ、じゃああの硬直したキャラは、プレイヤーが死んだってことかよ?」

 

「そういう特定の個人のことは教えられないなぁ」

 

「ええと、もしプレイ中にプレイヤーが死んだら、ゲームの中のキャラはどうなる?」

 

 俺は微妙に質問を変えた。

 

「ゲーム世界にキャラは残って、一切の操作も受け付けなくなるよ。精神は死んじゃってるから肉体に戻ることはないし、精神の意思がないから肉体に戻るぞっていう命令も出せなくなるよ。だからくれぐれも危篤状態でゲームはプレイしないほうがいいね」

 

 これで確定した。

デルフィは命からがらゲームをプレイして、プレイ中に死んだんだ。

 

 なんだろう。

ずっと気にしていたデルフィの安否を心配する必要がなくなったからなのか、急に力が抜けて来た。

なぜか分からないけど、今は安心している。

 

 そもそも友達の死なんてものが現実的じゃなかったんだ。

 

 デルフィが死んだからなんだ? 俺は無関係じゃないか。

デルフィ自身だって俺のことは気にしてなかっただろうし。

 

 自分の気持ちが制御できない。

急に悲しくなってきた。

どっちなんだろう。

悲しいのか安心しているのか、意味不明だ。

 

『ごめん。今日はやめる。また明日』

 

 三人にそれだけメッセージを残して、俺はゲームをやめた。

勝手な行動はみんなには迷惑だと分かっていたけど、今はどうしようもなく疲れた。

 

『おい、どうしたんだよ?』

 

 トレドからそんなメッセージが来た。

けれど俺はそれを無視してゲームの世界から出た。

 

 ―四日目 朝―

 

 気づいたらスマホを片手に眠って次の日に突入していた。

どうやらゲームをやめてからそのまま眠ってしまったらしい。

 

 トレドからの着信が十八件、メールも三つ。

一番古いものから順にメールを開いた。

 

『おい、返事しろ』

 

『アニとミディとアルベロはどうした?』

 

『なんか返事しろ』

 

 頭の半分が空っぽになってしまっていた。

それどころか世界の半分が消え去ってしまったような感覚だ。

頬を垂れた涙が乾いて変な感触がするし、汗も酷かった。

 

 適当に返事を返した。

学校で説明すれば大丈夫だろう。

 

 時間を見る。

すでに遅刻確定の時間だ。

学校に行く気力はあまりなかったけど、トレドたちを放ってはおけない。

ダルい頭を叩き起こし、億劫な身体のまま家を出た。

 

 道中、ムダとは分かりつつデルフィからの返事を確認した。

 

 ゼロ件。

 

 デルフィはもう死んだんだから当然だ。

この世にいないし、痛みを感じることも死の恐怖を感じることもない。

 

 電車が来たけれど俺は乗らなかった。

学校をサボってしまいたかったからだ。

けっきょく何もせず、俺は家に戻った。

制服を脱ぎ捨ててベッドに大の字になった。

 

 今日はなにもやる気がない。

食欲も眠気もない。

欲という欲がすっかり抜け落ちてしまった。

 

 スマホのランプが点滅した。

デルフィからの返事かと期待したけど、相手はトレドだった。

 

 届いたメールを開く。

歯車の回らない頭でそこに書いてある文章を読んだ。

 

『アニとミディも来てない、お前も休むのか? どうしたんだ? 昨日はなにがあった?』

 

 アニとミディも来ていない……? 昨日はアルベロを見つけたって言って、それきりだ。

まさか、二人はアルベロと何かあったのか? 俺が、勝手にゲームを抜けたあのときに、二人の身になにかがあったって言うのか……?

 

 

 ―三日目 朝―

 

 

 朝が来た。

 

 セラードの姿のまま、二日が経過している。

 

いつか効果が切れて私という精神そのものも死んでしまうのではないかと冷や冷やしたけど、精神も体も特に問題はない。

 

 億劫な身体でベッドから出た。

昨日、引き出しのノートから見つけたメモを握りしめながら眠っていたのか、紙はくしゃくしゃになっている。

 

 そういえば、なんだったんだろうあれ。

紙に書いてあった“ソルテア”という文字。

聞いたこともない。

誰かの名前か、セラードが勝手に考えた何かの名前か、どちらにせよそんな言葉は耳にしていない。

 

 分からない、と言えばペルセポリスが沈む前に娯楽室でセラードが「誰かに見られている」と言っていた。

もしかして、このソルテアなる人物――人物かどうかは定かではないが――と関係するのだろうか。

 

 コンコン。

 

 寝ぼけた頭を起こすように、扉がノックされた。

 

「はい」

 

メリダか? 俺だ、アルコだ」

 

 紙をポケットに入れた。

乱れた髪をなんとなく整えて扉を開いた。

 

「よーメリダ、よく寝れたか?」

 

「う、うん……ところでアルコ、ちょっと見てほしいものが……」

 

 もしかして、アルコならソルテアについて知っているかもしれない。

ポケットから、サイフに詰めたレシートのように変貌した紙を広げた。

 

「これ、セラードの部屋の引き出しに入っていたノートに挟まってたの、ソルテアって書いてあるけど、何か心当りは?」

 

 アルコは静かに首を横に振った。

 

「いいや知らないな。でも、なんとなく人の名前っぽいな」

 

 と言っても、私たちの知り合いにそんな人物はいない。

ソルテアに関しては手詰まりだ。

 

「それはいいとして、アルコはなにしに来たの?」

 

「お前がちゃんと起きてるか確かめに来たんだよ」

 

「冗談でしょ」

 

「冗談だ」

 

 大きなため息が出た。

アルコなりに私を元気づけようとしてくれているんだろうけど。

 

「で、どこに行くの?」

 

「俺についてこい、やるべきことがある」

 

「まさか、シュトルーヴェとやりあう気なの?」

 

「そうだ。お前が眠った後、さんざん話し合ったんだ。もう決定した。いちおうお前にも聞いておいてほしいことなんだ」

 

 セラードの姿である私は作戦に参加できないけど、そう言われたからには行くしかない。

 

 

 

 パジャマであることに気づいて、キャビネットから明るい色の服を選んで着た。

白に水色のラインが入った爽やかな色で、実にセラードに似合っている。

もし私が着たら、似合うのかな。

 

「どうしたメリダ

 

 長い廊下を歩きながら、アルコが言った。

私が服を気にし過ぎていたせいかもしれない。

 

「ちょっと派手かな? でも、セラードに似合ってるし……」

 

「いいんだよ。お前は姫なんだ。勝利の女神らしく綺麗な格好でいろ」

 

 勝利の女神

たしかにセラードはそうかもしれない。

でもそれって、私にはなにもできないってことかな。

ただアルコたちの無事を祈るだけで、他にはなにもできないのかな。

 

映画ほどのスクリーンがある真っ暗な部屋に、屈強な兵士たちが礼儀正しく着席していた。

私は何度も感じたことのある空気だけど、セラードとして感じてみると熱気が凄まじい。

 

 私が来たことが合図になったのか、スクリーンの前に一人の兵士が立った。

アルコよりも一回りは年上の、確か名前はディキスだ。

私は戦いとか軍事には詳しくないし、アルコ以外の人もほとんど覚えていない。

というより、アルコやルートやラウマ以外はあまり私と砕けた会話をしてくれない。

姫であるからには色々と詳しいほうがいいのかもしれないけど、やっぱり物騒な単語や無骨な兵器は苦手だし、堅苦しい上下関係も好きじゃない。

 

 ディキスは作戦の説明を始めた。

専門用語や物騒な言葉が次々と並べられ、どれも私の耳には入ってこない。

それよりも私は、昨日の母さんの言葉を思い出していた。

 

 ――次の姫はセラードよ。

あなたはメリダのようにだらけた人間にならず、しっかり勉強して姫に相応しい器になりなさい。

 

 ――あなたは頭もよくて礼儀正しい。

姫の仕事だってすぐに覚えられる。学校もメリダより良い学校に入って、もっといろいろなことを学びなさい。

 

 ――あなたはまだ子供だからチャンスはある。

メリダを反面教師にしなさい。

セラードなら分かるわよね?

 

 ――今はショックかもしれない。

でも人の死なんてすぐに慣れるわ。

たかだが十年しか一緒にいなかった人間なのよ、死んでしまえばもう他人なの。

メリダのことなんて忘れなさい。

 

 次々と吐き出される言葉に胸が痛くなった。

確かに出来の悪い娘だったかもしれない。

実際に作戦の説明を理解できないし、自分のことをダメだダメだって卑下している。

 

 結果的にセラードは死なせてしまったけど、私だって必死に守った。

 

 それなのに、母さんは私のことを邪魔だと、死んでよかったと思ったらしい。

踏み台にしろとまで言われた。

それを正面から言われて、ショックじゃない娘がいるだろうか。

実の母親にそんなことを言われるために生き残ったんじゃない。

セラードの体のため、国のため、自分のために生き残ったんだ。

 

 自然と目から涙が溢れた。

暗い部屋で光る眩しいスクリーンが鬱陶しく思えて部屋を出る。

 

 破裂したパイプのように涙が止まらない。

あと数分も泣けば干ばつするだろうか、いっそ涙なんか枯れ果てたほうがすぅっとするかもしれない。

 

 悲しんでいるのは私だけじゃない。

ルートの子供やラウマの妹だってどこかで悲しみと戦っているんだ。

フレーザー艦長や他の乗組員の家族は私よりも泣いているだろう。

なのに呑気にお風呂に入って、クレープを食べて、ぐっすり眠って……私はまだ幸せなのかもしれない。

 

 部屋に戻ろう。

こんなところで泣いていて誰かに見られたら心配をかけさせてしまう。

 

 私は廊下を逆戻りして、セラードの部屋に戻った。

なぜだか自分の部屋よりも安心できる。

また大の字に寝そべって天井を眺めた。

その頃にはいくらか涙は引いていたけども、きっと涙で顔は酷い有様だろう。セラードの可愛らしい顔がもったいない。

 

「……そういえば、ブローチはどこだろう」

 

 母さんの言葉を忘れることなんてできないけど、切り替えないと心が持たない。

 

 けっきょくブローチはドレッサーにはなかったし、寝る前にキャビネットも調べたけどそれらしいものもなかった。残る可能性は……。

 

「ベッドの下……?」

 

 男の子じゃあるまいし、と思いながら軽い気持ちでベッドの下を覗いてみた。

細い隙間から僅かに小さな箱が見える。

ちょうどセラードの腕が入るくらいの隙間だったから探ってみる。

 

「あった、やっぱりこれだ」

 

 引っ張り出す。

薄い缶の箱だった。

ベッドの上に上げて蓋を開く。

 

 枝に葉っぱがついたような形の銀製のブローチが入っていた。

別の小袋には安全ピンとブルーベリーのような青い石が入っている。

きっとこの銀の枝に石をつけて、裏に安全ピンを接着剤でくっつければ完成するはずだ。

よく見ると葉っぱの部分は枝とは別になっているようで、こっちは接着されている。

 

 これをセラード一人で、この小さな手で作ったというのだから驚きだ。

十歳の工作のレベルではない。

ペルセポリスの一件さえなければ、これは私の誕生日に渡すつもりだったんだろう。

 

「あれ?」

 

 銀の葉っぱの裏には何か文字のようなものが乱雑に彫られていた。

きっと適当な彫刻刀でやったせいなのか、少し彫りは荒い。

 

「なんだろう、この文字」

 

 私は、その文字を左から読んでみた。

 

「セラード」

 

 読もうとしたとき、名前を呼ばれて振り向いた。

ノックもせずにアルコが扉を開けていた。

 

「ちょ、ちょっとアルコ、ノックくらいしてよ」

 

「あ、す、すまん」

 

 申し訳なさそうにアルコはコメカミのあたりをかいた。

基本的には頼りになるしいい人だけど、女性の扱いはそううまくない。

それとも、私を女性とは認めていないのか、体がセラードだからそこまで気を使えないのか、どちらにせよ良くないことだ。

 

「どうしたのアルコ?」

 

「どうしたのじゃねぇよ。いきなり部屋を出てって何してる」

 

 作戦説明が頭に入らなくて戻った、なんて勝手な理由だけど、説明しないわけにはいかない。

 

「まぁ無理もない。あんな話を聞いたって、どのみちセラードは作戦に参加できないからな」

 

「それで、説明は終わったの?」

 

「ああ。今日は準備を整えて明日にはシュトルーヴェに向かう」

 

「ずいぶん早いね。どういう作戦なの?」

 

「おいおい、俺に要約しろってか?」

 

 小難しい話を聞くのは苦手だけど、アルコの要約なら分かりやすいから大丈夫な気がする。

 

 アルコが簡単に纏めた話はこうだった。

 

 少数で潜水艦で海を移動して、シュトルーヴェへ接近する。

 

 わざと敵に察知されるようゆっくり動き、敵に襲撃されるのを待つ。

 

 敵が来たら内側からゴレスターンで変身し反撃。

外から待機させたシルヴァンシャーで潜水艦を撃墜し、船員たちは沈む前に脱出。

中に残った敵だけを潜水艦ごと沈ませる。

 

 という作戦だ。

かなり捨て身の作戦ではあったけど、攻撃する側よりもされるのを待つ方が有利であると思える。

 

「でも、そう都合よく発見されるの?」

 

「あいつらはなんらかの方法でペルセポリスを見つけたんだ。潜水艦くらい見つけられるさ」

 

 敵の実力を信用することが作戦の一つになるという、なんとも不思議な状態だ。

相手だってバカではない、こちらから何か仕掛けてくることは予想してるはずだ。

 

ペルセポリスのように直接内部へ侵入してくるかな?」

 

「外から攻撃してもすぐに沈まないことは敵も分かってるさ。だからこそペルセポリスも内側から落としたんだ。今回も同じだ」

 

「でもどこから攻めてくるのか分からないんじゃ……」

 

「今度は不意打ちじゃない。中から敵の動きを探りつつわざと侵入させるんだ。中の人間もそれなりの防御を固めているからな」

 

「かなり危険だよね」

 

「だろうな。でも作戦には危険がつきものだ。これくらいなんともないさ」

 

 なんともない、と余裕で言えるような表情ではなかった。

アルコの額には僅かに汗が浮かんでいる。

その焦りを隠すためか、アルコはブローチの箱に目をやった。

 

「それ、セラードの作ったブローチだな。器用だな、あいつ」

 

「うん。私なんかよりずっと器用。頭もいいし芯は強いし、凄いよセラードは」

 

「私なんかより?」

 

 アルコがため息をついた。

姿勢を低くして私と同じ目線になる。

 

「私なんかよりって、なんだ」

 

「なんだって、セラードは私より優秀でしょ」

 

「お前だって……メリダだって、ゴレスターンで変身して守ったんじゃないのかよ」

 

 確かにそれは私自身も凄いと思う。

けど、母さんにはそんなことは伝わらなかった。

だからきっと誇れることじゃないのかもしれない。

 

メリダ、お前はもっと胸を張れ。妹のために戦ったんだ。強いんだよ、お前は」

 

「つ、強くなんかない」

 

「セラードはお前のことを尊敬してた。世界で一番の姉だって、誇りだって言ってたよ」

 

「そ、そうじゃない。私は……私はいらない人間だったんだ。死ぬべき人間だったんだ。昨日、寝る前に母さんに言われたよ、面と向かって……」

 

 それにはアルコも驚愕した。

 

 母さんに言われたことをそのままアルコに伝えた。

悲しいような怒りを堪えるような複雑な表情だった。

昨日の私も、そんな顔だったのかもしれない。

 

「たとえ母親だろうがなんだろうが、周りが言ったことなんて気にするな」

 

「気にするなって言われても……」

 

 それは無理だ。

もうすぐ十八になるというのに、実の母にいらないと言われたのだから。

 

「俺は、お前たち姉妹が何より大切だ。俺にとってはお前たちが女神のようなもんさ」

 

「それって、ちょっと大げさじゃない?」

 

「お前たちを誇りに思ってるんだよ。だからもう私なんかって自分を下にするな」

 

「う、うん」

 

 誇り。

 

 その言葉が心に深く染み込んだ。

 

 微かだけど、私はまだ存在してもいいんだって思えた。

だから、このまま指を咥えて見ているだけはイヤだ。

それこそ母さんに不要だと思われてしまう。

 

「ねぇアルコ。私を、作戦に参加させてほしいの」

 

「ダメだ」

 

 迷いなど微塵もなく、アルコは却下した。

 

「今はセラードの体だろう。ダメに決まってる」

 

「でも……何もしていないのは落ち着かないの。お願い、アルコ」

 

「落ち着かない? そんな理由なら尚更ダメだ。お前はここで待ってろ。さっき作戦を説明しただろう。潜水艦にもシルヴァンシャーにも乗せるつもりはない」

 

「じゃ、じゃあ、どこならいいの?」

 

「どこもダメだ。何度言ったら分かる。お前の体はお前のものじゃないんだぞ」

 

「でも……でも、でも……私は何かをやらなければいけないの。まだ何もしてない。何かしないと、戦わないといけない」

 

 心臓が激しく動いている。

額から汗も滲んでいた。

きっと焦っているんだろう。

そんなことは分かっている。

けど、活躍して母さんに認められて、みんなのために戦えるのは今しかない。

今ここで功績を残さないと、これからも弱い人間のままになってしまう。

 

メリダ、自分の手を見てみろ」

 

「手?」

 

 セラードの手の平を見る。

白くて小さくて、綺麗な手だ。

 

「お前の手は何かを壊すためじゃない。何かを作るためにあるんだ。そんな綺麗な手を血で染めていいはずがない」

 

「だ、だから私は、みんなを守るために……戦いたいって……」

 

「今回だけが活躍の場じゃない。焦ってセラードにケガさせたらどうすんだ。深呼吸しろ」

 

 言われたとおり、深く深呼吸した。

三度だけ繰り返すと、心臓に纏わりついていたようなモヤモヤが取っ払われた気がして軽くなった。

 

「落ち着いたか?」

 

「う、うん」

 

「ならいい。とにかく今は大人しくしてろ。危険じゃなければ手伝ってもらうから」

 

「うん」

 

「……でもまぁ、そこまで自信があるなら、そういう時も来るかもしれん」

 

「戦っても、いいってこと?」

 

「そういう時もあるかもな、おそらく」

 

 雑用とかおつかいとか簡単な計算とかなら私でもできる。

それで妥協しろと言われても納得しきれないけど、セラードのためを考えれば当然のことかもしれない。

 

 戦う時、か。

あるのかな、そういう時。

 

「じゃあ、俺は準備に入る。必要ならなんか買ってこようか?」

 

「ううん。ここまで私を守ってくれたんだもの、それで十分」

 

「分かったよ。じゃあな」

 

 アルコは部屋を出て、首だけ部屋に入れてこちらに微笑む。

 

メリダ、そのブローチ最後まで作ってやれよ」

 

「え、私が? でもこれ、セラードが」

 

「もともとお前にあげる予定だったんだ。代わりに作ったってバチは当たらないさ。ま、作るかどうかは任せるけどよ。じゃあな」

 

 パタりと扉は閉じられた。

一人になった私は、缶の中で眠る作りかけのブローチと睨めっこした。

作ろうかな、とも思ったけど、やめた。

 

「まだ、いいかな」

 

 いろいろと片付いてからでも遅くはない。

 

 缶をベッドの下に戻そうとしたけど、銀の葉っぱの裏に彫られた文字を忘れていた。

慌ててブローチを裏返して文字を読む。

 

 そこには“DELPHI”とだけ彫られていた。“

 

「デルフィ? デルフィって、なに?」

 

 セラードの口からは聞いたこともない単語だった。

いや、単語なのかどうかも定かではない。

人名か地名かすらも。

 

 もしかして私のじゃないのかな。

そのデルフィっていう人に作ったものかも。

それともブローチの名前がデルフィ?

 

 ノートのメモにあったソルテアという言葉もそうだ。

デルフィとソルテア。

この二つは無視していいものではないだろう。でも考えたって答えは出せない。

いったんブローチを缶にしまい、ベッドの下に戻した。

 

 妹なのにセラードには謎が多い。

デルフィとソルテアも……娯楽室で言った、誰かに見られているっていう言葉も、どれほど手先が器用で、あのマンガもどんな内容なのかも、考えてみれば私は何も知らないのかもしれない。

 

 部屋で一人でいてもどうしようもないから、とりあえず部屋を出ることにした。

どこも人が動いてて忙しいだろうからウロウロできないけど、中庭なら誰にも邪魔にならずに済むだろう。

 

 廊下を歩きながら、ポケットから私のスマホを取り出した。

メールが五十五件も届いている。

どこからの迷惑メールだろうと思ったら、シルヴァンシャーで降りた後に家に泊めてもらったティカルだった。

 

メリダ、大丈夫?』

 

『返事して』

 

『生きてるよね、無事だよね』

 

 状況を把握するには最初の三件だけで十分だった。

 

 ペルセポリスが落ちたことがどこからか漏れたんだ。

あそこは海の上だ。

偶然にも下にいた漁師かなにかに撮影されて流れたんだろう。

ティカルもそれを見て、私が乗っていると思って(実際に乗っていたけど)こうして心配のメールをいくつも送ってきたのだろう。

 

 そうだよね。

母さんに冷たく言われても、こうして心配してくれる友人がいるんだ。

私だってティカルが危険な目に遭ったと思ったら同じことをするかもしれない。

 

 こうしている間にもメールは届いた。

これ以上ティカルに心配はかけさせたくない。

私は自分のスマホから『ちょっとバタバタして遅れた。

ごめん。

私は大丈夫だよ』と返した。

 

 ティカルに嘘をつくのは申し訳なかったけど、安心させるためにはこの一言だけでいい。

もうティカルは“メリダ”と会うことはないけど、今だけは安心させてやりたい。

 

 すぐに『よかった!』と返事が来る。

語尾にははち切れんばかりのハートが溢れていた。

 

「これで、良いんだよね」

 

 ウソも方便。

私が死んだ報告なら後ですればいい。

きっとティカルならウソも許してくれる。

 

 そっとスマホをポケットに戻して中庭へ歩いた。

室内に籠っているよりはちょっとでも外の空気を吸ったほうが身体にも良いだろうし、これからのことを考えるのにも丁度いい。

 

 四角い中庭。

中央に小さな噴水があり、その上には女性の銅像が鎮座している。

周囲は花に囲まれていて、なんとなく甘い匂いを漂わせていた。

やっぱりここに来て正解だった。

 

 噴水の前には小さな木製のベンチがある。

表面の砂を払って、そこに腰かけた。

セラードの体には少し背の高いベンチだったけど、座れないこともない。

 

 上を見上げる。

雲一つない青い空を背景にして鳥が飛んでいた。

ここだけ見れば平和なものだ。

とても国の姫が殺された後とは思えない。

 

 まだ私の訃報(人が死んだ知らせ)はおおやけにはなっていないだろう。

もし世間に公表されたらどれだけ影響があるのか分からないけど、いちおう姫だから結構な打撃になると思う。

 

 でも世間が危惧するのは次の姫のことだろう。

十歳に姫が務まるのか、世界に示しがつくのか。

っていう感じの。

もちろん十七歳の私が姫でも甘く見る国はあるだろうけど。

 これからのこと

を落ち着いて考えたくてここに来たけど、何を考えればいいのかな。

呼ばれてもいないのに首を突っ込んでも邪魔になっちゃうだろうし……今のところは退屈。

ヒマだ。

 

 スマホを取り出した。

ティカルから返事があったけど、返すとキリがない。

あくまで私は死んでいるんだから、深く関わるのはよくない。

 

 それと、ミスティミラージュ・オンラインというゲームもあったのを忘れていた。

アルコ曰く、精神をゲーム世界に移動させるらしいけど、凄いゲームだ。

 

 前にも思ったけど、これって凄くゴレスターンに似てる。

まさかこれって……。

 

「なにをしているの?」

 

「わっ!」

 

 急に後ろから呼ばれて、私はベンチから飛び降りた。

誰かと身構えれば、そこにいたのは母さんだった。

昔のように温かい目には見えない。

 

「それ、メリダの携帯でしょ? どうしたの?」

 

「あ、姉様から回収しました。重要な情報があると思って」

 

 しまった。

そんなことを口にすれば、母さんに取られる可能性がある。

 

「それを、セラードが調べてたの?」

 

「は、はい。何もなかったですけど」

 

「今、白いアイコンを見てたでしょ?」

 

 ――ミスティミラージュ・オンラインのことだ。

なぜか母さんの視線は鋭く突き刺さった。

 

「あれをプレイしたの?」

 

「い、いえ」

 

「そう。あれはすぐに消しなさい」

 

「へ?」

 

「あれは実験なの」

 

 ――実験……? このゲームが、実験……?

 

「それは、どういう……?」

 

「あなたには教えておいた方がいいわね。実はペルセポリスには、ある兵器が隠されていたの。あなたは知らないでしょうけど」

 

 ゴレスターンのことだ。

あれは私とアルコとか一部の人しか知らない。

当然、セラードには伝えていないし、市民も他の国にも情報はない。

 

「兵器、ですか」

 

「瞬時にパワードスーツを着用して戦えるの。それと、死人に精神を移すという能力もある」

 

 知っている。

だって実際に使用して今に至るのだから。

でもあくまで知らない”てい”を装うため、わざと首を傾げた。

 

「あのゲームはそのための試作で市民の携帯に配られた。安全性は最優先に考慮されているから危険なものではないけど」

 

「そのゴレスターンという指……兵器の実験ですか」

 

 危うく指輪と発言しそうになった。

まだ母さんはゴレスターンを指輪とは言っていない。

ここで指輪などと口にすれば精神を移したことがバレかねない。

 

「まだこれといった問題は報告されていない。つまり実験は成功ってことね。ただ、死亡者はいたけど」

 

「し、死亡者? ゲームでですか」

 

「いいえ、ゲーム内システムのトラブルで死亡したのではない。プレイ中に死亡したの。きっと危篤状態でプレイしたのね、それでゲーム内では操作不能になった。これはゲームのトラブルとは関係ないから別にいいのだけれど」

 

「そのプレイした方の名前……は……?」

 

 なんとなく、その人の名前が気になった。

 

なぜかと問われても答えは出ないけど。

 

「名前? そんなことを知ってどうするの?」

 

「いえ、教えちゃダメなら訊きませんけど」

 

「……いいわ。セラードには特別に教えてあげる」

 

「いいのですか?」

 

「ええ。死亡者の名前はデルフィ・ソルテア」

 

「――デルフィ……ソルテア?」

 

 枝分かれしていた道が一つに収束した気がした。

 

頭の中をかきまわしていた言葉と母さんの言葉が一致して息を飲む。

 

手が震える。

 

目を見開く。

 

メモにあったソルテアという単語と、ブローチにあったデルフィという単語。

二つが、繋がった。

 

「どうしたのセラード?」

 

「え、ええと……」

 

 あまりの衝撃に一歩後退した。

怪しまれないような言い訳を脳内でこねくり回す。

 

「いえ、不幸な方だな、と。若いのですか?」

 

「若い。と言ってもセラードよりは上の女性。高校生くらいね」

 

 メリダと同じくらい、と言ってくれないのが悲しかったけど、めげずに情報は集めたい。

 

「どこに住んでいるのですか?」

 

「亡くなった病院はエフェソス内にあるわ。お腹を何者かに刺されて、同級生の少年が救急車を呼んだらしいけど」

 

 国内の女子高校生。

お腹を刺されて死亡。

それだけあれば十分だ。

 

「でもセラード、そんなことを聞いて意味はあるの?」

 

「いえ、ちょっとした好奇心ですから」

 

「ゲーム中に死亡したなんて特殊なトラブルだったから、携帯の位置情報から病院を割り出して直接訊いたのよ。国が情報を欲していると言ったらすぐに教えてくれたわ」

 

 そんな強引な手が許されるのか。

でもゴレスターンの実験とあればそこまで必死になるのも分かる気がする。

けど死人の情報なんて、そう簡単に教えていいものじゃないし訊くべきでもない。

と言いつつ私もその一人だ。

 

「もう大丈夫です」

 

「とにかく、セラードはゲームをしないように。分かった?」

 

「はい」

 

 母さんは背を向けて去っていった。

中庭に差し込む温かい光から外れた母さんの背中は、セラードの目線から見るとすごく大きく見えた。

あそこまでセラードにゲームをさせたくないってことは、それほどゴレスターンの実験は重要で繊細なものらしい。

 

 母さんの言葉の一つ一つが重く感じられた。

愛情が感じられなかったからか否かは分からない。

けど、セラードに対する愛情はあった。

皮肉なことだ。

セラードだからこそ私の本心が見えて、セラードだからこそセラードの本心が見える。

親ってそういうものなのかもしれない。

 

「もう、いいや」

 

 外の空気も十分に吸ったことだし、中に戻ろう。

 

 そういえば、今日はまだ何も口にしていない。

お腹が減った。

確か軍人用の食堂もあったはず。

何も食べないままデルフィ・ソルテアについて考えられない。

腹が減っては戦はできぬと言うし、脳も満足してくれない。

 

 

 

 軍人用の食堂は初めて来た。

この建物は私たちの家もあり、軍人たちが作戦の調整や補給をできる施設もある。

戦いの最中でなければ賑やかなものだ。

もちろんシルヴァンシャーやゴレスターンに関することは別の建物でやるらしいけど、そっちはあまり見たことはない。

 

 食堂は学校の体育館くらいの広さで、適当な長テーブルが並べられていた。

例の作戦とは別なのか、何人かの軍人が座って食事をしているけど、どうにも浮かない顔だ。

 

「ううう……メリダ様……なんで死んじまったんだ……」

 

 男泣き、というものかな。

体格のいい人が隣の人に励まされながら派手に涙を流していた。

どうやら私のことで悲しんでくれているらしい。

 

 私が行ったら、あの人は遠慮しちゃうかもしれない。今は悲しませてあげよう。

涙で気持ちが晴れればあの人も楽になるだろうし。

 

 すぐに回れ右をして、食堂を出た。

直後、見覚えのある人と遭遇する。

 

「ようメリダ

 

 食堂に入ってきたのはアルコだった。

私の身長に合わせてしゃがんでくれるから話しやすい。

 

「俺はちょっと休憩だ。お前もか?」

 

「う、うん」

 

 でもあの男泣きをしていた人が気になる。

そのことをアルコに伝えると、困ったような怒ったような表情を浮かべながら頭をかきむしった。

 

「ったく、あんなのいたら入りづらいよな」

 

「私のために泣いてくれるのは、嬉しいけど……」

 

「まぁいい。じゃあバーに来いよ。地下にひっそりとあるんだ」

 

 そんなものがあったなんて知らなかった。

まるでここ、夜のショッピングモールみたいだ。

 

「バー……でも私、お酒は」

 

「分かってるよ。ジュースくらいなら出してくれるって」

 

 

 

 ちょっと薄暗くて落ち着いた感じのバーだった。

スピーカーから流れるジャズが大人な雰囲気を演出していて、私もちょっぴり大人になった気分だ。

実感がないけど、私も生きていればあと二年で二十歳だったんだ。

 

 アルコに手伝ってもらいながら、セラードには少し高い椅子に座る。

隣にアルコもいる。

 

「あら、セラード様ですか、お酒でも飲みます?」

 

 優しい笑顔のマスターがそんな冗談をかましながら綺麗なグレープジュースをそっと出してくれた。

カクテル用のグラスに注がれているから、それだけで高級感を感じられる。

 

「アルコ、酔いつぶれるなよ」

 

「分かってるよ。酒はいらん」

 

「まぁ、そもそもここは雰囲気だけで酒なんか置いてないんだけどな」

 

 それもそうか。

 

 マスターが、アルコの前に金色のジンジャーエールを出した。

 

 アルコのグラスと私のグラスをカチンと合わせると、お洒落な音が響いた。

少し口をつけると、突き刺すような炭酸ととろけるような甘さが口いっぱいに広がる。

 

 すぐにマスターが小さなサンドイッチも出してくれた。

軽くお礼を言うと、ニコリとほほ笑み返された。

 

「食べろよ、腹減ってるだろ?」

 

「う、うん」

 

 一口だけ頬張ると、薄くスライスされたジューシーなローストチキンと、ほのかなレモンが口いっぱいに広がった。

空腹だった体と疲れた心に染み渡る。

 

「アルコ、デルフィ・ソルテアって人、知ってる?」

 

「そういやお前、ソルテアがどうのこうのって言ってたな、でもデルフィってのも知らないし、そんな人物も俺には分からん」

 

「そう……」

 

「それがどうしたんだ?」

 

 私は母さんから聞いた情報をアルコにも伝えた。

 

 ミスティミラージュ・オンラインはゴレスターンの実験のためのゲームだということ。

これは正直、アルコに伝えてしまっていいものなのかと迷ったけど、アルコなら大丈夫だ。

 

 それと、デルフィ・ソルテアなる人物の年齢などなどと、ミスティミラージュ・オンラインの中で亡くなったという話。

デルフィ・ソルテアがセラードと無関係ではなさそうという話も。

 

「どう思うアルコ? それでも心当りはない?」

 

「分からんな。俺らも知らないってことは、きっとセラードが誰にも言わなかったことだろう」

 

「そ、そうだよね……」

 

 アルコが分からないのなら完全に手詰まりだ。

母さんに訊くのもイヤだし、セラードが母さんだけに教えているとも考えづらい。

 

 ただブローチにデルフィと書かれていたからブローチの名前なのかもしれないけど、それにしてもどうして同じ名前が、タイミングよく現れるんだろう。

 

「もしかしたら、ただの偶然かもな。セラードが考えた名前と、死んだ人間の名前が同じで、タイミングよく出てきたってだけかもしれん」

 

 その可能性もあるけど、姉としてそれは否定したい。

偶然だとしてもちょっと縁起が悪い。

 

「だが今は予想の範疇だ。心配なら、そのデルフィ・ソルテアって人の病院に行くか?」

 

「それもいいけど、でも今は作戦があるから」

 

「そうだな。片付いてからでもいいけど、あんまり遅いと葬式が始まっちまうかもしれん」

 

 確かにそれは近道だけど、セラードの残した文字だけを頼りに赤の他人を探るなんて、ちょっと失礼な気がする。

そういう強引な手もありかもしれないけど、死人に対しても礼儀はある。

 

「分かった。それは後で考えるよ。でも、それとは別にもう一つあるの」

 

「なんだ?」

 

「さっき食堂で、私のために泣いてくれていた人がいたけど……」

 

「あぁ。ブリッゲンのやつか。あいつは涙もろいし、何より人一倍メリダに敬意を評していた。男泣きってやつさ」

 

「私、嬉しかったの。母さんは私のことをどうでもいいって思ってたけど、あのブリッゲンって人は悲しんでくれた。悲しんでくれる人がいるって、凄く嬉しい」

 

「悲しんでるのはあいつだけじゃない。俺はメリダもセラードもいなくなったら悲しむ。今のお前はどっちも兼ね備えてるから安心だけどな」

 

「兼ね備えてるって」

 

「バニラとチョコのミックスみたいなもんさ。チワワとビーグルのミックスとも言えるか」

 

 きっと私はチョコレートでビーグルなんだろう。

セラードはバニラでチワワって感じだ。

 

「人ってよ、産まれたときは泣いてるもんさ。だから死んだ後くらいは、みんなに泣いてもらいたいよな」

 

「死んでから周囲の反応に気づくって、すごく皮肉だけど、死んだからこそ感じられることなんだよね。普通じゃ感じられない特別って感じがする」

 

「そうだな……」

 

 アルコの横顔には寂しさが混じっていた。

 

 そして、アルコはこんなことを口にする。

 

「俺も死んだら、誰か悲しんでくれるかな」

 

 あまりにもあっさりとした口調で、自然にそう言った。

だから私も自然に返す。

 

「私は悲しい。本当に」

 

「じゃあ、泣いてくれよ。枯れるくらいな」

 

 アルコはジンジャーエールを最後の一滴まで飲み干してから立ち上がった。

私の言葉のおかげか、寂しそうな顔はもうなかった。

 

「さて、休憩は終わりだ。お前はどうする?」

 

「特にやることがないなら、私はまだここにいる」

 

 母さんには会いたくなかったし、私が死んで悲しむ人たちも見たくなかった。

泣いてくれること自体は嬉しいけど、泣いている姿を見て幸せにはならないし。

 

「そういえば、ペルセポリスは大丈夫なの? 微弱な電波があるって言ってたから生存の確率はあると思うけど」

 

「まだ分からん。けど、捜索に行った連中もいる。きっと見つかるさ」

 

「……そっか」

 

「まぁ、くれぐれも飲みすぎるなよ」

 

「お酒じゃないんだから、大丈夫」

 

 アルコは大きな背を向けてバーを出た。

セラードの体のまま大人になったら、いつかアルコと一緒にお酒を飲みたい。

あと十年、か。

 

「セラード様、なんか食べますかい?」

 

 私たちの会話を聞かないよう配慮していたのか、離れていたマスターはこちらに顔を向けた。

 

 まだサンドイッチは残っている。

でもお腹は正直で、まだ食べ物を望んでいた。

 

「パフェ、出せますけど」

 

「そ、それください」

 

 瞬間的に反応してしまい、少しセラードらしくない言い方をしてしまった。

でもマスターは何も言わず頷き、カウンターの奥へ消えた。

 

 残ったサンドイッチを片付け、グレープジュースを飲み干した。

 

 パフェを待つ間、やっぱりデルフィ・ソルテアのことが頭から離れなかった。

 

 誰か、誰か知っている人はいないのだろうか。

 

 亡くなった人のことを家族に図々しく質問したくはないから、ちょっと知っている程度の知り合いでいい。

作戦にもシュトゥルーヴェとの戦いにも関係ないけど、セラードのためにもどうしても知りたい。

 

 誰かいないのかな、デルフィ・ソルテアのことをよく知っている友人とかは……。

 

 

 

           ――四日目 朝――

 

 

 

 今日は学校を休んだ。

トレド曰く、俺の他にミディとアニも学校に来ていないらしい。

昨日、ミディとアニがアルベロと戦闘した。

でもどれくらい戦闘してどうなったのかを知る前に、俺はデルフィの死を知ってゲームを抜けてしまった。

 

 朝から、トレドからのメールだ。

 

『アニとミディも来てない、お前も休むのか? どうしたんだ? 昨日はなにがあった?』

 

 二人が学校にいないということは、やっぱりゲームの中で何かあったんだろう。なんとか話を聞きたいけど、あいにく二人の家は知らない。

 

 いや、家なんか知らなくても問題ないじゃないか。

 

 ミディは声が出ないため電話はできない。

だからアニへ電話をかけた。

 

 数回の着信音の後、元気なさそうなミディの返事が来た。

 

『ええ? あんた、なに?』

 

「ミディか?」

 

『そりゃそうでしょ。私のなんだから』

 

 無事を確認できて安心した。デルフィと続けて死んでいたら、俺の心臓が止まるところだ。

 

『あんた、学校は?』

 

「いや……」

 

『そう……なんかさ。ぜんぜん行く気しない。もうあのゲームはやらない』

 

「お、おい、どうしたんだよ」

 

『昨日は大変だったんだから。ミディと一緒にアルベロと戦闘して……それで……』

 

「それで……?」

 

『ボコボコにやられた。大したレベルじゃなかったけど、なんか、凄い怖い戦い方するんだよ』

 

 精神をそのままにプレイしているから、心臓が弱い人はゲーム中にトラウマを抱える人もいるってポン子だかデュー子が説明してたな。

でもそんな危険なゲームで本当に大丈夫なのか。

まるで何かの実験みたいだ。

 

「こ、怖い戦い方って?」

 

『不気味なこと呟きながら、剣を目の前で寸止めしたりすんの。ミディなんて、もう耐えられなくて途中でやめちゃったくらいだし、私も……なんかもう嫌』

 

 実際にデルフィを殺害しているやつだ。

ゲームの中でも狡猾なことをしててもおかしくない。

肉体的に攻められないなら、精神的に追い詰めるってことか。

変態を通り越して異常だ。

 

「待ってくれよ。協力するって言ったじゃないか」

 

『ごめん。私もそうしたいけど、ちょっとアニと一緒に行くところがあるの』

 

「行くところ?」

 

『姫様のところだよ。メリダ・エーランド。知ってるでしょ、私の親父とミディのお兄さんって軍人だから、メリダ・エーランドとも繋がりがあるの。ちょっと訊きたいこともあるし』

 

 そうだ。

アニの父親とミディの兄は、ペルセポリスにも乗っていた軍人なんだ。生死も不明だし、無理させるわけにもいかない。

協力者を失うのは痛手だけど、どうにもならない。

 

『ごめん。頼ってくれたのに』

 

「いいよ。あとは俺らでなんとかする」

 

『ごめん』

 

「いいよ。じゃあ」

 

 と締めくくって電話を切ろうとしたとき、『待って』とアニに止められた。

 

「どうした?」

 

『あのアルベロってやつ、かなり危ないやつだから気を付けて。ゲームとはいえ、あいつは狂ってるよ。それだけ忠告しておく。じゃあね』

 

 アニから電話を切った。

おそらくもう、アニと会うことも電話することもないだろう。

でもそれでよかったのかもしれない。

二人をアルベロやデルフィの問題に関わらせないほうがいいんだ。

二人もアルベロに殺されたら、俺は償っても償いきれない。

 

 さて問題はここからだ。

デルフィが死んだ以上、返事を待つ必要はなくなった。

トレドは普通に学校。

アニとミディは戦線離脱。

俺には策はない。

 

 どうしたもんか。

 

 ……ここでダラダラしていても道は拓けない。

デルフィはもういないけど、俺はなぜデルフィが死ななきゃいけなかったのか解明したい。

犯人は誰で、いつ刺されて、どんな顔で最期を迎えたのか、俺はデルフィのことなんてほとんど知らないんだ。

 

 メリダ・エーランドなら、デルフィのこと分かるのかな。

いや、姫といえ全知全能の神じゃあるまいし、一人の市民のことなんて名前すら知らないはずだ。

 

 いや、待てよ。そうとも言い切れない。

 

 デルフィが刺されて駅で倒れてたとき、こんなことを言っていた。

 

「私、小さな部屋でマンガを読んでいる女の子を見た……近くにお姉さんみたいな人も……」

 

 あのときはデルフィを助けるために必死でいまいち考えてなかったけど、もしかしたらデルフィは姫のことをどこかで見ていたのかもしれない。

 

 メリダ・エーランドは十七歳で、十歳の妹がいる。

確か名前はセラードだ。

マンガを読んでいた小さな女の子がセラードだとすると、近くにいたお姉さんとはメリダということになる。

 

 それに小さな部屋と言っていた。

姫がマンガを読む小さな部屋と言ったら、娯楽室かなにかだと思う。姫が読みそうなマンガと言えば……貴族ものとか、王族もの、もしくは軍事ものか。

 

 ……軍事もの……デルフィと軍事もののマンガ……なにか引っかかる。

デルフィと交わしたマンガの話題と言えば……確か……。

 

 ゲーセンでシマウマとアルパカのぬいぐるみを取ったときのことだ。

あのマンガの名前、えらく長かった気がするけど……なんとかバッファロー

スマッシュってやつ……。

 

 答えが出なくてもどかしくなり、スマホに頼ることにした。

もし俺がもっと古い時代に産まれていたらここで手詰まりだっただろう。

 

 なんとなくそれっぽいワードを打ち込んで検索する。

 

 スマッシュ バッファロー シマウマ アルパカ マンガ……。

 

「おっ」

 

 ヒットした。

答えはウォータートン・グレイシャー原作の、ヘッドスマッシュ&イン・バッファロージャンプだ。

 

 デルフィがどうして姫姉妹のことを知っていてどこで見たのか定かではないけど、ここまで情報が収束したなら何かあるはずだ。

 

 でもデルフィはもういない。

それは揺るがない事実で覆せない真実だ。

答え合わせなんて永遠にできないだろうけど、答えに近づいている気がする。

 

 きっと、デルフィとセラードは繋がっている。

超常的ななにかかもしれない。

それでもいい。

まだ頭の中の話でしかないけど、一歩でも進めればそれでいい。

 

 さて……これからどうしよう。

今さら学校に行く気にもならないから、いっそ今日は休んでしまおう。

でもいざサボってみると何もやる気が起きない。

本当ならセラード・エーランドと連絡を取ってデルフィについて訊きたい気分だけど、俺みたいな庶民が姫と話せるわけもないし……アニとミディみたいに関係者に知り合いがいればいいんだけど。

 

 所詮、俺程度の力じゃ調べるなんてことできない。

ネット検索で解決することじゃないし。

 

「あーあ」

 

 やることもなかったから、俺はミスティミラージュ・オンラインを起動することにした。

なんとなくゲーム世界にいれば気が紛れると思ったし、情報も得られると思ったからだ。

 

 

 

 さっそくフィールドAに行こうと思ったけど、エントランスに行く前にやることがあったから、ポン子とデュー子を呼んだ。

 

「はいはい、呼んだ?」

 

 どこからかポン子が現れた。

相変わらず元気だけはある。

 

「ちょっと、頼みがあるんだが、デュー子はいないのか?」

 

「え? いないけど。データだけど休むときくらいあるよ」

 

 まるでOLだな。

 

「で、なに?」

 

「いや、重要なことでな。現実にも関わることだ」

 

「お?」

 

 ポン子に要件を伝え、俺はフィールドAにやってきた。

午前中ということもあって人は多い。

こんな時間に学校も会社もサボってゲームしてる俺みたいなのが多いっていうのは問題だろう。

 

 今はトレドたちもいない、完全に一人の状態。

でもゲームらしいことはする気なくて、ただぼうっとゲームに浸りたいだけだった。

 

「よう、友よ」

 

 後ろから肩を叩かれた。

見覚えのあるやつだと思ったら、例のスライムマンだった。

 

 今は誰にも会いたくなかった。

特にスライムマンは嫌だ。

 

 でも話し相手が欲しいという気持ちも少しはあって、こんな質問をしてしまった。

 

「なぁ、ちょっと訊きたいんだが。お前さ、姫とかと知り合いじゃない?」

 

「な、な、ななな何を言う」

 

 スライムマンは妙にうろたえた。

まさかと思って訊いてみたけど、そのまさかなのか?

 

「どうした、その反応は」

 

「い、いや、知り合いなわけないだろう。あんな美しい姫君たちと知り合いだなんて」

 

「そういや、同級生の妹が家に泊まったとか言ってたな。まるで姫みたいだったって。もしかしてあれって本当に姫だったのか?」

 

「ば、バカな。そんなものはものの例えだ」

 

 妙な反応をするスライムマンだけど、こんなやつが姫の知り合いなわけない。

そう思いたい。

 

「そんなことより、勝負をしろ」

 

「そういや言ってたな、カティオスの剣を課金して買ったって。九万八千ポイントだっけか」

 

 その魔剣札束ブレードはスライムマンの背中にくっついていた。

俺は勝負などしないから、おそらく永遠に使われることはないだろう。

 

「悪いけどパスだ」

 

「な、なにか理由があるのか? 勝負をしたくない理由が」

 

「その一。まずお前は鬱陶しい。その二、俺は姫と繋がりがあるかもしれないデルフィについて考えたい」

 

「姫と繋がりがある、だと?」

 

 しまった。こいつに姫の話題はタブーだった。

あまりにも予想が繋がりすぎてつい口にしてしまったことを後悔する。

でももう遅い。

 

「いや、それは例えだ気にするな。それより俺は一人になりたい。あっち行ってくれ頼むから」

 

「く、しょうがないな。今日のところは退く。また今度にしよう」

 

「永遠に退いてろ。今度はない」

 

 高価な剣を背負った寂しげな背中を向け、スライムは去った。

 

 やっぱり意味もなくこんなところ来るもんじゃないな、と後悔しつつ、俺はメニュー画面を開いて戻ろうとした。

の、だが。

 

「ん?」

 

 フィールドAの端っこ、気になる名前が目に入った。

偶然か必然か分からないけど、そこには確かに探し求めていた名前があった。

 

 全身が銀色のパワードスーツのキャラクター。

その頭上には、確かにアルベロと書いてある。

 

 アルベロ――俺は無我夢中で走りだした。

作戦もなにもなく、ただ一心不乱に。

蜃気楼のようにも見えたアルベロの背中に、たどり着いた。

 

「お前、こんなところでなにしてやがる」

 

 背中に声をかける。

アルベロはゆっくりと振り向いた。

 

「お、誰だきみは」

 

 若い男の声。

電話だと加工されていて男かどうか判別できなかったけど、今回は普通だ。

でもこれはあくまでゲーム内のキャラだ。

現実とは異なる。

 

「誰だじゃねぇ。俺は、お前が殺したあの子の友達だ」

 

「あの子、あぁデルフィ・ソルテアか。つまりきみは電話をかけたアトス・エオリアくんだね」

 

 アルベロはデルフィの携帯を見て俺の番号を知った。

だから名前を知っているのは当然だ。

 

「お前、なんでデルフィを殺した。ここで何やってやがる。どの面さげて呼吸してんだ、おい」

 

「どういうつもり、か」

 

「あいつが救急車で運ばれたあと、お前は電話をかけてきた。あれはなんだ」

 

「じゃあ逆に聞くけど、君の仲間が私のことを探っていたのはどういうことかな?」

 

 昨日のことだ。

それだって、俺にも訊きたいことはある。

 

「お前が殺人犯だからだ。デルフィが教えてくれたんだよ、アルベロっていうやつにやられたってな。だからお前を探すために仲間を集めた」

 

「くく……くくくくく……」

 

 アルベロは不気味に笑い出した。

ゲームキャラだし変身しているとはいえ、笑い方や動きから不気味さがにじみ出ている。

 

「な、なにがおかしい!?」

 

「殺した理由を教えろと、つまりそういうことだな」

 

当たりめぇだろ。なんで罪のないデルフィが殺されなきゃならなかったんだ。まだ高校生なんだぞ、どんな権利があって、お前なんかに……」

 

「じゃあ、勝負しようか」

 

「はぁ?」

 

「ここで勝負しよう。勝っても負けてもきみには理由を教えてやろう。私は遊びたいんだ。いいだろう? どうせヒマだろ?」

 

「ちっ……」

 

 喋り方、動き、声、どれもが腹立つ。

誰のせいで学校に行きたくなくなったと思ってるんだ。

 

 だがやらないわけにはいかない。

 

「さぁ、見せてくれよ、きみのミラージュ・コーティングを」

 

 すでにアルベロは変身している。

 

 俺は念じて、左の人差し指にダイヤの指輪を出現させた。

 

「ミラージュ……コーティング!」

 

 アルベロを殴りつけるように突き出した左腕はあっけなくキャッチされ、硬いメットを睨みつけながら、俺の体は俺じゃない体に変貌していく。

 

「威勢がいいねぇ。面白そうだ」

 

 目の前には“デュエルしますか?”のメッセージウィンドウ。俺は迷わず“はい”を選んだ。

 

 

 

 

 周囲を石が取り囲む遺跡のフィールドだ。

まるで数百年か数千年も時代が戻ったような雰囲気で、決闘するのに味がある場所だった

 

 ついに、アルベロとの決闘。

というより、まさか相手をこんな簡単に発見できるとは思わなかった。

ついに見つけた、という感じは微塵もない。

でもそんなことどうでもいい、俺はデルフィが死んだ理由を知りたい。

それなら、俺が死にそうな目にあったってかまわない。

 

 相手はレベル12。

対する俺はレベル10。

能力だけなら負けてるかもしれないけど、このゲームは能力だけじゃない。

 

 肩につけられた箱型のマシンガンを抜いて、アルベロに向けてがむしゃらな射撃をしながら特攻した。

作戦もへったくれもない。

 

「うおぉぉぉぉぉぉ!」

 

 アルベロとの距離は十数メートル。

適当に撃ったって弾がバラけてまともに命中しない。

命中したところでアルベロに対するダメージなんてたかがしれてる。

 

 接近して格闘に持ち込む。

直接この手で殴ってやらなくちゃ気がすまない。

着々と距離が詰まる。

その間にも何発か命中しているけど、おそらく意味はない。

 

「数を撃てば当たると思ったかい?」

 

 アルベロは大したダメージがないから余裕だ。

 

 腕を高々と上げ、魔法陣のようなものを三つ出した。

そこからひょっこりと槍が見切れててこちらに矛先が向けられている。

 

 あんなのものを見せられれば、これからあの槍がどう動くのか予想はつく。

 

「来るなら来いよ! アルベロ!」

 

 アルベロが腕を振ると、魔法陣から槍が射出された。

三つそれぞれが誤差のあるタイミングで撃ち出され、避ける隙を見失う。

 

 前方斜め上から一本――まずはこいつを――。

 

「あぶねぇ!」

 

 全身をバネにして飛ぶ。

真下の地面に槍がねじ込まれた。

もし飛んでいなければ串刺しは間違いない。

残り二本も左右斜め上から強襲する。

空中にいるいまの状況じゃ回避は無理だ。なら――。

 

 二本の槍に左右のマシンガンを向け、撃つ!

 バラついた弾丸たちがいくつか命中し、寸前で槍は爆散。

一本目を避けた勢いでアルベロへの特攻を続ける。

マシンガンを前方に構え、再び撃つ――だが、

 

 カチカチッという味気ない音が弾切れを知らせた。

武器に弾切れがあるなんて、そんな説明されたのか覚えてないけど、どちらにせよ役に立たない。

マシンガンは肩からチューブで繋がっているから、手を放せばメジャーみたいに勝手に戻る。

 

 こうなったら、やっぱり直接この拳で殴ってやるしかない。

 

 魔法陣から槍を出したところを見ると、相手は魔法タイプかなにかだ。

接近戦なら、どうせ大したことはないはずだ。

 

 このまま、行けるっ!

 

「さぁ来てくれよ、ここまで!」

 

 次にアルベロは腕を下に向けた。

地面から分厚い石壁が飛び出し、進行を阻む。

でもそんなものでは俺は止められやしない。

むしろ利用してやる――!

 

 あえて壁を避けずに一歩踏み出した。

トーストみたいに出てきた壁をトランポリン代わりにして、俺は空高く舞い上がった。

 

「おらぁぁぁぁぁ!」

 

 隕石のように落ちながら、アルベロ一点に向けて拳を向ける。

これで、終わりだ!

 

「うわっ!」

 

 アルベロから予想外な声が出た。

やつの銀色のメットに拳を叩き込み、そのまま地面にねじ伏せた。

俺が上、やつが下だ。

 

「アルベロ! いい加減に吐きやがれ! なぜデルフィをあんな目に!」

 

「答えてほしいか? じゃあ、こっちを先にプレゼントしよう」

 

 アルベロの右手が僅かに光った。

今度はどんな魔法を繰り出すのかと身構えたが、それらしいものはなかった。

代わりにアルベロの手には細身の剣が握られている。

 

「うぐっ!」

 

 アルベロはその場で瞬時に生成した剣を振り、俺のわき腹に命中させた。

もし現実世界で生身なら血だらけ間違いなしの一撃だ。

だが今は変身していて、これはゲーム。

多少の痛みはリアルに体感できるけど、血なんかは一滴も出やしない。

 

 衝撃で二、三メートルはふっ飛ばされ放り投げたエンピツみたいに転がった。

 

「どうしたどうした? 肩のそれは弾切れか?」

 

「お前を殴りたい気分になったんだよ」

 

「拳一つで立ち向かうのか、無謀だな」

 

 そうだ。

無謀だ。

拳一つだけで剣を握る相手に挑むなんて無謀にもほどがある。

でも今の俺には武器なんてない。

こんなことなら、安い剣の一本でも買っとくべきだった。

 

「さぁ行くよ、アトス・エオリアくん」

 

「うるせぇ……気安く呼ぶんじゃねぇ!」

 

 がむしゃらに正面突破で突っ込む。

これしかない。

 

「芸がない攻撃だ!」

 

 アルベロは余裕をかましながらの一撃を振る。

だが防いだところでふっ飛ばされる。

 

 めげずに地を蹴ってリベンジ。

それでも剣を持つ相手に接近できるわけもなく、再び拳を叩き込むこともできずふっ飛ばされた。

 

「どうしたアトス・エオリアくん。真実を知りたくないのかい?」

 

「黙れよ……これが現実なら、お前をズタズタに引き裂いてやりたいところだ」

 

 せめて言葉だけでも威勢を見せる。

アルベロには効果ないだろうけど。

 

 なにか、なにか武器さえあれば――!

 

「あ?」

 

 目の前にメッセージウィンドウが現れた。

 

『これを使え、ナスカ』

 

 メッセージの次には、石のような剣が出現した。

見たことがある。

これは、スライムマンの背中にあった高価な剣、九万八千ポイントの、失われしカティオスの剣だ。

 

 よく分からないけど、感謝する! スライマン・トウ!

 

 カティオスの剣を鷲掴みにして、スタートダッシュでアルベロと距離を詰める。

ターボエンジンみたいな爆発的スピードで加速して、今度こそアルベロに一発を叩き込んでやる。

 

「ほう、そんなものを隠し持ってたか! さぁ来い!」

 

「望むところだ!」

 

 弾かれたように剣を突き出しまくる。

アルベロの華麗なステップで回避され、まるで遊ばれているようで段々とムカっ腹が立ってきた。

 

「どうしたどうした。遅いぞ!」

 

「うるせぇ! うるせぇうるせぇうるせぇ!」

 

 力任せに剣を振り回す。

もうこれは戦いなんかじゃない、ただがむしゃらに暴れまわっているだけだ。

でもそれでいい。

一発でも叩き込んで、あの顔に傷を作れるのなら、少しでもデルフィのためにできるのなら、それでいい!

 

「うおぉぉぉぉぉぉ!」

 

 気合のあまりムダに大きな一歩を踏み出して剣を振った。

俺の動きが予想外だったのか、アルベロのわき腹に、命中。

 

 剣は剣でも、高ポイントの強力な剣。

俺のレベル自体が低くたって、武器の強さがあればそれなりのダメージになるはずだ。

 

「アルベロぉぉぉぉぉぉぉ!」

 

 避けられないよう、チャンスの今、討つ!

 

 わき腹に叩き込まれた剣を、逃げられる前に押し込む。

出血しないのが俺にとって幸いだが、同時にデルフィと同じ目に合わせてやれないことに腹が立っていた。

 

 アルベロは剣を持つ俺の手を掴んで強引に引きはがそうとするけど、負けじと力を込めて黙らせる。

 

「き、貴様! どこでそんな強力な武器をぉぉぉ!」

 

 それがアルベロの最期の遠吠えになった。

 

 アルベロの体力は底をつき、俺に軍配が上がった。

これで、勝利だ。

 

 周囲を取り囲んでいた遺跡のような風景は、勝負の終了とともに消え去った。

 

 目の前には、変身が解除され膝をついたアルベロの姿があった。

 

長い金髪に切れ長の目という爽やか全開な顔だけど、それはあくまでゲームでの姿だ。

 

 敗者らしい惨めな姿だ。

本当なら、好き勝手に罵倒を浴びせてやりたいくらいだ。

 

「や、やるじゃないか」

 

「うるせぇ。早くデルフィのことを教えろ」

 

「ふん。いいだろう……約束だからね」

 

 と、アルベロが説明を始めようとしたとき、ある人物がこちらに寄って来た。

 

「ナスカ、大丈夫か」

 

 そこには、まるで仲間のようにスライムマンがいた。

 

 やっぱりあの剣はこいつのものだったか。

 

「感謝するよ。まさかいきなり送られてくるとは思わなかった」

 

「まぁいい。それより、きみは姫と繋がりがあるそうだからな、黙っていられなかった」

 

 まだ勘違いしているのかこいつは。

むしろこいつは姫とどういう関係なんだ。

同級生か?

 

「いや、まぁいい。詳しくは分からんが、このアルベロという男と大事な話があるそうだな、席を外させてもらう」

 

 スライムマンはそう言い捨ててその場を去った。

最低限の空気を読むという技術は持ち合わせているらしい。

ようやく、アルベロと二人になれた。

デルフィの話を聞ける。

 

「アルベロ、話の続きだ、話せ」

 

「あぁ、いいよ」

 

 ようやく、聞きたかった話が聞ける。

聞いたところでデルフィが帰ってくるわけじゃないけど、それでもいい。

俺は真実を知りたい。

 

「――まず単刀直入に言おう。私はデルフィ・ソルテアのストーカーだ」

 

「は? 何言ってやがる」

 

「本当さ。あの子が死ぬ前から、ずっと見ていた」

 

「ふざけんな。死なせたのはお前だろ」

 

「いや違う。あの子は、私が殺す前に一度だけ死んでいるんだ」

 

 理解できない。

こいつ、おかしいんじゃないのか。

いや、頭のおかしくないやつはストーカー殺人なんてやらないだろうけど。

 

「まずあの子の本名のことだが、あの子はエトナ・ウルネスという名前」

 

「え、エトナ・ウルネス?」

 

「あの子が一度目の死を迎える前――私が殺す前日。学校帰りのあの子をつけていると、あの子は森に入った。何をするかと思えば、持っていた縄跳びを木にくくりつけて首を吊ったんだ」

 

「な、なんで自殺なんか」

 

「知らないよ。家庭の事情かなにかだろうけど」

 

「お前が何かしたんじゃないのか」

 

「バカを抜かすな。あの子を殺したこと以外に手を加えてはいない。ただ観察していただけさ」

 

 その“殺した”ことが一番重要なことだが、こいつにとって大きなことではないらしい。

 

「とにかく、自殺の動機は知らない、でも観察を続けた」

 

「お前、デルフィが自殺するってのに止めないのかよ」

 

「必要ないだろう? 自殺は個人の意思さ」

 

 アルベロを殴ってやりたかった。

でもやめた。機嫌を損ねて逃げられたら台無しだ。

だから仕方なく突き出そうとした拳を抑えた。

 

「それで、あの子は、エトナは死んだ。でも生きてた。縄跳びを引っかけていた枝は折れて、あの子は地面に倒れた。脈は確認したよ。すでに死んでいた」

 

「それで、死んだデルフィにお前はなにをした」

 

「なにもしてない。死んだあの子には興味がない」

 

 つくづく頭のぶっ壊れたやつだ。

 

「それでも気になってね。隠れてじっと見ていたんだ。そうしたら、動いた。だから私は思い切ってあの子に訊いた。大丈夫かい? って。そしたら、姉様は大丈夫ですか? って言った」

 

「は? 姉様?」

 

 まるでどこかの姫みたいだ。

セラード・エーランドもこんな口調で姉のことを呼ぶんだろう。

 

「妙だと思ったよ。急にペルセポリスだのメリダ・エーランドだのエフェソスだの、まるで姫みたいなことを言った」

 

 ペルセポリスは姫が乗っていた船の名前で、メリダ・エーランドは姉の名前。

エフェソスはこの国の名前だ。

 

 俺の、デルフィとセラード・エーランドが繋がっているという考えは、やっぱり間違っていないかもしれない。

 

「それから、あの子は急に自分のことをデルフィ・ソルテアと名乗った」

 

「急に名乗っただと?」

 

「名前を覚えてないんだそうだ。だから、自分が姉の誕生日に向けて作っていたブローチの名前を咄嗟に名乗ったらしい。ソルテアは没らしいが」

 

「な、なんでそんな名前を名乗ったんだ」

 

「知らないよ。真相は彼女しか知らない」

 

 いちいち殴りたくなるやつだ。

 

「とにかくあの子はそう言った。それからは、まぁ分かるよね。きみの学校に行き、きみと仲良くなり、そして私に殺された」

 

 デルフィの本当の名はエトナ・ウルネス。

自殺して生き返りセラード・エーランドらしきことを言った。

俺と出会うもストーカーであるアルベロに殺された。

まとめるとこういう感じか。

 

「ま、非科学的なことをあまり信用したくないんだが、まるでセラード・エーランドと死んだ直後のあの子が入れ替わったみたいだね。ペルセポリスでもトラブルがあったようだし、同じタイミングで二人が死んだってこともあるかもね」

 

 同じタイミングで死んだ――。

 

 アルベロに同意するのは悔しいが、そういうことかもしれない。そんなファンタジーなことを信じたりしないけど、そのゴレスターンとやらにそういう力があれば、可能性もある。

 

「話は終わりだ。さようなら、アトスくん」

 

 そう言い捨ててアルベロはログアウトしようとした。

このまま逃げたって構わない。

俺には秘策がある。

ここで、こいつを捕まえてやる。

 

「待てよアルベロ。まだ訊きたいことはある」

 

「なんだね」

 

「どうせお前は逃げるんだ。手土産くらいいいだろ」

 

「ほう、いいだろう」

 

「アルベロ、お前、ゲームの中でもデルフィと関わってただろ」

 

 デルフィは死に際に言っていた。

本当の名前は知らないけど、ゲームの中のアルベロという名前は知っている、と。

 

 本名を知らないのは当然だ。

こいつがデルフィを見ていただけなんだから、でもゲームでの名前を知っているということは、接触があったってことだ。

 

「お前、俺より前から……いや、デルフィがお前にやられる前からゲームしてるだろ」

 

「もちろんさ」

 

「ゲーム内でもデルフィと接点があっただろ。だから現実での姿を見てストーカーを始めた」

 

「それは違う。ゲーム内で雑談していたら、自然と住んでいる場所が分かった。ほとんどずっと見ていたからね、名前くらいなら情報は入ってくる」

 

「あぁアルベロ、それだけ聞ければ満足だ」

 

「満足?」

 

「――出て来い! 出番だ!」

 

 俺が叫びながら高く手を上げると、どこからかポン子とデュー子が現れ、ワイヤーアクションみたいに空を飛びながらアルベロの前に立ちはだかった。

 

「なんだ、これは」

 

 いきなりのことにアルベロは動揺することなく冷静に言った。

 

「アルベロ、俺はお前を逮捕するつもりだ。本当なら殴ってやりたいくらいだがな、でも最後にお前とデルフィの出会いを訊けて良かったよ」

 

「逮捕? どういうことかな?」

 

「お前はバカ正直にベラベラと自分の犯罪を口にした。俺はいつお前を見つけても対処できるように、ポン子とデュー子にチェックを頼んでいた」

 

「逮捕するのか。確かにゲーム内とはいえ、ここまで言ってしまえば逮捕もあり得るだろうね」

 

 なんだ、この妙な冷静さは。

 

「キャラクターネーム“アルベロ”さん。あなたの言動は確認しました。犯罪を行ったと認識してよろしいですね?」

 

 デュー子は機械的に言う。

見た目はリアルだけど、プログラム通りにしか言えないんだろう。

 

「アルベロ、諦めろ。もうお前はログアウトしても捕まる。IDとか位置情報とかですぐにな」

 

「アトスくん、きみはなにか勘違いをしているよ。私はね、別に逮捕されたっていいんだ。そんなこと、些細なことさ」

 

 アルベロの表情は一つも変わることはなかった。

それはゲームだからなのか、人殺しをするようなやつだからなのか、どちらにせよこいつが異常なのは十分に伝わった。

そんなこと伝わったって嬉しくないけど。

 

「“アルベロ”さん。もう警察には連絡したから、逃げてもムダだよ。その様子じゃ逃げるつもりもないみたいだけど」

 

 ポン子はいつになく真面目な口調だ。

しかし、ゲームなのにそんなに早く警察に連絡できるのか、まるで軍隊みたいだな。

 

「じゃあナスカさん、ありがとうございました」

 

「え? いや、そんな大したことじゃないよ」

 

「いいえ、高度なゲームほど、こういうのが多いんです。大事なのですよ、こういうことが」

 

 デュー子にそんなことを言われ、なんとなく居心地が悪くなった。

俺はあまり面と向かってお礼を言われるような人間じゃないから、慣れてないのかもしれない。

 

「あとはこちらでやりますので、現実の方でアルベロさんが逮捕されるのを待つだけです」

 

「え? ああ、じゃあ、俺はログアウトしようかな」

 

 あとはもうゲーム世界でやることもない。

アルベロについては解決したし、デルフィについても知ることができた。

そして、アルベロも逮捕できた。

 

 もう、俺がここでするべきことなんてない。

 

           ―四日目 昼―

 

 なぜだか、意外にもすんなり解決してしまった。

 

 アルベロのやつは、本当は逮捕してもらいたかったのかもしれない。

そうじゃなきゃ、ああもあっさり発見できるわけないし、無抵抗にならない。

 

 急にやることがなくなって、どうにも心に穴が空いてしまったような感覚になる。言

葉の正確な意味なんてよく分からないけど、そんな感じだ。

 

 俺は、デルフィと普通に友達になれればそれでよかった。

なのに、気づけば殺人事件に関わることになって、犯人を逮捕までしてしまった。

 

 俺は、これから何をしたらいいだろう。

 

 長年続いた映画シリーズを制覇したような、五十巻くらいのマンガを読み終えたような、そんな例えしかできないような虚無感が襲ってきた。

 

 

 でもそれでいいんだ。

 

デルフィは悔しかっただろうけど、全て解決した。

 

それで、いいんだ。

 

 

 俺は今、デルフィとの最後の場所――家の近くの駅にいる。

 

学校に行くための電車を待っているんじゃない。

 

なんだか、家にも学校にも行く気がなかっただけだ。

 

人と関わりたくなくて、ただ無駄に時間を浪費していただけだ。

 

 ぼうっと空を眺めていた時、急にスマホに着信。相手が誰でもどうでもよかったけど、無視しようとも思わなかった。

億劫ながらも確認すると、相手はアニだった。

 

『アニだけど、あのさ、今いい?』

 

「なんだ。お前か。なにか質問か?」

 

『デルフィ・ソルテアってさ、どういう人だった?』

 

 このタイミングでこの話題とは。少なくともアルベロの話なんかよりはいいけど。

 

「なんでそんなこと訊くんだ」

 

『いや、ほら、念のためさ』

 

「念のため、か。……そうだ。デルフィの件だけど、解決したよ。アルベロも捕まえた。もうあの件には関わらなくてもいい」

 

『え!? そうなの!? そっか……でも良かったね。ごめんね、力になれなくて。ミディもそう言ってたから』

 

「あぁ。いいよ。そっちにもやることあるんだろうし」

 

『それで、話を戻すけど、デルフィはどんな人だった?』

 

「可愛げがあって、ゲームが好きで、まるで小学生みたいだったよ」

 

 いま思うと、デルフィはやっぱり姫みたいな雰囲気だった。

それでいて、子供っぽくもあって大人にも見えた。

たったの一日だけだったけど、本気でそう感じた。

 

「それと、ヘッドスマッシュ&イン・バッファロージャンプってマンガが好きで、もっと仲良くなれる気がした、そんな人だよ」

 

『うん、分かった……』

 

「それだけか? 俺は、ちょっと休みたいんだ」

 

『うん。ごめん、急に訊いちゃって。じゃあまた』

 

 電話は終わった。

なんでそんなことを訊いてきたのか分からないけど、別にいい。

 

 スマホをポケットに戻し、また何もない空を眺める。

 

 デルフィは失ってしまったけど、俺は不幸ではない気がする。な

んとなくだけど、そう思える。

そうやって、無理やり納得した。

 

 ――俺は電車に乗った。

空っぽになった心のまま、学校に向かうことにした。

一人でいたら何も考えられなくなってしまいそうだったから。

 

 デルフィ、きみは、幸せだったのかい。

 

 どうして、自殺なんてしてしまったんだい。

 

 どうして、俺なんて男と一緒にいてくれたんだい。

 

 どうして、ここにいないんだい。

 

 俺とデルフィが一緒にいたことって、何か意味があったのかな。

いや、どこかで奇跡があったと思いたい。

俺の知らないような奇跡が、きっとあるって、そう思いたい。

 

 さようなら、デルフィ。

 

 ―四日目 昼―

 

 特にすることもなく、昨日はそのまま眠ってしまって今もベッドの上だ。

けっきょくセラードのブローチを作る気にもなれず、気づけば今日は作戦の遂行日。私は参加しないけど……。

 

 アルコたちは潜水艦でシュトゥルーヴェ方面の海へ向かい、相手にわざと気づかれる。

そして攻めてきたらゴレスターンで迎え撃ちながら脱出し、敵を潜水艦ごと沈める、という作戦だ。

 

 つまりは反撃の体勢ということになる。

攻めに行くよりも攻められるのを待つという、かなり捨て身の作戦だ。

ほとんど賭けの部分もあるけど、アルコたちなら大丈夫だと信じたい。

 

 コンコン。

 

 扉がノックされ、返事をする。

 

「セラード様? お客様が」

 

 扉の反対側にいる軍人がそう言った。

 

「は、はい。今から行きます」

 

 ベッドから降りて急いで支度する。髪の毛をセットして服を着替えて、諸々を準備する。

 

 でも、お客さん? この私に? ……セラードだって学校には行っている。

可能性としては、セラードの友達だろう。

もしそうだとしたら、辻褄を合わせるのが難しい。

 

 急いでセラードを完成させ、私は扉を開いた。

 

 扉の奥で待機していた二十代後半の軍人――たしかリヨン――が姿勢を低くして私を見た。

 

「お、お客さんって、誰ですか?」

 

「セラード様は、ルートとラウマをご存知ですか?」

 

 もちろん知っている。

高校生の娘がいるルートと、病気の高校生の妹がいるラウマだ。

どちらもゴレスターンの部屋を警備していた親しい関係だ。

セラードもよくお世話になったから知っている。

 

「は、はい。一緒にペルセポリスにも乗りましたから」

 

「実は、ルートの娘さんと、ラウマの妹さんが来ています。メリダ様かセラード様に会いたいと仰ったので……いかがいたしましょう」

 

 となると必然的に私、ということになる。

 

「会います。みんなが戦う前なんだから、今はやれることを」

 

「分かりました。案内いたします。食堂に待たせておりますので」

 

 リヨンに誘導され、食堂に到着した。もし私が断ったらどうするつもりだったんだろう。

 

「念のため武器を所持しているかチェックしましたが、問題ありませんでした」

 

 リヨンはそれだけ言い残して、その場を後にした。

 

 ルートとラウマの家族なら、問答無用で信用できる。

 

だから特に警戒もなく、食堂に入った。

端の席に無難な私服姿の女性が二人いた。

高校生くらいの雰囲気だ。

 

 私は二人に歩み寄って声をかけた。

 

「あの」

 

 二人がこちらを見る。一人は車イスで赤いメガネ。

知的をそのまま擬人化したような人だ。

もう一人は黒のロングヘアーでキリっとした目つきの意志が強そうな人だった。

 

「あ、あの、セラード様、ですよね?」

 

 意志の強そうなほうが立ち上がって興奮気味にそう言った。

私は急いで二人の前に座って落ち着かせる。

 

「い、いえ、そんなにかしこまらなくてもいいですよ。お二人はお客さんですし。とりあえず、座ってください」

 

 事情を訊いた。

意志が強そうな方は、ルートの娘さんのアニ・ヘンダーソンさん。

メガネのほうはラウマの妹さんのミディ・パースさん。

確かにどことなく似ている。

ミディさんは足が動かず声も出ないらしい。

ラウマにはある程度聞いてはいたけど、実際に会ったのは初めてだ。

 

 お客さんに敬語を使われるのは居心地が悪いから、二人には敬語をやめるよう言っておいた。

 

「それで、どういう要件ですか?」

 

「私、メリダ様に会いたいの。親父……父のこと、少し聞いておきたくて。メリダ様はどこに?」

 

「あ、姉様は……」

 

 私が死んだことはまだ公(おおやけ)にはなっていない。

ここで二人だけに報告するわけにもいかないし、隠すしかないだろう。

 

「ちょっと今は手が離せなくて、私しか空いてないんです。私じゃ、ダメですか?」

 

「い、いや、そんなことは……」

 

 と言いつつも、アニさんはどこか不服そうだ。それも当然だと思う。

姫とはいえ十歳のセ

ラードにはそこまで期待しないのが普通だ。

 ミディさんはノートに何かを書き始めた。

声が出ないから筆記しかないんだろう。

 

『兄さんのこと、私も知りたい』

 

 ノートをひっくり返してこちらに向ける。

書かれている一行には切実な思いが籠っているように見えた。

だから私も、少しでも期待に応えてあげたかった。

 

「ルートとラウマは、とても優秀な軍人です」

 

 “でした”とは言わなかった。

まだ生きていると信じているから。

 

「昔、私もよくお世話になりました」

 

「生きてると、思う?」

 

「もちろんです。私も姉も生きて脱出しましたし、あの二人のことですから大丈夫ですよ」

 

「じゃあ、どうして帰ってこないの?」

 

「それは……きっと遠いところに落ちたんです。通信機器とかも故障していて、帰るのに苦労しているんだと、思います」

 

 頼りがない発言だと思われたに違いない。

私自身も自分の発言をそう思う。

 

 アニさんは涙を流し始めた。

隣のミディさんもメガネを外して涙を拭っている。

 

「じ、実は」

 

 アニさんが若干の涙声で言った。

 

「実は、この前やって来た転校生が、転校してすぐに殺されちゃったの」

 

 こ、殺された? とつぜん槍のように突き刺さった言葉に、私は息を飲む。

 

「それで、その人と仲の良かった男子と犯人捜しの協力をすることになって。でも、その犯人と会ってみて、すごく怖かった」

 

 それだけじゃどういう話なのか分からないけど、アニさんの涙から緊迫した状況だけは分かった。

でも個人の殺人事件だなんて、今の私には大きすぎる話だ。

 

「ごめん。こんな話しても分からないよね。今のは忘れて」

 

 そう言ってアニさんは立ち上がった。目に涙を残したままだったけど、もう話は終わりらしい。

ミディさんも同じ意見のようで、ノートで語ることはなかった。

 

「じゃあ、もう帰ります」

 

 アニさんはミディさんの車イスのハンドルを握って歩き出した。

私は、これ以上かける声がなくなって黙ってしまう。

 

 何か、話題はないだろうか。

何か、重要な情報を得られそうな気がする。

 

「ま、待ってくださいアニさん」

 

 立ち上がってアニさんの背中に言った。

アニさんたちに失礼のない程度で、少しでも有力な情報が得られそうな質問。

これしかない。

 

「あの、デルフィ・ソルテアって、知ってますか?」

 

 同じエフェソス国の病院で亡くなったデルフィ・ソルテアのことだから、アニさんたちが何か知っているかと思った。

 

 アニさんが振り返り、

 

「今、なんて言ったの?」

 

「で、デルフィ・ソルテア、と」

 

「どうして知ってるの、転校生のこと?」

 

「え?」

 

 転校生? さっき言ってた、殺された転校生……?

 

「……その、姉の部屋にあったノートに、たまたまそう書いてあって」

 

 本当は姉である私じゃなくてセラードだけど、この際どちらでもいい。

 

「もしかして、デルフィと知り合い、とか?」

 

「いえ、そういうわけでは……と、とにかく姉がどうしてその人の名前をノートに書いたのかは分かりませんけど、同じ名前だったので、何か関係があるのかと……」

 

「関係、か。残念だけど、私には……」

 

 ミディさんも同様だったらしく、首を横に振った。

 

「デルフィ・ソルテアさんがどういう方だったのかもわかりませんか?」

 

「ごめんなさい。私、デルフィには会ったことなくって。なにせ転校初日が最後だったから」

 

「仲の良かった方とかは、いないですよね」

 

 最後の希望とばかりにダメ押しをしてみた。

もう情報を得られないだろうな、と期待はしていなかったけど、意外にもそうではなかった。

 

 人差し指をピンと立てたアニさんは、ポケットからスマホを取り出した。

 

「そういえば、一人の男子が仲良かった。今から電話かけてみる」

 

 アニさんは器用に画面を叩いて電話をかけた。

しばらく待つと、その人物が電話に出る。

 

「アニだけど、あのさ、今いい?」

 

 電話の向こうから話す声は私には届かない。

届いたとしても盗み聞きするつもりもないけど。

 

「デルフィ・ソルテアってさ、どういう人だった?」

 

「……いや、ほら、念のためさ」

 

「……え!? そうなの!? そっか……でも良かったね。ごめんね、力になれなくて。ミディもそう言ってたから」

 

「……それで、話を戻すけど、デルフィはどんな人だった?」

 

「……うん、分かった……」

 

「……うん。ごめん、急に訊いちゃって。じゃあまた」

 

 電話を終えたアニさんはスマホの画面を指で叩いてポケットに戻した。

 

 ミディさんをそのままに、アニさんはまた私の正面に腰かけた。

 

「デルフィと仲良かった男子と話したけど、とっても可愛げがあって、ゲームが好きで、まるで小学生みたいだなって言ってた。褒め言葉としてね」

 

 それだけ聞けて安心した。

私の心に巣くっていたモヤモヤしたものが晴れていくようだ。

 

「ただ一日だけしか会えなかったから詳しいことはよく分からないらしいけど、そう言ってた」

 

「そうですか……可愛げがあって、ゲームが好きで小学生みたい、ですか」

 

 まるでセラードをそのまま高校生にしたような感じだ。

もしかしたら、私よりデルフィさんの方が似ているかもしれない。

 

「それと、なんとかバッファローってマンガの動物が好きだって。なんか長い名前のやつ」

 

「それって、ヘッドスマッシュ&イン・バッファロージャンプのことですか?」

 

 密かに調べて覚えていた甲斐があった。

まさか役立つ瞬間があるとは。

 

 アニさんは弾かれたように指を突き出した。

 

「あ、それそれ。それのアルパカとシマウマのぬいぐるみをゲーセンで取ったって」

 

 具体的にどう繋がりがあって、なぜそこまでセラードとデルフィさんが近い存在なのか、私には掴めない。

だけど自信は確信になった。

セラードとデルフィさんは、無関係じゃない。

 

「ありがとうございました。なんだか、安心しました」

 

「安心? そう。じゃあ私たち、そろそろ帰ります」

 

 アニさんが立ち上がってミディさんの車イスを押しながら歩き出した。

デルフィさんとセラードが繋がった喜びが私にはあったけれど、アニさんたちは大事な家族が帰ってこなくて悲しんでいるんだ。笑顔で送るわけにもいかない。

どんな風に別れれば適切なのか整理できなくて、けっきょく何も言えずに背中を見送った。

 

 これでよかったのかもしれない。

残った私の役目は、作戦が終わるまで待機するだけだ。

 

 もう戦っているのかな。

それともまだ待機している状態なのか、今から出発するのか、私には関係のない話だけど、気にならないわけもない。

 

 そうだ、さっき私をここまで案内してくれたリヨンなら、きっとアルコのところまで連れて行ってくれるはず。

 

 食堂を出て少し歩くと、壁の隅に立って耳に付けた通信機でどこかと通信しているリヨンが見えた。すぐに近づいて要件を伝える。

 

「り、リヨン。私を、潜水艦のところまで連れて行ってください」

 

「え、いきなりそう仰られましても」

 

 リヨンは露骨に嫌な顔で首を横に振った。

きっとアルコにもあらかじめ止められていたんだろう。

セラードをこっちに連れてくるな、と。

 

「お願い、します。どうしても行かなくちゃならないの」

 

「危険です。あっちと通信をしたんですけど、まだ敵が攻めてこなくて待ちぼうけらしいです」

 

「ま、待ちぼうけ?」

 

「詳しくは言えませんけど、うまくいかないそうで」

 

「場所、どこですか?」

 

 アルコから作戦の場所を訊いておくべきだった。

どのみち教えてはくれないだろうけど。

 

「い、言えませんよ」

 

「お願い。どうしても気になるの。それに、私も戦いたいの」

 

「わ、分かりましたよ、訊いてみますよ」

 

 リヨンは背中を向け、耳に付けた通信機で通信を始めた。

相手の声は一切聞こえないけど、あっちへ繋がっているはずだ。

特に期待はしていなかったけど、やがてリヨンが「えっ?」と少し大きめな声で驚いた。

 

「せ、セラード様ですか?」

 

 リヨンがそんなことを言う。

どうして、私の名前が出るのか。リヨンは私に振り返り、

 

「はい、ここにいますけど……えっ!? 僕が連れて行くんですか? でも、さすがに危険なんじゃ……は、はい。急ぎます。大丈夫……です。え? 娯楽室? え、えぇ」

 

 リヨンは通信を切った。

きょとんとする私と同じ目線になるよう姿勢を低くし、苦笑いを浮かべる。

 

「あ、あのー。出動です。使うときが来るかもしれないから、いちおうこっちに連れて来い、とアルコさんが。車であっちまで向かいますけど、いいですよね?」

 

「あ、は、はい!」

 

 詳細は分からないけど、ようやく私にも役目が回って来た。呼ばれたのなら、行くしかない。

どんな仕事でもやってやる。

雑用でもなんでも、やってやる。

 

 セラードの体は傷つけたくはない。

だから心の痛みだけならいくらでも受けるつもりだ。

 

「それと、娯楽室の隣の壁の傷がどうのこうのって言ってましたけど」

 

「娯楽室、の、隣?」

 

 娯楽室の隣……そういえば、ペルセポリスが落とされる前に一度だけ確認した壁に少しだけマッチを押し当てたような焼けた跡があったんだ。

 

 セラードがあんな目にあって、それからすっかり忘れていた。

覚えていたとしても、ペルセポリスが落ちてしまったからもう意味はないはずだ。

 

 でも、アルコがどうしてそのことを、しかも今更言ったのか……?

 

「もしあれを見ていたら、迷ったときに思い出せ、だそうです。とにかく伝えましたよ。じゃあ、行きましょうか」

 

リヨンの運転する車は、心なしかゆっくりだった。

命令されたものの、私を戦いの場へ連れて行くのは躊躇いがあったのかもしれない。

 

「あの、リヨン。大丈夫ですか? 緊張しているようでしたから」

 

 私は助手席からリヨンの横顔に問いかけた。

 

「もちろんです、姫様を乗せて運転なんて、こんな僕みたいな若造のペーペーに」

 

「いえ、そういうことでは……」

 

「しかし、どうしてセラード様が呼ばれるんですか? アルコさん凄く必死そうでしたけど」

 

 分からない。

必要とされれば行動するけど、どうして戦場に必要になるんだろう。

 

「心当りは、ないですけど。でも力になれるのなら力になりたいです」

 

「そういうことなら、分かりました。安全運転が優先ですけど、なるべく急ぎます」

 

 リヨンの表情は真っすぐに整い、深くアクセルのペダルを踏み込んだ。

 

 

 

「到着しました。すみませんが、ここから先は車では厳しいです」

 

 道路から完全に離れた道なき道。

セラードの腰の高さほどのデコボコな岩が無数に突き出し、百メートルほど先までそれが続いている。

車はもちろん、歩いて進むのも難しい地形だ。

 

「私、一人で行きます」

 

 私はリヨンにお礼を言い、車から飛び出して岩を抜ける。

途中で服が岩に引っかかったり破けそうになって肝が冷える。

でもこの程度で立ち止まるわけにはいかない。

 

 左右には切り立った岩壁があり、横から進むのは不可能だった。

ならばデコボコ岩の地帯を歩いて進むしかない。

 

「待っててアルコ。今そっちに行くから」

 

 五分。

十分が経過。

リヨンの姿も見えないほどになり、ようやくデコボコ岩の地帯を抜けた。

そこからは短い草が塗りつぶす地面が五十メートルほど続いていた。

端には何人かの人が見えるし、きっとあそこがゴールだ。

 

 走って、端に到着。

数人の兵士が私を見て、仰け反るほど驚いた。

 

「せ、セラード様!? どうしてここに!?」

 

「アルコに……アルコ・バッサーに呼ばれたの、すぐに来いって。今の状況は?」

 

 目の前には海が広がっていた。

左右の岩壁は私が立つ位置よりもずっと奥まで続いていて、左右にはシルヴァンシャーが待機しているらしい。

 

 潜水艦は低速でシュトゥルーヴェ側に前進を続けているものの、まだシュトゥルーヴェには気づかれていないのか敵は攻めてこないらしい。

作戦では攻めてきた敵を潜水艦の中で倒すことになっているから、相手から来なければ意味がない。

 

 潜水艦――ヴァルトブルクはここから数百メートルほど進んでいる。

シュトゥルーヴェは飛行機でもけっこうな距離だから、数百メートル程度で気づくものなのだろうか。

 

 ヴァルトブルクは肉眼では捉えられないけど、作戦が進まないというのはもどかしい。

 

「ヴァルトブルクはもう少しだけ早く進めないの?」

 

 私がそう急かすと、その場にいた全員が首を横に振った。

 

 

「あの程度でもヤツらが気づくときは気づきます。それに、すぐに戻ってこれるような距離でないとジーフ・メージッヒでの追撃がし辛らくなります。目的は敵が侵入したヴァルトブルクを敵ごと撃墜することです。慎重に動かないと撃墜し損ねます」

 

 そうだった。

私たちがペルセポリスからの脱出に使ったシルヴァンシャーは、正確にはジーフ・メージッヒという名前だった。

 

 兵士たちの中でも年配の――確か名前はボスラ――が冷静に言った。

あくまで急がず、相手の出方を考えながら対策を練るつもりらしい。

 

「なので、今のセラード様にできることはありません。危険ですので戻ってください」

 

「戻ると言われても、私はアルコから呼ばれて来たのですが」

 

「……そういえば、そうでしたな。さっきアルコからそんなことを言われてました」

 

「私は、どうして呼ばれたのでしょう?」

 

「作戦開始前に、アルコからこれを渡すように言われました」

 

 するとボスラはポケットから、ダイヤのような輝きを放つ指輪を取り出した。

 

 それは、アルコが預かっていたはずのゴレスターンだ。

 

「ゴレスターンのことは聞きました。試作中で一部以外には秘密だったとか」

 

 そうだ。

ゴレスターンのことは私やアルコや一部の人しか知らなかったものだ。

依然のボスラたちにとってはただの指輪にしか見えなかっただろう。

 

 ゴレスターンを私によこしたということは、つまりそれで変身して戦え、ということなのかもしれない。

メリダの体ならまだしも、セラードの体で戦うなんて無茶が過ぎる。

 

「とにかく、セラード様に渡しておけと言われたので」

 

 ゴレスターンを受け取った。いつ使うのか分からないけど。

 

 でもアルコはどうするつもりなんだろう? 侵入してきたシュトゥルーヴェの兵士に対してゴレスターンで迎え撃つと言っていた。変身できなくちゃ危険すぎる。

 

 アルコ、今、どういう状況なの?

 

 

 

 我がエフェソス国の誇る戦闘用潜水艦、ヴァルトブルク。

海面から三十メートルは下にいて、底まで五メートルほど空いている。

その中に、俺はいた。念のためにメリダにはプロトタイプのゴレスターンを渡しておいたけど、セラードの体で変身できるのか心配だ。

 

 鋼鉄の床。窓もなく味気ない艦内だが、男臭くて嫌いじゃない。

シルヴァンシャーで沈めやすいように小型のものを選んだけど、四人で乗るにはちょっとばかし狭い。

 

「アルコさん、来ませんねシュトゥルーヴェの連中」

 

 一緒にヴァルトブルクに乗ったハルが心配そうに言った。

ハルは俺より年下の若造だが、腕は信じている。

他には力自慢のサフリと頭脳派のエニーがいる。

 

「あぁ。だが近づきすぎるわけにもいかねぇし。地味だけど待つしかないんだよ」

 

「もしかして僕らを警戒して来ないんですかね。それとも姫様が乗ってないと攻めないとか」

 

 確かにペルセポリスのときの狙いはメリダたちだった。

けどシュトゥルーヴェの連中はメリダたちが死んだと思っているはずだ。

やつら、無駄な戦いは避けるつもりなのか。

 

「サフリ、警戒を怠るなよ。いつ来るか予想は難しい」

 

「わぁってますよアルコさん」

 

「あいつらだって泳ぐか潜水艦かで来るはずだ。だがペルセポリスのときみたいに、こっちにバレることなく攻めてくる可能性もある。不意打ちを前提にしろ」

 

「はいはい」

 

 サフリは巨大なマシンガン二丁をダンベル代わりにして筋トレしている。

心配はないか。

 

「エニー、状況は?」

 

「進展ありませんよ。見えないです」

 

 ヴァルトブルクにはレーダーもついている。

動いているものや生体反応があれば気づけるはずだ。

 

 反応があれば、だが。

 

 レーダーの他にも至るところにカメラがついていて、全方位をチェックすることができる。

もし敵が来るようなら、見えないはずない。

「でも、さっきから妙なんです。敵らしい反応はないんですが、たまに微弱な反応がヴァルトブルクの下から見えるんです。ゴミですよゴミ」

 

「調べたらどうなる?」

 

「どっかの船の残骸かなにか、だと思うんですが、カメラで見ても反応が弱すぎて捉え辛いです。けど大したものじゃないですよ」

 

「そうか。ならいいんだが……」

 

 やっぱり、ハルの言う通り警戒されたのか。あえて遅く移動して気づかれやすいよう動いたが、逆に露骨すぎて怪しまれてしまったかもしれない。

 

 もしそうなら、作戦は失敗と言ってもいい。

残念だが、強硬手段も取らざるを得ない。

 

 でもやっぱり妙だ。

どうしてこんなところに船の残骸があるんだ。

近くで船が沈む事故でもあったのか、シュトゥルーヴェがかく乱するためにまき散らしているのか。

 

「ところでハル、生体反応はないのか」

 

「ないです。微生物とか小さいやつは引っかからないですけど、人なら見つけられます」

 

「ヤツらがレーダーにかからない工夫、なんかあるか?」

 

「ないとは思いません。でもレーダーだけじゃなくてカメラでも見てますから、大丈夫です」

 

「そうか。まぁ注意してくれ」

 

「こっちは大丈夫ですよ。それより、ゴレスターンってやつは大丈夫なんですか?」

 

「あぁ? あぁ、ちゃんと変身できる。さっきも見せただろ」

 

 ゴレスターンは俺とメリダ姉妹と一部しか知らない。

目の前で変身したときはさすがに驚かれた。

けど準備は万全だ。

それも敵が攻めてきてこそ意味を成すわけだが。

 

「ちょっと待ってください。なんか気になるんですよ。船の残骸らしきものについてなんですけど、なんでヴァルトブルクより下にあるのかなって」

 

「おかしいかそれ?」

 

「えぇ。もし壊れた船なら、一つくらいヴァルトブルクとぶつかるのがあってもいいと思うんですけど、全部が下にあります。軽いものならちょっと浮きますよ」

 

「うーん? まぁ確かに妙っちゃあ妙だけど。まさか、残骸にヤツらがへばりついているとか?」

 

「それはないですね」

 

 ハルは間も開けずに否定した。

 

「手の平サイズとかサッカーボールくらいの残骸です。人がいたらレーダーにかかりますし、カメラでもバッチリ見えます」

 

「うーん……他に見えるものは?」

 

「あとは、十メートル先の海の上に小さい無人島がありますよ。無人島って言っても、人が十人も立てば沈みそうなくらいしょぼい島ですけど」

 

「島か……」

 

 ヴァルトブルクの下に流れる船らしき鉄クズ。

十メートル先にある無人島。

分かりやすいほどダラダラと動いているのに攻めてこない敵。

 なんか、胸騒ぎがする。

 

 人が小さな鉄クズに隠れるのは無理だ。

地面に埋まって隠れてたとしても、カメラで見て不自然な膨らみとかに違和感があるはずだ。

 

 いや、待てよ。鉄クズに人が隠れるのは無理……?

 

 じゃあ、もし人じゃないのが隠れてたら……?

 

「ハル、止まれ、ヴァルトブルクを止めろ!」

 

 ――直後、ヴァルトブルクの下を流れていた鉄クズたちが、爆弾のように熱と衝撃をまき散らしながら四散した。

いや、爆弾のようにじゃない。

鉄クズの下に爆弾がついていたんだ。

 

 ヴァルトブルクは不規則に揺れた。

咄嗟に掴まる場所を見つけられなくてバランスを崩しつつも、なんとか体勢だけは維持する。

 

 盲点だった。

人が隠れているとか、レーダーとか、もっと“なぜ”を見るべきだったんだ。

あの鉄がなぜ存在するのか考えれば、不自然に気付けたはずなのに!

 

「アルコさん! ヤバいですよ!」

 

「分かってる! これはヤツらの攻撃だ。レーダーは生きてるか!?」

 

「大丈夫です! けど、反応はないです!」

 

 おかしい。

あれだけ爆弾が設置されていて爆発したんだ。

もう揺れは治まったし手の平サイズの小さな爆弾くらいで沈むヴァルトブルクじゃないけど、これで終わりなわけもあるまい。

 

 きっとヤツらは、三十メートル上の海面にある島にいるはずだ。

この程度で混乱すると思ったら大間違いだシュトゥルーヴェ。

その隙をついて少数精鋭で攻めてくることは目に見えてる。

 

「ハル、上を見ろ。敵が見えるはずだ」

 

「え……?」

 

 そう言ってハルはカメラで海面を見た。

やっぱりそうだ。

四つの生体反応が見えた。

これがシュトゥルーヴェじゃなくて誰だと言うのか。

「おいサフリ! エニー! 敵が来るぞ!」

 

 やはり、ペルセポリスと同じように直接こっちに乗り込んで攻めてくるつもりだ。

どういうポリシーでそんな手を使うのかは知らねぇけど、メリダの仇を討てるのならどうでもいい!

 

「アルコさん! そろそろ来ますよ! 変身を!」

 

「分かってる!」

 

 今こそ、ゴレスターンを使うときだ。変身コードは――。

「ミラージュコーティング!」

 

 変身完了。戦闘態勢は整った。

 

 さぁ来い。俺が叩きつぶしてやる。ここがお前らの棺桶だ。

 

 直後俺の変身を待ってくれていたわけではないだろうけど、ヴァルトブルク内部の背後で爆発が起きた。

パンクロックのライブが始まったみたいな衝撃と音で大きく揺れる。

 

 ヴァルトブルクの広さはテニスコートの半分くらいだ。

前半分が操縦席もろもろ。後ろ半分は何もない適当なスペース。

 

 問題は、具体的にどこから来たか、だ。

後ろというのは確かだが、上か下か横か……。

ヴァルトブルクにダイレクトに穴を作って侵入するとなれば、当然そこからは大量の海水がなだれこんでくる。

相手は海水で沈む前に俺らを始末するだろう。

だが、こちらにはゴレスターンがある。普通の拳銃程度では通じない。

 

 敵をこの場で食い止めながら浮上し、陸に待機させてあるシルヴァンシャーに撃墜させる。そして、攻撃が届く前に俺らだけで脱出する。

これで、いける。

 

 ハル以外の全員が戦闘態勢を整えたとき、ヴァルトブルク後方の天井から、マンホールほどの太い海水が侵入した。

 

「ハル! 海面に上げろ!」

 

「はい!」

 

 飛び出した海水を見て、ヴァルトブルク浮上の指示を出す。

できることなら、このまま敵を全滅させてやる。

なおも侵入を続ける海水に紛れて四つの人影が見えた。

敵だ――。

 

「うっ!?」

 

 横にいたサフリが急に苦しみだした。肩から血を流し、膝をつく。

 

 何が、起きた――。

 

「う、撃たれた……」

 

「サフリ!」

 

 まさか、侵入直後に狙いを定めてサフリの肩を撃ったっていうのか。

海水に紛れながら……?

 

「エニー! ハル! ふせろ!」

 

 俺は二人に命令を出し、肩からマシンガンを抜いて特攻した。

いくら腕があっても、変身していればどこを撃たれても効かないはずだ。

今の俺に怖いものはない。

 

「こいつをくれてやる!」

 

 ダダダダダダダダダダダダダダ!

 

 双肩のマシンガンを前方に向け、エニーを撃ちやがった影に弾丸を連射する。

 

 いきなりエニーが負傷したことは想定外だ。

こうなれば、俺だけで耐えるべきか。

 

 海水はすでに足首まで上がり、ヴァルトブルクが沈むのも時間の問題だった。

 

「エニー! 海面に浮上したらサフリを連れて先に脱出しろ!」

 

「そんな! まだ俺ら、何もしてませんよ!」

 

「うるせー! 死ぬことは勇気じゃねぇんだよ! いいから黙って生き残れ!」

 

 俺が腹から出した全力の命令を受けて、エニーは負傷したサフリを連れて俺の後ろに隠れた。

これでいい。

死人が出ることが、俺にとって一番の不幸だ。

 

 しかし、効いているのか効いていないのか、相手に変化はない。

ここまで大量に撃ち込めば、一人くらいなら倒せるはずだが。

 

 すでに浸水は膝まで到達。

ヴァルトブルクは浮上を続けるが、まずは敵を足止めできなければシルヴァンシャーから攻撃もできない。

 

 敵がいる場所から、小さな何かが投げつけられた。

 

 ――いやこれは、爆弾だ。

 

 水の中に入れば食い止めるのは無理だ。

まだ落ちていないこの状況で撃ち落とすしかない。

 

「オラァ!」

 

 爆弾に向けて数発。

やがて爆風と熱をまき散らしながら、眩い光を迸らせた。

 

「くっ! 目くらまし!」

 

 ゴレスターンといえど、いきなり強力な光を見れば多少は怯む。

 

 その隙に、奥から一人が走ってきた。

手には、ナイフ――。

 

「おりゃあ!」

 

 乱暴にナイフが振り下ろされた。

だがただの人間の力ではゴレスターンには勝てない。

右の肩にマシンガンを戻し、そいつの腕を掴む。

 

「お前! ナイフなんかで攻めてきやがって!」

 

「へへへへへ。俺はビブロス。この前、飛行機で美人な姫さんを見たぜ。どこだ? どこにいる? うん? 可愛い可愛い姫様はどこだぁ?」

 

 なんだこいつは。

 

 ヘルメットに全身スーツで顔は見えないが、声からして俺と同じくらいの歳か。

 

 ペルセポリスを落としたときにメリダの顔を見たのか、妙にこだわっている。

こんな気持ち悪いやつに会わせるつもりもないが。

 

「お前なんかに会わせてたまるかよ!」

 

「会わせてたまるかよ……? ほう、じゃあ、どこかで生きてるんだな?」

 

「あ!? お前らが殺したんだろうが!」

 

「ええぇぇへへへ。そうだったなぁ。まぁお前らもやっつけてやるけどなぁあああ」

 

 その時、このビブロスとかいうやつの後ろから細身で長身の男が現れた。

そいつの言葉を聞かずとも、言いたいことは分かった。

長い刀が俺に向けられているからだ。

 

「ははは! やっちまえバールベック!」

 

 ビブロス曰くバールベックというそいつは無言で牙を剥いた。

同じくヘルメットで顔は見せてないが、冷血な雰囲気は感じ取ることができる。

 

 咄嗟に左のマシンガンを向けて撃つ。

だがマンガのように刀で弾をはじき返した。

 

 あの刀は普通の刀じゃない。

刃が青く光っている、レーザーブレードのようだ。

おそらくゴレスターンでも耐えられないような一撃を繰り出せるはずだ。

 

 マシンガンでは太刀打ちできない。

だが相手は前進をやめない。

どうすりゃ、どうすりゃ、いいんだ――。

 

「アルコさん!」

 

 俺の背後で隠れていたサフリが、ナイフを手に飛び出した。

相手は刀。

サフリは肩を負傷しナイフ一本。

無謀だ。

無謀すぎる。

 

 だが俺に止めるチャンスなんてなかった。

 

「食らえぇぇぇ!」

 

 突進したサフリのナイフが、バールベックのわき腹をかすめる。

 

 咄嗟に回避して直撃を免れたバールベックは、一歩後退して刀を振り下ろした。

 

 青いレーザーブレードはサフリの肉体を斜めに切り裂いた。

やめろ。

やめろ。

と心で叫びながら、俺はただその瞬間をじっと見ていることしかできなかった。

 

 無慈悲にも繰り出された一撃により、サフリはそれ以上活動する力を失った。

レーザーの熱で血が噴き出さないようにしているのか、幸いにもサフリの出血を見ることはなかったが、あんな鉄でも斬れそうな刀を食らえば、ひとたまりもない。

 

 相打ちだったが、サフリは膝まで溜まった水の中に倒れる。

バールベックは装備のせいでほとんどダメージはなかった。

 

「サフリ!」

 

 ビブロスを殴り倒し、再びマシンガンを手にビブロスとバールベックに向けて撃った。

 

「ごのやろぉぉぉぉぉぉ!」

 

 殴って怯ませたビブロスの全身に弾丸を浴びせた。

 

 ――当然、通じない。

最初に撃ったときから察してはいたが、全身が防弾装備だらけなんだろう。

ハチの巣のハの字もない。

だがこっちはゴレスターンだ。

そんじょそこらの武器とはわけが違う。

攻撃さえ当て続ければ、いつか防御は崩れるだろう。

 

 相手はたかだか防弾装備だ。どこかには、脆い部分があるはずだ。

 

 関節――昆虫は、背中や頭は固く作られている種類が多い。

だが関節は違う。普通に活動しているだけでも足が外れたりする。

 

 狙いは、そこだ――っ!

 

 肘にはプロテクターがある。

 

だがヤツらの肘の内側には、プロテクターは装着できない構造になっている。

 

関節を曲げるためにはどうしても邪魔になるからだ。

 

「うがぁぁああ!」

 

 命中――ビブロスの肘から一筋の血が垂れる。

予想通り、弱点はあった。

 

 それだけで観念したのか、ビブロスは肘を押さえたままヴァルトブルクの後方へ戻った。

 

「逃がすか!」

 

 なおも刀で弾丸を弾き続けるバールベックからも狙いを外さず、反対の手でビブロスの膝裏を狙い撃つ。

 

「うおおおおお!」

 

 ヒット。

無様に水の中へうつ伏せに倒れる。

ほぼ戦闘不能状態だが、問題はバールベックだ。

 

 関節に照準を定められても、刀で防がれてはダメージは、ない。

 

「死ね、姫の犬め」

 

 バールベックは倒れたサフリを踏みつけて一歩前進。

 

 俺の後ろにはエニーもハルもいる。

こいつらにだけは、手を出させるわけにはいかない。

 

「うるせぇ!」

 

 冷酷な表情をしているであろうバールベックへの射撃を継続する。

だがニンジャのような巧みな刀裁きで全て弾かれ、俺の体にバールベックの蹴りが繰り出される。

 

「うぐっ!」

 

 鋼鉄の扉すらも破れる力を持つゴレスターンなら大した衝撃でもないが、バールベックの力も相当なものだ。

 

 一歩後退し、目の前の敵に銃口を向ける。

いつどこに放ってもあの刀の前では弾丸も豆と変わらないだろう。

 

 浸水は膝より上までやってきた。

計算外だった。

ゴレスターンならすぐに敵を食い止められると踏んだのは、ゴレスターンの力を過信したせいだ。

 

「アルコさん! あと三十秒で海面です!」

 

「分かった! こっちは食い止める!」

 

 とは言ったものの……どうすりゃいい。

 

 こんなニンジャみたいなヤツを相手に、どうすりゃいい。

弾丸が通じない刀なんて――だがこっちは腐ってもゴレスターンだ。

離れて攻められないなら、接近して攻めるのみだ!

 

「かかって来いよこのニンジャ野郎!」

 

 肩にマシンガンを戻し、バールベックに突進した。

刀だろうが手裏剣だろうがどうでもいい。

やるしかねぇなら、やるしかねぇ! パワーならば勝てる。

こいつを力で押さえつけて、その隙にみんなを逃がす。

 

「貴様! 何をする!」

 

 バールベックの肩を握り潰すように掴むと、刀が俺のわき腹に叩き込まれた。

相当な熱エネルギー。

こっちがゴレスターンなら、そっちはその刀が秘密兵器ってことか。

 

「おいハル! エニー! サフリを連れて外に出ろ!」

 

 俺はふり返って叫ぶ。

脱出は上のハッチからだ。

二人もいればサフリを連れてハシゴを上って脱出もできるだろう。

 

「でもアルコさん! あなた一人じゃ!」

 

「うるせぇぞハル! さっさと行け!」

 

 こっちはシルヴァンシャーへ連絡もしなければならない。

あとはバールベックを道連れにしてシルヴァンシャーの攻撃でヴァルトブルクごと撃墜するだけだ。

 

 俺の叫びが通じたのか、それとも説得を諦めたのか、二人は水の中で倒れるサフリを背中におぶってハシゴを上り始めた。

 

「ほう、仲間を先に逃がしたか。美しいことだ」

 

「褒めてくれんのか、そりゃどうも」

 

「貴様のそのスーツ。どういう装備かは知らんが、この刀に耐えるとは、中々面白い」

 

「へっ、今のうちに喜んどけ。俺が、あの世に招待してやるぜ……!」

 

 刀を体に受けたまま、バールベックの首を掴んでねじ伏せる。

深く浸水した床に倒したところで、こいつらは潜水プラス防弾の装備をしている。窒息させる戦法は通じない。

 

 バールベックは刀を押し付けつつ、反対の手で俺の顔面に拳を叩き込んでくる。

 

 窒息しないとはいえ、がむしゃらな手段に出た俺に対し、こいつ焦っている。

 

「貴様ぁぁぁぁ! ちっぽけなエフェソスの犬が、首輪をつけたまま粋がるな!」

 

「黙れよ! お前は……! お前らは、セラードをっ!」

 

 まだ十歳のセラードを――多数の仲間を……こいつらは、許せない。

 

 もういい。

シルヴァンシャーに連絡して、こいつと一緒に海の藻屑になってやる!

 

「ボスラ! 聞こえるか!」

 

 メリダと一緒にいるであろうボスラに、ゴレスターンの通信機能で繋いだ。

 

「ヴァルトブルクは海面に見えるな!? ジーフ・メージッヒで撃て!」

 

『な、なんだと!? お前はどうした!』

 

「俺はいい! 早く撃て!」

 

 ビブロスは戦闘不能

こいつを押さえれば、いける!

 

「ははははは! 貴様、俺さえ封じれば勝ちだと思ったか? お前らの船を落として姫を殺した精鋭は俺らだけじゃない! アンジャルとティールっていう二人もいるんだよ!」

 

 確かに、ここに来た時に見えた影は二人だけではなかった。

残りの二人も警戒しつつこいつらとやりあっていたが――。

 

「俺が死んでも問題ない。一番の武器はアンジャルとティールだからな。もうこっちに用はない。さぁ、俺と遊んでていいのか? あっちの崖にいる連中は、死ぬことになるがな」

 

「なんだと」

 

「俺らが気づかないとでも思ったか? この潜水艦ごと俺らを撃墜するなんてお見通しだ」

 

 崖にはメリダたちがいる。

そのアンジャルとティールって連中にやらせるわけには――。

 

 ここをシルヴァンシャーで撃墜できても、メリダたちがやられたら敗北と同じだ。

 

「今頃はアンジャルとティールが小型の戦闘機で接近中だ。楽しみだなぁ……?」

 

「やれるもんならやってみろよ」

 

 メリダなら、ゴレスターンでなんとかしてくれるはずだ。

 

 ごめん。

俺はセラードの体が心配だけど、やっぱりお前の気持ちも汲み取ってやりたかった。

 

 

 

 数百メートル先、浮上した潜水艦ヴァルトブルクが見えた。

借りた双眼鏡でもハッキリ見えない距離だ。

 

 今、アルコはどうなっているんだろう。

 

ジーフ・メージッヒ、撃て」

 

 隣にいたボスラが、シルヴァンシャーのパイロットにそう命令した。

 

 ヴァルトブルクを撃墜するということ、つまりアルコも消えるということだ。

 

「待って! まだあの中にはアルコが!」

 

「ですが、メリダ様を殺めた連中を倒せるチャンスなのです。姉の仇を討てるんですよ」

 

「で、でも。アルコがまだあそこにっ!」

 

「セラード様。話なら後で聞きます。すみません」

 

 命令を受けたシルヴァンシャーが起動し、ボディの左右に付けられたバルカン砲にもエネルギーが廻った。

ヘリコプターすらも落とせる高威力のバルカンだから、もちろん潜水艦だって海面に出ていれば撃墜できるはず。

 

「やめっ! ――」

 

 私はもう一度だけボスラに叫んだ。

だけど、その声はすぐにシルヴァンシャーの一撃によって虚しくかき消された。

 

 

 

 無骨な弾丸が射出され、真っすぐヴァルトブルクに突き進む。

二十秒も経過しなかった。

ビリヤードのボールが鮮やかにポケットに放り込まれるように、すぅっと滑り込んでいった。

 

 私の心配をあざ笑うように、海面は大きな爆発を起こして波を作った。

ドーム状の爆発が、爆風と轟音をまき散らしながら空気を揺らした。

 

 双眼鏡で確認していたけど、アルコ以外のメンバーは脱出していた。

ということは、あの中にアルコは残されている、ということだろう。

 

「あ、アルコ……」

 

 ゴレスターンがあっても生存は絶望的だろう。

 

 どう受け止めればいいのか理解できない私の耳に、妙なエンジン音が飛び込む。

 

 シルヴァンシャーでもヴァルトブルクでも車でもない。

前方の上空から大きな音が聞こえる。

 

 はっとして見上げた。

 

 見たこともない小型の飛行機がこちらに直進していた。

銀一色の小型戦闘機だ。

速度こそ大したことがないものの、ヴァルトブルクのあったところから確実にこちらへ直進している。

 

 あれは、どこから来たのだろう。

 

 ヴァルトブルクの近くに小さな島があるけど、まさかあそこに隠されていたのだろうか。

 

 左右の翼の下には黒光りする大きな筒が取り付けられている。

おそらく、あれは武器だ。

大砲か、バルカンか、どちらにせよあれで私たちを撃つつもりなのは理解できた。

 

ジーフ・メージッヒ、あれを撃墜しろ!」

 

 ボスラがシルヴァンシャーのパイロットに命令を下す――だが、

 

「なに!? 動きが早くて狙えない? 弾もないだと!?」

 

 おそらく整備班の手抜きだろう。

弾は一発じゃ足りないくらい私にも分かる。

 

 ボスラは耳に付けられていた通信機を地面に叩きつけた。

その間にも戦闘機は接近を続ける。

 

 このままでは、全員が死ぬ。私がゴレスターンでやるしかない。

 

 でも、セラードの体で変身できるの? ゴレスターンは、まだ未完成と言ってもいい。

それにセラードの小さな体で、変身に耐えられるのか未知数だ。

 

 ――そうだ。

 

 アルコがリヨンに伝言していたことを思い出した。

 

 娯楽室の隣の部屋にある傷を思い出せって。

 

 きっとペルセポリスが落ちる前に見たあの壁の焼けた跡は、アルコがゴレスターンで変身したときに迸った電撃のせいだったんだ。

アルコは私が安全に変身できるように密かにゴレスターンの調整をしていたのかもしれない。

どうりでペルセポリスでスムーズに変身できたわけだ。

 でも、細かいことなんて後でいい。

 

「セラード……ちょっと体を借りるね」

 

 ゴレスターンを左の人差し指につける。

 

 母さんが私のことをどんな風に言ったっていい。

私が姫だろうとそうでなかろうと、関係ない。

私は私だ。

今は、私にできることをやるだけだ。

やるしかないなら、やるしかない!

 

「ミラージュコーティング!」

 

 指輪をつけた左腕を前方に突き出した。

 

 小さな体から、無限に溢れるパワーが背中を押す。

 

 アルコ、あなたは言葉が足りてない。

 

 私の手は壊すためじゃなくて作るためにあるって言ってた。

それって、何かを作るために壊すなら、いいってことだよね。

 

「せ、セラード様、大丈夫なのですか変身しても!?」

 

「私があの戦闘機を撃墜します」

 

 変身さえ成功すればセラードでも人間を凌駕する力を出せる。

 

 両肩にあるマシンガンを静かに引き抜き、左右の銃口を接近する戦闘機に向けた。

 

「セラード様! 来ます!」

 

 戦闘機に二つ装備された筒が赤く光り始めた。

警告されなくとも、撃ち落とすつもりだ。

 

「させないっ!」

 

 筒から細いミサイルが射出された。

煙をしっぽにして高速で迫る。

ダイレクトにぶつかればゴレスターンでも一たまりもないだろう。

崖の上にいるとはいえ、着弾点によっては一撃で敗北する。

でも、そうはいかない。

 

「はぁ!」

 

 ダダダダダダダダダダダダダダ!

 

 迫りくる左右のミサイルに、同じく左右のマシンガンを放つ、放つ、放つ!

 

 距離があって弾丸はバラつく。

それでもヒット率はゼロじゃない。

相手だって所詮は爆弾だ。

衝撃さえ与えれば空中で四散するはず。

 

「当たれぇ!」

 

 ミサイル同士で意思の疎通でもしているのか、右の一本が先行した。

でも惑わされるな。

攻撃を続けるのみだ。

 

 右の一本に集中的に弾丸を浴びせる。

空中で爆破させても、距離と爆風次第では被害は出るし、熱にやられて火傷するだろう。

 

「セラード様!」

 

「ボスラ! みんなを連れて逃げて!」

 

「ですが!」

 

「ゴレスターンを信用しなさい!」

 

 それでもボスラは動かない。

私だって、逃げるわけには!

 

「はあぁぁぁぁぁぁぁあ! 壊れろぉぉぉぉぉぉぉぉお!」

 

 ミサイルとの距離が詰まって命中精度も上がる。

バラついていた弾丸は纏まって命中し、そして――爆散。

 

 凄まじい爆風が襲う。

ミサイルの破片が風に乗って飛び散り崖に鋭利な傷を作る。

だが早めに破壊できたおかげか大した被害ではない。

変身していない他のメンバーも負傷していない。

 

 まだだ。

まだ油断はできない。

破壊したミサイルはまだ一つ。

もう一つ、落とす!

 

 目と鼻の先。

ほとんど弾丸を浴びていないまだ五体満足なミサイル。

こいつを破壊しなくては、私が、ここで倒さねば――!

 

 落ちろ落ちろ落ちろ落ちろ落ちろ落ちろ落ちろ落ちろ落ちろ落ちろ落ちろ落ちろ落ちろ落ちろ落ちろ落ちろ落ちろ落ちろ落ちろ落ちろ落ちろ落ちろ落ちろ落ちろ落ちろ落ちろ落ちろ!

 

 絶え間なく弾丸を放ち続ける。

銃口が溶解しそうなほど熱を帯びてもなお止めることはない。

目的を、完全に破壊するまでっ!

 

 でも、間に合わない。

命中する弾丸だけでは破壊しきれず、傷だらけのミサイルは手の届く範囲にまで迫った。

これに目があったら、どんな目をしているだろう。

 

 あっ。

ぶつかる。

 

「セラード様!」

 

 ボスラが私に向かって飛び込み、地面に伏せた。

直後に真上をミサイルが通り過ぎ、戦闘機が通過したかのような高音と風が体をかすめる。

 

 数メートル背後、不規則にカーブして大岩に着弾したミサイルは、鋼鉄すらも粉砕するほどの威力で爆発。

岩を小石に変え私たちの前に飛び散る。

ゴレスターンがなければ耐えられなかっただろう熱と爆風が襲い来る。

 

 上に被さって私を守るボスラの背中を熱風が襲撃する。

ゴレスターンがある今ならボスラを守ることもできたけど、私は、何も言えず動けなかった。

 

「ボスラ! 私なら大丈夫だから!」

 

「セラード様……!」

 

 爆風が止み、ボスラへの衝撃はなくなった。

やや息が荒いボスラを横に寝かせて周囲の様子を窺う。

他の兵士たちは熱風が届かない範囲まで退避していたから大ダメージは免れたけど、それでも無傷とはいかず頭から血を流している者もいた。

 

「ボスラ、大丈夫?」

 

「大丈夫です。背中を負傷しただけです。それより、まだ敵の攻撃は終わりじゃありません」

 

 慌てて敵機へ視線を変える。

まだミサイルは確認できない。

準備段階なのかもしれないけど、次も一人で防ぎきれる自信はない。

 

 これがラストチャンス。

落とせなければ、みんな死ぬ。

 

 双肩のマシンガンを前方に構えた。

今度は二つを前後に重ねる。

一つずつの射撃ならバラつきのあるマシンガンしか撃てないけど、合体させれば強力な一撃を放てる。

ただ、連射が効かないから、命中範囲が狭いミサイル相手には使えなかった。

けど飛行機相手なら、問題はない。

 

 狙いは一つ。

外せば敗北。

当たれば勝利――が確定するわけではないけど――やるしかない。

 

 敵機の翼にある筒が赤い光を放つ。

同時に、飛行機もこちらとの距離を詰めている。

この距離で三発目のミサイルが来ればまず撃ち落とせない。

 

 あと一秒か、二秒か、三秒か、早い方が、生き残る!

 

「砕けぇぇぇぇぇぇぇっ!」

 

 両手の引き金を引き絞り、連結したマシンガンから細く長い弾丸が撃ち出された。

 

 衝撃――直後に体が跳ねあがり、バランスを崩して一歩下がる。

 

 すぐに敵機がミサイルを放つ。

敵機を撃墜して爆風でミサイルを破壊できればいい、それでいい、そうでなければ勝てない。

 

 でも私のほうが早かった。

凄まじい衝撃で放たれた弾丸は、正面から敵機に命中。

鉄を引き裂く音を響かせながら中心に細い穴を穿ち、貫通。

 

「やった……」

 

 電撃を迸らせ、ボディをひしゃげさせ、そしてミサイルともども粉々に爆発して消し飛んだ。

 

「うっ!」

 

 目の前に台風が現れたかのような、戦闘機の爆風。

兵士の一人は転がり、一人は倒れ、私自身も吹き飛ばされそうだった。

 

 敵機撃破によって煙と爆風が乱れている。

なかなか晴れることのなさそうな煙の塊、そこから、一本のミサイルが現れた。

ごく自然に、さっきと同じようにこちらに向かってきている。

 

「え?」

 

 撃破したときの爆風に巻き込まれて二本のミサイルも破壊したと思い込んでいた。

でも、破壊に成功したのは一本だけで、運よく一本だけ生き残っていたんだ。

 

 ミサイルは真っすぐではなく、酔っぱらったように不規則な動きをしている。

連射で撃ち落とすのは望みが薄い。

なら、少しでも下がるしかない。

 

 膝をバネにし、大きく後ろへ後退。

相手は不規則ながらも意思を持ったように私たちを狙っている。

やっぱり、後ろへ避けつつ撃ち落とすしかない。

 

 双肩のマシンガンを再び前後に連結。

 

「撃つ!」

 

 高威力の弾丸は、やはり反動が大きく、それだけで肩が外れそうなほど痛くなる。

でもそんな弱音を吐いていられない。

銃口からミサイルまで届いてくれないと――。

 

 だが。

 

「外したっ!?」

 

 変身していなければ体が吹き飛びそうなほど反動の大きい弾丸は、ブレもなく真っすぐ突き進んだものの、がむしゃらに乱れるミサイルには命中せず空の彼方へ消えた。

 

 手前の崖でミサイルが爆散。

鋭利な石の破片を飛び散らせ、何度目になるか分からない爆風が襲った。

頭にもいくつかの石がぶつかり、変身していても衝撃で脳が揺さぶられる。

後退していた兵士たちに被害はなかったものの、私の体は大きく後ろへ飛ばされた。

爆風に乗った煙のせいで視界はほぼゼロ。

耳が爆音で支配され、周囲の状況を把握できない。

 

 体が千切れるように痛い。

まだ完成していないゴレスターンをセラードの体で使うのはやはり厳しかった。

けど、そのおかげでなんとか耐えられた。

 

 肉体的に限界を迎え、ゴレスターンによる変身が解除される。

 

 瞬間、砂漠に放りこまれたように渇いた熱が全身を駆け巡る。

野外なのに、邪悪な煙はすぐには晴れず、しつこく周囲を埋め尽くした。

 

 呼吸が、できない。

 

 変身も、できない。

 

 地面も空も焼けるように熱い。

熱い。

熱い。

死ぬのはいい。

イヤだけど、死ぬだけならいい。

けど、セラードだけは、セラードにだけは大きな傷は作りたくない。

わがままだ、私。

戦いたいのに、戦いたくない。

守りたいのに、戦いたい。

肺が熱い。

体が熱い。

戦えたのは嬉しい、けど、私には早かったかもしれない。

 

 とつぜん消されたテレビのように、視界はぷっつりと暗くなった。

これが死なのか……。

 

 

 

 気づいたら、そこはベッドの上だった。

よくあるシチュエーションかもしれないけど、白いベッドで仰向けになり、真っ白な天井を眺めていた。

 

「気づいたか?」

 

 全身に激痛が走っている。

なんとか顔だけを横に向けると、足を組んで座るアルコがいた。

他には誰もいない。

あるのは白い棚に白いカーテン。キャンバスにできそうなほど白一色だ。

 

「私は大丈夫」

 

 辛うじて、だけど。

 

 でもちょっと待って。

 

「アルコっ!?」

 

 激痛も忘れて上半身を起こした。

すぐに痛みが倍増して上半身を駆け巡ってまた寝る。

 

「あ、アルコ、どうして? ヴァルトブルクは、その……沈んだんじゃ……」

 

「おいおい、俺があんな程度で死ぬかよ。って言っても敵を押さえながらの脱出はギリギリだったけどな。都合が良い展開って思ってるだろ。でも大人の男ってのはそんなもんさ。簡単に死ぬようなアルコ・バッサーじゃねぇってことよ。それとも死んでたほうが感動的だったか?」

 

「え、いや、そんなことは」

 

「はは、また今度な」

 

 いたずらっぽく笑って、アルコは白い棚に置いてあるチョコレートを一つ手に取った。

 

 口を開けると小さな四角いチョコレートが放り込まれた。

幸い、顎を動かす力だけはあった。

 

「お前、丸一日は眠ってたんだぞ。ゴレスターンの変身がかなりのダメージだった。でも体に目立った傷はなかったらしいから安心しろ」

 

 やっぱり、ゴレスターンの影響は大きかった。

けどダメージはゴレスターンだけじゃない。

ミサイルの影響も大きい。

 

「アルコ、どうして私にゴレスターンを?」

 

「どうしてって、お前が戦いたいって言ってたからだろうが」

 

「そ、そんな理由で?」

 

「俺だってセラードは傷つけたくなかった。だけど、姉であるお前に決断してほしかった。セラードと一緒に戦うかどうか。イヤだったら他の人に託せばよかっただろ」

 

 それもそうだ。

ゴレスターンは私やアルコ限定じゃない。

負担は大きいけど、誰でも使える。

 

「でも結果的にみんなを守ることができた。それで、よかったのかな」

 

「良かったかどうかは、セラードと相談してお前が考えろ」

 

 もしセラードがここにいたらどう思うだろう。

嬉しい、のかな。

 

「それと、一つ朗報がある」

 

「ろ、朗報? どんな?」

 

ペルセポリスが見つかったぞ。全員が無事、とはいかなかったけど、何人かは生きている」

 

「ほ、本当っ!?」

 

 また上半身を起こす――激痛が襲い、ゴム紐で引っ張られたように逆戻りした。

 

ペルセポリスが沈んだ後もそれっぽい反応は見つけることができたが、それでもすぐには発見できなかった。まぁ結果オーライだろ。時間はかかったがな」

 

「ど、どこに落ちていたの?」

 

「エフェソスとシュトゥルーヴェの間にある海の上。ペルセポリスだってただの鉄の箱じゃねぇからな。食料もそれなりにあった。まぁ、死人は出ちまったが……」

 

「だ、誰が生き残ったの?」

 

 誰が死んだのか、よりも。誰が生き残ったのか、を聞きたかった。

 

「ルートとラウマと艦長も含めて数十名ってとこだ。俺も具体的には把握していないけどな」

 

「艦長に、ルートとラウマが……?」

 

 帰りを待っていたアニさんとミディさんにも安心して報告できる。

心に巣くっていたモヤモヤが晴れていくのを感じる。

 

「でもメリダ、これで終わりじゃねぇ。確かにお前たち姉妹を抹殺しようとする連中は倒したが、国同士は仲良しってわけにもいかなくなったんだ。戦争に発展しないだけマシだが」

 

 完全に平和、とはいかない。

ペルセポリスが見つかった件だって喜ばしいことだけど、死者が出ている以上は万歳三唱というわけにもいかない。

家族友人を失って涙を流し続ける人も世の中にはいるんだ。

姫として、悲しむことも大事な仕事だ。

 

「まっ! とにかく今は休めよ。あ、そうだ、目が覚めたから医者を呼ばないとな。安静にしてれば二日でなんとかなるってよ。心配すんな、本くらいなら読めるだろ」

 

 本といえば、あれしかない。

セラードが読んでいた、あのマンガしか。

 

「アルコ、ヘッドスマッシュ&イン・バッファロージャンプをお願い」

 

「あれな、分かったよ」

 

 アルコはグっと親指を立て、部屋を出て行った。

 

 あと二日もこの姿勢で寝てないといけないんだ。

運動不足で鈍ってしまいそうだけど、セラードの好きだったマンガを読むいい機会だし、色々なことを考えるチャンスかもしれない。

 

 

 

「おいアトス、おい」

 

「えっ?」

 

 教室。

顔を上げるとトレドが俺の肩を叩いた。

唐突の衝撃がぼうっとした頭を揺さぶる。

 

 アルベロを捕まえてから一週間。

あれから、姫のメリダ・エーランドが死亡したというニュースが流れた。

テレビは連日メリダ・エーランドのことばかりで、見たい番組もドラマも全て放送休止という事態で、レンタル屋が儲かった。

台風の日の桶屋なのか、姫の死で儲かるところがあるなんて、連鎖の激しい世の中だな。

 

 姫といえば、例のペルセポリスが発見されたらしく、アニの父親とミディの兄も見つかったそうだ。

そのおかげか、ミディの病気も良くなってきたらしく、不愛想だったアニは少しだけ表情が豊かになった。

メンタルって、大事なんだなとしみじみ思う。

 

 でも俺は、やっぱりデルフィに帰ってきてほしかった。

死人はどうにもならないけど、一週間が経過した今も俺の心はなかなか晴れることはない。

 

「なぁ、トレド、マンガ買いにいかね」

 

 ヘッドスマッシュ&イン・バッファロージャンプ。

デルフィが好きなキャラが出るマンガだ。

 

「分かったよ。行ってやるよ」

 

 こうして、俺のちょっとだけ非日常だった日々は終わった。

 

 これからは、普通の高校生に戻る。

でもそれでいい。

俺には危険や死なんて似合わないから。

 

 

 

「セラード、私、頑張ったよ」

 

 あれから一週間。痛みはすっかり治まり、調子を取り戻した。

 

 体が動くようになってからは、作りかけだった、DELPHIと刻まれたブローチを完成させた。

それを胸に付けて墓の前にまで来た。

 

 無数の人間たちが静かに眠る墓地の、一番手前のど真ん中。

綺麗に磨かれた墓の下に、ペルセポリスで見つけた私――メリダ・エーランドの体が眠っている。

私の体を私自身が見るのはやっぱり不思議な気分だったけど、私が弔うのはセラードだ。

 

 私とアルコしか知らない、セラードの死。

私が弔ってやらなくて、誰が弔うのか。

 

 このセラードの体は、私がずっと抱えて生きていく。

私がなれなかった十八――いや、二十歳にまでなって、大人になったセラードの姿を見てみたい。

 

 小さな赤い花を墓の前に添え、私は私に別れを告げた。

そして、セラードと共に歩んでいくと決めた。

 

 ――俺は、一生忘れることはない。

 

 ――私は、一生忘れることはない。

 

 ――このクラスに一日もいられなかったデルフィ・ソルテアという転校生のことを。

 

 ――この世界で十一歳にもなれなかったセラード・エーランドという妹のことを。

 

 ――俺は、見守り続ける。

 

 ――私は、見守り続ける。

 

 ――ずっと笑顔で輝いている、あの子の姿を。

 

 双肩銃ミスティミラージュ・マナビヤ特攻人 完

 

 

小説:双肩銃ミスティ・ミラージュ マナビヤ特攻人(前編)62200文字

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――令和四十年

 

 エフェソス国が所有する巨大浮遊戦艦ペルセポリスは、高度数千メートル上空を移動していた。

だが楽しい空の旅とはいかず、平和な時は脆くも砕かれた。

 

 敵国の名はシュトゥルーヴェ。

全身武装の兵士数人が、爆弾でハッチをこじ開け土足で侵入したのだ。

警報が鳴り響き、エフェソス国の船員たちは銃を手に取り撃退を図る。

 

 兵士か、非兵士かなど無関係に、シュトゥルーヴェ兵たちは船員たちを銃で撃ち抜いてゆく。

たったの数グラムの弾丸で命の灯が消えてゆき、容赦なく内部は破壊されていった。

 

メリダとセラードを殺せ! 姫を殺せば勝ちだ!」

 

 シュトゥルーヴェ兵たちは船内を破壊しながら、向かって来る船員たちを打ち倒してゆく。

たったの四人しかいない部隊だが、彼らにとっては十分だった。

目的は、メリダとセラードの二人の姫を殺害し、ペルセポリスを内部から破壊し墜落させること。

 

 メリダは十七、セラードはたったの十歳だが、重要なのは年齢よりも姫という立場にある。

 

 国を潰すのならばまずはトップから、作戦としては常套手段だ。

 

 通路を重い隔壁で封鎖しても、シュトゥルーヴェ兵の爆弾によりあっけなく突破されてしまい、もうエフェソス側には打つ手がない。

 

 ――シュトゥルーヴェ兵の一人が、手をつないで逃げるメリダとセラードを発見した。

 

「いたぞぉ!」

 

 シュトゥルーヴェ兵たちの銃口が一斉に、走るメリダたちの背中に向く。

そして警告もなく、引き金に力が込められる。

 

 冷たい弾丸が放たれた。

セラードの小さな背中にねじ込まれ、十年という短い生涯を終えた。

 

 倒れたセラードと繋いだ手はメリダから離れ、糸の切れた人形のようにその場にくずおれる。

 

 だが絶望に叩き落とされて諦めるメリダではない。

一か八か、メリダはその弾丸で撃たれたと見せかけるためセラードと一緒に倒れた。

動けない、戦えない、逃げるのも叶わない。

ただ冷たい床に倒れ、息を殺してじっと祈るしかない。

 

 ――生死の確認のため、シュトゥルーヴェ兵の一人が接近する。

 

 一歩――二歩――。

シュトゥルーヴェ兵の足音が近づく。

足音が死へのカウントダウンになる。

どうすればいいのか――。

妹のセラードを失い絶望的な状況に叩き込まれたメリダは、なぜ姫になど産まれてしまったのか――運命を呪い、時代を呪った。

 

 ここを切り抜けさえすれば、ある方法でセラードを助けることができるのに――。

 

 

―一日目 昼―

 

 

 シュトゥルーヴェ兵たちが攻め込む数分前――。

 

 巨大浮遊戦艦ペルセポリスの内部に私はいた。

 

 散髪を忘れた黒髪は肩まで伸び、少しでも洒落っ気を出したくてクリーム色のキャスケットを被り桃色のスカーフを首に巻いている。

味気ない群青色の軍服のせいで、派手さと地味さの両立ができていないのが悔しい。

 

 私はメリダ・エーランド。

まだ十七そこそこの未熟者で、十歳の輝かしい妹がいる。

権力や血筋などという面倒なものさえ取っ払ってくれればいたって普通の女であり姉であった。

 

 半円状の指令室。

周囲を囲むモニター類とコンソール。

それを叩く船員たち。

難しいことはよく分からないけど、大きな窓に囲まれたこの部屋から見る青空は気持ちがいいものだ。

 

メリダ様、どうされましたかな?」

 

 艦長のフレーザーさんが、外を眺めてぼうっとした私を見た。

長い髭を蓄えた、頼りになる艦長だ。

私はそれに対してそれとなく返事をし、また窓から外を眺める。

 

 ここは雲とほぼ同じ高さの高度数千メートル。

いくら外を眺めていても流れる景色は一緒で、一瞬で消え去ってゆく。

 

 でも、これが一番落ち着く。

船は風を切り、古くから交友関係にあるシュトゥルーヴェ国へ進んでいた。

エフェソス国で採取できる金属、アミスカメタルを分け与える代わりに、シュトゥルーヴェ大陸の十六分の一を貰う交渉のためだ。

 

 シュトゥルーヴェは国一つだけで大陸を占める大国であり、太平洋のど真ん中に鎮座している。

十六分の一でも土地を貰えれば、そこにエフェソスの兵器保管庫と軍事施設を建て、距離の離れたシュトゥルーヴェからでも臨戦態勢に入れるようになる。

 

もし交渉が成立すれば、シュトゥルーヴェに攻め入る輩にも対応できるし、入手した情報も共有しやすくなる。

 

 アミスカメタルは加工も容易で丈夫で兵器にも使える、エフェソスでしか採取できない貴重な金属。

でもエフェソスだけで使うよりは他国との交渉材料に使うほうが理にかなっている。

 

 シュトゥルーヴェまでは船で二時間はかかるから、本当なら電話で済ませたかったけど、大事な話だからと直接来るように言われてしまった。

正直、面倒だった。

ペルセポリスなんて大きな船を使わなくてもよかったのに“メリダ様のため”と、武装した兵士まで用意させている。

 

 姫なんて立場でなければ、セラードと軽く観光できたのに。

シュトゥルーヴェはその国の広さもあって貿易や商業が盛んだと聞く。

世界中の名物も取り寄せているらしい。

 

「私、ちょっとセラードの様子を見てきます」

 

 なんとなく妹のセラードのことが気になり、私は娯楽室へ向かうことにした。

何もない空を眺めてばかりいるのにもそろそろ飽きてきたし、到着まではまだまだ時間はある。

 

 指令室の銀色の扉を開き、私はまたもや銀色の通路へ出た。

私も十七の女子だ。

男の子が喜びそうな無骨な船よりも、カボチャの馬車にでも乗って海を渡れればどんなに楽しいことか。

 

 下らない妄想を振り払い、エレベーターに乗る。

 

二階のボタンを押し、娯楽室を目指す。

 

このペルセポリスは四階まである。

いちおう階段もあるけれど、今は運動の気分でもない。

 

 一階は武器などを保管する格納庫になっているけど、今は戦闘時でもないので武器の“ぶ”の字もないカラっぽだ。

でも心配性のフレーザーさんが一つだけ武器を入れておいたと言っていたけれど、おそらく使うこともないだろうし、どんな武器なのかも知らない。

 

 格納庫に武器はないけれど、船員たちはそれぞれが非常時のために小型の銃を携帯していて、私もあまり得意ではないけれど、腰のホルスターには銃が納められている。

 

 二階は娯楽室を含めた娯楽エリア。

他にもバーやジムなど、大人の男性なら好みそうな部屋ばかりある。

私は筋トレもしないし、お酒も飲めないから意味がない。

 

 三階は船員たちの自室があるエリア。

ここは行くことがないから、まぁいい。

 

 ふとポケットからスマートフォンを取り出した。

なんの意味もなく、ただなんとなく。

 

 ――ホーム画面、ほとんど使わないアプリたちが並んでいる中、一つだけ見知らぬアプリが追加されていることに気づいた。

 

 ミスティミラージュ・オンライン――真っ白なアイコンの下にはそんな名前が書かれていた。

 

 おそらく、ただのゲームだろう。

普段からスマホなんて仕事以外では使わないから、気づかないうちにインストールされていたのだろう。

ゲームならセラードにでもやらせてあげよう。

 

 気の抜けたベルが鳴ってエレベーターの扉が開き、二階の通路へ踏み出した。

 

 ペルセポリスはうんざりするほど広い。

一つのフロアだけでも旅客機くらい二機は押し込めるほどで、部屋の数はさほど多くないのに無駄に通路が長くて嫌になる。

エレベーターのすぐ横に階段。

右に曲がって突き当りを左に折れれば娯楽室。

廊下の左右にも部屋がある。

 

 道すがら、私はさっきのアプリをもう一度だけ確認した。

ゲームだとすると、アイコンが白いのは妙だ。

普通なら何かのキャラクターが描かれているものだけど、もしかしてバグなのかな? ゲームのことはよく分からないけど、なぜだか消すのも惜しい気がして残すことにした。

 

 娯楽室の手前、私がその自動ドアに触れようとした直後、不意にドアは開かれた。

 

 驚いて情けない声を出してしまい、出てきた人物に鼻で笑われてしまった。

 

「大丈夫か、メリダ嬢」

 

「アルコ、いきなり出てこないでよ」

 

 私よりは一回りは年上の、薄い髭の男。

彼の名はアルコ・バッサー。

昔からよく私やセラードの遊び相手をしてくれた叔父のような存在だ。

娯楽室から出てきたことを考えると、今もセラードの相手をしてくれていたのだろうか。

 

「いきなりもなにも、自動ドアなんだからしょうがないでしょ。それとも、犬だと思ったか?」

 

 ――痛いところを突かれてしまった。

私は動物全般が好きなのに、犬だけは苦手だった。

よく覚えていないけど、幼いときに噛まれてしまった記憶があり、今でも犬嫌いは克服できない。

 

 対するセラードは犬を含めた動物全般が好きで、大きい犬に乗るのがちょっとした夢だとも語っていた。

私は大きいのも小さいのも苦手だから少し羨ましい。

 

「ごめんよメリダ嬢、ジョークだ」

 

「……まぁいいけど。それより、これからどこに?」

 

「あ? トイレだよトイレ。セラード嬢と遊ぶのは楽しいけど疲れるな」

 

 アルコは私の横を通り過ぎ、角を曲がって消えてしまった。

 

 私が姫という立場とはいえ、メリダ嬢という呼び方には抵抗がある。

まだ子ども扱いをされている気がして気分が悪い。

 

 ため息で気分を誤魔化し、娯楽室へ足を踏み入れた。

大きなビリヤード台が中央に鎮座し、壁際にはスロットマシンや多種多彩な本棚がある。

ガラスの冷蔵庫には炭酸飲料があるけど、正直あまり好みではない。

 

 ビリヤード台の横、ちょっと大きめのイスにセラードは座っていた。

バタバタと足を揺らしながら、ミリタリーもののマンガを読んでいる。

 

「あ、姉様」

 

 メリダは私に気づき、太陽のような笑顔を向けた。

小さな身体。サイズは合っているのに袖の広いコートを着て、厚いズボンの上に大きなスカートという変わった服装。

でもセラードはこれが落ち着くらしく止めるつもりもない。

私のマネをしているのか同じく黒のロングヘアーで、桃色のスカーフが目立つ。

 

「姉様、そのキャスケット、やっぱり素敵ですね」

 

 群青色の軍服に反発するようにキャスケットを被っているけれども、思った以上にセラードからの評価は高い。

けど、まだセラードの小さな頭にはサイズが合わないし、被ったら顔まですっぽり隠れてしまうだろう。

 

「セラードがもう少し大きくなったら、お揃いの物でも買おうか」

 

「いいんですか!?」

 

 私はメリダの隣に立ち、イスの背に肘を置いた。

 

「そのマンガ、なんてタイトルだっけ?」

 

「ウォータートン・グレイシャー作、ヘッドスマッシュ&イン・バッファロージャンプってタイトルです。ちなみにお値段は六百エンです」

 

「な、長い名前だけど、わざわざ作者の名前や値段まで説明しなくてもよかったのに」

 

「これに登場するゴロンゴロンとカパックニャンというキャラクターがとても愛らしいのです。姉様もお読みになりますか?」

 

「ううん、私はいいや。それより、どういうお話なの?」

 

「前線で命を張る王子が戦闘機に乗って、国の領土奪還のために戦うお話です。一般人の女性がその王子に恋心を抱くのですが、身分の違いでうまくいかない、というミリタリーものとトレンディを併せ持つ傑作です」

 

「そ、そうなんだ」

 

 まさかそんな大人っぽい作品を読んでいたとは。

ちゃんと内容を理解できているのかな。

 

「ところで姉様、どんな御用ですか?」

 

「セラードの様子を見に来ただけ。元気そうならそれでいいよ」

 

 アルコも一緒にいるし心配はなさそう。

アルコはちょっと気が抜けたところはあるけど、信頼もしているし頼りにはなる。

きっと私にはついていけないマンガの話題も大丈夫だろうし。

 

 私は娯楽室を出るため、セラードに背を向けて自動ドアの前まで進んだ。

でも自動ドアが開く距離に到達する前に、セラードの言葉によってその足は止まった。

 

「待ってください姉様」

 

 振り返ると、マンガを閉じたセラードが真剣な眼差しで私を見ていた。

 

 真剣――というより、何か恐怖を感じているようにも見える。

 

「……誰かに、見られていませんか?」

 

 どこを見ても人などいない。

しかし、視線となりそうなものならあった。

天井の端、監視カメラがじっとこちらを見つめている。

ペルセポリスはトイレやバスルーム以外の全部屋に監視カメラが設置されている。

もちろん娯楽室も例外ではなく、二十四時間の監視体制だ。

 

「あー、監視カメラだよ。あれが視線の正体じゃない?」

 

 それでも満足せず、セラードは怯えたような表情になる。

 

「そうではありません。紛れもなくどこからか人が見ています」

 

 そう言われても、通気口もなければ、壁に穴などもない。

 

「セラード、疲れてない?」

 

「はい? 私は大丈夫です」

 

「そう……じゃあ私は指令室に戻るから、何かあったら呼んで」

 

 セラードとアルコは仲良くやっている。

せっかくの楽しい雰囲気を壊すわけにもいかないし、セラードの様子を確認できたなら、私はそれで満足だった。

 

 今度こそ背を向けて自動ドアに向かおうとしたとき、また私は歩みを止めた。

トイレから戻ったアルコが入って来たからだ。

 

「よぉメリダ嬢、もしかして指令室に戻るのか?」

 

「そうだけど、いいかげんにその嬢って呼び方、子供っぽいからやめてほしいんだけど」

 

「やめろって言われてもお嬢はお嬢だ。俺にとっちゃメリダ嬢もセラード嬢も子供さ」

 

 私はつい頬を膨らませる。

おそらく、私が死んでもその呼び方はやめてくれないだろう。

 

「じゃあアルコ、セラードのことは任せるから」

 

「はいはい。……あ、それはいいけどよ、ちょっと待ってくれ」

 

「今度はなに?」

 

メリダ嬢のスマホ、変なアプリ入ってないか?」

 

 ミスティミラージュ・オンライン、という真っ白なアプリのことだろう。

 

「あるけど、ゲームには疎いから起動すらしてない」

 

「そうか。俺は携帯ゲームには興味なくてね、でも気になってネットで調べてみたんだ。このゲーム、怪しいと思ったけどすげぇゲームだ」

 

「アイコンが白いのはどうして?」

 

私はアルコの言う“すげぇ”の部分には興味なかった。

 

「さぁ。そういうデザインなだけだろ。まぁいらないなら消してもいいんじゃないか?」

 

「うん。そうする」

 

 と言っても、害がないのなら消すのすら億劫ではある。

もしセラードもこのゲームを始めようなら、私もやっておかなくちゃいけない気がするし、残しておいたほうがいいかも。

 

「アルコ、もしよかったらセラードと一緒にゲームしてあげて」

 

「あ? メリダ嬢が一緒にやればいいでしょ」

 

「私は……ゲームには疎いから。アルコの方が得意でしょ、そういうの」

 

「分かったよ」

 

 そこで話は終わり、私は通路に出た。

セラードには指令室に向かうと言ったけど、実は違う。本当は、エフェソスで研究されているある物を確認するためだ。

 

 この娯楽室から壁を挟んで反対側、私や艦長のフレーザーさんやアルコなど一部のみが入室できる特殊な部屋。

カードキーと網膜認証と指紋認証、声紋認証に合言葉がなければ開かない厄介な部屋だ。

他の部屋に比べて扉は頑丈で、よほどの爆弾でなければ破壊は不可能。

その存在すらほとんどの人間は知らずほぼ極秘である。

なぜそんな重要な部屋がこの船の、しかも娯楽室と同じ階にあるのか? 

それは海底のポストや砂漠の湖のように意外性をつくためらしい。

もしも存在そのものが外部に漏れても、見つけるのはそう容易ではないかもしれない。

 

 ――私は長い通路を抜け、扉の前に立った。

 

メリダ様、どうかされましたか?」

 

 扉の前には銃を所持した体格のいい二人の男性がいた。

どちらも中年男性ながらも柔らかい笑顔を浮かべている。

右が最近子供が産まれたルート・ヘンダーソン

左は病弱な妹のために働くラウマ・パースだ。

 

 二人とも子供の頃からの長い付き合いで、たまにセラードの面倒も見てくれる。

 

「ちょっと中を確認するだけ。ルート、お子さんは元気?」

 

「はい。そりゃもう可愛いもんですよ」

 

 ルートは胸ポケットから子供の写真を取り出した。

まだ産まれたばかりの幼い笑顔が小さな写真いっぱいに広がっている。

隣には私と同じくらいの姉もいる。

 

「ルート、軍人が子供の写真を取り出すのはよくないよ」

 

 戦いが終わった後に結婚すると宣言して戦場に向かえば、間違いなく生きては帰ってこない。

 

 そういうジンクスのようなものは昔からある。

 

「あ、なるほど、勉強不足でありましたね!」

 

 意味を察したのかどうなのか、ルートは大きく口を開けてガハハと笑う。

 

「ラウマ、病気の妹さんは?」

 

「ここ最近は特に問題ありませんよ。よく笑うようになりました。まぁ手話は難しかったですけど、五年もあればさすがに覚えられます」

 

「……そっか、良かった」

 

「俺たちの心配なんていいですから、メリダ様はご自身のことだけを考えていればいいですよ」

 

 でも、自由に遊べないとなると、なるべく平和な話をしたくもなる。

 

 私はカードキーをポケットから取り出し、扉の横のカードリーダーに滑らせる。

安っぽい電子音が鳴り、扉は開いた。

でもまだこれは一枚目でしかない。

次の扉で網膜認証と指紋認証――扉が開く。

次の扉で声紋認証と同時に合言葉を言わなければならない。

 

メリダ・エーランドの楽しい一日」

 

 なんて恥ずかしい合言葉か。

でもこれはフレーザーさんが考えた合言葉で、これも敵に気づかれにくいという理由かららしい。

でももう少し真面目なものにしてほしかった。

 

 中は、テニスコートほどの広さの四角い部屋、中央には黒い鉄の台があり、その上には小さなガラスケースがある。

防弾ガラスであり、戦車で踏みつぶしても壊れないらしい。

 

 中に入っているのは指輪――の宝石の部分のみで、リングはない。

それに真っ白で透き通っているダイヤのような宝石だけど、厳密にはダイヤではない。

 

 指に付ければ太さに応じて自動的にリングが出現するらしいけど、私は触れたこともない。

 

 指輪の名前はゴレスターン。

 

 この指輪には二つの機能がある。

まだ実験段階だから、実際に使用されたデータはないけれど、たしか聞いた話によるとこんな機能があったはず。

 

 一つ――ゴレスターンを付け、ミラージュ・コーティングの掛け声とともに拳を突き出すと、一瞬で全身をパワードスーツが覆うらしい。

常人の数十倍のパワーで活動ができるスグレモノ。

戦闘や救助になれば重宝すると思うけど、いったいこれは誰が使うんだろう。

 

 そして二つ――精神を死人に移し、死人に身体的な傷があればある程度は再生でき、蘇生することができる。

 

 たとえば――目の前でアルコが銃に撃たれ、体も精神も死んでしまったとする。

そしてこの指輪を使うと、私の精神はアルコに移り、アルコの体は再生される。

私の元の体は精神が抜け、空っぽの状態になる。

つまり自分の体を捨てて、その人の体だけでも助けたいならば重宝する、というものだ。

 

 きっと宗教に関係する人なら神への冒涜だなんだって騒ぐだろうし、精神の移動や蘇生なんてことが実現できると公(おおやけ)になれば、戦争が始まりかねない。

 

 私はゴレスターンのケースに異常がないかチェックし、また扉にロックをかけて通路に出た。

 

 そこでふと、セラードの言葉を思い出した。

誰かに見られている気がする、と怖がっていた。娯楽室はしっかり調べたけど、左右の部屋はなにも調べていない。

 

 シュトゥルーヴェまでの到着に二時間もかかる。

まだ出発してから一時間も経過していない。

幸いにも時間なら、ある。

 

 誰かが隠れている、なんてことはないと思うけど、いちおう見ておいたほうがいいのかな。

 

 また長い通路を進み、娯楽室の左隣の部屋の前までやってきた。

たしかここは使われていない部屋だったはず。

前に軽く見たことはあったけど、空き部屋だった記憶がある。

 

 腰のホルスターから銃を抜き、自動ドアのすぐ横に背を預け息を整える。

 

 もし撃ち合いにでもなったらどうしよう……念のためにアルコに見てもらおうか、とも考えたけど、セラードに余計な心配をさせてしまう。

 

「やっぱり私が行くしかないか……」

 

 わずかにドアに近づくと、ドアが開いて中の様子が見て取れた。

自動的に部屋の電気も点灯する。

そこから顔だけ覗き込み、警戒態勢を継続しつつ確認する。

 

 飾り気のない真っ白な部屋。

ダンボール箱の一つもなく、とうぜん人の影なんて微塵も見えない。

使う予定が消えた銃をホルスターに戻す。

 

「あっ」

 

 私は、落胆した直後に天井の端にある監視カメラを見つけて、恥ずかしさでいっぱいになった。

 

 これは、最悪だ。

今のうちに言い訳を考えておいてあとでしっかり説明しないと、ただの痛い女だと思われてしまう。

それはさすがに嫌だ。

 

 飽きるほどため息をつき、私は部屋を出ようとした。

何気なく、白い壁に目をやる。

白い壁の一部に軽く焦げたような跡があった。

マッチの火が当たったような、ほんの数センチの範囲だけが灰色になっている。

 

 誰かがここでマッチを使った? でもこんななにもない部屋で誰がマッチなんか使うの? まさか花火なんかをこんなところでやるわけないだろうし……。

 

 そこで私はピンと来た。

よく考えなくても分かることだったけど、監視カメラがバッチリ見ていることを忘れていた。あとで監視係にでも訊ねてみよう。

 

 とりあえずその場を保留にして部屋を出た。

なにもトラブルがなかったからよかったかな。

 

 でも娯楽室の隣の部屋はここだけじゃない。

反対側にも部屋はある。

たしかここと同じくなにもない部屋だった気がするけど、あまり入ったことはないから詳細不明だ。

 

 でも見ないわけにもいかない。

娯楽室を横切って、次の部屋の前に行く。

安心はできなくて、腰のホルスターから銃を抜いて息を整えながら構える。

 

 幽霊より、占いより、私は人が怖い。

 

獰猛な動物はうまいこと躾(しつけ)をすればある程度は手なずけることができる。

けど、人間は欲望に塗れたら手が付けられない。

 

 同じ動物なのに、同じように手足や頭を持っているのに、人間だけ発達しすぎたせいで面倒な生き物になってしまった。

いっそのこと、知恵や言葉などなければよかったのに。

 

 正義を語って市民を虐殺するような人間は、この歴史の中には何人もいる。

でもそんなものはクモの巣に引っかかったチョウを助けるようなもので、自己満足の正義にしかならない。

チョウを助けたつもりでも、クモは損をしている。

そんなものは正義でない、意味のないことだ。

どうして、人間は時代が進むごとに愚かになるんだろう――。

 

 自動ドアの前に立ってドアを開ける。

銃口を突き出しつつ部屋に入ると電気がついた。

さきほどの部屋と同じく、そこにはなにもない。

 

 が――。

 

 リリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ!

 

 突如、けたたましい警報が辺りを浸食した。

引き抜いた銃をそのままに廊下へ飛び出してすぐに娯楽室へ向かう。

 

「セラード!」

 

 怯えた様子のセラードが、珍しく真剣な顔をするアルコに抱き着いていた。

 

「アルコ! いったいなにがあったの!?」

 

「俺にも分からん!」

 

 その疑問に答えるように、ペルセポリス内に設置されているスピーカーから声が響いた。

 

武装した何者かがペルセポリスに侵入! 数は四! 侵入経路は一階のハッチ! 総員、直ちに戦闘体勢に入れ!』

 

 慌てた様子でそう叫ばれても、すぐに動くことができない。

姫とはいえ、軍人の一人とはいえ、私は人を撃つ痛みも撃たれる苦しみも知らない。

情けないことに、足が震えてしまって体も言うことが聞かない。

手も小刻みに振動し、指が引き金に定まらない。

 

メリダ嬢! メリダ嬢!」

 

 アルコがなにかを叫んでいる、なのに、耳には入ってこない。

敵――武装している――私は死ぬの? セラードは助けられる――? どうしよう、どうしよう、どうしよう――。

 

メリダ!」

 

「えっ!?」

 

メリダ、お前がしっかりしないで誰がセラードを守るんだ。慣れてない状況だからかもしれないけどな、お前がセラードを守るんだ」

 

「アルコは、どうするの……?」

 

「俺は敵を倒す。俺の予想だが、おそらく相手はシュトゥルーヴェの連中だろう」

 

「シュトゥルーヴェが? どうして?」

 

「たぶん十六分の一だろうと大陸を渡したくない反対派がいたんだろう。アミスカメタルよりもご自分の領土が大好きな連中がよ。おそらく狙いは、船の内部からの撃墜と大将の首」

 

「つまり、私とセラード……?」

 

 シュトゥルーヴェを含むほとんどの人物は、あの指輪、ゴレスターンについては知らないはず。

それなら、シュトゥルーヴェがゴレスターンを奪取しにきた可能性は低いと見える。

おのずと私たちが標的だという信憑性が増してしまうが……。

 

メリダ、銃は扱えるな?」

 

 射撃にも対人にもあまり自信はないけれど。

 

「セラードと一緒にここで隠れてろ。隙が出来たら一階の格納庫から逃げるんだ。そこに空の上からでも脱出できる武器がある」

 

「武器? なんのことを言っているの……?」

 

「説明している暇はない。とにかく格納庫にあるそれっぽいものだ」

 

「あ、アルコはどうするつもりなの?」

 

「さっきも言ったろ。敵を倒す」

 

「まさか、ゴレスターンを使って……?」

 

 ゴレスターンは常人を遥かに超えるパワードスーツを身に着けることができる。

銃程度ならば、四方から撃たれてもほとんどダメージはないだろう。

 

「いいや、ゴレスターンはまだ実験段階だ。実戦に使うには早すぎる」

 

「銃一丁だけで向かうの? いくらなんでも……」

 

「無茶か? でもこういう状況で無茶するのが大人の男の仕事なんだよ」

 

 アルコは私に引き留められないようにするためか、それ以上のことは口にせず娯楽室から飛び出していった。

 

 私の膝は小刻みに震え、それを押さえようと手で触れると、伝染したように腕まで震えだし、やがて頭の先まで伝わった。

目の前に涙目のセラードがいるのに、私は全身の震えを抑えるのに必死になる。

生き残るためにはなにをすればいいのか、セラードを守り抜けるのか――。

 そんな、迷っている暇はない。

「セラード、よく聞いて」

 私はセラードの小さな肩を掴んで目を見据えた。

「私はこれからやるべきことがあるから、しばらくセラードは一人になる」

「い、嫌です、私一人など……」

 涙が溢れるセラードの目を見据えるうち、気づけば私の頬にも涙がつたっていた。

「セラードはイスの後ろに隠れていて」

「あ、姉様はどうするのですか?」

「娯楽室と反対側の部屋に行って、あるものを回収しなくちゃいけない」

 セラードを最優先にしなくちゃいけないけど、万が一に私も戦えるようゴレスターンは必要だ。まだ研究段階かもしれないけど、私にも扱えるはず。

 いっそのことセラードも連れて行って、ゴレスターンの部屋で息をひそめることも考えた。

あそこなら厳重なロックがあるし、扉そのものも頑丈だ。

でも、セラードを通路に出すわけにもいかない。

 

「もし私が戻ってこなかったら、セラードは一階の格納庫に向かって外に逃げて」

 

 アルコの言っていた脱出できる武器というのは、なんとなく見当がついた。

おそらく、アミスカメタルを用いた手動操縦型起動兵器のことだろう。

確か正式名称はジーフ・メージッヒ。

でも呼びづらいから勝手にシルヴァンシャーなんて名前を付けたりしている。

 

 五メートルほどの身長。

足から火を噴射することでその巨体のホバリングを可能にし、ヘリコプターでも撃ち落とせるほどの威力を誇るバルカン砲を装備した兵器だ。

こんな空中ではあまり役に立たないけど、ホバリングで地上に降りるくらいなら不可能ではないだろう。

自動操縦機能もあるから、セラード一人でも――かなり危険だけど――大丈夫なはずだ。

 

私はアルコの言う“すげぇ”の部分には興味なかった。

 

「さぁ。そういうデザインなだけだろ。まぁいらないなら消してもいいんじゃないか?」

 

「うん。そうする」

 

 と言っても、害がないのなら消すのすら億劫ではある。

もしセラードもこのゲームを始めようなら、私もやっておかなくちゃいけない気がするし、残しておいたほうがいいかも。

 

「アルコ、もしよかったらセラードと一緒にゲームしてあげて」

 

「あ? メリダ嬢が一緒にやればいいでしょ」

 

「私は……ゲームには疎いから。アルコの方が得意でしょ、そういうの」

 

「分かったよ」

 

 そこで話は終わり、私は通路に出た。

セラードには指令室に向かうと言ったけど、実は違う。本当は、エフェソスで研究されているある物を確認するためだ。

 

 この娯楽室から壁を挟んで反対側、私や艦長のフレーザーさんやアルコなど一部のみが入室できる特殊な部屋。

カードキーと網膜認証と指紋認証、声紋認証に合言葉がなければ開かない厄介な部屋だ。

他の部屋に比べて扉は頑丈で、よほどの爆弾でなければ破壊は不可能。

その存在すらほとんどの人間は知らずほぼ極秘である。

なぜそんな重要な部屋がこの船の、しかも娯楽室と同じ階にあるのか? 

それは海底のポストや砂漠の湖のように意外性をつくためらしい。

もしも存在そのものが外部に漏れても、見つけるのはそう容易ではないかもしれない。

 

 ――私は長い通路を抜け、扉の前に立った。

 

メリダ様、どうかされましたか?」

 

 扉の前には銃を所持した体格のいい二人の男性がいた。

どちらも中年男性ながらも柔らかい笑顔を浮かべている。

右が最近子供が産まれたルート・ヘンダーソン

左は病弱な妹のために働くラウマ・パースだ。

 

 二人とも子供の頃からの長い付き合いで、たまにセラードの面倒も見てくれる。

 

「ちょっと中を確認するだけ。ルート、お子さんは元気?」

 

「はい。そりゃもう可愛いもんですよ」

 

 ルートは胸ポケットから子供の写真を取り出した。

まだ産まれたばかりの幼い笑顔が小さな写真いっぱいに広がっている。

隣には私と同じくらいの姉もいる。

 

「ルート、軍人が子供の写真を取り出すのはよくないよ」

 

 戦いが終わった後に結婚すると宣言して戦場に向かえば、間違いなく生きては帰ってこない。

 

 そういうジンクスのようなものは昔からある。

 

「あ、なるほど、勉強不足でありましたね!」

 

 意味を察したのかどうなのか、ルートは大きく口を開けてガハハと笑う。

 

「ラウマ、病気の妹さんは?」

 

「ここ最近は特に問題ありませんよ。よく笑うようになりました。まぁ手話は難しかったですけど、五年もあればさすがに覚えられます」

 

「……そっか、良かった」

 

「俺たちの心配なんていいですから、メリダ様はご自身のことだけを考えていればいいですよ」

 

 でも、自由に遊べないとなると、なるべく平和な話をしたくもなる。

 

 私はカードキーをポケットから取り出し、扉の横のカードリーダーに滑らせる。

安っぽい電子音が鳴り、扉は開いた。

でもまだこれは一枚目でしかない。

次の扉で網膜認証と指紋認証――扉が開く。

次の扉で声紋認証と同時に合言葉を言わなければならない。

 

メリダ・エーランドの楽しい一日」

 

 なんて恥ずかしい合言葉か。

でもこれはフレーザーさんが考えた合言葉で、これも敵に気づかれにくいという理由かららしい。

でももう少し真面目なものにしてほしかった。

 

 中は、テニスコートほどの広さの四角い部屋、中央には黒い鉄の台があり、その上には小さなガラスケースがある。

防弾ガラスであり、戦車で踏みつぶしても壊れないらしい。

 

 中に入っているのは指輪――の宝石の部分のみで、リングはない。

それに真っ白で透き通っているダイヤのような宝石だけど、厳密にはダイヤではない。

 

 指に付ければ太さに応じて自動的にリングが出現するらしいけど、私は触れたこともない。

 

 指輪の名前はゴレスターン。

 

 この指輪には二つの機能がある。

まだ実験段階だから実際に使用されたデータはないけれど、たしか聞いた話によるとこんな機能があったはず。

 

 一つ――ゴレスターンを付け、ミラージュ・コーティングの掛け声とともに拳を突き出すと、一瞬で全身をパワードスーツが覆うらしい。

常人の数十倍のパワーで活動ができる。

戦闘や救助になれば重宝すると思うけど、いったいこれは誰が使うんだろう。

 

 そして二つ――精神を死人に移し、死人に身体的な傷があればある程度は再生でき、蘇生することができる。

 

 たとえば――目の前でアルコが銃に撃たれ、体も精神も死んでしまったとする。

そしてこの指輪を使うと、私の精神はアルコに移り、アルコの体は再生される。

私の元の体は精神が抜け、空っぽの状態になる。

つまり自分の体を捨てて、その人の体だけでも助けたいならば重宝する、というものだ。

 

 きっと宗教に関係する人なら神への冒涜だなんだって騒ぐだろうし、精神の移動や蘇生なんてことが実現できると公(おおやけ)になれば、戦争が始まりかねない。

 

 私はゴレスターンのケースに異常がないかチェックし、また扉にロックをかけて通路に出た。

 

 そこでふと、セラードの言葉を思い出した。

誰かに見られている気がする、と怖がっていた。娯楽室はしっかり調べたけど、左右の部屋はなにも調べていない。

 

 シュトゥルーヴェまでの到着に二時間もかかる。

まだ出発してから一時間も経過していない。

幸いにも時間なら、ある。

 

 誰かが隠れている、なんてことはないと思うけど、いちおう見ておいたほうがいいのかな。

 

 また長い通路を進み、娯楽室の左隣の部屋の前までやってきた。

たしかここは使われていない部屋だったはず。

前に軽く見たことはあったけど、空き部屋だった記憶がある。

 

 腰のホルスターから銃を抜き、自動ドアのすぐ横に背を預け息を整える。

 

 もし撃ち合いにでもなったらどうしよう……念のためにアルコに見てもらおうか、とも考えたけど、セラードに余計な心配をさせてしまう。

 

「やっぱり私が行くしかないか……」

 

 わずかにドアに近づくと、ドアが開いて中の様子が見て取れた。

自動的に部屋の電気も点灯する。

そこから顔だけ覗き込み、警戒態勢を継続しつつ確認する。

 

 飾り気のない真っ白な部屋。

ダンボール箱の一つもなく、とうぜん人の影なんて微塵も見えない。

使う予定が消えた銃をホルスターに戻す。

 

「あっ」

 

 私は、落胆した直後に天井の端にある監視カメラを見つけて、恥ずかしさでいっぱいになった。

 

 これは、最悪だ。

今のうちに言い訳を考えておいてあとでしっかり説明しないと、ただの痛い女だと思われてしまう。

それはさすがに嫌だ。

 

 飽きるほどため息をつき、私は部屋を出ようとした。

何気なく、白い壁に目をやる。

白い壁の一部に軽く焦げたような跡があった。

マッチの火が当たったような、ほんの数センチの範囲だけが灰色になっている。

 

 誰かがここでマッチを使った? でもこんななにもない部屋で誰がマッチなんか使うの? まさか花火なんかをこんなところでやるわけないだろうし……。

 

 そこで私はピンと来た。

よく考えなくても分かることだったけど、監視カメラがバッチリ見ていることを忘れていた。あとで監視係にでも訊ねてみよう。

 

 とりあえずその場を保留にして部屋を出た。

なにもトラブルがなかったからよかったかな。

 

 でも娯楽室の隣の部屋はここだけじゃない。

反対側にも部屋はある。

たしかここと同じくなにもない部屋だった気がするけど、あまり入ったことはないから詳細不明だ。

 

 でも見ないわけにもいかない。

娯楽室を横切って、次の部屋の前に行く。

安心はできなくて、腰のホルスターから銃を抜いて息を整えながら構える。

 

 幽霊より、占いより、私は人が怖い。

 

獰猛な動物はうまいこと躾(しつけ)をすればある程度は手なずけることができる。

けど、人間は欲望に塗れたら手が付けられない。

 

 同じ動物なのに、同じように手足や頭を持っているのに、人間だけ発達しすぎたせいで面倒な生き物になってしまった。

いっそのこと、知恵や言葉などなければよかったのに。

 

 正義を語って市民を虐殺するような人間は、この歴史の中には何人もいる。

でもそんなものはクモの巣に引っかかったチョウを助けるようなもので、自己満足の正義にしかならない。

チョウを助けたつもりでも、クモは損をしている。

そんなものは正義でない、意味のないことだ。

どうして、人間は時代が進むごとに愚かになるんだろう――。

 

 自動ドアの前に立ってドアを開ける。

銃口を突き出しつつ部屋に入ると電気がついた。

さきほどの部屋と同じく、そこにはなにもない。

 

 が――。

 

 リリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ!

 

 突如、けたたましい警報が辺りを浸食した。

引き抜いた銃をそのままに廊下へ飛び出してすぐに娯楽室へ向かう。

 

「セラード!」

 

 怯えた様子のセラードが、珍しく真剣な顔をするアルコに抱き着いていた。

 

「アルコ! いったいなにがあったの!?」

 

「俺にも分からん!」

 

 その疑問に答えるように、ペルセポリス内に設置されているスピーカーから声が響いた。

 

武装した何者かがペルセポリスに侵入! 数は四! 侵入経路は一階のハッチ! 総員、直ちに戦闘体勢に入れ!』

 

 慌てた様子でそう叫ばれても、すぐに動くことができない。

姫とはいえ、軍人の一人とはいえ、私は人を撃つ痛みも撃たれる苦しみも知らない。

情けないことに、足が震えてしまって体も言うことが聞かない。

手も小刻みに振動し、指が引き金に定まらない。

 

メリダ嬢! メリダ嬢!」

 

 アルコがなにかを叫んでいる、なのに、耳には入ってこない。

敵――武装している――私は死ぬの? セラードは助けられる――? どうしよう、どうしよう、どうしよう――。

 

メリダ!」

 

「えっ!?」

 

メリダ、お前がしっかりしないで誰がセラードを守るんだ。慣れてない状況だからかもしれないけどな、お前がセラードを守るんだ」

 

「アルコは、どうするの……?」

 

「俺は敵を倒す。俺の予想だが、おそらく相手はシュトゥルーヴェの連中だろう」

 

「シュトゥルーヴェが? どうして?」

 

「たぶん十六分の一だろうと大陸を渡したくない反対派がいたんだろう。アミスカメタルよりもご自分の領土が大好きな連中がよ。おそらく狙いは、船の内部からの撃墜と大将の首」

 

「つまり、私とセラード……?」

 

 シュトゥルーヴェを含むほとんどの人物は、あの指輪、ゴレスターンについては知らないはず。

それなら、シュトゥルーヴェがゴレスターンを奪取しにきた可能性は低いと見える。

おのずと私たちが標的だという信憑性が増してしまうが……。

 

メリダ、銃は扱えるな?」

 

 射撃にも対人にもあまり自信はないけれど。

 

「セラードと一緒にここで隠れてろ。隙が出来たら一階の格納庫から逃げるんだ。そこに空の上からでも脱出できる武器がある」

 

「武器? なんのことを言っているの……?」

 

「説明している暇はない。とにかく格納庫にあるそれっぽいものだ」

 

「あ、アルコはどうするつもりなの?」

 

「さっきも言ったろ。敵を倒す」

 

「まさか、ゴレスターンを使って……?」

 

 ゴレスターンは常人を遥かに超えるパワードスーツを身に着けることができる。

銃程度ならば、四方から撃たれてもほとんどダメージはないだろう。

 

「いいや、ゴレスターンはまだ実験段階だ。実戦に使うには早すぎる」

 

「銃一丁だけで向かうの? いくらなんでも……」

 

「無茶か? でもこういう状況で無茶するのが大人の男の仕事なんだよ」

 

 アルコは私に引き留められないようにするためか、それ以上のことは口にせず娯楽室から飛び出していった。

 

 私の膝は小刻みに震え、それを押さえようと手で触れると、伝染したように腕まで震えだし、やがて頭の先まで伝わった。

目の前に涙目のセラードがいるのに、私は全身の震えを抑えるのに必死になる。

生き残るためにはなにをすればいいのか、セラードを守り抜けるのか――。

 そんな、迷っている暇はない。

「セラード、よく聞いて」

 私はセラードの小さな肩を掴んで目を見据えた。

「私はこれからやるべきことがあるから、しばらくセラードは一人になる」

「い、嫌です、私一人など……」

 涙が溢れるセラードの目を見据えるうち、気づけば私の頬にも涙がつたっていた。

「セラードはイスの後ろに隠れていて」

「あ、姉様はどうするのですか?」

「娯楽室と反対側の部屋に行って、あるものを回収しなくちゃいけない」

 セラードを最優先にしなくちゃいけないけど、万が一に私も戦えるようゴレスターンは必要だ。まだ研究段階かもしれないけど、私にも扱えるはず。

 いっそのことセラードも連れて行って、ゴレスターンの部屋で息をひそめることも考えた。

あそこなら厳重なロックがあるし、扉そのものも頑丈だ。

でも、セラードを通路に出すわけにもいかない。

 

「もし私が戻ってこなかったら、セラードは一階の格納庫に向かって外に逃げて」

 

 アルコの言っていた脱出できる武器というのは、なんとなく見当がついた。

おそらく、アミスカメタルを用いた手動操縦型起動兵器のことだろう。

確か正式名称はジーフ・メージッヒ。

でも呼びづらいから勝手にシルヴァンシャーなんて名前を付けたりしている。

 

 五メートルほどの身長。

足から火を噴射することでその巨体のホバリングを可能にし、ヘリコプターでも撃ち落とせるほどの威力を誇るバルカン砲を装備した兵器だ。

こんな空中ではあまり役に立たないけど、ホバリングで地上に降りるくらいなら不可能ではないだろう。

自動操縦機能もあるから、セラード一人でも――かなり危険だけど――大丈夫なはずだ。

 

「おいビブロス、なにやってる?」

 

 こっちも男の声。

最初のビブロスという男よりも少し若い雰囲気の声だ。

 

「見てくれよバールベック、一発で二人とも仕留めたぜ」

 

「そうか、凄い凄い」

 

 二人目のバールベックという男は一人目のビブロスという男と違って冷静だ。

というより、冷酷という言葉のほうが合う気もする。

 

 死んだふりで目を瞑っているから、どんな姿かは詳しく分からない。

 

「しかもこの女、けっこう可愛いぜ。こっちの小さいガキもあと五年くらいでイイ女になる。ここで殺しとくのはもったいなかったなぁ」

 

「下らん。さっさと行くぞ」

 

「待ってくれよ。この女、高そうなダイヤの指輪をつけてやがる」

 

「アンジャルとティールも待ってる。遅れるならお前も船と一緒に落としてやろうか?」

 

「おいおい勘弁してくれよ~」

 

 二人の男は背を向けて歩き出した。

薄目を開けて完全にその場から去るのを確認する。

一人は小太りの男で、もう一人は細身で身長が高く手には刀のような武器を握っている。

 

 ようやく緊張から解放され、私はめいっぱいに酸素を取り込んだ。

しかし落ち着くことはない。

背けたい現実が、絶望となって目の前に広がっている。

 

 セラードの小さな背中には豆粒ほどの穴が空き、そこからじんわりと真っ赤な血が染み出ていた。

命が噴き出し、温度が失われてゆく。

 

 さっきまで繋いでいた手、そこには確かに温もりがあったのに――。

 

 苦痛にもがくことはなく、言い換えれば苦痛にもがく暇もなく、セラードは死んだ。

肩を掴んで揺さぶっても、虫の息一つしていない。

 

「あ……あ……あ……あ……」

 

 どうして、私が撃たれなかったんだ。

どうして、私は生きているんだ。

誰か答えを教えて。

せめて、セラードの体だけでも綺麗にして、ちゃんと埋葬してやりたい。

 

 こんな硬い船の中で爆発する最期だなんて可哀そうだ。

 

 せめて、体だけでも――。

 

 せめて、体だけでも……?

 

 私はゴレスターンのもう一つの機能を思い出した。

死んだ人物に精神を移し、いくらか肉体を再生させる機能だ。

 

 まだ実験段階のゴレスターンにそんな芸当ができるのか、おそらく不可能だ。

ミラージュ・ゴレスターンだってすぐに解除されたし、精神を移すのに失敗すれば私の精神も死にかねない。

 

 でも、やるしかない。

ここまでピンチになれば、私も命くらい賭けてやる。

セラードの体だけでも助けられるのなら、私の体なんて――いらない。

 

 後で回収できるよう、指からゴレスターンを外して両手で強く握りしめた。

死人に精神を移す方法なんて知らない、けど、祈れば道は切り拓けるかもしれない。

 

 一度ミラージュ・ゴレスターンに変身して分かった。

ゴレスターンは装着者の精神に強く影響される。

きっと、精神を移したいと願えば応えてくれるはず――。

 

「うっ!」

 

 ――また大きな揺れがペルセポリスを襲った。

一時的に大きく傾き、

 

私とセラードは通路の壁に叩きつけられる。

受け身の取れないセラードは頭を強打し、赤く細い血の線が頬を伝った。

 

 さっきのビブロスとバールベックという敵たちが、本格的に爆弾で沈め始めたのだろう、奥からはどす黒い煙が侵入してくる。

 

「お願い……お願い……お願い……! 急いで……!」

 

 ――手の中から、急に強い光が放たれた。

部屋一つを照らせるほどの光。

眩しい。

 

 意識がかき乱され、脳が狂ったように動き回る。

脳に針でも刺されたような、心を鷲掴みにされて絞られているような、理解できない苦痛が襲う。

それでも意識の首根っこを引っ張って強引に耐えしのぐ。

こんなもの、セラードの痛みに比べれば大したことはない。

 

 ………………………………あれ……?

 

 視界を塞いでいたゴレスターンの眩い光は引っ込み、代わりに黒い煙が通路を染めていた。

 

 腕の中には、セラードが、いない。

 違う。

誰かが、私のことを抱きかかえている。

 

 若干、背中と頭がズキズキと痛む。

きっと通路に転がったときにぶつけたからだろう。

 

 目の前には、私がいた。

 

 目を瞑り、力を失くした私がそこに倒れていた。

奇妙なことに私は私に抱きしめられている。

 

 自分の手を見た。

いつもより少し小さい。

まさか、これは……?

 

「成功した……?」

 

 半信半疑ながらも、正解を教えてくれる人物もいなければ、答え合わせする猶予もない。

 

 私は私――メリダキャスケットを被り、銃とスマホと握りしめられていたゴレスターンをポケットにねじ込み、煙と逆方向に向かって全力疾走した。

キャスケットはまだセラードの頭には大きく、少し後ろに被っている。

 

 頭から流れた血を拭い、ただ走る。

その先はシルヴァンシャーを待機させてある格納庫だ。

 

 振り向くと、煙に包まれてメリダの姿は完全に隠れてしまった。

でももう未練はない。

この体さえあれば、なにも文句はない。

 

 いつもより身長が低くて痛みもあり動きづらい。

でも転ばぬよう足を動かし続けて格納庫に通じる扉の前にまで来た。

幸いなことに自動ドアじゃないから、ゴレスターンの出番はない。

 

 階段を駆け下りる。

目の前には体育館ほどの広い格納庫が広がっていた。

シルヴァンシャーを出すための大きなハッチがあり、その端に人間サイズの穴が開けられている。

おそらくシュトゥルーヴェの兵士たちはあそこを爆破して侵入したんだろう。

 

 左右には五メートルほどの高さの箱があった。

左右で四つずつあり、本格的な戦闘時ではないため、閉まっているのは一つだけだ。

 

 私は手前にある【J・M・1】と書かれた箱の前まで走り、パネルから箱の開閉スイッチを押した。

重い音を響かせながら箱が開き、やがて銀色の巨人が姿を現した。

 

 約五メートルの身長。

ソロバン玉のようなボディ。

人間とは逆向きに曲げられた長い足。

頭頂部のコクピットはガラス張りで大きな席が一つ。

ヘリでも撃ち落とせるほどのバルカン砲が腕の代わりに装備された兵器だ。

これで格納庫から飛び出せば、ホバリングで降りられるはず。

 

「よし……」

 

 

 シルヴァンシャーの背中から伸びるフック付きのワイヤーに足をかけると、メジャーのように上がっていった。

そこから頭頂部まで手を伸ばすと、ドーム型のガラスが開閉する。

コクピットに潜り込み、ガラスを閉じる。

 

 そこには飛行機のような細かい計器類などは一切なく、あるのはケーブルが繋がれた十個のリングのみ。

操作は全てこれで行うことになる。

 

 両手を前方に突き出すと、それぞれのリングが指に嵌ってゆきサイズも自動的に調節された。

コントロールリング。

操縦は十本の指のみで行う。

 

 するとシルヴァンシャーが起動。

計器類が淡く光り始めた。

操作方法はあやふやだけど……。

 

「動いて……お願い」

 

 久々のシルヴァンシャーの操縦方法を頭の奥底から引っ張り出し、手始めに右足を前進させた。

イメージ通り足が前に出た。

しかしその調子で左足を動かそうとした、そのとき――。

 

 格納庫の入り口から、煙で薄汚れてしまったアルコが姿を現した。

弾切れで捨てたのか、手には銃もない。

軽く足を引きずりながらも、シルヴァンシャーの姿に気づいて手を振った。

 

 指で操作すると、搭乗用のワイヤーが背中から降りた。

これで下にやってきたアルコもこっちに入れるはず。

背中まで上ったアルコのためにガラスを開いた。

 

「おい、大丈夫か!?」

 

 少し煙臭いアルコはそう言う。

 

「メ――あ、姉様は、その……」

 

 本当の報告をしたかった。

私の精神をゴレスターンでセラードに移し、そしてセラードは死んだ――そんなことは、口が裂けても言えない。

 

メリダは、もう無理なのは分かってる。セラードはどうなんだ?」

 

 その口調は冷静だった。

けど、私が死んだことに悲しみを帯びているような雰囲気があった。

 

「私は、その、大丈夫、です」

 

 確かセラードはアルコに敬語だったのを思い出した。

ここで気づかれたら、セラードが死んだことがバレてしまう。

それだけは避けたい。

 

「て、敵は? 敵はどうなったの、ですか?」

 

「分からねえ。

でも通路は煙が充満してるし、ペルセポリスは何カ所も爆破されている。落ちるのも時間の問題だ。

あいつらだってもう逃げる準備をしてると思う」

 

「じゃあ……脱出するしかないですね」

 

 艦長やルートとラウマは、きっと逃げているはず……。

 

「あぁそうだ。だが待てセラード。俺が操縦する」

 

 私が後ろに下がり、アルコが狭いコクピットに体をねじ込むと、リングが指に嵌っていった。

 

 席は大きいのが一つしかないため、アルコの背中に抱き着く形になって少し照れくさい。

けど、セラードの小さな体じゃなかったら厳しかったかもしれない。

 

 アルコは軽快にシルヴァンシャーを操縦し、特殊なコマンドを送って大きなハッチを開けた。

 

 地響きのような重々しい音をまき散らしながら鋼鉄のハッチが開き、景色は空へと変わる。

 

「準備はいいか? セラード」

 

「は、はい!」

 

 一歩前進すると、シルヴァンシャーは地を離れて真っ逆さまに落下した。

ただ落ちるだけではシルヴァンシャーは耐え切れず、ペチャンコに潰れてそのまま棺桶になるだろう。

もちろんそれくらいアルコも承知で、足から火が噴き出すブースターで速度を調節しながら降下する。

 

 真下にはエフェソスとシュトゥルーヴェの間に広がる海が見えた。

セラードの命を奪った敵国に上陸するわけにもいかないため、角度を調節してエフェソスまで戻るしかない。

 

 強力なブースターではないけれどギリギリ戻れる……はずだし、海に落ちても移動はできる。

 

陸海空に対応できるのが、シルヴァンシャーの魅力だ。

 

でもパラシュートはなく、ブースターだけの降下は心許ないけど、アルコの腕を信用しているから心配はない。

 

「とりあえずは、大丈夫だな」

 

 アルコはシルヴァンシャーを安定させた。

揺れは小さく、ブースターのブレもない。

この後エフェソスの地上でどういう算段で動くかはさておき、今は大丈夫そうだ。

 

 私は後ろを振り返って数十メートル上空を見上げる。

ペルセポリスから煙が噴き出し、焚火のように炎が吐き出されている。

半分は原型を成していない。

もはや鉄の爆弾だ。

 

「あ、アルコ、さん、ペルセポリスは、どこに落ちるのでしょうか」

 

「分からん。

けどこの調子なら海だろう。

あんな状態じゃシュトゥルーヴェの陸地までは落ちない。

まぁ陸地に墜落しようものなら、大爆発を起こすだろうが」

 

「そ、そうですよね」

 

 墜落後の被害も心配だ。

たとえ敵国だろうと、市民が大量に死んでしまうのは気分が悪い。

それに船はエフェソスの物だ。

間違いなく苦情はエフェソスに殺到するだろう。

 

「エフェソスには戻れそうですか?」

 

「進んできた方向を戻ってるんだ。ブースターでバランスを保ちながら長時間の移動は大変だが、まぁなんとかなるだろう」

 

「良かった……」

 

「なぁ、セラード……ごめん」

 

 アルコは俯き、顔を伏せた。

泣いているのか、私に涙を見せないようにしている。

 

メリダを助けられなかった。通路でメリダが倒れているのを見つけた。けど、煙が酷くて目を開けるだけでも必死だった。本当なら……あいつを一緒に連れていきたかった」

 

「アルコさんのせいじゃないです。私と一緒にいたときに、姉様は撃たれてしまいましたから」

 

「目の前で、撃たれたのか? 強いな、セラードは」

 

 ――違う。私は強くなんかない。私は妹も助けられなかった、弱いメリダだ。

 

「姉を目の前で亡くしたのに、涙も流していない。強いよ、本当に」

 

 ――違う。

本当は枯れ果てるまで泣きたかった。

でも泣いてしまったら、セラードの体に申し訳ないと思ったから我慢しているだけだ。

 

「泣きたいなら、いつでも泣けよ」

 

「え?」

 

「俺は頭も悪いし王とかの血筋もない。できるのは泣きたいやつに背中を貸すことだけだ」

 

 ――本当に、泣いていいのか。

セラードだったら、私が死んだときに思い切り泣くだろうか。

 

 気づけば、暖かい雫が顎から落ちていた。

決壊したように、とめどなく涙が溢れる。

 

 アルコの背中に額をつけ、体中の水分がなくなりそうなほど涙を流した。

 

 人間の体は、約七十パーセントが水分でできていると言われている。

あとどれくらい泣いたら全部を出してしまうのか、もし出し切ってしまったら、セラードはどう思うんだろう。

 

 私の、メリダ・エーランドの冷たい一日は、まだ終わらない――。

 

 

 

 目が覚めた。

大きめのキャスケットをどかして寝ぼけ眼を薄く開き、太陽の光を瞳に浴びせる。

涙が乾いて頬にくっついているのが鬱陶しくて、手で顔をくしゃくしゃにした。

 

 腕と足を伸ばして背伸びをすると、あることに気づいた。

 

 ついさっきまで座っていたアルコはそこにはいない。

 

 日も落ち、時刻はすでに夕方と呼べるほど変貌している。

セラードや仲間の兵士たちの気持ちを表したのか、青と黄の入り混じった黄昏空が広がっていた。

 

 ガラスが開きっぱなしのコクピットから立ち上がると、搭乗用のワイヤーで地上まで下りた。

 

 しっかり地面がある。

私が泣いて眠っている間に、アルコはうまいこと操縦してエフェソスの地上まで下りることに成功したらしい。

 

 周囲は木に囲まれていることから考えると、ここはどこかの森のど真ん中だろう。

 

 見渡すと、焚火のそばで座るアルコが見えた。

駆け寄って、隣で膝を抱えて座った。

 

「おおセラード。ぐっすり眠れたか?」

 

「はい。その、おかげさまで」

 

 アルコは疲れを見せず、私のことを気づかって無理に笑顔を作った。

 

「泣きたいときは泣け。子供が涙を我慢したっていいことなんかないさ」

 

「……子供、そうですよね」

 

メリダ……あいつは勇敢だ。お前を守るために命を張ったんだ。メリダ嬢なんて呼ぶほど子供じゃなかったな……いや、メリダの話はやめておこう。それより銃は持ってるか?」

 

「えぇ。キャスケットスマホと一緒に姉様から受け取った銃があります」

 

 ポケットから銃を取り出した。

セラードの手だといつもより重く感じる。

 

「セラードには危険だ。俺が預かる」

 

 安全装置をチェックして、ずっしりと重い銃をアルコに渡した。

 

「これから、どうしましょう」

 

 ここはエフェソスのどこなのか、太陽も沈んでいるから方角も把握できない。これほど太陽を引き上げてやりたいと思ったことはない。

 

「アルコさん、シルヴァンシャーで通信はできませんか?」

 

「シルヴァンシャー? なんでその呼び方を知ってるんだよ?」

 

 ――しまった。

あのジーフ・メージッヒをシルヴァンシャーと呼んでいるのは私とアルコだけで、セラードはシルヴァンシャーの存在すら詳しく知らない。

なんとか誤魔化さないと。

 

「あ、姉様から教えて貰ったのです。もしものときはあれで逃げるように、と」

 

「ああ、そういうことか。で、シルヴァンシャーで通信の件だが、残念ながらそりゃ無理だ」

 

「あれには通信機能があったはず……と姉様が」

 

「ここまで来るのにかなり時間を使ったからだ。

ほぼぶっつづけでブースターを酷使してたからな。

もう一歩も動けねぇよ。通信も厳しい」

 

 生きて大地に立てただけでも奇跡だから、不幸中の幸いではあるけど。

 

「でも、ペルセポリスから出てる微弱な電波なら捕まえられた」

 

「それって、もしかしてペルセポリスは無事ってことですか?」

 

「分からねぇ。望みは薄い。探す価値はあるかもしれないけどな」

 

「そうなんですか……」

 

「俺たちにも希望がないわけじゃない。ここからちょっと歩いて様子を見てきたんだが、ここはエフェソスの端っこだった。すぐそこに海があるし、ミストラの町もあった。一度も行ったことはないが、悪い噂を聞いたことはない」

 

「ミストラ……」

 

 その名前には聞き覚えがあった。

でもどこで耳にしたのか、よく思い出せない。

 

「今日はもう遅い。セラードはシルヴァンシャーの中で寝た方がいい」

 

「アルコさんは?」

 

「その辺で適当にな。心配すんな。バカはカゼを引かない」

 

 疲労困憊だろうに、私を気づかって寝床まで優先してくれるなんて。

 

 アルコの手前、出そうになったあくびを噛み殺してシルヴァンシャーの中に戻ろうかと立ち上がった、その時――アルコは私から受け取った銃の安全装置を外し、構えた。

 

 緊迫したアルコを見上げる。森の中に銃を向けていた。その銃口の先には、私たちをじっと睨んでいる人影があった。

 

「おいセラード」

 

 照準を人影にピタリと定めたまま、アルコは低い声で言う。

 

「頼みがある。お前にしかできない重要なことだ」

 

 ―二日目 朝―

 

 俺、アトス・エオリアは学校の屋上で空を眺めていた。

 

 電車も少ないバスも少ない田舎の村、サラズム。

ほとんどが畑や田んぼに囲まれ、けれども空気は新鮮で星は綺麗だ。

学校の近くといえば、古い商店街の中にある最新のゲームセンターが強いお供だけど、それでも基本的には田舎だ。

 

 もうすぐ一限目の授業が始まってしまう。

時間そのものが鬱陶しい。

 

 コの字型で三階建ての、面白みのない普通の校舎。

そして俺は、面白みのない普通の高校生男子。

少し長めの黒髪に平均的な身長。

自慢できることはちょっとゲームが強いってことだけ。

 

 これまでも、これからも、面白いことなんてないだろう。

 

「そういえば、今日は転校生が来るんだっけ」

 

 誰もいない屋上、一人で呟く。

 

 どんな転校生なのか何も情報はない。

できれば女子であってほしいけど。

 

 ため息をつきつつも、屋上から校舎に戻った。

危ないと理解しつつも、歩きながらポケットからスマホを取り出して画面を見る。

 

 整理されてないホーム画面の端に、いつの間にか知らないアプリが入っていた。

真っ白なアイコンの下には、ミスティミラージュ・オンラインと書かれている。

ゲームは好きだけど、正直スマホゲームはあまり興味ない。

でも削除するのも面倒だから、なんとなく残しておいた。

 

 

 

  教室に入るのと同時にチャイムが鳴った。

間一髪のセーフだ。

 三十人ほどのクラスの、ど真ん中からちょっと窓側の席に座ると、後ろの席にいる昔からの親友、トレド・キナバルが肩を強く叩いた。

驚きと悲鳴がない混ぜになった声が口から飛び出す。

 

「うはっ!」

 

 振り返り、仕返しとばかりにトレドの頭を叩く。

 

 トレドは人差し指を突きつけながら、すまんと謝った。

まったく謝罪の姿勢ではない。

 

「アトス、今日は転校生が来るらしいぜ」

 

 なるほどそういうことか。

それなら肩を叩いた合点がいく。

 

「知ってるよ」

 

「さっきチラっと職員室を見たんだが……女子だ」

 

 トレドは転校生の存在を確認したからか、妙にテンションが高い。

絵に描いたような女好きで、あちこちの女子に声をかけては遊んでいる。

他の学校にも“そういう人”がいるらしいから、プレイボーイとしてちょっとした有名人である。

 

 だが仲の良い女子の数が多いから、その分悪い噂も多い。

でもトレドは気にしていない。

そういう無神経なところが、少し羨ましいとも思う。

 

 担任教師が入って来た。

その後ろには小動物のように小さい女子生徒がいる。

いきなり三十人近くはいる初対面の前に来たら、そりゃ泣きそうな表情で緊張するのもうなずける。

 

 小学生と紹介されても違和感はないが、学校の制服によって幼さはいくらか低減していた。

 

 きっとトレドは、いや、複数の男子は目を輝かせていることだろう。

俺もその一人だ。

 

「自己紹介」

 

 担任のハゲが転校生に素っ気ない指示を出した。

 

「デ……デ……デデ……」

 

 クラス一同、頭上にクエスチョンマーク

緊張で震えた唇からは、頭文字しか出てこない。

 

「デ、デ……デルフィ……ソルテア、です」

 

 デルフィ・ソルテア。転校生はそう言った。

 

 水平にそろえて切る髪型――いわゆる、ぱっつんの金髪だった。

肌の露出は嫌いなのか、スカートは膝上まで下げている。

 

 クラスメイト全員で拍手を送り、その瞬間からデルフィはクラスの一員へと早変わり。

 

 ああいう小動物系の女子を嫌う女子はいるだろうけど、まぁある程度コミュ力があればけっこうなアイドル的存在にはなれるんじゃないだろうか。

 

「じゃあ、あそこ座りな」

 

 ハゲ担任がこれまた素っ気ない指示を出すと、転校生は窓際に空いていた席に座った。

厳密には空いているわけではなく、ただ不真面目な奴でサボっているだけなのだが、まぁいいか。

 

 それから担任はいつもの調子で、いつも通りのつまらない授業が始まった。

 

 

 

 ――退屈の終了を告げるチャイムが響いた。

大あくびをして背伸びをし、クラスメイトたちは席から離れてほとんどが教室から消えていく。

 

 ふと転校生を見た。

俺の席から左に二つの席だから、ゲームで悪くした目でもわりと見える。

 

 数人の女子が転校生に群がり、マスコミよろしく質問を浴びせている。

緊張に弱いタイプらしく、その姿はなんとなく可哀そうにも見える。

 

「トレド、お前は行かないのか?」

 

 隣の机の上に座っているトレドに質問した。

スマホを弄っているところを見ると、あまりデルフィには興味がなさそうだ。

 

「俺はああいうの嫌いじゃないけど、もっと明るくて喋るタイプが好きなんだ」

 

 たしかにデルフィは女子に囲まれてはいたが、とても喜んでいるような雰囲気でもない。

きっと囲まれて話しかけられるのが苦手なんだろう。

犬か猫かと言えば猫のタイプだ。

 

「まぁああいう可愛い子はもちろん好きだが。付き合うのは無理だな」

 

「そうか」

 

「で、お前はどうなんだよアトス」

 

「まぁ、縁があれば話しかけてみるよ」

 

 興味がないと言えばウソになる。

俺だって男だ、美人は好きだし、ちょっとした仕草が気になったりはする。

でも転校初日で、しかも相手は初対面の女子で、よく喋るタイプでもない。

もしよく喋るタイプ――うるさいのはゴメンだが――ならば、少しは声もかけやすいが。

 

「ふん、俺みたいにもっと積極的なほうがいいぜ」

 

「はいはい」

 

 わざと素っ気なく返すと、トレドはスマホを手にしたまま机から立ち上がった。

いつになく真面目な顔つきになっている。

 

「ヤベーぞアトス。昨日、船が沈んだらしい。ペルセポリスってあんだろ? 知ってるか?」

 

「たしか、エフェソスのでっかい船だっけ?」

 

 我が国の姫様もよく乗るらしい大きな空飛ぶ船だ。

内部の構造は俺らのような一般市民にはほとんど秘密にされているから詳しくは知らないけど、どうやら兵器を格納できる場所もあって、船そのものも戦闘用に武器を装備しているらしい。

 

 あんな巨大隕石でも沈まなさそうな船が沈んだとなると、よほどの攻撃があったか、もしくは脆い内部を攻め込まれたんだろう。

攻めた敵はかなりの手練れだ。

 

 それが、まさか昨日の昼のことだなんて……。

 

「確か、開発されたのが……九月十九日なのは覚えてるんだが、何年だったのか思い出せん」

 

「いや、そんな詳しい情報はいらないよ。で? その船が沈んだ件がなんだって?」

 

「シュトゥルーヴェにまで向かうつもりだったらしい。あんな船で向かうってことは、おそらく姫も中にいたんだろうな」

 

 姫の姿はテレビでも見たことがある。

 

「なぁトレド、なんだっけ、姫の名前」

 

「バカ野郎、覚えてないのかよ。姫はメリダ・エーランド。俺らと同じ歳だ。けっこうな美人だからぜひ本物にお目にかかりたかったんだが、まさか死んだりしてないよな」

 

 姫が死んだとなれば大ニュースだ。

そうなると、姫の立場は自然と妹のものになるだろうけど、姉を失って姫になんてなっても複雑なだけだろうな。

 

「で、妹さんの名前は?」

 

「セラード・エーランド。あと五年だ」

 

「は?」

 

「セラードはまだ十歳。あと五年もあればメリダと肩を並べるべっぴんになれる」

 

 基準はそこなのか。

どうやらトレドとしては“姫”が死んだというより“美人”が死んだことのほうが大ニュースらしい。

 

「ほら、これ見ろよ」

 

 トレドがスマホの画面を俺に向けた。

延々と煙を吐き出しながら炎上するペルセポリスの動画が映っていた。

偶然下の海にいた漁師の船から撮影したものがニュースになったらしく、ペルセポリスとの距離がありすぎて鮮明には見えないけど、それでも嫌な迫力が伝わって来た。

 

「これ、映画じゃないよな」

 

「いいや、まぎれもなく本物だし、これはニュースだ。まぁ、俺らみたいな平民には姫様の苦労なんてよく分からねぇけどよ、エフェソスの船が撃墜されたんだから、エフェソス人の俺らも無関係ではないよな」

 

「う……そうだな」

 

 下手をすれば、テロとかが起きたりするのか。

そうでなくとも、エフェソス人がその敵の居場所を突き止めて攻めたりなんかしたら戦争にもなるだろう。

 

 いや……もし姫が死んでいたら、というより姫を狙って船を沈めたんなら、もうこれは戦争と捉えてもいいかもしれない。

 

 徴兵とかされるのかな。

戦場に駆り出されたって、五秒で死ぬだろう。

 

「心配なんかしたって戦争になれば戦争になるし、気楽に行こうぜ気楽に」

 

「戦争になれば戦争になるんだろ、どこが気楽なんだよ」

 

「こんなド田舎でテロなんか起きやしないって。もし起きるなら首都のアシャンティだろう」

 

 首都アシャンティ

こことは違ってしっかりとした都会。

大きな建物に囲まれて、観光名所のある場所にすぐアクセスできる。

芸能人もいっぱいいるし、若者にとっては憧れを具現化したような場所だ。

俺がテロリストなら、こんな田舎よりもアシャンティを狙うし、姫を狙って首都を狙えば完璧に国は終わる。

 

 って……冷静に分析している場合でもないな。

首都なんかやられたら、こっちだってヤバい。

 

「ところでよアトス、今度は明るい話題だ」

 

 また女絡みの話か。

などと身構えていたら意外とそうでもなかった。

 

「お前、スマホのゲームやったか?」

 

 俺はスマホを取り出し、アプリが立ち並ぶホーム画面を見た。

そこで真っ白なアイコンを見てようやく思い出した。

ミスティミラージュ・オンラインというものを。

 

「やらねぇよ、俺は据え置きか携帯機かゲーセンだ。スマホゲーは甘い」

 

「ポチポチやるだけのゲームだと思ってないか? 実はこのゲーム、すげぇ秘密があるんだ」

 

 そう言われては、とりあえず聞いておこうという気持ちにはなる。

 

「俺はちょっとプレイしてみた。女の子との話題作りのためによ。実はこのゲーム……精神をダイブさせることができるんだ」

 

「はぁ?」

 

「ゲームの中に精神をダイブさせて、本当にその場にいるかのような感覚になるんだとよ」

 

 冷静に考えれば、凄いし恐ろしいシステムだ。

心臓が弱い人なら失神するかもしれない。

 

「もちろん、少しなら痛みとかも感じられるらしいし、実際にそこにいる人と話すこともできる。自分の分身になるキャラ作って声も変えられるし、凄くね?」

 

「確かに凄いが、そのゲームはなにをするゲームなんだ?」

 

「戦うんだよ。全身武装のパワードスーツを身に着けて、相手と戦うんだ」

 

「つまり、変身みたいなものか」

 

「剣とか銃とか、武器もいっぱいある。それでバトルに勝ってポイントを溜めれば、新しい武器を買ったりもできるんだとよ」

 

 そこは普通のゲームと大差ないのか。

でもそれを現実と似たような感覚で体験できるなんて、ちょっと興味はある。

 

「まぁそういうことだ。もちろんメットを外して素顔も出せるらしいぞ。俺はパワードスーツなんて物騒なものじゃなくて、メットを外した女の子と語り合いたいけどな」

 

 やっぱりそっちが目的か。

いい意味でも、悪い意味でも、本当にコイツはブレないな。

 

「なぁ、ちょっとでいいからやろうぜ、なぁ」

 

「分かったよ。放課後にな」

 

 今日の最後の授業の始まりを告げるチャイムが鳴った。

慌ててスマホをポケットにねじ込む。

 

 しかしこのゲーム、本当に大丈夫なのか?

 

 

 

 ――放課後。

 

 大あくびしながら掃除を終え、気づけば外の天気は土砂降りになっていた。

 

 そういえば昨日も雨だった。

傘を学校に忘れて今日は折りたたみ傘を持ってきたけど、傘が二本もあったって意味ないな。

 

 掃除が終わって机を戻し、これにて今日の学校は完全に終わりを告げる。

俺はゲームのことなんてすっかり忘れて、帰る支度を整えていた。

 

 トレドはどっかの女の子とどっかに遊びにいったらしく、一緒に帰宅できなかった。

 

 部活もやってないし友達は少ないほうだけど、ゼロってわけでもない。

でも友達の数なら、あの転校生にすぐに追い抜かれるだろう。

 

 面白みのない廊下を抜けて、一階まで下りる。

雨のせいか、大半の生徒は速攻で帰宅していて、学校の中にはほとんど人がいなかった。

もちろん下駄箱も例外ではない。

 

「あれ?」

 

 学校の制服を着た小学生がいたと思ったら、例の転校生だった。

 

 やはり一日で友達を作るのは大変だったのか、傘に入れてくれる人物がいなくて立ち止まっているらしい。

外に出たら一瞬でずぶ濡れになるような雨だ、あんな小動物系の女子ならカエルみたいに流されるかもしれない。

一応クラスメイトだし、なんとなく声をかけてみた。

 

「よう」

 

 驚きというか、若干の恐怖が入り混じった表情で見つめられ、転校生はすぐに目をそらした。

 

「どうした?」

 

「あの、傘、忘れちゃって」

 

「えっと、きみの名前はデルフィだっけ?」

 

「は、はい。デルフィ・ソルテアですけど、なにか?」

 

「あ、いや、なんとなく話かけただけ」

 

 ただし理由は“なんとなく”だけではない。

雨なのに帰れずに困っているから助けようと思ったっていう、微妙な正義感のようなものもあった。

それがおせっかいならそれでいいけど、放っておくのも落ち着かない。

 

「あの、すみません、まだちょっと覚えてないんですけど、もしかしてクラスメイトですか?」

 

 まぁ俺のことを覚えてないのもうなずける。

デルフィは最後まで席から動かず、ほとんど人と話さず一日を終えていた。

女子に囲まれてはいたけど、たぶん無口でつまらない人と思われたのか、今は人っ子一人周囲にはいない。

 

「俺、きみの二つ隣のアトスっていうんだ」

 

「アトスさん、ですか」

 

「ところで、傘が余ってるんだけど、いる?」

 

 俺は傘立てから昨日忘れた黒い地味な傘を引き抜いてデルフィに差し出した。

凄い申し訳なさそうな顔をしながら受け取ったけれど、俺は折り畳み傘もあるから問題ない。

 

「あ、ありがとうございます」

 

「いや、気にしなくていいよ。明日は適当に傘立てに入れておいてくれればそれでいいから」

 

 デルフィはリスのようにこくりと頷き、一緒に学校を出た。

外はバケツをひっくり返したような土砂降り。

集中豪雨というやつか、近くの川は海賊でも出そうなくらい荒れているだろう。

 

 俺の家は、ここから少し歩いた駅から電車で十五分のところにある。

駅と言っても大げさなものじゃなくて、こじんまりしたしょぼい駅だけど。

 

 偶然か奇跡か運命か、デルフィも同じ駅から帰るというので、一緒に帰ることになった。

もしも誰かにこの状態を目撃されたら、あらぬ噂が広まって面倒なことになるだろう。

けど、幸いにも周囲に知り合いらしい人はいない。

こんな雨じゃ無理もないが。

 

「あ、あの、話しかけてもいいですか」

 

 デルフィは体格に似合わない大きな傘を両手で持ちながら俺に言う。

雨の音ではっきりと聞き取れないけど、言いたいことは伝わった。

 

「あの、アトスさんは、ゲームって好きですか?」

 

 なんだと。

 

 この小動物系女子、端っこで本でも読んでそうな雰囲気だったのに、その一言で一気に評価が変わった。

なぜだろう、ゲームが好きと言われただけで好感度が上がるのはなぜだろう。

 

「ゲームなら好きだぞ。あらゆるジャンルに精通してるし、ゲームセンターも得意だ」

 

 俺の唯一誇れる部分だから、わざと胸を張って自慢気に言ってやった。

 

「あの、ミスティミラージュ・オンラインってやりました?」

 

「いや、まだやってないけど?」

 

「そ、そうですか」

 

 そこでいったん話題は尽きた。

雨音がうるさくて静寂にもならず、なんだか微妙な雰囲気になってしまった。家に帰ったらちょっとやってみよう。

 

「あ、あの……ゲームセンター……得意なんですよね?」

 

「まぁな」

 

「ちょっと、欲しいぬいぐるみがあって……クレーンゲームなんですけど」

 

 お安い御用だ。商店街のクレーンゲームなら、連続でニ十個を取った記録がある。

 

「取ってほしいものがあるってこと?」

 

「はい、迷惑だったらいいんですけど」

 

「おっけー、じゃあ行くか」

 

 商店街なら屋根もある。

まさか初対面の女子といきなりここまで親密になるとは思ってなかったけど、別に下心があるわけじゃないし、頼みごとを断るのも気が引ける。

 

 ――でも、このデルフィの頼み事によって、俺の運命は大きく動くことになる。……なんてことにならなければいいけど。

 

 デルフィが欲しがっていたのは、ヘッドスマッシュ&イン・バッファロージャンプって漫画に登場するマスコットキャラのぬいぐるみだった。

ゴロンゴロンという手の平サイズのシマウマと、カパックニャンという子犬サイズの猫耳のアルパカらしいが、よく分からない。

 

 当の本人も原作についてはよく知らないらしく、ただこのキャラを気に入ったからという理由で手に入れたいらしい。

 

 クレーンゲームの筐体には似たようなキャラが詰め込まれていて、狙いの二つはアームから一番離れた端の奥に鎮座していた。

俺にかかれば楽勝だな。

 

 デルフィからお金――百エン玉を預かり、投入する。

 

「宣言しよう。俺は二回のチャンスで二つを取る」

 

 なんて自信満々に宣言してしまったけど、いざ始まるとデルフィの視線が妙に突き刺さる。

 

 緊張するけど、よく考えたらここは屋根のある商店街だ。

俺らと同じく雨宿りついでにゲーセンに立ち寄っている連中もいるだろう。

……デルフィと一緒にいる状況を目撃されてしまう可能性もある。

転校初日の女子とゲーセンにいる瞬間なんて、誰が見てもせっかちなデートだ。

 

 ちらり、とデルフィを見る。

期待しているような輝いた目で、クレーンを眺めていた。

俺は横方向にクレーンを動かすボタンを押した後、デルフィに向き直った。

 

「な、なぁ。どうして、俺なわけ?」

 

「どうして、というと?」

 

「いや、だって俺たちって初対面じゃない? 別に迷惑ってわけじゃないけど」

 

「……なんだろう。アトスさんにミスティミラージュ・オンラインをやってほしいから、かな」

 

 そういえば、デルフィが出した話題は「ゲームって好きですか?」だった。

そこまで主張するほどだ。

あのスマホゲーにハマっているんだろう。

 

「そんなに面白いのあれ?」

 

「はい。最近配信されたゲームなんですけど、ちょっとハマってます」

 

 トレドに言われた、精神をダイブさせるゲームだ。

画期的な凄いゲームではあるけど、バーチャル空間でパワードスーツを装着するゲームだ。

女子がハマるゲームとは思えないけど。

 

「あの、時間ないですよ?」

 

「へ?」

 

 クレーンゲームのことをすっかり忘れていた。

後ろに動くボタンを押さないでいると、クレーンはその場で勝手に落ちるシステムだ。

筐体から時間切れを警告する音が流れている。

すぐさまボタンを押し、目的のゴロンゴロンのぬいぐるみを掴んだ。

 

「よし」

 

 あとは見るだけだ。

ぬいぐるみは出口に真っ逆さまに落ち、排出口に顔を出した。

それを取り出してデルフィに渡すと、子供のように輝いた目でそれを受け取った。

女子の手前、ちょっとカッコつけられて嬉しかったのはウソじゃない。

 

「ありがとうございます」

 

「いや、いいけど」

 

 その流れで残りのカパックニャンというぬいぐるみも入手すると、デルフィの笑顔はさらに輝いた。

喜んでもらったのならこちらとしても悪い気分ではない。

 

「凄いですね、アトスさんは。クレーンゲームは苦手だったから、欲しかったんですこれ」

 

「でも、そのキャラが出てくるなんとかバッファローってマンガのことは知らないんでしょ?」

 

「ヘッドスマッシュ&イン・バッファロージャンプです。名前しか知らないですけど、このゴロンゴロンとカパックニャンは気に入りました。でも……読んだことあるような、ないような」

 

「ほう」

 

 会話をうまく繋げられなくて、ゲーセンの奥に目をやった。

どこかの高校の制服カップルがプリクラに入ったり、各々イチャイチャしながらゲームに勤しんでいる。

デルフィと二人きりでここにいるのが急に窮屈になった。

 

「出ようか」

 

「あ、はい」

 

 俺らはゲーセンを出た。

ほとんど人のいない商店街から外の様子を窺ってみると、さっきまでがウソのように雨が引いていた。

 

 デルフィは俺に傘を返し、雨の匂いが残る地を歩き始めた。

ところどころに水たまりがあって歩きづらい。

靴を濡らさぬよう慎重に歩く。

 

 駅までは十分ほどでつく。

さてどんな会話をしようか、と頭を働かせていると、以外にもデルフィから話題を作った。

 

「あの、ゲームしませんか?」

 

「ゲームって、ミスティミラージュ・オンライン?」

 

「はい」

 

 どうやら、どうしてもデルフィはあのゲームをやらせたいらしい。

どうせプレイするなら帰ってからじっくりやりたいし、それに、ここまで勧められると断れない。

 

「いいけど、あれって精神をゲームにダイブさせるとかっていう、なんか凄いやつだよな」

 

「そうです」

 

 デルフィの話によると、プレイ中は肉体を動かすことができないらしい。

危険だから一人しかいないときにはプレイしないよう警告されているくらいだ。

そもそも周辺機器もなしにそんなことができるなんて、まったく技術の進化ってやつは早いもんだ。

 

「分かったよ。家に帰ったらやる。俺も少し気になってたからな」

 

「じゃあ、今日の九時にフィールドAっていうところで待ち合わせでいいですか?」

 

 おそらくフィールドAというのはゲームのエリアのことだろう。

なんとなく分かる。

 

「私は苗字のソルテアをそのままキャラクターの名前にしてますから、すぐ分かると思います。ピンク髪の女の子のキャラクターです。変身は解除しておきますから」

 

「ああ、分かった。こっちから話しかけるよ」

 

 

 

 そのまま駅に行き、一緒に電車に乗った。

 

 デルフィは俺の行きたい駅の一つ前で降りるらしい。

そこまでは他愛のない世間話でつなぎ、いくらか信頼を得ながら電車に乗れたのは我ながらグッドだ。

 

 オレンジ色の夕日が差し込む電車内は、眠くなるような温かい雰囲気が漂っている。

この雰囲気、なんか青春っぽくて好きだ。

 

 デルフィの目的の駅に到着した。

扉が開き、デルフィが一歩を踏み出して振り向く。

俺は預かっていた二つのぬいぐるみの入った袋を渡すと、ぺこりと頭を下げてくる。

その入れ替わりで、デルフィは二つに折ったメモ用紙を俺に差し出した。

 

 なんだ、この紙は。

 

「今日はありがとうございました。楽しかったです」

 

 どうしてデルフィとここまで仲良くなれたのかよく分からないけど、まぁ良い。

あわよくば付き合いたい、なんて考えたりはしないけど、友達が多いのは良いことだとも思うし。

 

 扉が閉まり、デルフィは手を振った。

電車が動き、すぐにその姿も豆粒のように小さくなる。

 

 俺が下りるのは次の駅。

ちょっとでもいいから、と空いている座席に腰かけた。

 

 渡されたメモ用紙を開いてみた。

まさかラブレターなのか――という期待を膨らませる。

でもそんなすぐに惚れるような軽い女子ではないから、すぐに期待は萎んだ。

 

 そこには、妙な数字が書かれていた。

 

 515 626 728 919

 

「なんだこりゃ」

 

 宝クジの番号……? いや、こんなタイミングでそんなもの渡すわけないし、何かの暗号か?

 

 いや、そんなものはゲームの中で会ったときに聞けばいい話だ。

 

 なんとなく隣で座っていたサラリーマンの持つスマホに目をやる。

ニュースを見ているらしく、ペルセポリスが沈んだ記事がデカデカと表示されていた。

 

 もしも中に姫がいて死亡していたら、これは歴史的な大ニュースだ。

正直言ってあまり実感は沸かないけど、これはかなり国を揺るがすような事件かもしれない。

今ごろ姫の親戚とかは、てんやわんやのパニックだろう。

 

「あれ?」

 

 と、気づけば扉が開かれていた。

どうやらいつの間にか到着していたらしい。

 

 俺は慌てて立ち上がり、電車から外に出た。

真っ黒なパーカーにフードを被った男も一緒に降りたからちょっと怖かった。

そいつは全身真っ黒な服装で、片手にスマホを持ってもう片方はポケットに隠れている。

見るからに怪しい風貌だった。

 

 ちら、と男のスマホに目をやった。

二メートル近くの距離はあったけど、そこにはある人物の写真が表示されていた。

 

 ぱっつんヘアーの金髪。

学校の女子制服――ちらりとしか確認できなかったから定かではないけど、まさかデルフィの写真――? それに僅かだが夕日に当たっているような写真だ。

 

 もしかして、さっき撮ったのか?

 恐る恐る男を問いただしてみようと肩に手を伸ばしたけど、男はすぐに全力ダッシュを決め込み目の前から姿を消した。

俺には気づいてなかったと思うけど、あの動作は怪しい。

 

 デルフィの親戚がたまたま写真を表示していただけか、はたまたストーカーか、真相はともかくあの男には何かがあると俺は睨んでいる。

 

 

 

 家に帰ってダラダラしていると、いつの間にか時刻は八時半になっていた。

 

「そろそろやるか」

 

 スマホを持ってベッドに仰向けになり、ミスティミラージュ・オンラインという真っ白なアプリを起動した。

 

 その瞬間――。

 

「なんだ!?」

 

 視界が真っ白になり、まるで天国にでも旅立ったかのような感覚に陥る。

無数の線が走る青白いトンネルを泳ぐように高速で潜った。

現実っぽくない風景なのに、しっかりと物理的に触れている感覚はある。

温度も湿気も、しっかりと身体に伝わっている。

 

 トンネルを抜けた。

手も足も、体もちゃんとある。

なのにゲーム画面みたいに文字やウィンドウが表示されていて、まさにゲームの中に入ったような感じだ。

 

「というより、マジで入ってるのか……」

 

 実感はないけど、どうやらそういうことらしい。

 

「すげぇ。本当にゲーム世界にダイブなんてできるんだなぁ」

 

 とりあえず表示されている文字を見てみる。

左上から「スタート」「装備」「フレンド」「詳細設定」と縦に並んでいる。

が、スタートは薄黒く表示されていて決定することができない。

 

「どうしたらいいんだこれ?」

 

 と腕を組んだところで、左右からスっと二人の女性キャラクターが姿を現した。

これは、人間なのか? この人たちがリアルすぎて、プレイヤーとゲームキャラの区別がつかない。

 

「初めまして、私はポン子!」

 

「初めまして、デュー子です」

 

「「二人合わせて、ポン・デュ・ガールズでーす」」

 

 右にいたのがポン子という赤メガネ赤ショートヘアのキャラ。

笑顔が素敵で元気なタイプ。

左のデュー子は青メガネ青ロングヘアーのキャラ。

控えめな笑顔が素敵でクールなタイプだ。

 

 どちらも服は近未来的なピチっとした服装で、それぞれのイメージカラーが使われている。

その服装のおかげか、データ空間っぽさが強調されていた。

でもゲームキャラとはいえ、ショートパンツから伸びた二人の生足を凝視するのは躊躇われる。

 

「あ、あの、どういうこと?」

 

 俺が質問する。

 

「私たちは、新規プレイヤーをナビゲートしたりヘルプを担当するキャラクターです。あなたの快適なゲームプレイの懸け橋になれば嬉しいです。ちなみにポン子が姉で、私が妹」

 

 元気なポン子が姉で、クールな妹がデュー子――普通ならクールな方が姉っぽい気もするけど、そこはあえての変化球なのか。

 

「それで? あなたは新規プレイヤー?」

 

 ポン子が妙に接近しながら質問した。ゲーム世界とはいえ、女子の顔が接近すると緊張する。

 

「ああ。今から始めるんだ。まずなにをすればいいんだ?」

 

「それなら、こっちです」

 

 デュー子がパチンと指を鳴らすと、画面が右にスクロールして別のウィンドウが表示された。

 

 左に俺の姿の3Dモデルが表示されていて、その横にはパワードスーツのパーツらしき画像が出ている。

 

 俺のゲーム経験での直感で分かる。

 

これはキャラクターメイキング画面だ。

「まずこのミスティミラージュ・オンラインは、ゲーム空間に精神を移して楽しむゲームです。オブジェクトや他プレイヤーには実際に触れたりできますし、多少なら痛みもありますのでご了承ください。まずはあなたの大まかな見た目と、変身するパワードスーツのデザインや性能を選んでください。それと、名前もですね」

 

 目の前にキーボードらしき物が現れ、その上に『名前を決めてください』と表示されていた。

 

「名前か……」

 

 さすがにアトス・エオリアと本名でプレイするわけにいかないし、でも考えてなかったなぁ。

 

 ちら、とポン・デュ・ガールズの二人を見た。

急かす様子もなく笑顔で待機してくれている。

そこはまぁ、見た目リアルだけど中身はプログラムだから、文句を言わないのは当然だけど。

 

 いや、それよりも今は名前だ。

 

 なんとなく頭に浮かんだ言葉。

響きも良いし、これで決定だな。

 

 俺はキーボードに“ナスカ”と打ち込むと、メイキングは次に進んだ。

 

 パワードスーツの下の髪型、色、顔のパーツ、大体の体格、声を決め、次にパワードスーツのデザインを決めることになる。

だがメット、肩、プロテクター、手袋、ブーツと決められる部位が多く、種類も色も様々だ。

徹底的に決めるとなると小一時間はかかるだろう。

それではデルフィとの約束に遅れてしまう。

 

「ナスカ、決めるのが大変ならこっちで決めようか?」

 

 ポン子が明るい声で、なぜか呼び捨てタメ口でそう言った。

 

「おまかせってやつ? まぁ、ダサくなければいいけど」

 

「ほいほーい。じゃあ適当に決めるよー」

 

 画面に表示されているパワードスーツのパーツが高速で動き、ものの数秒でパワードスーツが完成した。

その下の容姿や声については、現実の自分と似たような無難な感じにしておいた。

 

「こんな感じでどう?」

 

 黒いラバースーツ、ダイヤモンドのような光り輝くプロテクター。

同じくダイヤのようなフルフェイスのメット。

両肩には銀色の四角いマシンガンが装備されてて、引っ張ればチューブに繋がれた状態で抜くことができるらしい。

 

 でも、一つだけ気になった。

 

「なぁ、武器は肩の銃しかないのか?」

 

「おまかせで決めた今はね。他にも剣やら斧やら槍やらに変えられるけど、バトルに勝ったポイントで購入することもできるよ」

 

 シンプルに剣にしたいところだけど、接近戦よりはまず銃で腕試ししたい。

 

「いや銃でいい、後で買うよ。それより、次にステータスとかについて訊きたい」

 

「このゲームは現実の肉体の運動能力はあまり関係ないよ。力も素早さも最初はほぼ同じだから、女の子でも斧とか使う人はいるよ」

 

「もしかして、レベルとか上がれば身体能力は上がるのか?」

 

「そうそうその通り。でも人間にはセンスってものがあるからね、何も身体的な運動能力だけじゃなくて、センスが良ければ補える、かも」

 

 あいにく俺には運動のセンスなんてない。

だからゲームの腕でカバーするしかないか。

 

「まぁ格闘ゲームとかと同じで、ダメージを与えてゼロにすれば勝ちってこと、簡単でしょ?」

 

「ゼロになったらどうなる?」

 

「勝ったほうは相手のレベルと同じ分のポイントと経験値が貰える。経験値が入ればレベルが上がって強くなるよ。負けたほうは特にこれといってペナルティはないけど、超リアルに殴る蹴る斬る叩き潰すで勝負するからね、怖くてトラウマ抱えてやめちゃう人もいるっぽいよ」

 

 やっぱり恐ろしい技術だ。

リアルすぎるのも考え物だな。

 

「ちなみに、このゲームのハイテクなところがもう一つ。同じ相手と連戦して経験値やポイントを不正に稼がないように、本気で勝負する意思のない人とは戦えないようになってるの」

 

「つまり、友人同士で結託してわざと負けるってことができないのか」

 

「その通り。各フィールドの外にモンスターも用意してあるから、地道に戦うしかないね。あ、ペナルティといえば、女の子とかに変なことしたらペナルティ食らうから覚悟してね」

 

「へ、変なこと?」

 

「やだな~ここは実際に触れた感覚になるんだよ。変なとこ触ったら変な風になるに決まってるじゃん。バッチリ監視してるから、変なことしちゃダメだよ?」

 

「あ、いや、そんなことしねぇよ」

 

「よくいるんだよねぇ。自分で女の子キャラになって変なことする人、そういうことばっかしてるとアクセス禁止にするからね。あと、これは世界と通信して勝負もできるよ。もちろんメッセージやボイスも翻訳されるから安心だね」

 

「いや、それは使わないだろうからいいや。細かい説明はともかく、始めたいんだけど」

 

「おっけー、じゃあエントランスにご案内~!」

 

 ポン子がパチンと指を鳴らすと、また画面が切り替わって木製のトビラが出現した。いやゲームの世界だから材質なんてないんだろうけど。

 

「じゃあ、ここから先がエントランスね。ショップは左、タイトルに戻るのなら右、対戦するなら正面の扉からよろしく」

 

「あ、あのさ、フィールドAってところで知り合いと待ち合わせしてるんだけど、どこかな?」

 

「正面の扉を見ればすぐ分かるから大丈夫」

 

 それなら安心だ。

 

 俺はいつもと違う姿の自分になり、エントランスへと続く扉を開いた。

 

「じゃあ快適なゲームライフを、ナスカ様」

 

 丁寧な性格のデュー子が、俺に向かって手を振ってくれた。

その笑顔に、ちょっと心臓が高鳴りそうになる。

いかん、あれはプログラムだ。

現実に飢えた人なら本気で心が揺さぶられるんだろうけど、俺はまだそこまでの段階には達していない。

 

 ――意外にもあっさりとエントランスに到着した。

 

 セレブの家みたいな大理石っぽい床に、ギリシャ神話の遺跡みたいなデザインのショップがある。

その周囲も大理石みたいな壁で囲まれていて、金持ち気分だ。

 

 入るときにもっと派手な演出が来るんじゃないかと身構えていたけど、シンプルで助かった。

なにぶん視点や感覚がリアルだから、あんまり激しい画面だと吐きそうになるし。

 

 今はパワードスーツを装着していない状態で、まさに村人Dみたいな服装だった。

といっても顔も体も俺のじゃないから、知り合いにバレる心配はないけど。

 

 エントランスにいた数人のプレイヤーがこちらを見た。

美少女におじさんに、その容姿は様々だ。

現実と同じく恥じを覚えて、慌ててショップに目線を切り替える。

見た目はああでも、実際のプレイヤーの姿はどうなんだろう……想像してちょっと怖くなった。

 

「らっしゃい」

 

 プレイヤーがいないキャラ、ノンプレイヤーキャラ――いわゆるNPCの商人が言う。

エプロン姿のおっさんだった。

 

 軽く並んでいる武器を見てみると、剣や槍は安くても五百ポイント。

高ければ十万を超えるものもあった。

もちろんそれに見合った能力はある。

 

 ザビードジャベリン――二千ポイント。

 

 セント・ギルダーライフル――二千ポイント。

 

 失われしカティオスの剣――九万八千ポイント。

 

 アル・アインエッジ――十二万ポイント。

 

 まるで高校生の俺には手が出ないような数字が並んでいた。

 

「金がないなら課金もできるぜ」

 

 どうやら現実のお金をポイントに変換できるらしく、百エンで二百ポイントだそうだ。

 

 と、いうことは……十二万のアル・アインエッジという武器を買うにしても、エンだと六万もかかるのか。

けどこれじゃ、まるで札束で殴るようなもんだ。

課金は恐ろしいものだと再確認しつつ、俺はショップを後にした。

 

「さて……」

 

 俺は小さなメニューウィンドウを呼び出した。

右上に表示されている時間を確認する。

 

「約束の九時まで、あと五分か……丁度いい時間だ、フィールドAまで進むとするか」

 

 正面に並んだ四つの扉――そのうちの左にあるフィールドAの扉を開いた。

とても広いエリアだった。

ライトが出ているような床に、時折色が変化する壁が眩しい。

ところどころに遺跡みたいな柱が埋まってたり木が生えてたり廃車が落ちてたりと、世界観もメチャクチャだ。

 

 他のプレイヤーはざっと見たところ五十人近くはいた。

こんな画期的なゲームにしては人が少なめだけど、少ないほうがいいか。

 

 すると、入ってきてすぐに面倒なやつに絡まれた。

 

「おい! お前、見ない名前だな、新人か?」

 

「あ?」

 

 男のキャラクターだった。

そいつの頭上には【正散(せいさん)のスライマン・トウ!】という名前が出ていた。

どうやら、トウ! までが名前らしい。

 

 胸にデっかいバツ印が描かれているプロテクターを着た、黒い姿だ。

メットの下はどんな顔なのか……気にならないけど。

 

「ナスカ? ほう、いい名前だな……俺は“正”義の拳をまき“散”らし、闇と悪魔を打ち払う、正散のスライマン・トウ! だ」

 

 と、スライマンとやらはカッコよさげなポーズを披露した。

意外にもキレがあって、不覚にもちょっとカッコいいと思ってしまった。

 

「ナスカとやら、キミもパワードスーツを装着して戦え! もっと俺を見習うんだ!」

 

「はいはい、凄い凄い」

 

「……きみ、レベルはいくつだ?」

 

 スライマンが唐突にそんなことを聞いてきた。

面倒だ。

デルフィとの待ち合わせもあるのに。

 

「レベルは1だ。まだ始めたばっかりなんだよ」

 

「そうか。で、年齢はいくつだ? ちなみに俺は三十三だ」

 

 こいつ、俺よりも十以上も上じゃないか。

でも年齢なんてそう晒していいものじゃないし、晒さなくちゃいけないルールもないし黙っておこう。

 

「言わねぇよ。あんたよりも下とは言っておくが」

 

「なんだと? なら敬語を使え、常識だろう?」

 

「はいはい、失礼いたしました」

 

 なんでゲームの中でも礼儀だのなんだの言われなくちゃいけないんだ。

自分だって俺の年齢を知らずにタメ口だったくせに。

 

 そろそろスライマンがウザくなったから、俺は無視して通り過ぎた。

 

「じゃあなスライムマン」

 

「スライマンだ! こら! 待て!」

 

 背中に怒鳴り散らしてくるスライマンに手を振り、俺はフィールドAの中心まで歩いてきた。

 

 しかし、広いな。

デルフィはどこにいるんだろう。

 

 そういえばデルフィは“ソルテア”というキャラ名でピンク髪だと言っていた。

すぐ見つけられるだろうと思ってたけど、これじゃ厳しいな。

 

 

 

 ――数分後、約束の時間である九時を過ぎた。

 

 その間に人の出入りはいくつかあったものの、デルフィの姿を見つけることはできなかった。

 

「まいったな……」

 

 デルフィだって都合はあるんだろう。

遅刻くらい仕方ない。

 

 ――と、何者かが背中に触れた感触があった。

 

「デルフィ?」

 

 振り向き、すぐに解答が誤っていたことに気づいて落胆する。

 

「ナスカ、勝負をしろ!」

 

 スライマンだった。

 

「またかお前」

 

「俺のレベルは2だ! きみはまだ1だろう? じゃあ、手ほどきをしてやろう」

 

 なんだこいつ、偉そうにしてたわりにはまだ初心者じゃないか。

 

 デルフィだって探さなくちゃならないのに……でも断ると面倒そうだな。

 

「なぁ、ソルテアってキャラを探してるんだ。訊いてもいいか?」

 

「俺に勝てたら、教えてやろう」

 

「……しょうがねぇな」

 

 面倒だが仕方がない。

 

 すると目の前に“デュエルしますか?”と書かれた画面が現れた。

 

「なんだこれ?」

 

「デュエルの申し込みだ。YESを押してくれ」

 

 言われたとおりにYESのボタンを押す。

 

 ……すると、まるで夜になったかのように周囲の風景は一瞬で真っ暗になった。

 

「おい、なんだこれ?」

 

バトルフィールドだ。人がいるとこでやると周囲に迷惑がかかるからな。瞬時に場所が切り替わる仕組みになっている」

 

 真っ暗な場所だったが、次第にぼんやりと荒野のような風景が現れ始めた。

 

「な、なんだこりゃ!?」

 

「ふふ、驚いたか。これがミスティミラージュ・オンラインの技術だ!」

 

 気づけば、まるで西部劇の決闘シーンみたいな場所に立っている。

周囲には木造の建物が並び、遠くには山もあってハニワみたいな形のサボテンもある。

あとは丸い草の塊(タンブルウィード)が転がっていて大きな夕日も出ている。

非常によく出来た雰囲気が演出されていた。

 

 つくづくこのゲームの技術には驚かされるもんだ。

 

「フィールドはデュエルを申し込んだ方が決められる。文句はないだろう?」

 

「いいけど」

 

「ルールは知っているな? 変身し、体力が底を尽きるまで戦う」

 

「知ってるよ」

 

 格闘ゲームもアクションゲームもどれも似たようなもんだ。

大きく違うのは実際に体を動かすってところだけど、身体能力はステータスに依存するからいつもより身軽な感じがする。

 

 と言ってもレベルは1のクソ素人だから、あんまり変わらない気もするが。

現実世界の俺ってレベル1と大して違いないってことか?

 

「ナスカよ」

 

「なんだスライムマン」

 

「スライマン・トウ! だ! 普通に戦っても面白くない、一つ賭けをしようじゃないか」

 

「賭け?」

 

 こいつ、現実世界でもギャンブルとかにハマるタイプと見た。

 

「きみが勝ったら、ソルテアなる人物について教えてやろうじゃないか! そちらが負ければ、俺と一緒にモンスター狩りに来てもらおう。今はキャンペーン中でな、パフォスという特別なモンスターがいるんだ」

 

「どんなやつだ?」

 

「十本の槍を使う甲冑の戦士だ」

 

 何が悲しくてこんなやつについていかなくちゃいけないのか、俺は早くデルフィ――いや、ソルテアを探すためにも、スライマンとの決闘を開始した。

 

「それじゃあ勝負をしよう、だがまずは変身したまえ」

 

「変身?」

 

「おいおい、パワードスーツを作っただろう。変身しなきゃ戦えないぞ」

 

「あぁ、あれか」

 

 俺はなぜか変身の方法を知っている。

おそらくゲーム内だから自動的に説明書みたいなものが頭の中に入って来たんだろう。だから俺は特に困ることはなかった。

 

 念じると、左手の人差し指にダイヤの指輪のようなものが現れた。これが変身アイテムだ。

 

 変身コードは――。

 

「ミラージュ・コーティング!」

 

 声と共に左腕を前方に突き出した。

 

 指輪から光の壁が出現し、プロテクターの形となって胸に張り付いた。黒いラバースーツ、手袋、ブーツ、フルフェイスのメットも形成され、瞬時に全身を包んだ。両肩には銀色の四角いマシンガンが装備されており、引っ張ればチューブに繋がれた状態で抜くことができる。

 

「さぁ、勝負と行こうか」

 

 

 

「うおおおおおおお!!」

 

 スライマンは大型の剣を構えて突進してきた。

このストレートなところ、おそらくこいつは公務員と見た。

 

 俺が肩に銃を装備していることを忘れてもらっちゃ困る。

 

 両肩からチューブに繋がった四角いマシンガンを引き抜き、バカ正直に正面突破を試みるスライマンに銃口を向けた。

夕日と相まってかなり画になっていたに違いない。

 

「食らえ」

 

 ちょっとカッコつけて呟き、引き金を引き絞った。

 

 ダダダダダダダダダ! 獰猛な野獣そのものを発射するような音に、発射した俺自身も驚く。

 

「ぐおおおおおお!!」

 

 半分以上は外して地面を抉ってたが、残りはスライマンの全身に浴びせかけてやった。

スライマンは俺の手前五メートルほどでみっともなく倒れ伏し、剣を落とした。

 

「ぐ……つ、強いな……ナスカよ……」

 

 1のレベル差はあったものの、どうやらこれで勝負アリらしい。

 

 え……? 終わり?

 

 スライマンが立ち上がるとその変身は解除され、冴えない感じの男が姿を現した。

「よくぞこのスライマンを打ち破った。凄いじゃないか、まだ始めたばっかりなのに」

 

「は、はぁ」

 

 こんな弱いやつに褒められてもちっとも嬉しくない。

 

「デュエルは終了だ。フィールドを戻すぞ」

 

 再び周囲が真っ暗になり、再構成するようにフィールドAの風景が戻って来た。

 

 メニューを出してみると、俺の現在経験値とポイントが2だけ増えていた。

そういや相手のレベルと同じ経験値とポイントが入るんだっけ。

こいつに頼んでわざと負けてもらうこともできないってポン子だかデュー子も言ってたから、地道に戦うしか道はないか。

 

「ぐ……ぐ……俺は、俺は悔しい……」

 

 なぜかスライマンが俺の目の前で泣き始めた。

何が悲しくて年上の男の涙なんぞ見なくてはならんのか、こいつは映画ですぐに泣く人間だと見た。

 

「泣かなくていいから、それよりソルテアの場所を教えろよ」

 

「いやすまない……実はそのソルテアなる人物については知らないんだ」

 

 ――なんだと。

 

 俺は変身を解除し、スライマンの胸ぐらを掴んだ。

 

「おい、ウソついたのかよお前」

 

「いや、あの……ええと……」

 

 俺に勝負をふっかけるための口実でしかなかったのか。

こういうずる賢いことをするんだ、会社でも浮いていると見た。

 

「そ、そうだ!」

 

 スライマンは言い訳を思いついたのか、人差し指を立てた。

 

「キャラクターが見つからないんなら、検索してみればいい」

 

「検索?」

 

「メニューウィンドウのフレンドってところにそれっぽいのがあるだろう?」

 

 言われてメニューウィンドウを開いた、フレンドと書かれているところを選択する。

 

 もちろんフレンドの数はゼロ。

だが、右上にネット検索みたいな横長の箱があった。

 

「それだナスカ、そこにIDを打ち込め」

 

「あ? ID?」

 

「キャラクターを作るときにIDも設定しただろう、十二ケタの数字だ」

 

「あ、あのときか」

 

 キャラクターに関してはおまかせだったから、IDも勝手に設定されてしまっていたようだ。

 

 慌ててフレンドリストの上に出ている俺のIDを見ると、確かに十二ケタの数字が書かれていた。

815 929 667 734と。

 

 なんか、見覚えのある雰囲気だな……。

そもそもソルテアのIDなんか持っていただろうか。

 

 ……そこで、電車でデルフィと別れた時のことを思い出した。

ぬいぐるみの袋を渡し、引き換えに渡された二つ折りのメモ用紙――。

 

 やっべぇ、さすがにあんな数字は覚えてない……こうなると、紙の媒体で書かれた情報って不便極まりないもんだと痛感する。

いや、ゲームがリアルすぎるのがダメなのか。

 

 一度ゲームをやめるためにログアウトせねば、面倒だが仕方ない。

 

 フレンドリストを閉じ、詳細設定を開く。

端にはログアウトのボタンがあった。

 

「じゃあなスライムマン」

 

「お、おい! どこに行く!」

 

 スライマンを無視し、俺はログアウトのボタンを押した。

全身が光に包まれ、手や足の感覚が消滅した。

宙に浮いたような感じで少し怖かったものの、それもすぐに終わる。

 

 目の前に「BYE BYE」の文字が浮かび、そして、視界は完全にシャットアウトされた。

 

 ――。

 

「あっ……?」

 

 自分が柔らかいベッドに寝そべっていることに気づいた。

 

 手に持っていたスマホを見て、ようやく現実に戻って来たのだと理解する。

 

 時刻は九時半。

約束の時間などとっくに過ぎている。

やばいな、これじゃ約束をすっぽかしたも同然だ。

あのスライマンさえいなければ会えたのかもしれないが、邪魔しやがって。

 

 スマホに一件の着信が入っていたことに気づいた。

主はデルフィ。

着信が入った時間は九時ジャスト。

その一件だけ。

 

「九時? デルフィは九時にゲームにいなかったのか?」

 

 きっと、九時に行こうとしてたのに用事が出来て来れなくなったんだろう。

親に止められた、とか、そういう事情で。

 

 だが三十分遅れとはいえ、無視するわけにもいかない。

俺はデルフィに電話をかけなおした。

 

 ――数回のコールの後、やがて電話が繋がった。

 

 だが声がしない。

 

「デルフィ?」

 

 名前を呼ぶ、すると、数秒の間を開けてデルフィの返事が返ってきた。

 

『アトス、さん』

 

 妙にか細く弱々しい声だった。

今にも消え入りそうな小さな声だ。

 

『……ごめんなさい、行けそうにないです。ごめんなさい、約束、九時だったのに……』

 

「それはいいけど、どうした?」

 

『……ごめんなさい、駅に、来てください……』

 

「駅?」

 

 その声音は、ただ疲れているような感じではなかった。

最初に会ったときも小動物のようなイメージだったけど今は違う。

もっと弱い、もっと弱々しい、そんな雰囲気だ。

 

「駅って、どこの駅?」

 

『アトスさんが降りた駅……』

 

 俺が降りた駅――あそこまで歩いて数分だ。

でもどうしてその一つ前の駅で降りたデルフィが、ここの駅にいるんだ。

 

 只ならぬ何かを悟った俺は、スマホ片手に家を飛び出した。

何かがおかしい。

何かがデルフィの身にあったんだ。

まだデルフィとの付き合いは短い。

まだ一日すら経っていないじゃないか。

ようやく友達になれたのに、転校初日の転校生と友達になるなんて凄いことなのに。

普通に友達になれればよかったのに。

なんで、なんでこういうことになるんだ。

 

 

 

 人が十人も入れば窮屈になりそうな駅のホーム。

そのベンチの上に、デルフィの姿があった。

腹から血を流し制服を赤く染めている。

ベンチの下に、僅かに血の雫が落ちていた。

多量の出血だったら、俺は失神していたかもしれない。

 

「おい……なんだよこれ」

 

 すぐに駆け寄ると、デルフィはうっすら目を開けて俺を見た。

 

「で、デルフィ……?」

 

 死んでしまう――刺されたのか撃たれたのか、落ちる血の雫の量も増えてきている。

死ぬ。

このままでは、誰がどう見ても死ぬ。

 

「いま、いま救急車を……」

 

「待って……私は、一度死んでいるの。昨日、死んだ人間なの……」

 

「な、なに言って……」

 

「でもごめん……あのゲームは、もうやらないで……」

 

 デルフィの口から零れる一つ一つの言葉が、俺には理解できない。

 

「ど、どういうことだよ?」

 

「私、小さな部屋でマンガを読んでいる女の子を見た……近くにお姉さんみたいな人も……」

 

「見た? 見たって、そいつがデルフィを傷つけた犯人か?」

 

「違う……私……あれは、姫、私かもしれない……」

 

「あ、いや、これ以上は喋るな」

 

 血はとめどなく溢れている。

血だまりはなかったけど、時間の問題だ。

 

 すぐに持っていたスマホで救急車に繋いで、回らない呂律で必死に助けを呼ぶ。

応急処置なんてよく分からないけど、今は血を止めることを考えなくては。

 

 ポケットに突っ込まれていたくしゃくしゃのハンカチを使い、デルフィの腹に当てた。

すぐに血を吸収したものの、その下から次々と血が溢れる。

 

「待ってろ! いま救急車が来る! だから、死ぬな!」

 

「ねえ……アトスさん……」

 

 俺はデルフィの小さな手を握った。

ロボットのように冷たかった。

温もりなんてどこにも感じない、暖かい血が抜け落ちたんじゃないかってくらい、氷のように冷たい。

 

「ど、どうした……?」

 

「私、刺された……知っている人……知ってる……人……に」

 

「知っている人……? 誰だ? 誰なんだ?」

 

「名前は……知らない……でも、ゲームの名前なら……」

 

 ゲーム――? ミスティミラージュ・オンラインでのキャラ名ってことか?

 

「あの人は、アルベロって名前……その人に……やられ……た……」

 

 やっぱり喋らせるべきじゃなかった。

ハンカチだけで止血するのもそろそろ限界で。

それどころか出血量がどんどん増している。

 

 アルベロ――デルフィはうすぼんやりとした意識で確かにそう言った。

 

 でもゲーム初心者の俺にはそんな名前は見たことも聞いたこともない。

 

 そのアルベロなる人物のゲーム内の容姿や現実での容姿も聞いておきたかった。

けど、もうデルフィは本格的に喋れるような状態じゃない。

呼吸は弱くなり、目も開かず、今にも命の灯が消えてしまいそうだった。

 

 まだか、まだ来ないのか救急車――。

 

 それから俺はデルフィの冷たい手を握りながら救急車を待った。

来たのは五分後。

もうデルフィは虫の息と言ってもいいほどで、一言も発することができない状態だった。

 

 やってきた救急隊員に何かを質問されて俺は頷いていたけど、その辺の記憶はほとんど抜け落ちている。

喋ったことなんて覚えてない。

ただ、現実を受け止めるのに精いっぱいだっただけだ。

もちろん怒りや疑問もあったけど、それよりもショックが全身を支配していた。

 

気づけば服に少しだけ血をつけたまま自分の部屋まで戻ってきていた。

全てデルフィの血だったけど、心を中心にいろんな痛みが身体を駆け巡っている。

 

 すでに時刻は十時を過ぎている。

スマホ片手に、立ち尽くす。

 

 世界から色が抜けたような感覚になった。

たった一人がいないだけで、こんなに世界が違って見えるんだって、初めて知った。

 

「そうだ……」

 

 着替えなくては。

 

 僅かだが、服に血をつけた状態で家族に見つかったらどんなことになるか分からない。

 

 少しでも冷静になるため。

新しい服を取り出して着替えた。

 

血だらけの服は適当な袋に押し込んでベッドの下に隠した。

そのうちこっそり捨てておこう。

 

 清潔な服になると落ち着きを取り戻してきた。

それでも心臓は爆発しそうなくらい鳴っている。

何度か深呼吸を繰り返したけど、心臓は穏やかにはならない。

 

 ブブブブブブブ……。

 

「え……?」

 

 スマホが振動した。

誰かから電話が来たらしい。

こんな時間にトレドの下らない話になんて付き合ってられない、と思いながら、トレドと雑談すれば落ち着けるかなという期待もあった。

 

 画面に表示された主を見る。

 

「ない?」

 

 表示されていない。

知らない番号だ。

嫌な予感がする。

間違い電話か、変なサギか、それとも相手が一方的に知っている人物か。

 

 緊張した手で、その電話に出た。

 

『やぁ、少年』

 

 変声機のようなもので声を変えていて、ニュースに登場する目撃者Aみたいな妙に高い声だ。

 

「だ、誰だ?」

 

 恐る恐る訪ねた。

彼は――男かどうか分からない――さも当たり前のように、冷静に答えた。

 

『初めまして。私の名前はアルベロだよ。お友達は元気かな』

 

 ― 一日目 夕方―

 

 ――アトス・エオリアがミスティミラージュ・オンラインを始める前日。

メリダとセラードたちが乗るペルセポリスが撃墜された後のことである。

 

「誰だ」

 

 黄昏の空の下。

アルコの点けた焚火はバチバチと燃えて火の粉を散らしている。

周囲は森で囲まれ、何者かが私たちの様子を窺っていた。

 

 アルコが向ける銃口の先は、その何者かの影だ。

薄暗くて姿を捉えることはできない。

 

「おいセラード」

 

 照準を人影にピタリと定めたまま、アルコは横に立つ私に低い声で言う。

 

「はい……?」

 

「頼みがある。お前にしかできない重要なことだ」

 

「重要な、こと?」

 

「指輪を預かっているだろう。ダイヤの指輪だ」

 

 指輪――ゴレスターンのことだ。

きっとアルコはパワードスーツを装着するつもりなんだろう。

 

でもここで私がゴレスターンのことを知っている、とバレれば、私が本当はメリダだということも気づかれてしまう。

セラードはゴレスターンのことを知らないから、指輪のことはあえて知らないふりをした。

 

「指輪? 確かにありますけど、どうして指輪なのですか?」

 

「頼む、目の前に誰かいるんだ。早く」

 

 私はポケットからゴレスターンを取り出し、突き出されたアルコの手に乗せた。

その間にも、アルコの目と銃口は人影にピタリと向いたままだ。

 

「おい、出て来い。十秒以内に出てこなければ撃つ」

 

 アルコの声音から察するに、その言葉は本気だった。

敵かどうかは分からず撃つのだからいきなり命中させたりはしないだろう。

おそらく地面に威嚇射撃だ。 

 

「十……九……八……」

 

 宣言通りにアルコはカウントを始める。

だが人影に動きはない。

 

「七……六……五……本当に撃つぞ」

 

 まだ動きはない。

ここまで動かないのは意地なのか作戦なのか、それとも人ではないのか、どれにせよこちらとしても居心地は悪い。

 

「四……三……うん?」

 

 人影が動いた。

人間だ。

暗くてよく見えないけど、私と同じ――メリダと同じくらいの、高校生くらいの女性だった。

黒い三つ編みに凛々しい目つきだ。

 

 女性は両手を上げている。

どうやら武器もなさそうだ。

シュトゥルーヴェの兵士ではないことが分かって、私たちは安堵した。

 

「止まれ、何をしている。お前は誰だ」

 

 女性が足を止めた。

 

「私はティカル・サンミシェル。ここに妙な灯りがあったから、誰かと思って」

 

 ティカル・サンミシェル。

その声と名前を聞いて、すぐに私の知っている人物だと確信した。

 

 同じ学校で、姫という立場に左右されずに平等に接してくれる友人だ。

人当たりがよくて、ちょっと泣き虫だけど頭が良くてとても優しい。

 

 でも、ティカルが知っているのはメリダ・エーランドであってセラード・エーランドではない。

セラードを会わせたこともないから、実の妹だとは気づかないだろうし、もちろん精神を移していることなど知る由もないだろう。

 

「どこの人間だ?」

 

「すぐそこのミストラから来ました。あの……ええと」

 

 敵意がないと判断し、アルコは銃を下した。

ティカルは泣きそうだった顔を引っ込めて、大きく深呼吸をする。

 

「あの、もう手をおろしてもいいですか?」

 

「ああ。だがきみが本当にミストラの人間なのか証明できてない。妙なことはするなよ」

 

 ティカルにはちょっと気の毒だけど、今は仕方ない。

 

「ティカルとやら、ちょっと頼みがある」

 

「は、はい?」

 

「きみがミストラの住人だという証明ついでに、俺らを助けてもらってもいいか?」

 

「助ける?」

 

 ティカルが私たちの後ろに待機しているシルヴァンシャーを見て、大まかな事態を察したようだ。

ペルセポリスが落ちたのも気づいているだろう。

ティカルは察しが良い。

 

「実はちょっとゴタゴタがあってね、一日だけでいいから宿を見つけてくれたら助かるんだが」

 

「ええと……あなたたちは……?」

 

 信用していないと言いつつも、アルコは名乗るのを忘れていた。

 

「すまない。俺はアルコ・バッサー。こいつはセラ――」

 

「セラードです」

 

 私はアルコの言葉を遮るように言った。

 

「セラード……バッサーです」

 

 私は嘘をついた。

“エーランド”などと紹介すれば、メリダの妹だと気付かれてしまう。

 

 そうなればティカルに私が死んだことがバレちゃうし、ティカルも悲しむだろう。

 

「親子、ということですか?」

 

「まぁそんなところだ」

 

 アルコは詳しく事情を知らないけど、私に合わせてくれた。

 

「本当ですか?」

 

 怪しむのも無理はない。

先に銃を向けたのはこっちなんだから。

 

「証明はできない。信用してくれ、としか」

 

「……条件があります」

 

 ティカルは私たちの前に踏み込んだ。

 

「あなたたちの身元も分からない、銃も所持している、親子というのも信用できない。だからまず、その銃を渡してください」

 

 強気に出たティカルにアルコはいくらか躊躇しながら、銃を逆向きに持ってティカルに渡した。

 

弾を抜いてポケットに入れたから、銃と弾は別々にされている。

 

 ティカルはずっしりと重い銃を手にし、本物だと確信した。

 

「アルコさん、でしたっけ。銃は預かりましたけど、あなたたちは何者なんですか?」

 

 普段から銃を持つ職業なんてそうそうない。

警察か警備員か軍人か、物騒な人か。

どれにせよ銃を所持していた状況で説明するのは難しい。

 

「エフェソスの軍人だ。ちょっと乗り物が故障してな」

 

 アルコはシルヴァンシャーを後ろ向きに親指でさした。

 

「では、そちらの娘さんは? どうして軍の乗り物に娘さんがいるんです?」

 

「見学させてたんだよ」

 

 ティカルは私とアルコを何度か見て、ようやく頷いた。

 

「とりあえず、分かりました。あなたのことを信用してもしなくても、そっちの子供を助けないわけにもいきませんし……」

 

 こうして私たちは、ティカルに警戒されながらミストラに向かった。

 

 畑や田んぼに囲まれた、自然が豊富な町だった。

建物も大きなビルなどはなく、一軒家程度のものばかり。

私はあまりこういう町には縁がないから、空気がキレイなところは新鮮だ。

 

 ティカルの家は大きなリビングがついた広い家だった。

L字型にソファが置かれ、その対角線には薄いテレビが置かれている。

 

奥には二階への階段が伸びていて、オレンジの間接証明がオシャレに部屋を照らしていた。

 

「いいのか? 自分の家なんて」

 

「……いえ、その子、どこかで会ったことがある気がして」

 

「え? 私ですか?」

 

「ううん。なんでもない……今、お父さんを呼んできますから、座っていてください」

 

 言われた通りに座っていると、階段の上から男性を連れてティカルが下りて来た。

四十代くらいの優しそうな人だ。

 

「ゴアといいます。さっき娘から大まかな事情は聞きました。一日だけならどうぞここで泊まっていってください」

 

 拍子抜けするほどあっさりと許可を取れて、私たちは驚いた。

 

 身元もよく分からない人間をこうも簡単に泊めていいものなのだろうか。

 

それはそれでありがたいのだけれど。

 

 

 

 お風呂と、ティカルが昔使っていたパジャマまで借りていいと言われた。

 食事も頂き、すでに時刻は夜になった。

 私は友人――本人は気づいていないが、ティカルのベッドで一緒に寝ることになった。

アルコは遠慮してソファで寝ると言ったけど、なんだか申し訳ない気持ちになる。

 

「ねぇ、セラードちゃんだっけ」

 

 ティカルがベッドの上に座って濡れた髪を乾かしながら言った。

私もその隣に座り、一緒に髪を乾かしている。

自分で触ってみて驚いた。

セラードの髪、私のより何倍も柔らかい。

 

「はい?」

 

「きみさ、私の友達に似てるんだよね。もしかして、妹さんとか?」

 

「え」

 

「違うよね」

 

 そこでティカルはベッドの下から缶の箱を取り出した。

それがなにか、察しがついた。

 

「見て、これが私の友達、メリダ

 

 缶の中には私とティカルが写った数枚の写真があった。

忙しくてなかなか学校にも行けず遊びにも行けなかったけど、一度だけショッピングモールに遊びに行ったときにティカルに撮られたツーショットだ。

わざわざ印刷されていたその写真に、つい声を出してしまった。

 

「あ、これ、あのときの……?」

 

「あのとき?」

 

 口を押さえた。

うっかりとはこのことだ。

 

「それと、これも見て」

 

 ティカルは缶から小さな人形を取り出した。

木で出来た人型の人形で、頭に紐が付いているストラップのようなものだ。

 

 それも見覚えがあった。

あのショッピングモールで買ったものだ。

職人が目の前で作ってくれて名前も付けられる。

値段は三百エンだったけど、私にとってはそれ以上の価値がある。

ティカルのは青い物で、たしか名前は、

 

「あ、それってクルシュー?」

 

 また口を押さえた。

セラードが知るはずもない情報が自然と口から飛び出してしまったからだ。

なんでこう、うっかりが続くのか自分を呪った。

 

「どうして名前も知ってるの? クルシューっていうのは私とメリダしか知らないはず……」

 

 ティカルが疑い始めた。

無理もない。

 

「もしかしてセラードちゃんって、メリダの妹さんかなにか?」

 

 もうバレた。

 

隠し事がうまい方だと思ってなかったけど、初日でバレてしまうとは。

これ以上の誤魔化しは無意味だと判断し、正体を明かすことにした。本当はメリダだということは内緒にしておく。

 

「……うう、ごめんなさい、私、本当は妹なんです」

 

「なぁんだやっぱり! どうりで似てると思ったんだよね。ということは、あのおじさんはメリダのお父さん? なわけないよね。歳も合わないし」

 

「お、怒らないんですか?」

 

「怒らないよ。それより、どうしてウソなんてついたの?」

 

「それはその、警戒されると思ったからです」

 

「まぁ、私も今のがなければ信用しなかったよ。でもなぁ、メリダに妹かぁ、可愛いなぁもう」

 

 セラードの顔が褒められて、なんだか私も鼻が高い。

 

「でも、あの帽子は?」

 

 丸いテーブルの上、セラードにはまだ大きすぎるキャスケットがティカルの目に入った。

 

「あれは、姉様から授かったのです。その、なんでかは分かりませんけど」

 

「そっか。でもまだ大きすぎるよね」

 

「ええ、あと五年くらいだと思います」

 

メリダみたいなすっごい美人になれるよ」

 

 それから、ティカルは無数の質問をぶつけてきた。

プライベートではどうだとか姫としての生活はどうだとか、そういう話にあくまで妹だという前提で答えなくちゃいけないから疲れる。

 

 素性を偽っていたことに関して追求してこなかった。

アルコについても同様で、とりあえず信用してくれたようだ。

弾のない拳銃は預かったままだけど、明日には返してくれるらしい。

 

 こうしてベッドに入ったものの、まだ寝付けない。

やっぱり、セラードが死んだ事実を受け止めきれないし、ルートやラウマについても諦められない。

 

 落ち着かない。

ティカルは夢の中だけど、私はこっそりベッドを抜け出して部屋を出た。

 

 階段を下りて一階に行くと、ソファのそばで小さな灯りが点いていた。

どこからか持ってきた小さなシェードランプで手元を照らしながら、アルコが天井を見上げている。

 

「お?」

 

 アルコが下りて来た私に気づいた。

私と同じく眠れなかったのか、手を振って応えた。

 

「どうしたセラード」

 

「あの、眠れないんです」

 

「俺もだ。こんな状況ですぐにグースカ寝れる方がどうかしてるけどな」

 

 L字型のソファーに仰向けになったアルコのそばに行きたくて、もう一つのソファーに腰かけた。

シェードランプの灯りが心地よくて、少し気に入った。

 

メリダのことだろ」

 

「は、はい」

 

 本当はセラードのことが一番気になって眠れないけど、そこは口にしない。

 

「辛いよな。まだ十七歳でこんな目にあっちまうなんて。あと三週間で誕生日だったのにな」

 

「え? 姉様、あと三週間で誕生日だったんですか?」

 

「おいおい、誕生日になったら手作りのブローチをあげるんだって言ってただろ」

 

 セラードが、私自身も忘れていた誕生日を覚えていてくれたなんて、どうしていままで気づかなかったんだろう。

私のために、ブローチなんか作っていてくれたなんて。

 

「セラード、お前まさか自分の誕生日も忘れたのか?」

 

「私は六月二十六日」

 

 自分のは忘れてたけど、セラードのはハッキリ覚えている。

 

「俺は?」

 

「あ」

 

「ま、覚えてなくてもしょうがないな。七月二十八日だ。まぁ、セラードが二十歳になったら、一緒に酒でも飲もうじゃないか。それがプレゼントってことで」

 

 二十歳――今となってはその言葉は重い。

 

答えづらい質問が来そうだから、話を逸らした。

 

「あの、その、あのブローチってどこにやっちゃいましたっけ?」

 

「どこって、秘密にしてたんだから俺も知らないぞ。口を滑らすといけないから俺には内緒にするって言ってただろ」

 

「そ、そうでした」

 

 今は四月の二十四日。

確かにあと三週間もすれば私の誕生日である五月十五日だ。

そうか、あと三週間で私の体は十八歳になれたんだ。

 

メリダももうすぐ十八だったのか。早いな。子供だと思ってたのに、もう大人の仲間入りか」

 

「大人……?」

 

「そうだ。女なんて十八になったら大人だ。男はいくつになってもガキだからな、俺もそうだ」

 

「私は、どうですか。大人ですか?」

 

「なに言ってる。十歳はまだ子供だ」

 

「そうです、よね」

 

「ごめんなセラード。大人の俺が、しっかりお前らを守ってやるべきだったのに」

 

「そんなこと……心強いですよ」

 

「いや、あのとき俺は敵を倒しに行くんじゃなくて、お前らのそばにいてやるべきだった。これがあればある程度は戦えたのに」

 

 アルコはポケットからゴレスターンを取り出した。

私はあれで変身して警備ロボットを撃破できたけど、今思うとあれで人と戦える自信はない。

アルコならもっとうまく扱えるはず。

 

「今日は疲れたな。もうヤメようか暗い話は」

 

「は、はい……」

 

 セラードの傷はゴレスターンで再生されたけど、一度は死んだ体だ。

私もシュトゥルーヴェ兵たちの前で死んだふりをしたときは心臓が止まるかと思った。

精神的な疲れがとてつもない。

 

 なのに、寝られない。

セラードの体にも慣れないし、食欲もなかった。

 

 これからどうしよう。

アルコにずっとウソをつき続けるのも嫌だし、これまでいくつもボロを出しているから、いつかは気づかれるだろう。

 

「さて、寝るぞセラード。お前も部屋に戻れ。明日はこの町でシルヴァンシャーの燃料を手に入れて、首都のアシャンティに戻らないと」

 

「あの」

 

「うん?」

 

「私もここで寝ていいですか?」

 

 ソファならもう一つ空いている。

寝るだけなら十分な長さだ。

 

「いいのか、ソファで」

 

 今だけは、セラードの体で甘えたっていいだろう。

私は十七歳だけど、まだ子供なんだ。子供が大人に甘えて何が悪い。

十歳の妹を失った姉が大人の手を握って寝たいと思って何が悪い。

 

 私はこくりと頷き、もう一つのソファをずらしてアルコのソファとくっつけた。

 

「おいおいどうした」

 

「だ、だめですか?」

 

「いいや、俺は構わないぞ」

 

 ソファで仰向けになると、アルコはシェードランプを消した。

暗闇が辺りに広がると、私はアルコの大きな手を握った。

 

「セラード、今はメリダの夢でも見てゆっくり休め」

 

 今は、セラードの夢を見てゆっくり休みたい。

 

「おやすみセラード」

 

「おやすみなさいアルコ」

 

 おやすみセラード。

そしてさようなら、十八歳になれなかった私。

 

―二日目 朝―

 

 翌日――ティカルの家で朝食を貰った。

セラードが私の妹だということはお父さんには内緒にしてもらったけど、ウソをついているみたいで罪悪感があった。

でも信頼は築けたようで、拳銃は返してもらった。

 

 その後はミストラで燃料を貰い、シルヴァンシャーの補給は無事に終わった。

私はてっきり特殊な燃料で動いているのかと思ったけど、普通に車と同じもので安心できた。

 

「セラード、十分に寝れたか?」

 

 アルコの操縦するシルヴァンシャーで首都のアシャンティまで戻る道すがら、私はアルコの後ろに座って大きなアクビをした。

ソファで寝たせいかまだ疲れはとれていない。

家に戻ってから今後どうするか、パニックになっているはずの首都をどうするか。

私の死をどう説明するか、精神を移したことを説明すべきか、どれもこれも十七歳の私には重すぎる話だった。

 

 それにもし私が生きていると公になれば、シュトゥルーヴェの兵士たちも首都を攻めてくる可能性がある。

このままやられっぱなしも癪だけど、せめてゴレスターンを完璧に調整して変身できるようにしておかないと戦うのは厳しいだろう。

 

 こっそりセラードの墓も作ってやりたい。

誰にも気づかれなくていいし形だけでもいいから、墓くらいはないと悲しすぎる。

 

「ところでセラード、あのティカルってお嬢さんから聞いたんだが」

 

「どうしたんですか?」

 

「あのお嬢さん、例のゲームやってるらしいぞ」

 

 ミスティミラージュ・オンラインというゲームのことだろう。

 

「正散のスライムマンだかって名前でやってるらしい。お前も気晴らしにやってみないか?」

 

「え、ええと」

 

「精神をゲーム世界に移動させて、感覚もそのままになるらしい。瞬時に変身できるゴレスターンもそうだけど、ずいぶんと活気的な技術だな」

 

 “精神”をゲームの世界に“移す”――。

 

 ゴレスターンと似ている気がする。

どういう技術かは知らないけど、精神を移して感覚までもゲームの世界に行けるなんて、もしかしてゴレスターンと何か関係があるのかな?

 

「まぁ、落ち着いたらでいいからやってみろよ。自分でキャラクターを作って、そのキャラを自分の意思で操作できるらしいから、大人の女にもなれるんじゃないか」

 

「大人の女……」

 

 たしかに十七の私から見てもそれは理想的だ。

 

「ゲームの話題は今はいいです。それより、これからどうしましょう?」

 

「まぁとりあえず首都に戻るしかないな。俺はできればシュトゥルーヴェの連中をぶっ潰してやりたいけど、賛同するやつがいるかどうか」

 

「あの……姉様に教えて貰ったのですけど、その指輪で変身すれば戦えるのでは?」

 

「そうだが、でもまだ不完全だし戦力も微妙さ」

 

「そう、ですよね」

 

 本当なら私が変身して戦いたい。

でも戦う技術はないし、セラードの体を傷つけたくない。

 

 歯痒い。

私が男だったらよかったのに。

 

「首都に着いたら甘いものでも食べるか。クレープとかさ。好きだろう」

 

「そうですけど、シルヴァンシャーで行くんですか? さすがに目立つのでは……」

 

「まぁ、丁度いいところで駐車すればいいさ。あとは人通りが少ないところを選んで戻る」

 

 森の中にシルヴァンシャーを停めた。

木々が邪魔をして周囲から見えないようになっているけど、もし見つかったらどうするんだろう。

 

 私は顔をブカブカキャスケットで隠しながらも、アルコと手をつないで商店街に入った。

左右にはアクセサリショップやイタリアンレストランなど多種多彩なお店が並んでいるけど、とても姫が死んだ後とは思えないほど活気に満ち溢れていた。

 

 途中の建物と建物の隙間に細い道があり、そこに隠れるようにクレープ屋さんがあった。

制服を着た高校生が何人か集まって大きなクレープを受け取って賑やかに歩いている。

 

 私たちはクレープ屋さんの前に立つ。

でも私は身長が足りていなくて店員の顔が見えない。

 

「セラード、何がいい?」

 

 紙のメニュー表を渡され、しばし迷った。

バナナチョコイチゴ、甘いものから鶏肉やマヨネーズなどのしょっぱいものまで多種多彩なものが並んでいる。

私が食べたい、というよりセラードが食べたそうなものをチョイスした。

 

「これ……」

 

 私が選んだのは潰したイチゴと生クリームがふんだんに使われたクレープだった。

 

 しばらくすると、宝石のように輝くクレープが目の前に現れる。

近くにあったベンチに腰掛け、しばし食べずに眺めた。

食べるのがもったいないくらい本当にキレイだった。

セラードだったら満面の笑みを浮かべてくれるだろう。

 

「食べろよセラード、溶けちまうぞ」

 

「え、ああ、はい」

 

 一口だけ食べた。

一口だけなのに、イチゴと生クリームが全身に駆け巡ったかのような衝撃が走った。

気づけば二口、三口と頬張っている。

 

「お、美味しい……アルコはなにを?」

 

「俺か? 俺はチョコだ」

 

「意外と可愛い物を食べるんですね」

 

「悪いかよ」

 

 アルコが私の頭に手を乗せた。

ブカブカキャスケットを押し込み目のあたりまで下がる。

なんだろう。

セラードにとってアルコはお父さんみたいなものだったのかな。

じゃあアルコにとって、セラードは娘みたいなものだったのだろうか。

 

 私は、なんなんだろう。

アルコが私に砕けた接し方をしていたのは、娘みたいなものだと思っていたからなのかな。

 

 今となってはどうでもいいことかもしれないけど、セラードの立場になって急に気になり始めた。

私たちとは幼い頃から一緒にいるけど、未だにどう思っているのか分からない。

 

「アルコさんは姉様のことどう思っていました? 女として、姫として、姉として……とか」

 

「なんだよそれ。そうだな、まず女としてだが、俺からすればまだまだだったな。あと五年も経過して冗談と可愛げを覚えたら一人前かもな。次に姫としてだが、よくやってくれてるほうだと思うぞ。面倒って思ってただろうけど、ちゃんとペルセポリスでシュトゥルーヴェまで行こうとしてたし、学校との両立もよくできてたもんだ」

 

 よくやっていた。

とは語弊だ。

大半はやらなきゃいけない使命感のようなものだったし、私も本当は学生生活を充実させたかった。

 

「で、姉としてだが。そりゃセラードのほうが分かってるだろ」

 

 確かにその通りだけど、それじゃダメなんだ。

 

「アルコさんの意見を聞きたいんです。どう思っているんですか?」

 

「俺かぁ」

 

 いつの間にかクレープの足先まで食べていたアルコが最後の一口を放り込んだ。

ふぅと息をつき、狭い通路の天井を眺めた。

 

「あいつはなぁ、完璧すぎて不完全だよ」

 

「完璧すぎて不完全……」

 

「お前のことなら命がけで守るだろう。お前のことが自分のことよりも大切で常に心配している。でも大切にしたいからこそ、距離感が把握できてない。近づき過ぎて壊れるのもイヤで、離れすぎて消えてしまうのもイヤ。だから完璧すぎて不完全」

 

 図星も図星。

アルコは私のことを私より理解できているかもしれない。

 

「そうですよね、距離って難しいと思います。姉妹でも遠慮ってものがあるし……」

 

「セラードも同じこと思ってたのか」

 

「へ? あ、姉様もそう思ってたと思います」

 

「なんだか、大人びたなセラード。いや、なんとなく雰囲気がな。なんとなくだ」

 

 アルコが立ち上がるとほぼ同時に、私はクレープを食べ終えた。

セラードの体でクレープ一つは少しお腹に厳しかったけど、セラードの分まで楽しめたのなら良しとしよう。

 

「ほら」

 

 アルコは私に手を伸ばした。

少しキャスケットを上にずらし、その大きな手を握った。

手を握りながら眠ったおかげか、不思議とアルコの手はセラードの体に馴染んでいる。

 

 クレープ屋の横を通り過ぎて大通りに出ようとしたとき、横から大きな毛むくじゃらの生物が接近してきた。

 

「わっ!」

 

 金色の短い毛が特徴の大きな犬、ラブラドールレトリーバーの濡れた黒い鼻が私の頬に命中。

驚いてしりもちをついた。

 

「あらごめんなさい」

 

 犬が諦めて、飼い主と一緒に去っていった。

アルコから受け取ったハンカチで顔を拭きながら立ち上がる。

 

「どうしたお前、あれくらいの犬ならいきなり出てきても平気だっただろ」

 

「なに言ってるんですか、犬は……」

 

 そういえば、セラードは犬が好きなことを思い出した。

私は犬が苦手だ。

幼い頃に犬に腕を噛まれて以降、犬には近づけない。

 

「犬、好きだったろ」

 

「あ……いや、その……」

 

「お前、なんか変だぞ」

 

 アルコが私の身長に合わせて姿勢を低くした。

目を見据えてくる。

疑うような視線というより、心の中を探るような視線だ。

まるでセラードよりメリダを見ているかのように。

 

「どうしたセラード? シルヴァンシャーで逃げてきてから思ってたけど、いつもと違うぞ。……まさか、あれを使ったな」

 

「使っ……?」

 

「セラード、ちょっと質問がある。あのマンガ、なんていったっけな。ほら、娯楽室で読んでただろ、なんとかバッファローって」

 

 あれだ。

 

 セラードが読んでいた、長い名前のマンガ。

たしかミリタリーと恋愛モノの作品だった。

 

 覚えてない。

マンガは得意分野ではない。

タイトルも作者の名前も覚えてない……。

 

「違うな、ウォーターなんとかだったか」

 

「う、ううう、ウォーター・ドン・グレンシャー……?」

 

「ウォータートン・グレイシャーな」

 

「そ、それです!」

 

「違う。それは作者の名前だ」

 

 アルコのトラップに見事に引っかかってしまった。

言葉での勝負はさすがにうまい。

 

「主人公の名前は? ヒロインの名前は? 出てくる動物の名前は?」

 

 最初の一文字すら出てこない。

 

「やっぱりお前、使ったな? ゴレスターン」

 

「う」

 

「ゴレスターンで精神を入れ替えたろ、メリダ

 

 観念した私はキャスケットを外した。

ウソがバレて、とてもアルコの目を見ることができない。

ゴレスターンの件がバレたなら、すなわちセラードの死も知られたということ。

 

「ごめんなさい……黙ってて」

 

「いいよ。お前にもお前なりの考えがあって黙ってたんだろうからな」

 

 私は観念して、ペルセポリスでの出来事をアルコに伝えた。

 

 ゴレスターンで変身して扉と警備ロボットを破壊したこと。

 

 セラードが殺され、ゴレスターンを使って精神を移したこと。

 

 それからずっとセラードのふりをしていたこと。

 

 つまり、私がアルコとソファで眠ったことも知られたということになる。十八歳を手前にして大人の男の人と手をつないで眠るなんて、アルコも信じられないだろう。

 

「じゃあ、セラードは死んだんだな?」

 

「うん……」

 

「そうか。大変だったなメリダ

 

 アルコは私にも見えないほど顔を伏せた。

泣いているのか、目頭を手で押さえている。

 

「本当に大変だったのは私じゃない、セラードだよ……撃たれて死んじゃったんだから」

 

「そうだな。でもお前は不完全なゴレスターンで変身してセラードを守ろうとした。立派だよ」

 

「立派……守れなかったんじゃ、立派とは言えないよ」

 

「まぁ、そんなに難しく考えるな。今は戻ろう。戻ってからじっくり悩め」

 

「うん……他の人たちには、内緒にしておいてもらえる?」

 

「ああ」

 

「私が……メリダが死んだって母さんに知られたらパニックになると思うし、状況が良くなってから言うべきだと思う」

 

「そうだな。俺もそう思う。周りにはうまいこと誤魔化しておく」

 

 むしろ、このタイミングでアルコにバレて良かったかもしれない。

一人で秘密を抱えるより、一人でも共有できる仲間がいたほうがいい。

 

「行くぞ。シルヴァンシャーに乗って、人の少ないところを進んでアシャンティに戻る」

 

「うん」

 

 アルコが手を出してきたけど、私はそれを拒否した。

セラードのふりをするために手を繋いでいただけであって、今更そんなことをしようとは思わない。

 

 でも、ソファで眠ったときは別だ。

 

 

 

 シルヴァンシャーは人のいない山道を選んで進んだ。

途中で通り過ぎたいくつかの車には目撃されたけど、軍隊の所持する特殊な乗り物くらいにしか思われてないはず。

サイズもあるし、ヘリも撃ち落とせるほどのバルカンを装備しているからかなり目立つと思うけど、戦時中でもないとみんなはそこまで気にしないのかもしれない。

 

 山道を登り切ったら反対側に降りて道なりに進めば私の家に到着する。

家といっても王族の家だから厳重なセキュリティやSPがいるし、軍隊の施設も兼ねている。

でもセラードのいない今は無駄に広く感じてしまうかもしれない。

 

 しばらく山道の地味な風景が続いている。これはこれで自然を堪能できるけど、こうも同じ風景ばかり流れると飽きてくる。

 

 どこからか疲れがやってきて私は少し眠った。

気づけば、いつの間にか夕日が落ちて雲がちらついていた青い空が鮮やかなオレンジの空に切り替わっていた。

 

メリダ、着いたぞ」

 

 アルコは一つも文句を言わず操縦に徹してくれたおかげか、すでに家の前に到着していた。

 

 寝ぼけ眼を擦って、周囲を確認すると、大量の警備が集まっていた。

 

 

 

 それからは大変だった。

警備も親戚も大量に集まっていて、ペルセポリスが落ちた件についてしつこいくらい訊かれた。

それもそうだ。

姫が乗った船が撃墜されたんだから。

何人死んだ、何人生きている、どこに落ちた、いつ落ちた。

……当たり前だけど、みんながみんな物騒な質問ばかりぶつけてきた。

私は情けないことにまともに答えることができず、アルコが代わりに答えてくれた。

なにからなにまで頼りっぱなしで申し訳ない。

 

 

 

 私が乗っていたことは公にはなっていないらしく、そこまで大きなパニックにはなっていなかった。

でも私以外の人間が死んでも世間には響かないなんて、あんまりすぎる。

 

 私の心は疲れに疲れきっていた。

目の前で妹の死を目の当たりにした私は、大勢の人間による小難しい話についていけなかったし、これ以上物騒な話なんて耳に入れたくなかった。

 

 久々に部屋――周囲に怪しまれないようセラードの部屋――に戻った。

端には女の子らしい純白のドレッサーと桃色のキャビネットが置いてある。

キャビネットには可愛らしい服がいくつかかけられている。

まだセラードには大きすぎるベッドがあり、私は大の字に寝そべった。

 

 一人で寝るのが怖いと言ってたセラードだったけど、無理して一人で寝ると言って自分の部屋が欲しいと頼んだっけ。

あまり入ったことなかったけど、十歳のセラードには大きな部屋だ。

 

 アルコの支えは助かったし嬉しかったけど、今は一人になりたかった。

セラードの匂いを少しでも感じたかったし、これからのことをじっくり考えたかった。

 

 私は姫として失格だ。

こういう状況だからこそ対応できるようにすべきなのに、アルコに投げっぱなしで部屋に籠ることしかできないから。

 

「あ、そうだ」

 

 ベッドから起き上がり、ふと純白の小さなドレッサーに目をやる。

 

 たしかセラードは私の誕生日プレゼントのために密かにブローチを作ってるってアルコが言ってた。

隠すとしたらここしかない。

鏡の下に薄い引き出しがついていた。それを引っ張る。

 

 あれ……ブローチらしきものはなかったけど、代わりに一冊の白いノートが入っていた。

手に取って表紙を確認したけど何も書かれていない。

 

 亡き妹のものとはいえ、人のノートを勝手に読むのは良くない。

でもセラードのことだから絵日記か、何かの勉強ノートかもしれない。

 

「うう……気になる」

 

 ごめんセラード。

でも少し見るだけだから。

 

 私は心の中で謝り、軽くノートを開いてパラパラとめくってみる。

 

 左端の二ページほどにブローチの完成図や部品のイラストが描かれていた。

どう作っているのか不明だけど、マニュアルや部品を買って作っているのかもしれない。

これがその設計図だろう。

以降は白紙の連続で、文字の一つもなかった。

 

 拍子抜けして閉じようかと思ったそのとき。

 

 ノートの右端あたりから折りたたまれた小さな紙が落ちた。

ノートを戻してそれを拾う。

 

「なんだろう、これ」

 

 コンコン。

 

 不意に扉がノックされた。

慌てて紙をポケットにしまって、扉の前まで進む。

 

「はい」

 

「セラード? 私」

 

 母さんの声だ。

声音からして難しい話とかではなさそうで安心する。私は扉を開いた。

 

「セラード、大丈夫?」

 

「はい」

 

 部屋に入った母さんは、急に私のことを抱きしめた。ちょっと強めで痛かった。

 

「セラード、さっき服の背中に穴が空いていたけど、本当に大丈夫なのね?」

 

 セラードが撃たれたときの傷のことだ。

ゴレスターンで体の傷は治せるけど服まで治すことはできない。

丸く焼け焦げた穴は妙に生々しくて、セラードの痛みを表しているようだった。

 

「大丈夫です。私は大丈夫」

 

「そう……あなたが無事ならそれでいいのよ……」

 

 抱きしめる力がさらに強くなる。

 

「姉様は、死にました……私を守って撃たれて動けなくなって、それで、船が落ちて……」

 

 私だって娘だ。

母さんには私の最期くらい報告したい。

 

メリダ? メリダはいいの」

 

 ちょっとは悲しんでくれると思ったのに、母さんの返事は冷たかった。

 

「いい? いいって……?」

 

メリダは姫に相応しくない人間だった。やる気もなければ友達と遊びに行く始末で、国を束ねるような器なんてない。いいの、あの子は死んで良かったの」

 

「死んで、良かった……?」

 

 心臓を握り潰されたような、針を刺されたような衝撃が走る。

 

「で、でも、姉様は私を守って……」

 

「次の姫はセラードよ。あなたはしっかり勉強して姫に相応しい器になりなさい。学校もメリダより良い学校に入って、もっといろいろなことを学びなさい。メリダを反面教師にしなさい。セラードなら分かるわよね?」

 

「あ……あ……」

 

「今はショックかもしれない。でも人の死なんてすぐに慣れるわ。たかだが十年しか一緒にいなかった人間なのよ、死んでしまえばもう他人なの。メリダのことなんて、忘れなさい」

 

 たしかに姫としてダメだったかもしれない。でも親が娘の死を悲しまないなんてあんまりだ。

 

 母さんは涙を流しながら喜んでいた。

でもそれは、セラードが無事だったから出た表情ではないだろう。

邪魔な私が死んだことに対する喜びなんだ。

 

「セラード、今日はゆっくり休みなさい」

 

「は……はい」

 

 茫然自失。

私は部屋を出ていく母さんの背中を眺めながら、その背中にはもう温もりはなくなってしまったんだなと悟った。

 

 ……もういいや。

今日は寝てしまおう。

明日になれば少しは心も体も休まるはず。

 

 でもその前に、ノートに挟まっていた小さな紙を確認したかった。

こんな紙一枚程度で何かが変わるとも思えなかったけど、セラードの残したものを少しでも目に入れたかった。

 

 折りたたまれた紙を開く。

そこにはたった一言だけ、こんなことが書かれていた。

 

 ソルテア。と。

 

 ―二日目 夜―

 

 ミスティミラージュ・オンラインでデルフィ――いや、ゲームでの名前はソルテア――と待ち合わせをしていたのに、時間になってもデルフィは姿を現さなかった。

 

 ゲームを中断してみると、デルフィから電話がきていた。

お腹を刺されて駅に辿り着いたデルフィに茫然自失になった俺だったけど、なんとか意識の首根っこを捕まえて家に戻った。

 

 それから、デルフィが口にした“アルベロ”なる人物から電話がかかってきていた。

 

『初めまして。私の名前はアルベロだよ。お友達は元気かな』

 

 知らない声だった。

というより、変声機のようなもので声を変えていて、まるでニュースに登場する目撃者Aさんのような妙に高い声だ。

 

「誰だよお前、なんで俺の携帯の番号を知っている……?」

 

「だから私はアルベロだ。

番号はきみのお友達の携帯から見てね、悪用しないから安心しなよ」

 

「ふざけんな……ふざけんなよお前!」

 

 危うくスマホを投げつけそうになった。

ぐっとこらえて電話の向こうにいるそいつに質問をぶつける。

 

「お前、あの子を刺したのか、どうなんだよおい」

 

「あの子、あの子とは?」

 

 あえて名前は出さない。

無関係の可能性も考慮したうえのことだ。

 

「とぼけるな。お前のせいで腹から血を流して救急車で運ばれたんだよ。お前がやったんだろ」

 

「やった、私がね」

 

「クソ!」

 

 俺は電話を切った。

急いでそいつの番号を紙にメモし、着信拒否の設定をした。

 

 これ以上あいつと話していても、しらばっくれるだけだ。

 

 汗ばんだ手でスマホをベッドに投げ、頭もくしゃくしゃにかき乱した。

わけがわからない。

なんで夕方まで平和だったのにこんなことになるんだ。

なんで俺やデルフィがこんな目に合わなくちゃならないんだ。

あいつは誰だ。

なぜ刺された。

いつ刺された。

デルフィは無事なのか。

なにがどうなっているんだ。

何も分からない。

誰か教えてくれ。

 

「そ、そうだ」

 

 警察。

警察だ。

あのアルベロとかってやつはバカ正直に電話番号を残していった。

これを使って警察に通報してやれば、すぐに追跡してくれるはずだ。

 

 ベッドに投げたスマホを手に取って警察にかけた。

 

「もしもし! 警察ですか!?」

 

 電話の向こうにいるやる気のなさそうな警官に要件を伝えた。

メモしたアルベロの番号を伝えると「調べときます」とだけ言われて電話は切られた。

かなり信用ならない雰囲気だったが、何もしないよりはマシだろう。

警察でもない俺にはこれくらいしかできない。

 

 ベッドに大の字に寝そべり、少しでも落ち着こうと目を閉じた。

心臓は爆発しそうなくらい動いている。

何度深呼吸を繰り返しても落ち着かない。

 

 大丈夫だ。

デルフィは大丈夫。

人間の体は意外と丈夫にできているんだ。

あれだけ細身で小柄でも、ハムスターや虫とはわけが違う。

人間なんだ。

今の医療技術だってバカにできない。

 

 ダメだ……落ち着かない。

今までの人生で一番落ち着かない。

 

「あー……クッソ!」

 

 なぜか、自分の顔を殴った。

そうすれば落ち着くと思ったからだ。

いや、そんなことしても無駄だ。

明日になればきっと落ち着く。

学校でトレドとバカ騒ぎしてればなんとかなるはずだ。

 

 そんな根拠のない希望をもって、風呂で汗を流してから今日は眠った。

でも頭の中はデルフィでいっぱいだった。

今日一日だけの付き合いしかなかったけど、俺にとってはもう友達だ。

 

 明日は病院に行って、腹に包帯を巻いたデルフィと会ってやろう。

それで、警察に通報したからもう安心だって伝えてやるんだ。

 

 

 

 ―三日目 朝―

 

 翌日。

心も体もすべてが疲れきっていて、予定より一時間も遅く起きた。

もちろん遅刻だったけど、学校に行く気力もない。

 

 もう大丈夫だろう。

と思って、デルフィに電話をした。

でも一回コールが鳴ったところですぐに切った。

手は病院だ。

電話はダメに決まってる。

学校で直接会うしかない。

 

 憂鬱な身体に無理をさせて、億劫だけどベッドから下りた。

制服に着替えて家を出る。

今日使う教科書とかを把握してなかったけど、まぁいい。

 

 ――駅に着いた。

誰かが掃除したのか、ベンチの前にあったデルフィの血痕は消えていた。

それでもジュースをこぼしたような黒い染みが残っていた。

 

 デルフィの家はどこなんだろう。

家族は今、どういう状況なんだろう。

ものすごいパニックになっているに違いない。

でも俺にはそこまで踏み込む権利なんてない。

 

 

 

 遅刻して教室に入ったとき、すでに二限目だった。

ハゲ担任に怒られたけどどうでもいい。

 

 二限目は眠った。

いびきをかいていたかもしれない。

アトスによると堂々と爆睡していたらしい。

でも無理だ。今更まじめに授業を受けるなんて。

 

「おい、どうした」

 

 休み時間になり、トレドが背中を叩いて言った。

 

「転校生も休んじまうし、お前も遅刻するし、今日はどうなってんだよ」

 

「あ、いや……」

 

 この様子だと、まだクラスはデルフィの件を知らないらしい。

昨日の夜のことじゃそんなすぐに情報は回ってこないか。

つまり知っているのは俺だけ。

いやデルフィの家族もか。

 

「なんかあるんなら聞くぞ。っていうか、なんかあるだろ」

 

「あ……いや……」

 

 言うべきか言わずべきか分からない。

俺だけの問題ではないし、失恋や宿題を忘れた程度の話じゃない。

俺が言わなくてもいつか情報はやってくるだろうけど、こんな気分が落ちた顔をずっと晒し続けるのはイヤだったし、自分一人だけで抱えるのも辛い。

 

 せめてアトスにだけは伝えたほうがいい。

そう判断した俺は、それが最善かも分からないままアトスの肩を叩いた。

 

「な、なぁアトス。ちょっとこっち」

 

 教室にいたら誰かに聞かれるだろう。

それは困る。

アトスとそっと教室を抜け出し、廊下の端まで移動した。ここなら誰も盗み聞きするようなやつはいない。

 

「あ、あのさ。実は昨日、マズいことになった」

 

「あのデルフィって転校生と一緒にいただろ。お前らが一緒に外に出たとき、偶然目撃したのさ、学校の中からな。雨の中でも分かったよ」

 

 誰かには見られていただろうけど、やっぱり見られていたか。

 

「で? デルフィとのことか? さっそく失恋でもしたか」

 

 そういうことを冗談のレベルで言えるアトスは無神経だ。

 

「違う。真面目に聞いてくれ」

 

 真面目、という言葉に反応したのか、アトスはやや崩していた体勢を正した。

 

「まさか、デルフィがさっそく休んでいることと関係あるのか」

 

「あぁ」

 

「なぜ休んだ」

 

 なんとなく一緒に帰って、ゲームセンターでぬいぐるみを取ったこと。

その後に電車でゲームの約束をしたこと。

でも約束の時間になっても姿を現さなかったこと。

急に電話がきて、刺されて駅で見つけて救急車を呼んだこと。

学校が終わってからのことを全て説明した。

 

 だがアトスは冷静だった。

心の底から冷静だったかは分からない。

俺の手前だから無理しているだけかもしれないけど、その姿勢が心強かった。

 

 それと、俺が電車を降りるときに見つけた、デルフィの写真を持った黒いフードのヤツについても説明しておいた。

 

「大丈夫なのかデルフィは」

 

「救急車には乗ったけど、それからどうなったのかはまでは……」

 

「そうか。それじゃあ報告を待つしかないか」

 

「それより、犯人について話したい」

 

「お前の話だけじゃ断定できないが、ストーカーか通り魔か、強盗か……まぁその辺だろうな」

 

「やっぱり、そうだよな」

 

「だがまず疑うべきはその黒いフードの男だ。どう考えてもそいつが犯人だろう」

 

「でも証拠がないし、あの写真だって本当にデルフィなのか分からない」

 

「いや、女の子の写真を持って黒いフードって、どう考えても犯人だろ」

 

「警察に言ったほうがいいのかな」

 

「まぁ不審者として通報はできるだろうけど、犯人としてはムリだな。証拠がない」

 

 アトスの頭は意外と頼りになる。

犯人だと決めつけてはいるけど、警察に説明するには決定的な証拠が必要だと理解できている。

 

 警察、と自分で口にして、ふと思い出した。

あのアルベロという人物についてだ。

直後電話をかけてきたことと、番号を警察に伝えたことも説明した。

 

「アルベロか……」

 

「デルフィ曰くゲーム内の名前らしい。現実の容姿やらは分からない」

 

「ゲーム、ねぇ……」

 

 まさかここでゲームが入ってくるとは思わなかったのか、アトスは顎に指を当てて唸った。

 

「じゃあ、その男を探せばいいんだな」

 

「男かどうかは分からないけど。そうだと思う」

 

「番号を警察に伝えたって言ったな? たぶんそれ、ムダだと思うぞ」

 

小説:暴風荒ミスティ・ミラージュ ラスティ(後編)53500文字

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「おいクローナの母ちゃん」

 

「は、はい?」

 

「今から変身する。驚いてもいいけど、騒がないでくれよ」

 

 手袋!

 変身に使うのは手袋!

 その力を開放し、リンセンの全身にパワーをみなぎらせるっ!

 

 瞬時に赤黒い鎧を身にまとったその一部始終を目撃し、さすがのフランも目を疑った。

疑わざるを得ないっ! のだ!

 

「な、なななな、なにそれぇ!?」

 

「悪いな。俺の特権だ。あんた自身と娘を助けたいって気持ちがあるんなら、どっかに身を潜めて待っててくれ」

 

 状況を飲み込めないままだったが、フランは何度も頷いた。

異国の人間に娘を託しても良いのかしばし迷ってもいたが、迷う暇がないことにも気づいている。

 

 リンセンは手袋越しの手の平から混を取り出し脇に挟む。

武器は万全だ。

あとは敵の姿や数を確認して、やられる前にやるだけだ。

 

 壁に背を預けて、玄関の様子をうかがう。

 

 確かに玄関は蹴破られていたが、それらしい気配はなく、クローナの部屋の扉も破られていない。

 

 どこだ。

 

 どこに何人いる。

 

 全神経を集中させ、警戒センサーを張り巡らせる。

 

 蹴破られた扉から吹き込む風がリンセンの頬を撫で、冷静さを失わせる。

 

 変身したことにより、感覚は研ぎ澄まされているはずだが、それでも敵の気配を察知することはできない。

 

「敵め……複数じゃあねぇな。単独だ。じゃなきゃ家ん中で気配を消せるはずがねぇ。それにクローナを攫った連中と違って、楽しんでやがる。まさか、俺と勝負したいだけだってのか?」

 

 一向に敵の気配が見つからないとなると、その線が濃厚になる。

 

 派手な侵入で警戒心を煽り、身を潜めて隙を伺い、じっくり攻めるチャンスを伺っているのだ。

その敵の目論見通り、リンセンは冷静さを失っていた。

 

 そのとき、リンセンは頭上にうっすらと殺気を感じていた。

だが当然、ニンジャのように天井に敵が張り付いているわけもない。

 

 となると。

 

「二階かっ!」

 

 気づいたときには遅かった!

 

 敵は二階から床を突き破りっ! 察知が遅れたリンセンの体へ一撃が振り下ろされる!

 

 鉄以上の硬度を誇る扇を用いて襲撃されたリンセンは、相手の姿を確認する隙もないまま床にねじ伏せられていた!

 天井が破壊されたことにより粉塵が巻き起こり! そして正体を確認することが厳しくなる。

しかし膝上までに抑えられた鋼鉄キモノ。

メットで顔を隠す小柄なシルエット。

まさしく、リョウだ。

 

「てめぇ……まだ生きてやがったのか」

 

「あっしは死んでなどいない。死ぬのは貴様なり」

 

「へっ、なにがナリだ。お前の攻撃なんてなぁ、屁でもねぇってんだよ!」

 

 フルパワーの混で薙ぎ払うと、リョウは既のところで飛びのく。勢い余った混は壁に突き刺さり、

再び粉塵を巻き起こした。

 

「これで、狙えるっ!」

 

 リンセンは粉塵でシャットアウトされた視界に臆することなく、リョウの着地地点へ向かって混をやり投げの要領で投擲した。

さすがのリョウでも着地直後の回避は容易ではないだろう!

 

 リョウは、粉塵を切り裂いて飛び込んできた混を避けることはできなかった。

が、直撃は逃れた。

扇一本で受けるには相当な衝撃だったが、大幅に体勢が崩れるほどではない。

 

 だがリンセンの投擲は、そのダメージすらも計算に入れた上での行動だった。

 

 混に気を取られたリョウの視界に、リンセンが出現っ! 天井ギリギリを跳躍し、まるで彗星のような飛び蹴りを混に向かってブチ込むっ! 蹴りの威力によって押し出された混がリョウの防御を貫いたっ!。

 

「不覚なりっ!」

 

 リョウは紙風船の如く壁へ叩きつけられる。

一杯食わされたリョウの表情は、悔しさで溢れている!

 

「おいどうした。馬車んときのアレはマグレか? しっかりしろよ、俺の敵を名乗るならな」

 

「おのれ、あっしを手こずらせるとは、やはり油断ならないなり」

 

「てめぇの目的はなんだ? クローナを捕まえたら終わりじゃねぇのかよ」

 

「あっしはただ、貴様を打倒したいだけなり。勝負するだけなり」

 

「へっ。なにが勝負だ。馬車での一戦で決まってんだろうが。クドいんだよ」

 

 

「……しかし、まぁいい」

 

「あぁ? なにがだ」

 

「やはり今日は調子が悪い。出直すとする」

 

「あぁ? いきなりなに言ってんだ。弱音吐いてんじゃねぇよ」

 

「貴様とは、もっと万全の状態で勝負したいなり。貴様も、もっと体勢を整えておくなり」

 

 好きなだけセリフを吐き、リョウはショートジャンプの連続で風のように家から飛び去っていった。

 

 リンセンは舌打ちをして変身を解除し、クローナの部屋を確認する。

 

「おいクローネ! 無事か!?」

 

 テーブルの下ではクローネがブルブルと震えていた。

ピアストルも同様に。

 

「り、リンセン。敵は? もういないよね?」

 

「あぁ。いねぇよ」

 

「でも、お姉ちゃんは? お母さんは?」

 

「母ちゃんは無事だ。だがクローナは攫われた」

 

 クローネは驚かなかった。

努めて冷静な表情を貫いていた。

 

 だが、決してクローネの心が強かったからではない。

クローネは気づいていたのだ。クローナが攫われたことを。

 

「お前、なんで敵が近くにいたって分かったんだ」

 

「そ、それは……なんとなく、そんな気がして」

 

「なんとなくだと? どういうこった」

 

「分からない。私は、感じるの。人が近くにいた

り、危ないことをする人がいると、分かるの」

 

「お前も、クローナみたいな能力があるってのか」

 

「たぶん。そうだと思う」

 

 クローネの悲しみに満ち溢れた表情を見たリンセンは、それ以上の質問をやめた。

 

今はクローネの能力よりも、クローナの救出が優先だ。

 

「リンセン、私、この能力でお姉ちゃんを見つけたい」

 

「って言ってもよ。相手はナイラ国っつー危ねぇ国だ」

 

「だったら、なおさらお姉ちゃんが危ないよ」

 

「そりゃあ、そうだが。どうするつもりだ」

 

「リンセンが私を守りながら、私が誘導する……っていう方法」

 

「バカ言うな。おめぇみたいなちっこいガキ守りながら敵の中心に突っ込むってのか。そういうのをな、無茶って言うんだよ」

 

「で、でも。お姉ちゃんのためだから、無茶くらいしたって」

 

「それ、逆の立場でも同じこと言うだろうな」

 

「逆?」

 

「もしおめぇが攫われて、あいつがここにいたらって話だ。あいつだって、自分のことを顧みずに無茶すんだろ」

 

「あ、うん……」

 

「とにかく、俺はナイラ国を直接ぶっ叩きにいく」

 

 姉を助けてあげたい気持ちと、リンセンの邪魔をできないという気持ち。

相反する二つの気持ちがクローネの中でぶつかり、幼い心を締め付ける。

 

 今はただ、敵を前にして意気込むリンセンを応援することしかできない。

 

「お願いだよ、リンセン」

 

「あいつらを潰して、クソ女を取り戻す。それと……」

 

 リンセンは両の拳に力を込め、体をブルブルと震わせた! 武者震いだこれは!

 

「俺をあんな箱に閉じ込めやがったクソ人類どもを、十把一絡げに大成敗する!」

 

 リンセンにとって一番の怒りはそっちのようだ。

 

「というわけでクローネ、ナイラ国の場所を教えろ!」

 

「え、知らないの?」

 

「ったりめぇだろ? 俺がこんな国の地理なんぞ知るか」

 

「ええと、じゃあ、すぐに地図を出すから。それでいい?」

 

「おうよ」

 

 いったん二人で部屋を出た。

 

 クローネはリョウとの一戦によって荒れ果てた廊下を初めて見たが、能力によってリンセンたちの只ならぬ殺気を感じ取っていたため、大方の予想はついていた。

 

 だがそれでも、玄関が吹き飛び天井に穴が空き、壁も砕けているのだ。ショックでないわけがない。

 

「ねぇ、リンセン」

 

「あ? なんだ」

 

「あなたたちって、いったいなんなの?」

 

「なんなのって、俺は俺だ。リンセンだ」

 

「そうじゃなくて。どうしてこんな激しい戦いができるの?」

 

「さぁな。俺たちが強いからだろ」

 

 曖昧な説明ではあるが、別に誤魔化しているわけではない。

 

 ただ単に、説明がヘタなだけである。

 

「それより、地図はどこだ」

 

 クローネは瓦礫に混ざっていた地図を拾い上げて、リンセンに手渡した。

二階にあったものが落ちてきていたらしい。

 

 地図といっても、そこまで出来のいい地図ではない。

 

 あくまで、測量士が地道に歩いて調べただけの地図であり、細かい距離などにいくらか間違いはある。

もちろん手元にないよりは力になるが。

 

「おいクローネ、地図が読めん。読んでくれ」

 

「そっか。リンセンってニッポン人だから地図が読めないんだ」

 

「そうらしい。言葉は分かるんだがな。文字はチンプンカンプンよ」

 

 腕を組んでふんと鼻を鳴らして誇らしげなリンセン。

 

 そのアクションにため息をつきつつ、クローネがナイラ国の場所を指でさす。

 

「ここだよ。ここがナイラ国」

 

「おおっ! おめぇ頭いいな。知ってんのか、ここ」

 

「そりゃあそうだよ。すぐ近くだもん」

 

 地図で見る限りは、エンギルダ国のすぐ隣にナイラ国があった。

 

 だが国境は荒野が広がっているため、徒歩で越えるのはかなり厳しい。

行感覚で容易に足を運ぶ人間は、よほどの物好きしかいない。

 

「ここ、どうやって行くの? 列車?」

 

「列車だと? あんなトロいもん、乗るか」

 

「じゃあどうするの? 歩いて行くの?」

 

「おいおい、俺にはな、この手袋があるんだぜ。忘れるな」

 

 リンセンはまたまた誇らしげな口調で手袋を撫でた

その手袋が自分にとってどういうものなのか不明ではあったが、リンセンにとって大きな力になっているのは間違いない。

 

「忘れるなって言われても、それ、なに?」

 

「おっと、お前は知らないんだったな。こいつはな、すげぇ姿に変身できんだよ。普通の人類なんて完璧にぶっ飛べるほど強くなるんだぜ。すげぇだろ」

 

 半信半疑な視線でリンセンを見るクローネだが、あまりにも自信満々に語るリンセンを見て、つい信じてしまった。

 

「気になるなら、見るか?」

 

「え? うん。じゃあ」

 

 リンセンが手袋に触れると、たちまち鋼鉄の鎧がリンセンを包みこむ。

手品のように変身したその一瞬に、クローネは思わず拍手を送る。

 

「お、おお! すごい!」

 

「だろ? これがあればな、ナイラ国なんぞ軽い軽い。すぐ到着するぜ」

 

「じゃあ、もう行くの?」

 

「ったりめーだろ。今行かずいつ行くんだよ」

 

「その、準備とかしなくてもいいの?」

 

「男はな、腹ごしらえさえすりゃ完璧なんだよ、カンペキ」

 

「そっか、腹ごしらえさえすれば、カンペキなんだね!」

 

 クローネは頭の上で丸くなるピアストルを両手で抱き上げ、一緒にリンセンを見送ることにした。

 

 だが、クローネは納得しきれていなかった。

 

 姉がピンチだというのに、自分の能力を活かせないことが、とてつもなく悔しい。

 

 一寸先の闇に手を伸ばして姉を救い出したい気持ちはあった。

それでも、現実は気持ちとは正反対の方向へ流れて行ってしまう。

 

「クローネ、母ちゃんを頼んだぞ」

 

「う、うん」

 

「家は……ボロボロになっちまったけど、ほかの家にでも隠れててくれよ」

 

「分かった。気を付けてね。絶対にお姉ちゃんを助けて」

 

「ったりめーだろ!」

 

 別れを告げたリンセンは破壊された玄関から飛び出し、風のように去っていった。

衝撃で巻き起こった風がクローネの髪の毛をふわりと揺らした。

 

 どうにもならない虚無感がクローネの胸を支配する。

だが手助けをする必要もなければ必要にもされていない。

むしろ逆。

最悪は死ぬ。

足手まといが関の山だ。

 

 今の自分にできること。

それは、ただ無事を祈ること。

ただそれだけ。

 

 ただ、それだけ。

 

 

 

 五章 スカイ・グラウンド

 

 

 

 一方そのころ、ナイラ国のボスであるグールドの前には、四人の男女が集まっていた。

 

 彼らは一様に鋭い眼光を持ち、只ならぬ殺気をみなぎらせている。

 

 しかしグールドの前では膝をついた姿勢だ。

まるで……そう、仕えているといった雰囲気だ。

 

  グールドの全身は漆黒のスーツとネクタイ。

ワイングラスを片手に持ち、膝の上にはペルシャ猫が一匹眠りこけている。

分かりやすいほど、悪者のビジュアルだ。

 

 分かりやすいほど、圧倒的に悪者のビジュアル。

 

「今日ここに集まってもらったのはほかでもない。きみたちナイラ国四天王の全てを出し切り、あの忌々しいリンセンとかいうニッポン人を殺してほしいのだ」

 

 四天王は左右と顔を突き合わせる。

 

 ニッポン人――リンセン――。

 

 もちろん四天王と名乗るくらいだ。

イレギュラーな事態の元であるリンセンについての情報も仕入れている。

 

「監視からの情報によれば、リンセンはこちらへ向かっているとのことだ。

あの脳筋ザムライのことだ、正面突破で向かってくるに違いない」

 

「正面突破? ナイラ国へですか?」

 

 グールドの真正面にポジションをとるリーダーのディルハムが質問する。

 

「その通りだ。リンセンはバカな男よの。四天王が揃い踏みとも知らず、無策で死ににくるとは、これは面白い」

 

「我々四天王におまかせあれ。粉みじんにしてサムライの国へ送り返してやりましょう」

 

 四天王たちは一斉に立ち上がり、命をかけて戦う決意を表す拳を前に突き出した。

 

「頼んだぞ! 四天王最強、拳法と憲法の達人! 青き旋風・ディルハム!」

 

「ハイィー! ハイッ!」

 

 ディルハムは長髪の若い男。

リーダーに相応しい眼光を持ち、かつては闇闘技大会のチャンピオンだった男だが、逃げた恋人が残した借金を返すため、グールドの右腕となった。

 

 闇を闇で塗りつぶす闇の男とは、彼のことだ!

 

「必ずやつを仕留めろ! 毒の使い手、赤き熱風・ドブラ!」

 

「エイヤッ! オッ!」

 

 ドブラは貧民街で育った男である。

彼の得意分野は毒。

狙った獲物は逃がさない。

貧民街のスナイパーだ。

彼の吹き矢を受けたら最後だ!

 

「絶対に逃すな! 鋼鉄の科学者! 黄色い突風・フォリント!」

 

「フォー! ヘイッ!」

 

 フォリントマッドサイエンティスト――つまり悪の科学者である。

肉体は貧弱な彼は体を鍛えることを諦め、最強の化学を追求することにした。

そんな彼が行きついたゴールは、最先端の科学技術! 時計の修理から列車の修理まで、修理できないものはない!

 

「木っ端みじんにしろ! 紅一点の鉄人! 桃色の烈風・ルフィヤ!」

 

「イーヤッ! オウ!」

 

 ルフィヤは四天王の紅一点。

ナイラ国において、鉄人美女と言えばこのルフィヤだけだ。

金髪ロングのヘアーが風になびけば、振り向かない男はいない。

どんな男も、得意のブーメランがあれば一撃で仕留めてしまうだろう! 美しい!

 

「四天王よ! あの忌々しいニッポン人を潰せ。四天王にはとても期待している。勝てば、なんでも望むものをやろう。ただし負けたときは……きびしい処罰だ」

 

 処罰――その言葉を受けた四天王たちの全身を、恐怖が支配した。

処罰といっても単純なお叱りや減給程度ではない。地獄よりも恐ろしい、凄まじい処罰だ!

 

「行け! 四天王! リンセンをひねりつぶせば、もう恐れるものなどないわ。クローナがこちらにいる以上、勝ったも同然だがな! ハハハハハ!」

 

 グールドが高笑いしながら指をパチンと鳴らすと、黒スーツの部下がクローナを連れてきた。

目隠しによって視界を奪われ、手錠で拘束されている状態だ。

 

クローナエスクード。どうも、お元気かね?」

 

「あなた、グールドね。ナイラ国のトップが、私にどんな用事なのよ」

 

「ぐはは。そう怒るでないわ。これから、こちらへリンセンが向かってくる」

 

「り、リンセンがっ!?」

 

 大して長い付き合いでもないリンセンが救出に来るとは、正直クローナにとっては驚きだったが、報酬の食事を目当てにしている可能性が高いと考えた。

 

 もしもリンセンが救出にきてくれたら、とびっきりのご馳走くらいしてやるつもりだが。

 

「安心せい。あのニッポン人は助けには来ない。なぜなら、四天王に加え、リョウもいるのだからな。もしものときは、クローナの能力で追い詰めれば良いのだ」

 

「くっ……非道よ、あなたたち。非道よ!」

 

「非道! 結構! 大満足! 非道! 結構! 大満足! ハハハハハハハ!」

 

 体力の消耗を覚悟のうえで、クローナは能力を使って目隠しを透視した。

その非道な面構えくらいはこの目で確認しておかなければ、腹の虫がおさまらない。

 

 だが――。

 

ダメだ。

暗すぎる。

 

 この部屋は照明一つのみの薄暗い部屋だ。

なぜならば、グールドは薄暗い部屋が大好物だからだ。

たとえ透視できても、光がなければ目視できない。

 

 グールドは風呂のときもトイレのときもかかさず電気を消す徹底した暗闇好きである。

 

 徹底的な暗闇好き!

 

「待ちなさい! あなたたちの思い通りには! 決してならない!」

 

「ほう? なぜなら? なぁぁぜぇぇなぁぁらぁぁ?」

 

「食いしん坊のリンセンが駆けつけて、あなたたちを退治するのよ。私だって、本気で能力を使ったらナイラ国なんて簡単に滅ぼせるのよ」

 

 もちろん、国を亡ぼすほどの力を使えばクローナ自身の体が耐えられないのだが。

 

「ほほう! それは裏を返せば、あなたたちエンギルダ国も簡単に滅ぼせると捉えてよいのかね?」

 

「どうとでも捉えなさい。あなたたちみたいな戦争マニア、私は大嫌いよ」

 

「そうか。ならば……」

 

 グールドは自慢のペルシャ猫を抱き上げ、イスから立ち上がった。

 

 よく磨かれた革靴で一歩一歩クローナへ接近し、

 

「ふんっ!」

 

「うっ!」

 

 平手打ちが炸裂! 白く美しいクローナの頬に衝撃が走る!

 

「生意気な小娘が! 所詮、貴様なんぞ戦争の道具に過ぎんわ!」

 

「やっぱり最低ね、あなたたち。戦うことしか考えてない」

 

「ふん! くだらないことを言えるのも今のうちだぞ」

 

「分かってるわ。だから今言っているの」

 

「……ふん。もういい、この小娘を適当に閉じ込めておけ」

 

 黒スーツの部下がクローナを引っ張り、扉は閉じられた。

再び暗闇に飲み込まれたこの部屋に、グールドの下品な笑い声が木霊した。

 

 

 

 一方そのころ! リンセンは!

 

 手袋の変身能力のおかげもあり、特に苦労もなくナイラ国へ直進していた。

 

 一飛びで十数メートルは余裕なのだ。

荒野なんぞ、もはや無いに等しいものである。

 

 だが、かれこれ二時間ほどは変身を維持したまま活動している。ここまで長時間使用してようやく判明したことだが、なんとこの変身能力、あまり長く使用すると体力の消耗が激しくなるのだ。

 

 底なしの体力バカであるリンセンも、さすがに気づいた。

 

 荒野を一望できるほどの岩山の斜面を滑り降りている最中、リンセンの腹からみっともない音が流れた。

空腹のサインだ。

 

 そのサインを皮切りに、リンセンの移動ペースが大きく落ちてしまう。

照り付ける太陽の下で腹を押さえる全身鎧の男は、大きなため息を吐き出した。

 

「はぁー……腹減った。あいつを助けようにも、腹が減っちゃ戦はできねぇんだよ」

 

 ひとりごちて、変身を解除する。

 

 燃費の悪いリンセンの体では、これ以上の活動は不可能だ。

このまま敵陣に単独で突撃し戦闘になっても、まず勝機はないだろう。

 

 クローナの能力が悪用――戦争に使われることくらい、リンセンにだって理解できている。

一刻も早く救出せねば、クローナ自身も、国も、そして森の動物たちも滅ぼされてしまう最悪のシナリオも予想できている。

 

 だが動けない。

 

 空腹は、最大の敵だ。

 

 リンセンは空腹という名の新たなライバルに敗北し、歩みを止めた。

 

「腹、減った……だれか、なんでもいい。だれかなんか食わせてくれよ」

 

 浮かぶ雲が脳内で食べ物に変換されていく。

だが脳内でいくら食べようとも、永遠に空腹が満たされることはない。

 

 ただの風すらも甘い香りを運ぶ錯覚を覚えた。

エサを目の前に何分も待たされた犬のように、リンセンの口からたらりと唾液が流れ出る。

 

「誰か……食わせろ……俺に、メシを、食わせろ……」

 

 薄れていく意識の中で、リンセンの目に人影が飛び込んだ。

 

 地平線の彼方の存在だったが、その人物に微かに希望を抱いていた。

食べ物を所持していて、なおかつリンセンに差し出す確率は低いだろう。

 

 それでも。

 

 期待せざるを得ない!

 

「た、たのむぜ……お前がメシを持っているか否かで、この国の命運は決するんだぜ……さぁ、俺によこせ、メシを……メシを……っ!」

 

 そのとき、風に乗った肉の匂いが、リンセンの嗅覚を刺激した。

鼻を通過した匂いはやがて脳にまで達し、死に絶えそうだった活力に火をつけた。

 

「肉! 俺のぉぉぉぉ! 肉ぅぅぅぅ! よこせぇぇぇぇ!」

 

 彼方から接近する人影に向かって、四足歩行で突撃する。

オオカミか、ハイエナか、どちらにせよ食欲という名の暴力をむき出しにする獣なのは間違いない。

 

 すると彼方にいた人影が、踵を返して逃げるように走り始めた。

当然と言えば当然だ。

四足歩行の獣が猛襲を始めれば、逃げ出すのが普通だ。

 

 逃走の甲斐なく、人影はあっという間にリンセンに追いつかれ回り込まれた。

 

「ひぃぃ!」

 

 十歳ほどの少年は、顔を引きつらせてブレーキをかけた。

その手には白い紙に包まれた手の平サイズの何かがあった。

これが肉の正体だ。

 

「おい! その肉よこせっ!」

 

「えっ! え、ええと、うん、そのつもりだけど」

 

「あれ、おいお前、どっかで会ったことあるな」

 

 ごく最近、リンセンはその十歳ほどの少年に会っている。

のだが、記憶力の悪いリンセンがいくら脳内をひっかきまわしても、忘却の二文字が立ちふさがるばかりだ。

 

「ね、ねぇ。さっき町で助けてくれた人だよね?」

 

「あぁ? さっきだと? ああ、まさかお前、子犬を抱いてたあのガキか?」

 

 宿の前で、商会の跡取りに飼い犬を殴られた少年だった。

ここまで来てようやくリンセンが完璧に思い出すことができた。

 

「うん。そうだよ。でもビックリした。いきなり遠くの方でなんか飛んでくるんだもん。まさかと思って来てみたら、あのときのにーちゃんがいるなんて、ビックリだよ」

 

「あぁ。俺も急いでてな。でも腹が減って途中で燃料切れさ。その食い物、俺によこせ」

 

「えぇ? いや、いいけど」

 

 少年が包みを差し出すと、リンセンはひったくって中身を取り出した。

 

 その中身とはっ! 照り焼きチキンとシャキシャキレタスがサンドされているハンバーガー!

まだほのかに暖かく、日の光に照らされた油がキラキラと光っていて、食欲をそそらざるを得ないっ!

どんな小食もガッツクほどそそられるっ!

 

 一瞬で平らげたリンセンは、満足そうな顔で両の手を合わせた。

 

「あー、よし食った食った。腹いっぱいではねぇが、概ね満足だな」

 

「美味しかった?」

 

「最高だぜ」

 

 先ほどとは打って変わって、リンセンの表情は活き活きとしている。

とてもではないが、これから国を潰しにいく人間の顔とは思えない。

 

「そういや、お前はなんでこんな美味ぇもん持って歩いてんだよ」

 

「え、いや、僕が個人的に食べようと買って、丁度帰るとこだったんだよ」

 

「なんだ、お前のだったのか。悪ぃな食っちまって」

 

「いいよ。助けてくれたんだし。それより、どうしてこんなところにいたの?」

 

「あぁ? これからナイラ国に突撃すんだよ。腹立つ連中を十把一絡げにブチのめしにいくところだ」

 

「な、ナイラ国だって? どうして一人でそんなこと?」

 

「腹立つ連中をぶちのめす。ついでに人助けだ」

 

 リンセンは、そこまで正義感に溢れた発言をするつもりはなかった。

ナイラ国に対する怒りが大半を占めていて、英雄気取りをするつもりは毛頭ない。

 

 もちろんクローナを忘れたわけではない。

 

 一宿一飯の恩義もある。

美味いメシを食わせてくれる人間に、悪いやつはいない。

という単純理論だ。

クローナ自身と反りが合うかどうかは、また別問題だが。

 

 少年は、リンセンのその一言に心打たれた。

 

 クワンザなどの強力な軍事力を有するナイラ国を相手取り、果敢に挑もうとする凛々しい覚悟に、男らしさを感じたのだ。

 

 男らしさを! 感じたのだ!

 

 感じたのだ! 男らしさを!

 

「す、すげぇ! すげぇよ!」

 

「あったりまえだろーが。俺はすげぇんだよ。天下のリンセン様だからな」

 

「分かった! じゃあ、応援してるから! がんばって!」

 

「応援? んなもんなくなって、余裕で勝ってやっからよ」

 

 再びリンセンは手袋に触れ、瞬時に変身した。

 

 少年が二度目の驚愕を見せる前に、リンセンは地を蹴り、砂塵を巻き上げながら大ジャンプで彼方へ消え去っていった。

 

「じゃあなー! 名も知らぬ少年!」

 

 少年は、フェードアウトしていくリンセンを目で追いかけながらも、別れの言葉を聞き漏らすことはなかった。

 

 あの男は、何者なのか。

あの変身はどんなマジックなのか。

 

 突如現れた男に憧れた少年は、リンセンが消えた空へ手を振った。

 

 

 

 少年からもらったハンバーガーで活力を取り戻したおかげか、ナイラ国への移動は順調そのものだった。

 

 果てしない荒野を飛び越え、谷を乗り越え、森を抜ける。

本来は列車を使わなければ自殺行為である道のりなのだが、変身していれば造作もない。

 

 荒野は風が吹き荒れ、逆風となってリンセンを妨害する。

だがそんなものは、ネズミ一匹で猛獣を足止めするようなものだ。

今のリンセンには無風に等しい。

 

 複雑な高低差がある荒野をジャンプで移動中、ふとリンセンは足を止めた。

 

 数メートル下の地上、岩陰から何者かが針のようなものを射出した瞬間を見逃さなかった。

 

 咄嗟に身を翻し、射出されたそれを避ける。

目の前を細い銀色の針が通り過ぎて行った。

 

「なんだ、おい。吹き矢か……?」

 

 数メートル離れた相手に対して吹き矢で挑む心意気。

リンセンはその攻撃を挑戦として受け止めた。

 

「なんか知らねぇが。受けて立ってやるよ!」

 

 立っていた崖を飛び降り、地上へ降り立つ。

 

 乾いた大地が割れるほどの衝撃で着地するも、リンセンは顔色一つ変えることはない。

 

 手袋内部から混棒を抜き、針が射出された場所をにらみつける。

 

 リンセンは基本的に無鉄砲な戦法で戦うが、今回は違った。

あの目の前を通り抜けていった針――回避できなければ命中していた。

 

 それほどの力量を持つ人間で、なおかつ自分の敵となる存在と言えば、ナイラ国以外であるわけがなく、あの吹き矢もただの吹き矢であるはずがない。

 

 リンセンが敵陣へダイレクトに攻め込む前に撃退するつもりならば、当然、手袋による変身も視野に入れているはずだ。

並の兵隊を送り込むわけがない。

それに移動中に狙いを定めるほどだ。どこかで動向を伺っていた者もいる。

 

 導き出される答えは、

 

「こいつら、チームだな」

 

 吹き矢の他にも、密かに爪を研ぐ敵が、複数存在する!

 

 それも、リンセンの変身能力に匹敵する敵が!

 

「どこだ……吹き矢以外のやつ、どこにいやがるっ!」

 

 その瞬間だ! リンセンが三百六十度を警戒していたまさにそのとき、信じられないことに近くの岩壁から人が現れたのだ!

 

「てめぇ! いったいいつの間にっ!?」

 

 ニンジャのように巧妙に隠れ、ニンジャのような身のこなしで襲い掛かるその姿はまさにニンジャ!

長髪の若い男。

闇闘技大会の元チャンピオン。

その名は、

 

「俺様はディルハム! さっきの吹き矢はドブラのものだ! 貴様に恨みはないが、ここでくたばれアバヨ! さ!」

 

 ディルハムは変身などせず、武器も所持せず、体一つで豪快な拳を繰り出した。

 

 それを回避するだけなら造作もなかったが、そうはいかない。

四天王はそう甘くないのだ。

 

 ディルハムの攻撃に合わせ、二度目の吹き矢も射出されたからだ。

 

 リンセンはディルハムの拳を混で受け流しつつ、正面からの針も巧みに避ける。

 

 受け流しと回避を両立するのは至難の業で、さすがのリンセンもヒヤッと焦る!

 

 驚いたのは二人の連携だけではない。

その攻撃の威力と効果だ。

 

 ディルハムの拳は固い大地にめり込み、針は背後にあった木に深々と突き刺さり、数秒で土ごと腐らせてしまった。

 

 リンセンの予想、的中。

 

 こいつらは、普通ではない。

 

「ふふふ……俺様の不意打ちを避けるとは、なかなかやるなニッポン人」

 

「褒めてくれて嬉しいね、でもちょいと質問がある」

 

「質問? ほう、なにかね」

 

「お前、バケモンだろ。ナイラ国は人間をバケモンに変える実験でもしてんのか」

 

「ふふふ、面白いことを訊くニッポン人だ。この体は断じてバケモノなどではない。これはナイラ国とグールド様への忠誠の証、そして我ら戦士の武器、そして力の証明! ナイラ国が誇る究極の化学力が生み出した、究極の肉体強化薬を注入した究極の肉体なのだ!」

 

「はっ! 下らねぇ自慢だな、訊いて損したぜ。その調子なら、あっちの吹き矢の野郎も同じ穴のなんとやら、か」

 

「ニッポン人、死ぬ前に忠告しておこう。今のうちに医者を呼んでおくことだ」

 

 今ここで貴様を八つ裂きにしてやるから、今のうちに医者を呼んでおけ、と、つまりそういうことだ。

 

「悪ぃな、医者ならもう呼んであるぜ。てめぇらのためになぁっ!」

 

 飛び上がったリンセンがディルハムへ食いつく。

ディルハムは空中から高速で繰り出された棍を巧みに受け流し、頭上のリンセンへほぼ直角の蹴りを叩き込んだ。

 

 解説っ! これは、かつて名をはせた闇闘技大会でも使われた殺人キックの一種! 空中から襲い掛かる相手には絶大な効果を発揮できる、ディルハムの得意技!

 

 だがリンセンには予想通りだった。

これまた的中!

 

 リンセンは空中で身を翻し、体勢を立て直した。

ディルハムの得意気な蹴りを踏み台変わりにし、岩陰に隠れるドブラへ大ジャンプ! この一瞬の攻防にはさすがのディルハムもヒヤっと焦る!

 

 ドブラはまさかの事態にも慌てず、次の吹き矢を射出

動き回る相手も撃ち落とせる自信はあるが、落ちてくる標的ならば狙いは確実!

 

「この毒! 受けてみよっ!」

 

 落下しながらも混で針を叩き落とし、順調に距離を詰める。

ディルハムの蹴りの威力も相まって、止まることを知らない超スピード! もはや弾丸!

 

「ヤバい! これは、ピンチ!」

 

 残念だが吹き矢の装填には時間を要する。

次の一発までは隙だらけで、もう間に合わない。

 

「俺の邪魔をすんなぁぁぁぁぁあ!」

 

 根を構え、余裕のなくなったドブラへ突き進む。

 

 落下のスピードをプラスした凶悪な一撃をねじ込む、その瞬間。

新たな攻撃がリンセンを襲う。

 

「なんだ、これはっ!」

 

 驚愕した瞬間、すでに回避できるタイミングは逃していた。

 

 筒状の鉄の塊が、尻から火を噴射しながら迫る。

コンマ数秒で混を使って防御したものの、鉄の塊は爆発し、リンセンは予想だにしないダメージを負った。

 

 リンセンの体は爆風で大きく横へ飛ばされ、岩壁に叩きつけられる。

 

「ぐっ! なんだ、今のアレはっ!?」

 

 リンセンにとって、火薬による攻撃など前代未聞なのだ。

要するにミサイルだが、変身したリンセンを吹き飛ばすほどの威力となると、そうとうな技術が必要になる。

 

 ドブラがいる岩陰から、もう一人別の人物が顔を出した。

ミサイルを開発し放った張本人だ。

 

 やけに体が細く、肉体的戦闘は明らかに不得意だ。

だがその目に宿る野望や執念はドス黒く、もはやその瞳に光はない。

 

「ぐぐ、ぐぐぐぐ。私は、人呼んで恐怖のマッドサイエンティストフォリントだ。そのミサイルにはねぇ。特殊な電磁波が仕込まれていて、炸裂すると電磁波も展開される。電磁波に含まれるトゥグルグ粒子が人体の体細胞をマヒさせるから、どうにもならないねぇぐぐぐ」

 

 フォリントの説明通り、確かにリンセンの四肢はマヒしていた。

変身していても、肉体が活動できなければ戦闘など不可能だ。

 

「てめぇ……ニヤついた顔を見せんじゃねぇぜ、おい」

 

「ぐぐぐ、ニッポン人が作ったとされたその手袋、どれほどのものかと期待したのに、ぜんぜん大したことなくって、ガッカリじゃあないか。でもねぇ、調査したいから、ちょっと調べさせてもらうよぉん」

 

 リンセンの神経という神経全てが、言うことを聞かない。

 

 フォリントはボロボロに朽ち果てた歯を見せながら、汚い笑みを浮かべている。

もうリンセンは、科学的興味の対象でしかないのだ。

 

 岩陰からドブラが姿を現す。

まんまと蹴りを足場にされたディルハムもマヒしたリンセンの前に立った。

 

「お前ら、こいつを殺すのはまだだぞ。こいつの手袋を剥ぎ取って、調べつくして、そして私が変身して、その全てを解き明かしてみせるぞ」

 

「おいおいフォリント、なに言ってやがる。こいつを殺すのが命令だろう」

 

「なにを言うかディルハム。この手袋の変身能力を解き明かし、量産に成功すればどうなる? ナイラ軍はさらなる高みへと昇ることができるのだぞ、軍備増強万々歳!」

 

「ほう。だが満足した後、殺すのは俺たちだからな」

 

 そんな好き勝手なことを目の前で並べ立てられたリンセンは、マヒしているのにも関わらず、拳を強く握りしめた。

 

 驚愕! なんとマヒから、回復してきている! これは早い!

 

「てめぇら、俺がこの程度でぶっ飛ばされると思ったら大間違いだぞ……」

 

「こ、こいつ! 我がミサイルを受けてマヒしたはず! なぜ口が動く!」

 

「あぁ? なぜだと? なぜ口が動くのかって……?」

 

 拳と口に続き、弱弱しくも足が動く。

 

 これは、気合い! 紛れもなく気合だ!

科学などではなく、ただ単純に気合だけでマヒを打ち砕いた!

普通の人間ならば三日と動けない超強力なマヒを――それどころか、体が粉々にはじけ飛んでいてもおかしくはないほどの爆風すらも耐えてしまった!

 

 恐るべし手袋の変身能力! 恐るべしリンセンの気合と肉体!

 

 これには敵、揃いもそろって驚愕! ダブル驚愕っ!

 

「口が動かせなきゃあよ……美味いメシが食えねぇし、てめぇらにこのイライラをぶちまけらんねぇだろうが! だからだよっ!」

 

 リンセンの体を駆け巡る血液が、ただの気合によって最高潮に沸騰した。

目の前の敵を打ち倒すための怒りが燃え滾り、そしてナイラ国を打ち砕く野望が火を噴いた!

 

「うらぁぁぁぁぁぁあああ!」

 

 首輪の鎖を引きちぎった猛獣の加速か――リンセンは爆発的な初速でフォリントへ殴りかかるっ!

 

「砕け散る能動、粉砕する鳴動! 一天万乗のォォォ! 俺の一撃ィィィ!」

 

「やっ! やめろ! 私は、体力勝負はダメだあぁぁぁあああああん」

 

「十把一絡げにぃぃぃぃ! 大・成敗っ! してやるぜぇぇぇぇぇぇ!」

 

「うげげげげげっごごご!!!」

 

 フォリントのみぞおちに二発の拳! コンクリートすらも破壊できるほどの威力を正面から受けて数メートル彼方の岩壁へ吹き飛んでいった!

 

 これでも生身の人間相手だ。

リンセンは手加減していたつもりだが、ついうっかり全力でやってしまうこともある。

仕方がないことだが、死なない程度だ。

 

「この天才である私の発明をぉぉぉぉおおお!!」

 

 最期のセリフで敗北を認め、大の字で岩壁に衝突! 人間の形に象られた穴の奥には、完全に戦意喪失した科学者の成れの果てが転がっていた! 哀れ!

 

「貴様! よくもフォリントを!」

 

「お前、ディルハムだっけ? あとそっちの吹き矢野郎。お前ら十把一絡げに大成敗してやっから、かかってこいよ」

 

 仲間をやられて我を忘れたドブラが、渾身の吹き矢を放った。

リンセンは二本指だけでいとも簡単にキャッチし、素早く投げ返した。

 

「動作が見えれば、掴むのは楽勝だ!」

 

「イッヒィィ!」

 

 毒の針がドブラの額に突き刺さった。

両の目玉が中心の針を見据えたまま、ドブラは乾いた大地へ大の字に倒れた。

 

「安心しな、針をキャッチしたときに、針の毒は絞り出しておいた」

 

 敵! 相手は敵だ! だが、ほぼ初対面の相手を殺傷するほど落ちぶれてはいない。

戦意を喪失させ戦闘不能に陥らせれば、戦いは終了なのだ。

無益な殺傷は無意味だ。

 

「き、貴様! ドブラまでも! だが敵ながらその強さにはアッパレ!」

 

「へっ、悪ぃな、褒めてもらっちまってよ」

 

「ここはひとつ、正々堂々といこう」

 

「あぁ? どういうこった」

 

 すでに四天王の半分がやられ、ディルハムも敗北寸前。

正直、かなり戦う気は失せていた。

はやく家に帰って甘いお菓子を食べたかったくらいだ。

 

 だからこんな提案をし、少しでも気を落ち着かせようとしたのだ。

 

「貴様は、手袋の力で変身しているな。どうやらその変身能力、かなり身体能力を強化させると見た」

 

「あぁ。それがどうした」

 

「男同士、対等な戦いをしたい、その変身を解除し、体一つで――」

 

「拒否だ」

 

「しかし、戦士であるいじょ――」

 

「拒否だ」

 

「だがニッポン人は、なによりも礼儀を――」

 

「拒否だ」

 

「ま、まさか、正々堂々が、嫌いなのか?」

 

「その、まさか、さ。あいにく俺は、正々堂々の勝負が嫌いなんだよ」

 

「き、貴様! それが! それがサムライの言うセリフであるわけないぞォォォ!」

 

「はっ! うるせぇよ。黙って俺に敗北しやがれ! この正々堂々野郎が!」

 

 少しでもリンセンの戦力を削ごうとした作戦だったが、見事に打ち破られた。

それどころか、一ミリも乗ってこなかったことに怒りと焦りを感じていた。

ディルハムは頭を掻きむしり、冷静さを失う。

 

「言ったな貴様! もういい! 正々堂々はヤメだ! 卑怯でもいいから勝ってやる!」

 

 ディルハムはポケットから鏡を取り出して両手で高く掲げた。

強い日光が鏡に反射し、遠く離れた仲間への合図となった。

 

 一部始終が理解できないリンセンは首を傾げつつも、そのチャンスをただ茫然と眺めているわけではなかった。

高速のショートジャンプで距離を詰め、ディルハムに一直線だ。

 

「てめぇ! 鏡なんぞで何をするつもりだっ!」

 

「俺にはまだ仲間はいるんだ! あの貧弱な二人だけではない!」

 

 ショートジャンプで低空を移動中、リンセンは空を警戒した。

太陽を鏡に反射させて合図を送るとなれば、上空か高い岩壁にいる相手しか考えられない!

 

 予想は外れる!

 

 リンセンの左後方より回転する物体を確認。

たまらず両手でそいつを防御するも、受け身を取りづらい空中では姿勢を維持できず、地面に転がり落ちた。

 

「クソっ! んだこれおい! なにをぶつけやがった!」

 

 激突した物体は超高速で回転をしていたのだ。

一瞬触れた感覚だけでは形など把握できようもない。

 

 物体は消滅したのか――地面に落ちている様子もない。

 

 周囲を見渡し敵の発見に努める。

岩陰、岩山の上、地中、空中。

どこにもそこにも敵の姿がなく、次を防ごうにも防げない状況だ。

 

「ふふふ! はははははあ! そいつを耐え凌ぐとは、さすが大した男だ! 敵ながらアッパレと誉め言葉を送ってやろうではないか! アッパレ! と!」

 

「はっ! そいつぁどうもディルハムさんよ。だが方向は分かった。なら、てめぇをぶちのめしながらさっきのを防ぐってのも無理じゃあねぇってわけだ」

 

「ほう。自信はあるか。ならばやればいい!」

 

 ディルハムがリンセンと同じくショートジャンプを繰り出し距離を詰めるっ! リンセンほどではないが巧みに風に乗った踏み込みだっ! これは華麗!

 

 気に食わねぇ――リンセンは自分と似たような動きをするディルハムに怒りを覚えた。

自分だけが最強。

自分だけが頂点。

絶対的勝者である自分を真似た動きなど、言語道断っ!

 平素から短気なリンセンだが、今回ばかりは特に過激に短気だった。

 

 戦闘序盤、圧倒的な威力の格闘を見せつけたときから、ディルハムのことを「いけすかねぇ。クソ人類め」などと心で罵倒していたのだ。

不意打ちをしたドブラとフォリントにも「いけすかねぇ。クソ人類め」と罵倒していたのだが、倒せたのでもう罵倒はしていない。

 

 弱いやつはすぐ倒す。

強いやつには腹が立つ。

それがリンセンの戦いの流儀。

バトルイズムなのである。

 

「いけすかねぇ……いけすかねぇぞ特にてめぇはなぁ!」

 

 正面突破で立ち向かうディルハムに、負けじと正面から混を突き出した。

だが、

 

「甘い! 甘すぎて舐めてしまいそうなくらい、甘いっ! スイィィィト!」

 

 混を両手で受け流し、自身の体を前へ加速っ!

続けて変身したリンセンの強固な肉体に拳を叩き込むっ! これは一見、無意味にも見える一撃。

だがこのコルナ荒野の乾いた大地をもたたき割る拳なのだ。

リンセンも無傷とはいかない!

 

「ぐっ! てめぇ! やっぱタダモンじゃねぇ!」

 

「ふふふふ。言っただろう。肉体強化の薬が体を駆け巡っているのだよ! たとえ手袋による変身能力があっても、なお! 平然と耐えられる一撃とは思わぬことだ!」

 

 リンセンが軽く仰け反ったところで、例の物体の第二波!

 

 正面から向かってくると思いきや、まさかの事態! その物体は高速回転しながら急に角度を変え、変則的な動きでリンセンを翻弄する!

 

 だがリンセンは見逃さなかった。

 

 その物体の形、シルエット――あの頑張りすぎたバナナのように曲がったボディは、まぎれもなく、

 

「ブーメランか!?」

 

 正体に気づいた瞬間、すでにブーメランは背後に回り、接近している。

コンビネーションを組むかのように、ディルハムはリンセンを挟み撃ちにした。

 

「そのルフィヤのブーメランは一級品だ! 貴様のような下等生物代表に、一級品が負けるものかっ!」

 

 まさかの事態! 一瞬の攻防、その二!

 

 一撃目から察するに、あのブーメランを背中から貰えば、一撃必中で仕留められることは目に見えている。

だが正面からのディルハムに耐えつつ背後のブーメランを凌ぐのは至難の業だ。

 

 ならば、回避に徹する!

 

 リンセンは俊足の横っ飛びで、牙をむくブーメランをかわした。

コンマの差でディルハムのストレートパンチが――虚しく空を切る。

 

 だがそのとき! ディルハムの拳が開き、高速回転するブーメランを掴んだ。

その流れで横方向に飛んだリンセンへまさかの投擲!

 

「てめぇ! 投げ返しかっ! まさかのっ!」

 

 まさかの予測不可能な連携っ! これは見事っ! ディルハムルフィヤの顔が見えないはずだが、まるで目の前にいるかのような連携っぷり! 

これは見事っ!

 

 不意のことに防御に失敗。

ダイレクトに受けたブーメランの威力は相当なものだが、ショートジャンプ中と違い足で踏ん張れるだけまだマシだ。

 

「ははは。ルフィヤのブーメランは特別製だ。ナイラ国が独自に開発した超金属ケツァルメタルを加工して作り上げた一級品のブーメランさ」

 

 命中したブーメランをキャッチしたディルハムは、自慢げに説明をする。

 

「さっきから一級品一級品うるせぇんだよてめぇ!」

 

「おうおうおうっ! 悔しいか、下等生物代表くぅん? もう一度言ってやろう、下等生物代表くぅぅぅん??? おまけにもう一度ぉぉ! 下等生物代表ぉぉくぅぅん???」

 

「やっすい挑発だな。腹立つから乗ってやるよ。感謝しな!」

 

 調子に乗ったディルハムは、返ってきたブーメランを再度投擲した。

ブーメランにおいてはルフィヤのほうが技術が上だが、ディルハム自慢の怪力があればけっこうな威力は繰り出せる。

 

 それを予測していたリンセンは棍をプロペラのように回転させ、ブーメランを弾き飛ばした。

回転力を失ったブーメランは明後日の方向に墜落するが、構わずディルハムはリンセンに突進する。

同時にリンセンも真正面から駆け出すっ!

 

「へっ! ブーメランのやつ! 先に潰してやるっ!」

 

「貴様っ! まさかこの俺を無視するのかっ!」

 

「悪ぃな! そのまさかだよっ! お前と遊ぶのは後回しだっ!」

 

 タックルをひょいとジャンプでかわし、ディルハムの肩を踏み台にする。

 

ブーメランが投げられたであろう方向へ向かって大きく飛んだ。

 

 ルフィヤがいる岩山までの距離、実に数百メートル。

ディルハムに追いつかれることはないだろうが、ルフィヤはさらなるブーメランで迎え撃つだろう。

 

 だがそんなことも承知! リンセンの予想通り、ルフィヤは岩山のてっぺんから三方向にブーメランを投擲! それらが意思を与えられたかのように、リンセンに向かって襲撃を始める。

 

「どんなツラか拝んでやるぜ! クソ人類めっ!」

 

 不規則な挙動――だが確実にリンセンへ狙いを定めて牙をむくブーメラン。

 

 この数百メートルの距離からどう攻めてくる。

どう動けば避けられる。

避けてからどう次の回避に繋げる――頭脳戦は苦手なリンセンだったが、ただがむしゃらに動いて力だけで敵う相手ではないことくらい理解している。

 

 三本のうち、一本が加速を開始!

 

「やっぱりヤメだ! 考えるより、見て避けるっ!」

 

 抜群の反射神経と身体能力だけを頼りに、一本目を避けるっ!

 

 風圧を感じるほどの至近距離をブーメランが突き抜ける。

背後に落ちたそれは、容赦なく固い大地を引き裂いた。

 

「へっ! んなもんが当たるかよっ!」

 

 よく見てさえいれば、正面からの攻撃など造作もない。

 

 あとの二発も、大したことはないっ!

 

 流れるように襲撃を始めた二本のブーメランも容易く避け、ルフィヤが立つ岩山の真下に到着。

この位置ならばブーメランも逆に命中し辛いだろうが、まだ背後のディルハムは諦めていない。

 

「ったく! しつこい野郎だ!」

 

 ディルハムが加速をつけての蹴りを炸裂させた

鉄板をも貫けるほどのそれをリンセンはジャンプで回避する。

岩壁に強烈な蹴りが食い込んだ。

 

「じゃあな! お前は後回しって言ったろ!」

 

「貴様! この蹴りを受けろ! 逃げるなっ!」

 

 リンセンはジャンプのみで岩山を登り高度を上げた。

軽快なリズムとアクションで順調にルフィヤへ近づいてゆく。

 

「見えたっ! あいつがブーメランを投げつけやがった野郎か!」

 

 高速で駆け上り、勢い余って飛び上がった。

 

 大地を炙る太陽をバックに、ルフィヤより高い位置で、敵の顔をチェック――。

 

「女っ!?」

 

 一瞬驚く

そこにいたのは女っ! まさかの女っ!

 

 普通なら躊躇するところではあるが、あいにくリンセンはそんな程度のことで手を抜ける男ではない。

 

「てめぇ! 女だからって俺が手加減するとでも思ったかぁぁぁ!」

 

 リンセンはルフィヤに狙いを定め、これまでの鬱憤を晴らすかのように混を全力投球! 同タイミングでルフィヤもブーメラン四本乱れ投げだ!

 

「うふふふふ! ニッポン人! この私のブーメラン裁きに真正面から耐えられるかしら?」

 

 槍のように投げつけた混は、高速回転するブーメランたちの間を縫い、ルフィヤに直進した。

だが不意のブーメランによって僅かに狙いが逸れ、ルフィヤの横すぐへ突き刺さった。

 

「ちっ! 外したか! でも俺も、このブーメランをっ! 防がないと!」

 

 四本のブーメランが一斉にリンセンを襲う。

順番に列をなして襲ってくれば、まだ叩き落す猶予もあったものの、しかしタイミングは同時! 混が手元にない状況での防御は、自殺行為なのだ! 直撃しようものならば死は確実・確定・不可避っ! 

衝撃によって手袋の変身機能が解除され岩山から墜落すれば、いくらリンセンでも命はないだろう!

 

 成すすべなく、ブーメラン全弾直撃! 空気との摩擦で爆発が生じ、薄黒い煙と火炎がリンセンの姿を覆い隠した。

 

 辛うじて防御はしたものの、至近距離で受けるブーメランの威力はリンセンの体に多大なるダメージを与え――

 

「ったとでも思ったか!」

 

 ルフィヤの背後から、リンセンの声!

 

 敗北を確信させるかのような余裕のセリフに振り返るも時すでに遅しっ!

 

 二本のブーメランを握ったリンセンが、ルフィヤの首にそれを突き付ける。

 

「あ、あなたいつの間にっ!」

 

「へっ! よく見てみな!」

 

 ルフィヤが恐る恐る目を凝らすと、そこには力をなくしてダウンするディルハムの姿があった。

全身は煙に飲まれたかのように黒く染まり、肌も僅かに焼け焦げている。

 

「ま、まさかっ!」

 

「その、まさかだ! あいつが下から俺を追いかけてきたから、速攻で捕まえて身代わりにしたんだよ!」

 

「恐るべしっ! 私のブーメランより速くここまで動くなんて!」

 

「俺を褒めるのは後にしな! さぁどうする!? お前以外のお仲間は全滅か!?」

 

「くっ……!」

 

「それとも、お仲間を連れてしっぽ巻いて逃げるか? おい」

 

 戦闘不能にまで陥ったディルハムだったが、命までは奪われていない。

ディルハムを死なせないために、リンセンはブーメランを二本キャッチしたのだ。

 

 つまり、殺さないための行動――。

 

「あなた、ドブラとフォリントにも手加減したっていうの?」

 

「手加減? バカ言え。俺は本気でやりあった。ムカつく連中に手加減すんのは俺の性に合わないからな」

 

「……」

 

「だがな、俺は殺しはしない」

 

「どうして。私たちはあなたを本気で仕留めようとしたのに」

 

「血のついた手じゃあよ、美味いメシも不味くなっちまうだろうが」

 

「そ、そんな理由で、敵の命を奪わないというつもりなの!?」

 

「俺は人殺しじゃあねぇ。腹立つやつをぶちのめして、道が拓ければそれでいい」

 

「じゃ、じゃあ……」

 

「戦は終わりだ。大人しく俺を通せ」

 

 戦は終わり――その証拠に、リンセンは変身を解除して、奪い取ったブーメランを投げ捨てた。

警戒する素振りは微塵もなく、すっかり戦意が抜け落ちたルフィヤに背を向け、進むべき方向へ踏み出した。

 

「じゃあな。この荒野は暑いからよ。他の三人を連れて、さっさと帰れ」

 

「あ、あなたは、なにをするつもりなの!? まさか、あの捕らえた女のために、そこまでっ!」

 

「あのクソ女はなぁ、ついでだ。俺はあいつの作るメシを食いたい。理由はそれだけだ」

 

 再び手袋で変身し、岩山から跳躍した。

鳥と同じ高度まで飛び上がり、次の岩山をも飛び越える。

 

 リンセンの心に燃えるハートは、このコルナ荒野を焼く日差しでさえも燃やしきれない。

 

 だが――順調に進んでいたリンセンの前に、さらなる強敵が立ちふさがる!

 

「待て! 我ら真の四天王がまだ残っているぞ!」

 

 リンセンが着地した岩山の影から、全身黒づくめの連中が顔を出した。

 

 真の四天王と名乗る彼らは縦一列に並び、各々が両手を横に広げて構えている。

 

「くらえ! 真四天王必殺奥義! 閃空竜巻おっ――」

 

「うるせぇっ!」

 一撃!

 一撃!

 一撃!

 一撃!

 

 いや、これは四撃に見せかけた超高速の一撃! 

圧倒的光速的に放たれた怒りの鉄拳により真の四天王たちはたったの数秒で負傷兵へとなり果てた!

 

まさに!

壊滅!

鬼のような攻撃!

圧倒的勝利!

 

「邪魔なんだよてめぇら! シンだかヒンだか知らねぇが! 邪魔すんなクソ人類が!」

 

締まりのない勝利で幕を閉じ、再びリンセンは山を越えた。

 

 絶対的な自信があった真の四天王たちは、ただひたすらボスからの処罰に震えるのだった。

 

六章 ポッシブル・インポッシブル

 

 一方そのころ、ナイラ国のボスであるグールドに捕らわれたクローナは……。

 

 捕らえられているとはいえ、その待遇は酷いものだった。

 

 能力を封じるため、目隠しをされ汚い麻袋を被せられている。

おまけに後ろ手に手錠をされ、ついでに足も縛られている。

なにより最悪なことは、この陽が差し込まない牢屋に閉じ込められている、という事実。

目を使う能力であるため、グールドたちも警戒に警戒を重ねた結果だ。

 

 しかし死なれては困る。

だから食事だけはしっかりと与えられているのだが……快適とは程遠い環境であることは間違いない。

 

 こんな状態ではまともに横になることすら適わない。

視界には映ることはないが、ネズミのような生物も徘徊している。

 

 意思の強いクローナでも、さすがに厳しい精神状態!

 

「諦めない。私は……こんなところで力尽きたりはしない」

 

 闇の中、一人決意を新たにする。

 

 そんなとき、不意にサビた鉄扉の軋む音が響いてクローナの鼓膜を揺らした。

 

 直後に固い石の床を歩く音が――誰かが牢屋のある地下へ入ってきたのだ。

だがあいにくとクローナの視界はゼロ。

聴覚を限界まで研ぎ澄ますが、足音だけでは訪問者の正体は探れない。

 

「だれ?」

 

 目の前に到着した訪問者に問うた。

声こそ冷静なものの、内心は叫びだしたいほどの恐怖で満たされていた。

 

「あっし、なり」

 

「あっし……? まさか、リョウ」

 

 馬車で襲撃してきた――リンセンの妹の可能性がある少女、リョウだ。

 

「なにをしにきたの。私の出番なの?」

 

「違う。あっしは個人的に来ただけなり」

 

「個人的? 個人的に?」

 

「あっしは、あの男について知りたいなり」

 

「あの男って……まさか、リンセンのこと?」

 

「ご明察なり。二戦交えたあの男、知りたいことだらけなり。知り合いである可能性もある。もしや、家族か……」

 

「あなた、勘づいているの? リンセンと同じこと言ってるわ」

 

「同じこと……」

 

 僅かだが、リョウの冷え切った心に変化があった。

 

 こんなこと、グールドの手によりナイラ国へ連れてこられて以来、初めてだ。

 

 姿こそ見えていないが、クローナはその心の変化を見逃さなかった。

 

「あなた、自分のこととリンセンとの関係、知りたいでしょう? だったら、ここを開けてちょうだい。手袋の力で変身すれば、こんな牢屋なんて一発でしょう」

 

「それは……裏切り行為となるなり」

 

「裏切り? 違うわ。裏切りじゃない。そもそもあなたはニッポン人なのよ。この国に連れてこられたのだって、ナイラ国のせいなのよ。あなたたちは、帰らなくちゃダメよ」

 

「帰る……ニッポン……」

 

「リンセンと同じく思い出せないでしょうけど。でもあなたがリンセンの妹だというのなら、私はあなたの味方よ。ここから出してくれたら、あなたに協力する」

 

「協力……」

 

 あと少し。

あと少しでもリョウの心を動かせれば、心強い味方になる。

この暗く冷たい牢屋の中でも、希望が生まれる。

 

「お願い。美味しいご飯、用意してあげるから」

 

 トドメの一発のつもりで、食事の話題を出した。

狙い通り、リョウの心は大きく動いた。

それはリンセンと兄妹である証拠と言えるのか、ただ単純に食いしん坊なだけなのか、真意は誰にも分からないが。

 

 ――リョウの手が手袋に伸びた、そのとき。

 

 不快な鉄扉が開かれ、ランプを持った数人の兵士たちがリョウに銃口を向けた。

 

「なにをしている、ニッポン人のガキ」

 

 中央に立つ兵士が代表して前へ出た。

眉を顰め、威圧的な態度で。

 

「あっしは……ただ、この女に用があっただけなり」

 

「グールド様が連れてきたと言うから野放しにしていたが、貴様、この女に加担して逃がす算段でも練っていたか? ニッポン人は信用ならなかったんだが、やはりな」

 

「あ、あっしは……あっしは……ただ」

 

「おい! ちゃんと説明しろ!」

 

「あ、あああ……あっしは、あっしの心は……」

 

「貴様! 説明しないなら、この場で撃ち殺すぞ!」

 

「あ、あああああ、あっしは……ちがう。あっしは、ただ……故郷に……」

 

「構わん! このガキを撃ち殺せぇぇぇ!」

 

「――やめて!」

 

 クローナの叫びが、暴力的ボルテージが高まった兵士たちを黙らせた。

リョウに向けられていた銃口たちはクローナへ移る。

 

「なんだ、おい。兵器になる予定の女がなんか言ってるぜ」

 

「やめて。と言ったんです」

 

「おいおいおいおい、手足も縛られて目隠しもされた女が、なにを言う」

 

「このニッポン人から、軽い質問をされただけです」

 

「質問? 軽いだと?」

 

「気分はどうか。ここの牢屋の居心地はどうか。疲れてないか。そんな質問です。私を兵器として扱う予定だから、調子を整えておきたかったのでしょう」

 

 クローナの機転により、リョウに対する疑いは解けた。

あくまでリョウは敵であると主張することで、兵士たちの敵意を誤魔化したのだ。

 

「まぁ。私はその全てにおいて、最悪と返してやりましたけども」

 

「ふん、だろうな」

 

「私を戦争に使うつもりなのでしょう。活躍させたいんなら、せめてスイートルームでも用意してはいかが?」

 

「はぁ? なにを」

 

「それに、なんですかこの手足と麻袋は。私の能力を使いたいくせに、能力を恐れてここまでするなんて、臆病なのね、あなたたち」

 

「そうか。じゃあ臆病者じゃない証に鉛玉をぶちこんでやろうか?」

 

「えぇどうぞお好きに。私を殺して処罰されるのは、あなたたちでしょうけど」

 

「ちっ。威勢のいい女だ。そのナメた態度をとれるのも今のうちだがな」

 

「知っています。だから今のうちにナメているのですよ」

 

「ふん。もういい。帰るぞ」

 

 すっかり熱も冷めた兵士たちは、腰に拳銃を戻して外へ出ていった。

諦めたのか、呆れたのか、どちらにせよ九死に一生だ。

 

「リョウ、あなたも戻りなさい」

 

「あ、あっしは……」

 

「戻りなさい。また疑われる前に」

 

 リョウは無言でこくりと頷き、その場を後にした。

 

 心の底ではニッポンに帰りたいと思っている。

その気持ちをしっかりと思い出させてやれば、協力することも不可能ではない。

今は記憶が曖昧で、ナイラ国の仲間だと思い込んでいるだけなのだ。

 

 完全な孤独と闇に包まれたクローナにとって、リョウは希望だった。

あと少しで、希望を手にすることができたのに――。

 

 リョウと入れ替わりになるように、今度は別の人物が地下へやってきた。

 

目隠しをされていてもクローナに察しが付く。

これはリョウと違って大きく重い足音。

兵士よりも大股で偉そうな歩き方。

おそらく、グールドだ。

 

「どういった要件なの、グールド」

 

「ほう。足音で気づいたか」

 

「足音で相手を当てるゲームをしていたの。なかなか面白いわよ」

 

「ふん。小娘が。調子に乗れるのも今のうちだぞ」

 

「さっきもそれ言われたわ。今しかチャンスがないから、調子に乗っているの。いつかは乗りこなしたいぐらい」

 

「威勢はいいな。自分が負けていることを忘れたのか」

 

「私は、負けてなどいない。希望は捨てない。戦争もしない」

 

「ほう? たとえ、母親と可愛い妹が人質にされていても?」

 

「――なっ」

 

 平静を装っていたクローナでも、その発言だけは無視できなかった。

 

 その一言だけで、心臓が暴れるように鼓動する。

 

「どんな要件かと聞いたな。人質を用意できたことを伝えに来たのだ」

 

「清々しいほど卑怯者ね」

 

「くくく。あのニッポン人のガキ、リンセンとか言ったか? あいつは、送り込んだ四天王がすでに始末しているはずさ。たとえ、四天王を潜り抜けても真の四天王もいるからなぁ」

 

「四天王でリンセンを押さえて、その隙に私の家族を狙うなんて、あなたらしい姑息なやり方ね。尊敬するわ」

 

「軽口が叩けるのは今のうちだからなぁ。今のうちに叩いてるがいいさ。だが戦争は始まる。クローナエスクードは家族を人質にされて、大勢の人間を能力で殺すのだ」

 

「それで、破壊の女神の出来上がりってこと? へー。面白い夢ね」

 

「けっこう! 破壊こそが美しさ。美しさこそ全て。あなたは破壊と殺戮の女神として、今後も活躍するのです。素晴らしいでしょう」

 

「そうね。でも私は、それでも諦めないわ」

 

「あくまで絶望しないか」

 

「リンセンはね、私が雇った用心棒なの。その四天王っていうのも、もうみんな負けていたら面白いわね」

 

「ふん。ありえんな」

 

「美味しい食事のためなら、徹底的に暴れる男よ。たとえ敵国の中心でもね」

 

「クソ女め。そう簡単にいくものか」

 

「クソ女……えぇ。なんだか腹が立つけど、元気が出る言葉ね。ありがとう」

 

「もういい」

 

 グールドは怒りを込めて無骨な鉄格子を蹴り、牢屋を後にした。

四天王や人質の件を出してもなお崩れないクローナの意志に負けた証だ。

 

 だがその言葉と違い、クローナの震えは止まらない。

自由も光も見えないこのピンチで、いったい何ができるというのか。

 

「クローネ。母さん。無事でいて……リンセン、無理しないで」

 

 

 

 四天王との激戦を乗り越え、リンセンはナイラ国の領土へ踏み込んだ。

 

 多少――いや、かなり腹が減ってはいたが、目的のクローナはすぐそこにいるはず。

ここで立ち止まるわけにはいかない。

 

 のだが。

 

「道が分からん。道が分からんぞ!」

 

 勢いだけで飛び出してナイラ国に到着したものの、肝心のクローナの居場所がつかめない。

ご丁寧に「クローナはこちらです」と親切な看板や張り紙などが用意されているわけもないのだ。

当然だ。

 

「クッソ……だが来ちまったものは仕方ない。あの四天王とかいう連中が俺を阻んだくらいだからな、ここで間違いはないはずだ」

 

 周囲はレンガ造りの建物ばかりで、建物同士の違いがほとんどない。

そのためリンセンには同じような風景にしか見えないうえ、そのどれもが驚くほど高く建てられていて周囲を見渡すことができない。

狭い通路や入り組んだ路地も多く、まるで迷路だ。

 

 変身して飛べばいい。

と、思うだろう。

リンセンもそう思った。

だが迂闊に変身して派手に目立つものなら、また敵に包囲されるだろう。

殺害を好まないリンセンには厳しい状況だ。

 

 腹も、鳴る。腹が、減る。

 

 まともな腹ごしらえもせずに戦闘をしようものなら、途中で力尽きるのは必至。

 

 数分迷った挙句、一つの結論が出た。

 

「こうなりゃ、イチかバチか一番デカい建物に入って適当に暴れてやるか? よし!」

 

 手の平をパンと合わせ気合を入れる。

 

 だが、何者かが背後からリンセンを呼び止め、その物騒すぎる有言実行を止めた。

 

「あなた、もしかして」

 

「あぁ? あっ! おい! てめぇ!」

 

「もしかして、あなた迷ってるの?」

 

 そこにいたのは、四天王の一人、ブーメランの達人であるルフィヤっ! まさかの強行! 背後からリターンマッチと洒落こむつもりかっ?

 

否、ルフィヤにはすでに敵意はない! リターンマッチではないっ!

 

「はっ! 誰が迷うかよ! それより、なんでてめぇがここにいんだよ」

 

「そりゃあそうでしょ。何分もかけて、他の男どもを連れてここに戻ってきたんだから」

 

「あ? ああ、俺が大成敗したあいつらか」

 

 まさか迷っている数分の間にそこまでしていたとは、リンセンも驚きだ。

 

「さっき男どもを安全な場所に置いてきたの。こんなボロボロな姿をボスに見られたら、もうお終いよ。あなたに負けた時点で、もう終わったようなものだけど」

 

「そうかい。じゃあ、せいぜいボスとやらにバレねぇよう、頑張りな」

 

 ひらひらと手を振りながら、リンセンは背を向けた。

 

 そのまま陽の当たらない狭い通路へ踏み出そうとしたとき、ふと解決策を閃く。

頭の中の電球が、パっと光ったのだ。

 

「あ、おい!」

 

 振り向きつつ、ルフィヤを指さした。

急に指をさされたルフィヤは口を一文字に結び、首を傾げている。

 

「お前、四天王だよな」

 

「あなたに負けたから、元だけど」

 

「お前、ボスの居場所知ってるだろ」

 

「え? ええ、まぁ……そうだけど、それが?」

 

「教えろ。俺が潰しに行く」

 

「お、教えろって。バカ言わないでよ。私たちのボスなのよ、あのお方は」

 

「はっ! そうかい。だがな、お前らは俺に負けたんだ。お前らが跪くボスは怒るだろうな。怖ぇ処罰が待ってるかもしんねぇぞ」

 

「こ、怖い処罰」

 

「さぁ、どうする。俺に大好きなボスの居場所を吐いてここから逃げるか。無様な報告をして処罰されるか、好きなほうを選びな」

 

「に、逃げるって……私たちを逃がすつもりなの?」

 

「てめぇらがボスに殺されるってことになったら、俺のせいで死んだみたいじゃねぇか」

 

「ま、まさか、そんな。私たちは敵よっ!? そんな、そんな理由で」

 

「さっきも言ったろ。血がついた手じゃメシが食いにくいんだよ」

 

「はっ……はっ……!」

 

 かつては桃色の烈風とまで呼ばれたブーメランの達人だ。

 

 金のロングヘアーが風になびけば、振り向かない男などいない。

どんな男も、得意のブーメランで一撃で仕留めてしまう鉄人美女だ。

 

 なのに、なのに、なのになのに。

 

 こんな薄汚いニッポン人に、僅かだが恋心を抱いてしまっている。微かだが頬が赤く染まっている。

 

 信じられない。こんなこと、ありえない!

 

 ルフィヤの心拍数が跳ね上がる。

 

「おいどうした」

 

「えっ……?」

 

「言うのか言わねぇのかハッキリしやがれ」

 

「えっ? あ、あぁ。ええと、その、言います」

 

「よし」

 

「このディナールの町は、ナイラ国の端っこに過ぎないの。ボスであるグールドがいる城はこの国のもっと中心よ」

 

「中心って言ったってよ、どこにあんだよ」

 

「ナイラ国は上から見ると丸い形になっているの。その中心」

 

「だからよ、その中心ってのはどっからどう行けばいいんだよ。変身してジャンプしてってらすぐ人に見つかって厄介なことになる」

 

「……そうね、じゃあ、いい作戦がある」

 

「へっ、じゃあそいつに賭けてみようか」

 

「ついてきて」

 

 ルフィヤ曰く、この町には四天王を含む数人のみが知る秘密の地下通路があるらしく、グールドの城まで一直線らしい。

 

 だが道はボロボロで、所々に穴が空き放題。

ネズミやナメクジの巣窟でもあり酷くジメジメ。

変なコケのオンパレードで真っ暗。

よって一直線だがランタン無しで進むのは不可能だ。

 

「おい女、お前の名前なんてったっけ?」

 

ルフィヤ

 

ルフィヤ、そもそもなんでこの町はこんな迷路みてぇに入り組んでるんだよ」

 

「何百年か前に戦争があったとき、敵の軍が町に攻め入ることを前提に建物を配置したんだって。迷路みたいに入り組んでると、敵が迷って隙ができるから」

 

「ふーん。姑息だな。男なら真正面からぶっ飛ばしゃいいだろ」

 

「みんなあなたみたいに強いわけじゃないのよ」

 

「クソ人類どもが弱すぎんだろ。っていうか、戦争してる時点でそいつらはザコだ」

 

「ど、どういうこと?」

 

「戦争なんてなぁ、臆病者がやるもんだ。周囲が怖いから攻め落とすんだ。本当に強いやつっていうのは、美味いメシを用意するやつと、いかに戦わずに済むかを考えられるやつだ」

 

「でも、あなたは戦うでしょ」

 

「そりゃあそうだろ! 俺は強いうえに戦いが好きだからな! 腹立つやつはぶちのめす。ムカつくやつはぶっ倒す。美味いメシはしっかりいただく。単純で良いだろ」

 

「そう……でも、それもいいかもね」

 

 ルフィヤは、このストレートすぎる心を尊敬していた。

 

 曲がることがなく、しかし鋼の意志を持ち、己のやりたいことを貫いている。

単純だが、それでいて迷いがなく、汚れもない。

 

 こんな敵、最初から勝てるわけがなかったのだ。

欲望に塗れて、戦争マニアの犬として戦う自分たちが、敵う相手ではない。

 

 自分の全力をぶつけ、敗北という形で真っ向から否定され、改めて自分の弱さを知った。

美味いメシなんかのために、命を奪う行為もしなかった。

 

 本当に自分が仕えるべき相手は、グールドなんかじゃない。

この男かもしれない――。

ルフィヤはそう思った。

 

 もちろんリンセンは、そんな気持ちなど察していないだろうが。

 

「もう少し早くあなたに出会えていれば……」

 

「あぁ? なんか言ったか?」

 

「べ、べつになにも言ってない。それより、心配してないの? これから大勝負なんだよ?」

 

「ああ心配だな。腹は減っているが、腹さえなんとかなりゃ、まぁ余裕だろ」

 

「ごめんなさい。今は食べ物が用意できなくって」

 

「んなこたぁ分かってる。あっちで軽くつまんでやるよ」

 

「つまむって……どういうこと?」

 

「そのまんまの意味だろ。ボスの城なんだからよ、どっかに美味いメシくらいあんだろ」

 

 無計画。あまりにも無計画。

 

 これから一世一代の大勝負だというのに、リンセンは敵の本拠地で食べ物を見つけられるかどうかの賭けをしているのだ。

 

 そこまで意識していないのか、大した戦いだと思っていないのか、どちらにせよ緊張感など欠片も持ち合わせていない。

良く言えばリラックスしているが、悪く言えば甘く見ている。

 

「グールド様――いや、グールドはそんな甘い相手じゃないよ」

 

「強いって言ったってよ。俺の手袋に敵うわけねぇだろ。お前ら四天王を束でぶっ倒したんだぞ」

 

「……いえ、グールドは私たちの比じゃないわ」

 

「どういうことだよ。悪魔と合体でもしたのか」

 

「私たちは、究極の肉体強化薬を注入した戦士なの。だから普通の人間よりずっと強い」

 

「あぁ。頭のイカれた拳法野郎が言ってたぜ」

 

「その薬は、私たちの能力に合わせたものが注入されているの。でもグールドは、一種類だけじゃない」

 

「あー。読めたぜ、展開が」

 

「そう。グールドは四種類全てを注入しているの」

 

「お前らもぶっ飛んだ連中だと思ってたが、ボスはやっぱりボスだな。とびっきりぶっ飛んでるぜ」

 

「それでもあなたに勝つ自信があるっていうのなら、ここから入りなさい」

 

 グールドについての話が終わった同タイミングで、到着。

天井には錆びた鉄製のハッチがつけられているが、果たして何年使われていないのやら。

 

「ここから、グールドの城の地下倉庫に出られる」

 

「そこからどうすりゃいいんだよ」

 

「そのまま階段を探して、一番上の大きな扉の部屋にいるはずよ」

 

「へいへい。一番上のデカい扉ね。分かりやすくて助かる」

 

 リンセンは拳と拳を突き合わせ、気合十分にハッチを開いた。

 

 が。

 

「食糧庫を探そうだなんて思わないで。もし兵士に見つかって大ごとになったら、あのクローナって人がどうなるか分からないよ」

 

「あぁ? ま、余裕があれば探しとくさ。じゃあな」

 

 リンセンは忠告を聞くこともなく城内へ侵入した。

ハッチは閉じられ、年季の入ったサビが零れ落ちる。

 

 これで、自分の役目は終わった。

ルフィヤはリンセンという奇妙で魅力的な存在を胸に、一人孤独に通路を戻っていった。

 

「無事でいなさい、リンセン」

 

 

 

 地下倉庫のハッチを開いたリンセンは、そのあまりの暗さにテンションダダ下がりだ。

てっきり、松明の二、三本は用意してあると期待していたのに、真っ暗もいいとこだ。

あたり一面を闇が支配していた、とでも表現しようか。

 

 手探りで扉を見つけなんとか外に出たが、そこは石造りでコケだらけの、どんよりとした汚い廊下だ。

望んでいた松明が二本あっただけ幸いだが。

 

 運よく敵兵の姿はなかった――居眠りをしている見張り以外は。

 

「へっ、ご苦労なこった。こんな誰もいねぇ汚ねぇ地下を見張るなんてよ」

 

 見張りを放置し、リンセンは一階に続く扉を開けた。

地下とは正反対に、清掃が行き届いた小綺麗な廊下だ。

しかも天井からは廊下を照らす大きなランプまでぶら下がっている。

まさにボスが住むにふさわしい豪華な建物だ。

 

「さぁて、食糧庫はどこかなっと」

 

 敵のことなど後回し。

まずは腹ごしらえを優先させる。

空腹のまま戦場に立てば、勝負に勝つことはできないからだ。

リンセンにとっては最重要事項。

 

 目を凝らして隅から隅まで確認する。

扉だけ見ても食糧庫かどうかなど判別できず、そもそもこの階にあるのかどうかも謎だ。

 

 ぐぅ~

 

 腹が、食事を要求する。

 

 その合図を境に、リンセンの全身から力が抜けていった。

敵の本拠地ド真ん中で、まさかのダウン。

リンセンも予想できないまさかの事態だ。

 

 そのとき、香ばしい肉――のような香りがリンセンの鼻を刺激した。

エサ目前の犬のように飛び起き、香りの居場所を探る。

 

「ん? んんん? こっちか? 肉が焼ける匂いは」

 

 匂いを道しるべに、階段を上る。

食べ物で頭の中がいっぱいになったリンセンは、目の前で槍を持つ兵士が二人いても眼中にない。

 

「おい貴様! だれだ!」

 

「そこでなにをしている!」

 

「あぁ? うるせぇな。俺はメシが食いてぇんだよ」

 

「ん? 低い鼻、黒い髪に黒い目……こいつ、まさかっ!?」

 

「その、まさかだぜっ!」

 

 駆け出したときにはすでに変身していた。

目にも止まらぬ速さで兵士の槍を叩き落し、首根っこを掴んで、掃除が行き届いたピカピカの壁に叩きつける。

 

「ぐほっ!?」

 

 速攻撃破!

なんとか仲間を呼ばれる前に倒すことができて一安心。

しかし今のリンセンの頭の中は、やはり肉のことでいっぱいだった。

 

 香りの出どころである部屋の扉を蹴破って突入する。

 

 一切の物がない部屋には、狙い通りこんがりと焼かれた肉があった。

なぜか数メートルある天井からぶら下げられているが。

 

「おっ! 俺の鼻に間違いはなかったぜ! なぁんか怪しい気配がするが、まぁいいだろ!」

 

 ワナの可能性など微塵も考えず、ただメシ目掛けて食らいつくのみ、だ。

 

「おらぁ! 俺の肉ぅ!」

 

 変身を解除し、飛びあがって勢い任せにかぶりついたまではいいものの、硬くて噛みちぎることができない。

まるで釣られた魚だ。

 

「このぉぉぉ……クソ肉めぇぇぇ……」

 

 手で肉を引きちぎろうと試みるも、これまた硬くて敵わない。

だが肉を目の前にして引くわけにもいかない。

しかし肉に対する策もない。

 

「うおおお、どうすりゃいいんだ……」

 

 と、諦めかけたそのとき、何者かが部屋に入り真下に立った。

 

 みっともない恰好だが、リンセンはしっかり気づいている。

 

「いい恰好じゃないか、リンセェェェェン???」

 

「あ? 誰だ?」

 

 肉にかぶりついた体勢では、当然だが真下の人間の顔など視界に入らない。

 

「おい、降りてこい貴様」

 

「うるせぇな! 俺は肉で頭がいっぱいなんだよ!」

 

「いいから降りてこいって、そう言っているのだ!」

 

 真下からリンセンの足を引っ張り、強引に引きずり落とそうと試みるっ! さすがにアゴのパワーのみでは抗えず、みっともなく背中から落下した。

 

「ぐあっ! おいテメェ! あぶねぇじゃ! ……ね、え? だれだよおい」

 

 リンセンの目の前にいたのは、長髪で黒いスーツを着た細身の男、ラッツ!

 

 覚えているだろうか!? 列車内でクローナの額に銃口を突き付け、クワンザを使ってリンセンを攻撃したあの男だ。

 

 そんな彼の背後では、数人の兵士たちが仏頂面で槍を構えている。

 

「てめぇ、どっかで見たことあると思ったら、列車にいたやつか、おい」

 

「ほほう! 覚えていたとは、光栄だねぇ!」

 

「たしか名前は、ナッツだったか」

 

「そうそう。お酒のおつまみに丁度いい――違う、ラッツだぞ! このバカもの!」

 

「お前なんぞどうでもいい。それよりこのぞろぞろと集まりやがった兵士どもはなんだ。もしかして俺のファンか? 光栄だな」

 

「ボスに頼まれて捕まえにきたんだ。食いしん坊だと聞いていたが、まさかこんな低レベルなトラップに引っかかるとは、これはたまげた」

 

「へっ、そりゃあどうも。クソ固い肉、ありがとござんした」

 

「その肉は偽物だ。香りだけを再現した、ただのゴムだ。秘密の通路を使って侵入してくることは、想定済みだったからな。匂いで釣ったのさ」

 

「だと思ったぜ。この世に噛みちぎれない肉があってたまるかってんだよ」

 

「……ま、それはさておき、この状況をどうするつもりかね?」

 

「決まってんだろ、十把一絡げにぶっ潰して、あのクソ女を返してもらう」

 

「ほほう。クローナエスクードを助けに来た王子というところかね?」

 

「はっ、下らねぇな。あのクソ女には興味ねぇよ。ただよ、てめぇらみたいな卑怯な連中が心底ムカつくし、美味ぇメシが食いてぇんだよ」

 

「ほうほうほう。分かりやすくて実にいい! 実に、いい!」

 

 ラッツは両手を広げて全身で喜びを表現した。

小難しくない、シンプルな敵と相まみえたことに、心の底から快楽を得ているのだ。

 

「実にいいぞ!」

 

「だったらどうすんだ? おい」

 

「貴様をひっ捕らえる。適当に洗脳して、クローナエスクードと一緒に兵器になってもらう! 一度はクローナエスクードを捕まえた実力の持ち主である俺をナメるなよ!」

 

「はっ、俺を捕まえるのに失敗した実力の持ち主だろ?」

 

「黙れ! 兵士ども、このニッポン人をひっ捕らえろ!」

 

 待機していた兵士たちがリンセンへ一直線に突撃する。

だが所詮は人間並みの身体能力。

手袋で変身したリンセンの敵ではなく、兵士たちの肩を踏み台に部屋を脱出した。

 

「はっ! 先行くぜナッツさんよ! クソ女は俺が連れてくからな!」

 

 とは言うものの、リンセンにはクローナの居場所など検討もついていない。

無鉄砲で猪突猛進な頭で導き出した答えは、とりあえず高いとこ登っとく。

である。

 

 秘密の地下通路から侵入したため城の外観を入手できていなかったが、この城は十階建てである。

 

故に階段もバケモノ級に長く、普通の人間ならば引き返すだろう。

 

 だが今のリンセンは普通ではない。

 

 限界を超えた空腹によって食欲が倍増しているため、戦闘後のメシのことしか考えていない。

一刻も早くクローナを救出し、メシにありつきたいのだ。

 

 変身した肉体でズバ抜けた身体能力を披露し、あっという間に十階まで登り切った。

途中で数人の兵士が槍や弓矢やらをぶちかましてきたり、ロボットのクワンザが道を塞いだのだが、リンセンは気づいていなかった。

 

 十階には、象でも容易に入れそうなほどの巨大な扉があった。

空腹とイライラがピークを越えていたリンセンは、乱暴に扉を蹴破る。

 

「おらっ! クソ女! 出てこい!」

 

 勢い余って突入したものの、そこは気が遠くなるほど広いが人っ子一人いない寂しい部屋だった。

壁には金の装飾が施され、天井にも得体の知れない豪華な何かがぶら下がっている。

 

「来たか、自らここへ……」

 

「あぁ? 誰だ!」

 

 中央の床から、玉座がエレベーターのようにせりあがってきた。

そこで偉そうに足を組んで座るのは、鬼のような仮面をつけた大柄な男だ。

その仮面の下から覗く鋭い眼光は、真っすぐにリンセンを睨んでいた。

 

「私はグールド。このナイラ国のトップにして絶対的存在だ」

 

「へー。ってことは、俺が一番ぶちのめしてやりたいやつランキングトップが、てめぇってことでいいんだな」

 

「ほう! 喜んでくれて光栄だね!」

 

「どういたしまして!」

 

「いやはや、あの四天王を打ち破りここまで到達するとは、面白い男よ」

 

「はっ、てめぇだけ面白がってんじゃねぇぞ。さっさとあのクソ女を出せ」

 

「くそおんな……? はて、なんのことやら……あぁ、クローナエスクードのことか。彼女なら、ちゃんと連れてきている、ほれ」

 

 グールドが指をパチンと鳴らすと、変身していないリョウがクローナを連れて扉から現れた。

クローナは相変わらず手錠をされたままで、目隠しと麻袋で能力を封じられている。

 

「クソ女っ! なんて格好してやがる!」

 

「リンセン!? そこにいるのね!?」

 

「いちゃ悪いかよクソ女! てめぇこそ何やってんだ!」

 

「私だって好きでこんな格好してるんじゃないの! 好きでこんなところに来てるんじゃないの!」

 

「ピーチクパーチクうるせぇな。いいから、こんなとこさっさと出て俺に美味いメシでも作れ。黙って俺に助けられろ!」

 

「それが目当て!?」

 

「ほかに何があんだよ」

 

 リンセンが救出に来ることを信じてはいたが、脳みそまで空腹だったのは想定外だった。

颯爽と助けてくれる王子様のような心を僅かでも持ち合わせていると期待していたのだが、そう上手くおとぎ話のようにはいかない。

 

 理由はどうあれ、颯爽と助けにきてくれたことは変わりないから感謝はしているが。

 

「……そうね。私たちは、そういう契約だったわね」

 

「話が分かるようになったじゃねぇか、美味いメシ作れるクソ女」

 

「じゃあ、さっさと私を助けて。とびっきりのご馳走を作ってあげるから」

 

 リンセンはこくりと頷き、クローナに向かって一歩を踏み出した。

 

 だがここは敵の本拠地――それもボスの目の前だ。

はいそうですか、差し上げますよどうぞ。

と差し出すわけもなく、リョウはクローナの喉元に扇を突き付けた。

 

「そういや、お前とも決着つけてなかったな」

 

「……」

 

「お前、俺の妹なんだろ? 俺は覚えちゃいねぇが、そう感じる」

 

「……」

 

「ま、ここで語っても意味ねぇか。いいから大人しくそのクソ女を返しやがれ」

 

 その要求には、リョウではなくグールドが答えた。

 

「その小娘は我が国の戦に必要な勝利の女神だ。残念だが渡すわけにはいかないな」

 

「へっ、てめぇらの都合なんか知るかよ。ムカつくんだよ、自分勝手に人を利用してよ、それで偉そうにしてるやつらがな」

 

「ほう、さすが四天王と真の四天王を倒した男、言うことが違うな」

 

「はっ。そりゃどーも、嬉しいねそういう言葉はよ」

 

「貴様を真の戦士と見込んで、一つ頼みがある……その変身を解き、お互いに素顔を見せようではないか。正々堂々、とな」

 

「正々堂々、ね。俺は大嫌いなんだよ、そういうの。てめぇご自慢の四天王にもいたぜ、正々堂々野郎がな」

 

「そうか。なら自由にするがいい。私は貴様を歓迎して、特別に鬼の面を外してあげよう」

 

 そう言って、グールドは玉座から立ち上がり、鬼の面を外した。

 

 ――だが。

 

 その素顔は、鬼そのものだった。

 

 血塗られたように真っ赤な顔面。

斜めに刻まれた大きな斬り傷。

そして額には太い一本角が伸びた、まさに鬼のような形相と表現するのが的確だろうか。

 

 まさに鬼っ! 想像を絶する鬼らしさに、リンセン驚愕っ!

 

「てめぇ!? 人間かよぉぉ!?」

 

「私はね、四天王にも打ち込んだ究極の肉体強化薬を四つも打ち込んだのだ。最初は副作用が酷く、まさに地獄のような苦しみだったよ。でもね、地獄も住めば都さ。今じゃ薬を打ち込む前より心地いい気分さ」

 

「てめぇ、正真正銘イカれ野郎だな。そんな強さ、邪道だぜ」

 

「邪道! 結構! 大満足! 邪道! 結構! 大満足! ハハハハハ!」

 

「ハハハハハ! 面白いじゃねぇかお前!」

 

「ほう! 面白い、とな? 貴様もこの魅力に気づいたかね?」

 

「いいや違う。てめぇをぶちのめして、クソ女の作る豪勢なメシにありつけんだぜ? 楽しみでしょうがねぇぜ。強そうで倒しがいがあるってもんよ」

 

「ニッポン人の小僧、貴様は私に勝てる自信があるとでも?」

 

「てめぇに勝つ自信なんざねぇさ。あるのは勝つ確信だけだ」

 

「確信! 素晴らしい! これぞ戦士っ! まさに戦士の言葉!」

 

「ありがとよ、クソほども嬉しくねぇがな!」

 

 混を構えたリンセンがグールドを睨む。

これから戦闘が始まるかと思われた矢先っ!

 

 不意に、両者の、腹が、鳴った。

 

 つまり、空腹なのだ。

 

「ニッポン人よ……まさか貴様も」

 

「あぁ? もしやてめぇも……」

 

「腹が」――「腹が」

 

「「減った!」」

 

 意見が一致したことで、まさかの戦闘中断っ! まさかの延期っ! 両者にとっては、まずなによりもメシなのだ。

腹が減っては戦ができぬという言葉を体現している。

 

 グールドがパチンと指を鳴らすと、すかさずシェフたちが色とりどりの料理を持って階段を上ってきた。

扉の前にいるクローナたちの横を通り過ぎ、いつの間にか用意した長テーブルの上に並べていく。

 

 和洋折衷――一通り世界中の料理はそろっている。

イタリアンにジャンクフードに和食。

らに何かしらのホイル焼き、バター焼きも並び、極めつけに各種デザートが宝石のように輝いていた。

 

 どれもこれもが超一流の究極シェフによる究極の一品だ。

口にすれば舌は満足のし過ぎで悟りを開き、頬はとろけ、どれだけ食欲不振の人間でも食いしん坊にしてしまう、食の兵器だ。

 

 いつもなら目を輝かせているはずのリンセンだが、なぜか豪勢な料理たちを目にしてもリアクション一つない。

 

「どうしたニッポン人? 美味そうな香りだろう?」

 

「うーん。なんかなぁ、なんか違うんだよ」

 

「ほう?」

 

「ま、感想は食ってからだな」

 

 手始めに、リンセンは側にあったエビチャーハンを食べた。

 

「ん……? んー」

 

 だが相変わらずリンセンの表情は微動だにしない。

 

 続いて隣で湯気を立たせるボロネーゼ。

続けざまに手前にあったコーンポタージュ。

さらに奥にあるバジルソースとチーズのピザを数切れ。

さらにさらにワイングラスに盛り付けられたアイスクリームをペロりと平らげる。

 

 だが、だが……それでもリンセンの舌は満足せず、頬もとろけず美味の一言もない。

 

「どうかね。我がナイラ国が誇る百星シェフの料理の味は」

 

「……あぁ最高さ。てめぇの汚いツラを拝みながら食うメシは、最高にマズいね」

 

「ほう! あの小娘に負けず劣らず面白いことを言う」

 

「はっ。そりゃどうも」

 

「貴様にはこの味の素晴らしさが分からぬようだがな」

 

「分からんでいい。それより、このメシを作るのに、てめぇらはどれだけ苦労したんだ?」

 

「一つ一つの料理を何ヵ月も研究した」

 

「それで、失敗は?」

 

「当然、何度も失敗した」

 

「それで、失敗したのはどうしたんだ?」

 

「どうした、だと? 捨てたに決まっているだろう。失敗した料理など、食べる価値もない」

 

「そうかい。これで分かったぜ。苦労を重ねたてめぇらの料理より、あのクソ女の作る一品のほうが数倍も数万倍も数億倍も美味い理由がな」

 

「ほう。あの小娘の料理はそれほどまでに。食べてみたいものだ。それで、その理由とは?」

 

「てめぇみたいにメシを粗末にする連中には、一生勝てねぇってことだよ。あいつはてめぇらのためにタマゴ焼き一つも作ったりしない。残念だったな」

 

「ほう。だが戦争ついでに料理を作らせればいい話だ」

 

「へっ。ついでねぇ……」

 

「もういい。この味が分からんやつと食事をしてもつまらん」

 

 するとグールドは指をパチンと鳴らし、周囲で待機していたシェフたちを呼んだ。

 

「料理を下げろ。お客様はご満足いただけなかったようなのでな」

 

 シェフの一人が、リンセンが一口しか食べていなかった皿に触れた。

その瞬間、リンセンの怒りの導火線に火がついた。

 

「おい! 俺はまだ食ってんだぞ! 勝手に下げんな!」

 

「貴様、美味しくないと言っただろう」

 

「だから言ってんだろ。てめぇらみたいにメシを粗末にする連中は気に食わねぇんだよ。俺は出されたものは全部食ってやる。決着はその後だ」

 

 リンセンは無限の胃袋と疲れを知らないアゴで次々と料理を平らげてゆき、数秒でテーブル上に出されたすべての料理を一網打尽にした。

 

 最後に一杯の水を飲み干したらKO!

 

「ふぅー。最後の水は美味かったな」

 

「満足かね? ニッポン人よ。私は少ししか食べていないのだが、私の分まで食べおって」

 

「へっ。食い足りねぇな。どいつもこいつも三流メシだ」

 

「そうか。ご満足いただけて嬉しいよ」

 

「あぁ。クソ不味いメシ、ごちそうさんした」

 

「シェフたちも修行が足りんようだな」

 

「そうだな。あのクソ女に教えてもらえよ、少しはマシになんだろ」

 

「考えておくよ」

 

 再度グールドが指を鳴らすと、シェフたちは食器類を片付け始めた。

まるで舞台上の場面転換のように迅速に動き、あっという間にそこは戦場になった。

 

 その素早さには、リンセンも素直に感心した。

 

「おいおい、メシよりも片づけるほうがうまいじゃねぇか」

 

「後片付けがきちんとできる人間は優秀だ」

 

「そうかい。じゃあ、邪魔な俺も片づけてみせろよ」

 

「お言葉に甘えて……だが相手をするのは私じゃない」

 

「あぁ? それはどういう――」

 

 ことなんだ。

と言い終えるより早く、変身済みのリョウがリンセンとグールドの間に割って入った。

 

 咄嗟の動きに思えたが、クローナの監視はリョウの代わりにラッツが務めているという抜かりのなさだ。

 

「あのナッツとかいう野郎にクソ女を任せてこいつを呼ぶとはな」

 

「お互いニッポン人だろう? せいぜい仲良くやるがいいさ」

 

「あぁ? てめぇは逃げるのかよ」

 

「逃げる? 何を言う。邪魔な貴様が消えたら、あの小娘を使って戦いを始めるのさ」

 

 そう言い残し、グールドは玉座に座ったままエレベーターで下降する。

ウィーンという機械音は、まるでリンセンをあざ笑うかのようだった。

 

 と、首のあたりまで隠れたところで、不意にエレベーターが停止した。

頭一つ分の隙間から腕を出し、ラッツを指さした。

 

「あぁそうだラッツ、一つ言い忘れていたよ」

 

「ハイ?」

 

「きみはたしか、列車の件で大きな失敗をしていたね」

 

「グギィ!? で、ですが、そ、それは……」

 

「それ以降も、これといった活躍はないようだねぇ」

 

「ぐ、グギィ!? で、ですが! そこのニッポン人の小娘も失敗を!」

 

「あの子は強い。まだチャンスはある。お前はダメ」

 

「な、なんとぉぉぉ!?」

 

「決めた。お前クビ」

 

「ええぇぇ!? クビ!? クビ!?」

 

「クビ」

 

「クビなのですか!? この! 私が!? クビぃぃいい!?」

 

「クビ」

 

「ホントに!? クゥゥゥビィ!?」

 

「うん、クビ。消えろ」

 

「消えろ!? クビクビ!? イィィィヤァァァ!?」

 

 まさかのクビ宣言! 突然突き付けられた真実を受け止めきれず、ラッツは阿鼻叫喚の限りを尽くし狂ったように頭をかかえてのたうつ! 

 

 その絶望! さながら悲しきピエロの哀れな嘆き!

 

 控えていた兵士たちは、クビになったラッツに見向きもせず、代わりにクローナが逃げぬよう押さえる。

 

 目も腕も自由が利かないクローナだが、ラッツに対してどうしても言わねば済まないことがあった。

 

「ラッツ。それがこのナイラ国に仕えたあなたの末路よ。ざまぁみろと言わせてもらうわ」

 

「のぉぉぉっ……! 貴様ら! 貴様ら!」

 

 クローナの一言でトドメをさされたラッツは、ふらつく足取りで階段を駆け下りて行った。

 

 邪魔者が消えて満足したグールドは、下降を再開し完全に姿を消した。

 

 これは、彼の言うとおり決して逃げではない。

これはあくまで、一時的に引いたにすぎない。

それほどまでにリョウの強さを確信しているのだ。

 

 少なくとも、ラッツよりは。

 

「おい、リョウ」

 

「ん……?」

 

 不意に名前を呼ばれたリョウは目を丸くした。

 

「お前いいのかよ。あのグールドとかってやつは仲間を平気で見捨てるやつだ。メシも粗末にする。あんなのについていったって意味ねぇぞ」

 

「……それは」

 

「分かってんだろ。なら俺と来いよ。お前、やっぱり俺の妹なんだろ」

 

 それは、あくまでただの直感に過ぎない。

心の底から思う、勘だ。

 

「こんなとこ抜けてよ。グールドをとっちめてよ、クソ女のとこで美味いメシでも食おうじゃねぇか」

 

「あ、あっしは……」

 

「それとも、この国に忠誠でも誓ったのかよ。違ぇだろ」

 

「忠誠……ちがう。あっしは、ただ、いつもの国に帰りたい。平和な、日本に」

 

「なら、俺と行こうぜ。ここで戦争なんておっ始めても意味ねぇよ」

 

「でも……それは……もう、日本は……」

 

「……あ?」

 

 リンセンは、その要領を得ないリョウの言葉に、なにか裏を察した。

 

 グールドになにかを言われている。

日本に逃げることを躊躇わせるような、鎖のような冷酷で無慈悲な言葉を。

 

「リョウ、お前、なにを言われた」

 

「……」

 

「答えないか。なら黙ってそこをどけ。俺はお前とは争いたくない。ぶちのめすのはグールドの野郎だけだ」

 

「あっしとは……争いたくない……それは、なぜ?」

 

「決まってんだろ。お前が俺の妹かもしれないからだ。いや、妹だ、絶対にな」

 

 そのとき、リョウの頭の中に鋭い痛みが走った。

 

 細い針を脳に差し込まれたかのような、鋭利な刃でゆっくり斬られていくような、徐々に行われる丁寧な拷問のように、リョウの頭を痛みが侵食する。

 

「あ、ああああああ、うううう」

 

 リョウの目つきが変わった。

 

 スイッチが切り替わったように、目の前にいるリンセンを完全に敵と認識する。

まるで鋭い痛みが敵意に変換されたかのようだ。

 

「あっしは……ナイラ国で生きるっ!」

 

 すかさず変身したリョウは、踏み込むと同時にリンセンへ強烈な拳を叩き込むっ。

 

「うっ!? お前、なに考えてやがるっ!!」

 

 バツ型に作ったガードで一撃は防いだ。

だがリョウは続けざまに拳を繰り出し、リンセンの鉄壁の防御を崩し蹴りを打ち込むっ!

 

 流れるような連撃は鉄板に穴が開くほどの威力と言っても過言ではない! だがリンセンは怯むことなく立ち続け、静かに攻撃を受け止めた。

 

「やるじゃねぇか、リョウ……」

 

「き、貴様……なぜ反撃しない!」

 

「言ったろう。俺はお前とは争わない。俺がぶちのめすのはグールドの野郎だけだってな。それで、クソ女のメシ食って、お前と日本に帰るんだよ」

 

「そんな、無駄なことをっ! あの国はもうっ……!」

 

「あいつになに言われたか知らねぇがよ。俺は意地でもお前を連れて帰るし、美味いメシがどんなもんかも知ってもらう。それまでは俺は倒れねぇし、一発も殴るつもりはねぇ」

 

 頭でも、心でも、リョウはすべてを理解していた。

この男は実の兄で、一緒に日本に帰るべきだと。

それなのに、頭の中を侵食する痛みが理解を許してくれない。

 

 無意識に、リョウは扇をリンセンへ向けていた。

 

「その扇、武器だったよな。やってみろよ。俺を殺す気で攻撃してみろ。俺は一歩も動かねぇ」

 

 望み通りにしてやると言わんばかりに、リョウは扇を持つ手に力を込める。

 

 自分の妹を信用したリンセンは、手袋に触れて変身を解除した。

いくらリンセンでも、生身で攻撃を受ければ一撃即死の大ダメージは間違いない。

 

「殺せよ、俺を。でもな、物を食う手が血で汚れちまったら、どんなメシも不味くなる。それでも構わねぇってんなら、遠慮なくやれよ」

 

 扇を構える手にさらに力が加えられる。

だが、リンセンを殺めるための力ではなく、殺めようとする心を抑えたことによる震えだ。

 

 希望を確信したリンセンは、トドメの一発をお見舞いするためクローナに人差し指を突き付けるっ!

 

「そこで縛られて袋を被せられている女がいんだろ……まぁ、お前は面識あるだろうが、あいつの作るメシは美味いんだ」

 

「う、美味い……」

 

「テンプラって料理があってよ。黄色くてサクサクして、贅沢に一匹まるまるエビを使ってんだぜ。それが格別でよ」

 

 リョウはテンプラなるものの味など未踏の領域だったが、一度は食べたことがあるはずのエビの味を想像し、生唾を飲み込んだ。

 

「他にもよ、食っても食っても飽きねぇほどの肉料理とか、いろんな香辛料を使った料理とか、チーズとかバジルってやつとか、とにかく美味ぇもんはいっぱいある」

 

「う、美味いもの……」

 

「血で汚れた手じゃ、どれも食えねぇぞ。まぁお前が俺を殺すってんなら、好きにしろ」

 

「あ、あああああ……」

 

 リョウは手にしていた扇を落とし、手袋に触れて変身を解除した。

 

 力をなくしてリンセンの胸に倒れる。実の兄に優しく抱き留められ、熱い雫が頬を伝った。

 

「うう……あっしは……ひぐっ……あっしは……」

 

「好きなだけ泣いてろ。面倒ごとは俺が片づけてやる」

 

「あ、あっしは……なんでこんなことを……」

 

「悪いのはお前じゃない。あのグールドとかってやつのせいだ。あいつをぶっ倒して、美味いメシ食って、日本に帰るんだ」

 

「で、でも……日本は、もう……あっしらの故郷は、もう……壊れている、と……」

 

「誰から聞いた」

 

「グールド……から」

 

「んなもんウソだろ。俺たちを騙すためのハッタリさ。そう言っときゃ駒にできると思ってんだよ」

 

「そう……そう、かもしれない」

 

「分かったらお前はここで待ってろ。俺は決着をつける」

 

 涙をひっこめたリョウは、無言でこくりと頷いた。

 

 リョウの頭の上にぽんと手をのせてやると、自然と笑顔が戻った。

 

「さて……グールド! お前のお楽しみは残念ながら中止だ。俺とリョウの対決は諦めて大人しく出てこいよ!」

 

 リンセンが部屋いっぱいに叫ぶと、再び玉座のエレベーターが上昇。

心底つまらなそうな表情で姿を現したグールドは、皮肉を込めた拍手を送っている。

 

「はいはいはい。兄妹の熱い愛。素晴らしいねぇ、実に素晴らしいよぉうん」

 

「てめぇ。リョウになにを吹き込みやがった。日本がどうのこうのって、つまんねぇことぬかしやがって」

 

「つまらないこと? はて? なんのことやら? 事実をありのままに伝えただけさ」

 

「はっ。誰がてめぇの言葉なんぞ信じるかよ」

 

「信じても、信じなくても、どちらにしても、どちらにしても同じことよ。事実は事実。信じても信じなくても、ね」

 

「そうかい。じゃあてめぇの言葉は信じねぇことにするぜ」

 

「けっこう」

 

 グールドが玉座から降りると、鈍い音を立てながらエレベーターは下降していった。

 

「さて、真実を信じないまま、あの世へ行ってもらおうか」

 

 小さな木箱を持ったメイドがグールドの側まで近寄り、膝をついて箱を開く。

その中には、ドロドロした薬液が詰まった注射器が一本だけ納められていた。

 

 グールドはそれを手にし、自分の腕にっ!

 

 突き刺すっ!

 

 ぶっ刺すっ!

 

「おおお! これだ! これ! 快感! けっこう! 素晴らしいぞ!」

 

 もはや注射と呼べる動きではない! これは注入! いや、これは投与! それも違う。

これはまさしく、強引な摂取! 強引な摂取! 強引な摂取だ!

 

「おいてめぇ! まさか、それっ!?」

 

「その、まさかだ! これは真の四天王にも注入した強化薬と同じもの! 四天王四人の薬プラス、真の四天王の薬を打ち込み! さらに強さを得る!」

 

「て、てめぇ……そんなことしたら、人間じゃなくなっちまうぞ!」

 

「人間としての限界などもう超えている! 超えてっ! いるのだよっ!」

 

 薬を強引に摂取した数秒後、体中の筋肉がメキメキと盛り上がった。

 

 バキバキと木版を叩き割ったような音が響き渡り、鉄を越える強度の肉体が形成されていく。

これは単なる肉体強化ではない

そんな生易しい領域はすでに凌駕し、変貌の域にまで達している。

 

 例えるのならば人間から狼男への変身! サナギから進化する蝶! オーガニックさは微塵もないが、これだけは言える! まさに究極! これぞ、究極、なのだ!

 

 図体は五十パーセント増し! すでに身長は二メートルを余裕で超えた。

 

知能は幾分か落ちたが、モンスターと呼ぶには丁度いいだろう。

モンスターはモンスターらしく、脳みそを筋肉に変換するべきなのだ!

 

「限界突破だ! さぁ死ねい、小僧ども!」

 

「はっ! そんなバカみてぇな図体してよく言うぜ!」

 

「その偉そうな口! この死闘で閉じてやる!」

 

「死闘だぁ? バカ言え。俺はなぁ、てめぇみたいなモンスターだろうと、殺しはしねぇ。ただ、ちょいと黙ってもらうだけだっ!」

 

 

 

 七章 ストロング・ウィーク

 

 

 

 リンセンは手袋に触れた! その瞬間、全身が本来のそれとは異なる姿へ変身! だがそれはグールドのような邪悪で邪道な方向への進化ではない。

外側のカッコよさよりも内側の強さを追求する、それがリンセンという男!

 

 戦闘に備えて手袋に触れようとしたリョウを、すかさずリンセンは制する!

 

「おいリョウ。お前は戦わなくていい」

 

「え?」

 

「お前は、まだあいつのメシを食ってねぇ。手はキレイにしとけ」

 

「大丈夫……なり? あいつ、強敵」

 

「俺をナメんな。さっさと片づける。ま、晩飯までには終わんだろ」

 

「じゃあ、あのクローナっていう人を助ける?」

 

「いや、そっちも俺がやる。どうやらグールドは完璧主義らしくてな。俺を倒さずに戦争をおっ始める気はないらしい。……だから、待ってろ」

 

 リョウに部屋の端っこで待機するよう指示を出し、リンセンは自分の拳と拳をバスンとぶつけ体中に気合を充填する。

 

 グールドに対し、人差し指をクイクイとやり挑発。

 

 かかってきやがれ、クソ人類が!

 

 そういう意味の無言の挑発!

 

「ウシャァァァァァ!」

 

 ではさっそく、と言わんばかりに、グールドが丸太のような腕を振り下ろし、リンセンに襲い掛かる。

リンセンは余裕をかまし、不動を貫くっ!

 

「はっ! 大した攻撃だな! まるでガキのケンカだっ!」

 

 が、

 

「やっべぇぇ!」

 

 瞬時に本能でムリだと悟り、回避行動へ移行っ!

 

 ドン! 一瞬の攻防は、間違いなかった! リンセンがいた床に怪力の拳がめり込み、一撃で床を粉砕している。

こんなものをまともに食らえば、死亡間違いなし!

 

「へっ! ガラ空きだっ!」

 

 隙を見つけたリンセンは、すかさず踏み込んでグールドの胸に混を叩き込む! だが強靭な肉体の前では鋼鉄に石を投げつける行為とそう変わらない! これは無意味!

 

 つまり、通じない! 効かない! ダメージは、ないっ!

 

 これはどういうことかっ!?

 

 鼻先に止まったハエを振り払うように、グールドのフックが炸裂し風を切る! 刹那のタイミングでかわし、すかさずリンセンは混を首元に打ち込むが、同じく手ごたえナシっ!

 

 つまり、動じない! 動かない! 傷一つ、ないっ!

 

 これはどういうことかっ!?

 

「どうした? 威勢のいいニッポン人。もっと力を出してもいいんだぞ?」

 

「ちっ……うるせぇぞてめぇ! こっちだって本気出してんだよ!」

 

「あっちの小娘と二人がかりでも構わんぞ?」

 

「はっ。てめぇみたいな汚ねぇやつとやりあうのは、俺だけでいい!」

 

「そうか。一人で足りればいいがな……!」

 

 再度グールドが拳を振り上げたとき、リンセンは回避の構えをとった!

 

 だが見てしまった。

グールドの背後で動く人影を。

グールドの大柄すぎる体格に隠れるようにして、さっきのメイドが別の注射器を背中に打ち込んでいるではないか!

 

「てめぇ! コソコソとっ!」

 

 最後まで薬液が注入されるより早く、リンセンはグールドの背後へステップしメイドの手にあった注射器を叩き落とすっ! メイドはふてぶてしく、かつ冷たい笑みを浮かべてから一歩後退した!

 

「気づくのが遅かったな、ニッポン人」

 

 グールドが体を捻ってリンセンに暴力的なまでの拳をおみまい! 最初とは比べ物にならない速度で襲いかかった拳を咄嗟に防御するが、人間並みの体重しかないリンセンでは人形のように吹き飛ばされて壁に叩きつけられるのがオチだ。

 

 轟音とともに激突した壁には大の字のヒビが入る。

 

 全身を襲ったのは凄まじい衝撃と悔しさ! リンセンにとって痛みなんて生易しいものより、自分をここまで負かした相手に対する敗北感と滾りのほうが上回った!

 

 ニヤリ。

リンセンは心で熱く燃え上がる闘志を感じ、戦いに喜びを覚えた。

 

 これだ。

この感じ。

この火のように燃えるこの感じ。

この徹底的に敵を叩き潰したくなるこの感じ。

 

 ぶち抜く衝動、貫く鼓動。

切り裂く躍動、裁く震動。

砕け散る能動、粉砕する鳴動。

 

 リンセンのハートを加速させる一つ一つの気合が爆発する! それは、激しくどしゃぶる雨そのものだ!

 

 クラウチングの構えからダッシュへ移行し、前傾姿勢でグールドめがけて突っ走る!

 

「ムダなあがきぃっぃ! このニッポン人がぁぁぁ! 正面からぶつかって勝てるわけがぁぁぁぁ! 速度も力も私のほうが上の上の上ぇぇぇぇ!」

 

「てめぇは下の下の下だぁぁぁ!」

 

 リンセンは加速を利用し、高く飛び上がる。

 

 途方もない高さまで跳ね上がり、グールドよりも遥か高い位置でほくそ笑んだ。

 

 だが、しかし! いくら高度を上げたとてグールドとの接近戦での勝利は絶望的! ならばどうするリンセン!?

 

「ほう! 落下攻撃か! ならば、落ちてこい! 返り討ちにしてくれるっ!」

 

「てめぇの敗因は、俺みたいな変身をしなかったことだっ!」

 

 強く握っていたリンセンの拳が開く! その拳は悪を砕くための鉄槌ではなかった! 開いた手の中には、壁と衝突したときに掴んだ粉塵があった! そいつを上空からグールドの目にぶちまけるっ!

 

「いいや! やっぱりてめぇは下の下の下の下の下の下ぁぁぁぁ!」

 

「でぇゃゃゃゃ!!!??? 貴様! 戦いの最中にっ! 敵の目の中にっ! そんなものをぉぉぉ!」

 

 リンセンは、視界ゼロのグールドの上空から渾身のカカト落としを放つ! 僅かなダメージだが、まともな一撃ではあるっ!

 

「貴様! ニッポン人らしい正々堂々はぁぁぁ!? どうしたというのだ!?」

 

「だから言ってんだろぉが! 俺は正々堂々がクソ嫌いだっつんだよぉぉ!」

 

 カカト落としから、流れるように地上に降りたち、グールドの背後へ進む! チャンスはここ! さきほど注射をしたところが、僅かだが出血している!

 

 医療知識のないメイドが勘で注射した結果なのだ!

 

 正々堂々なんてクソくらえのリンセンは、そこに突きをぶち込む!

 

 まともな一撃、パート2!

 

 それだけでは飽き足らず、僅かな隙を狙い蹴りもお見舞いするっ! 偶然作り出された急所に二連続で受けた攻撃は、さすがのグールドも無表情では済まない! 苦悶っ!

 

 だが怯むには至らずっ! グールドは百八十度体を捻り背後のリンセンへ拳を叩き込むっ! が、ヒットアンドアウェイを狙っていたリンセンは後方へのステップで回避っ!

 

「てめぇ! ダメージあんのかよっ!」

 

「ははぁん? 痛みは感じるさ。どうやら、僅かだがダメージがあるようだ」

 

「へっ! それならそうとちゃんと言えよなっ!」

 

「貴様、この程度の威力で倒せると思っているのか? だとすれば甘い。甘すぎてアクビが出るわ出るわ」

 

「そうかい。じゃあそのまま寝てろ! 俺はてめぇをぶっ倒すまで足を止めねぇ。足が止まってもてめぇをぶっ倒すがな!」

 

「面白い! では、こんなものはどうかね?」

 

 グールドが大きな手でパンと叩く。

野太い破裂音が木霊したとき、天井がパカっと開いて鳥カゴが出現した。

その中には、なんとクローナの妹クローネと母であるフランがいるではないか!

 

 なんという卑劣! これぞ悪者の特権だと言わんばかりに正々堂々と卑劣な行為を行うグールドは、まさに悪の中の悪と呼ぶのがちょうどいいくらいだろう!

 

 リンセンはその卑劣な戦い方に、さすがに怒りが頂点へ達して沸騰する!

 

「てめぇ……あのクソ女の母ちゃんと妹を人質にするなんてよ、卑劣すぎんだろが!」

 

「卑劣! 結構! 大満足! 卑怯! 結構! 大満足! 何度でも言うがいいさ! 一日で十五回ほどは言ってもらいたいものだ! 褒め言葉よの! ははは!」

 

 正々堂々を嫌うリンセンだったが、さすがに! さすがにこの反吐が出るような卑劣さには頭にきていた! リンセンは正々堂々ではないだけで決して卑劣ではない

罪のない人間を人質にするなど言語道断! 言語・道断っ!

 

 クローネもフランも口に布が巻かれている状態で、「助けて」とも叫ぶことができない状態だ。

これは卑劣っ!

 

「女子供の人質は実に役に立つ。それだけで相手は押し黙るのだからな」

 

「……俺はガキが嫌いだ。だがな、クローネが言ってたぜ。ガキってのはメシ食ってデっかくなんだよ。好き嫌いはあっても、美味そうにメシ食って大人になれるんなら、それだけで宝物だろうが。そんなことも分かんねぇのかてめぇ!」

 

「はははは! 一方通行しか能がないバカかと思ったが、ガラにもないことを言うのだな!」

 

「ガラじゃなくて悪かったな!」

 

「だが安心しろい。人質はあくまで場を盛り上げるための演出さ。こちらにはまだ手段があるのでな!」

 

 グールドは左腕を高く掲げた。

 

 今度は床に穴でも開けるつもりか? ……リンセンがそんな油断をしたときだった! グールドの左腕は適当に握った粘土のようにグニャグニャになり、すぐにバズーカのような筒状に再構成される!

 

「塵クズとなり果てい! 塵クズとぉぉぉ!」

 

 グールドが大口を開き、そこら一帯の空気という空気を吸う! 空気中の僅かなホコリも塵も構わず、なにもかもを吸い尽くす!

 

 リンセンも危うく吸い込まれそうになるが、床に混を突き立てた全身全霊のふんばりでブレーキをかける。

 

「てめぇ! なんて吸引力だっ!」

 

 だが! これはメインの攻撃ではない。本当の地獄はこれからなのだっ!

 

 吸い込んだ空気の全てを破壊エネルギーへと変換し、変形させた左腕からそれを放つっ!

 

 発射されたのはただの空気か!? 否っ! 断じてそれは違うっ!

 

 確かにそれは空気っ! だが空気は空気でも、リンセンめがけて一直線に発射される竜巻だ!

 

 床を抉りっ! 空気を破壊しっ! 壊滅的な竜巻がリンセンへ襲撃するっ!

 

しかし! そこで指をくわえて見ているだけのリンセンではない! 相手が竜巻ならば、こちらも同じく回転で対抗すればいいだけの話っ! シンプルな話っ!

 

「かぁぁぁいぃぃぃてぇぇぇんぅぅぅ! いま編み出した、逆竜巻殺法だぁぁぁ!」

 

 グールドが放った竜巻と逆方向へ根を回転させたままグールドの竜巻へ真正面から突っ込む! 一見無謀にも思える考えなしの特攻ではあるが予想の斜めを行くその発想にさすがのグールドも度肝を抜かれたっ!

 

「回転が足りねぇんだよっ! 回転がなぁっ!」

 

 竜巻と回転! ほぼ同レベルの回転を受けた竜巻は次々と混を前にして相殺されてゆくっ! これぞ秘儀! 逆竜巻殺法なり!

 

 だが! リンセンも無傷とはいかないっ! フルパワーで対抗するが、混の回転力も落ちていく! そのとき、グールドによる第二波が襲うっ!

 

「塵カスと成り果てい!」

 

 僅かに体内に残していた空気を塊にし、左腕から発射! 空気の弾丸は竜巻を貫き、体力を削られたリンセンの混に命中!

 

 空気の弾丸が弾け、リンセンの周囲の床を抉るっ! 巻き上げられた粉塵によりリンセンは視界を奪われる!

 

「ふははははは! ニッポン人よ! あの世で自分を呪うがいい!」

 

 ついに! 奮闘虚しくリンセンは敗れ去った! 

 

 ――かに思えたが、リンセンはそう甘くないっ!

 

 粉塵が晴れたが、その場にはリンセンのリの字もないっ!

 

「どこだニッポン人っ!」

 

 周囲を見回す。

部屋の端、クローネたちが捕まっていた鳥カゴの下にリンセンの姿があった!

 

 鳥カゴは無残にも破壊され、クローネとフランも救出されている。

リンセンの狙いはこれっ! ギリギリのタイミングで空気の弾丸を防ぎ、爆発した瞬間をチャンスにクローネたちを助けたのだ! これぞハイスピードレスキュー!

 

「リンセンっ!」

 

 クローネは大粒の涙を流しながらリンセンの胸に飛び込んだ。フランも動揺するリンセンの手を握って大げさに振っている。

 

「お、おい離れろよ! まだヤツはいんだぞ!」

 

「リンセン! あの人、悪い人でしょう? やっつけてよ!」

 

「わぁってるよクローネ! だから、離れてろって!」

 

 フランはクローネの手を引き、部屋の端まで走って戦闘エリアから抜ける。

できることならクローナと合流したかったが、兵士たちはクローナにびったり張り付いているため離れたところでひっそりと待機するしかない。

 

 あっけなく人質を助けられてしまったグールドは、怒りでギリギリと歯ぎしりをする。

その悔しさ、宇宙級だ!